< アクセス >
【北陸道から】=「上越IC」で下りる。国道18号線に入ってすぐ、上越市役所方面に下りる。交差点「三田」で左折、「謙信公大通り」を進み、突き当たりのT字路で左折、次の信号の交差点「春日山町」で右折。後は、埋蔵文化財センターの前を通過して、春日山神社下駐車場に行き着く。
【上信越道から】=「上越高田IC」で下りる。県道63号線を北上、交差点「春日山城入口」で左折。少し進むと、交差点「春日山町」で、後は、ピンクのラインと同じ。
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< アクセス >
【北陸道から】=「上越IC」で下りる。国道18号線に入ってすぐ、上越市役所方面に下りる。交差点「三田」で左折、「謙信公大通り」を進み、突き当たりのT字路で左折、次の信号の交差点「春日山町」で右折。後は、埋蔵文化財センターの前を通過して、春日山神社下駐車場に行き着く。
【上信越道から】=「上越高田IC」で下りる。県道63号線を北上、交差点「春日山城入口」で左折。少し進むと、交差点「春日山町」で、後は、ピンクのラインと同じ。
< 駅から登山「春日山城」編 >
)摸新幹線「上越妙高駅」→えちごトキめき鉄道[妙高はねうまライン]に乗換え
¬高はねうまライン「春日山駅」で下車
「春日山駅」より徒歩40分(春日山神社・謙信公像まで)
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< 駅から登山「春日山城」編 >
)摸新幹線「上越妙高駅」→えちごトキめき鉄道[妙高はねうまライン]に乗換え
¬高はねうまライン「春日山駅」で下車
「春日山駅」より徒歩40分(春日山神社・謙信公像まで)
< 今回の山行のマップ >
春日山駅から時計回りに周回しました。一周が約13km、所要時間4時間50分でした。
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< 今回の山行のマップ >
春日山駅から時計回りに周回しました。一周が約13km、所要時間4時間50分でした。
< 10月12日の山行 >
2週前にも登山(登城)しています。マイカー利用で北陸道を「上越IC」で降り『春日山城跡ものがたり館』に駐車しました。この時は、反時計回りの周回で大手道も通行しましたが、復元された古道部分は通行しませんでした。今回(10月26日)は、電車利用で「春日山駅」で降り、大手道(復元部分を通行)から入り時計回りに周回します。
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< 10月12日の山行 >
2週前にも登山(登城)しています。マイカー利用で北陸道を「上越IC」で降り『春日山城跡ものがたり館』に駐車しました。この時は、反時計回りの周回で大手道も通行しましたが、復元された古道部分は通行しませんでした。今回(10月26日)は、電車利用で「春日山駅」で降り、大手道(復元部分を通行)から入り時計回りに周回します。
< 春日山城案内図 >
2016年夏に土砂崩れあり、二の丸の手前(北側)の斜面が崩落しました。現在も工事中です。二の丸/三の丸方面に行けなくなっています。次のスライドですが、春日山神社下駐車場から、反時計回りに城内を一周したとして、見所をかき並べてみました。
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10/12 11:23
< 春日山城案内図 >
2016年夏に土砂崩れあり、二の丸の手前(北側)の斜面が崩落しました。現在も工事中です。二の丸/三の丸方面に行けなくなっています。次のスライドですが、春日山神社下駐車場から、反時計回りに城内を一周したとして、見所をかき並べてみました。
< 城内一周 >
―嫺山神社下駐車場、⊇嫺山神社、千貫門、じ弩、ツ捷床杏漾↓Δ花畑、毘沙門堂、┻抃峠蝓↓本丸、天守台、大井戸、鐘楼、上杉景勝屋敷、柿崎屋敷、南三の丸、鞍崕蝓↓餌膽蠧仔口、恩信公銅像、概念館(春日山神社)
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10/12 11:23
< 城内一周 >
―嫺山神社下駐車場、⊇嫺山神社、千貫門、じ弩、ツ捷床杏漾↓Δ花畑、毘沙門堂、┻抃峠蝓↓本丸、天守台、大井戸、鐘楼、上杉景勝屋敷、柿崎屋敷、南三の丸、鞍崕蝓↓餌膽蠧仔口、恩信公銅像、概念館(春日山神社)
< 城郭の配置図(推定) >
各所に標示されている案内図はすべて模式図でした。地図を見ながら歩く感覚が欲しかったので、自分で地理院地図に、城郭の配置を入れてみました。ただし、測量したわけではないので、自分の勘 を頼りにして描きました。
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< 城郭の配置図(推定) >
各所に標示されている案内図はすべて模式図でした。地図を見ながら歩く感覚が欲しかったので、自分で地理院地図に、城郭の配置を入れてみました。ただし、測量したわけではないので、自分の勘 を頼りにして描きました。
< JR七尾線「七尾駅」 >
〜の駅前です。07時07分の電車に乗ります。向かい側に、パトリア(商業施設)とミナクル(公営複合型商業施設)があり、双方が連絡橋(跨道橋)で結ばれています。実は、前日、向かいの跨道橋から駅を撮影しています。
2017年10月26日 06:54撮影
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10/26 6:54
< JR七尾線「七尾駅」 >
〜の駅前です。07時07分の電車に乗ります。向かい側に、パトリア(商業施設)とミナクル(公営複合型商業施設)があり、双方が連絡橋(跨道橋)で結ばれています。実は、前日、向かいの跨道橋から駅を撮影しています。
< 跨道橋から「七尾駅」 >
〜を見下ろしました。左後方には、七尾城址のある七尾城山が見えています。戦国時代、上杉謙信がここ能登国「七尾」に攻め入ってきました。天正4年と天正5年(1577年)の2度にわたる「七尾城の戦い」の結果、難攻不落と言われていた山岳城の『七尾城』が陥落しました。
(※:2017年10月25日の撮影 )
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10/25 12:11
< 跨道橋から「七尾駅」 >
〜を見下ろしました。左後方には、七尾城址のある七尾城山が見えています。戦国時代、上杉謙信がここ能登国「七尾」に攻め入ってきました。天正4年と天正5年(1577年)の2度にわたる「七尾城の戦い」の結果、難攻不落と言われていた山岳城の『七尾城』が陥落しました。
(※:2017年10月25日の撮影 )
< 能登かがり火2号 >
〜に乗車します。七尾からしてみると仇敵である上杉謙信が居城「春日山城」に向け出陣します。七尾07時07分発−金沢08時06分着です。今回の列車の行程は〜七尾−[七尾線]−金沢−[北陸新幹線]−上越妙高−[妙高はねうまライン]−春日山〜です。「春日山駅」に到着するのは、10時30分になります。
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10/26 7:07
< 能登かがり火2号 >
〜に乗車します。七尾からしてみると仇敵である上杉謙信が居城「春日山城」に向け出陣します。七尾07時07分発−金沢08時06分着です。今回の列車の行程は〜七尾−[七尾線]−金沢−[北陸新幹線]−上越妙高−[妙高はねうまライン]−春日山〜です。「春日山駅」に到着するのは、10時30分になります。
< 七尾駅を出て >
〜2分です。「七尾城山(七尾城址)」の正面側を軍馬(能登かがり火2号)が通行します。『本日は晴天なり・・』ですが、窓ガラスに水滴が付いています、夜半に雨が降っていたようです。
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10/26 7:09
< 七尾駅を出て >
〜2分です。「七尾城山(七尾城址)」の正面側を軍馬(能登かがり火2号)が通行します。『本日は晴天なり・・』ですが、窓ガラスに水滴が付いています、夜半に雨が降っていたようです。
< 金沢駅 >
〜に到着ですが、いったん駅前に出ました。兼六園口から、金沢駅に入りなおします。正門は『鼓門』です。伝統芸能「加賀宝生」の鼓をイメージした惣門です。私は以前、金沢駅からの演習(駅からハイキング)を2度、敢行(観光)しています。
● 特別名勝『兼六園』回遊・『金沢城公園』遊歩〜金沢駅からハイキング〜
https://yamare.co/1009137
● 金沢駅から始める『野田山と山科・高尾地区散策』〜駅から登山〜
https://yamare.co/845650
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10/26 8:11
< もてなしドーム >
ガラス(3,019枚)のドームです。この度、2017年10月29日、「金沢マラソン2017」が開催されます。2015年3月、北陸新幹線が金沢まで延伸してからの金沢城下は一層、賑わっています。マラソンの当日は、並々ならぬ賑わい(混雑)となるでしょう。
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10/26 8:11
< もてなしドーム >
ガラス(3,019枚)のドームです。この度、2017年10月29日、「金沢マラソン2017」が開催されます。2015年3月、北陸新幹線が金沢まで延伸してからの金沢城下は一層、賑わっています。マラソンの当日は、並々ならぬ賑わい(混雑)となるでしょう。
< ドームの中 >
〜です。内門(金沢駅兼六園口)から惣門(鼓門)を見ていることになります。これから行く「上越妙高駅」にも『もてなしドーム』があります。さて、向うではどんなもてなしが受けれるのでしょうか。
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10/26 8:12
< ドームの中 >
〜です。内門(金沢駅兼六園口)から惣門(鼓門)を見ていることになります。これから行く「上越妙高駅」にも『もてなしドーム』があります。さて、向うではどんなもてなしが受けれるのでしょうか。
< 金沢駅新幹線のりば >
「はくたか556号」金沢08時23分発−上越妙高駅09時26分着です。
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10/26 8:16
< 金沢駅新幹線のりば >
「はくたか556号」金沢08時23分発−上越妙高駅09時26分着です。
< 富山−新潟の県境 >
〜の近くでの車窓です。数十秒後に「朝日トンネル(7,549m)」に入ります。朝日トンネルを抜けると、新潟県ですが、すぐさま「新親不知トンネル(7,334m)」−「青海トンネル(4,300m)」と続きます。いずれも長いトンネルですが、新幹線は1分間に1km以上進みますので、あっという間に、糸魚川市から上越市側に出てしまいます。
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10/26 9:03
< 富山−新潟の県境 >
〜の近くでの車窓です。数十秒後に「朝日トンネル(7,549m)」に入ります。朝日トンネルを抜けると、新潟県ですが、すぐさま「新親不知トンネル(7,334m)」−「青海トンネル(4,300m)」と続きます。いずれも長いトンネルですが、新幹線は1分間に1km以上進みますので、あっという間に、糸魚川市から上越市側に出てしまいます。
< 姫川橋 >
姫川に架かる「姫川橋」です。運よくシャッターが間に合いました。
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10/26 9:10
< 姫川橋 >
姫川に架かる「姫川橋」です。運よくシャッターが間に合いました。
< 姫川港 >
港の防波堤が見えます。褐色の建物は介護保険施設のようです。あと1km先の「糸魚川駅」まで1分足らずで到着します。
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10/26 9:11
< 姫川港 >
港の防波堤が見えます。褐色の建物は介護保険施設のようです。あと1km先の「糸魚川駅」まで1分足らずで到着します。
< 新幹線の「糸魚川駅」 >
〜に着きました。どの駅にも短時間しか止まりません。ここ「糸魚川駅」では、北陸新幹線、えちごトキめき鉄道[日本海ひすいライン]、JR西日本[大糸線]〜の3駅が同居しています。
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10/26 9:12
< 新幹線の「糸魚川駅」 >
〜に着きました。どの駅にも短時間しか止まりません。ここ「糸魚川駅」では、北陸新幹線、えちごトキめき鉄道[日本海ひすいライン]、JR西日本[大糸線]〜の3駅が同居しています。
< 上越妙高駅のホーム >
〜に降り立ち、「はくたか556号」見送りおました。
2017年10月26日 09:27撮影
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10/26 9:27
< 上越妙高駅のホーム >
〜に降り立ち、「はくたか556号」見送りおました。
< 新幹線の改札口を出ました >
上越妙高駅はいわゆる[橋上駅]の構造です。東口と西口を結ぶ通路(跨道橋のような構造)は、旧駅名にちなんで『脇野田通り』と呼ばれています。正面は『SAKURAプラザ』という情報発信施設です。
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10/26 9:29
< 新幹線の改札口を出ました >
上越妙高駅はいわゆる[橋上駅]の構造です。東口と西口を結ぶ通路(跨道橋のような構造)は、旧駅名にちなんで『脇野田通り』と呼ばれています。正面は『SAKURAプラザ』という情報発信施設です。
< 脇野田通りを東口に >
〜進みました。東口がドームになっています。ちなみに、金沢駅のもてなしドームも東口(兼六園口)側にあります。
2017年10月26日 09:30撮影
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10/26 9:30
< 脇野田通りを東口に >
〜進みました。東口がドームになっています。ちなみに、金沢駅のもてなしドームも東口(兼六園口)側にあります。
< 越五の国「もてなしドーム」 >
木の香りのするドームです。「越五の国」とは、新潟県の上越、妙高、柏崎、十日町、佐渡の5つの市のことを指しています。越後の五市が合力して、地域の魅力をアピールしています。
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10/26 9:31
< 越五の国「もてなしドーム」 >
木の香りのするドームです。「越五の国」とは、新潟県の上越、妙高、柏崎、十日町、佐渡の5つの市のことを指しています。越後の五市が合力して、地域の魅力をアピールしています。
< ドームから東口に出ます >
下にいらっしゃいます『上杉謙信』公に挨拶してきます。南側には「鍋倉山(1289m)」があり、その東に延びる山稜の端に「菱ヶ岳(1129m)」があります。「菱ヶ岳〜鍋倉山」は新潟県上越市と長野県飯山市との県境付近に連山しています。『関田山脈』の北部の峰々になります。
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10/26 9:32
< ドームから東口に出ます >
下にいらっしゃいます『上杉謙信』公に挨拶してきます。南側には「鍋倉山(1289m)」があり、その東に延びる山稜の端に「菱ヶ岳(1129m)」があります。「菱ヶ岳〜鍋倉山」は新潟県上越市と長野県飯山市との県境付近に連山しています。『関田山脈』の北部の峰々になります。
< 『上杉謙信』公像 >
若かりし頃のお姿なのか、結構な美男子です。
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10/26 9:34
