瑞牆山、金峰山、甲武信ヶ岳(57代秋合宿)
- GPS
- 100:15
- 距離
- 35.3km
- 登り
- 2,845m
- 下り
- 3,281m
天候 | 終日晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2005年11月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
下山場所の「広瀬(新地平バス停)」付近に温泉等はなく、ひとつか二つ先のバス停まで行かなくてはいけない。(バスの本数はそれほど多くはない。) |
感想
11月17日 新宿駅=韮崎
19時半新宿駅中央線ホームに集合。先発隊で全行程を踏破し終えた、既に気楽な現役部員は、なんと全メンバーが集合。
大変にぎやかで、ありがたい。ラッシュ時なので、デカイ荷物を抱えた我々は二手に分かれて時間をずらして乗車。高尾で合流し、一路韮崎へ。到着し次第、即就寝。さすがにこの時期ともなれば、夜はけっこう冷えこんでいた。
11月18日 韮崎=瑞牆山荘−瑞牆山−富士見平小屋C1
6時起床。呼んだタクシーにすぐ乗り込む。瑞墻山荘に着き、すばやく準備をするよう促す。すると、一年米山のザックから何やら白い液体が滴り落ちている。おいおいおい、朝っぱらからやってくれるZE。
とりあえずなんとかしてもらい、7時52分いよいよ出発だ。
50分程で順調に富士見平小屋へ着くのだが、調子に乗って差し入れを持ちすぎた鳴海がドハマリする。浅井はひざが悪いので団配は三キロだが、鳴海と米山には冬に向けた錬成的効果も意識し、十キロの団体装備を振ってある。その辺りを踏まえていただいて、「ご利用は計画的に」といった所だろうか。
瑞牆ピストンに出掛ける前に、テント設営と荷物の整理。新人伊藤は初合宿なので、指導は懇切丁寧に、だがやることはやって要点を突く、と終始これに尽きる。さらに我が隊には、新人指導をこれまで任せられなかった一年米山が属している。彼にも積極的に指導の機会を与え、その遅れも合わせて取り戻す。新人が少ないと上級生に余裕ができるので、非常に良い。もちろん「現場では」という話で、少なくていいということはないが。
9時15分に登り始め、二時間かからずに瑞牆山頂着。展望バッチリの山頂。二年以上は新歓合宿以来二度目の登頂となる。下りは洋平のペースが少々落ちたが、特に問題なく下山。幕営生活では余裕のない洋平に細かい指導が入る。冬に向けて諸々念入りに叩き込まれている。
この日は幕営地の管理人は不在であった。有り難く幕営させていただき、跡を濁さず「トリの如く」立ち去る予定であったが、律儀なSL古川が集金ポストなるものに規定の宿泊費を支払ってくれちゃったようだ。なんともまぁ、正直でよろしい。同期としてとても誇らしい彼の姿勢を見習いつつ、歯痒さで悶々としながら21時に就寝。
11月19日 富士見平小屋−金峰山−大弛峠C2
4時起床で食当。5時半前に撤収を開始したが、テントが凍り付いていて撤収に手こずる。冬はこんなものではない。6時10分富士見平小屋を出発。今日は米山にトップをやってもらう。盛り上げはなかなか上手だが、やはり後ろを振り返るタイミングが少しずれている。隊行動の意識を持とう。途中「フジミ→」と書かれた岩の矢印の先に立ち、もはや恒例となった記念撮影。フジミの称号を得て洋平もニッコリ。
毅然とした態度で前へ進む。
11時33分金峰山到着。大休止を取る。五畳岩でボルダリングに興じるもの数名あり。ここで同期の柳瀬が差し入れた「キャベツ太郎」特大袋バージョンが、満を持して登場。五畳岩の隅で「小人」になった古川はニコリと笑う。
大休止の末、充電された体を動かし、金峰山を12時25分に発つ。その後は先発隊が訪れた際に降ったものと思われる残雪の凍結に悩まされながらも、前へ前へと進む。最後の最後で洋平のスピードもガタ落ち、天気図のため古川・米山は分隊。切り離し後も歩き続け16時5分、幕営地の大弛小屋に到着である。
天気図のない浅井、鳴海、洋平の三人でテント設営。ポールが凍っている状況にあたふたする場面があったため、まずは落ち着いて対処するようにと呼びかけた。外は寒いので、コーヒーを沸かし、プロテインを摂取・・と休息をとってから、夕食とした。
根性一本も何度かあったが、まだ弱音を吐かず洋平は頑張っている。後に語るにはこの日が一番つらかったということだった。確かに多少元気がなかったが、彼にしてはよくやっているほうだとの意見も多く、このままの方針で全行程を歩き通してもらうことを全員で確認。22時に就寝する。
11月20日 大弛峠−甲武信ヶ岳−甲武信小屋C3
4時起床。朝食にはキムチと納豆のコンボで差し入れが支給されたが、一同大いにハマる。浅井はいつものことだが、洋平も必要だと訴えたため、サポーターやテーピングのセッティング時間を十分に設けたあと、撤収。少々時間をかけたが、6時43分大弛小屋発。夢の庭園経由で、国師ヶ岳へ。今日のトップは鳴海。天気もよく、勢いもあり、皆ぐんぐんと進む。奥秩父最高峰の北奥千丈ヶ岳にも登頂し、しばし休憩する。雲取まで縦走し、三峰に抜けた先発隊は、我々よりは歩む行程は長い。その彼らが、降雪に見舞われるなどの悪天候により、登頂は見送ったと聞いていたピークなだけに、是が非でも登っておきたいところ。無事に晴天の下に山頂を踏むことができ、一同歓喜の雄叫びを響かせる。
