(はじめに)
阿武隈山地は、関東地方の茨城県(日立市付近)から東北地方の福島県(福島市の東方付近)、(一部は宮城県)にまたがり、福島県のいわゆる「浜通り」(太平洋沿岸)と「中通り」(内陸の帯状低地帯)を分けている、南北に約180km、東西に最大50kmほどの範囲を持つ、紡錘形の形状をもつ、なだらかな山地です。(文献1)。
標高は最高峰の大滝根山(日本三百名山の一つ)でも1192mしかなく、またそれ以外の部分はほとんど1000m未満の標高で、かつ特徴のある山が少なくて、登山対象の山地としてはあまり人気が高いとは思えません(地元の方には失礼ですが・・)。
ということで、この第7−2章では、個々の山というより、阿武隈山地自体の地質をメインに、解説したいと思います。
標高は最高峰の大滝根山(日本三百名山の一つ)でも1192mしかなく、またそれ以外の部分はほとんど1000m未満の標高で、かつ特徴のある山が少なくて、登山対象の山地としてはあまり人気が高いとは思えません(地元の方には失礼ですが・・)。
ということで、この第7−2章では、個々の山というより、阿武隈山地自体の地質をメインに、解説したいと思います。
1)阿武隈山地の地質学的位置づけと範囲
阿武隈山地はほとんどが、日本列島の地帯(地体)構造区分上は、「阿武隈帯」というゾーンに含まれます(文献2-a)。
その阿武隈帯の東西には、いずれも北北西―南南東走向の断層帯があって、他の地帯と分けられています。
西側の断層帯は「棚倉(たなぐら)構造線(「棚倉断層」、「棚倉破砕帯」ともいう)」です。主に白亜紀および、新第三紀 中新世に活動したと推定される、日本列島の中でも、中央構造線や糸静線に並ぶ、重要な構造線と考えられています。
東側の断層帯には、「双葉(ふたば)断層」と「畑川(はたかわ)断層(「畑川構造線」ともいう」」の2本の大きな断層があります。このうち畑川断層が、地質学的な阿武隈帯の東の区切りとされています(文献2-a)。
(文献2―a)や(文献3)によると、畑川断層より海側の、阿武隈山地の山麓部(いわゆる浜通り)は、「阿武隈帯」とは地質的な違いが大きく、おそらく、北上山地の南部を構成している「南部北上帯」の延長部だと考えられています。この領域については、第5節で説明します。
また、阿武隈山地南端の日立市付近には、以前より「日立古生層」や「日立変成岩」とも呼ばれてる地質が分布しています(文献3)。この領域も第5節で説明します。
以下、まずは阿武隈山地のうち「阿武隈帯」に属している地質を、花崗岩類、変成岩類、堆積岩類の3つに分けて説明します。
その阿武隈帯の東西には、いずれも北北西―南南東走向の断層帯があって、他の地帯と分けられています。
西側の断層帯は「棚倉(たなぐら)構造線(「棚倉断層」、「棚倉破砕帯」ともいう)」です。主に白亜紀および、新第三紀 中新世に活動したと推定される、日本列島の中でも、中央構造線や糸静線に並ぶ、重要な構造線と考えられています。
東側の断層帯には、「双葉(ふたば)断層」と「畑川(はたかわ)断層(「畑川構造線」ともいう」」の2本の大きな断層があります。このうち畑川断層が、地質学的な阿武隈帯の東の区切りとされています(文献2-a)。
(文献2―a)や(文献3)によると、畑川断層より海側の、阿武隈山地の山麓部(いわゆる浜通り)は、「阿武隈帯」とは地質的な違いが大きく、おそらく、北上山地の南部を構成している「南部北上帯」の延長部だと考えられています。この領域については、第5節で説明します。
また、阿武隈山地南端の日立市付近には、以前より「日立古生層」や「日立変成岩」とも呼ばれてる地質が分布しています(文献3)。この領域も第5節で説明します。
以下、まずは阿武隈山地のうち「阿武隈帯」に属している地質を、花崗岩類、変成岩類、堆積岩類の3つに分けて説明します。
2)花崗岩類