< 『上杉謙信』公像 >
若かりし頃のお姿なのか、結構な美男子です。
< 後ろから失礼します >
駅舎に戻り、今度は西口に出てみます。[妙高はねうまライン]の乗車時間までまだ45分ほどあります。
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10/26 9:34
< 後ろから失礼します >
駅舎に戻り、今度は西口に出てみます。[妙高はねうまライン]の乗車時間までまだ45分ほどあります。
< 脇野田通りを西口に >
〜進みます。西口側はドームではなく「展望テラス」になっています。
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10/26 9:39
< 脇野田通りを西口に >
〜進みます。西口側はドームではなく「展望テラス」になっています。
< 通称「なんば山(南葉山)」 >
〜が正面を占めています。左後方に、「妙高」−「黒姫」と続いています。右手前に広がる広場は「釜蓋遺跡公園」です。ちょっとだけ「釜蓋遺跡」を見てきます。
2017年10月26日 09:42撮影
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10/26 9:42
< 通称「なんば山(南葉山)」 >
〜が正面を占めています。左後方に、「妙高」−「黒姫」と続いています。右手前に広がる広場は「釜蓋遺跡公園」です。ちょっとだけ「釜蓋遺跡」を見てきます。
< 飯縄山−黒姫山−妙高山 >
〜をズーム。妙高山から山稜を右手にたどれば、「火打山」があるのですが、「なんば山」の後ろに隠れています。
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10/26 9:42
< 飯縄山−黒姫山−妙高山 >
〜をズーム。妙高山から山稜を右手にたどれば、「火打山」があるのですが、「なんば山」の後ろに隠れています。
< ピークを同定しました >
飯縄山+霊仙寺山〜黒姫山+小黒姫〜妙高山+外輪山(前山・赤倉山・三田原山・大倉山・神奈山)。さて、あまり時間はありませんが遺跡公園に向かいます。
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10/26 9:42
< ピークを同定しました >
飯縄山+霊仙寺山〜黒姫山+小黒姫〜妙高山+外輪山(前山・赤倉山・三田原山・大倉山・神奈山)。さて、あまり時間はありませんが遺跡公園に向かいます。
< 釜蓋遺跡ガイダンス >
近年は「案内所」のことを「ガイダンスセンター」と呼ぶのでしょうか?こちらでのガイダンスは、単なる案内所ではなく、出土品の展示やイベントの催しなどされているみたいです。今回は時間の制約で拝見はしませんでした。
2017年10月26日 09:47撮影
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10/26 9:47
< 釜蓋遺跡ガイダンス >
近年は「案内所」のことを「ガイダンスセンター」と呼ぶのでしょうか?こちらでのガイダンスは、単なる案内所ではなく、出土品の展示やイベントの催しなどされているみたいです。今回は時間の制約で拝見はしませんでした。
< 釜蓋(かまぶた)遺跡公園 >
東屋のある所で、眺望を楽しんできます。
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10/26 9:48
< 釜蓋(かまぶた)遺跡公園 >
東屋のある所で、眺望を楽しんできます。
< 釜蓋遺跡 >
〜は、『斐太(ひだ)遺跡群』=吹上遺跡+斐太遺跡+釜蓋遺跡〜の一つとされています。
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10/26 9:51
< 釜蓋遺跡 >
〜は、『斐太(ひだ)遺跡群』=吹上遺跡+斐太遺跡+釜蓋遺跡〜の一つとされています。
< 南葉山(なんばやま) >
〜と呼びれている連山です。北から〜青田難波山、猿掛南葉山、籠町南葉山、五日市南葉山、猪野山南葉山〜と連なっています。
2017年10月26日 09:51撮影
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10/26 9:51
< 南葉山(なんばやま) >
〜と呼びれている連山です。北から〜青田難波山、猿掛南葉山、籠町南葉山、五日市南葉山、猪野山南葉山〜と連なっています。
< 上越妙高駅(西口) >
〜に戻りました。
2017年10月26日 09:52撮影
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10/26 9:52
< 上越妙高駅(西口) >
〜に戻りました。
< えちごトキめき鉄道 >
〜の上越妙高駅ホームに下りました(橋上駅なのでホームは下にあります)。
2017年10月26日 10:03撮影
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10/26 10:03
< えちごトキめき鉄道 >
〜の上越妙高駅ホームに下りました(橋上駅なのでホームは下にあります)。
< 直江津の方向 >
〜を振り向きました。この先は、南高田−高田−春日山−直江津(終点)〜です。
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10/26 10:16
< 直江津の方向 >
〜を振り向きました。この先は、南高田−高田−春日山−直江津(終点)〜です。
< 迎えがやってきました >
10時18分発直江津行きです。目的地の「春日山駅」までの乗車時間は12分です。ちなみに、私が乗るこの軍馬(電気で走る馬)は、[E127系の直流電車]です。
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10/26 10:17
< 迎えがやってきました >
10時18分発直江津行きです。目的地の「春日山駅」までの乗車時間は12分です。ちなみに、私が乗るこの軍馬(電気で走る馬)は、[E127系の直流電車]です。
< 上越妙高駅を出て700m >
〜の地点で、北方向を撮影しました。駅を出て300mほどで新幹線の高架をくぐりましたので、右手にあった新幹線が左手に入れ替わっています。約7.4km先にある「春日山」が小さく見えました。
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10/26 10:20
< 上越妙高駅を出て700m >
〜の地点で、北方向を撮影しました。駅を出て300mほどで新幹線の高架をくぐりましたので、右手にあった新幹線が左手に入れ替わっています。約7.4km先にある「春日山」が小さく見えました。
< 春日山駅の1.4km手前 >
〜で撮影しました。春日山の城郭跡の部分が禿山になっています。左手の建物が「上越教育大学」、手前にある建物が「JAえちご上越農業倉庫」です。
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10/26 10:31
< 春日山駅の1.4km手前 >
〜で撮影しました。春日山の城郭跡の部分が禿山になっています。左手の建物が「上越教育大学」、手前にある建物が「JAえちご上越農業倉庫」です。
< 春日山駅ホーム >
〜に到着しました。ホームの右隣(東側)に上越市役所があるのですが、この駅には西口だけで、東側には出入り口がありません。乗ってきた軍馬(電車)を見送り、ここからは徒(かち)にて進軍します。
2017年10月26日 10:33撮影
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10/26 10:33
< 春日山駅ホーム >
〜に到着しました。ホームの右隣(東側)に上越市役所があるのですが、この駅には西口だけで、東側には出入り口がありません。乗ってきた軍馬(電車)を見送り、ここからは徒(かち)にて進軍します。
< 春日山城のご案内 >
早速、駅を出ると目の前に大きな案内板ありました。春日山城の本丸に攻め入ります。大手道から入城し、時計回りに進軍します。
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10/26 10:34
< 春日山城のご案内 >
早速、駅を出ると目の前に大きな案内板ありました。春日山城の本丸に攻め入ります。大手道から入城し、時計回りに進軍します。
< 上越市春日謙信交流館 >
観光客の休憩所にもなっていますが、たぶん、地域の催事(イベント)に使われる施設みたいです。
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10/26 10:35
< 上越市春日謙信交流館 >
観光客の休憩所にもなっていますが、たぶん、地域の催事(イベント)に使われる施設みたいです。
< 春日山駅 >
〜を振り返りました。「上越市ガス水道局」の後方に「上越市役所」が見えています。
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10/26 10:36
< 春日山駅 >
〜を振り返りました。「上越市ガス水道局」の後方に「上越市役所」が見えています。
< 春日山駅を出て >
〜200mです。[春日山駅−春日山城跡]間の直線距離は約2.5kmです。先ずは「謙信公大通り(県道43号線)」を1kmほど西に進みます。
2017年10月26日 10:38撮影
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10/26 10:38
< 春日山駅を出て >
〜200mです。[春日山駅−春日山城跡]間の直線距離は約2.5kmです。先ずは「謙信公大通り(県道43号線)」を1kmほど西に進みます。
< 交差点「春日山」 >
この交差点の南東側角に『謙信公広場』があります。この交差点の1つ手前が「春日山3」交差点でした。春日山の名の付く交差点はあと2つあります。「春日山城入口」と「春日山町」交差点です。
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10/26 10:42
< 交差点「春日山」 >
この交差点の南東側角に『謙信公広場』があります。この交差点の1つ手前が「春日山3」交差点でした。春日山の名の付く交差点はあと2つあります。「春日山城入口」と「春日山町」交差点です。
< 謙信公広場 >
交差点角の一角が石垣で囲われています。ベンチ、ステージ、トイレなどの組み合わせです。
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10/26 10:42
< 謙信公広場 >
交差点角の一角が石垣で囲われています。ベンチ、ステージ、トイレなどの組み合わせです。
< 春日小学校 >
〜の裏(南側)を通過します。ちょうど、低学年のマラソン大会が行われていました。途中に出会った高学年の生徒たちは、課外授業で町の歴史探訪をしているみたいでした。
2017年10月26日 10:44撮影
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10/26 10:44
< 春日小学校 >
〜の裏(南側)を通過します。ちょうど、低学年のマラソン大会が行われていました。途中に出会った高学年の生徒たちは、課外授業で町の歴史探訪をしているみたいでした。
< 上越市大豆 (だいず)1のT字路 >
ここで左折します。上越ICの北側にある「三田(さんだ)交差点」からこのT字路までの約3.4kmが『謙信公大通り』です。
2017年10月26日 10:49撮影
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10/26 10:49
< 上越市大豆 (だいず)1のT字路 >
ここで左折します。上越ICの北側にある「三田(さんだ)交差点」からこのT字路までの約3.4kmが『謙信公大通り』です。
< 交差点「春日山町」 >
「大豆1丁目」から「春日山1丁目」に来ました。途中、お寺さまが二寺並んでいました(照行寺と勝念寺)。
2017年10月26日 10:56撮影
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10/26 10:56
< 交差点「春日山町」 >
「大豆1丁目」から「春日山1丁目」に来ました。途中、お寺さまが二寺並んでいました(照行寺と勝念寺)。
< 上越市埋蔵文化財センター >
〜に到着。このセンターは、交差点「春日山町」から西に200mほど進んだ所にあります。
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10/26 10:59
< 上越市埋蔵文化財センター >
〜に到着。このセンターは、交差点「春日山町」から西に200mほど進んだ所にあります。
< 春日山城案内図 >
駐車場に掲示されていたものです。綺麗な案内図です。本丸付近の裏側面が描かれていて判りやすくなっています。
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10/26 10:59
< 春日山城案内図 >
駐車場に掲示されていたものです。綺麗な案内図です。本丸付近の裏側面が描かれていて判りやすくなっています。
< 勉強させていただき >
〜ありがとうございました(入館無料)。
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10/26 10:59
< 勉強させていただき >
〜ありがとうございました(入館無料)。
< 春日山城のジオラマ >
〜を見て、これからの行軍をイメージしました。南側から本丸に攻め登った後、東側の春日山神社に下ります。さらに愛宕谷にまで下り、北東方向に進み、林泉寺−春日神社−春日山城跡ものがたり館〜へと進軍します。
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10/26 11:03
< 春日山城のジオラマ >
〜を見て、これからの行軍をイメージしました。南側から本丸に攻め登った後、東側の春日山神社に下ります。さらに愛宕谷にまで下り、北東方向に進み、林泉寺−春日神社−春日山城跡ものがたり館〜へと進軍します。
< 「春日山」と『謙信公』 >
後方に春日山城跡が見えています。それでは、上越市埋蔵文化財センターをあとにします。ここから200m先にある大手道入口から登城を始めます。
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10/26 11:15
< 「春日山」と『謙信公』 >
後方に春日山城跡が見えています。それでは、上越市埋蔵文化財センターをあとにします。ここから200m先にある大手道入口から登城を始めます。
< 大手道入口 >
〜が見えてきました。大手道に入る前に、入口の約100m西側にある「大手道駐車場」に立ち寄ります。
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10/26 11:17
< 大手道入口 >
〜が見えてきました。大手道に入る前に、入口の約100m西側にある「大手道駐車場」に立ち寄ります。
< 大手道駐車場 >
ここから50mほど先に「春日山旅館」さまがあります。また、春日山神社下駐車場までは600mほどです。では、『御前清水』をいただきます。
2017年10月26日 11:18撮影
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10/26 11:18
< 大手道駐車場 >
ここから50mほど先に「春日山旅館」さまがあります。また、春日山神社下駐車場までは600mほどです。では、『御前清水』をいただきます。
< 御前清水 >
謙信公も出陣の折には頂いたという清水です。龍口の前で二口飲んでからナルゲンボトルに給水しました。正面から拝見しますと、怖いような面白そうなお顔の龍です。寅年生まれの謙信公は、『越後の虎』とも『越後の龍』とも言われましたが、ご本人様は虎より龍のほうが好きだったのかも?
