(はじめに)
東北地方も、東側の山の列(阿武隈山地、北上山地)、中央の山の列(奥羽山脈)の地質の説明を順に行ってきました。
この章からは、東北地方の日本海側の山々、山地の地質について、北から順に説明したいと思います。
まずこの章では、「世界自然遺産」としても有名になった、青森/秋田県境の「白神山地」および、秋田県内の山々の地質について、説明します。また青森県西部の火山である、「岩木山」も、説明の都合上、この章で説明します。
この章からは、東北地方の日本海側の山々、山地の地質について、北から順に説明したいと思います。
まずこの章では、「世界自然遺産」としても有名になった、青森/秋田県境の「白神山地」および、秋田県内の山々の地質について、説明します。また青森県西部の火山である、「岩木山」も、説明の都合上、この章で説明します。
1)白神山地の地質
白神山地(しらかみさんち)は、標高も1000m強で、1500-2000m級の山々が多い、東北地方の山々のなかでは、登山対象として、以前はほとんど注目されていなかったように思います。
しかし、白神山地の広大なブナ林が、日本最大級のブナ林として注目され、「世界自然遺産」として1993年に登録されてからは、非常に注目を浴びるようになりました(文献1)。
本来、東北地方の山々は、ブナの生育に適した環境で、古くは、ほとんどの山々、山地にブナ林があったと思われます。
しかし、ブナという木は水分が多くて、建材としての観点では杉、ヒノキに劣るため、「ブナ退治」と称して、第二次世界大戦後、営林署が率先してブナ林を伐り尽くし、わずかに、積雪が多くて伐採がやりにくい白神山地のブナ林が最後まで残りました。
その後、営林署の白神山地のブナ林伐採計画に対する反対運動が起こり、その結果、逆に自然遺産として脚光を浴びたのは、皮肉な感じがします(文献1)ほか。
余談に走りすぎましたが、本題の、白神山地の地質について述べます。
白神山地の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、ほとんどが、新第三紀 中新世の火山岩類(溶岩、火砕岩)で形成されています。
具体的には、安山岩、玄武岩質安山岩(約28-14Ma)、玄武岩(約15-7Ma)、デイサイト、流紋岩(約15-7Ma)などが入り混じって分布しています。
これらの火山岩類は、約20-15Maに起きた「日本海拡大/日本列島移動イベント」と大きな関わりがあります。
(文献2―a)によると、もともと、アジア大陸(中国大陸)の縁にあった、「新生代・原日本」(この連載でのみ使う用語で、日本海拡大/日本列島移動イベントの起こる前の日本列島に相当する部分を意味します)には、約20Ma前後に、陸側プレートが割れる、リフト("rift")というものが生じ、そのリフトが拡大して日本海となり、それと同時に、「新生代・原日本」に相当する部分は、少なくとも2つに分かれ、「西南日本」ブロックは、南方向へと、時計回りの回転を伴いながら、移動しました。「東北日本」ブロックは、やや東向きの成分をもち、反時計回りの回転を伴いながら、移動しました(文献2―a)。
なお「東北日本ブロック」は、さらに小さい、いくつかのフラグメントとなって移動したという考え方もあります(文献4)。
その際、特に「東北日本」ブロックの日本海側では、広域応力場としては伸張場(引っ張られ、引き延ばされるような力)により、その領域は沈降しつつ、活発な海底火山活動が生じました。東北日本の日本海側から中軸(奥羽山脈)までは、その時代の火山性の噴出物(溶岩、火砕岩、凝灰岩など)が分厚く堆積しています。
それらの海底火山活動による噴出物のうち、熱水の影響で変質した、緑っぽい凝灰岩質の地質は、見た目に基づいて「グリーンタフ」と呼ばれてきました(文献4)。(グリーン(green)=緑色、タフ(tuff)=凝灰岩)
またこの「グリーンタフ」は東北地方の日本海側を中心に、日本列島に広く分布していることから、この「グリーンタフ」の分布している地域は、何らかの大きな地殻変動のあった地域と考えられ、1970年代までは、「グリーンタフ地域」とひとまとめにされていました(文献5)。
この、いわゆる「グリーンタフ地域」は、海底火山活動の影響で、鉱物資源が多く、第二次世界大戦後の1960年代末あたりまで、多くの鉱山(「黒鉱型鉱床」と呼ばれるタイプの鉱床)が稼働していました。
