磯野山城址〜有漏神社〜湖北丸山☆紅葉の城址から湖辺の秘境へ
- GPS
- 04:17
- 距離
- 10.3km
- 登り
- 574m
- 下り
- 560m
コースタイム
- 山行
- 3:21
- 休憩
- 0:54
- 合計
- 4:15
過去天気図(気象庁) | 2021年11月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
紅葉が山裾にまで降りてきている。この時期に訪れたいと思っている場所があった。琵琶湖の畔(ほとり)に佇む有漏(うろ)神社だ。まず場所の説明から、湖北の山本山から賤ヶ岳にかけて琵琶湖の湖畔を縁取るように南北に連なる山並みのほぼ中央。勿論、徒歩でしかアプローチすることは出来ないなので、湖辺の秘境と云われるとところだ。
以前に山本山から賤ヶ岳を経て余呉まで縦走したのはやはり二年前の紅葉の季節だった。出発時間が遅かったこともあり、縦走の途中で神社に立ち寄ることを断念したのだった。後にnaojiroさんと山行でご一緒した時に有漏神社への山旅が素晴らしかったという感想をお伺いし、賤ヶ岳から先の縦走を諦めてでも寄り道しておけば良かったと後悔したのだった。
このような場所に神社があるのは堅田の漁師が湖上の交通の守護のためにこの地に神を祀ったらしく、参拝するには湖上を舟で往来するそうだ。
中世の時代にはこの地には阿曽津千軒と呼ばれる集落があったとされる。この集落にまつわる次のような伝説がある。かつてこの集落には阿曽津婆と呼ばれる高利貸しの老婆がいた。村人達が働いて得た金は阿曽津婆の元へと流れてしまうので村人の手元には残らず、村人達は貧困に喘いでいたという。ある時、村の若者達が阿曽津婆を簀の子に巻いて湖へ放り込んだが彼女は堅田の漁師に救いあげられが、阿曽津婆は村人達を呪いながら死んでいったという。老婆の死後、数年して琵琶湖に地震が起こり、集落は押し寄せた津波により湖の底に沈んでしまったとのことである。
湖北の松尾集落で駐車地を探していると宮山古墳への案内標がある。集落の手前で道路脇の広地に車を停めると案内に従って斜面にとリつく。かなりの急斜面ではあるが、偽木階段のお陰で難なく登ってゆくことが出来る。斜面の上部に至ると儀木階段はなくなるが、古い木の階段が現れる。
尾根に乗ると尾根末端から登ってくる踏み跡と合流する。尾根上には早速にも黄色に色付いた樹から鮮やかな透過光が降り注いでいる。黄葉の多くは三出複葉であり、タカノツメのようだ。
尾根には「土橋」と書かれが木製のプレートが地面に落ちている。振り返ると小さな堀切に渡された土橋があることに気がつく。緩やかに高度をあげてゆく尾根を辿ると堀切と思われる人工的な切り通しが次々と尾根に現れる。かつての山城の遺構なのだろう。
ca270mのピークは広葉樹の高木の壮麗な樹林となっている。案内標も何もないが、ここが磯野山の城址と呼ばれる場所であることを後で知る。
三角点ピークが近づくと管理放棄された植林のせいだろう、尾根芯は馬酔木の藪が密生しており、通貨が困難だ。尾根の右手を巻きながら通過する。馬酔木の藪を漕いで山頂に上がると「赤後」と記された大きな山名標が掛けられているが、肝心の三角点の柱石が見当たらない。諦めてピークを後にするが、昨年のnaojiroさんのレコでは三角点の柱石の写真がアップされているので、私達の探し方が悪かったのだろう。
尾根を先に進み、ひと登りしたca320mは山本山から続く稜線と合流するジャンクション・ピークであり、先ほどの三角点ピークよりも標高が高い。ピークには西尾山と記された小さな山名標が掛けられている。ここからは快適な一般登山道が尾根上に通じている。
ピークをわずかに進んだところで「有漏神社→」と記された道標が現れるが、左手の急峻な谷には道らしいものはない。500mほど北に進み、鞍部に至ると今度は「赤尾→」と記された道標が現れるが、ここが有漏神社への下降点である。左手には幅広い木馬(きんま)道が続いている。
道は良好に整備されているようで倒木もほとんどない。少し下ると大きく展望が開け、菅浦半島の先に沖合に浮かぶ竹生島が見える。その彼方には水平線が見えるだけであり、茫洋とした大海が広がっているかのような錯覚を覚えるのだった。