2017年10月26日 11:21撮影
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10/26 11:21
< 御前清水 >
謙信公も出陣の折には頂いたという清水です。龍口の前で二口飲んでからナルゲンボトルに給水しました。正面から拝見しますと、怖いような面白そうなお顔の龍です。寅年生まれの謙信公は、『越後の虎』とも『越後の龍』とも言われましたが、ご本人様は虎より龍のほうが好きだったのかも?
< 大手道入口 >
「龍の口」を堪能してから、「大手道の口」に入りました。
2017年10月26日 11:25撮影
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10/26 11:25
< 大手道入口 >
「龍の口」を堪能してから、「大手道の口」に入りました。
< この入口から「番所」 >
〜までは緩やかな坂道が600mほど続きます。また、南三の丸までは約1.3kmです。ここから200mほど先に見える堤は「大手池」と呼ばれる用水池の物です。
2017年10月26日 11:27撮影
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10/26 11:27
< この入口から「番所」 >
〜までは緩やかな坂道が600mほど続きます。また、南三の丸までは約1.3kmです。ここから200mほど先に見える堤は「大手池」と呼ばれる用水池の物です。
< 復元された古道 >
〜の入口があります。左手の林道に少し入ると用水池がありますので、見てきました。
2017年10月26日 11:28撮影
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10/26 11:28
< 復元された古道 >
〜の入口があります。左手の林道に少し入ると用水池がありますので、見てきました。
< 大手池(用水池) >
『大手道公園』として整備中のようです。2週間前にもここに立ち寄りましたが、その時は、この池は水をたたえていて、鴨がたくさんいました。なにかの理由で放水されたみたいです。
2017年10月26日 11:30撮影
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10/26 11:30
< 大手池(用水池) >
『大手道公園』として整備中のようです。2週間前にもここに立ち寄りましたが、その時は、この池は水をたたえていて、鴨がたくさんいました。なにかの理由で放水されたみたいです。
< 大手道(復元された古道) >
〜を250mほど進みました。林道と合流します。この先を進み「番所阯」を過ぎると、再び「復元された古道」が分岐しています。
2017年10月26日 11:36撮影
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10/26 11:36
< 大手道(復元された古道) >
〜を250mほど進みました。林道と合流します。この先を進み「番所阯」を過ぎると、再び「復元された古道」が分岐しています。
< 通ってきた古道 >
〜を振り返りました。20m先に左に曲がる道がありますが、直進します。少し右にカーブした先に「番所阯」があります。
2017年10月26日 11:35撮影
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10/26 11:35
< 通ってきた古道 >
〜を振り返りました。20m先に左に曲がる道がありますが、直進します。少し右にカーブした先に「番所阯」があります。
< 番所阯 >
後方に見える峰に上がると、城郭跡があります。
2017年10月26日 11:37撮影
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10/26 11:37
< 番所阯 >
後方に見える峰に上がると、城郭跡があります。
< 小山は土塁跡? >
築山のように見えるものは、土塁跡で、木戸がついた門があったらしい。
2017年10月26日 11:39撮影
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10/26 11:39
< 小山は土塁跡? >
築山のように見えるものは、土塁跡で、木戸がついた門があったらしい。
< リンドウ(竜胆) >
リンドウ科リンドウ属。同属の「エゾリンドウ」や「オヤマリンドウ」とよく似ています。この後訪れた「林泉寺」に同じリンドウが植えられていましたので、この花も栽培された物かも知れません。
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10/26 11:41
< リンドウ(竜胆) >
リンドウ科リンドウ属。同属の「エゾリンドウ」や「オヤマリンドウ」とよく似ています。この後訪れた「林泉寺」に同じリンドウが植えられていましたので、この花も栽培された物かも知れません。
< 復元された大手道 >
〜が林道から分岐しています。復元部分(古道)は、これで2ヶ所になります。案内板では、道なりに林道を進むように標示されています。
2017年10月26日 11:42撮影
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10/26 11:42
< 復元された大手道 >
〜が林道から分岐しています。復元部分(古道)は、これで2ヶ所になります。案内板では、道なりに林道を進むように標示されています。
< タチアザミ(立薊) >
キク科アザミ属。この花と同じく秋に咲く同属の「ノハラアザミ」とよく似ていますが、タチアザミの葉は、深く裂けていないので区別が付きます。
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10/26 11:43
< タチアザミ(立薊) >
キク科アザミ属。この花と同じく秋に咲く同属の「ノハラアザミ」とよく似ていますが、タチアザミの葉は、深く裂けていないので区別が付きます。
< 古道を登りきると >
〜「南三の丸」です。なんとなく、私の地元にある七尾城址(山岳城)の大手道とよく似た古道でした。
2017年10月26日 11:49撮影
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10/26 11:49
< 古道を登りきると >
〜「南三の丸」です。なんとなく、私の地元にある七尾城址(山岳城)の大手道とよく似た古道でした。
< 南三の丸 >
廃城後に、住民から「ジョウ(城)のハタ(畑)」と呼ばれていた場所だったらしい。古道から登って来て「南三の丸」の入口で左に回り、南にある峰に向かうと『権現堂』というものがあるらしい。
2017年10月26日 11:51撮影
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10/26 11:51
< 南三の丸 >
廃城後に、住民から「ジョウ(城)のハタ(畑)」と呼ばれていた場所だったらしい。古道から登って来て「南三の丸」の入口で左に回り、南にある峰に向かうと『権現堂』というものがあるらしい。
< 権現堂のある方向 >
途中まで進みましたが、ぬかるみがひどく行くのはやめました。500mほど南下した先の峰に「権現堂」阯?があると思います(未確認)。
2017年10月26日 11:53撮影
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10/26 11:53
< 権現堂のある方向 >
途中まで進みましたが、ぬかるみがひどく行くのはやめました。500mほど南下した先の峰に「権現堂」阯?があると思います(未確認)。
< 「南三の丸」の次 >
〜は「柿崎屋敷阯」の廓ですが、寄り道をしていきます。林道を少し下ります。大豆・中屋敷にある「大手道入口」から「上正善寺(かみしょうぜんじ)」まで通じている林道が「南三の丸」と「柿崎屋敷阯」との間を通っています。
2017年10月26日 11:54撮影
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10/26 11:54
< 「南三の丸」の次 >
〜は「柿崎屋敷阯」の廓ですが、寄り道をしていきます。林道を少し下ります。大豆・中屋敷にある「大手道入口」から「上正善寺(かみしょうぜんじ)」まで通じている林道が「南三の丸」と「柿崎屋敷阯」との間を通っています。
< 林道を30mほど >
〜下ります。
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10/26 11:55
< 林道を30mほど >
〜下ります。
< 三の丸・謙信像 >
〜方面は通行止めです。2016年夏、城跡の中腹で土砂崩れがあり、現在工事中になっています。ちょっ林道(大手道)を下った所にある清水を見てきます。
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10/26 11:55
< 三の丸・謙信像 >
〜方面は通行止めです。2016年夏、城跡の中腹で土砂崩れがあり、現在工事中になっています。ちょっ林道(大手道)を下った所にある清水を見てきます。
< 亀割清水 >
一杯頂き、引き返しました。
2017年10月26日 11:57撮影
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10/26 11:57
< 亀割清水 >
一杯頂き、引き返しました。
< 右手に向かって >
〜登城を続けます。300mほど進むと「柿崎屋敷」に上がれます。
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10/26 11:57
< 右手に向かって >
〜登城を続けます。300mほど進むと「柿崎屋敷」に上がれます。
< 数メートル登って >
〜振り返りました。林道の辻から、50mほど進むと畑がありました。
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10/26 11:58
< 数メートル登って >
〜振り返りました。林道の辻から、50mほど進むと畑がありました。
< サトイモ(里芋) >
サトイモ科サトイモ属〜の畑が荒らされていました。私が2週間前にここを訪れた時は、まだ無傷でした。
2017年10月26日 12:02撮影
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10/26 12:02
< サトイモ(里芋) >
サトイモ科サトイモ属〜の畑が荒らされていました。私が2週間前にここを訪れた時は、まだ無傷でした。
< イノシシの蹄の痕 >
犯行現場付近では、証拠が残されていました。
2017年10月26日 12:03撮影
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10/26 12:03
< イノシシの蹄の痕 >
犯行現場付近では、証拠が残されていました。
< 柿崎屋敷阯 >
〜に到着。サトイモ畑から250mほど坂道を登ってきました。広場のようになっています。春日山神社の下にある「御屋敷」の廓も広い場所ですが、そこと同じくらい広いかも知れません。
2017年10月26日 12:12撮影
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10/26 12:12
< 柿崎屋敷阯 >
〜に到着。サトイモ畑から250mほど坂道を登ってきました。広場のようになっています。春日山神社の下にある「御屋敷」の廓も広い場所ですが、そこと同じくらい広いかも知れません。
< 柿崎和泉守宅阯 >
謙信公に使えた『柿崎景家』は「和泉守(いずみのかみ)」という役職を持っていました。
2017年10月26日 12:15撮影
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10/26 12:15
< 柿崎和泉守宅阯 >
謙信公に使えた『柿崎景家』は「和泉守(いずみのかみ)」という役職を持っていました。
< 屋敷広場からの眺望 >
新潟と長野の県境に連なる「関田山脈」の北部の山稜がよく見えました。
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10/26 12:16
< 屋敷広場からの眺望 >
新潟と長野の県境に連なる「関田山脈」の北部の山稜がよく見えました。
< 広場の出口から >
〜柿崎屋敷阯を振り返りました。古道「桑取道」が復元されています。この広場から〜城ケ峰−中桑取〜に山道が続いています。
2017年10月26日 12:17撮影
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10/26 12:17
< 広場の出口から >
〜柿崎屋敷阯を振り返りました。古道「桑取道」が復元されています。この広場から〜城ケ峰−中桑取〜に山道が続いています。
< 出口に空堀(からぼり) >
〜があります。「御成街道」に進みます。
2017年10月26日 12:17撮影
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10/26 12:17
< 出口に空堀(からぼり) >
〜があります。「御成街道」に進みます。
< 御成(おなり)街道 >
関白さまが、おなり(お通り)になられた道のようです。
2017年10月26日 12:20撮影
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10/26 12:20
< 御成(おなり)街道 >
関白さまが、おなり(お通り)になられた道のようです。
< 景勝屋敷阯に上がります >
上って左側に入ります。右手に進むと、一段高い位置に「鐘楼跡」と「お天上さま(本丸+天守台)」があります。