そのため、この付近の地質は、古くから良く調べられていますが、まだ「プレートテクトニクス」理論が日本の学界で広がる前だったため、「グリーンタフ」は、造山活動の一種として形成された、と解釈され、「グリーンタフ造山運動」とも称されていました(文献5)。
現代では、「プレートテクトニクス」に基づいて、これらの海底火山活動による噴出物は、日本海形成、日本列島移動に伴う火成活動とされています。
また「グリーンタフ」という用語も、元々ちょっとあいまいな定義だったため、最近の専門書や文献では、「“いわゆる” グリーンタフ」と、一歩引いた感じで記載されています。
さて、白神山地は上記のとおり、大部分が、新第三紀 中新世に生じた「日本海拡大/日本列島移動イベント」(約20-15Ma)の火山岩類で構成されていますが、一部には中生代の地質が分布しています。
一つは、白神山地の西側であり、白神岳(1235m)付近には、白亜紀の花崗岩類(花崗閃緑岩)が分布しています。
またもう一つには、白神山地の東側であり、田代山(1178m)より東側に、ジュラ紀の付加体型地質が分布しています。
後者は、北上山地の北半分を構成する「北部北上帯」の地質である、ジュラ紀の付加体と同類です。もともと、「日本海拡大/日本列島移動イベント」の起こる以前は、この一帯は、北上山地の北半分(「北部北上帯」)とひとつながりだったと推定されます。
西側の白亜紀の花崗岩類も、「日本海拡大/日本列島移動イベント」以前からあった部分だと思われますが、現在の分布域が孤立しているため、現在のどの地域と関連しているかは定かではありません。なお、秋田県中央部の大平山地や、南西部の神室山地にも、同様の花崗岩類が分布しています。
しかし、白神山地の広大なブナ林が、日本最大級のブナ林として注目され、「世界自然遺産」として1993年に登録されてからは、非常に注目を浴びるようになりました(文献1)。
本来、東北地方の山々は、ブナの生育に適した環境で、古くは、ほとんどの山々、山地にブナ林があったと思われます。
しかし、ブナという木は水分が多くて、建材としての観点では杉、ヒノキに劣るため、「ブナ退治」と称して、第二次世界大戦後、営林署が率先してブナ林を伐り尽くし、わずかに、積雪が多くて伐採がやりにくい白神山地のブナ林が最後まで残りました。
その後、営林署の白神山地のブナ林伐採計画に対する反対運動が起こり、その結果、逆に自然遺産として脚光を浴びたのは、皮肉な感じがします(文献1)ほか。
余談に走りすぎましたが、本題の、白神山地の地質について述べます。
白神山地の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、ほとんどが、新第三紀 中新世の火山岩類(溶岩、火砕岩)で形成されています。
具体的には、安山岩、玄武岩質安山岩(約28-14Ma)、玄武岩(約15-7Ma)、デイサイト、流紋岩(約15-7Ma)などが入り混じって分布しています。
これらの火山岩類は、約20-15Maに起きた「日本海拡大/日本列島移動イベント」と大きな関わりがあります。
(文献2―a)によると、もともと、アジア大陸(中国大陸)の縁にあった、「新生代・原日本」(この連載でのみ使う用語で、日本海拡大/日本列島移動イベントの起こる前の日本列島に相当する部分を意味します)には、約20Ma前後に、陸側プレートが割れる、リフト("rift")というものが生じ、そのリフトが拡大して日本海となり、それと同時に、「新生代・原日本」に相当する部分は、少なくとも2つに分かれ、「西南日本」ブロックは、南方向へと、時計回りの回転を伴いながら、移動しました。「東北日本」ブロックは、やや東向きの成分をもち、反時計回りの回転を伴いながら、移動しました(文献2―a)。
なお「東北日本ブロック」は、さらに小さい、いくつかのフラグメントとなって移動したという考え方もあります(文献4)。
その際、特に「東北日本」ブロックの日本海側では、広域応力場としては伸張場(引っ張られ、引き延ばされるような力)により、その領域は沈降しつつ、活発な海底火山活動が生じました。東北日本の日本海側から中軸(奥羽山脈)までは、その時代の火山性の噴出物(溶岩、火砕岩、凝灰岩など)が分厚く堆積しています。
