(はじめに)
この章ではまず、長野県北部から新潟県にかけて密集している火山群について、その形成史を中心に説明します。この一帯の火山としては、長野県ではなく、新潟県に含まれる火山もありますが、説明の便宜上、まとめて「北信地域の火山群」、もしくは「妙高火山群」(文献1−a)という名称を使用します。
なおこの章で扱う「北信地域」の範囲は、北は日本海、東は長野盆地から新潟県上越市のライン(JR信越線、北陸新幹線のルートが通っている谷状凹地)、西は大町市―白馬町―糸魚川市のライン(ほぼ、姫川の流れのラインに沿った谷状凹地)、南側は、梓川が松本盆地から筑摩山地を横切って長野盆地へと流れる先行谷のライン、とします。
本章ではまず、妙高山、黒姫山、飯綱山、斑尾山、焼山といった第四紀火山について順に、火山形成史を中心に説明します。
また、この地域にあります第四紀火山ではない山々、具体的には戸隠山、高妻山、火打山、雨飾山、海谷山塊については、百名山クラスの著名な山を含んでいますが、他の章で説明していませんので、構成している地質を中心に説明します。
なおこの章で扱う「北信地域」の範囲は、北は日本海、東は長野盆地から新潟県上越市のライン(JR信越線、北陸新幹線のルートが通っている谷状凹地)、西は大町市―白馬町―糸魚川市のライン(ほぼ、姫川の流れのラインに沿った谷状凹地)、南側は、梓川が松本盆地から筑摩山地を横切って長野盆地へと流れる先行谷のライン、とします。
本章ではまず、妙高山、黒姫山、飯綱山、斑尾山、焼山といった第四紀火山について順に、火山形成史を中心に説明します。
また、この地域にあります第四紀火山ではない山々、具体的には戸隠山、高妻山、火打山、雨飾山、海谷山塊については、百名山クラスの著名な山を含んでいますが、他の章で説明していませんので、構成している地質を中心に説明します。
1)妙高火山群の特徴
この章で取り扱う火山群はまとめて、「妙高火山群」とも呼ばれます(文献1−a)。
この「妙高火山群」を構成しているのは前述の通り、妙高山、黒姫山、飯綱山、斑尾山、焼山の5つの第四紀火山です。
(文献1−a)によると、斑尾山(約70万年前)、飯綱山(約40万年前)、妙高山(約30万年前)、黒姫山(約28万年前)の順で火山活動が起こっています。焼山は最も新しいもので、数万年前から活動を開始した新しい火山です。
また(文献1−a)によると、この地域の火山活動の源は、東側から日本列島の下へと沈み込んでいる太平洋プレートだと推定されています。(フィリピン海プレートも沈み込んでいると推定されていますが、かなり浅い位置にあるため、マグマの生成条件に達していません)。
「妙高火山群」の下の陸側プレートの厚さは約30kmで、マグマが形成される太平洋プレート上面の深さは約200kmと推定されています。
通常、海洋プレート沈み込み帯でのマグマ生成深さは、約100―150kmと考えられているので、それよりやや深い場所でのマグマ生成が起こっており、他の東北日本弧の火山フロントでの火山群(奥羽山脈の火山群や関東北部の火山群)よりも深さが違うのが特徴です。
ただし、なぜこの深さで、多数の火山群を形成するような大規模なマグマ生成がおこっているのか?については良く解っていないようです。
この「妙高火山群」を構成しているのは前述の通り、妙高山、黒姫山、飯綱山、斑尾山、焼山の5つの第四紀火山です。
(文献1−a)によると、斑尾山(約70万年前)、飯綱山(約40万年前)、妙高山(約30万年前)、黒姫山(約28万年前)の順で火山活動が起こっています。焼山は最も新しいもので、数万年前から活動を開始した新しい火山です。
また(文献1−a)によると、この地域の火山活動の源は、東側から日本列島の下へと沈み込んでいる太平洋プレートだと推定されています。(フィリピン海プレートも沈み込んでいると推定されていますが、かなり浅い位置にあるため、マグマの生成条件に達していません)。
「妙高火山群」の下の陸側プレートの厚さは約30kmで、マグマが形成される太平洋プレート上面の深さは約200kmと推定されています。
通常、海洋プレート沈み込み帯でのマグマ生成深さは、約100―150kmと考えられているので、それよりやや深い場所でのマグマ生成が起こっており、他の東北日本弧の火山フロントでの火山群(奥羽山脈の火山群や関東北部の火山群)よりも深さが違うのが特徴です。
ただし、なぜこの深さで、多数の火山群を形成するような大規模なマグマ生成がおこっているのか?については良く解っていないようです。
2)妙高山
妙高山(みょうこうさん:2454m)はこの北信地域の火山群の中でも代表格といえる火山です。妙高山は大きな火山体であるとともに、頂上部は小型カルデラをなし、その内側に溶岩ドームでできた中央火口丘があるので、遠方からでも良く解る特徴的な姿をしています。
