黒山-顔振峠-吉田山【渋沢平九郎巡り】
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- GPS
- 04:47
- 距離
- 11.2km
- 登り
- 669m
- 下り
- 657m
コースタイム
写真
t)1868年8月23日明け方、飯能戦争が勃発、他の隊士と離れ離れになった平九郎は顔振峠に辿り着く。茶屋の主人は平九郎が旧幕府軍の隊士である事を見抜き、新政府軍の目の届かない秩父へ抜ける道を勧めたが、百姓に化けるため太刀を預け、越生方面へ下って行く。同日午後4時に黒山村(現越生町黒山)に下るが斥候隊と遭遇する。敵方3人に小刀で応戦、1人の腕を切り落とし、1人にも傷を負わせたが、右肩を切られ、足には銃弾を受けた。平九郎の気魄に恐れをなし、斥候隊の1名が仲間を呼び戻って来ると、川岸の岩に座し自刃をとげていた(享年22)。
↑Wikipediaより
傍のグミの木は紅い実をつけ、平九郎グミと呼ばれるそうだ。
感想
2021年の大河ドラマの影響もあり、秩父方面の山に行くとTzさんが渋沢栄一にまつわる話をしてくれた。なかでも面白かった話は浅間山の噴火がなければ、今日に語り継がれる渋沢栄一はいなかったという。その他、渋沢栄一の義弟・養子の渋沢平九郎が、以前2019年1月に猪鍋を食べた平九郎茶屋と縁がある事が分かり、渋沢平九郎について学びを深める山歩きを計画しました。
若くして壮絶な最期を遂げた渋沢平九郎、正義感に溢れた真面目な人物だったんだろうなあ…
少し遅れて出社したスタッフによると、平九郎茶屋の女将は90歳、2年前と比べると耳はさらに不自由になり、元気もなくなったが、お見送りをしてくれる姿は変わらなかった。前回、Tzさんが猪鍋を撮るのに時間をかけていたら、「温かいうちに早く食べなさい!」と鍋を混ぜてくれた事を覚えている。肉うどんを食べにまた再訪したい。
yamakoさん、Tzさん、今年もありがとうございました。来年のエレガッツも楽しみだ😊
P.S:平九郎スタンプラリーが気になった🙂
y)当初の破風山から渋沢平九郎の史跡巡りになり、気持ちのよい天気の中、エレガッツの皆さんと軽いハイキングを楽しみました😊2年前の雪の日にきた平九郎茶屋。ドラマの影響でお客さんも多く、女将の90歳のおばあちゃんもてんてこまい😵渋沢平九郎効果はすごい👏色々とお勉強させていただき、お二人に感謝💕これからじっくり平九郎の歴史を知りたいと思う。Tzさんに平九郎について語ってほしいとお願いするも、秩父の地質や地形が好きで歴史はあくまでもそれに関連する流れのようです😅
午後から長瀞キャンプ場へ移動の予定もあり、エレガッツの皆さんとは半日だけでしたが、とても楽しい時間でした!!
また来年もお付き合いの程、よろしくお願い致しますねー😊今年もたくさんの思い出ありがとうございました🙇♀️‼️
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