阿武隈山地の地質は、大部分が「阿武隈花崗岩類」と呼ばれる、主に白亜紀前期〜中期(約120-90Ma)に形成された花崗岩類(花崗岩、花崗閃緑岩が主で、一部はハンレイ岩)で形成されています(文献2−b)。
阿武隈山地には、次項で述べる変成岩類やこの深成岩類以外、中生代、新生代の堆積岩がほとんど分布していません。いつ頃からかは不明ですが、かなり長い間、この山地(地塊)は、海中には没せず、陸上にあって、緩やかな隆起活動を断続的に行ってきたと考えらます。
そのために、地下約5-10kmほどの深さでマグマが冷えて形成された花崗岩類が、現在、地表に露出していると考えられますが、その地史には不明な点が多いようです。
なお(文献1)によると、阿武隈山地は、新第三紀 中新世(約23-6Ma)の初期には、元々存在していたと思われる「旧山地」(ここでの仮称)が浸食、開析されて、地形学的に言う、いわゆる「準平原」という起伏の少ない状態となっていたと考えられています。
その後に(おそらく第四紀に)、緩やかな曲隆型の隆起活動が始まり、現在のような、巨視的に見るとドーム型をした山地になったと考えられています(文献1)。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
阿武隈山地には、次項で述べる変成岩類やこの深成岩類以外、中生代、新生代の堆積岩がほとんど分布していません。いつ頃からかは不明ですが、かなり長い間、この山地(地塊)は、海中には没せず、陸上にあって、緩やかな隆起活動を断続的に行ってきたと考えらます。
そのために、地下約5-10kmほどの深さでマグマが冷えて形成された花崗岩類が、現在、地表に露出していると考えられますが、その地史には不明な点が多いようです。
なお(文献1)によると、阿武隈山地は、新第三紀 中新世(約23-6Ma)の初期には、元々存在していたと思われる「旧山地」(ここでの仮称)が浸食、開析されて、地形学的に言う、いわゆる「準平原」という起伏の少ない状態となっていたと考えられています。
その後に(おそらく第四紀に)、緩やかな曲隆型の隆起活動が始まり、現在のような、巨視的に見るとドーム型をした山地になったと考えられています(文献1)。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
3)変成岩類
阿武隈山地の南半分には比較的広い範囲に変成岩類が分布しており、総称として「阿武隈変成岩類」と呼ばれています(文献2−c)、(文献3)
この阿武隈変成岩類については、その由来、変成過程、プレートテクトニクス的な位置づけについて、複数の説があるようで、詳細はまだ良く解っていません。
阿武隈変成岩類に関して、主に(文献2−c)の記述をベースに、一部(文献3)の内容も参照して、以下に概略を説明します。
阿武隈山地の中部から南部にかけ、花崗岩類の上の構造的上位に、変成岩類が分布していますが、そのうち、東側部分はやや高い変成度を示す結晶片岩類で、その地域内にある山の名を元に、「御斎所(ごさいしょ)変成岩」と呼ばれています。
西側は、やや低い変成度を示す片麻岩類、片岩類で、その地域にある地名を取って「竹貫(たかぬき)変成岩」と呼ばれています。
産総研「シームレス地質図v2」の記載によると、「御斎所変成岩」、「竹貫変成岩」も、変成時期は白亜紀(約120-90Ma)であり、構造的下位にある花崗岩類の貫入時期と同じです。
2つの変成岩類は、源岩の違いによって区分されています。
「御斎所変成岩」は、苦鉄質の組成をもち、部分的に含まれるチャート組成部分から放散虫化石(ジュラ紀)が確認されていること、また深海底起源と推定されるマンガンを富む層を持つことなどから、源岩は、海洋地殻(海洋プレート)の上層部だと考えられています。
(文献3)では、海洋プレート起源の付加体としています。
一方、「竹貫変成岩」は、泥質であり、陸源性の堆積物を源岩とすると考えられています。