百名山の一つであり、この地域の代表的な山として「北信五岳」の一つになってます。また活火山でもあります(文献2−a)。
(文献1―a)に基づくと、妙高山は、単純な一つの火山というより、活動休止期をはさむ、それぞれ数万年の活動期間をもつ、合計4つの成層火山が、ほぼ同じ場所で、前の火山体の上に積み重なってできた複合火山(多世代火山)です。
まず最初の活動期(第1期)は、約30万年前に始まったと推定されています。この第1期の火山は「雷菱(かみなりびし)火山」あるいは「古妙高火山」という名前がついています。
この第1期の火山活動は大規模で、現在の妙高火山の火山体のかなりの部分を現在でも占めています。
長い休止期を挟んで、約14−11万年前に第2期の活動が生じ、多数の火砕流や溶岩流を発生させたと推定されており、山麓などにその名残が認められます。この第2期火山は「神奈山火山」という名前がついています。
再び休止期を挟み、約8.6―6万年前に第3期の活動が生じました。この際に現在の外輪山の西半分が形成されています。この第3期火山は「三田原山火山」という名前がついています。
最新の活動である第4期の火山活動は、約4.3万年前から始まり現在まで続いています。火砕流の噴出から始まり、その後約1.9万年前に大爆発を起こして山頂部に、現在でもよく地形が残っている小型カルデラが形成されました。その後約6000前にはカルデラ中央部に高粘度(おそらくデイサイト質―流紋岩質)の溶岩によって溶岩ドームとしての現在の中央火口丘(最高峰のある部分)が形成されました。
妙高火山はその後も活動的で、(文献2−b)によると、5000年前、4600年前、3700年前、2800年前、約500年前にそれぞれ、水蒸気噴火を起こしています。
なお火山岩としての岩質は、(文献1−a)によると、古い活動期には玄武岩質、のち、安山岩質、デイサイト質と、高粘度の溶岩に変化しています。産総研「シームレス地質図v2」によると、妙高山表面の大部分は、「安山岩質、玄武岩質安山岩」の溶岩、火砕岩としています。
百名山の一つであり、この地域の代表的な山として「北信五岳」の一つになってます。また活火山でもあります(文献2−a)。
(文献1―a)に基づくと、妙高山は、単純な一つの火山というより、活動休止期をはさむ、それぞれ数万年の活動期間をもつ、合計4つの成層火山が、ほぼ同じ場所で、前の火山体の上に積み重なってできた複合火山(多世代火山)です。
まず最初の活動期(第1期)は、約30万年前に始まったと推定されています。この第1期の火山は「雷菱(かみなりびし)火山」あるいは「古妙高火山」という名前がついています。
この第1期の火山活動は大規模で、現在の妙高火山の火山体のかなりの部分を現在でも占めています。
長い休止期を挟んで、約14−11万年前に第2期の活動が生じ、多数の火砕流や溶岩流を発生させたと推定されており、山麓などにその名残が認められます。この第2期火山は「神奈山火山」という名前がついています。
再び休止期を挟み、約8.6―6万年前に第3期の活動が生じました。この際に現在の外輪山の西半分が形成されています。この第3期火山は「三田原山火山」という名前がついています。
最新の活動である第4期の火山活動は、約4.3万年前から始まり現在まで続いています。火砕流の噴出から始まり、その後約1.9万年前に大爆発を起こして山頂部に、現在でもよく地形が残っている小型カルデラが形成されました。その後約6000前にはカルデラ中央部に高粘度(おそらくデイサイト質―流紋岩質)の溶岩によって溶岩ドームとしての現在の中央火口丘(最高峰のある部分)が形成されました。
妙高火山はその後も活動的で、(文献2−b)によると、5000年前、4600年前、3700年前、2800年前、約500年前にそれぞれ、水蒸気噴火を起こしています。
なお火山岩としての岩質は、(文献1−a)によると、古い活動期には玄武岩質、のち、安山岩質、デイサイト質と、高粘度の溶岩に変化しています。産総研「シームレス地質図v2」によると、妙高山表面の大部分は、「安山岩質、玄武岩質安山岩」の溶岩、火砕岩としています。
3)黒姫山
黒姫山(くろひめやま:2053m)は、妙高山の南 約10kmにある火山です。大きな山体をしており、頂上部はカルデラ状地形になっています。カルデラ内に中央火口丘がありますが、最高標高点は外輪山にあります。黒姫山は三百名山でもあり、また「北信五岳」の一つでもあります。
さて、火山としての黒姫山は、(文献1−a)によると、妙高山よりやや遅れ、約25万年前から活動を開始しています(第1活動期)。活動休止期を挟み、約15−12万年前に第2活動期の火山活動が起こり、成層火山を形成したと推定されています。再び活動休止期を挟み、約5.5〜4.3万年前の期間、第3活動期の火山活動があり、現在の小型カルデラ、中央火口丘(溶岩ドーム)を形成しました。現在はめだった火山活動はしていません。