15時25分甲武信ヶ岳山頂着。洋平は辛そうだが、弱音を吐かずに歩き続けている。気合の式典のあとは、記念撮影もそこそこに、急ぎで天気図部隊が分隊して進む。残る本隊も急坂をしっかりと歩き、16時20分甲武信小屋到着。
かぼちゃフレーク入りのパンプキンシチューという夕食に一同再びハマる。飯のハマりパターンの多い合宿だ。反省は洋平に対し、「コミュニケーションは向上しているし、歌を歌う場面も見られ、ずいぶんと成長してきているのでは」という高評価で終わった。この調子で最後まで乗り切ろう。いろいろと動きが遅くなったが、22時半に就寝。
11月21日 甲武信小屋−雁坂小屋C4
6時起床のはずが寝坊。中だるみを〆て、朝食。昨日と同様の流れで出発準備。少々時間はかかるが仕方ない。8時10分出発。最終日が近づいたこともあり、洋平には体力の勝負にも挑んでもらう。ここに来て、錬成レベルとはいわないまでも団体装備の配分を重くする。特にダンロップのメインを持つという、新人には「精神的にも重たい経験」をここで踏んでもらう。そんな中、読図にも積極的に取り組んでおり頼もしい。ただ、ストックを置き忘れて出発しようとするなど装備管理の甘いところは新人らしいミスで油断ならない。
幕営地の雁坂小屋を前にして、まだまだ天気は良好。雁坂峠にてラーメン差し入れ休憩をとる。差し入れ主は二年であるため、洋平と三年は暇。歌本を抱えて、Lは洋平とaikoを熱唱♪。謎にみちた時間をすごしてから、ラーメンをおいしくいただく。テント場にはその後すぐに到着できた。
管理人も不在で、静まり返った幕営地だ。最終夜もあるし、狭いテントはどうかとも思ったが、主旨を踏まえてしっかりと幕営する。小屋で寝ている場合ではない。辛いカレーを食した後は、いよいよ最終夜を迎える。とその前に、上級生で反省をしていると、遠くから鹿の鳴き声が響く。「おぉ〜」とか言いながらもミーティングを終え、一人さびしく待つ洋平の下へ帰ると、暗闇で震え上がっていた。どうやら鹿に襲われると思ったようだ。かわいい奴め。そんな彼のために、上級生の持ち寄った数々の「夢のドリンク」が差し出される。鳴海の3L缶ビールを筆頭に、米山の1.5Lのレモンサワー、古川お好みの梅酒に、Lのウーロン茶・・いやウイスキーだったかな・・。浅井の酎ハイも足せば、選り取り見取り。夢いっぱいのテントの中で感想を聞くと、いろいろ飛び出した。
「二日目は本当に辛くてもう無理だと思ったが、人生何とかなるものだと思った。前回の山行では、地図などまるで見られなかったが、今回は地図が役立つものだとわかるようになった。晴れていて本当によかった。神は見放していなかったのだと思った。雨の山を知らずに一生を終えたい・・・」
とバラバラな発言で感想を語る。そんな彼に二年生も温かい言葉をかける。
「読図上手だよ(米)」
「成長速度はすごい。君の思考はいい。プラスでいこう(鳴)」
「僕の名前・・覚えてるよね・・・?(浅)」
ということで、ここで唐突に、部員の「苗字」と「名前」を一致させるというかつて聞いたことのない洋平限定のゲームが始まった。Lノートの一部を切り取り、ちらばった「名前」と「苗字」を結び付けていく。
果たして結果は、・・彼の名誉のためにも、ここでは伏せておこうか。
有り余る夢の空間で六人のメンバーは大いに盛り上がり、夜も更けていった。
11月22日 雁坂小屋−新地平
6時起床。朝飯は白ソーセージのスープという極ウマメニューで、まるでハマらない。7時50分に出発。
洋平の重量は変更なしだが、下山パワーで衰えず歩ききる。沢沿いを下るルートであるために、積雪が心配されていたが、問題はなさそうだ。
途中沢をまたぐ場面もあったが、お茶目な鳴海は川に張った氷を拾い上げて遊んでいた。洋平は、足元がふらついているかと思うと、滑りやすいところに体重を預けてヘマすることも。どんな場所でも気を抜かぬように用心させ歩かせる。
12時14分、広瀬(新地平バス停)までたどり着き、ようやく長旅が終わる。すぐに目の前の料理屋で打ち上げを開催した。
まったりトークを聞く限り、L層はもちろん、二年生も、やはり距離のない縦走という感はぬぐえず、物足りなさが残っていたようだ。だが、これが我々の選んだ57代のスタートラインなのである。今後やりたい活動が何なのであろうと、必要だと思って踏みだした最初のステップであり、固めなければいけない足場なのである。
ずいぶんと悩み時間をかけて導き出した年間方針だった。これからも様々なことに心惑わされることもあるかもしれないが、自分の中で誓ったそのスタンスに沿って行動していこう。改めて方針を再確認しながら、バスに乗り込み東京へと向かった。
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