(はじめに)
この章では、いわゆる奥秩父の山と言われる、雲取山から金峰山までの、関東山地の主脈の山々の地質について説明します。
1)雲取山付近の地質
奥秩父連峰主脈の東の端は、東京都最高峰でもある雲取山(2017m)から始まります。そこからやや蛇行しつつ西へと主稜線が延びています。
まず雲取山の地質ですが、はるか高尾山、陣馬山付近から北西方向に延びている「四万十帯」(白亜紀付加体)の地質でてきています。細かく言うと「小河内層群」というグループに属します。(文献1)
産総研「シームレス地質図v2」を細かく見ると、雲取山の北側、三峰山との間の白岩山付近に地質境界線があり、三峰山あたりはジュラ紀付加体の「秩父帯」に属していますが、地質境界線の南側にある雲取山荘、雲取山山頂付近は、白亜紀付加体の「四万十帯」になります。
雲取山荘付近は、砂岩/泥岩互層、雲取山山頂付近はメランジュ相で、山頂部はチャート岩体でできています。
一方、雲取山から東へ長々と延びる「石尾根」は、七ツ石山(1757m)の先あたりまでが、四万十帯のメランジュ相、鷹ノ巣山(1737m)は四万十帯の砂岩/泥岩互層、さらに六つ石山(1479m)から先はジュラ紀付加体である秩父帯の泥岩、砂岩/泥岩互層となります。ただし基本的には泥岩や砂岩中心の地質ですので、緩やかな石尾根には岩場もほとんどありません。
まず雲取山の地質ですが、はるか高尾山、陣馬山付近から北西方向に延びている「四万十帯」(白亜紀付加体)の地質でてきています。細かく言うと「小河内層群」というグループに属します。(文献1)
産総研「シームレス地質図v2」を細かく見ると、雲取山の北側、三峰山との間の白岩山付近に地質境界線があり、三峰山あたりはジュラ紀付加体の「秩父帯」に属していますが、地質境界線の南側にある雲取山荘、雲取山山頂付近は、白亜紀付加体の「四万十帯」になります。
雲取山荘付近は、砂岩/泥岩互層、雲取山山頂付近はメランジュ相で、山頂部はチャート岩体でできています。
一方、雲取山から東へ長々と延びる「石尾根」は、七ツ石山(1757m)の先あたりまでが、四万十帯のメランジュ相、鷹ノ巣山(1737m)は四万十帯の砂岩/泥岩互層、さらに六つ石山(1479m)から先はジュラ紀付加体である秩父帯の泥岩、砂岩/泥岩互層となります。ただし基本的には泥岩や砂岩中心の地質ですので、緩やかな石尾根には岩場もほとんどありません。
3)雲取山から雁坂峠までの稜線の地質
雲取山から西へ向かうと、飛竜山(2069m)、唐松尾山(2109m)、笠取山(1953m)とピークを重ね、雁坂小屋のある雁坂峠(約2100m)に至ります。(このルートは私、通ったことがありませんが、奥秩父特有の黒木の森ではないかと思います)。
雲取山と飛竜山との間に地質境界があり、それより先、雁坂峠までは、白亜紀付加体である四万十帯の砂岩/泥岩互層の地層が続いています。細かく言うと前に述べた「小河内層群」と言う名前の地層です。基本的には陸源性の、砂と泥でできた地層であり、海洋性地質(チャート、玄武岩、石灰岩)の岩体が少ないので、地質的には地味な稜線といえます。
なお、これらの山々の高さが2000〜2100m程度と、ほとんど一定なのは、風化、浸食には強くない砂岩、泥岩でできた地層であることで、ほぼ同じスピードで風化、浸食が進んでいるためではないか?とも思います(私見です)。
雲取山と飛竜山との間に地質境界があり、それより先、雁坂峠までは、白亜紀付加体である四万十帯の砂岩/泥岩互層の地層が続いています。細かく言うと前に述べた「小河内層群」と言う名前の地層です。基本的には陸源性の、砂と泥でできた地層であり、海洋性地質(チャート、玄武岩、石灰岩)の岩体が少ないので、地質的には地味な稜線といえます。
なお、これらの山々の高さが2000〜2100m程度と、ほとんど一定なのは、風化、浸食には強くない砂岩、泥岩でできた地層であることで、ほぼ同じスピードで風化、浸食が進んでいるためではないか?とも思います(私見です)。