なお、火山岩の性質としては、初期には玄武岩質で第2活動期以降は安山岩質です。
さて、火山としての黒姫山は、(文献1−a)によると、妙高山よりやや遅れ、約25万年前から活動を開始しています(第1活動期)。活動休止期を挟み、約15−12万年前に第2活動期の火山活動が起こり、成層火山を形成したと推定されています。再び活動休止期を挟み、約5.5〜4.3万年前の期間、第3活動期の火山活動があり、現在の小型カルデラ、中央火口丘(溶岩ドーム)を形成しました。現在はめだった火山活動はしていません。
なお、火山岩の性質としては、初期には玄武岩質で第2活動期以降は安山岩質です。
4)飯綱山
飯綱山(いいずなやま:1917m)は、黒姫山から南に約10kmのところにあり、山容は比較的黒姫山に似ており、成層火山型の山体をしており、山頂部の北側には北に開いたカルデラ状凹地を持っています。この山も「北信五岳」の一つでもあります。
飯綱山を含む一帯は、西隣の戸隠山と共に、古くは山岳信仰、修験道の盛んな山であり(文献4)、「飯縄使い(いいづな つかい)」という、忍者が使ったとされる妖術の一種も、この飯綱山信仰から生まれたと言います(文献5)。
さて火山としての飯縄山は(文献1−a)によると、まず約34万年前に始まり、第1活動期と呼ばれています。その後休止期を挟み、約20−15万年前の間に第2活動期が起こりました。この時期には現在の山体の原型となっている成層火山の形成、続いて中央部での小型カルデラの形成が生じました。その後、活動が休止している間に開析が進み、隣接する黒姫山よりも、山腹には尾根/谷状地形が発達しています。
なお、(文献1−a)によると、火山岩の性質は、元となったマグマは玄武岩質と推定されています。一方、産総研「シームレス地質図v2」によると、安山岩、玄武岩質安山岩としています。
飯綱山を含む一帯は、西隣の戸隠山と共に、古くは山岳信仰、修験道の盛んな山であり(文献4)、「飯縄使い(いいづな つかい)」という、忍者が使ったとされる妖術の一種も、この飯綱山信仰から生まれたと言います(文献5)。
さて火山としての飯縄山は(文献1−a)によると、まず約34万年前に始まり、第1活動期と呼ばれています。その後休止期を挟み、約20−15万年前の間に第2活動期が起こりました。この時期には現在の山体の原型となっている成層火山の形成、続いて中央部での小型カルデラの形成が生じました。その後、活動が休止している間に開析が進み、隣接する黒姫山よりも、山腹には尾根/谷状地形が発達しています。
なお、(文献1−a)によると、火山岩の性質は、元となったマグマは玄武岩質と推定されています。一方、産総研「シームレス地質図v2」によると、安山岩、玄武岩質安山岩としています。
5)焼山
黒姫火山群の盟主といえる黒姫山から西には、非火山性の山である火打山(ひうちやま:2462m)があり、更にその西には、第四紀火山である焼山(やけやま:2400m)があります。焼山は活火山でもあり(文献2―b)、登山禁止となっている時期も多いので、あまり登山の対象にはなっていません。
さて(文献1−a)、(文献2−b)、(文献3−a)によると、焼山は、基盤岩(新第三紀 中新世)が標高2000mほどに達した場所に形成された、非常に若い火山です。また基盤地質の高まりが大きい場所のため、標高の割には小さい山体です。
(文献1−a)、(文献2―b)、(文献3−a)によると、焼山の最初の活動は、約3000年前(=縄文時代末期)と推定されています。その後、歴史時代において、9世紀、10世紀、14世紀、18世紀、19世紀、20世紀と非常に活発な火山活動を起こしています。
焼山火山は、北側に傾斜した基盤岩の上に形成されたため、火山活動で起きた火砕流や溶岩流はほとんどが北の新潟側(早川流域)に流下し、かなり標高が低い場所まで流下しています。
なお、焼山火山で噴出した火山岩は、産総研「シームレス地質図v2」によると、安山岩、玄武岩質安山岩です。(文献1−a)及び(文献3−a)では、安山岩質からデイサイト質としています。
さて(文献1−a)、(文献2−b)、(文献3−a)によると、焼山は、基盤岩(新第三紀 中新世)が標高2000mほどに達した場所に形成された、非常に若い火山です。また基盤地質の高まりが大きい場所のため、標高の割には小さい山体です。
(文献1−a)、(文献2―b)、(文献3−a)によると、焼山の最初の活動は、約3000年前(=縄文時代末期)と推定されています。その後、歴史時代において、9世紀、10世紀、14世紀、18世紀、19世紀、20世紀と非常に活発な火山活動を起こしています。
焼山火山は、北側に傾斜した基盤岩の上に形成されたため、火山活動で起きた火砕流や溶岩流はほとんどが北の新潟側(早川流域)に流下し、かなり標高が低い場所まで流下しています。