それらの海底火山活動による噴出物のうち、熱水の影響で変質した、緑っぽい凝灰岩質の地質は、見た目に基づいて「グリーンタフ」と呼ばれてきました(文献4)。(グリーン(green)=緑色、タフ(tuff)=凝灰岩)
またこの「グリーンタフ」は東北地方の日本海側を中心に、日本列島に広く分布していることから、この「グリーンタフ」の分布している地域は、何らかの大きな地殻変動のあった地域と考えられ、1970年代までは、「グリーンタフ地域」とひとまとめにされていました(文献5)。
この、いわゆる「グリーンタフ地域」は、海底火山活動の影響で、鉱物資源が多く、第二次世界大戦後の1960年代末あたりまで、多くの鉱山(「黒鉱型鉱床」と呼ばれるタイプの鉱床)が稼働していました。
そのため、この付近の地質は、古くから良く調べられていますが、まだ「プレートテクトニクス」理論が日本の学界で広がる前だったため、「グリーンタフ」は、造山活動の一種として形成された、と解釈され、「グリーンタフ造山運動」とも称されていました(文献5)。
現代では、「プレートテクトニクス」に基づいて、これらの海底火山活動による噴出物は、日本海形成、日本列島移動に伴う火成活動とされています。
また「グリーンタフ」という用語も、元々ちょっとあいまいな定義だったため、最近の専門書や文献では、「“いわゆる” グリーンタフ」と、一歩引いた感じで記載されています。
さて、白神山地は上記のとおり、大部分が、新第三紀 中新世に生じた「日本海拡大/日本列島移動イベント」(約20-15Ma)の火山岩類で構成されていますが、一部には中生代の地質が分布しています。
一つは、白神山地の西側であり、白神岳(1235m)付近には、白亜紀の花崗岩類(花崗閃緑岩)が分布しています。
またもう一つには、白神山地の東側であり、田代山(1178m)より東側に、ジュラ紀の付加体型地質が分布しています。
後者は、北上山地の北半分を構成する「北部北上帯」の地質である、ジュラ紀の付加体と同類です。もともと、「日本海拡大/日本列島移動イベント」の起こる以前は、この一帯は、北上山地の北半分(「北部北上帯」)とひとつながりだったと推定されます。
西側の白亜紀の花崗岩類も、「日本海拡大/日本列島移動イベント」以前からあった部分だと思われますが、現在の分布域が孤立しているため、現在のどの地域と関連しているかは定かではありません。なお、秋田県中央部の大平山地や、南西部の神室山地にも、同様の花崗岩類が分布しています。
2)秋田県の主な山の地質概要
ここでは、白神山地の山々および奥羽山脈主稜部の山々以外の、秋田県内の主要な山々の地質概要を説明します。
2−1)森吉山(もりよしざん:1454m)
この山は、秋田県の中央部にあり、秋田マタギ(猟師)の故郷(ふるさと)とも言われる、ブナの多い山です。また日本三百名山の一つでもあります。
産総研「シームレス地質図v2」、および(文献2−b)によると、この山は古い火山で、第四紀の前期(カラブリアン期;180-78万年前)に活動した成層火山です。
(文献2−b)によると活動時期は、約100万年前〜約80万年前に活動したと推定されています。
この山は古い火山ではありますが、地形図を見ると、頂上付近を頂点とした緩やかな円錐形の形状をしており、成層火山の形状を維持しています。
岩質は安山岩がメインで、一部にデイサイト、玄武岩を含みます(文献2−b)。
産総研「シームレス地質図v2」、および(文献2−b)によると、この山は古い火山で、第四紀の前期(カラブリアン期;180-78万年前)に活動した成層火山です。
(文献2−b)によると活動時期は、約100万年前〜約80万年前に活動したと推定されています。
この山は古い火山ではありますが、地形図を見ると、頂上付近を頂点とした緩やかな円錐形の形状をしており、成層火山の形状を維持しています。
岩質は安山岩がメインで、一部にデイサイト、玄武岩を含みます(文献2−b)。
2−2)太平(たいへい)山地
秋田県の中央部には、大平山(たいへいざん:1170m)を中心とした、太平山地が広がっています。太平山は日本三百名山のひとつでもあります。
文献6)によると、この太平山地は標高こそ1000m前後と低いものの、冬場の積雪量の多さと、その雪解けによる谷の浸食により、比較的急峻な谷が多いとされています。
また、古来から大平山は山岳信仰が盛んな山でもあり、文献5)によると山頂部には、三吉(みよし)神社の奥宮があり、参拝客も多いようです。
