(はじめに)
谷川岳(1977m)を主峰として両側に延びる1900m前後の山々を、一般に「谷川連峰」と呼びます。
谷川連峰の公式な定義、範囲は定められていないようですが、西は三国峠(みくにとうげ;約1300m)から始まり、三国山(1636m)、平標山(たいらっぴょうやま:1984m)、仙ノ倉山(2026m、日本二百名山)、万太郎山(1954m)とほぼ東西に続いて主峰、谷川岳(1977m;日本百名山)に至ります。
そこから稜線は急角度で北へと曲がり、一ノ倉岳(いちのくらだけ:1974m)、茂倉岳(しげくらだけ:1978m)と続いたあとは標高がやや低くなり、武能岳(1760m)に続き、ヒュッテのある蓬峠(よもぎとうげ:1529m)に至ります。
狭義の谷川連峰は、この三国峠から蓬峠までと言えるでしょう。
なお、(文献2)では蓬峠より東にある清水峠までを「谷川連峰」としています。
蓬峠の東に続く稜線は、七ツ小屋山(1675m)、清水峠と続き、その先、朝日岳(1945m;日本三百名山)付近で、北と南との2つに分岐します。
このうち南へ分岐した稜線は、朝日岳から笠ヶ岳(1852m)、白毛門(しらがもん:1720m)と続いたあと、湯檜曾川(ゆびそがわ)沿いの土合(どあい)へと下っています。
この稜線から蓬峠を通り谷川岳までの縦走路は、登山界では「馬蹄形縦走(路)」とも呼ばれています。これらの山々も、谷川連峰(広義)の一部とみなせるでしょう。
その他、七ツ小屋山から北へ分岐した枝尾根上に、「上越のマッターホルン」という異名をもつ岩峰状の大源太山(だいげんたさん:1598m)があります。
一方、北側へ分岐した稜線はゆるやかな稜線が長く続き、約10km先の巻機山(1967m)へと続いています。
谷川連峰は、関東北部の山々の、関東平野と越後平野とを分ける分水嶺のうち、幅が最も狭くなっている部分にあたり、かつ、その割には標高2000m級の山が立ち並んでいるため、冬場の積雪量が多いことや、天候が変わりやすいこと、一ノ倉沢には越年性雪渓(いわゆる万年雪)があることなど、気象学的にも、氷雪学的にも、特徴的な山域です。
また谷川連峰は山容も変化に富んでおり、湯檜曾川沿いにある東壁には、マチガ沢、一ノ倉沢などの、穂高や剣岳と並ぶ大岩壁があって、昭和初期からのロッククライミングのメッカです(最近は、昭和の時代よりはクライマーは少ないとは思いますが・・)。
加えて連峰の南側(南壁)にも、オジカ沢、爼グラ(まないたぐら)、幕岩(まくいわ)などの岩壁があります。
これらのロッククライミングのメッカである岩壁群では、主に昭和初期、昭和中期(戦後)において、遭難(転落)死者が非常に多くでてしまったため、「魔の山」の異名も持ちます。(文献1)、(文献2)
一方で、主稜線はそれほど険しくはなく、特に西端の平標山や仙ノ倉山あたりは、なだらかで、初夏には高山植物が咲き乱れる美しい場所としても知られています。
谷川連峰は、地質的にも地形的にも興味深い山域であり、述べたいことが多いので、いくつかの章に分けて説明します。
なお、説明の都合上、この連載においては、三国峠から谷川岳までの稜線を、「東西主稜」、谷川岳から蓬峠までの稜線を「南北主稜」、湯檜曾川を隔てた朝日岳、笠ヶ岳などを「東部山塊」と呼ぶことにします。
また一ノ倉沢など湯檜曾川沿いの岩壁群を「谷川東壁」、爼グラ(まないたぐら)などの、谷川岳の南側の岩壁群を「谷川南壁」と呼ぶことにします。
(これらの呼称はオーソライズされたものではなく、あくまで、ここでの略称です)。
谷川連峰の公式な定義、範囲は定められていないようですが、西は三国峠(みくにとうげ;約1300m)から始まり、三国山(1636m)、平標山(たいらっぴょうやま:1984m)、仙ノ倉山(2026m、日本二百名山)、万太郎山(1954m)とほぼ東西に続いて主峰、谷川岳(1977m;日本百名山)に至ります。
そこから稜線は急角度で北へと曲がり、一ノ倉岳(いちのくらだけ:1974m)、茂倉岳(しげくらだけ:1978m)と続いたあとは標高がやや低くなり、武能岳(1760m)に続き、ヒュッテのある蓬峠(よもぎとうげ:1529m)に至ります。
狭義の谷川連峰は、この三国峠から蓬峠までと言えるでしょう。
なお、(文献2)では蓬峠より東にある清水峠までを「谷川連峰」としています。
蓬峠の東に続く稜線は、七ツ小屋山(1675m)、清水峠と続き、その先、朝日岳(1945m;日本三百名山)付近で、北と南との2つに分岐します。