なお、焼山火山で噴出した火山岩は、産総研「シームレス地質図v2」によると、安山岩、玄武岩質安山岩です。(文献1−a)及び(文献3−a)では、安山岩質からデイサイト質としています。
6)斑尾山
斑尾山(まだらおやま:1382m)は、「北信五岳」の一つにはなっていますが、他の4つの山が標高2000m前後なのに対し、標高が1300m台の山でそれほど目立つ山ではありません。また近年は北面がスキー場として開発されてしまい、あまり登山の対象としては注目されなくなっているようです。
産総研「シームレス地質図v2」によると、斑尾山の山体は決して小さくはありませんが、基盤岩の高まりが、標高が1000〜1500m以上ある他の妙高火山群と違って、わずか600mしかないので(西側にある野反湖の湖面の標高)、その分、標高が低いのだと思われます。
さて斑尾山は、開析が進んでいるため、見かけはあまり火山っぽくありませんが、古い第四紀火山です。
(文献1−a)では斑尾山に関する記述が少ないのですが、最初の火山活動は約70万年前後で、休止期を挟んで約50−55万年に第2期の活動が起こっています。その後現世まで火山活動は起こっておらず、山体の浸食が進み、いまのような山容になっています。
産総研「シームレス地質図v2」によると、斑尾山の山体は決して小さくはありませんが、基盤岩の高まりが、標高が1000〜1500m以上ある他の妙高火山群と違って、わずか600mしかないので(西側にある野反湖の湖面の標高)、その分、標高が低いのだと思われます。
さて斑尾山は、開析が進んでいるため、見かけはあまり火山っぽくありませんが、古い第四紀火山です。
(文献1−a)では斑尾山に関する記述が少ないのですが、最初の火山活動は約70万年前後で、休止期を挟んで約50−55万年に第2期の活動が起こっています。その後現世まで火山活動は起こっておらず、山体の浸食が進み、いまのような山容になっています。
[以下、第7節からは、この地域の非火山性の山々についての解説です]
7)火打山
火打山(ひうちやま:2462m)は、百名山の一つでもあり、東に隣接する妙高山とともに、この地域の代表的な山となっています。
火打山は、共に火山である東の妙高山、西の焼山に挟まれていて、山名も火山をイメージする名前ですが、実際は非火山性の山です。
この「北信地域」における非火山性の山としては最も標高が高い山でもあり、この一帯の第四紀における著しい隆起活動を示していると言えます。
産総研「シームレス地質図v2」によると、この一帯の基盤的地質は、新第三紀 中新世(約16−7Ma)の砂岩、泥岩です。約20−15Maに起きた「日本海拡大/日本列島移動イベント」の後、この一帯(いわゆる「北部フォッサマグナ地域」)は、深い海になったと推定されていますが(文献1−c)、その後に海底で堆積した砂や泥が、この一帯の基盤岩の一番下の層を形成しています。
その後、第四紀(約2.6Ma〜現世)になり、この「北部フォッサマグナ地域」は、圧縮応力により、褶曲と隆起活動が著しくなって、海底にて形成された上記の砂や泥でできた地質は、標高 約2000m前後まで上昇しています(文献1−c)。
火打山の山頂付近は、産総研「シームレス地質図v2」によると、安山岩質の貫入岩(深成岩)で形成されていますが、貫入時期は第四紀のチバニアン期(約78−13万年前)と、地質学的には比較的新しい時代です。
その安山岩質の貫入岩が地下から貫入したのちもこの一帯の隆起と浸食が続き、差別浸食作用によって、相対的に硬い安山岩質の貫入岩が残り、周辺の砂岩、泥岩が浸食されて、現在の火打山の山容が形成された、と考えられます(文献1−c)。
※ ”Ma”は百万年前を意味する単位
火打山は、共に火山である東の妙高山、西の焼山に挟まれていて、山名も火山をイメージする名前ですが、実際は非火山性の山です。
この「北信地域」における非火山性の山としては最も標高が高い山でもあり、この一帯の第四紀における著しい隆起活動を示していると言えます。
産総研「シームレス地質図v2」によると、この一帯の基盤的地質は、新第三紀 中新世(約16−7Ma)の砂岩、泥岩です。約20−15Maに起きた「日本海拡大/日本列島移動イベント」の後、この一帯(いわゆる「北部フォッサマグナ地域」)は、深い海になったと推定されていますが(文献1−c)、その後に海底で堆積した砂や泥が、この一帯の基盤岩の一番下の層を形成しています。
その後、第四紀(約2.6Ma〜現世)になり、この「北部フォッサマグナ地域」は、圧縮応力により、褶曲と隆起活動が著しくなって、海底にて形成された上記の砂や泥でできた地質は、標高 約2000m前後まで上昇しています(文献1−c)。
火打山の山頂付近は、産総研「シームレス地質図v2」によると、安山岩質の貫入岩(深成岩)で形成されていますが、貫入時期は第四紀のチバニアン期(約78−13万年前)と、地質学的には比較的新しい時代です。