下るにつれて山影に入ると薄暗い谷に向かってつづら折りに降ってゆく。湖岸に古びた案内板が現れ「新坂と米蔵」の説明がある。説明によると、通ってきた道は道は丸子船で運ばれてきたものを山を越えて運ぶための新坂と呼ばれる道であり、明治初期に整備されたものらしい。このあたりには米を貯蔵するための米蔵もあったという。
湖岸に降り立つと薄暗い樹林を歩いてきたせいか波間にたゆたう光が眩しく感じられる。湖辺ではさざ波が心地よい周期的なリズムを奏でている。周囲にはほとんど人工物の見られない琵琶湖の景色は普段とは全く別の表情を見せてくれる。
人工物といえば意外なものが目に入る。右手の岸辺には二つ、テントが貼られていたのである。まずは海岸を北上して、海岸伝いを歩けるか確認しに行く。テントの近くにはボードがあり、SUP (stand up puddle board)で飯浦(はんのうら)から来られたようだ。テントを背負ってボードを漕いで来られたのだろうが、万が一水に落ちるという心配は無いのだろうかと余計なことを心配してしまう。
湖岸伝いに歩けそうであることを確認すると、湖岸に転がる大きな岩を風除けにしてランチを調理する。この日は木ノ本のスーパーで手に入れたロマネスコとベーコン、マッシュルームと舞茸をメスティンで蒸す。時折、冷たい風が吹き抜けてゆくが岩が程よく風を防いでくれた。
食後は再び湖岸を歩いて有漏神社を訪れる。湖岸の樹林の中には石垣が続いているが、石垣の上にはゴミが散乱している。石段を登ると斜面の上に立派な神社が現れた。綺麗に整備されている雰囲気があるが、神社は堅田の漁師が氏子となり管理されてきたらしい。湖畔の鬱蒼とした樹林の中にひっそりと身を隠すように佇む神社の周囲にはなんとも神秘的な雰囲気が漂っていた。
ランチの場所に戻り、コーヒーで一服すると、浜辺を歩いて北上する。地図では湖辺まで急峻な斜面が続いているように記されているが、琵琶湖の水位が低い時期のせいだろうか、歩きやすい浜辺が山梨子(やまなし)まで続いている。さざ波の音を聞きながら浜辺を歩くのは実に爽快であり、山梨子までの距離が短いのが残念に思われる程であった。
山梨子には小さな港があり、かつては琵琶湖の漁で生計を立てたのであろう。集落を抜けて車道を登ってゆくとレンガ造りの立派な坑口を有するトンネルがある。その右手に湖辺の道の標柱があり、峠に登ってゆく古道が目に入る。
古道を辿るとすぐにも飯浦湾の景色が広がり、湖面には斜陽が落とす黄金色の反射が眩い輝きを放っていた。峠が近づくと色づいたカエデの紅葉が華やかに斜面を彩っている。峠の手前にはお地蔵様があるが、首切り地蔵と呼ばれるらしい。案内板によると、この地蔵の前で二人の追い剝ぎが盗品の分配をしているうちに争いとなり、一人がもう一方を殺してしまったらしい。殺した者が地蔵に向かって「誰にも言うな」と言ったところ地蔵が「お前が言うな」と言ったとので怒った盗人が地蔵に切りつけて首から上がないのだとのこと。かつての北国街道が通っていた木の芽峠の言奈(いうな)地蔵にも話の顛末は異なるものの似たような話が伝わっているのが興味深い。
このお地蔵様は以前に賤ヶ岳に縦走した時に見た憶えがない。縦走路から峠越えの古道に入ったところにあるので、滅多に人の目に触れる機会はないだろう。
峠からは西野山に向かって尾根を南下する。夕陽が西側斜面の紅葉を明るく輝かせている。樹間から垣間見える琵琶湖の湖面の反射が日没までの時間が長くはないことを物語っていた。
西野山に戻ると下山路は山本山の方向に進む。鞍部に下ると有漏神社からの海老越えと呼ばれる道が通じている。この道を東側に下るとすぐにも舗装路に降り立つことが出来る。次第に暮色が濃くなってゆく中を正面に伊吹山、南に山本山を眺めながら松尾集落の駐車地に戻った。
※参考にさせて頂いたnaojiroさんのレコ
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2760891.html
※※木の芽峠の言奈地蔵に関する敦賀観光案内サイト
https://www.turuga.org/places/kinometouge/kinometouge.html
コメント