4)雁坂峠から甲武信岳、国師ヶ岳、金峰山付近までの稜線の地質
雁坂峠から西へは急な登りとなり、次のピークは破風山(2310m)です。
この登りの途中に地質境界があり、これまでの砂や泥の堆積岩でできた地味な地質ゾーン(付加体型地質)から一転して、深成岩の一種である花崗岩類のゾーンに変わります。
その先 甲武信ヶ岳(こぶしがたけ:2475m)、国師ヶ岳(こくしがたけ:2592m)、そして関東山地の実質的な最高峰(※)である金峰山(きんぷさん:2599m)と、2500m級の高峰が連なるゾーンは全て、花崗岩類の地質でできています。
(※ 本当の関東山地最高峰は、国師ヶ岳のすぐ南の支尾根上にある北奥千丈岳(きたおくせんじょうがたけ:2601m)です)
私はこのゾーンでは甲武信ヶ岳、金峰山、瑞牆山(みずがきやま)、国師ヶ岳、北奥千丈ヶ岳に登っています。
・甲武信ヶ岳は、山頂付近が森林限界を抜けており、岩屑がガラガラした山頂部で、展望にも恵まれています。山頂部の岩屑は花崗閃緑岩だと思われます。
また甲武信ヶ岳の南側には笛吹川上流部にあたる西沢や東沢という、滝の多い渓流があり、観光や沢登りの場所として有名ですが、この付近も花崗岩類で出来ています。
・金峰山は、ザクや岩塊の多い斜面が多い山で、頂上部には花崗岩でできた巨岩である「五丈岩」がシンボルとなっています。森林限界を大きく抜けており、アルプスの高峰のような雰囲気があります。なお岩塊斜面は、氷河期の低温環境で花崗岩が割れてできた岩塊でできています(文献3)
・金峰山から峠を隔てた東側の国師ヶ岳、北奥千丈ヶ岳も、金峰山と同様に、花崗岩類で形成されており、それらの頂上部は花崗岩の岩塊になっており、展望が開けています。
・瑞牆山(2230m)は、全山が花崗岩の岩峰でできていて、奇景ともいえる面白い山です。頂上部も花崗岩の岩峰になっていたと記憶しています。特に「ヤスリ岩」と呼ばれる花崗岩の塔状の岩は珍しい岩です。
奥秩父主脈は、中間点である雁坂峠を境として、その東側のゾーンの山々が2000-2100m級、西側のゾーンの山々は2400-2600m級と、山の高さに明確な違いがあります。
これは東側のゾーンが浸食に弱い、砂岩、泥岩主体の地質(付加体型地質)なのに対し、西側のゾーンは浸食には中くらい強い、花崗岩類の地質であることが影響していると思います(私見です)。
この登りの途中に地質境界があり、これまでの砂や泥の堆積岩でできた地味な地質ゾーン(付加体型地質)から一転して、深成岩の一種である花崗岩類のゾーンに変わります。
その先 甲武信ヶ岳(こぶしがたけ:2475m)、国師ヶ岳(こくしがたけ:2592m)、そして関東山地の実質的な最高峰(※)である金峰山(きんぷさん:2599m)と、2500m級の高峰が連なるゾーンは全て、花崗岩類の地質でできています。
(※ 本当の関東山地最高峰は、国師ヶ岳のすぐ南の支尾根上にある北奥千丈岳(きたおくせんじょうがたけ:2601m)です)
私はこのゾーンでは甲武信ヶ岳、金峰山、瑞牆山(みずがきやま)、国師ヶ岳、北奥千丈ヶ岳に登っています。
・甲武信ヶ岳は、山頂付近が森林限界を抜けており、岩屑がガラガラした山頂部で、展望にも恵まれています。山頂部の岩屑は花崗閃緑岩だと思われます。
また甲武信ヶ岳の南側には笛吹川上流部にあたる西沢や東沢という、滝の多い渓流があり、観光や沢登りの場所として有名ですが、この付近も花崗岩類で出来ています。
・金峰山は、ザクや岩塊の多い斜面が多い山で、頂上部には花崗岩でできた巨岩である「五丈岩」がシンボルとなっています。森林限界を大きく抜けており、アルプスの高峰のような雰囲気があります。なお岩塊斜面は、氷河期の低温環境で花崗岩が割れてできた岩塊でできています(文献3)
・金峰山から峠を隔てた東側の国師ヶ岳、北奥千丈ヶ岳も、金峰山と同様に、花崗岩類で形成されており、それらの頂上部は花崗岩の岩塊になっており、展望が開けています。