このうち南へ分岐した稜線は、朝日岳から笠ヶ岳(1852m)、白毛門(しらがもん:1720m)と続いたあと、湯檜曾川(ゆびそがわ)沿いの土合(どあい)へと下っています。
この稜線から蓬峠を通り谷川岳までの縦走路は、登山界では「馬蹄形縦走(路)」とも呼ばれています。これらの山々も、谷川連峰(広義)の一部とみなせるでしょう。
その他、七ツ小屋山から北へ分岐した枝尾根上に、「上越のマッターホルン」という異名をもつ岩峰状の大源太山(だいげんたさん:1598m)があります。
一方、北側へ分岐した稜線はゆるやかな稜線が長く続き、約10km先の巻機山(1967m)へと続いています。
谷川連峰は、関東北部の山々の、関東平野と越後平野とを分ける分水嶺のうち、幅が最も狭くなっている部分にあたり、かつ、その割には標高2000m級の山が立ち並んでいるため、冬場の積雪量が多いことや、天候が変わりやすいこと、一ノ倉沢には越年性雪渓(いわゆる万年雪)があることなど、気象学的にも、氷雪学的にも、特徴的な山域です。
また谷川連峰は山容も変化に富んでおり、湯檜曾川沿いにある東壁には、マチガ沢、一ノ倉沢などの、穂高や剣岳と並ぶ大岩壁があって、昭和初期からのロッククライミングのメッカです(最近は、昭和の時代よりはクライマーは少ないとは思いますが・・)。
加えて連峰の南側(南壁)にも、オジカ沢、爼グラ(まないたぐら)、幕岩(まくいわ)などの岩壁があります。
これらのロッククライミングのメッカである岩壁群では、主に昭和初期、昭和中期(戦後)において、遭難(転落)死者が非常に多くでてしまったため、「魔の山」の異名も持ちます。(文献1)、(文献2)
一方で、主稜線はそれほど険しくはなく、特に西端の平標山や仙ノ倉山あたりは、なだらかで、初夏には高山植物が咲き乱れる美しい場所としても知られています。
谷川連峰は、地質的にも地形的にも興味深い山域であり、述べたいことが多いので、いくつかの章に分けて説明します。
なお、説明の都合上、この連載においては、三国峠から谷川岳までの稜線を、「東西主稜」、谷川岳から蓬峠までの稜線を「南北主稜」、湯檜曾川を隔てた朝日岳、笠ヶ岳などを「東部山塊」と呼ぶことにします。
また一ノ倉沢など湯檜曾川沿いの岩壁群を「谷川東壁」、爼グラ(まないたぐら)などの、谷川岳の南側の岩壁群を「谷川南壁」と呼ぶことにします。
(これらの呼称はオーソライズされたものではなく、あくまで、ここでの略称です)。
1)谷川連峰とその周辺地区の、地質の分類
谷川連峰の稜線部および山麓部を構成している地質は非常に多岐に富んでおり、新第三紀から第四紀の火山岩ばかりだった、前章(群馬県北西部 及び 信州秋山郷付近の山々)の山々とは、かなり違います。
とりあえず説明を解りやすくするため、この地域に分布する地質を、(文献3)と、産総研「シームレス地質図v2」の記載を参考にして、以下の表のとおり4つにグループ分けします。ほぼ形成年代順です。
(年代は、「シームレス地質図v2」の表記を採用しましたが、※印は、(文献3)の記載を採用)
なお、(文献4)は、谷川連峰の地質を詳細に研究した重要な文献で、参考になりますが、研究、発表年代が古い(1967年)こともあって「シームレス地質図v2」などの記載内容と一部違いがあるので、ここでは(文献4)の年代値は採用しませんでした。
表 谷川連峰とその周辺の地質の大まかな分類
・グループ1:「上越帯」地質群
(蛇紋岩、結晶片岩(高圧型変成岩))
(結晶片岩の変成年代は約3億年前、古生代 石炭紀末〜ペルム紀)
・グループ2:白亜紀、古第三紀 深成岩類(花崗岩類、閃緑岩など)
(白亜紀の深成岩は、白亜紀後期;約88-66Maに貫入
古第三紀の深成岩は、暁新世〜始新世;約66-50Maに貫入)
・グループ3;新第三紀 中新世地質群(堆積岩、火山岩類、深成岩)
(泥岩、礫岩、玄武岩、火砕流堆積物、デイサイト質溶岩など)
(新第三紀 中新世のうち、 約20Ma〜7Maに形成)
※ 「グループ3」は、さらに8つのサブグループに分ける
(次の6−4章で詳細説明予定)
・グループ4;新第三紀 鮮新世 深成岩類(主に花崗閃緑岩)
(主に、新第三紀 鮮新世(5.3―2.6Ma)に貫入)
(次の6−4章で説明予定)
これら各グループごとの地質の形成過程、特徴、分布などを、これから順に説明していきますが、結構、内容が濃いので、この6−3章では、まずグループ1、2を説明します。