(文献2−c)、(文献3)では、アジア大陸起源と推定していますが、その堆積時期は明確ではないようです。
これらの変成岩類の、変成作用が生じた状況について、まだ明解にはなっていないようです。(文献2−c)、(文献3)では、一時的に非常に高温、高圧条件下で変成したのち、低温、低圧条件下に至ったという変成パス説が紹介されていますが、そのテクトニックな理由付けは明確ではありません。
また、日本列島の主要な変成岩帯(蓮華帯:高圧型変成岩、領家帯:高温型変成岩、三波川帯:高圧型変成岩)などとは分布域が離れていて孤立していることも、上記の変成岩類の形成過程がわりと解明されているのに比べ、阿武隈変成岩類の研究、解明を難しくしているようです。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
この阿武隈変成岩類については、その由来、変成過程、プレートテクトニクス的な位置づけについて、複数の説があるようで、詳細はまだ良く解っていません。
阿武隈変成岩類に関して、主に(文献2−c)の記述をベースに、一部(文献3)の内容も参照して、以下に概略を説明します。
阿武隈山地の中部から南部にかけ、花崗岩類の上の構造的上位に、変成岩類が分布していますが、そのうち、東側部分はやや高い変成度を示す結晶片岩類で、その地域内にある山の名を元に、「御斎所(ごさいしょ)変成岩」と呼ばれています。
西側は、やや低い変成度を示す片麻岩類、片岩類で、その地域にある地名を取って「竹貫(たかぬき)変成岩」と呼ばれています。
産総研「シームレス地質図v2」の記載によると、「御斎所変成岩」、「竹貫変成岩」も、変成時期は白亜紀(約120-90Ma)であり、構造的下位にある花崗岩類の貫入時期と同じです。
2つの変成岩類は、源岩の違いによって区分されています。
「御斎所変成岩」は、苦鉄質の組成をもち、部分的に含まれるチャート組成部分から放散虫化石(ジュラ紀)が確認されていること、また深海底起源と推定されるマンガンを富む層を持つことなどから、源岩は、海洋地殻(海洋プレート)の上層部だと考えられています。
(文献3)では、海洋プレート起源の付加体としています。
一方、「竹貫変成岩」は、泥質であり、陸源性の堆積物を源岩とすると考えられています。
(文献2−c)、(文献3)では、アジア大陸起源と推定していますが、その堆積時期は明確ではないようです。
これらの変成岩類の、変成作用が生じた状況について、まだ明解にはなっていないようです。(文献2−c)、(文献3)では、一時的に非常に高温、高圧条件下で変成したのち、低温、低圧条件下に至ったという変成パス説が紹介されていますが、そのテクトニックな理由付けは明確ではありません。
また、日本列島の主要な変成岩帯(蓮華帯:高圧型変成岩、領家帯:高温型変成岩、三波川帯:高圧型変成岩)などとは分布域が離れていて孤立していることも、上記の変成岩類の形成過程がわりと解明されているのに比べ、阿武隈変成岩類の研究、解明を難しくしているようです。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
4)堆積岩類
阿武隈山地には付加体型、非付加体型両方とも、堆積岩がほとんど分布しておらず、阿武隈山地の地質研究に困難さをもたらしています。
(文献2−d)、(文献3)によると、最高峰である大滝根山の西方に、約5×3kmというわずかな範囲ですが、堆積類岩が分布しており、「滝根層群(たきねそうぐん)」と名付けられています。滝根層群を構成している岩石は、泥岩、砂岩、石灰岩、苦鉄質岩、超苦鉄質岩があり、そのかなりの部分は、構造的下位にある白亜紀花崗岩体による接触変成作用により熱変成(ホルンフェルス化)しています。なお石灰岩の分布域には「あぶくま洞」という鍾乳洞があります。
