(はじめに)
この章では、関東山地の一角である、甲府盆地周辺の山々の地質について説明します。
甲府盆地を含む山梨県は、地理学上は関東地方ではありませんが、東京都に隣接している県であり、かつJR中央東線や高速道 中央道にて、首都県から簡単にアクセスできるので、甲府盆地付近の山々をここで紹介するのもおかしくないでしょう。
甲府盆地周辺の山々は、以下4区分に分けて説明しますが、この5-8章では関東山地の一部である(1)、(2)を、次の5-9章で甲府盆地の南側、富士山周辺の(3)、(4)を説明します。
(1)大菩薩山塊
(2)甲府盆地北側の山々
(3)御坂山地
(4)天守山地
甲府盆地を含む山梨県は、地理学上は関東地方ではありませんが、東京都に隣接している県であり、かつJR中央東線や高速道 中央道にて、首都県から簡単にアクセスできるので、甲府盆地付近の山々をここで紹介するのもおかしくないでしょう。
甲府盆地周辺の山々は、以下4区分に分けて説明しますが、この5-8章では関東山地の一部である(1)、(2)を、次の5-9章で甲府盆地の南側、富士山周辺の(3)、(4)を説明します。
(1)大菩薩山塊
(2)甲府盆地北側の山々
(3)御坂山地
(4)天守山地
1)大菩薩山塊
大菩薩嶺(だいぼさつれい:2057m)を中心とした大菩薩山塊は、多摩川の上流部である丹波川で区切られて、奥秩父連峰主脈とは独立した山塊を形成し、大菩薩嶺から南へと長い尾根を伸ばしています。また日本百名山でありながら、7合目付近まで車道が延び、簡単に日帰り登山ができる点も大菩薩嶺は初心者向きの良い山です。
さて、産総研「シームレス地質図v2」を見ると、大菩薩山塊は、西側が深成岩である花崗岩類(甲府岩体)で構成されており、東側は付加体型の地質である「四万十層」でできています。
まず西側からの登山ルート沿いに地質を説明します。JR塩山駅(現 甲州市、旧 塩山市)から大菩薩への道をたどると、裂石(さけいし)付近から山中に入ります。
裂石付近から、車道がさらに延びている上日川峠(かみにっかわとうげ:1590m)あたりまでは、前章で述べた花崗岩類(花崗閃緑岩)でできています。そこから大菩薩嶺への直登道 唐松尾根、あるいは大菩薩峠への道を行くと、途中から地質は砂岩層に変わります。これはこの関東山地の部で何回もでてきた「四万十帯」の付加体性地質で、白亜紀に形成されたものです。介山荘という山小屋がある大菩薩峠や、最高点の大菩薩嶺山頂部もこの四万十帯の砂岩でできています。
大菩薩山塊は全体に、2000m級の山とは思えないほど、なだらかな山容をしていますが、これはおそらく、山体上部が砂岩でできているためではないかと思われます。
なお、大菩薩嶺からは南へと小金沢連峰(連嶺(れんれい)とも言う)という長い尾根が延びており、小金沢山(2014m)を始め、標高が2000-1600m級の山々がJR中央東線、高速 中央道が通る笹子川の谷の手前、滝子山(1610m)まで、長く延びています。
この南北に長い尾根がどうして形成されたのか? 詳しいことは解りませんが、この連峰の西側には、先に述べた徳和岩体(花崗岩類)があります。
徳和岩体の元は高温のマグマなので、マグマが貫入した際には、この一帯は熱変成作用を受け、硬いホルンフェルスという岩石に変成しているようです(文献1)。
これが、南北に長く延びる小金沢連峰がある理由の一つではないかと思われます(私見です)。
一方、大菩薩嶺山塊は、南東側はいわゆるカヤト(ススキ)の多い高原状の山容で、北東側は木々がうっそうと生い茂っており、植生がずいぶんと違います。しかしこれは地質の違いではなく、人工的な改変だと思われます。
さて、産総研「シームレス地質図v2」を見ると、大菩薩山塊は、西側が深成岩である花崗岩類(甲府岩体)で構成されており、東側は付加体型の地質である「四万十層」でできています。
まず西側からの登山ルート沿いに地質を説明します。JR塩山駅(現 甲州市、旧 塩山市)から大菩薩への道をたどると、裂石(さけいし)付近から山中に入ります。
裂石付近から、車道がさらに延びている上日川峠(かみにっかわとうげ:1590m)あたりまでは、前章で述べた花崗岩類(花崗閃緑岩)でできています。そこから大菩薩嶺への直登道 唐松尾根、あるいは大菩薩峠への道を行くと、途中から地質は砂岩層に変わります。これはこの関東山地の部で何回もでてきた「四万十帯」の付加体性地質で、白亜紀に形成されたものです。介山荘という山小屋がある大菩薩峠や、最高点の大菩薩嶺山頂部もこの四万十帯の砂岩でできています。