グループ3,4は、次の6−4章で説明予定です。
とりあえず説明を解りやすくするため、この地域に分布する地質を、(文献3)と、産総研「シームレス地質図v2」の記載を参考にして、以下の表のとおり4つにグループ分けします。ほぼ形成年代順です。
(年代は、「シームレス地質図v2」の表記を採用しましたが、※印は、(文献3)の記載を採用)
なお、(文献4)は、谷川連峰の地質を詳細に研究した重要な文献で、参考になりますが、研究、発表年代が古い(1967年)こともあって「シームレス地質図v2」などの記載内容と一部違いがあるので、ここでは(文献4)の年代値は採用しませんでした。
表 谷川連峰とその周辺の地質の大まかな分類
・グループ1:「上越帯」地質群
(蛇紋岩、結晶片岩(高圧型変成岩))
(結晶片岩の変成年代は約3億年前、古生代 石炭紀末〜ペルム紀)
・グループ2:白亜紀、古第三紀 深成岩類(花崗岩類、閃緑岩など)
(白亜紀の深成岩は、白亜紀後期;約88-66Maに貫入
古第三紀の深成岩は、暁新世〜始新世;約66-50Maに貫入)
・グループ3;新第三紀 中新世地質群(堆積岩、火山岩類、深成岩)
(泥岩、礫岩、玄武岩、火砕流堆積物、デイサイト質溶岩など)
(新第三紀 中新世のうち、 約20Ma〜7Maに形成)
※ 「グループ3」は、さらに8つのサブグループに分ける
(次の6−4章で詳細説明予定)
・グループ4;新第三紀 鮮新世 深成岩類(主に花崗閃緑岩)
(主に、新第三紀 鮮新世(5.3―2.6Ma)に貫入)
(次の6−4章で説明予定)
これら各グループごとの地質の形成過程、特徴、分布などを、これから順に説明していきますが、結構、内容が濃いので、この6−3章では、まずグループ1、2を説明します。
グループ3,4は、次の6−4章で説明予定です。
2)グループ1:「上越帯」地質群
この「上越帯」地質群というのは、谷川連峰においては、蛇紋岩と、そこにわずかに混じっている結晶片岩などの小岩体です。
谷川岳山頂付近、南北主稜、および谷川東壁の上部に分布しています。
2−1)「上越帯」とは
そもそも「上越帯(じょうえつたい)」とはなにか?をまずは説明します。
日本列島の、主に古第三紀、中生代、古生代の地質群は、約20個の「〇〇帯」という区分に分類されています。
この「上越帯」というものは、実は帯状の分布をしている地質群ではなく、新潟から群馬県にかけての山々の中に点々と分布している地質をひとまとめにグループ分けした地質群です。
かつ、構成する岩石の種類も、蛇紋岩(マントル由来の岩石)、変成岩(結晶片岩や低変成度変成岩)、ハンレイ岩(通常は海洋プレートの中層を構成している岩石)、トリアス紀〜白亜紀の正常堆積層など、種々雑多な地質が含まれる、まだ正体がよく解っていない地質ゾーン区分です(文献5)。
「上越帯」については、別の章で改めて各種研究内容を解説したいと思います。
2−2)蛇紋岩
さて、谷川連峰にある「上越帯」系地質のうち、まずは蛇紋岩(じゃもんがん)について説明します。
蛇紋岩の分布を、産総研「シームレス地質図v2」で見ると、3つのゾーンに分かれており、一つは谷川岳南方にある、スキー場としても有名な天神平付近です。2km×1kmほどの小岩体として露出しています。
その北方にも分布しており、谷川岳のやや南から谷川岳の山頂部、さらに「南北主稜」沿いに茂倉岳の先まで分布しています。また「谷川東壁」の、マチガ沢、一ノ倉沢、幽ノ沢の上部も蛇紋岩でできています。
また、3つ目の岩体は、「東部山塊」のうち、朝日岳の山頂部に500m×1km程度の小岩体として露出しています。
蛇紋岩という岩石は、もともとマントルを構成しているカンラン岩という岩石が水(H2O)と反応してできたもので、特徴的な緑っぽい黒色をしています。また濡れるとつるつると滑りやすい特徴もあります(文献6)。
日本では蛇紋岩はあちこちに点在しており、例えば北アルプスの八方尾根、尾瀬の至仏山、東北の早池峰山などです。いずれも高山植物のメッカとして知られています。これは、蛇紋岩が、岩石分類上、「超苦鉄質岩(ちょうくてつしつがん)」というものの一種であるためです(文献6)。
超苦鉄質岩類は、鉄分(Fe)や、マグネシウム(Mg)が多いため、(特にMgの影響と言われていますが)、通常の植物が生育しずらく、代わりにその地質に耐えられるようになった植物のみが生育しているために、特有の高山植物が多いと言われています (たとえば、文献7)。
