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ヤマレコ質問箱 カテゴリ:山の情報

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緊急度 3山の情報
一の俣小屋は幻だったのか? 40年前の槍沢。
質問2021年08月01日 17:34 (2021年08月09日 17:22更新)
1979年05月01日(火) 〜 1979年05月05日(土)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1675290.html
1日 上高地15:35着、19:20一ノ俣で露営。夜22時から雨
2日 終日雨、テントで沈殿。テント内、多少浸水する。
3日 快晴 南岳テント泊
4日 薄曇り 奥穂を超し、天狗のコル経由で小梨平テント泊
5日 帰京

一ノ俣で露営時、当時のメモ(レコにあげてます)によると、「テント内浸水。一ノ俣沢は増水してにごっており、飲用にできない。一ノ俣小屋の屋根から落ちる雨水を飲用にする。雨のため停滞。」と書かれてました。

先日ウエストンの著作などを読み、当時は一ノ俣沢から常念が利用されていた(今でもごく一部のエキスパートが利用してるみたいです)。調べてみると一の俣小屋は、1925(大正14)年、松本市六九町の山田利一が、営業を開始しました。ところが1943(昭和18)年2月、C大学山岳部の失火により焼失したとのことで現存していないことがわかりました。
https://ameblo.jp/pitazou/entry-11621956679.html

★1979年5月私は、一ノ俣小屋の屋根から落ちる雨水を利用しました。今でもうっすらとその小屋の情景が思い出されます。それは、1925年に営業を開始したような立派な2階建てのログハウスではなく、今にも壊れそうな小さな平屋の小屋でした。

直近の一ノ俣通過は2016年10月、西岳、赤岩岳、赤沢山に行った時です。しかし一ノ俣に小屋は無かったように思いました。

ここからが疑問点です。
1979年5月、私が一ノ俣でみた小屋は幻だったのでしょうか?小屋の屋根から落ちる水を飲用にしたのをはっきり覚えてるんですが.......

焼失後に、小さな小屋を建て、1979年当時はあったが、今はないのか?

お分かりの方、お願いします。
回答2021年08月03日 09:42 (2021年08月09日 17:22更新)
遅いタイミングで申し訳ありません。私の所持しているアルパインガイド(1980年ころ)、山と渓谷社の空撮ガイド(同時期)にも、一の俣小屋とテン場の記載があります。
また、私は1983年7月に上高地から槍沢経由で槍ー前穂を縦走しましたが、その際の一の俣付近の記録には「小屋は閉まっており、ひっそりとしている」と記載しておりますので、この時点では間違いなく存在してました。
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アルパインガイド(1980年ころ)、山と渓谷社の空撮ガイド(同時期)にも、一の俣小屋とテン場の記載がありましたか。
「小屋は閉まっており、ひっそりとしている」と記載...
とありますから、実際に見たんですね!

無人小屋で確かに「ひっそり」としていました。
私は中を見た記憶はありません。ただ、屋根から落ちる雨水をコッヘルで集めていた光景がぼんやりと、しかし、しっかりと思い浮かび、一生忘れることはないでしょう。

ほぼ同時期、もう決して見ることはない、小屋の光景を見た方がいると思うと、なんとなく嬉しいです。

貴重な情報ありがとうございました。
回答2021年08月03日 01:15 (2021年08月09日 17:22更新)
日本地図、ニッチはかなり早い段階でつぶれたと思います。高校の山岳部の顧問の弟さんが務めていたので顧問の先生から「潰れちゃんたんだよ。」と聞かされたのを覚えています。我が家に残る最新版が1992年版なのでそのあたりだと思います。ニッチの方が圧倒的に情報量が多く、踏査もしていたと思います。
20年前の廃棄は痛恨ですね。
私は同じ時期にホエーブス、8R、71L、キスリング、ウィランスシットハーネスなどをオークションで売り払い、買った値段より高く売れ喜んでいましたが、今は後悔しています。
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ニッチはかなり早い段階でつぶれたんですか。
地理院の地形図的感じがして、エアリアマップより相性がよかったんですが。
私はまだ使えた、ソロ山行用のOPTIMUS 8Rを廃棄して後悔しています。ガスが主流になってきたのと、OPTIMUSが古くなり液漏れなんかを恐れたんだとおもいますが、残念です。
シモンスーパーDだけは、手入れして今でも使用可です。数年前の年末、赤岳に持って行きましたが、長くて重かったです(笑い)

貴重な情報ありがとうございました。
回答2021年08月03日 00:10 (2021年08月09日 17:22更新)
遅い情報で今更ですが私の手元に有りますアルパインガイド25、北アルプス、昭和50年度版�Δ砲楼譽遼鷯�屋(有人小屋)とテント場のマークがはっきり印刷されています。
また、一ノ俣から常念小屋まで登り4時間、下り2時間半となっています。

なんだか懐かしくなってしまいました。以前は一般登山道だったのが廃道や破線になっていたり、お世話になった小屋が最近の地図には小屋跡、また逆に最近出来た登山道の為に古いガイド書に載っていない登山道が有り一度痛い目に遭っています。(下山道は一本しかないはずが他の地域に降りる登山道が新しく出来ていて自分の持っている地図には無くとんでもない所へ下山した事が有ります)