さて、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、この山地を構成する地質は、大部分が白亜紀の花崗岩類(花崗閃緑岩、トーナル岩)です。
白亜紀の花崗岩類は東北地方日本海側では、太平山地以外に、白神山地の一部、それに、のちに紹介予定の朝日山地、飯豊山地にも分布しており、新第三紀 中新世に起きた「日本海拡大/日本列島移動イベント」の前、白亜紀末には、これら白亜紀花崗岩体は、アジア大陸の縁の、似たような場所で形成されたのではないかと思われますが、十分な研究は進んでいないようです。
白神山地の項でも述べたように、「日本海拡大/日本列島移動イベント」の際、この太平山地を含む部分は、フラグメントの一つとして移動したのかもしれません(この段落は私見です)。
なお太平山地には、主に山地のすそ野に、新第三紀 中新世の火山岩類(主に安山岩質、一部は玄武岩質)もモザイク状に分布しており、大平山の山頂部分もこの火山岩類で形成されています。これは白神山地の項で述べたように、「日本海拡大/日本列島移動イベント」の際に活動した海底火山噴出物です。
文献6)によると、この太平山地は標高こそ1000m前後と低いものの、冬場の積雪量の多さと、その雪解けによる谷の浸食により、比較的急峻な谷が多いとされています。
また、古来から大平山は山岳信仰が盛んな山でもあり、文献5)によると山頂部には、三吉(みよし)神社の奥宮があり、参拝客も多いようです。
さて、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、この山地を構成する地質は、大部分が白亜紀の花崗岩類(花崗閃緑岩、トーナル岩)です。
白亜紀の花崗岩類は東北地方日本海側では、太平山地以外に、白神山地の一部、それに、のちに紹介予定の朝日山地、飯豊山地にも分布しており、新第三紀 中新世に起きた「日本海拡大/日本列島移動イベント」の前、白亜紀末には、これら白亜紀花崗岩体は、アジア大陸の縁の、似たような場所で形成されたのではないかと思われますが、十分な研究は進んでいないようです。
白神山地の項でも述べたように、「日本海拡大/日本列島移動イベント」の際、この太平山地を含む部分は、フラグメントの一つとして移動したのかもしれません(この段落は私見です)。
なお太平山地には、主に山地のすそ野に、新第三紀 中新世の火山岩類(主に安山岩質、一部は玄武岩質)もモザイク状に分布しており、大平山の山頂部分もこの火山岩類で形成されています。これは白神山地の項で述べたように、「日本海拡大/日本列島移動イベント」の際に活動した海底火山噴出物です。
2−3)丁岳(ひのとたけ)山地
秋田県の南部、山形県との県境には、標高1000m前後の低い山並みが東西に延びており、「丁岳(ひのとたけ)山地」と呼ばれています。最高峰は丁岳(ひのとたけ:1146m)です。
東西に軸を持つ隆起帯で、鳥海山と、奥羽山脈とを結ぶ回廊のような地域です。
この山地の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、これもまた中新世の火山岩類(主に安山岩)で形成されています。裾野には中新世の(海成)泥岩も分布しており、中新世においてはこの一帯が海の底だったことを示しています。
東西に軸を持つ隆起帯で、鳥海山と、奥羽山脈とを結ぶ回廊のような地域です。
この山地の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、これもまた中新世の火山岩類(主に安山岩)で形成されています。裾野には中新世の(海成)泥岩も分布しており、中新世においてはこの一帯が海の底だったことを示しています。
2−4)神室(かむろ)山地
神室山(かむろさん:1365m)は、秋田県の南西部、山形県との境にある山で、奥羽山脈の一峰ともいえる場所にある山です。日本三百名山の一つでもあります。
文献6―b)によると、神室山を含む神室山地は、標高の割には険しい山容で知られているようです。
さて、この山地の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、主要部は、白亜紀の花崗岩類で構成されています。
それ以外は、「日本海拡大/日本列島移動イベント」が起きた、新第三紀 中新世の地質です。
