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Canon Canon TS8130 series

Canon TS8130 series
製品情報
メーカー Canon
このカメラで撮影した写真
大正時代の称名寺裏山からの俯瞰。 方角から見て、稲荷山辺りからの俯瞰だと思います。伽藍のあった平場は田圃で、金堂と釈迦堂とその向こう側に阿弥陀池、埋め立て前の海まで見渡せます。左側の丘陵が日向山でしょうか。 今は、雑木に遮られてこのような眺望は得られませんが、当時の金沢三山は松林のある見晴らしのよい山だったことが分かります。
1791年(寛政3年)の称名寺より西大寺への書上げとそれにともなう境内図。 境内惣坪六万八千百十六坪二分五厘、内、山坪四万八千百二十伍坪弐分五厘、内、畑惣坪三千五百三拾坪、内、池坪千四百六拾四坪、内、平地坪弐万五千二拾七坪、内、建坪弐百三拾坪八部五輪 御朱印高百石    …の記載がある。 この境内絵図によると、金沢山は浅間宮を含み、ほぼ稜線まで、稲荷山は本願塔(実時墓)の上の稜線まで、日向山は海岸側の山麓までが境内地に含まれている。 これを、他の文永年間の北条顕時の寄進状、観応年間の足利尊氏の所領安堵状にある「称名寺寺内寺外敷地」と比べても、相互によく一致することから、中世以来、ほぼ変わらない称名寺境内地といってよいであろう。(史跡保存の軌跡 平野邦雄著より抜粋) この絵図が、西武による宅地開発計画に対する史跡指定範囲の拡大(称名寺内界→称名寺境内)の裏付けとなった。
タコチツアーコース案内図 (現地で入手)
秘仏でお目にかかれないので、写真を捜したら「横浜開港150年記念企画展 中世の港湾都市六浦」の冊子に「聖観音菩薩立像」として載っていました。 初代金沢文庫長の関靖氏は、その著書「かねさは物語」の中で次のように述べています。 「…貝付観音とも呼ばれているが、現今私が拝した状況からいうと、多少貝らしいものは付いてはいたが、37年間も海底にあったとものとは思われない。60年目に開帳ということになっている。…」
昭和43年当時の上空からの写真(「金沢文庫60年のあゆみ」掲載) 宅地造成の計画は次のようなものだったようです。 ・稲荷山と金沢山の稜線は残すが、背面はできるだけ削り取って急斜面に ・日向山を平削し、実時の墓前を宅造地の幹線道路とし金沢山の背後に通す ・よって、実時の墓は前面の道路と背面の新稜線に挟まれた飛び地に ・切削土壌(土丹)は港湾埋め立て用として市に売却
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