ヤマレコなら、もっと自由に冒険できる

Yamareco

HOME > ヤマレコ質問箱 > カテゴリ山の情報 > 最近の谷川一ノ倉沢から国境稜線までの単独行ルートは?

ヤマレコ質問箱 カテゴリ:山の情報

受付終了
緊急度 1山の情報
最近の谷川一ノ倉沢から国境稜線までの単独行ルートは?
質問2011年07月13日 13:53 (2016年01月06日 01:43更新)
近年ルート開発と整備が進み、ザイルと三つ道具さえあれば、技術的に単独で稜線まで辿れるルートが複数開発整備されていると雑誌で読みました。1960年代は、一ノ倉尾根や東尾根は別として、沢筋からでは南稜テラス、本谷バンド、二ルンゼ、左側ザッテル、広河原、Bルンゼが技術的難度に問題なく辿れる唯一のルートでした。具体的にどんなルートが開発整備され、どの地点が単独通過可能になったのでしょうか。記録を検索しても出てきません。私が登るのは年齢的にも体力的にも技術的にも不可能ですので、噂話の類でもご存知の方は教えて下さい。興味本位で質問させて頂きます。ainakaren
回答2011年07月17日 22:33 (2016年01月05日 23:17更新)
私が初めて一ノ倉に入ったのが70年。当時人気が高いのは南陵テラスからの南陵登攀で、登攀終了点から烏帽子の頭経由で国境稜線まで踏み後ははっきりしていていました。私はクライミングから身を引いて15年ですが、後輩の情報では南陵は今でも休日は順番待ちになるほどの人気だそうです。多くのパーティは国境稜線経由のようです。1日2ルート登攀するならラッペリングしますが、このラッペリングが結構やっかいで、しかも経験の浅い新人君がテールリッジをフリーで下降するのは南陵登攀より難しいかも、ですから…
2ルンゼザッテル越えABは、崩落が進んで毎年状況が変わり、南陵より難易度が高く感じたので、私の所属クラブでは80年代からは新人の登竜門として使わなくなりました。ヌルヌルの濡れたもろい岩、確保支点のとりにくさ、国境稜線までの急峻な草付きの泥根っこに手先を突っ込んでの登りなど、楽しさがイマイチでしたので…

南陵以外に中央カンテも昔から登られており、登攀終了点が烏帽子岩なので、国境稜線に抜けることになります。

ラッペリング事故救助で国境稜線から烏帽子岩まで逆ルートを辿ったこともあります。

後輩の情報も加味すると、この40年で一ノ倉は意図的に整備されたことはなく、自然と人の営み(登攀行為含む)に任されてきたはずです。
10 ポイント! とても役に立った
お礼 
ご回答有難う御座います。やはり核心部からオキの耳、一ノ倉岳間の国境稜線にソロフリーで辿れるルートは二ルンゼ、ザッテル越えだけのようですね。それも年々荒れてくるとなると今後は難しいでしょうね。南稜、中央稜も登りましたが、あのルートをソロフリーで登るという発想は当時ありませんでしたね。高まきやへつりを繰り返しながら沢を登るイメージよりパーティで登るアルペン・クライミングのイメージが強いのと、国境まで一ノ倉尾根を辿ることになりますからね。ソロフリーで辿れるほかのルートは噂だけのようですね。滝沢上部から四ルンゼ左俣までの岩場には今でもソロフリーで登攀が安全に可能なルートは存在せず、 またこの40年間に一ノ倉は意図的に整備されたことなく、自然と登攀行為だけに任されていたとの情報、説得力がありよく理解できました。有難う御座いました。
回答2011年07月13日 14:38 (2016年01月05日 23:17更新)
こんにちは
どの様な雑誌でお読みになったのでしょうか?
昨今アルパインクライミングを志向するクライマーは少なく一の倉のルートを登りに来る人でも殆どが同ルートを下降し稜線まで抜ける人は稀です。
登攀終了点から稜線までのルートが整備されたとのことは耳にしていません。
また2ルンゼからAルンゼを経て稜線まで抜けるルートも昔ほど登られていなく残置ハーケン等古いまま、ルートも解りにくく人によっては南稜より難しいとも言われています。
また単独で稜線まで辿れるルートとのことですがどのルートを採ってもそれなりの登攀になります、単独登攀の技術が有るのであれば烏帽子や衝立からでも可能ですがそうでなければ単独で一の倉に入る事はお勧めできません。(冬季に4ルンゼなどをソロで登るのであれば別ですが)
もしルート開拓や整備が進んでそのようなルートが有るのでしたら非常に興味が有ります、書かれていた雑誌等お教えいただければ幸いです。
10 ポイント! とても役に立った
お礼 
早々のご回答有難う御座います。
やはりそうでしたか。10年位前、確かビーパルの読者投稿で整備されすぎて面白くなくなったと書いてあって、ずっと気になっていました。私自身はもう40年以上一ノ倉に足を踏み入れていませんし、今後も入ることはありません。本谷バンドから二ルンゼザッテル越え以外にはいくら整備されたとしても稜線まで辿れる可能性のありそうなルートは思い浮かびません。一ノ沢、二ノ沢、衝立、烏帽子から東尾根、一ノ倉尾根を辿るルートは昔もありました。核心部は2,3人のパーティで登攀終了で同ルートを下降するのが普通という、50年以上前の状況と変わっていない実情が解りました。
先日、NHKテレビでマッターホルンの登攀のドキュメンタリーを見ました。もしかして同じようにフィックス・ロープや鎖が整備された箇所でもできたのかと気になっていました。有難う御座いました。疑問解消しました。