・瑞牆山(2230m)は、全山が花崗岩の岩峰でできていて、奇景ともいえる面白い山です。頂上部も花崗岩の岩峰になっていたと記憶しています。特に「ヤスリ岩」と呼ばれる花崗岩の塔状の岩は珍しい岩です。
奥秩父主脈は、中間点である雁坂峠を境として、その東側のゾーンの山々が2000-2100m級、西側のゾーンの山々は2400-2600m級と、山の高さに明確な違いがあります。
これは東側のゾーンが浸食に弱い、砂岩、泥岩主体の地質(付加体型地質)なのに対し、西側のゾーンは浸食には中くらい強い、花崗岩類の地質であることが影響していると思います(私見です)。
5)奥秩父西部の花崗岩類ゾーンについて
関東山地のほとんどが、砂岩、泥岩がメインで、所々に海洋プレート起源のチャート、石灰岩などが混じる、付加体性地質(秩父帯、四万十帯)ですが、前の(3)節で説明したように、奥秩父主脈の西側だけが、深成岩である花崗岩質の地質でできており、ちょっと異質なものが混じっている感じです。なぜでしょうか?
(文献2)によると、この奥秩父主稜線部だけではなく、甲府盆地の東側、南東側まで広く花崗岩類が分布しており、まとめて「甲府深成岩体」と呼ばれます。
一方、甲府盆地を隔てた向かい側、南アルプス北部には、甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山があり、これらも「四万十帯」地層に貫入した花崗岩類でできた山々で「甲斐駒・鳳凰花崗岩体」と呼ばれます。
これらの花崗岩類は、約15〜10Maに、地下深くで出来たマグマが、地中で固まって花崗岩類となり、その後の地殻変動(主に隆起)によって、現在は標高の高い山々の稜線を形成しているものです。
南アルプス側の甲斐駒、鳳凰三山側の花崗岩類も同じ時期にできた花崗岩体です(甲斐駒・鳳凰花崗岩体は、第4部 南アルプスの項で説明しています)。
この前の、約20Ma〜15Maという時期は、「日本海拡大/日本列島移動イベント」という、日本列島にとって最大級のプレートテクトニクス的大事変が起きた時代です。
その後、日本海拡大に伴い南進していった日本列島の下へと、まだできたばかりのフィリピン海プレート東半分(四国海盆部分)が潜り込む形となったため、本来はマグマができにくい、プレート沈み込み帯に近い部分で、火山活動や、マグマ・深成岩の貫入があちこちで起きた時代です。
この甲府深成岩体も、その時期に地下深くでマグマができ、その後上昇したのち、冷え固まってできた深成岩の塊の一つです(文献2)。
(注: 補足説明1の項で詳細説明)
※ ”Ma” は、百万年前を意味する単位
(文献2)によると、この奥秩父主稜線部だけではなく、甲府盆地の東側、南東側まで広く花崗岩類が分布しており、まとめて「甲府深成岩体」と呼ばれます。
一方、甲府盆地を隔てた向かい側、南アルプス北部には、甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山があり、これらも「四万十帯」地層に貫入した花崗岩類でできた山々で「甲斐駒・鳳凰花崗岩体」と呼ばれます。
これらの花崗岩類は、約15〜10Maに、地下深くで出来たマグマが、地中で固まって花崗岩類となり、その後の地殻変動(主に隆起)によって、現在は標高の高い山々の稜線を形成しているものです。
南アルプス側の甲斐駒、鳳凰三山側の花崗岩類も同じ時期にできた花崗岩体です(甲斐駒・鳳凰花崗岩体は、第4部 南アルプスの項で説明しています)。
この前の、約20Ma〜15Maという時期は、「日本海拡大/日本列島移動イベント」という、日本列島にとって最大級のプレートテクトニクス的大事変が起きた時代です。
その後、日本海拡大に伴い南進していった日本列島の下へと、まだできたばかりのフィリピン海プレート東半分(四国海盆部分)が潜り込む形となったため、本来はマグマができにくい、プレート沈み込み帯に近い部分で、火山活動や、マグマ・深成岩の貫入があちこちで起きた時代です。