この蛇紋岩のゾーンのうち、「東部岩壁」上部の蛇紋岩は、その後に地下から貫入したマグマ(のち、冷え固まって花崗岩類になっている)の熱によって熱変成を受け、硬化(ホルンフェルス化)している、とのことです(文献4)、(文献8)。
2−3)変成岩
次に、変成岩の一種、結晶片岩について説明します。
「上越帯」に属する結晶片岩は、谷川連峰では、谷川岳の山頂付近に小さな岩体としてのみ分布しており、他には見当たりません。そのため、他の変成帯との関係が不明で、謎の岩体となっています。
(文献4)による現地観察結果によると、蛇紋岩中に取り込まれた形で表れており、厚さはわずか30m程度の小岩体が、谷川岳山頂部に計3か所、露出しています。おそらく、地下深くから蛇紋岩体が上昇する際に、途中にあった変成岩体を取り込んで上昇してきたものと推定されています。
変成年代は調べられており、約3億年前に変成作用を受けた変成岩だと解っています(文献3)。(測定結果は、2.84億年前、3.08億年前の2データ)
(文献9)では、上越帯の中の結晶片岩(上越変成帯)は、ジュラ紀から新第三紀 中新世にかけて形成された変成帯ゾーンだと推定していまが、上記の変成年代とは矛盾があります。
孤立した岩体で、正体が解っていない変成岩体ですが、(文献4)、(文献9)、(文献10)、(文献11)では、形成年代や岩相、変成度合いからみて、谷川岳の「上越帯」高圧型変成岩は、南西日本の蓮華変成岩(もしくは飛騨外縁帯 変成岩)の延長であると推定されています。
なお現在は、谷川岳山頂部にわずかに残るだけの結晶片岩質の変成岩体ですが、谷川連峰とその周辺に分布する、中新世にできた粟沢(あわざわ)礫岩層という地層中には、結晶片岩でできた礫(石ころ)が多量に含まれており(文献4)、以前は、かなり広い範囲に分布していたと推定されます。
それが、谷川連峰の隆起とそれによる浸食によってどんどんと削り取られ、今ではわずかに谷川岳山頂部に、残存しているだけとなっています。
谷川岳山頂付近、南北主稜、および谷川東壁の上部に分布しています。
2−1)「上越帯」とは
そもそも「上越帯(じょうえつたい)」とはなにか?をまずは説明します。
日本列島の、主に古第三紀、中生代、古生代の地質群は、約20個の「〇〇帯」という区分に分類されています。
この「上越帯」というものは、実は帯状の分布をしている地質群ではなく、新潟から群馬県にかけての山々の中に点々と分布している地質をひとまとめにグループ分けした地質群です。
かつ、構成する岩石の種類も、蛇紋岩(マントル由来の岩石)、変成岩(結晶片岩や低変成度変成岩)、ハンレイ岩(通常は海洋プレートの中層を構成している岩石)、トリアス紀〜白亜紀の正常堆積層など、種々雑多な地質が含まれる、まだ正体がよく解っていない地質ゾーン区分です(文献5)。
「上越帯」については、別の章で改めて各種研究内容を解説したいと思います。
2−2)蛇紋岩
さて、谷川連峰にある「上越帯」系地質のうち、まずは蛇紋岩(じゃもんがん)について説明します。
蛇紋岩の分布を、産総研「シームレス地質図v2」で見ると、3つのゾーンに分かれており、一つは谷川岳南方にある、スキー場としても有名な天神平付近です。2km×1kmほどの小岩体として露出しています。
その北方にも分布しており、谷川岳のやや南から谷川岳の山頂部、さらに「南北主稜」沿いに茂倉岳の先まで分布しています。また「谷川東壁」の、マチガ沢、一ノ倉沢、幽ノ沢の上部も蛇紋岩でできています。
また、3つ目の岩体は、「東部山塊」のうち、朝日岳の山頂部に500m×1km程度の小岩体として露出しています。
蛇紋岩という岩石は、もともとマントルを構成しているカンラン岩という岩石が水(H2O)と反応してできたもので、特徴的な緑っぽい黒色をしています。また濡れるとつるつると滑りやすい特徴もあります(文献6)。
日本では蛇紋岩はあちこちに点在しており、例えば北アルプスの八方尾根、尾瀬の至仏山、東北の早池峰山などです。いずれも高山植物のメッカとして知られています。これは、蛇紋岩が、岩石分類上、「超苦鉄質岩(ちょうくてつしつがん)」というものの一種であるためです(文献6)。
超苦鉄質岩類は、鉄分(Fe)や、マグネシウム(Mg)が多いため、(特にMgの影響と言われていますが)、通常の植物が生育しずらく、代わりにその地質に耐えられるようになった植物のみが生育しているために、特有の高山植物が多いと言われています (たとえば、文献7)。
