あの子に会いに愛鷹山系へ
- GPS
- 06:54
- 距離
- 12.6km
- 登り
- 1,117m
- 下り
- 1,109m
コースタイム
- 山行
- 5:26
- 休憩
- 1:27
- 合計
- 6:53
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2018年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
(十里木の駐車場は多くの路肩駐車が見られました。) |
コース状況/ 危険箇所等 |
・鋸岳のルートは鎖やロープが付いていない急なガレ場も多く、安易に入り込まないで下さい。 ・大沢入林道への道は入口に道標があり沢沿いに降りていく。不明瞭な部分もあるが注意して見回せば古いマーキングテープやケルンが必ずあり間違えることは無いと思います。沢沿いでもそれほど危険な個所もないです。 |
写真
感想
去年、越前岳に咲くコイワザクラを見て、愛おしくなり今年も会いたくなり行ってきました。
しかしせっかく会えたのに、またまたやってしまった。写真を撮ろうとするとメモリーカードが入っていませんの表示。写真をパソコンに移すためにカードをパソコンにセットしたままで来てしまったのだ。仕方なく、カメラ本体の僅かなメモリー容量で写真を撮る。去年よりも元気に咲いていてくれていたのに。しかし、数枚撮ると容量がありませんと出てくる。今日歩くコースは最後の下降ルート以外はすでに何回も歩いているので、余分な写真は全て消去しながら花に特化して撮ることに。とほほ・・・・。
サクラちゃんの姿を心にしっかりと刻んで諦める。愛鷹山系の岩場にはけっこうコイワザクラが見られる。割石沢の岩場にも咲いているのが判る。(遠くて、危険で写真は無理)
それならば鋸岳の岩場はどうかなと興味が出てきて、7年ぶりに鋸岳超えを試みる。鋸岳は崩壊が進んでいて危険なため入ることはご遠慮くださいの表示が出ている。若い時は鋸沢や悪石沢の登下行して遊んだが、歳と共にバランス感覚が衰えてきて、また咄嗟の場合の反射瞬発力が弱くなっているので前回でもう、鋸岳超えは止めようと決めていたのだがコイワザクラへの興味に負け強行。やはり以前に比べて、恐怖心が出てきて、これで本当に最後にしようとの思いを強くする。自分で入っていて気が引けるが熟練者以外は絶対に入らないで下さい。
コイワザクラは鋸岳ルート上にポツリ、ポツリと顔を出して励ましてくれる。近寄れそうもない離れたところでは10株程度纏まったものも見受けられた。ルート上にあってもメモリーが無いこともあるが写真を撮るような余裕は無い。何とか無事に鋸岳超えを完了。
今日の最後の目的はまだ歩いたことのない位牌岳手前から大沢入林道に下りる地図上には載っていないバリルートの確認である。入口の案内から下山開始するがルートは不明確ながらも古いがマーキングテープ、ケルンも多くて、あまり不安を感じることなく大沢入林道に下りることが出来た。
コイワザクラの咲いている場所は登山道以外の所で足場も悪いため無闇に歩き回らないで下さい。越前岳から呼子岳の間では3株ほど登山道脇で見ることが出来ました。
今日の宿題は終わったのでヤマシャクヤクの咲いているところへ。ヤマシャクヤクはまだ蕾が50%、咲いている株が20%程度、咲き終わった株が30%の感じであった。ほとんど同じ場所で陽当たりも差がないように思えるが咲き方は不思議のことに各株バラバラの感じである。
帰りはサファリパーク、グリンパ遊園地、こどもの国などが集中しているので5月5日で渋滞するかなと覚悟していたがスムーズに走ることができ予定よりだいぶ早い時間に戻ることが出来た。
先日、富士山でお会いした友峰です、初対面のその時は貴方が fujinohideさんとは知らず失礼致しました。以前から貴方の富士山に対する深い思い入れを知っており、いつかお会いしたいと思っていました。
コイワザクラ、ヤマシャクの咲く季節なんですね、私は花より団子の方でして、昨年、愛鷹山 ( 越前岳 ) の常連さんで佐藤さんにヤマシャクの咲いている場所を教えて貰いました、その後も麝香( ジャコウ )草の場所も、ヤマシャクは知っていましたが麝香草を初めて、ネットで調べると珍しいそうですね。
話しは元に戻って、スカイラインが出来る前、昭和 42年の冬、車で終点の○合目 に行き山小屋に泊り、翌日登って雪上訓練をやりました、当時の車道の終点は何合目ですか、教えて下さい。また当時の地図があったらヤマレコで紹介して頂けると嬉しいです。
私はシャイ( )なので富士山ではしっかりとご挨拶もしないで失礼しました。
70歳過ぎてからはピークに登るより珍しい花を求めての山歩きが中心となりました。(ただ単にハードな山歩きがきつくなっただけかも)
スカイラインですが「富士登山今昔」(富士宮市教育委員会著)では昭和35年に新三合目、昭和38年に新五合目下までバスがあがるようになったと書かれています。
(新三合目が今のどこなのか不明です。私は七曲り駐車場ではないかと推定しています。)
一般的にはスカイラインの全面共用開始は昭和45年になっていますので、バスだけ先行してあがれたのか不明です。(林道を拡幅しながらスカイラインができ、新たに整備したのは7Km位とのことで舗装していない林道をバスがあがったのかもしれません)
夏ですが、私が昭和39年、42年に友人と富士山に登っているのですが、その当時の山日記にはバスであがり新五合目から歩き出しています。写真機も持っていなかったので写真はありません。当時、旧三合五勺(新五合目)の「雲切り室」が営業していたか、解体されていたかは記憶がないです。この時の地図はまだスカイラインが記載されておらず古い地図を利用していました。
友峰さん、これからも宜しくお願いします。
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