紀の川最上流部、奈良県川上村入之波から林道北股線を経て、林道三之公線の終点から出発します。
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紀の川最上流部、奈良県川上村入之波から林道北股線を経て、林道三之公線の終点から出発します。
まずは右手に明神谷を見下ろしながら、たくさんの木製桟橋が架かる明神滝・カクシ平へと続く遊歩道を辿ります。
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まずは右手に明神谷を見下ろしながら、たくさんの木製桟橋が架かる明神滝・カクシ平へと続く遊歩道を辿ります。
遊歩道入口から45分ほどで明神滝に到着です。落差40m、落口から一直線に落ちる美しい直瀑です。
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遊歩道入口から45分ほどで明神滝に到着です。落差40m、落口から一直線に落ちる美しい直瀑です。
明神滝から一旦遊歩道を戻り、カクシ平方向へ少し進んだ遊歩道脇に立つヒノキの大木を目印に斜面を下降、明神滝の落ち口に降り立ちます。
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明神滝から一旦遊歩道を戻り、カクシ平方向へ少し進んだ遊歩道脇に立つヒノキの大木を目印に斜面を下降、明神滝の落ち口に降り立ちます。
明神谷の遡行を開始して最初に現れるのが、青い釜に落ちる8mのニノ滝。ここは右側から高巻きます。
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明神谷の遡行を開始して最初に現れるのが、青い釜に落ちる8mのニノ滝。ここは右側から高巻きます。
ニノ滝を越えると、しばらくは小滝や大きな釜を見ながら穏やかな渓相が続きます。
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ニノ滝を越えると、しばらくは小滝や大きな釜を見ながら穏やかな渓相が続きます。
標高660m、左にカクシ平谷が分かれる二俣で、ここから右の馬の鞍谷に入ります。
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標高660m、左にカクシ平谷が分かれる二俣で、ここから右の馬の鞍谷に入ります。
二条の流れが美しい9m夫婦滝。ここは左から上がります。
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二条の流れが美しい9m夫婦滝。ここは左から上がります。
夫婦滝からしばらくで見えてきたのが、馬の鞍谷核心となる、暗い岩壁の隙間に落ちる3段25m滝。下部からは先が見えないので最下段の滝を登ると…
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夫婦滝からしばらくで見えてきたのが、馬の鞍谷核心となる、暗い岩壁の隙間に落ちる3段25m滝。下部からは先が見えないので最下段の滝を登ると…
上部が見通せ全貌が見えました。最上部がちょっと悪くシャワークライムになるということで高巻くか迷いましたが、季節的には水量が少ない時期なので登ってみます。
さすがにこの時期ずぶ濡れは嫌なので流心を避けて登りますが、それでも飛沫を浴びて身体が冷たく、そして最後抜け切るあたりがややしょっぱい…。
高巻くなら下から左岸側を登って越えます。
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上部が見通せ全貌が見えました。最上部がちょっと悪くシャワークライムになるということで高巻くか迷いましたが、季節的には水量が少ない時期なので登ってみます。
さすがにこの時期ずぶ濡れは嫌なので流心を避けて登りますが、それでも飛沫を浴びて身体が冷たく、そして最後抜け切るあたりがややしょっぱい…。
高巻くなら下から左岸側を登って越えます。
その先5m斜滝、その上には2段12m斜滝が続きます。ここは5m斜滝から左側を上がり、2段12m斜滝の上段で流れに復帰します。
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その先5m斜滝、その上には2段12m斜滝が続きます。ここは5m斜滝から左側を上がり、2段12m斜滝の上段で流れに復帰します。
やがて右にはっきりした谷を見ると、標高780mの二俣。本谷は右ですが、ここは馬ノ鞍峰に突き上げる左の谷へと進みます。
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やがて右にはっきりした谷を見ると、標高780mの二俣。本谷は右ですが、ここは馬ノ鞍峰に突き上げる左の谷へと進みます。
左の谷に入って間もなく現れる5m滝。そのすぐ上には…
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左の谷に入って間もなく現れる5m滝。そのすぐ上には…
滑らかに落ちる6m滝。5m滝は左から、6m滝は右から越えると…
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滑らかに落ちる6m滝。5m滝は左から、6m滝は右から越えると…
一旦流れが消えて伏流となり、黄色く染まる斜面を見ながら、沢を埋める岩屑を踏んで登って行きます。
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一旦流れが消えて伏流となり、黄色く染まる斜面を見ながら、沢を埋める岩屑を踏んで登って行きます。
再び流れが現れると小滝が連続し、その先には柔らかな陽射が降り注ぐ明るい7m滝が迎えてくれます。空からはヒラヒラと落ち葉が舞い降りて、なんとも秋らしい雰囲気に包まれていました。
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再び流れが現れると小滝が連続し、その先には柔らかな陽射が降り注ぐ明るい7m滝が迎えてくれます。空からはヒラヒラと落ち葉が舞い降りて、なんとも秋らしい雰囲気に包まれていました。
7m滝に続く9m滝。これを左から越えて…
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7m滝に続く9m滝。これを左から越えて…
その先で沢を離れ、左手の尾根に取り付いて登って行きます。
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その先で沢を離れ、左手の尾根に取り付いて登って行きます。