この蛇紋岩のゾーンのうち、「東部岩壁」上部の蛇紋岩は、その後に地下から貫入したマグマ(のち、冷え固まって花崗岩類になっている)の熱によって熱変成を受け、硬化(ホルンフェルス化)している、とのことです(文献4)、(文献8)。
2−3)変成岩
次に、変成岩の一種、結晶片岩について説明します。
「上越帯」に属する結晶片岩は、谷川連峰では、谷川岳の山頂付近に小さな岩体としてのみ分布しており、他には見当たりません。そのため、他の変成帯との関係が不明で、謎の岩体となっています。
(文献4)による現地観察結果によると、蛇紋岩中に取り込まれた形で表れており、厚さはわずか30m程度の小岩体が、谷川岳山頂部に計3か所、露出しています。おそらく、地下深くから蛇紋岩体が上昇する際に、途中にあった変成岩体を取り込んで上昇してきたものと推定されています。
変成年代は調べられており、約3億年前に変成作用を受けた変成岩だと解っています(文献3)。(測定結果は、2.84億年前、3.08億年前の2データ)
(文献9)では、上越帯の中の結晶片岩(上越変成帯)は、ジュラ紀から新第三紀 中新世にかけて形成された変成帯ゾーンだと推定していまが、上記の変成年代とは矛盾があります。
孤立した岩体で、正体が解っていない変成岩体ですが、(文献4)、(文献9)、(文献10)、(文献11)では、形成年代や岩相、変成度合いからみて、谷川岳の「上越帯」高圧型変成岩は、南西日本の蓮華変成岩(もしくは飛騨外縁帯 変成岩)の延長であると推定されています。
なお現在は、谷川岳山頂部にわずかに残るだけの結晶片岩質の変成岩体ですが、谷川連峰とその周辺に分布する、中新世にできた粟沢(あわざわ)礫岩層という地層中には、結晶片岩でできた礫(石ころ)が多量に含まれており(文献4)、以前は、かなり広い範囲に分布していたと推定されます。
それが、谷川連峰の隆起とそれによる浸食によってどんどんと削り取られ、今ではわずかに谷川岳山頂部に、残存しているだけとなっています。
3)グループ2:白亜紀、古第三紀 深成岩類(閃緑岩類、花崗岩類)
白亜紀(145Ma−66Ma)の後半から、古第三紀の暁新世(ぎょうしんせい:66Ma−56Ma)、および始新世(ししんせい:56Ma〜34Ma)にかけての深成岩類が、この谷川連峰とその周辺に分布しています。しかしこれらの岩石については、あまり詳しい研究は行われていないようです。
まず産総研「シームレス地質図v2」に基づき、白亜紀深成岩類と、古第三紀深成岩類の分布を説明します。
白亜紀末(約84−66Ma)に貫入したと推定される閃緑岩類(石英閃緑岩、閃緑岩体;文献6)が、谷川岳の周辺の一部(みなかみ町中心部とその周辺)に露出しています。
また谷川連峰とは少し距離がありますが、東の利根川源流部には、同時期の花崗岩類(花崗岩、花崗閃緑岩;文献6)がかなり広く露出しており、巻機山(まきはたやま:1944m)付近まで分布しています。
古第三紀の深成岩としては、谷川連峰の新潟側、大源太山(たげんたやま:1598)やその周辺に、花崗岩類が幅広く分布しています。谷川連峰では、谷川岳の北西側の斜面と、南北稜線の茂倉岳より北側から武能岳(ぶのうだけ:1760m)付近、そして蓬峠(よもぎとうげ)の手前まで分布しています。
(文献12)によると、白亜紀後半〜古第三紀前半(約100〜約50Ma)の時代は、西南日本内帯を中心に、マグマが上昇してきて、火山活動や深成岩の形成が活発な時代だったとされています。実際、西南日本内帯に属する現在の中国地方や、北アルプスでは、この時代の花崗岩類が地表にかなり分布しています。
谷川連峰とその周辺は、その当時、まだ日本海拡大/日本列島移動イベントが起こっていな時代なので、西南日本内帯の東方延長だったと考えられます(私見です)。
よって、これらの深成岩類も、この時期の活発なマグマ活動、火成活動によって形成されたと考えられます。
なお、このうち、奥利根付近の深成岩は、「須田貝(すだがい)花崗岩」という名前がついており、約64Ma(古第三紀初頭)の値が測定されています。
麓の水上町やその周辺の閃緑岩類は、「みなかみ花崗閃緑岩」という名前が着いており、約70Ma(白亜紀末)の値が測定されています。