その安山岩質の貫入岩が地下から貫入したのちもこの一帯の隆起と浸食が続き、差別浸食作用によって、相対的に硬い安山岩質の貫入岩が残り、周辺の砂岩、泥岩が浸食されて、現在の火打山の山容が形成された、と考えられます(文献1−c)。
※ ”Ma”は百万年前を意味する単位
8)雨飾山
雨飾山(あまかざりやま:1963m)は、この「北信地域」の北西部に位置し、標高は2000mにわずかに届かないものの、布団菱(ふとんびし)と呼ばれる巨大な岩壁を持つ独特の山容と、詩的な山名から、人気のある山です。百名山の一つでもあります。標高の割に良く目立つ山でもあり、北アルプスの後立山連峰からも、良く見える山です。
さてこの山も、非火山性の山ですが、前節の火打山と同様、貫入岩によって形成されています。
産総研「シームレス地質図v2」によると、雨飾山の山頂部とその周辺(標高 約1500m以上)は、第四紀のカラブリアン期(約180―78万年前)に貫入した、安山岩質の貫入岩(深成岩)で構成されています。
その周囲部は、新第三紀 中新世の砂岩、泥岩性の地質であり、第四紀のこの一帯の急速な隆起に伴う差別浸食作用によって、砂岩、泥岩が強く浸食されて、相対的に浸食に強かった貫入岩の岩体が、現在の雨飾山の山体を形成しています。
なお、雨飾山の東面、荒菅沢(あらすげさわ)奥にある大岩壁、「布団菱(ふとんびし)」は、見た目は谷川岳の一ノ倉沢の岩壁にも似ている感じです。上部ほど傾斜が厳しく、下部はスプーン状に丸い形状をしています。両側に尾根が張り出して、上から見ると半円形の形状です。また冬から早春の時期に積雪が多くなる、山の東面に位置している点も類似しています。
あくまで私見ですが、一ノ倉沢と同様、冬場には大量の積雪が頂上稜線部で東側に張り出す巨大な雪庇を作り、早春以降、その雪庇が雪崩となって落ち下り、硬い岩の層を削ってできた、雪崩型の岩壁地形ではないかと思われます。
また、谷川岳の一ノ倉沢は、氷期には雪崩涵養型の氷河があったと推定されています。なので、標高も、冬季の積雪の多さも、岩壁の形状も類似している雨飾山の布団菱岩壁にもひょっとしたら、氷期には小さい氷河があったのかも知れません。これもあくまで私の想像に過ぎませんが、、
さてこの山も、非火山性の山ですが、前節の火打山と同様、貫入岩によって形成されています。
産総研「シームレス地質図v2」によると、雨飾山の山頂部とその周辺(標高 約1500m以上)は、第四紀のカラブリアン期(約180―78万年前)に貫入した、安山岩質の貫入岩(深成岩)で構成されています。
その周囲部は、新第三紀 中新世の砂岩、泥岩性の地質であり、第四紀のこの一帯の急速な隆起に伴う差別浸食作用によって、砂岩、泥岩が強く浸食されて、相対的に浸食に強かった貫入岩の岩体が、現在の雨飾山の山体を形成しています。
なお、雨飾山の東面、荒菅沢(あらすげさわ)奥にある大岩壁、「布団菱(ふとんびし)」は、見た目は谷川岳の一ノ倉沢の岩壁にも似ている感じです。上部ほど傾斜が厳しく、下部はスプーン状に丸い形状をしています。両側に尾根が張り出して、上から見ると半円形の形状です。また冬から早春の時期に積雪が多くなる、山の東面に位置している点も類似しています。
あくまで私見ですが、一ノ倉沢と同様、冬場には大量の積雪が頂上稜線部で東側に張り出す巨大な雪庇を作り、早春以降、その雪庇が雪崩となって落ち下り、硬い岩の層を削ってできた、雪崩型の岩壁地形ではないかと思われます。
また、谷川岳の一ノ倉沢は、氷期には雪崩涵養型の氷河があったと推定されています。なので、標高も、冬季の積雪の多さも、岩壁の形状も類似している雨飾山の布団菱岩壁にもひょっとしたら、氷期には小さい氷河があったのかも知れません。これもあくまで私の想像に過ぎませんが、、
9)海谷山塊
海谷山塊(うみたにさんかい)とは、雨飾山の北側にあるいくつかのピークをまとめた呼び名です。
主なピークとしては駒ケ岳(1488m)、鬼面ヶ山(1591m)、鋸山(1631m)、千丈ヶ岳(南西壁)があり、どれも山腹部に大きな岩壁を持つことで知られています。
昭和の時代には、ロッククライミングの場所として有名でしたが、岩質が脆いためか、最近では、あまりロッククライミングはされていないようです。
さて産総研「シームレス地質図v2」によると、この海谷山塊の地質は、新第三紀 中新世末から鮮新世(約7−3Ma)の、安山岩質の火山岩類で出来ています。
海谷山塊の地質に関する詳しい文献類は見当たりませんでしたが、(文献6)によると、これらの火山岩類は、当時の海底で噴出した海底火山の噴出物とされています。
火山性噴出物としては、溶岩、凝灰岩(火山灰が固まったもの)、凝灰角礫岩(火山灰と火山弾との混合物)のようでが、いずれも強い浸食作用を受けて、岩壁、絶壁を形成しています。