大菩薩山塊は全体に、2000m級の山とは思えないほど、なだらかな山容をしていますが、これはおそらく、山体上部が砂岩でできているためではないかと思われます。
なお、大菩薩嶺からは南へと小金沢連峰(連嶺(れんれい)とも言う)という長い尾根が延びており、小金沢山(2014m)を始め、標高が2000-1600m級の山々がJR中央東線、高速 中央道が通る笹子川の谷の手前、滝子山(1610m)まで、長く延びています。
この南北に長い尾根がどうして形成されたのか? 詳しいことは解りませんが、この連峰の西側には、先に述べた徳和岩体(花崗岩類)があります。
徳和岩体の元は高温のマグマなので、マグマが貫入した際には、この一帯は熱変成作用を受け、硬いホルンフェルスという岩石に変成しているようです(文献1)。
これが、南北に長く延びる小金沢連峰がある理由の一つではないかと思われます(私見です)。
一方、大菩薩嶺山塊は、南東側はいわゆるカヤト(ススキ)の多い高原状の山容で、北東側は木々がうっそうと生い茂っており、植生がずいぶんと違います。しかしこれは地質の違いではなく、人工的な改変だと思われます。
2)甲府盆地北側の山々
甲府盆地の北側には、手軽に登れる1500-2000m級の山々がいくつかあります。それらの山々の地質、成り立ちについてこの(2)節で説明します。
(2−1)乾徳山
乾徳山(けんとくさん:2016m)は、甲府盆地の北東側にある2000m級の山ですが、かなり奥まで車で入れるので、首都圏から日帰り登山が十分可能な山です。
さて、乾徳山の地質を、産総研「シームレス地質図v2」にて確認すると、乾徳山の周りは、前章で述べた甲府岩体という花崗岩類でできていますが、乾徳山自体は、火山岩である安山岩でできています。ただし火山岩とは言っても、乾徳山が火山だったわけではなく、この安山岩は、約15-10Ma頃に噴出した相当古い火山岩です。
おそらく、甲府岩体のある場所では、15-10Ma当時には、火山活動が盛んで、いくつかの火山があったのではないか、と推定されます。そのうちにこの一帯が隆起して上部から徐々に浸食されて、火山岩の地層はほとんど浸食され、大部分は地下深くにあったマグマ溜り由来の深成岩体が地表に露出し、わずかに火山岩の層が、地表に点在しているのではないか、と思われます。
なお乾徳山は、山頂手前あたりや山頂部が岩場になっており、面白い山ですが、これらの岩場は、浸食に抗して残った古い安山岩からできています。
(2−2)茅ヶ岳
茅ヶ岳(かやがたけ;1704m)は、甲府盆地の北西側にあり、乾徳山と同様に首都圏から日帰りができる良い山です。また「日本百名山」を著した深田久弥氏が、登山中に急逝した終焉の地としても知られ、登山口には記念碑があります。
(文献2)によると茅ヶ岳は、第四紀の火山です。北隣の金ヶ岳も含めて、小型の成層火山を形成していたと考えられています。活動時期は(文献3)によると、20万年前頃です。なお(文献2)や産総研「シームレス地質図v2」によると、地質は安山岩質です。
茅ヶ岳はかなり浸食、開析されており、成層火山としての原型はほとんどとどめていません。
(2−3)黒富士
茅ヶ岳の東側には黒富士(くろふじ:1633m)という山がありますが、これも茅ヶ岳と同様に小型の火山です。火砕流を何度も噴出した火山と推定されています。
(文献2)や、産総研「シームレス地質図v2」によると、黒富士の地質は、デイサイト質です。黒富士付近から南へ、高速 中央道の近くまでデイサイト質の火山性地質でできていますが、(文献2)によると、これらは、黒富士火山から噴出した火砕流の流れた跡だと考えられています。
さらに甲府盆地の地下にも、黒富士火山由来の火砕流堆積物が分布していることが、ボーリング調査で確認されています(文献2)。
なお黒富士の火山活動時期は、(文献3)によると約100〜50万年前です。古い火山のため、火山としての原型はあまりとどめていません。
乾徳山(けんとくさん:2016m)は、甲府盆地の北東側にある2000m級の山ですが、かなり奥まで車で入れるので、首都圏から日帰り登山が十分可能な山です。
さて、乾徳山の地質を、産総研「シームレス地質図v2」にて確認すると、乾徳山の周りは、前章で述べた甲府岩体という花崗岩類でできていますが、乾徳山自体は、火山岩である安山岩でできています。ただし火山岩とは言っても、乾徳山が火山だったわけではなく、この安山岩は、約15-10Ma頃に噴出した相当古い火山岩です。