その他の研究として、(文献13)は、「みなかみ花崗閃緑岩」に関する研究で、K-Ar法による形成年代測定結果として、約70Ma(白亜紀末)という値が得られています。
(なお、文献13は、ネット上では「抄録版」しか見ることができない)
(文献14)は、この地域を含む「東北日本」(今の東北地方+北関東、新潟)に分布する花崗岩類に含まれる、微量元素(Hf,Sm,Rb)の組成分布に関する研究です。あまりに専門的過ぎて、私には内容の理解がおぼつきませんが、谷川連峰に近い、新潟側の大源太山(だいげんたさん:1598m)付近の花崗岩類の年代測定値(K-Ar法)として、約48Ma(始新世初期)という値が示されています。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
まず産総研「シームレス地質図v2」に基づき、白亜紀深成岩類と、古第三紀深成岩類の分布を説明します。
白亜紀末(約84−66Ma)に貫入したと推定される閃緑岩類(石英閃緑岩、閃緑岩体;文献6)が、谷川岳の周辺の一部(みなかみ町中心部とその周辺)に露出しています。
また谷川連峰とは少し距離がありますが、東の利根川源流部には、同時期の花崗岩類(花崗岩、花崗閃緑岩;文献6)がかなり広く露出しており、巻機山(まきはたやま:1944m)付近まで分布しています。
古第三紀の深成岩としては、谷川連峰の新潟側、大源太山(たげんたやま:1598)やその周辺に、花崗岩類が幅広く分布しています。谷川連峰では、谷川岳の北西側の斜面と、南北稜線の茂倉岳より北側から武能岳(ぶのうだけ:1760m)付近、そして蓬峠(よもぎとうげ)の手前まで分布しています。
(文献12)によると、白亜紀後半〜古第三紀前半(約100〜約50Ma)の時代は、西南日本内帯を中心に、マグマが上昇してきて、火山活動や深成岩の形成が活発な時代だったとされています。実際、西南日本内帯に属する現在の中国地方や、北アルプスでは、この時代の花崗岩類が地表にかなり分布しています。
谷川連峰とその周辺は、その当時、まだ日本海拡大/日本列島移動イベントが起こっていな時代なので、西南日本内帯の東方延長だったと考えられます(私見です)。
よって、これらの深成岩類も、この時期の活発なマグマ活動、火成活動によって形成されたと考えられます。
なお、このうち、奥利根付近の深成岩は、「須田貝(すだがい)花崗岩」という名前がついており、約64Ma(古第三紀初頭)の値が測定されています。
麓の水上町やその周辺の閃緑岩類は、「みなかみ花崗閃緑岩」という名前が着いており、約70Ma(白亜紀末)の値が測定されています。
その他の研究として、(文献13)は、「みなかみ花崗閃緑岩」に関する研究で、K-Ar法による形成年代測定結果として、約70Ma(白亜紀末)という値が得られています。
(なお、文献13は、ネット上では「抄録版」しか見ることができない)
(文献14)は、この地域を含む「東北日本」(今の東北地方+北関東、新潟)に分布する花崗岩類に含まれる、微量元素(Hf,Sm,Rb)の組成分布に関する研究です。あまりに専門的過ぎて、私には内容の理解がおぼつきませんが、谷川連峰に近い、新潟側の大源太山(だいげんたさん:1598m)付近の花崗岩類の年代測定値(K-Ar法)として、約48Ma(始新世初期)という値が示されています。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
(参考文献)
文献1)ウイキペディア 「谷川岳」の項
2021年1月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E5%B2%B3
文献2)瓜生 著
「谷川岳」 中央公論社刊(中公新書) (1969)
文献3)
「みなかみ町 ホームページ」のうち、
第3章 地形・地質、第2節 地質 の項
2021年1月 閲覧
https://www.town.minakami.gunma.jp/minakamibr/nature/pdf/nature03.pdf
文献4)赤松、河内、村松、島津、田村
「谷川連峰周辺の地質(既報)」
地球科学 第21巻 (1967)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/agcjchikyukagaku/21/2/21_KJ00005295234/_pdf/-char/ja
文献5)日本地質学会編