主なピークとしては駒ケ岳(1488m)、鬼面ヶ山(1591m)、鋸山(1631m)、千丈ヶ岳(南西壁)があり、どれも山腹部に大きな岩壁を持つことで知られています。
昭和の時代には、ロッククライミングの場所として有名でしたが、岩質が脆いためか、最近では、あまりロッククライミングはされていないようです。
さて産総研「シームレス地質図v2」によると、この海谷山塊の地質は、新第三紀 中新世末から鮮新世(約7−3Ma)の、安山岩質の火山岩類で出来ています。
海谷山塊の地質に関する詳しい文献類は見当たりませんでしたが、(文献6)によると、これらの火山岩類は、当時の海底で噴出した海底火山の噴出物とされています。
火山性噴出物としては、溶岩、凝灰岩(火山灰が固まったもの)、凝灰角礫岩(火山灰と火山弾との混合物)のようでが、いずれも強い浸食作用を受けて、岩壁、絶壁を形成しています。
10)戸隠山
戸隠山(とがくしやま:1904m)は、この「北信地域」の中央部に位置し、奇岩が林立する岩山として良く知られています。(以下、説明のため「戸隠連山」と称します)。「北信五岳」の一つでもあります。
戸隠連山は、古くから行者の修験道の道場として知られ、麓の戸隠神社(戸隠奥社)なども、その修験道に関わりがある場所です。
また狭義の「戸隠連山」のやや裏手(南西側)にも、岩峰群があり、まとめて「西岳」とよばれています。(最高峰は狭義の「西岳」で、2053m)。
これらの山々は、標高の割には非常に険しい岩壁、岩峰群で形成されています。
産総研「シームレス地質図v2」によると、この「戸隠連山」は、前述の海谷山塊と同様に、中新世末から鮮新世(約7−3Ma)の、安山岩質の火山岩から形成されています。
実際に戸隠連山に登ってみると、単純な火山岩というより、凝灰岩、凝灰角礫岩、及び硬化した堆積岩層を交えた地質で、それらの複雑な構成によって差別浸食が起きて、現在のような岩の多い険しい山容が形成されたのではないかと思われます(文献7)
※ ”Ma”は百万年前を意味する単位
戸隠連山は、古くから行者の修験道の道場として知られ、麓の戸隠神社(戸隠奥社)なども、その修験道に関わりがある場所です。
また狭義の「戸隠連山」のやや裏手(南西側)にも、岩峰群があり、まとめて「西岳」とよばれています。(最高峰は狭義の「西岳」で、2053m)。
これらの山々は、標高の割には非常に険しい岩壁、岩峰群で形成されています。
産総研「シームレス地質図v2」によると、この「戸隠連山」は、前述の海谷山塊と同様に、中新世末から鮮新世(約7−3Ma)の、安山岩質の火山岩から形成されています。
実際に戸隠連山に登ってみると、単純な火山岩というより、凝灰岩、凝灰角礫岩、及び硬化した堆積岩層を交えた地質で、それらの複雑な構成によって差別浸食が起きて、現在のような岩の多い険しい山容が形成されたのではないかと思われます(文献7)
※ ”Ma”は百万年前を意味する単位
11)高妻山
高妻山(たかづまやま:2353m)は、戸隠連山の峰続きの山で、この一帯では最高峰です。独特の尖った山頂部を持ち、周辺の山からは良く目立つ山ですが、奥山なので、麓からはなかなかその姿を見ることはできません。百名山の一つでもあります。
高妻山のすぐ北側には乙妻山(おとづまやま:2318m)があり、遠くから眺めると兄弟峰のようにもみえます。(文献8)では、「高妻山の脇にかしづくように、つつましく控えている乙妻山」と書かれており、仲睦まじい夫婦になぞらえています。
高妻山は、戸隠山の山岳信仰の対象の一つでもあり、登山道には、「一・不動(いちふどう)」、「五・地蔵(ごじぞう)山」などの番号のようなものが付いています。山頂がゴールとして「十・阿弥陀(あみだ)」となっており、阿弥陀仏の石像が建っています。高妻山も含めた戸隠信仰については、ウイキペディア(文献7)に詳しく述べられています。
さて高妻山の地質は、産総研「シームレス地質図v2」によると、火打山、雨飾山と同様に、火成岩質(デイサイト質)の貫入岩(深成岩)で形成されています。貫入時期は第四紀のチバニアン期(約78―12万年前)と比較的最近です。
貫入岩の領域は山頂の尖峰部のみで、それ以外の山腹部(特に南側、西側、北側)は、第四紀中期(ジュラシアン期〜チバニアン期:約260−12万年前)の汽水性の堆積岩層(砂岩、泥岩など)が広がっています。
高妻山のすぐ北側には乙妻山(おとづまやま:2318m)があり、遠くから眺めると兄弟峰のようにもみえます。(文献8)では、「高妻山の脇にかしづくように、つつましく控えている乙妻山」と書かれており、仲睦まじい夫婦になぞらえています。
高妻山は、戸隠山の山岳信仰の対象の一つでもあり、登山道には、「一・不動(いちふどう)」、「五・地蔵(ごじぞう)山」などの番号のようなものが付いています。山頂がゴールとして「十・阿弥陀(あみだ)」となっており、阿弥陀仏の石像が建っています。高妻山も含めた戸隠信仰については、ウイキペディア(文献7)に詳しく述べられています。