神室山の西側には、深成岩である閃緑岩が分布し、他には同時期の安山岩類が山麓も含め、広く分布しています。
※ なお、この「神室山地」は、広義の「奥羽山脈」の一部とも言えるので、第7−9章でも説明しています。
文献6―b)によると、神室山を含む神室山地は、標高の割には険しい山容で知られているようです。
さて、この山地の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、主要部は、白亜紀の花崗岩類で構成されています。
それ以外は、「日本海拡大/日本列島移動イベント」が起きた、新第三紀 中新世の地質です。
神室山の西側には、深成岩である閃緑岩が分布し、他には同時期の安山岩類が山麓も含め、広く分布しています。
※ なお、この「神室山地」は、広義の「奥羽山脈」の一部とも言えるので、第7−9章でも説明しています。
2−5)鳥海山
鳥海山(2236m)は、第四紀後半に形成された大型の火山で、かつ活火山にも認定されています(文献7)。
文献3ーb)によると、タイプは成層火山で、活動時期は3つのステージに分けられています。
まず最も古い第1ステージは、約60万年から始まった活動で、約16万年前までです。この時期に形成された火山体は「(鳥海)古期火山体」と呼ばれます。形式は成層火山で、安山岩質の溶岩噴出型の活動だったと推定されています。「古期火山体」は、現在は今の山体に埋もれていますが、鳥海山の土台となっています。
続いて約16万年前から約2万年前まで、第2ステージの活動が起きました。第2ステージの活動は「古期火山体」の上に乗るような形の山体を形成しました。第1ステージの活動と同じく、形式は成層火山で、安山岩質の溶岩噴出型の活動だったと推定されています。
約2万年前から現世までは第3ステージの活動期です。この時期の活動も安山岩質の溶岩噴出型です。活動は現在の山頂部付近ですが、この活動で形成された火山体を「東鳥海火山」とも呼びます。
また、約2500年前に、鳥海山の北側斜面が大きな山体崩壊を起こし、北側に開く馬蹄形の、「東鳥海馬蹄形カルデラ」が形成されました。この山体崩壊で発生した岩屑流によって、麓の「象潟」(きさかた)地域には、多数の流れ山ができました。
※ なお「象潟」は、松尾芭蕉の「奥の細道」でも触れられている、古くからの
名勝地で、芭蕉が訪れた江戸時代には、
浅い海に流れ山からなる小島が点在する地形でした。
その後、地震による隆起によって浅い海の部分は陸地となっています。
それ以外にも鳥海山のあちこちに、大小の崩壊地形が認められます。これらの崩壊現象には、鳥海山の山体内や、その周辺部にある多数の断層の影響があると推定されています。なお広域応力場は、東西圧縮場となっています。
文献3ーb)によると、タイプは成層火山で、活動時期は3つのステージに分けられています。
まず最も古い第1ステージは、約60万年から始まった活動で、約16万年前までです。この時期に形成された火山体は「(鳥海)古期火山体」と呼ばれます。形式は成層火山で、安山岩質の溶岩噴出型の活動だったと推定されています。「古期火山体」は、現在は今の山体に埋もれていますが、鳥海山の土台となっています。
続いて約16万年前から約2万年前まで、第2ステージの活動が起きました。第2ステージの活動は「古期火山体」の上に乗るような形の山体を形成しました。第1ステージの活動と同じく、形式は成層火山で、安山岩質の溶岩噴出型の活動だったと推定されています。
約2万年前から現世までは第3ステージの活動期です。この時期の活動も安山岩質の溶岩噴出型です。活動は現在の山頂部付近ですが、この活動で形成された火山体を「東鳥海火山」とも呼びます。
また、約2500年前に、鳥海山の北側斜面が大きな山体崩壊を起こし、北側に開く馬蹄形の、「東鳥海馬蹄形カルデラ」が形成されました。この山体崩壊で発生した岩屑流によって、麓の「象潟」(きさかた)地域には、多数の流れ山ができました。
※ なお「象潟」は、松尾芭蕉の「奥の細道」でも触れられている、古くからの
名勝地で、芭蕉が訪れた江戸時代には、
浅い海に流れ山からなる小島が点在する地形でした。
その後、地震による隆起によって浅い海の部分は陸地となっています。