「日本地方地質誌 第3巻 関東地方」朝倉書店 刊(2008)
のうち、2−4−2節「上越帯」の項
文献6)西村 著
「観察を楽しむ 特徴がわかる 岩石図鑑」ナツメ社 刊 (2020)
のうち、蛇紋岩、結晶片岩類、石英閃緑岩、閃緑岩、花崗岩、花崗閃緑岩
の各項
文献7) 波多野、増沢
「白馬山系蛇紋岩地の土壌特性と高山植物群落」
日本生態学会誌 第58巻 、p199-204 (2008)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/seitai/58/3/58_KJ00005106553/_pdf
文献8)斎藤 著
「地質で語る百名山、谷川岳」
産総研 地質調査総合センター ホームページ内の
「地質で語る百名山」シリーズ、「谷川岳」の項 (2018)
2021年1月 閲覧
https://www.gsj.jp/Muse/100mt/tanigawadake/index.html#
文献9)Y.HAMAYA, Y.KIZAKI, K.AOKI, S.KOBAYASHI, K.YOYA
“ The Jouetsu Metamorphic Bert and Its Bearing on the
geologic Structure of the Japanese Islands “
日本地質学会 大会予稿集 No.4 p61-82 (1969)
(国会図書館 デジタルアーカーブにリンク)
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10808978_po_ART0003485771.pdf?contentNo=1&alternativeNo=
文献10)茅原
「新潟平野をめぐる地質と地形 1.基盤」
アーバン クボタ 第17巻 p2−5(1979)
https://www.kubota.co.jp/siryou/pr/urban/pdf/17/pdf/17_1_1.pdf
文献11)高橋、豊島、志村、原、竹内、酒井、中野
「5万分の1 地質図幅「須原(すはら)」解説
地質ニュース 第607号 p57-62 (2005)
https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/05_03_11.pdf
文献12)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第6巻 中国地方」朝倉書店 刊 (2009)
のうち、第5部「白亜紀―古第三紀の火成活動」の項
文献13)久保、中島、村山、鈴木
「谷川岳南東麓域の地質とみなかみ花崗閃緑岩および
マチガ沢花崗斑岩のK-Ar年代」
群馬県立自然史博物館 研究報告 第17巻 P119-130(2013)
(抄録のみしか見られない)
https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=201302248693589815
文献14)平原、仙田、高橋、土谷、加々島、吉田、常、宮崎、ボクダン、木村
「東北日本弧に分布する白亜紀〜古第三紀の花崗岩類の
Sr−Nd−Hf 同位体組成の空間分布」
岩石鉱物化学 第44巻 P91-111 (2015)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/gkk/44/2/44_130830/_pdf
2021年1月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E5%B2%B3
文献2)瓜生 著
「谷川岳」 中央公論社刊(中公新書) (1969)
文献3)
「みなかみ町 ホームページ」のうち、
第3章 地形・地質、第2節 地質 の項
2021年1月 閲覧
https://www.town.minakami.gunma.jp/minakamibr/nature/pdf/nature03.pdf
文献4)赤松、河内、村松、島津、田村
「谷川連峰周辺の地質(既報)」
地球科学 第21巻 (1967)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/agcjchikyukagaku/21/2/21_KJ00005295234/_pdf/-char/ja
文献5)日本地質学会編