さて高妻山の地質は、産総研「シームレス地質図v2」によると、火打山、雨飾山と同様に、火成岩質(デイサイト質)の貫入岩(深成岩)で形成されています。貫入時期は第四紀のチバニアン期(約78―12万年前)と比較的最近です。
貫入岩の領域は山頂の尖峰部のみで、それ以外の山腹部(特に南側、西側、北側)は、第四紀中期(ジュラシアン期〜チバニアン期:約260−12万年前)の汽水性の堆積岩層(砂岩、泥岩など)が広がっています。
12)「北信地域」の地史 概要
さて、ここまで、「北部フォッサマグナ地域」の一部である「北信地域」の火山性の山々、及び非火山性の山々について、説明してきました。
この(12)節では、「北信地域」の地殻変動の歴史を、(文献1−b)、(文献1−c)を元に、簡単にまとめます。
この一帯は 新第三紀 中新世後期(約10−6Ma)、鮮新世(約6−2.6Ma)、および第四紀(約2.6Ma〜現世)の初頭の長い期間、海中にあって、泥岩、砂岩などによる堆積層が形成されました。
第四紀にはそれら堆積岩層の下からマグマが上昇して貫入岩となり、後の火打山、雨飾山、高妻山の山頂を構成している深成岩が形成されました。
おそらく第四紀になってから、「北信地域」を含む、いわゆる「北部フォッサマグナ地域」は大きな変動地帯となりました。その中で「北信地域」は隆起傾向が著しくなり、高妻山や火打山のような、標高が2300〜2400m台の非火山性の山々が形成されたものと推定されています。
また第四紀の中期以降は火山活動も活発となり、この章の前半で説明した第四紀火山が形成されましたが、それらの多くは、上記の、隆起した基盤岩(基盤地質)の上に乗っかているような形で形成されています。
第四紀変動帯としての「北部フォッサマグナ」地域に関しては、様々な研究が行われており、地質学、地球科学的には非常に興味深い地域です。ただ、この、「日本の山々の地質」連載の趣旨から少し外れますので、詳細は省きます。ご興味のある方は、(文献1−c)、(文献3−b)や各種ネット情報をご覧ください。
この(12)節では、「北信地域」の地殻変動の歴史を、(文献1−b)、(文献1−c)を元に、簡単にまとめます。
この一帯は 新第三紀 中新世後期(約10−6Ma)、鮮新世(約6−2.6Ma)、および第四紀(約2.6Ma〜現世)の初頭の長い期間、海中にあって、泥岩、砂岩などによる堆積層が形成されました。
第四紀にはそれら堆積岩層の下からマグマが上昇して貫入岩となり、後の火打山、雨飾山、高妻山の山頂を構成している深成岩が形成されました。
おそらく第四紀になってから、「北信地域」を含む、いわゆる「北部フォッサマグナ地域」は大きな変動地帯となりました。その中で「北信地域」は隆起傾向が著しくなり、高妻山や火打山のような、標高が2300〜2400m台の非火山性の山々が形成されたものと推定されています。
また第四紀の中期以降は火山活動も活発となり、この章の前半で説明した第四紀火山が形成されましたが、それらの多くは、上記の、隆起した基盤岩(基盤地質)の上に乗っかているような形で形成されています。
第四紀変動帯としての「北部フォッサマグナ」地域に関しては、様々な研究が行われており、地質学、地球科学的には非常に興味深い地域です。ただ、この、「日本の山々の地質」連載の趣旨から少し外れますので、詳細は省きます。ご興味のある方は、(文献1−c)、(文献3−b)や各種ネット情報をご覧ください。
(参考文献)
文献1)町田、松田、海津、小泉 編
「日本の地形 第5巻 中部」 東京大学出版会 刊 (2006)
文献1−a)
文献1)のうち、3−5―(1)節 「妙高火山群」の各火山の項、
および、同節の、図3.5.1「妙高火山群の活動年代」
文献1−b)
文献1)の、第3部「北部フォッサマグナ地域」のうち、
3−5―(3)節 「激しく隆起する西頸城山地」の項
文献1−c)
文献1)の、第3部「北部フォッサマグナ地域」のうち、
「概説」の部、など
文献2)気象庁ホームページのうち、「日本活火山総覧(第4版) Web掲載版」
の各項
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/menu_jma_hp.html
文献2−a)
「No. 48 妙高山」の項
文献2−b)
「No.47 焼山」の項
2021年11月 閲覧
文献3)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第4巻 中部地方」朝倉書店 刊 (2006)
文献3−a)
文献3)のうち、第20部「(中部地方の)火山活動」の、
20−2章 「焼山火山」の項
文献3−b)