滝根層群は、堆積年代やどこで堆積したのかなど、不明な点が多いのですが、(文献2−d)では、海底で堆積したもの(泥岩、砂岩)と、その下部の海洋地殻の一部ではないか?と推測されています。
(文献2−d)、(文献3)によると、最高峰である大滝根山の西方に、約5×3kmというわずかな範囲ですが、堆積類岩が分布しており、「滝根層群(たきねそうぐん)」と名付けられています。滝根層群を構成している岩石は、泥岩、砂岩、石灰岩、苦鉄質岩、超苦鉄質岩があり、そのかなりの部分は、構造的下位にある白亜紀花崗岩体による接触変成作用により熱変成(ホルンフェルス化)しています。なお石灰岩の分布域には「あぶくま洞」という鍾乳洞があります。
滝根層群は、堆積年代やどこで堆積したのかなど、不明な点が多いのですが、(文献2−d)では、海底で堆積したもの(泥岩、砂岩)と、その下部の海洋地殻の一部ではないか?と推測されています。
5)「阿武隈帯」以東の地質ゾーン(仮称:浜通りゾーン)の地質概要
阿武隈山地のほとんどは最初に述べた通り、白亜紀花崗岩類と、阿武隈変成岩類(白亜紀に変成作用を受けた)によって特徴づけられる「阿武隈帯」に属しています。
一方、山地東側にある畑川断層よりも東側(海側)の、南北に細長い地域(ここでは仮称として「浜通りゾーン」と呼ぶことにします)の地質は、「阿武隈帯」とは異なる地質を示す部分があります。
この「浜通りゾーン」の地質的特徴は、阿武隈山地本体とはかなり異なり、むしろ北上山地の南部を占める「南部北上帯」に類似しているため、「南部北上帯」の一部である、という考え方が一般的なようです。
以下、主に(文献3)に基づき、「浜通りゾーン」の地質を説明します。
まず「浜通りゾーン」北部の相馬市付近には、「松ヶ平変成岩」と呼ばれる変成岩が分布しています。主に結晶片岩(高圧型変成岩)からなり、変成時期は古生代初期のカンブリア紀末〜オルドビス紀初期(約500Ma頃)と推定されています。
また相馬市付近には、古生代の堆積層もあり、「相馬古生層」と呼ばれています。岩種は砂岩、泥岩、礫岩が主で、含まれる化石(腕足類、サンゴなど)から、古生代の石炭紀、ペルム紀の浅海性堆積物と考えられています。
「浜通りゾーン」中部の、いわき市付近には、古生代の地質がありますが、堆積岩、石灰岩、変成岩が入り混じっており、はっきりした由来は不明です。
「浜通りゾーン」南部の、茨城県日立市付近には、「日立古生層」もしくは「日立変成岩」と称される、古生代に堆積したと推定される堆積岩層(および変成岩)があります。堆積岩の年代測定で、約500Maの値が得られており、少なくとも堆積層の一部は、古生代初期であるカンブリア紀の堆積と考えられています。
また(文献4)では、「日立古生層」は、カンブリア紀に形成された部分、石炭紀に形成された部分、ペルム紀に形成された部分の3つに分けられています。
また「日立古生層」の西に隣接して、ごく小さい領域に別の変成岩類が分布しており「西堂平変成岩類」という名称がつけられています。この変成岩類についても詳しいことは解っていないようですが、(文献4)によると、この変成岩の変成時期は白亜紀と推定されています。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
一方、山地東側にある畑川断層よりも東側(海側)の、南北に細長い地域(ここでは仮称として「浜通りゾーン」と呼ぶことにします)の地質は、「阿武隈帯」とは異なる地質を示す部分があります。
この「浜通りゾーン」の地質的特徴は、阿武隈山地本体とはかなり異なり、むしろ北上山地の南部を占める「南部北上帯」に類似しているため、「南部北上帯」の一部である、という考え方が一般的なようです。
以下、主に(文献3)に基づき、「浜通りゾーン」の地質を説明します。
まず「浜通りゾーン」北部の相馬市付近には、「松ヶ平変成岩」と呼ばれる変成岩が分布しています。主に結晶片岩(高圧型変成岩)からなり、変成時期は古生代初期のカンブリア紀末〜オルドビス紀初期(約500Ma頃)と推定されています。