「日本地方地質誌 第3巻 関東地方」朝倉書店 刊(2008)
のうち、2−4−2節「上越帯」の項
文献6)西村 著
「観察を楽しむ 特徴がわかる 岩石図鑑」ナツメ社 刊 (2020)
のうち、蛇紋岩、結晶片岩類、石英閃緑岩、閃緑岩、花崗岩、花崗閃緑岩
の各項
文献7) 波多野、増沢
「白馬山系蛇紋岩地の土壌特性と高山植物群落」
日本生態学会誌 第58巻 、p199-204 (2008)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/seitai/58/3/58_KJ00005106553/_pdf
文献8)斎藤 著
「地質で語る百名山、谷川岳」
産総研 地質調査総合センター ホームページ内の
「地質で語る百名山」シリーズ、「谷川岳」の項 (2018)
2021年1月 閲覧
https://www.gsj.jp/Muse/100mt/tanigawadake/index.html#
文献9)Y.HAMAYA, Y.KIZAKI, K.AOKI, S.KOBAYASHI, K.YOYA
“ The Jouetsu Metamorphic Bert and Its Bearing on the
geologic Structure of the Japanese Islands “
日本地質学会 大会予稿集 No.4 p61-82 (1969)
(国会図書館 デジタルアーカーブにリンク)
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10808978_po_ART0003485771.pdf?contentNo=1&alternativeNo=
文献10)茅原
「新潟平野をめぐる地質と地形 1.基盤」
アーバン クボタ 第17巻 p2−5(1979)
https://www.kubota.co.jp/siryou/pr/urban/pdf/17/pdf/17_1_1.pdf
文献11)高橋、豊島、志村、原、竹内、酒井、中野
「5万分の1 地質図幅「須原(すはら)」解説
地質ニュース 第607号 p57-62 (2005)
https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/05_03_11.pdf
文献12)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第6巻 中国地方」朝倉書店 刊 (2009)
のうち、第5部「白亜紀―古第三紀の火成活動」の項
文献13)久保、中島、村山、鈴木
「谷川岳南東麓域の地質とみなかみ花崗閃緑岩および
マチガ沢花崗斑岩のK-Ar年代」
群馬県立自然史博物館 研究報告 第17巻 P119-130(2013)
(抄録のみしか見られない)
https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=201302248693589815
文献14)平原、仙田、高橋、土谷、加々島、吉田、常、宮崎、ボクダン、木村
「東北日本弧に分布する白亜紀〜古第三紀の花崗岩類の
Sr−Nd−Hf 同位体組成の空間分布」
岩石鉱物化学 第44巻 P91-111 (2015)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/gkk/44/2/44_130830/_pdf
1967年発表のやや古い論文
このリンク先の、6−1章の文末には、第6部「関東北部の山々の地質」の各章へのリンク、及び、序章(本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第6部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
第6部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
【書記事項】
初版リリース;2021年1月18日
△改訂1;文章見直し、修正。6−1章へのリンク追加。書記事項追記。
△最新改訂年月日;2022年1月3日
△改訂1;文章見直し、修正。6−1章へのリンク追加。書記事項追記。
△最新改訂年月日;2022年1月3日
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