おそらく、甲府岩体のある場所では、15-10Ma当時には、火山活動が盛んで、いくつかの火山があったのではないか、と推定されます。そのうちにこの一帯が隆起して上部から徐々に浸食されて、火山岩の地層はほとんど浸食され、大部分は地下深くにあったマグマ溜り由来の深成岩体が地表に露出し、わずかに火山岩の層が、地表に点在しているのではないか、と思われます。
なお乾徳山は、山頂手前あたりや山頂部が岩場になっており、面白い山ですが、これらの岩場は、浸食に抗して残った古い安山岩からできています。
(2−2)茅ヶ岳
茅ヶ岳(かやがたけ;1704m)は、甲府盆地の北西側にあり、乾徳山と同様に首都圏から日帰りができる良い山です。また「日本百名山」を著した深田久弥氏が、登山中に急逝した終焉の地としても知られ、登山口には記念碑があります。
(文献2)によると茅ヶ岳は、第四紀の火山です。北隣の金ヶ岳も含めて、小型の成層火山を形成していたと考えられています。活動時期は(文献3)によると、20万年前頃です。なお(文献2)や産総研「シームレス地質図v2」によると、地質は安山岩質です。
茅ヶ岳はかなり浸食、開析されており、成層火山としての原型はほとんどとどめていません。
(2−3)黒富士
茅ヶ岳の東側には黒富士(くろふじ:1633m)という山がありますが、これも茅ヶ岳と同様に小型の火山です。火砕流を何度も噴出した火山と推定されています。
(文献2)や、産総研「シームレス地質図v2」によると、黒富士の地質は、デイサイト質です。黒富士付近から南へ、高速 中央道の近くまでデイサイト質の火山性地質でできていますが、(文献2)によると、これらは、黒富士火山から噴出した火砕流の流れた跡だと考えられています。
さらに甲府盆地の地下にも、黒富士火山由来の火砕流堆積物が分布していることが、ボーリング調査で確認されています(文献2)。
なお黒富士の火山活動時期は、(文献3)によると約100〜50万年前です。古い火山のため、火山としての原型はあまりとどめていません。
(参考文献)
文献1)加賀美、谷口
「関東山地のホルンフェルスの石英組織と貫入花崗岩の形成深度」
城西大学研究年報 (報告年度は不明)
https://core.ac.uk/download/pdf/34706841.pdf
文献2)町田、松田、海津、小泉 編
「日本の地形 第5巻 中部」
のうち第2部「南部フォッサマグナ地域」、
2−2−(3)節 「甲府盆地とその周辺」の項
文献3)佐藤、柴田、内海
「甲府盆地周辺の花崗岩体の年代と南部フォッサマグナ地域の
構造発達史における意義」
群馬県立自然史博物館 研究報告 第19巻 p95-109 (2015)
http://www.gmnh.pref.gunma.jp/wp-content/uploads/bulletin19_10.pdf
「関東山地のホルンフェルスの石英組織と貫入花崗岩の形成深度」
城西大学研究年報 (報告年度は不明)
https://core.ac.uk/download/pdf/34706841.pdf
文献2)町田、松田、海津、小泉 編
「日本の地形 第5巻 中部」
のうち第2部「南部フォッサマグナ地域」、
2−2−(3)節 「甲府盆地とその周辺」の項
文献3)佐藤、柴田、内海
「甲府盆地周辺の花崗岩体の年代と南部フォッサマグナ地域の
構造発達史における意義」
群馬県立自然史博物館 研究報告 第19巻 p95-109 (2015)
http://www.gmnh.pref.gunma.jp/wp-content/uploads/bulletin19_10.pdf
このリンク先の、5−1章の文末には、第5部「関東西部の山々の地質」の各章へのリンク、及び、序章(本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第5部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
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【書記事項】
初版リリース;2020年12月5日
△改訂1;文章見直し、一部修正。5−1章へのリンク追加。書記事項追加。
△最新改訂年月日;2022年1月4日
△改訂1;文章見直し、一部修正。5−1章へのリンク追加。書記事項追加。
△最新改訂年月日;2022年1月4日
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