それ以外にも鳥海山のあちこちに、大小の崩壊地形が認められます。これらの崩壊現象には、鳥海山の山体内や、その周辺部にある多数の断層の影響があると推定されています。なお広域応力場は、東西圧縮場となっています。
2−6) 岩木山
岩木山(1625m)は青森県を代表する名山です。百名山の一つでもあります。また「活火山」にも認定されています(文献7−b)。
岩木山は秋田県の山ではありませんが、説明の都合上、この章で説明することにします。
文献3−a)によると岩木山の火山としての活動は、約30万年前(60万年前からという説もあり)から始まり、現世までの活動は、3つのステージに分けられています。
第1ステージの活動は約30万年前からで、成層火山火山体を形成しました。この時に軽視された火山体を「古岩木火山」と呼びます。しかし約25万年前頃に、この古岩木火山は、大きな山体崩壊を起こしたと推定されています。
第2ステージの活動の活動時期は明確ではありませんが、山体崩壊によって崩れかけた「古岩木火山」を覆うように、溶岩流の流出を中心とした活動が活発に起こり、現世の岩木火山の大まかな形状を形成したと推定されています。この時期の溶岩流により、前述の山体崩壊跡は溶岩で埋め立てられた、と推定されています。
岩木山の山頂部は、「岩城山(いわきさん)」、「鳥海山(ちょうかいさん)」の2つのピークがありますが、このうち「岩城山」のほうは、この第2ステージの活動で出来た溶岩ドームです。
第3ステージの活動は、頂上付近での活動で、主に溶岩ドームを形成しました。「鳥海山」ピークはこの時期に形成された溶岩ドームです。
また山頂部には複数の凹地がありますが、これらは第3ステージの活動で形成された爆裂火口跡です。
岩木山は歴史時代にも活動し、「活火山」として認定されています(文献7ーb)
1600年頃、1782年頃には、山頂部の上記爆裂火口の一部を形成した水蒸気噴火が発生しています。
岩木山は秋田県の山ではありませんが、説明の都合上、この章で説明することにします。
文献3−a)によると岩木山の火山としての活動は、約30万年前(60万年前からという説もあり)から始まり、現世までの活動は、3つのステージに分けられています。
第1ステージの活動は約30万年前からで、成層火山火山体を形成しました。この時に軽視された火山体を「古岩木火山」と呼びます。しかし約25万年前頃に、この古岩木火山は、大きな山体崩壊を起こしたと推定されています。
第2ステージの活動の活動時期は明確ではありませんが、山体崩壊によって崩れかけた「古岩木火山」を覆うように、溶岩流の流出を中心とした活動が活発に起こり、現世の岩木火山の大まかな形状を形成したと推定されています。この時期の溶岩流により、前述の山体崩壊跡は溶岩で埋め立てられた、と推定されています。
岩木山の山頂部は、「岩城山(いわきさん)」、「鳥海山(ちょうかいさん)」の2つのピークがありますが、このうち「岩城山」のほうは、この第2ステージの活動で出来た溶岩ドームです。
第3ステージの活動は、頂上付近での活動で、主に溶岩ドームを形成しました。「鳥海山」ピークはこの時期に形成された溶岩ドームです。
また山頂部には複数の凹地がありますが、これらは第3ステージの活動で形成された爆裂火口跡です。
岩木山は歴史時代にも活動し、「活火山」として認定されています(文献7ーb)
1600年頃、1782年頃には、山頂部の上記爆裂火口の一部を形成した水蒸気噴火が発生しています。
(参考文献)
文献1)ウイキペディア 「白神山地」
2021年5月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E7%A5%9E%E5%B1%B1%E5%9C%B0
文献2)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第2巻 東北地方」朝倉書店 刊 (2017)
のうち、
2−a)3−2章「後期新生代」の項
2−b)第9部「(東北地方の)第四紀の活動的火山」の部のうち、
9-4-2項「森吉山」の項
2−c)第9部「(東北地方の)第四紀の活動的火山」の部のうち、
9-5-1項「鳥海山」の項
文献3 小池、田村、鎮西、宮城 編
「日本の地形 第3巻 東北」 東京大学出版会 刊 (2005)
のうち、
文献3−a)6−3−(1)項 岩木山の項
文献3−b) 6−3−(2)項 鳥海山の項