この甲府深成岩体も、その時期に地下深くでマグマができ、その後上昇したのち、冷え固まってできた深成岩の塊の一つです(文献2)。
(注: 補足説明1の項で詳細説明)
※ ”Ma” は、百万年前を意味する単位
(補足説明1)
甲府深成岩体の生成に関して、(文献2)では、さらに詳しい解説がなされていますので、以下に説明しておきます。ご興味のある方はお読みください。
「甲府深成岩体」のうち、金峰山、瑞牆山付近の花崗岩のゾーンは、「金峰山岩体」という小区分名が付けられています。この岩体は、約15〜11Maに、フィリピン海プレート上にのし上げる形となった陸側プレートと、地下に潜り込んだ、まだ出来立てで温度が高かったフィリピン海プレートとの間で、そこにあった付加体(四万十帯)の深部が融解して、花崗岩質マグマが生じたものと考えられています。
一方、甲武信ヶ岳や、甲府盆地の東側に広く広がる花崗閃緑岩のゾーンは、「徳和(とくわ)岩体」という小区分名が付けられており、「金峰山岩体」よりは遅く(若く)、約11〜10Maに形成された岩体です。
この岩体の元となったマグマの形成は、日本海拡大/日本列島移動イベントの終了直後の約15Maに始まった、伊豆―小笠原弧の日本列島へ向かっての北進と衝突の影響が大きいと考えられています。
この衝突の間接的な影響で、地下深部のマントル層(ウエッジマントル部)に対流活動(高温の上昇流)が生じたため、その直上にあった地殻下部が融解してできた花崗岩質マグマではないか、と考えられています。
「甲府深成岩体」のうち、金峰山、瑞牆山付近の花崗岩のゾーンは、「金峰山岩体」という小区分名が付けられています。この岩体は、約15〜11Maに、フィリピン海プレート上にのし上げる形となった陸側プレートと、地下に潜り込んだ、まだ出来立てで温度が高かったフィリピン海プレートとの間で、そこにあった付加体(四万十帯)の深部が融解して、花崗岩質マグマが生じたものと考えられています。
一方、甲武信ヶ岳や、甲府盆地の東側に広く広がる花崗閃緑岩のゾーンは、「徳和(とくわ)岩体」という小区分名が付けられており、「金峰山岩体」よりは遅く(若く)、約11〜10Maに形成された岩体です。
この岩体の元となったマグマの形成は、日本海拡大/日本列島移動イベントの終了直後の約15Maに始まった、伊豆―小笠原弧の日本列島へ向かっての北進と衝突の影響が大きいと考えられています。
この衝突の間接的な影響で、地下深部のマントル層(ウエッジマントル部)に対流活動(高温の上昇流)が生じたため、その直上にあった地殻下部が融解してできた花崗岩質マグマではないか、と考えられています。
(参考文献)
文献1)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第3巻 関東地方」朝倉書店 刊(2008)
のうち、2−2章「関東山地」、2-2-8節「四万十帯」の項
文献2)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第4巻 中部地方」朝倉書店 刊(2006)
のうち、15−2章「甲府深成岩体」の項
文献3)小泉 著
「日本の山ができるまで」A&F社 刊(2020)
のうち、第15章「1400万年前の火成活動でできた山々」の項
文献4)「アルペンガイド 6 奥多摩・奥秩父、大菩薩」
山と渓谷社 刊 (1999年版)
「日本地方地質誌 第3巻 関東地方」朝倉書店 刊(2008)
のうち、2−2章「関東山地」、2-2-8節「四万十帯」の項
文献2)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第4巻 中部地方」朝倉書店 刊(2006)
のうち、15−2章「甲府深成岩体」の項
文献3)小泉 著
「日本の山ができるまで」A&F社 刊(2020)