2017年10月26日 12:21撮影
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10/26 12:21
< 景勝屋敷阯に上がります >
上って左側に入ります。右手に進むと、一段高い位置に「鐘楼跡」と「お天上さま(本丸+天守台)」があります。
< 屋敷の奥を見て >
〜引き返してきます。
2017年10月26日 12:22撮影
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10/26 12:22
< 屋敷の奥を見て >
〜引き返してきます。
< 上杉景勝屋敷阯 >
謙信公の急死により勃発した『御館の乱』に勝利した景勝公が、春日山城の城主になりました。
2017年10月26日 12:29撮影
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10/26 12:29
< 上杉景勝屋敷阯 >
謙信公の急死により勃発した『御館の乱』に勝利した景勝公が、春日山城の城主になりました。
< 景勝屋敷阯をあとに >
〜します。この後〜鐘楼阯−井戸曲輪−天守台(天守閣阯)−本丸阯〜と巡ります。
2017年10月26日 12:30撮影
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10/26 12:30
< 景勝屋敷阯をあとに >
〜します。この後〜鐘楼阯−井戸曲輪−天守台(天守閣阯)−本丸阯〜と巡ります。
< 鐘楼阯 >
「お天上(本丸+天守台)」に次いで標高の高い廓なのですが、木が多くて眺望が少し劣ります。
2017年10月26日 12:32撮影
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10/26 12:32
< 鐘楼阯 >
「お天上(本丸+天守台)」に次いで標高の高い廓なのですが、木が多くて眺望が少し劣ります。
< 「御成街道」を見下ろせます >
「景勝屋敷」もほぼ丸見えです。
2017年10月26日 12:32撮影
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10/26 12:32
< 「御成街道」を見下ろせます >
「景勝屋敷」もほぼ丸見えです。
< 鐘楼阯の南北が空濠 >
〜で挟まれています。空濠に下りて、井戸曲輪に上がります。
2017年10月26日 12:34撮影
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10/26 12:34
< 鐘楼阯の南北が空濠 >
〜で挟まれています。空濠に下りて、井戸曲輪に上がります。
< 井戸曲輪 >
なんでも、サイフォンの原理で水が湧き上がってくるらしい。3.5km西方にある「城ヶ峰」からの伏流水でしょうか?
2017年10月26日 12:35撮影
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10/26 12:35
< 井戸曲輪 >
なんでも、サイフォンの原理で水が湧き上がってくるらしい。3.5km西方にある「城ヶ峰」からの伏流水でしょうか?
< 大井戸 >
かなり深い感じがします。以前、井戸さらいしたら、滑車が出てきたらしい。
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10/26 12:35
< 大井戸 >
かなり深い感じがします。以前、井戸さらいしたら、滑車が出てきたらしい。
< 油坂 >
本丸の後ろの崖(急坂)です。登ることはできません。
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10/26 12:35
< 油坂 >
本丸の後ろの崖(急坂)です。登ることはできません。
< お天上さま >
〜に上がります。本丸と天守台を合わせて『お天上』様と呼ばれていたらしい。
2017年10月26日 12:36撮影
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10/26 12:36
< お天上さま >
〜に上がります。本丸と天守台を合わせて『お天上』様と呼ばれていたらしい。
< 天守台 >
〜ですが、この台の上に乗っていた物は、今では存在しません。ここは「天守閣阯」になります。
2017年10月26日 12:37撮影
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10/26 12:37
< 天守台 >
〜ですが、この台の上に乗っていた物は、今では存在しません。ここは「天守閣阯」になります。
< 天を仰ぐ >
〜見晴らしの良い場所ですが、土砂の流失が続いています。『土の一袋運動』が「上越教育大学」さまが中心となって行われています。
2017年10月26日 12:37撮影
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10/26 12:37
< 天を仰ぐ >
〜見晴らしの良い場所ですが、土砂の流失が続いています。『土の一袋運動』が「上越教育大学」さまが中心となって行われています。
< 北東方向に日本海 >
直江津の街のあたりが、木陰になっています。かって、直江津の関川のそばに『福島城』がありました。実は、私は、2週間前に「福島城阯」を見に行っています。
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10/26 12:38
< 北東方向に日本海 >
直江津の街のあたりが、木陰になっています。かって、直江津の関川のそばに『福島城』がありました。実は、私は、2週間前に「福島城阯」を見に行っています。
< 直江津港のある港町1 >
〜をズームしました。直江津駅とは、関川を挟んだ対岸になります。「古城小学校」のある場所に福島城がありました。では、2週間前の過去にさかのぼります〜
2017年10月26日 12:39撮影
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10/26 12:39
< 直江津港のある港町1 >
〜をズームしました。直江津駅とは、関川を挟んだ対岸になります。「古城小学校」のある場所に福島城がありました。では、2週間前の過去にさかのぼります〜
< 福嶋藩のお城 >
〜でした。「上杉景勝」が会津へ国替えになった後、慶長12年(1607年)に福島城が完成。越後福嶋藩の初代藩主「堀秀治」の長男「堀忠俊」が城主となりました。
(※:2017年10月12日の撮影です。)
2017年10月26日 12:39撮影
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10/26 12:39
< 福嶋藩のお城 >
〜でした。「上杉景勝」が会津へ国替えになった後、慶長12年(1607年)に福島城が完成。越後福嶋藩の初代藩主「堀秀治」の長男「堀忠俊」が城主となりました。
(※:2017年10月12日の撮影です。)
< 福島城の沿革 >
堀、海、2本の川(保倉川、保倉川)で囲まれていた堅牢なお城でした。さて、バックトゥーザフューチャーします〜
(※:2017年10月12日の撮影です。)
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10/26 12:39
< 福島城の沿革 >
堀、海、2本の川(保倉川、保倉川)で囲まれていた堅牢なお城でした。さて、バックトゥーザフューチャーします〜
(※:2017年10月12日の撮影です。)
< 春日山城天守から >
〜二の丸を見下ろしました。下の「御成街道」からこちら(天守台)に登って来れますが、北側にある休憩所や一段下にある二の丸方面へは通行止めになっています(災害のため)。
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10/26 12:39
< 春日山城天守から >
〜二の丸を見下ろしました。下の「御成街道」からこちら(天守台)に登って来れますが、北側にある休憩所や一段下にある二の丸方面へは通行止めになっています(災害のため)。
< 天守台からのパノラマ
北東〜南東の景観です。目立って見える「米山(よねやま)」は、上越市と柏崎市の境に位置しています。画面の右側は『関田山脈』の北部です。東の峰から〜天水山(あまみずやま)−菱ヶ岳−黒倉山−鍋倉山−仏ヶ峰−黒岩山−袴岳ー斑尾山(正確には14峰あります)〜ですが、ピークの同定は難しいです。
2017年10月26日 12:39撮影
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10/26 12:39
< 天守台からのパノラマ
北東〜南東の景観です。目立って見える「米山(よねやま)」は、上越市と柏崎市の境に位置しています。画面の右側は『関田山脈』の北部です。東の峰から〜天水山(あまみずやま)−菱ヶ岳−黒倉山−鍋倉山−仏ヶ峰−黒岩山−袴岳ー斑尾山(正確には14峰あります)〜ですが、ピークの同定は難しいです。
< 天守台からのパノラマ◆
南東〜南南西の景観です。画面の左側3分の2は「関田山脈」です。画面の右側の山体は『南葉山(なんばやま)』山系です。青田難波山−猿掛南葉山−籠町南葉山−五日市南葉山−猪野山南葉山〜と連山していますが、ここからピークが見えるのは「青田難波山」のみです。また、画面の左下に、『高田公園』が見えています。
2017年10月26日 12:39撮影
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10/26 12:39
< 天守台からのパノラマ◆
南東〜南南西の景観です。画面の左側3分の2は「関田山脈」です。画面の右側の山体は『南葉山(なんばやま)』山系です。青田難波山−猿掛南葉山−籠町南葉山−五日市南葉山−猪野山南葉山〜と連山していますが、ここからピークが見えるのは「青田難波山」のみです。また、画面の左下に、『高田公園』が見えています。
< 高田公園(高田城阯) >
〜をズームしました。私は2週間前に、福島城址を見た後、「高田城阯」も見てきています。
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10/26 12:39
< 高田公園(高田城阯) >
〜をズームしました。私は2週間前に、福島城址を見た後、「高田城阯」も見てきています。
< 2週前に渡った「極楽橋」 >
〜です。本城堀(内堀)に架かるこの橋を渡ると本丸です。天守閣はありません。本丸の南西角には、有名な『三重櫓』があります。慶長19年(1614年)に高田城が完成。城主は、堀氏にかわり、徳川家康六男「松平忠輝」です。
(※:2017年10月12日の撮影です。)
2017年10月26日 12:39撮影
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10/26 12:39
< 2週前に渡った「極楽橋」 >
〜です。本城堀(内堀)に架かるこの橋を渡ると本丸です。天守閣はありません。本丸の南西角には、有名な『三重櫓』があります。慶長19年(1614年)に高田城が完成。城主は、堀氏にかわり、徳川家康六男「松平忠輝」です。
(※:2017年10月12日の撮影です。)
< 高田城『三重櫓』 >
この櫓は、平成5年(1993年)に再建された物です。明治時代になり、旧陸軍が司令部として使用するため、堀の埋め立てなどの工事が行ったため、現在では、城の東半分は旧状をとどめてはいません。その後、本丸や西側の部分は、高田公園として整備され現在に至っています。
(※:2017年10月12日の撮影です。)
2017年10月26日 12:39撮影
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10/26 12:39
< 高田城『三重櫓』 >
この櫓は、平成5年(1993年)に再建された物です。明治時代になり、旧陸軍が司令部として使用するため、堀の埋め立てなどの工事が行ったため、現在では、城の東半分は旧状をとどめてはいません。その後、本丸や西側の部分は、高田公園として整備され現在に至っています。
(※:2017年10月12日の撮影です。)
< バックトゥーザフューチャー >
〜して、南西方向をズームしました。画面左端の「斑尾山」と「袴岳」は『関田山脈』の南西端の峰々です。中央の山体が、南葉山山系の「青田難波山」で、右に「妙高山」−「火打山」−「新潟焼山」〜と続いています。
2017年10月26日 12:39撮影
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10/26 12:39
< バックトゥーザフューチャー >
〜して、南西方向をズームしました。画面左端の「斑尾山」と「袴岳」は『関田山脈』の南西端の峰々です。中央の山体が、南葉山山系の「青田難波山」で、右に「妙高山」−「火打山」−「新潟焼山」〜と続いています。
< 火打山と焼山 >
〜をズーム。「火打山」はここから南西方向に27.5kmも離れていますが、そのピークは、『火の打ちどころ』のないほど綺麗に見えました。
2017年10月26日 12:40撮影
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10/26 12:40
< 火打山と焼山 >
〜をズーム。「火打山」はここから南西方向に27.5kmも離れていますが、そのピークは、『火の打ちどころ』のないほど綺麗に見えました。
< 本丸に進みました >
史蹟「春日城阯」の頂上です。
2017年10月26日 12:43撮影
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10/26 12:43
< 本丸に進みました >
史蹟「春日城阯」の頂上です。
< 殿下お手植えの松 >