尾根に上がると、目に飛び込んできたのは何本ものトガサワラの大木。トガサワラは紀伊半島と四国南部のごく限られた範囲でしか見られない日本固有種で、「生きた化石」と呼ばれています。
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尾根に上がると、目に飛び込んできたのは何本ものトガサワラの大木。トガサワラは紀伊半島と四国南部のごく限られた範囲でしか見られない日本固有種で、「生きた化石」と呼ばれています。
足元には、独特なトガサワラの球果がたくさん落ちていました。
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足元には、独特なトガサワラの球果がたくさん落ちていました。
やがてカクシ平からのルートと合流、陽が差すと一段と華やかな尾根を辿ると、台高縦走路に飛び出し…
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やがてカクシ平からのルートと合流、陽が差すと一段と華やかな尾根を辿ると、台高縦走路に飛び出し…
標高1177.72m、三等三角点「馬倉」の標石が露出する馬ノ鞍峰に到着です。山頂は樹林に囲まれていますが、落葉した樹々の間から台高や大峰の山並を静かに望みます。
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標高1177.72m、三等三角点「馬倉」の標石が露出する馬ノ鞍峰に到着です。山頂は樹林に囲まれていますが、落葉した樹々の間から台高や大峰の山並を静かに望みます。
台高らしい渋いピークを後に、カクシ平へと下って行きます。西には標高1378.2mの白髭岳が、ピラミダルな姿で聳えていました。
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台高らしい渋いピークを後に、カクシ平へと下って行きます。西には標高1378.2mの白髭岳が、ピラミダルな姿で聳えていました。
立派なトガサワラの大木。「三之公川トガサワラ原始林」は1929年に国の天然記念物に指定されています。
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立派なトガサワラの大木。「三之公川トガサワラ原始林」は1929年に国の天然記念物に指定されています。
南方向には大きな山体の大台ヶ原が横たわります。左端の緩やかな丸いピークが最高峰の日出ヶ岳で、中央のピークが三津河落山、右の小さな三角形が大和岳です。
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南方向には大きな山体の大台ヶ原が横たわります。左端の緩やかな丸いピークが最高峰の日出ヶ岳で、中央のピークが三津河落山、右の小さな三角形が大和岳です。
山頂から西へ尾根を辿り古びた標識に出合うと、左に折れてカクシ平谷源流部を下ります。
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山頂から西へ尾根を辿り古びた標識に出合うと、左に折れてカクシ平谷源流部を下ります。
落ち葉を踏みしめながら斜面を下りやがて地形が緩やかになると、まもなく後南朝ゆかりのカクシ平です。
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落ち葉を踏みしめながら斜面を下りやがて地形が緩やかになると、まもなく後南朝ゆかりのカクシ平です。
森の中にひっそりと祀られた尊義王の墓。尊義王は元南朝方の皇族で、南北朝合一後に約束が果たされないことに不満を抱き、北朝から三種の神器のひとつ・神璽(勾玉)を奪ってこの地に隠れ住んだと云われています。
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森の中にひっそりと祀られた尊義王の墓。尊義王は元南朝方の皇族で、南北朝合一後に約束が果たされないことに不満を抱き、北朝から三種の神器のひとつ・神璽(勾玉)を奪ってこの地に隠れ住んだと云われています。
尊義王は二人の子(自天王と忠義王)とともに父子3人でここに朝廷を立てて南朝復興を画策しますが、そに願いは叶わぬまま病に倒れ、後に自天王と忠義王も神璽奪回を企てた北朝方の赤松家の遺臣により殺害され、後南朝は終焉を迎えます。
一見何の変哲もない森ですが、後南朝の哀しい歴史が秘められたカクシ平です。
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尊義王は二人の子(自天王と忠義王)とともに父子3人でここに朝廷を立てて南朝復興を画策しますが、そに願いは叶わぬまま病に倒れ、後に自天王と忠義王も神璽奪回を企てた北朝方の赤松家の遺臣により殺害され、後南朝は終焉を迎えます。
一見何の変哲もない森ですが、後南朝の哀しい歴史が秘められたカクシ平です。
まるでカクシ平への侵入を拒むかのようにかかる落差20mのカクシ平滝。こんな奥深い地ですが、かつて深田久弥もここを訪れ、その時の様子を『奥吉野の隠し平』に書き記しています。
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まるでカクシ平への侵入を拒むかのようにかかる落差20mのカクシ平滝。こんな奥深い地ですが、かつて深田久弥もここを訪れ、その時の様子を『奥吉野の隠し平』に書き記しています。
沢登りにトガサワラの森、そして後南朝の歴史…山の楽しさがぎゅっと詰まった馬ノ鞍峰。「山の神」に無事下山できたことの御礼をして、山旅を締めくくります。
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沢登りにトガサワラの森、そして後南朝の歴史…山の楽しさがぎゅっと詰まった馬ノ鞍峰。「山の神」に無事下山できたことの御礼をして、山旅を締めくくります。
尊義王・自天王・忠義王、3人の公家が住まわれたことから名付けられた「三之公」。対岸の杉木立の中には尊義王が最初に住んだとされる御所跡があり、かつてそこで盆踊りが行われるほど集落が賑わった時代もあったそうです。今は無人となった三之公集落に、大勢の林業従事者が寝泊まりしていた飯場が寂しそうに残されていました。
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尊義王・自天王・忠義王、3人の公家が住まわれたことから名付けられた「三之公」。対岸の杉木立の中には尊義王が最初に住んだとされる御所跡があり、かつてそこで盆踊りが行われるほど集落が賑わった時代もあったそうです。今は無人となった三之公集落に、大勢の林業従事者が寝泊まりしていた飯場が寂しそうに残されていました。
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