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勉強させていただきました m(__)m
歩かれたルートの北端辺りをビワイチで何度か走りました
興味を抱いて頂けるものがあると良かったです。
この湖北の湖岸は独特の雰囲気があっていいですよね。
有漏神社、知りませんでした。良さそうなところですね。琵琶湖の渇水の影響かもしれませんが、山梨子まで歩けるんですね。今度、行ってみようと思います。
m-kitさんのその場の状況を彷彿とさせるような山行紀が素敵で、昔からフォローさせて頂いておりました。確か昨年の前半でしたでしょうか、レコが全く上がらなくなっていたので心配しておりましたが、体調もご回復されたようで何よりです。
山梨子と有漏神社の間、短い区間なのですが、山と湖しか目に入らない湖岸を歩くのは何とも贅沢で格別の雰囲気だと思います。後のnaojiroさんのコメントにあるように一か所、岩礁の岬がありますが、この時期は難なく越えることが出来ると思います。是非、いらしてみて下さい。
雪が湖岸に積もることがあれば私も再訪してみたい・・・と思っています。
紅葉にドンピシャですね。この時期に訪れるなんて流石です。しかも午後の柔らかい陽射しの中の雰囲気も相まって絶妙のタイミングで羨ましい。私は昨年の11/25に訪れたのですが楓はまだ色付き始めでした。
有漏神社は陸の孤島、湖畔ではさざ波はあるのですが時が止まっているように感じられるのが不思議でした。冬囲いしていなくて良かったと思います。
地蔵が「お前が言うな」‥木の芽峠の「言うな地蔵」と似たような話があるものだと感心しました。
山梨子集落まであるいてみたいと考えていました。でも歳のせいか直ぐ失念してしまいます。湖岸沿いに難なく抜けられるのですね。遠めに見ていると岬は岩礁のように見えました。
来年に再訪してみたいと思います。
この有漏神社への訪問のきっかけを下さったnaojiroさんに感謝です。四季折々良さそうなところですがやはり紅葉の時期がいいだろうと思い、この週末にと思っておりました。
naojiroさんが行かれた時には神社は冬囲いしていましたね。そういえば昨年は紅葉が遅かったかもしれませんね。
山梨子までの間には確かに小さな岩礁の岬があるのですが、渇水期のせいか難なく通過することが出来ました。後のyoneさんのコメントからすると水が少ない時期ならではなのでしょうね。
これは、また興味深いところに行かれてますね。
言い伝えとともに歩くと、色々と感じるところがありますね。
歴史のある日本には、こういった伝説があるのが良いですね。
勉強もできるレコ、ありがとうございましたm(__)m。
GRさんの食指が動けば嬉しいです。
山本山から賤ケ岳の縦走路も魅力的ですが、この有漏神社の周囲の琵琶湖の湖辺はnaojiroさんのコメントのように時が止まっているような・・・あるいは時を超越したような錯覚を感じうる場所かもしれません。GRさんもたまにのんびりまったりハイクをしたくなったら奥様と一緒に是非どうぞ。
そういったのも良いですね。ただ、せっかくの遠征なので、琵琶湖沿いに20キロ位に繋げられれば良いのですが。それにしましても、ヤマネコさんはいつも、一つ一つの山行をとても大事にされていますね。そういったご姿勢が素晴らしいと思っています。
私のレコには気まぐれな山行や単なる散歩としか言えないようなものも含まれていますから・・・
また、マイナーなところ歩かれましたね。アンテナの張り巡らしかた、すごいです。
私も以前歩いたことがありますが、山梨子まで岸辺を歩けるような状況では無かったです。水位マイナス69僂里燭瓠岸辺が出てきたと思われます。
言い伝え等、勉強になるレコ、ありがとうございました
ここを訪れたレコは実に少ないですが、静寂もこの有漏神社の魅力ですね。レコにも書きましたが、naojiroさんの山行のご感想のおかげかも・・・そういえばyoneさんに教えて頂いた「みーな」でも湖辺を歩く特集がありましたね・・・ここは長いこと、この季節が訪れるのを待っていたのでした。
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