また相馬市付近には、古生代の堆積層もあり、「相馬古生層」と呼ばれています。岩種は砂岩、泥岩、礫岩が主で、含まれる化石(腕足類、サンゴなど)から、古生代の石炭紀、ペルム紀の浅海性堆積物と考えられています。
「浜通りゾーン」中部の、いわき市付近には、古生代の地質がありますが、堆積岩、石灰岩、変成岩が入り混じっており、はっきりした由来は不明です。
「浜通りゾーン」南部の、茨城県日立市付近には、「日立古生層」もしくは「日立変成岩」と称される、古生代に堆積したと推定される堆積岩層(および変成岩)があります。堆積岩の年代測定で、約500Maの値が得られており、少なくとも堆積層の一部は、古生代初期であるカンブリア紀の堆積と考えられています。
また(文献4)では、「日立古生層」は、カンブリア紀に形成された部分、石炭紀に形成された部分、ペルム紀に形成された部分の3つに分けられています。
また「日立古生層」の西に隣接して、ごく小さい領域に別の変成岩類が分布しており「西堂平変成岩類」という名称がつけられています。この変成岩類についても詳しいことは解っていないようですが、(文献4)によると、この変成岩の変成時期は白亜紀と推定されています。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
6)阿武隈山地の地形的特徴
この第6節では、文献1)に基づき、阿武隈山地の地形的特徴について、説明します。阿武隈山地は非常になだらかな山地で、目立ったピークも深い渓谷もありません。
山地のかなりの部分は起伏が少なく、地形学的呼び方での「浸食小起伏面」が広く発達しているとも言えます。
特に山地の北半分に小起伏面が多く、それらは、標高に応じ、高位面群(標高:750―1000m)、中位面群(550-730m)、低位面群(300-550m)の3群に分けられます。
高位面群は、新第三紀 中新世(約23-6Ma)以前の形成、中位面群は、中新世後半の形成、下位面群は、鮮新世(約5-2.6Ma)から第四紀はじめにかけての形成、と推定されていますが、特に高位面群、中位面群は、形成時期、形成過程に不明な点が多いようです。
また山地としての隆起過程、メカニズムについても不明な点が多いのですが、文献4)によると、隆起軸が中心より東側に偏った、西に傾く傾動地塊としての形態をもつ、とされています。
山地のかなりの部分は起伏が少なく、地形学的呼び方での「浸食小起伏面」が広く発達しているとも言えます。
特に山地の北半分に小起伏面が多く、それらは、標高に応じ、高位面群(標高:750―1000m)、中位面群(550-730m)、低位面群(300-550m)の3群に分けられます。
高位面群は、新第三紀 中新世(約23-6Ma)以前の形成、中位面群は、中新世後半の形成、下位面群は、鮮新世(約5-2.6Ma)から第四紀はじめにかけての形成、と推定されていますが、特に高位面群、中位面群は、形成時期、形成過程に不明な点が多いようです。
また山地としての隆起過程、メカニズムについても不明な点が多いのですが、文献4)によると、隆起軸が中心より東側に偏った、西に傾く傾動地塊としての形態をもつ、とされています。
(参考文献)
文献1)小池、田村、鎮西、宮城 編
「日本の地形 第3巻 東北」東京大学出版会 刊(2005)
のうち、2−3章「阿武隈山地の地形」
文献2)日本地質学会編
「日本地方地質誌 第2巻 東北地方」朝倉書店 刊 (2017)
のうち、以下の各章、各節
・文献2−a)第4部「(東北地方の)中・古生界」のうち、
4−1―a)節、「阿武隈帯」の項
・文献2−b)第6部「(東北地方の)白亜紀―古第三紀火成岩類」のうち、
6−3章)、「阿武隈山地の白亜紀火成岩類」の項
・文献2−c)第4部「(東北地方の)中・古生界」のうち、