のうち、第15章「1400万年前の火成活動でできた山々」の項
文献4)「アルペンガイド 6 奥多摩・奥秩父、大菩薩」
山と渓谷社 刊 (1999年版)
このリンク先の、5−1章の文末には、第5部「関東西部の山々の地質」の各章へのリンク、及び、序章(本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第5部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
第5部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
【書記事項】
初版リリース;2020年12月3日
△改訂1;文章見直し、一部修正。5−1章へのリンク追加。書記事項追加。
△最新改訂年月日;2022年1月4日
△改訂1;文章見直し、一部修正。5−1章へのリンク追加。書記事項追加。
△最新改訂年月日;2022年1月4日
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bergheilさん、こんばんわ。分かりやすく解説してくださり有難うございます。
突拍子もない質問と思いますが、もし学説があれば教えてください。
フィリピン海プレートが関東山地を圧迫するため、大局的には山梨県東部や東京での尾根や川は東西方向を向いていると思います。多摩川や相模川、奥秩父主脈や、多摩川と相模川の分水嶺になる牛の寝〜鶴峠〜東京の奥多摩三山もほぼ東西に並んでいます。
ここで面白いのは、南大菩薩(小金沢嶺)が滝子山付近までほぼ直線的に南北に連なっていることです。フィリピン海プレートからの圧迫を受けたのでアコーディオンカーテンのようにジグザクになるのが自然かなと推測するのですが。
丁度、南大菩薩は徳和岩体の東縁になります。南大菩薩が南北に連なっているのは徳和岩体と関連していると推測していますがいかがなものでしょうか。
毎回、とんでもない質問をしまして申し訳ありません。
fujikitaさん、こんにちは。
さすがfujikitaさん、(上から目線で失礼ですが)良い着眼点ですね。
私も、東京に単身赴任していた時代、関東山地の山々の地図を見ると、奥秩父主脈から南にぽつんと離れて、2000m級の大菩薩山塊がるのは、なんでだろうなー、と少し疑問に思っていました。
でも、fujikitaさんからコメントを頂くまで、そこはあまり気にしていませんでした。
さっそく、頼りにしている「日本の地形」シリーズ、「日本地方地質誌」シリーズを読み返してみましたが、大菩薩山塊に関してはなんにも書かれてませんでした。
・・・で、ネットで調べると、以下の文献が見つかりました。
詳細は以下文献を確認して頂くとして、花崗岩質マグマが上昇してきた徳和岩体の周辺(大菩薩嶺、大菩薩峠付近)は、高温のマグマの影響で熱変成を受け、ホルンフェルス化しているようです。
ホルンフェルスという熱変成岩は源岩(砂岩、泥岩)よりはかなり硬くて、浸食にも強い変成岩です。
とすると、徳和岩体に隣接している大菩薩山塊、およびそこから南へ延びるt稜線(小金沢嶺)が、標高高めの稜線を形成していることも、合理的に理解できますね。
コメント頂いて、こちらが勉強になりました。
これからもよろしくお願いします。
ーーーーーーーーーーーーー
(参考文献)
加賀美、谷口
「関東山地のホルンフェルスの石英組織と貫入花崗岩類の形成深度」
城西大学研究年報 (自然科学編)
(報告年度などは不明)
https://core.ac.uk/download/pdf/34706841.pdf
bergheilさん、こんばんわ。
ご丁寧なご返事に加えて、参考文献まで調べてくださり有難うございます。
こちらこそよろしくお願いします
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