六甲全山縦走(むか〜し昔の話)
- GPS
- --:--
- 距離
- 42.3km
- 登り
- 2,841m
- 下り
- 2,787m
コースタイム
- 山行
- 17:05
- 休憩
- 1:55
- 合計
- 19:00
神戸市主催の縦走大会(参加者が多すぎて私は苦手)のようにサポートがある場合や1人で行く場合は、12〜14時間程が標準かなと思います。
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
---|---|
コース状況/ 危険箇所等 |
西側は開発が進み、街中を歩く部分が多く景観も行く度に変わるので、そこで道に迷ってしまう事が多かったです。また、須磨アルプス出口の妙法寺(禅昌寺)への道は崩壊が進み、本レコのルートは今は通行できません。 |
その他周辺情報 | 電車、バス、ケーブル等、途中しんどくなれば容易にエスケープできるのが六甲縦走のいいところ。但しカンツリーハウスを過ぎると行くしかなくなるので、ギブアップするタイミングを失わないように。 |
写真
装備
備考 | 朝から行くとしても、東六甲縦走路は夜になるかもしれないのでヘッドライトを忘れずに |
---|
感想
コロナで大変な世界となっている今、人のいない場所に一人でいれば大丈夫と思うものの、行く途中で人に迷惑をかける可能性もあるので、出歩くのもままならず、暇を持て余すようになりだしたところ、山レコさんが「過去の山行記録」登録キャンペーンをしてるとの事なので、古い記憶と記録を元に投稿させていただく事にしました。
初めて六甲縦走に行ったのは、まだ登山というものを始める前の高校生の頃だったかな(余りにも昔でよく覚えてません)と思います。
兄に誘われ新聞社主催の東六甲縦走路を歩いた時に六甲全山縦走というのがあるのを知り1人で初挑戦
その時は早朝に須磨浦公園から出発したが、まだまだ山の歩き方を知らない若僧 ホイホイといい調子で歩いてたら、それがこたえて菊水山の登りでバテバテに。続いて鍋蓋山でまたバテバテに。最後の摩耶山天狗道でヘロヘロに。
まあ若さもあったので、その時は無事11時間40分程で宝塚へ着く事ができました。
結局は、この縦走が山好きになったきっかけかもしれません。
それから2〜3回1人で挑した後就職
昔は職場仲間で遊びに行くのが普通だったので、気の合う仲間を誘ってハイキング(そう「合ハイ」というのもありましたね)も時々してたのですが、みんな山は素人。山歩きなんてした事も無いという人もいたので、とにかく全員が最後まで行けるようにと夜遅く塩屋(本来はここからですが、神戸市主催の縦走は、混雑対策から須磨浦公園)を出発
かつて自分が菊水山の登りでバテバテになった経験から、とにかく皆のはやる気持ちを抑えさせて、最初はゆっくり歩く事を心がけました。
結局、春・秋と計十数回計画しましたが、雨で2回程途中で諦めたのを除き、無事全員(1人だけ布引で帰したかな)宝塚まで完走する事ができました。
「孤高の人」の加藤文太郎も歩いたこの六甲縦走、行く度に、帰りの電車の中では「こんなしんどい事もうせえへん」と思うのですが、少し経つとまた行きたくなる。
本当に不思議な魅力を持ったコースです。
cyuusanさん、
はじめまして。
懐かしい写真とレコ、楽しく拝見させていただきました。
山の様子は変わりませんね。
何処かすぐに解りました。
それに対して、人(服装や髪型)や人工物(パラボナアンテナや宝塚の街並)はかなり変わっているようです。
とても貴重な写真ですね。
昔から愛されている山であることがよく解りました。
ありがとうございました。
Kumainkobe ฅʕ·ᴥ·ʔฅ
Kumainkobeさん
コメントありがとうございます。
写真で顔出しはどうかなっと考えながら、まあ何十年も前の写真を見て、本人さん以外は分からないだろうからまあいいかという事で掲載させていただきました。
確かに服装や髪型って時代を感じますね。このもう少し前の写真なら、メガネでもっと時代を感じるんですが(笑)
今は京阪沿線に住んでるので、すっかり近くの山へは行かなく(京阪沿線は歩きごたえのある山が少ない)なりましたが、それまでは阪神沿線に住んでたので、ハイキングと言ったら六甲山でした。
また、六甲といったら神戸といった感じで、街と一体化しているのに変化に富んだコースが縦横無尽にあって、とても素敵な山ですね。大好きです。
懐かしい写真ありがとうございます。
yukimizakeさん
コメントありがとうございます。
気持ちと心意気はまだまだ変わってないんですけどね〜
初めまして<m(__)m>
拙者は1988年(〜1993年まで)に初めて六甲全縦大会に参加しました。
一人参加ですし、歩くのに必死で写真を撮る余裕はなく一枚もありません。
…って、カメラを持参したことはなかったと思います。
ですので非常に懐かしい写真…有難うございます。
今はもう米軍パラボラアンテナはありませんね。
返還されたのが1992年ですが、あまり全縦の記憶として脳裏に残っていないのはなぜか?と考えたのですが…。
⇒きっと頂上部を巻いて、そのまま縦走路を東六甲へと進んだからか?
⇒すなわち「ズル」したのではないか…
との疑惑が生じて汗を掻いております
拙者も初挑戦時はペース配分が分からず、とにかくぶっ飛ばしました。
でも摩耶山頂で弁当を食べようとしたら…ダメでした。
内臓(胃腸)までバテてしまったんですね。
後は宝塚までトボトボ…。
⇒東六甲・譲葉山辺りから見える街の灯りに励まされども…遠いなぁ。
⇒塩尾寺に着いて安堵するも…確かにそこからが遠い
3年前に23年振りに歩いてみたら、街中で道に迷いながらもなんとか完歩できました。
でもまだ塩谷駅から歩いたことがないので…次は
隊長
こんにちわ。
そうですか。 yamabeeryuさんも六甲全縦のベテランですね。
六甲の山頂って、山上の街中から出て「さあ早くゴールしたい」って思ってるとこに、微妙に数回車道からハイキング道に入ったり出たりするので、寄りそびれる事ってありますよね。
そして東六甲縦走路の長い事。仲間で行った時は、それまでベラベラしゃべってたやつらが全員無口になり、ただひたすら歩いてたのが印象に残ってます。
私もまた挑戦しようかな。
追伸: 自己紹介に書かれてたストック不要派 私もです。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する