秩父宮雍仁(やすひと)親王(昭和天皇の弟宮)様が行啓されています。お天上の周囲には、土砂流失のためか、根元がJ字型に曲がった木が見られます。「土の一袋運動」も大切ですが、ハード対策(工事)が急がれます。
2017年10月26日 12:43撮影
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10/26 12:43
< 殿下お手植えの松 >
秩父宮雍仁(やすひと)親王(昭和天皇の弟宮)様が行啓されています。お天上の周囲には、土砂流失のためか、根元がJ字型に曲がった木が見られます。「土の一袋運動」も大切ですが、ハード対策(工事)が急がれます。
< 山頂(本丸阯)からの眺望 >
「天守台」よりも視野角が狭くなっていますが(特に南西側)、よい景色です。歴代のお殿様たちも、同じ景色を見ていたはずです。
2017年10月26日 12:45撮影
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10/26 12:45
< 山頂(本丸阯)からの眺望 >
「天守台」よりも視野角が狭くなっていますが(特に南西側)、よい景色です。歴代のお殿様たちも、同じ景色を見ていたはずです。
< 馬場を見下ろしました >
「馬場」のあった場所は、現在、茶屋などが建ち並んでいます。カーブしている道の上の崖に「謙信公(銅像)」が佇むんでおられます。昭和44年(1969年)、大河ドラマ『天と地と』の放送に合わせて建立されました。
2017年10月26日 12:45撮影
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10/26 12:45
< 馬場を見下ろしました >
「馬場」のあった場所は、現在、茶屋などが建ち並んでいます。カーブしている道の上の崖に「謙信公(銅像)」が佇むんでおられます。昭和44年(1969年)、大河ドラマ『天と地と』の放送に合わせて建立されました。
< 本丸直下の休憩所 >
〜を見下ろしました。休憩所の隣が「護摩堂阯」、奥にある築山(小さな廓)の上が「諏訪堂阯」です。
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10/26 12:45
< 本丸直下の休憩所 >
〜を見下ろしました。休憩所の隣が「護摩堂阯」、奥にある築山(小さな廓)の上が「諏訪堂阯」です。
< 休憩所で昼食 >
〜します。ヘアピンカーブして下に降ります。休憩所から直通で「御成街道」に通じる道があるのですが、「二の丸」に下る道と天守台に上がる道が分岐している地点で通行止めになっています。
2017年10月26日 12:46撮影
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10/26 12:46
< 休憩所で昼食 >
〜します。ヘアピンカーブして下に降ります。休憩所から直通で「御成街道」に通じる道があるのですが、「二の丸」に下る道と天守台に上がる道が分岐している地点で通行止めになっています。
< いつのことでしょうか? >
〜ここに休憩所が建てられたのは〜すぐ横に「護摩堂阯」を示す石柱が立っています。本当は、この休憩所の建つ位置に護摩堂があったのかもしれません。奥の築山状の部分には「諏訪堂阯」の石柱のほかに、なぜかしら「毘沙門堂址」を示す石柱が立っています。
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10/26 12:47
< いつのことでしょうか? >
〜ここに休憩所が建てられたのは〜すぐ横に「護摩堂阯」を示す石柱が立っています。本当は、この休憩所の建つ位置に護摩堂があったのかもしれません。奥の築山状の部分には「諏訪堂阯」の石柱のほかに、なぜかしら「毘沙門堂址」を示す石柱が立っています。
< 休憩所 >
〜でランチ(おにぎり2個)しました。中に掲示されているイラストマップでは、隣の築山には、護摩堂と諏訪堂の文字が記されています。何と無く、すっきりしません?
2017年10月26日 12:55撮影
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10/26 12:55
< 休憩所 >
〜でランチ(おにぎり2個)しました。中に掲示されているイラストマップでは、隣の築山には、護摩堂と諏訪堂の文字が記されています。何と無く、すっきりしません?
< 護摩堂址 >
〜から、小山の上の「諏訪堂阯」に上がります。
2017年10月26日 12:56撮影
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10/26 12:56
< 護摩堂址 >
〜から、小山の上の「諏訪堂阯」に上がります。
< 諏訪堂阯 >
この廓(小山)には。それぞれ違う阯を示す石柱が2本あります。「諏訪堂阯」と「毘沙門堂阯」です。本当は、この廓は、何の阯なのでしょうか??再建された『毘沙門堂』は、この廓の直下に建てられています。
2017年10月26日 12:57撮影
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10/26 12:57
< 諏訪堂阯 >
この廓(小山)には。それぞれ違う阯を示す石柱が2本あります。「諏訪堂阯」と「毘沙門堂阯」です。本当は、この廓は、何の阯なのでしょうか??再建された『毘沙門堂』は、この廓の直下に建てられています。
< 再建された「毘沙門堂」 >
〜に下りました。
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10/26 13:03
< 再建された「毘沙門堂」 >
〜に下りました。
< 「不識院阯」? >
『毘沙門堂』の横に「不識院」の阯を示す石柱があります。謙信公の死後、最初は『不識院』に埋葬されたといいますが、現在は、「林泉寺」の墓所に眠っておられます。
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10/26 13:03
< 「不識院阯」? >
『毘沙門堂』の横に「不識院」の阯を示す石柱があります。謙信公の死後、最初は『不識院』に埋葬されたといいますが、現在は、「林泉寺」の墓所に眠っておられます。
< 毘沙門堂 >
この祠堂には、『毘沙門天』の尊像が安置されています。謙信公が陣頭にかざした『毘』の旗は、降魔(ごうま)の軍としての旗印でした。
2017年10月26日 13:03撮影
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10/26 13:03
< 毘沙門堂 >
この祠堂には、『毘沙門天』の尊像が安置されています。謙信公が陣頭にかざした『毘』の旗は、降魔(ごうま)の軍としての旗印でした。
< 御花畑阯 >
この廓は、本丸阯から一段ずつ下りて、休憩所(≒護摩堂址)→毘沙門堂(≒不識院阯)→御花畑阯〜と三段下に位置します。
2017年10月26日 13:04撮影
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10/26 13:04
< 御花畑阯 >
この廓は、本丸阯から一段ずつ下りて、休憩所(≒護摩堂址)→毘沙門堂(≒不識院阯)→御花畑阯〜と三段下に位置します。
< 直江屋敷阯 >
本丸阯からは、四段下の廓になります。実は、この屋敷阯の下にも、二段分の廓があり、直江家の屋敷は、三連郭を占めていたかも知れません?
2017年10月26日 13:06撮影
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10/26 13:06
< 直江屋敷阯 >
本丸阯からは、四段下の廓になります。実は、この屋敷阯の下にも、二段分の廓があり、直江家の屋敷は、三連郭を占めていたかも知れません?
< 「直江山城守」宅址 >
上杉景勝の重臣であった『直江兼続(なおえかねつぐ)』は、「山城守」という官位(のちに従五位下に叙せられる)をお持ちでした。
2017年10月26日 13:06撮影
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10/26 13:06
< 「直江山城守」宅址 >
上杉景勝の重臣であった『直江兼続(なおえかねつぐ)』は、「山城守」という官位(のちに従五位下に叙せられる)をお持ちでした。
< 災害現場 >
〜が見えました。二の丸の北側部分(但馬谷側)で崩落が発生して、三の丸の半分が崩れ落ちた〜ようにお見受けしました(私感)。工事用モノレールが敷設されています。資材を運ぶためのものですが、作業員も乗ることが出来るかもしれません。〜人ものれーる=人・モノーレール〜??
※:追記=2018年4月19日、一部の遊歩道を除き、通行止めが解除されました。
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10/26 13:07
< 災害現場 >
〜が見えました。二の丸の北側部分(但馬谷側)で崩落が発生して、三の丸の半分が崩れ落ちた〜ようにお見受けしました(私感)。工事用モノレールが敷設されています。資材を運ぶためのものですが、作業員も乗ることが出来るかもしれません。〜人ものれーる=人・モノーレール〜??
※:追記=2018年4月19日、一部の遊歩道を除き、通行止めが解除されました。
< 直江屋敷阯の廓の下 >
〜に2つ廓があり階段状の連郭構造になっています。その3段目から「虎口」に出ます。
2017年10月26日 13:09撮影
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10/26 13:09
< 直江屋敷阯の廓の下 >
〜に2つ廓があり階段状の連郭構造になっています。その3段目から「虎口」に出ます。
< 虎口(こぐち) >
〜に下り、「千貫門阯」方面に進みます。
2017年10月26日 13:10撮影
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10/26 13:10
< 虎口(こぐち) >
〜に下り、「千貫門阯」方面に進みます。
< 防御機能をもつ >
〜出入口でした。「虎口」とは、狭い出入口(小口)のことです。通路が食い違いになっていて、敵軍の進路を阻みました。より大がかりな「枡形(ますがた)」と役割が似ています。
2017年10月26日 13:11撮影
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10/26 13:11
< 防御機能をもつ >
〜出入口でした。「虎口」とは、狭い出入口(小口)のことです。通路が食い違いになっていて、敵軍の進路を阻みました。より大がかりな「枡形(ますがた)」と役割が似ています。
< 空堀 >
ここから、空堀に降りることが出来ます。下りて右手に入ると、「塹濠」になっていて、突き当たりが敵軍を落とし込む崖になっています。正面に下ると、馬場方面(信玄公像がある)に向かいますが、車道の手前で途切れています。また、この空堀の辺りに、『搦手門』があったと思われます。
2017年10月26日 13:12撮影
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10/26 13:12
< 空堀 >
ここから、空堀に降りることが出来ます。下りて右手に入ると、「塹濠」になっていて、突き当たりが敵軍を落とし込む崖になっています。正面に下ると、馬場方面(信玄公像がある)に向かいますが、車道の手前で途切れています。また、この空堀の辺りに、『搦手門』があったと思われます。
< 空堀に下りず >
〜左手に進むと、「上杉少弼(しょうしつ)入道宅阯」に出ます。謙信公が23歳の時に、朝廷から『従四位下・弾正少弼(だんじょうしょうひつ)』 に叙任されました。ちなみに、養子の上杉景勝は「従四位下・左近衛権少将」に叙されています。
2017年10月26日 13:12撮影
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10/26 13:12
< 空堀に下りず >
〜左手に進むと、「上杉少弼(しょうしつ)入道宅阯」に出ます。謙信公が23歳の時に、朝廷から『従四位下・弾正少弼(だんじょうしょうひつ)』 に叙任されました。ちなみに、養子の上杉景勝は「従四位下・左近衛権少将」に叙されています。
< 千貫門阯 >
北東方向にある「直江津」の町からやって来て、お城に入る時、ここにあった「千貫門」をくぐって登城していたのでしょう。
2017年10月26日 13:13撮影
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10/26 13:13
< 千貫門阯 >
北東方向にある「直江津」の町からやって来て、お城に入る時、ここにあった「千貫門」をくぐって登城していたのでしょう。
< もしも敵軍が >
〜この門を突破していたら、罠が待ち受けていたことでしょう。奥にある崖下に侵入者を落とす仕掛けでした。
2017年10月26日 13:17撮影
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10/26 13:17
< もしも敵軍が >
〜この門を突破していたら、罠が待ち受けていたことでしょう。奥にある崖下に侵入者を落とす仕掛けでした。
< 突き落としの崖? >
〜から、本丸を見上げてみました。現在のお城の姿は少し痛々しい感じがします。災害という名の「侵入者」にむしばまれています。
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10/26 13:17
< 突き落としの崖? >
〜から、本丸を見上げてみました。現在のお城の姿は少し痛々しい感じがします。災害という名の「侵入者」にむしばまれています。
< 小川家累代の墓 >
千貫門阯から200mほど下りました。石碑に記されている『奥津城(おくつき)』とは、神道式の墓のことです。「小川家累代」と「奥津城」の間の一字は、『之』の異体字でしょうか?