文献8)のうち、第13部「北部フォッサマグナ、飛騨山脈」の、
13ー1章 「概説」の項
文献4) ウイキペディア 「飯綱山」の項
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E7%B8%84%E5%B1%B1
2021年11月 閲覧
文献5) インターネットサイト情報
「日本の神様辞典」のうち、「飯縄権現」の項
飯綱権現-民間信仰 | 日本の神様辞典 (yaoyoro.net)
2021年11月 閲覧
文献6)「糸魚川 世界ジオパーク」ホームページのうち、
海谷山塊に関する各説明の項
https://geo-itoigawa.com/igp/about/24geosite/geosite18/
2021年11月 閲覧
文献7)ウイキペディア 「戸隠山」の項
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E9%9A%A0%E5%B1%B1#:~:text=%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%80%82-,%E5%9C%B0%E5%AD%A6,%E5%8C%96%E7%9F%B3%E3%81%8C%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82
2021年11月 閲覧
文献8)深田 著
「日本百名山」 新潮社 刊 (新潮文庫版) (1983)
のうち、「高妻山」の項
「日本の地形 第5巻 中部」 東京大学出版会 刊 (2006)
文献1−a)
文献1)のうち、3−5―(1)節 「妙高火山群」の各火山の項、
および、同節の、図3.5.1「妙高火山群の活動年代」
文献1−b)
文献1)の、第3部「北部フォッサマグナ地域」のうち、
3−5―(3)節 「激しく隆起する西頸城山地」の項
文献1−c)
文献1)の、第3部「北部フォッサマグナ地域」のうち、
「概説」の部、など
文献2)気象庁ホームページのうち、「日本活火山総覧(第4版) Web掲載版」
の各項
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/menu_jma_hp.html
文献2−a)
「No. 48 妙高山」の項
文献2−b)
「No.47 焼山」の項
2021年11月 閲覧
文献3)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第4巻 中部地方」朝倉書店 刊 (2006)
文献3−a)
文献3)のうち、第20部「(中部地方の)火山活動」の、
20−2章 「焼山火山」の項
文献3−b)
文献8)のうち、第13部「北部フォッサマグナ、飛騨山脈」の、
13ー1章 「概説」の項
文献4) ウイキペディア 「飯綱山」の項
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E7%B8%84%E5%B1%B1
2021年11月 閲覧
文献5) インターネットサイト情報
「日本の神様辞典」のうち、「飯縄権現」の項
飯綱権現-民間信仰 | 日本の神様辞典 (yaoyoro.net)
2021年11月 閲覧
文献6)「糸魚川 世界ジオパーク」ホームページのうち、
海谷山塊に関する各説明の項
https://geo-itoigawa.com/igp/about/24geosite/geosite18/
2021年11月 閲覧
文献7)ウイキペディア 「戸隠山」の項
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E9%9A%A0%E5%B1%B1#:~:text=%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%80%82-,%E5%9C%B0%E5%AD%A6,%E5%8C%96%E7%9F%B3%E3%81%8C%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82
2021年11月 閲覧
文献8)深田 著
「日本百名山」 新潮社 刊 (新潮文庫版) (1983)
のうち、「高妻山」の項
この第9−1章には、第9部各章へのリンクがあります。他の章をご覧になりたいときに、ご利用ください。
【書記事項】
初版リリース;2021年11月13日
△改訂1;内容見直し、字句修正、書記事項追加(2021年12月25日)
△最新改訂年月日;2021年12月25日
△改訂1;内容見直し、字句修正、書記事項追加(2021年12月25日)
△最新改訂年月日;2021年12月25日
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