情報は常に新しい物が必要で楽に登山できるのは良い事なのでしょうが、丹沢の塔ノ岳に有ったもう一つの小屋(日の出山荘だったかな?)や徳本峠までの岩魚留小屋など寂しく思う事も多々あります。
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有人小屋だったんですか。
一ノ俣から常念小屋まで登り4時間、下り2時間半の記載もあったんですね。
塔ノ岳は私が初めて登った時(48年くらい前)は既に旧尊仏山荘しかなかったです。
岩魚留小屋は数年前、霞沢岳に行ったとき、大休止したところでした。すでに休業してしばらく経った感じでた。

貴重な情報ありがとうございました。
回答2021年08月02日 22:11 (2021年08月09日 17:22更新)
私は槍ヶ岳は冬の北鎌からと決めていたので、横尾から先に入っていません。
実体験に基づいた記憶ではないので回答を控えていましたが、日地出版の「35槍穂高」昭和51年6月版の地図には一の股小屋・キャンプ地の印があり、本文にも「一の股小屋は一の股谷と槍沢の出会いの上手にある。一の股からは常念小屋への登路がある。」と記され、アルパインガイド「上高地・槍穂高」にも同様の記述があります。
昭文社の山と高原地図「上高地槍・穂高」1997年版には記載がありません。
同じようなタイミングで横尾岩小屋(屏風岩小屋)も記載が跡になっています。
この岩小屋では塩漬けの肉でカレーを作り、しょっぱくて食べれなかった思い出があります。
同じ土石流で小屋は流され、岩小屋も埋まったのではないでしょうか。
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冬の北鎌とは凄すぎますね!私は5月に1回だけありますが、今は雪の無い時期でも行きたくないです!

昭和51年6月版の地図には一の股小屋・キャンプ地の印があり、本文にも「一の股小屋は一の股谷と槍沢の出会いの上手にある。一の股からは常念小屋への登路がある。」と言うことは、1979年当時は、まだ一の股からは常念小屋への道はかなりしっかりと残っていたのかもしれないですね。

そういえば、勘違いかも知れませんが数年前の秋、横尾岩小屋(屏風岩小屋)跡を示す標識があって、行こうと思ったんですが、藪っぽくてパスしました。borav64mさんが食べれないカレーを作ったの知っていたら、行ってました(笑い)

昭和51年だと20歳の時で、1979年は23歳なので日地出版の地図は見たと思います。ブルーガイドブックスより日地出版のほうが登山に特化していて、だんだん、国土地理院地形図になり、また日地出版も買うようになり、最後は山と高原地図と変遷してきました。

昔の地図やガイドブックは20年前に引っ越したとき全て廃棄してしまいました。今後は今の地図、一生捨てないでおこう。

日地出版っていまどうなってるの?

貴重なご意見ありがとうございました。
回答2021年08月02日 20:40 (2021年08月09日 17:22更新)
実際に見たり行ったりしたわけではありませんが、気になったので調べてみたところ下記サイトに気になる記述を見つけました。古い地図を見つけられた筆者の方が書いておられる内容です。記事タイトル「昔、槍・穂高にはこんなキャンプ指定地があった」

https://kamiyama-online.com/yari-hotaka-camping-site-eyecatch/

一ノ俣小屋
1976年版では「無人小屋」が残っていたらしくテントマークがあります。1987年版では「一ノ俣小屋跡」となり、テントマークが消えました。

との記述が、地図の画像と共に載っています。

また、我が家にあった古いガイドブック「BLUE GUIDE ブルーガイドブックス 上高地・乗鞍・槍・穂高」という本(実業之出版社・著者:榑沼光長(くれぬまみつなが)氏・1984年5/20発行改訂版)の地図166ページに、はっきりと「一ノ俣小屋」の記載がありました。場所は、一ノ俣橋の少し手前です。(上記に紹介したブログと全く同じ位置です)
手掛かりになるでしょうか?
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間違い有りません!
平坦地の右手(北)に無人小屋がありました。

「昔、槍・穂高にはこんなキャンプ指定地があった」を熟読しました。大変興味深く面白かったです。私が登山を始めた50年程前は、ブルーガイドブックスも登山ガイドブックとして幅を利かせていて、エアリアマップ(今は山と高原地図と呼んでますが、当時の私はエアリアマップと読んでました)以上によく読んでいた記憶があります。

奥又白は今でもテン泊は居ますね、硫黄乗越もサイトだったんですか、でもあそこ、水ない時が多いですね。天狗原は槍の眺望がクールだし、遅くまで残雪が残ってるのでサイトとしては良いですが、さすがに今はNGです。丹沢の等の岳も地図にテントマークがあって、48年前に山頂でテント泊しました。

でも良かった!ホントに小屋があったんですね。当時の登山メモが現存してなかったら、大昔のことなので、記憶違いか、幻だったのではで終わってました。

男の隠れ家
https://otokonokakurega.com/learn/outdoor/4036/
調べてたら槍ヶ岳山荘の初期の画像がありました。色々と大変だったなと思いました。

とにかく、幻ではなく、実在した。そして現在はないと分かり、スッキリしました!
有り難うございました!