2017年10月26日 13:20撮影
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10/26 13:20
< 小川家累代の墓 >
千貫門阯から200mほど下りました。石碑に記されている『奥津城(おくつき)』とは、神道式の墓のことです。「小川家累代」と「奥津城」の間の一字は、『之』の異体字でしょうか?
< 旧高田藩士『小川澄晴』の霊碑 >
こちらの春日山神社創立者であられる『小川澄晴』氏の碑です。
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10/26 13:21
< 旧高田藩士『小川澄晴』の霊碑 >
こちらの春日山神社創立者であられる『小川澄晴』氏の碑です。
< 神社の横に >
〜出てきました。これから、春日山神社「拝殿」にお参り→「小川未明の碑」→「謙信公像」→この場所に戻る→愛宕谷側に位置する「御屋敷」に下る〜と巡ります。
2017年10月26日 13:22撮影
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10/26 13:22
< 神社の横に >
〜出てきました。これから、春日山神社「拝殿」にお参り→「小川未明の碑」→「謙信公像」→この場所に戻る→愛宕谷側に位置する「御屋敷」に下る〜と巡ります。
< 小川未明の碑 >
雲の如く高く
くものごとくかがやき
雲のごとくとらわれず
〜二行目(二列目)の雲(cloud)が平仮名になっているのは、曇っていない(輝やいている)雲を表したかったためか?
2017年10月26日 13:22撮影
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10/26 13:22
< 小川未明の碑 >
雲の如く高く
くものごとくかがやき
雲のごとくとらわれず
〜二行目(二列目)の雲(cloud)が平仮名になっているのは、曇っていない(輝やいている)雲を表したかったためか?
< お参りしました >
〜が、石灯籠もと暗し?足元に石のかえるたちがおりました。
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10/26 13:23
< お参りしました >
〜が、石灯籠もと暗し?足元に石のかえるたちがおりました。
< かえるたち >
「かんがえる」と「ぶじかえる」です。『小川未明(おがわみめい)』氏は、児童文学作家でした。「日本のアンデルセン」および「日本児童文学の父」と呼ばれています。この神社の創立者のご子息だったので、氏にまつわるものが建立されています。
2017年10月26日 13:27撮影
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10/26 13:27
< かえるたち >
「かんがえる」と「ぶじかえる」です。『小川未明(おがわみめい)』氏は、児童文学作家でした。「日本のアンデルセン」および「日本児童文学の父」と呼ばれています。この神社の創立者のご子息だったので、氏にまつわるものが建立されています。
< 神明造りの拝殿 >
〜が見事です。「神明造り」は、古い神社建築様式で、どことなく弥生時代の「高床式倉庫」を連想させます。
2017年10月26日 13:26撮影
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10/26 13:26
< 神明造りの拝殿 >
〜が見事です。「神明造り」は、古い神社建築様式で、どことなく弥生時代の「高床式倉庫」を連想させます。
< 神輿殿と摂社 >
拝殿の前を左手に進むと、『謙信公みこし』が納められた「神輿殿」があります。また、右手に入ると、境内摂社である『北海稲荷神社』が鎮座しています。
2017年10月26日 13:27撮影
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10/26 13:27
< 神輿殿と摂社 >
拝殿の前を左手に進むと、『謙信公みこし』が納められた「神輿殿」があります。また、右手に入ると、境内摂社である『北海稲荷神社』が鎮座しています。
< 馬場 >
〜のあった場所が茶屋街になっています。拝殿を出て、授与所と春日山神社記念館の前を通り過ぎ、この場所に来ました。おみやげ屋の前で見上げると、『謙信公像』が立っておられます。
2017年10月26日 13:29撮影
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10/26 13:29
< 馬場 >
〜のあった場所が茶屋街になっています。拝殿を出て、授与所と春日山神社記念館の前を通り過ぎ、この場所に来ました。おみやげ屋の前で見上げると、『謙信公像』が立っておられます。
< 謙信公像 >
昭和44年(1969年)の大河ドラマ『天と地と』の放送に合わせて建立されました。
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10/26 13:29
< 謙信公像 >
昭和44年(1969年)の大河ドラマ『天と地と』の放送に合わせて建立されました。
< 遠くの見ているような >
〜ご様子の『謙信公像』です。「頸城平野(高田平野)」を見守っておられます。
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10/26 13:29
< 遠くの見ているような >
〜ご様子の『謙信公像』です。「頸城平野(高田平野)」を見守っておられます。
< 工事中 >
〜で、通行出来ません。この車道が、「三の丸」の下を通り「南三の丸」の横を通る林道とつながっています。南三の丸側とこの場所(謙信公像のある位置)の二ヶ所で、バリケードが設置されています。
2017年10月26日 13:31撮影
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10/26 13:31
< 工事中 >
〜で、通行出来ません。この車道が、「三の丸」の下を通り「南三の丸」の横を通る林道とつながっています。南三の丸側とこの場所(謙信公像のある位置)の二ヶ所で、バリケードが設置されています。
< 神社前(石段の上) >
〜を通り、神社横から出ている[御屋敷に下る道]に進みます。
2017年10月26日 13:38撮影
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10/26 13:38
< 神社前(石段の上) >
〜を通り、神社横から出ている[御屋敷に下る道]に進みます。
< 御屋敷へ >
〜下ります。往時、御屋敷から愛宕谷の蓮池に下った場所が、「府内口」であったという。おそらく、『御舘』のあった直江津への最短ルートだったのでしょう。
2017年10月26日 13:39撮影
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10/26 13:39
< 御屋敷へ >
〜下ります。往時、御屋敷から愛宕谷の蓮池に下った場所が、「府内口」であったという。おそらく、『御舘』のあった直江津への最短ルートだったのでしょう。
< 広い御屋敷に >
〜下りました。神社参道の長い石段を見上げるために、寄り道をしてきます。目前の分岐を右手に進みます。
2017年10月26日 13:42撮影
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10/26 13:42
< 広い御屋敷に >
〜下りました。神社参道の長い石段を見上げるために、寄り道をしてきます。目前の分岐を右手に進みます。
< 春日山神社下駐車場 >
分岐から120mほど歩きました。トイレの横から駐車場に出ます。林泉寺方面から登って来ている車道が、ここでヘアピンカーブして、大手道口・埋蔵文化財センター方面に下っています。また、曲がってすぐの所から、茶屋・謙信公像のある場所に上がる道が分岐しています。
2017年10月26日 13:43撮影
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10/26 13:43
< 春日山神社下駐車場 >
分岐から120mほど歩きました。トイレの横から駐車場に出ます。林泉寺方面から登って来ている車道が、ここでヘアピンカーブして、大手道口・埋蔵文化財センター方面に下っています。また、曲がってすぐの所から、茶屋・謙信公像のある場所に上がる道が分岐しています。
< 春日山神社参道 >
〜を見上げました。さて、来た道を戻ります。
2017年10月26日 13:44撮影
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10/26 13:44
< 春日山神社参道 >
〜を見上げました。さて、来た道を戻ります。
< 御屋敷に戻りました >
蓮池に下りると近道ですが、あえて、御屋敷の奥に進み、愛宕谷池に出ることにしました。
2017年10月26日 13:46撮影
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10/26 13:46
< 御屋敷に戻りました >
蓮池に下りると近道ですが、あえて、御屋敷の奥に進み、愛宕谷池に出ることにしました。
< 堰堤の上 >
〜に下ります。通行人が少ないのか、やや下草が多かったです。
2017年10月26日 13:49撮影
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10/26 13:49
< 堰堤の上 >
〜に下ります。通行人が少ないのか、やや下草が多かったです。
< 愛宕谷池(用水池) >
〜の水面(みなも)。お城の南側の大手道ぞいには、「大手池」があります。まるで、南北二つの池が、対となっているかのようです。
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10/26 13:51
< 愛宕谷池(用水池) >
〜の水面(みなも)。お城の南側の大手道ぞいには、「大手池」があります。まるで、南北二つの池が、対となっているかのようです。
< 愛宕谷公園 >
〜を見下ろしました。奥に見える建物は民家です。駐車場と公衆トイレがあありますが、陰になっています。堰堤の下の流れは『蜂ヶ嶺用水』です。下流では「御館川」にかわり、直江津付近で「関川」に合流しています。元々、春日山は「鉢ヶ峰」でしたから、[鉢ヶ峰→蜂ヶ嶺]〜となったのでしょう。
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10/26 13:51
< 愛宕谷公園 >
〜を見下ろしました。奥に見える建物は民家です。駐車場と公衆トイレがあありますが、陰になっています。堰堤の下の流れは『蜂ヶ嶺用水』です。下流では「御館川」にかわり、直江津付近で「関川」に合流しています。元々、春日山は「鉢ヶ峰」でしたから、[鉢ヶ峰→蜂ヶ嶺]〜となったのでしょう。
< 蓮池 >
〜は、幾つかの部分に分かれています。この蓮池の後方に「御屋敷」に上がる道があります。昔は、町からの出入口である『府内口』であったらしい。
2017年10月26日 13:56撮影
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10/26 13:56
< 蓮池 >
〜は、幾つかの部分に分かれています。この蓮池の後方に「御屋敷」に上がる道があります。昔は、町からの出入口である『府内口』であったらしい。
< 愛宕谷公園駐車場 >
〜に出ました。駐車場を横切り市道に出ます。
2017年10月26日 13:58撮影
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10/26 13:58
< 愛宕谷公園駐車場 >
〜に出ました。駐車場を横切り市道に出ます。
< 「谷愛宕」 >
〜という地名です。市道を20mほど進んだ十字路です。
直進すると、「林泉寺」です。ここを左折して、約1.5km進むと、宮野尾牛池(宮野尾+牛池新田)に至ります。謙信公(寅年生まれ)の母君『虎御前』の御墓が、宮野尾の集落に所在しています。
2017年10月26日 14:00撮影
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10/26 14:00
< 「谷愛宕」 >
〜という地名です。市道を20mほど進んだ十字路です。
直進すると、「林泉寺」です。ここを左折して、約1.5km進むと、宮野尾牛池(宮野尾+牛池新田)に至ります。謙信公(寅年生まれ)の母君『虎御前』の御墓が、宮野尾の集落に所在しています。
< この角から登る山道 >
〜を上がると電波塔があります。「林泉寺」の上にある峰になりますが、その山もお寺の寺内らしい。さて、ここ谷愛宕の十字路から250m進むと「林泉寺」です。
2017年10月26日 14:02撮影
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10/26 14:02
< この角から登る山道 >
〜を上がると電波塔があります。「林泉寺」の上にある峰になりますが、その山もお寺の寺内らしい。さて、ここ谷愛宕の十字路から250m進むと「林泉寺」です。
< 林泉寺「惣門」 >
この惣門は春日山城の搦手門を移築したものと伝えられています。切妻型の門です。
2017年10月26日 14:05撮影
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10/26 14:05
< 林泉寺「惣門」 >
この惣門は春日山城の搦手門を移築したものと伝えられています。切妻型の門です。
< 雲岫關(うんしゅうかん) >
〜と、扁額に書かれているみたいです。春日山城のことを『雲が湧き出る館』と表現した物かも知れません。この移築された惣門は昭和54年(1979年)に大風で倒れてしまいましたが、有志の方々が、すぐに再建されています。
2017年10月26日 14:06撮影
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10/26 14:06
< 雲岫關(うんしゅうかん) >