4−5−2節 「阿武隈変成岩類(御齊所・竹貫:ごさいしょ・
たかぬき)」の項
・文献2−d)第4部「(東北地方の)中・古生界」のうち、
4−5−3節「滝根層群」の項
文献3)(一社)「東北地質調査業協会」のホームページのうち、
「技術資料」>「東北6県の地質」のサイトより
蟹澤、相田 著
「福島県の地質」(PDFファイル)
2021年4月 閲覧
https://tohoku-geo.ne.jp/information/daichi/img/53/03.pdf
文献4)田切(作成) ネット上情報
「茨城県の地質」
(なんらかの講演会資料と思われるが、作成年度等は不明)
https://www.ibaraki-geopark.com/wp-content/uploads/2020/02/b7c145ce241ec95dd726e63d533d9e61.pdf
2021年4月 閲覧
文献5)米倉、貝塚、野上、鎮西 編
「日本の地形 第1巻 総説」東京大学出版会 刊 (2001)
のうち、5-2章 「浸食小起伏面の発達」の項
「日本の地形 第3巻 東北」東京大学出版会 刊(2005)
のうち、2−3章「阿武隈山地の地形」
文献2)日本地質学会編
「日本地方地質誌 第2巻 東北地方」朝倉書店 刊 (2017)
のうち、以下の各章、各節
・文献2−a)第4部「(東北地方の)中・古生界」のうち、
4−1―a)節、「阿武隈帯」の項
・文献2−b)第6部「(東北地方の)白亜紀―古第三紀火成岩類」のうち、
6−3章)、「阿武隈山地の白亜紀火成岩類」の項
・文献2−c)第4部「(東北地方の)中・古生界」のうち、
4−5−2節 「阿武隈変成岩類(御齊所・竹貫:ごさいしょ・
たかぬき)」の項
・文献2−d)第4部「(東北地方の)中・古生界」のうち、
4−5−3節「滝根層群」の項
文献3)(一社)「東北地質調査業協会」のホームページのうち、
「技術資料」>「東北6県の地質」のサイトより
蟹澤、相田 著
「福島県の地質」(PDFファイル)
2021年4月 閲覧
https://tohoku-geo.ne.jp/information/daichi/img/53/03.pdf
文献4)田切(作成) ネット上情報
「茨城県の地質」
(なんらかの講演会資料と思われるが、作成年度等は不明)
https://www.ibaraki-geopark.com/wp-content/uploads/2020/02/b7c145ce241ec95dd726e63d533d9e61.pdf
2021年4月 閲覧
文献5)米倉、貝塚、野上、鎮西 編
「日本の地形 第1巻 総説」東京大学出版会 刊 (2001)
のうち、5-2章 「浸食小起伏面の発達」の項
(一社)東北地質調査業協会 ホームページ内の解説資料、
筆者;蟹澤、相田
筆者;蟹澤、相田
なんらかの講演会資料と思われる
このリンク先の、7−1章の文末には、第7部「東北地方の山々の地質」の各章へのリンクを付けています。
第7部の他の章をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
第7部の他の章をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
【書記事項】
・初版リリース;2021年4月10日
△改訂1;文章見直し、書記事項追記(2021年12月28日)
△改訂2;内容を再確認し、多少の加筆修正を行った(2024年1月27日)
△最新改訂年月日;2024年1月27日
△改訂1;文章見直し、書記事項追記(2021年12月28日)
△改訂2;内容を再確認し、多少の加筆修正を行った(2024年1月27日)
△最新改訂年月日;2024年1月27日
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