文献4)A.Yamaji,H.Momose,M.Torii
“Paleomagnetec evidence for Miocene transtensional deformations
at the eastern margin of the Japan sea”
Earth Planets Space, Vol.51, p81-92, (1999)
文献5)地学団体研究会 編、 湊 監修
「新地学教育講座 第8巻 日本列島の歴史」東海大学出版会 刊 (1976)
のうち、第4章 「グリーンタフ造山運動」の項
文献6)「日本三百名山登山ガイド 上巻」 山と渓谷社 刊 (2000)
のうち、
6−a)「太平山」の項
6−b)「神室山」の項
文献7) インターネットサイト
気象庁ホームページ 「活火山総覧(第4版)」
文献7−a)) 文献7のうち、 鳥海山の項
文献7−b) 文献7のうち、 岩木山の項
2021年5月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E7%A5%9E%E5%B1%B1%E5%9C%B0
文献2)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第2巻 東北地方」朝倉書店 刊 (2017)
のうち、
2−a)3−2章「後期新生代」の項
2−b)第9部「(東北地方の)第四紀の活動的火山」の部のうち、
9-4-2項「森吉山」の項
2−c)第9部「(東北地方の)第四紀の活動的火山」の部のうち、
9-5-1項「鳥海山」の項
文献3 小池、田村、鎮西、宮城 編
「日本の地形 第3巻 東北」 東京大学出版会 刊 (2005)
のうち、
文献3−a)6−3−(1)項 岩木山の項
文献3−b) 6−3−(2)項 鳥海山の項
文献4)A.Yamaji,H.Momose,M.Torii
“Paleomagnetec evidence for Miocene transtensional deformations
at the eastern margin of the Japan sea”
Earth Planets Space, Vol.51, p81-92, (1999)
文献5)地学団体研究会 編、 湊 監修
「新地学教育講座 第8巻 日本列島の歴史」東海大学出版会 刊 (1976)
のうち、第4章 「グリーンタフ造山運動」の項
文献6)「日本三百名山登山ガイド 上巻」 山と渓谷社 刊 (2000)
のうち、
6−a)「太平山」の項
6−b)「神室山」の項
文献7) インターネットサイト
気象庁ホームページ 「活火山総覧(第4版)」
文献7−a)) 文献7のうち、 鳥海山の項
文献7−b) 文献7のうち、 岩木山の項
このリンク先の、7−1章の文末には、第7部「東北地方の山々の地質」の各章へのリンクを付けています。
第7部の他の章をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
第7部の他の章をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
【書記事項】
初版リリース;2021年5月20日
△改訂1;文章見直し、2−5章(鳥海山)追記、2−6章(岩木山)追加、
リンク追加、書記事項追加(2021年12月30日)
改訂2;第7部「東北地方の山々の地質」のうち、奥羽山脈に関する部分の内容を充実させ、新たに(新)7−8章、(新)7−9章を作成したので、この章の番号を、7−8章から、「7−10章」に変更した。その他、内容を見直して一部、追記、修正した。
(2024年1月27日)
△最新改訂年月日;2024年1月27日
△改訂1;文章見直し、2−5章(鳥海山)追記、2−6章(岩木山)追加、
リンク追加、書記事項追加(2021年12月30日)
改訂2;第7部「東北地方の山々の地質」のうち、奥羽山脈に関する部分の内容を充実させ、新たに(新)7−8章、(新)7−9章を作成したので、この章の番号を、7−8章から、「7−10章」に変更した。その他、内容を見直して一部、追記、修正した。
(2024年1月27日)
△最新改訂年月日;2024年1月27日
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