〜と、扁額に書かれているみたいです。春日山城のことを『雲が湧き出る館』と表現した物かも知れません。この移築された惣門は昭和54年(1979年)に大風で倒れてしまいましたが、有志の方々が、すぐに再建されています。
< 拝観します >
〜料金は500円です。惣門の後には、大きな山門が控えています。
2017年10月26日 14:07撮影
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10/26 14:07
< 拝観します >
〜料金は500円です。惣門の後には、大きな山門が控えています。
< 林泉寺「山門」(外側から) >
二層構造の「二重門」になっています。大正14年(1925年)、謙信公生誕400年を記念して再建された門です。
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10/26 14:07
< 林泉寺「山門」(外側から) >
二層構造の「二重門」になっています。大正14年(1925年)、謙信公生誕400年を記念して再建された門です。
< 門の内天上 >
〜に、二匹の龍が描かれています。「越後の龍」と呼ばれた謙信公にふさわしい風格を備えています。※:二枚組の一枚です。
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10/26 14:07
< 門の内天上 >
〜に、二匹の龍が描かれています。「越後の龍」と呼ばれた謙信公にふさわしい風格を備えています。※:二枚組の一枚です。
< 林泉寺「山門」(内側から) >
ここに掲げられた「第一義」の扁額が有名です(これは複製品)。謙信の直筆である本物は、ここに併設されている「宝物館」で保管されています。
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10/26 14:07
< 林泉寺「山門」(内側から) >
ここに掲げられた「第一義」の扁額が有名です(これは複製品)。謙信の直筆である本物は、ここに併設されている「宝物館」で保管されています。
< 林泉寺「本堂」 >
平成9年(1997年)、開創500年を記念して、この本堂が建立されています。『唐破風の向拝』が見事です。
2017年10月26日 14:08撮影
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10/26 14:08
< 林泉寺「本堂」 >
平成9年(1997年)、開創500年を記念して、この本堂が建立されています。『唐破風の向拝』が見事です。
< ツワブキ(石蕗) >
キク科ツワブキ属。寺内のいたるところで咲いていました。艶(ツヤ)のある葉をもつ蕗(フキ)の花なので、ツヤブキが転じて、ツワブキになりました。
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10/26 14:08
< ツワブキ(石蕗) >
キク科ツワブキ属。寺内のいたるところで咲いていました。艶(ツヤ)のある葉をもつ蕗(フキ)の花なので、ツヤブキが転じて、ツワブキになりました。
< 墓所 >
〜に詣ります。こちらには、戦国の世から江戸期までの武家たちの御墓があります。
2017年10月26日 14:08撮影
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10/26 14:08
< 墓所 >
〜に詣ります。こちらには、戦国の世から江戸期までの武家たちの御墓があります。
< 川中島戦死者供養塔 >
謙信公の御墓のそばにあります。「川中島の戦」では、大勢の方が亡くなられています。
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10/26 14:11
< 川中島戦死者供養塔 >
謙信公の御墓のそばにあります。「川中島の戦」では、大勢の方が亡くなられています。
< 上杉謙信公之御墓 >
謙信公の御墓を取り囲むように小さな御墓が建ち並んでいます。きっと、家臣の方々の御墓でしょう。
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10/26 14:10
< 上杉謙信公之御墓 >
謙信公の御墓を取り囲むように小さな御墓が建ち並んでいます。きっと、家臣の方々の御墓でしょう。
< リンドウ(竜胆) >
リンドウ科リンドウ属。ちらほらと咲いていました。可憐な花です。きっと、かわいがられて育てられた花です。
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10/26 14:13
< リンドウ(竜胆) >
リンドウ科リンドウ属。ちらほらと咲いていました。可憐な花です。きっと、かわいがられて育てられた花です。
< 宝物館 >
修繕中ですが、営業しています。本物の「第一義」の扁額や、上杉家ゆかりの物が展示されています。
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10/26 14:14
< 宝物館 >
修繕中ですが、営業しています。本物の「第一義」の扁額や、上杉家ゆかりの物が展示されています。
< 林泉寺をあとにします >
「林泉寺駐車場」の横を通り過ぎ、県道180号線に出ます。
2017年10月26日 14:17撮影
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10/26 14:17
< 林泉寺をあとにします >
「林泉寺駐車場」の横を通り過ぎ、県道180号線に出ます。
< 春日橋 >
〜に寄っていきます。この橋の位置は、春日山のビューポイントになっています。
2017年10月26日 14:23撮影
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10/26 14:23
< 春日橋 >
〜に寄っていきます。この橋の位置は、春日山のビューポイントになっています。
< 台形をした山 >
〜が「春日山」です。右側の電波塔の建っている峰の中腹に「林泉寺」があります。その峰と春日山の間に「愛宕谷」があり、そこにある愛宕池から蜂ヶ嶺用水が流れ出ています。その用水の水が、この橋が架かる「御館川」の流れになっています。
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10/26 14:26
< 台形をした山 >
〜が「春日山」です。右側の電波塔の建っている峰の中腹に「林泉寺」があります。その峰と春日山の間に「愛宕谷」があり、そこにある愛宕池から蜂ヶ嶺用水が流れ出ています。その用水の水が、この橋が架かる「御館川」の流れになっています。
< 春日山の「ビューポイント」 >
朱色の欄干が、この[ビュー]の[ポイント]となります。
2017年10月26日 14:26撮影
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10/26 14:26
< 春日山の「ビューポイント」 >
朱色の欄干が、この[ビュー]の[ポイント]となります。
< 春日橋から >
〜引き返し、「春日神社」に上がります。元々、春日山(旧称・鉢ヶ峰)に、奈良の「春日大社」の分霊が祀られていましたが、約600年前に、こちらに遷座されています。
2017年10月26日 14:28撮影
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10/26 14:28
< 春日橋から >
〜引き返し、「春日神社」に上がります。元々、春日山(旧称・鉢ヶ峰)に、奈良の「春日大社」の分霊が祀られていましたが、約600年前に、こちらに遷座されています。
< 春日神社「拝殿」 >
「春日山神社」の石段ほどではありませんが、こちらの参道の階段も急登でした。
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10/26 14:30
< 春日神社「拝殿」 >
「春日山神社」の石段ほどではありませんが、こちらの参道の階段も急登でした。
< 本殿(神殿) >
〜が奥に鎮座しています。拝殿の横には、神輿殿と神楽殿がつながっています。コンパクトにまとまったお社です。社務所は階段(石段)の下にあります。
2017年10月26日 14:31撮影
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10/26 14:31
< 本殿(神殿) >
〜が奥に鎮座しています。拝殿の横には、神輿殿と神楽殿がつながっています。コンパクトにまとまったお社です。社務所は階段(石段)の下にあります。
< 近道しました >
「二の鳥居」の所で、左手の横道に入り、春日山城史跡広場へ、ショートカットしました。
2017年10月26日 14:34撮影
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10/26 14:34
< 近道しました >
「二の鳥居」の所で、左手の横道に入り、春日山城史跡広場へ、ショートカットしました。
< 春日山城史跡広場 >
土塁と監物堀のある側の入口に『春日山城跡ものがたり館』があります。そちらに向かう途中、「全体模型」と「東城砦」を見に行きます。
2017年10月26日 14:35撮影
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10/26 14:35
< 春日山城史跡広場 >
土塁と監物堀のある側の入口に『春日山城跡ものがたり館』があります。そちらに向かう途中、「全体模型」と「東城砦」を見に行きます。
< 春日山城跡全体模型 >
広場のベンチ前に置かれています。この模型はシンプルです。たぶん、初めて訪れた方がこの模型を見ても、城郭の構造を認識するのは難しいでしょう。
2017年10月26日 14:37撮影
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10/26 14:37
< 春日山城跡全体模型 >
広場のベンチ前に置かれています。この模型はシンプルです。たぶん、初めて訪れた方がこの模型を見ても、城郭の構造を認識するのは難しいでしょう。
< 東城砦 >
〜に上がります。広場から、少し登ると、「番小屋」があります。
2017年10月26日 14:42撮影
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10/26 14:42
< 東城砦 >
〜に上がります。広場から、少し登ると、「番小屋」があります。
< 番小屋(復元) >
東城砦の道は、西側を通る車道まで200mほど続いていますが、この先が、墓所になっています。
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10/26 14:43
< 番小屋(復元) >
東城砦の道は、西側を通る車道まで200mほど続いていますが、この先が、墓所になっています。
< 掘立柱建物跡 >
〜に、「番小屋」が復元されています。井戸跡もあつたらしいです。
2017年10月26日 14:43撮影
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10/26 14:43
< 掘立柱建物跡 >
〜に、「番小屋」が復元されています。井戸跡もあつたらしいです。
< 監物堀(けんもつぼり) >
約1.5kmにわたって掘られた『総構え』でした。堀の一部が土塁とともに、この広場で復元されています。『監物(けんもつ)』とは、倉庫の物品を管理する役職の事らしいです。
2017年10月26日 14:48撮影
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10/26 14:48
< 監物堀(けんもつぼり) >
約1.5kmにわたって掘られた『総構え』でした。堀の一部が土塁とともに、この広場で復元されています。『監物(けんもつ)』とは、倉庫の物品を管理する役職の事らしいです。
< 春日山城史跡広場 >
土塁の上から、春日山城史跡広場を見渡しました。(※:当然ですが、ここでのゴルフの練習は禁止されていました。)
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10/26 14:49
< 春日山城史跡広場 >
土塁の上から、春日山城史跡広場を見渡しました。(※:当然ですが、ここでのゴルフの練習は禁止されていました。)
< 春日山城跡ものがたり館 >
こちらでも、少々勉強させていただきました。
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10/26 14:50
< 春日山城跡ものがたり館 >
こちらでも、少々勉強させていただきました。
< ありがとうございました >
しかし、アマチュアの私には、難しいテーマが多いです。趣味の範囲以内でしか、私の頭に入りませんので、あしからず。
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10/26 14:53
< ありがとうございました >
しかし、アマチュアの私には、難しいテーマが多いです。趣味の範囲以内でしか、私の頭に入りませんので、あしからず。
< 「ものがたり」の続き >
〜はいかに。この「ものがたり館」をあとにすると、私は国に帰る(帰宅)モードに入りました。まず、県道185号線に出て、「監物橋」の所から県道180号線に入ります。
2017年10月26日 14:58撮影
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10/26 14:58
< 「ものがたり」の続き >
〜はいかに。この「ものがたり館」をあとにすると、私は国に帰る(帰宅)モードに入りました。まず、県道185号線に出て、「監物橋」の所から県道180号線に入ります。
< 「監物橋」から「春日山」 >
〜を眺めました。この橋は、蜂ヶ嶺用水を源流とした「御舘川」に架かっています。この橋の場所で、県道180号線が直下に曲がって、春日山の方向に向かっています。
2017年10月26日 15:01撮影
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10/26 15:01
< 「監物橋」から「春日山」 >
〜を眺めました。この橋は、蜂ヶ嶺用水を源流とした「御舘川」に架かっています。この橋の場所で、県道180号線が直下に曲がって、春日山の方向に向かっています。
< 春日小学校のグランドの前 >
〜を通り過ぎ、「春日山公園」に出てきました。「春日山土地区画整理事業竣工記念」の碑が、公園の北西角に建立されています。テーマ(題名)は、『伸び行く物』です。また、公園の北東角には別の碑があります。
2017年10月26日 15:06撮影
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10/26 15:06
< 春日小学校のグランドの前 >
〜を通り過ぎ、「春日山公園」に出てきました。「春日山土地区画整理事業竣工記念」の碑が、公園の北西角に建立されています。テーマ(題名)は、『伸び行く物』です。また、公園の北東角には別の碑があります。
< 『雅子妃の森』 >
〜の碑です。雅子妃のお父上(小和田恆)様が、こちら上越市出身(生まれは新発田市)であることなどが縁で、皇太子殿下のご成婚を記念して造成されました。
2017年10月26日 15:09撮影
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10/26 15:09
< 『雅子妃の森』 >
〜の碑です。雅子妃のお父上(小和田恆)様が、こちら上越市出身(生まれは新発田市)であることなどが縁で、皇太子殿下のご成婚を記念して造成されました。
< 『森を見て雅子妃を想う』 >
皇太子殿下、雅子妃殿下、ご結婚おめでとうございます。〜(中略)〜私達は、お二人の幸せを喜び、穏やかな未来を祈りつづけるのです。
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10/26 15:09
< 『森を見て雅子妃を想う』 >
皇太子殿下、雅子妃殿下、ご結婚おめでとうございます。〜(中略)〜私達は、お二人の幸せを喜び、穏やかな未来を祈りつづけるのです。
< 四等三角点「春日山公園」 >
標高10.39m。『雅子妃の森』の近くに設置されています。頑丈に守られた三角点です。
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10/26 15:10
< 四等三角点「春日山公園」 >
標高10.39m。『雅子妃の森』の近くに設置されています。頑丈に守られた三角点です。
< 交差点「大豆1」 >
〜から、交差点「春日山」に向かいました。ここで、左折して、『謙信公大通り』を東に進みます。
2017年10月26日 15:13撮影
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10/26 15:13
< 交差点「大豆1」 >
〜から、交差点「春日山」に向かいました。ここで、左折して、『謙信公大通り』を東に進みます。
< 謙信公広場 >
交差点「春日山」にある謙信公広場に立ち寄りました。石垣のステージが目立ちますが、あまり広くない広場です。
2017年10月26日 15:16撮影
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10/26 15:16
< 謙信公広場 >
交差点「春日山」にある謙信公広場に立ち寄りました。石垣のステージが目立ちますが、あまり広くない広場です。
< 由緒の石板 >
この広場は、市民のシンボルです。小学生たちが作った「絵タイル」が、展示されているみたいですが、この時は、気がつきませんでした。
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10/26 15:17
< 由緒の石板 >
この広場は、市民のシンボルです。小学生たちが作った「絵タイル」が、展示されているみたいですが、この時は、気がつきませんでした。
< 春日山駅 >
〜に戻りました。私が当初、予定していた時間より2時間ほど早く到着しました。たまたま、回送中の特急『しらゆき(E653系)』が通過していくところでした。
2017年10月26日 15:24撮影
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10/26 15:24
< 春日山駅 >
〜に戻りました。私が当初、予定していた時間より2時間ほど早く到着しました。たまたま、回送中の特急『しらゆき(E653系)』が通過していくところでした。
< 妙高高原行き15時46分発 >
〜に乗車しました。[妙高はねうまライン]の上りの電車です。上越妙高駅まで12分(料金200円)です。車窓から「関田山脈」の方向を伺いましたが、雲が多く見えませんでした。
2017年10月26日 15:26撮影
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10/26 15:26
< 妙高高原行き15時46分発 >
〜に乗車しました。[妙高はねうまライン]の上りの電車です。上越妙高駅まで12分(料金200円)です。車窓から「関田山脈」の方向を伺いましたが、雲が多く見えませんでした。
< 高田駅 >
〜です。この駅までほぼ4分でした。あと2つの駅も、それぞれ約4分間で移動します。
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10/26 15:50
< 高田駅 >
〜です。この駅までほぼ4分でした。あと2つの駅も、それぞれ約4分間で移動します。
< 南高田 >
〜です〜と言うまもなく、目的地の「上越妙高駅」に着きます。上越妙高駅の東口側で何かの建物(ステーションビル?)の建築が進んでいます。反対側の西口には、ショッピングモールの建設計画があるみたいです。西口の展望テラスの眺望が損なわれなければ良いのですが。
2017年10月26日 15:56撮影
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10/26 15:56
< 南高田 >
〜です〜と言うまもなく、目的地の「上越妙高駅」に着きます。上越妙高駅の東口側で何かの建物(ステーションビル?)の建築が進んでいます。反対側の西口には、ショッピングモールの建設計画があるみたいです。西口の展望テラスの眺望が損なわれなければ良いのですが。
< 上越妙高駅 >
[妙高はねうまライン]のホームに下り立ちました。上下線の列車はどちらも、「E127系」ですが。エクステリアの塗装が違っています。左の下り側の車両は、妙高山のフレッシュグリーンと山並みをイメージしたものになっています。
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10/26 16:00
< 上越妙高駅 >
[妙高はねうまライン]のホームに下り立ちました。上下線の列車はどちらも、「E127系」ですが。エクステリアの塗装が違っています。左の下り側の車両は、妙高山のフレッシュグリーンと山並みをイメージしたものになっています。
< 「なんば山」に >
〜まもなく、陽が沈みます。名残惜しいですが、予定していた新幹線を2本繰り上げ(2時間早くなる)ました。
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10/26 16:00
< 「なんば山」に >
〜まもなく、陽が沈みます。名残惜しいですが、予定していた新幹線を2本繰り上げ(2時間早くなる)ました。
< 北陸新幹線「上越妙高駅」 >
私の切符は自由席なので、後方の車両になります。12〜14両目が自由席です。通勤時間帯より早い時刻になったので、余裕で着席出来そうです。
2017年10月26日 16:04撮影
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10/26 16:04
< 北陸新幹線「上越妙高駅」 >
私の切符は自由席なので、後方の車両になります。12〜14両目が自由席です。通勤時間帯より早い時刻になったので、余裕で着席出来そうです。
< はくたか567号 >
〜に乗車。16時17分発−終点の金沢17時20分着です。
2017年10月26日 16:16撮影
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10/26 16:16
< はくたか567号 >
〜に乗車。16時17分発−終点の金沢17時20分着です。
< 糸魚川駅 >
糸魚川港の近くが見えました。
2017年10月26日 16:31撮影
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10/26 16:31
< 糸魚川駅 >
糸魚川港の近くが見えました。
< 黒部宇奈月温泉駅 >
上の写真は、「黒部川」の近くを撮っている(通っている)のですが、暗くて川の位置が確認出来ませんでした。「黒部川」を渡り1kmで「黒部IC」のそばを通り、さらに1km進むと「黒部宇奈月温泉駅」に停車します。
2017年10月26日 16:44撮影
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10/26 16:44
< 黒部宇奈月温泉駅 >
上の写真は、「黒部川」の近くを撮っている(通っている)のですが、暗くて川の位置が確認出来ませんでした。「黒部川」を渡り1kmで「黒部IC」のそばを通り、さらに1km進むと「黒部宇奈月温泉駅」に停車します。
< 富山駅の直前 >
〜に来ました。夕陽で背後が燃えているような『呉羽丘陵(呉羽山)』が見えました。駅北方面には、オフィースビルやマンションが建ち並びます。以前、私は、呉羽丘陵を縦走しました。
● 越中国『呉羽丘陵』〜呉羽山から城山(白鳥峰)さらに杉谷まで縦走〜 2017年06月11日
https://yamare.co/1156434
2017年10月26日 16:54撮影
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10/26 16:54
< 富山駅の直前 >
〜に来ました。夕陽で背後が燃えているような『呉羽丘陵(呉羽山)』が見えました。駅北方面には、オフィースビルやマンションが建ち並びます。以前、私は、呉羽丘陵を縦走しました。
● 越中国『呉羽丘陵』〜呉羽山から城山(白鳥峰)さらに杉谷まで縦走〜 2017年06月11日
https://yamare.co/1156434
< 富山駅の直後 >
〜で、『神通川』を渡ります。
2017年10月26日 16:58撮影
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10/26 16:58
< 富山駅の直後 >
〜で、『神通川』を渡ります。
< 二上山 >
「ふたがみやま/ふたがみさん」です。列車が『庄川』を渡る瞬間が、ベストショットです(一瞬、視界が広くなります)。
2017年10月26日 17:07撮影
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10/26 17:07
< 二上山 >
「ふたがみやま/ふたがみさん」です。列車が『庄川』を渡る瞬間が、ベストショットです(一瞬、視界が広くなります)。
< 稲葉山 >
能越道「福岡PA」のそばを走っています。[福岡PA−福岡IC]間の約3.5kmわたって、能越道と新幹線が並走しています。
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10/26 17:11
< 稲葉山 >
能越道「福岡PA」のそばを走っています。[福岡PA−福岡IC]間の約3.5kmわたって、能越道と新幹線が並走しています。
< 金沢駅に到着 >
時刻は17:20です。七尾線の乗車時間まで1時間ほどあります。私、恒例の『駅飲み』することにしました。
2017年10月26日 17:20撮影
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10/26 17:20
< 金沢駅に到着 >
時刻は17:20です。七尾線の乗車時間まで1時間ほどあります。私、恒例の『駅飲み』することにしました。
< 上越IC近くにある >
〜天然温泉「上越の湯」です。2週間前、私はマイカーで訪れた時に、この温泉を利用しました。今回、金沢駅で『駅飲み』している間、写真は撮っていませんでしたので、みなさまは、美味しいお酒の代わりにこの写真をご覧下さいませ。さて、1時間ほど私は、金沢駅百番街『あんと』にあるお寿司屋さんで、美酒をいただき満足したところで、七尾線に乗車しました。
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10/12 15:20
< 上越IC近くにある >
〜天然温泉「上越の湯」です。2週間前、私はマイカーで訪れた時に、この温泉を利用しました。今回、金沢駅で『駅飲み』している間、写真は撮っていませんでしたので、みなさまは、美味しいお酒の代わりにこの写真をご覧下さいませ。さて、1時間ほど私は、金沢駅百番街『あんと』にあるお寿司屋さんで、美酒をいただき満足したところで、七尾線に乗車しました。
< 七尾駅に到着 >
いつも、こちらの『とうはくん』が出迎えてくれます。
『とうはくん』は、能登国七尾出身の絵師「長谷川等伯」をモチーフにしたキャラクターです。
2017年10月26日 19:32撮影
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10/26 19:32
< 七尾駅に到着 >
いつも、こちらの『とうはくん』が出迎えてくれます。
『とうはくん』は、能登国七尾出身の絵師「長谷川等伯」をモチーフにしたキャラクターです。
< 改札を出て七尾駅前 >
コンパクトな町ですが、わりとこざっぱり(スタイリッシュ?)した街だと自負しています。
〜スライドは以上です。
2017年10月26日 19:34撮影
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10/26 19:34
< 改札を出て七尾駅前 >
コンパクトな町ですが、わりとこざっぱり(スタイリッシュ?)した街だと自負しています。
〜スライドは以上です。
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