〈夏峯〉に続いて、今回の〈冬峯〉も、こちらの絶版本を元ネタとしつつ、現代的ロングトレイルハイカーの視点を経由しつつ私なりのルート解釈で歩く。
尚、著者の池田さんが〈冬峯〉の主な基本資料とした古文書は『冬峯手鑑』である。
また、尊敬すべき先行者と言える、ヤマレコユーザー様の記録群に私が多くを負っていることを強調したい。
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〈夏峯〉に続いて、今回の〈冬峯〉も、こちらの絶版本を元ネタとしつつ、現代的ロングトレイルハイカーの視点を経由しつつ私なりのルート解釈で歩く。
尚、著者の池田さんが〈冬峯〉の主な基本資料とした古文書は『冬峯手鑑』である。
また、尊敬すべき先行者と言える、ヤマレコユーザー様の記録群に私が多くを負っていることを強調したい。
ここは、神橋。
日光の修験道における冬の修行コース〈冬峯〉は、このあたりの日光山内からスタートし、ここをゴールとする。
今日は西暦の12/29である。古文書『冬峯手鑑』(1808年)によれば、〈冬峯〉一行の修験者たちが出立したのは旧暦の12/26であり、その後翌年1/24までの約一ヵ月間は山中での修行に費やされたとの伝承だ。
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12/29 7:58
ここは、神橋。
日光の修験道における冬の修行コース〈冬峯〉は、このあたりの日光山内からスタートし、ここをゴールとする。
今日は西暦の12/29である。古文書『冬峯手鑑』(1808年)によれば、〈冬峯〉一行の修験者たちが出立したのは旧暦の12/26であり、その後翌年1/24までの約一ヵ月間は山中での修行に費やされたとの伝承だ。
観光業と観光客とで賑わう通りを、東にむかってひと歩き。まずは東武日光駅に着いた。駅前の名水の滝は、いちぶ氷瀑化している。ここ数年間、暖冬ばかりだった気がするが、今冬はしっかり寒くなってきたようだ。油断がならない山旅になりそうだ。
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12/29 9:06
観光業と観光客とで賑わう通りを、東にむかってひと歩き。まずは東武日光駅に着いた。駅前の名水の滝は、いちぶ氷瀑化している。ここ数年間、暖冬ばかりだった気がするが、今冬はしっかり寒くなってきたようだ。油断がならない山旅になりそうだ。
天気上々。とりあえず記念撮影の一枚でもしておくか、ということで。荷物は、とてもではないがULになんてまとまらず、かなり重くて嵩張ってしまった。ボッカパワーはかぎりなく弱いから、先行きがちょっと不安だ。4日間しかない連休だけでゴールできるかどうか。
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12/29 9:13
天気上々。とりあえず記念撮影の一枚でもしておくか、ということで。荷物は、とてもではないがULになんてまとまらず、かなり重くて嵩張ってしまった。ボッカパワーはかぎりなく弱いから、先行きがちょっと不安だ。4日間しかない連休だけでゴールできるかどうか。
おや、日光にアウトドアショップの類なんてのがあったのか。気になるところだが、先を急がなくてはならないため、後ろ髪をひかれながら通り過ぎる。
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12/29 9:34
おや、日光にアウトドアショップの類なんてのがあったのか。気になるところだが、先を急がなくてはならないため、後ろ髪をひかれながら通り過ぎる。
日光杉並木を右折して、県道14号(鹿沼日光線)に入る。一日目の行程では、まだ山には入山しない。おおよそこの車道に沿うように南下する。
ただし時折、古道跡を探検するように県道から離脱もする。未知数な要素をふくむロング&ワインディングロードだ。
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12/29 9:06
日光杉並木を右折して、県道14号(鹿沼日光線)に入る。一日目の行程では、まだ山には入山しない。おおよそこの車道に沿うように南下する。
ただし時折、古道跡を探検するように県道から離脱もする。未知数な要素をふくむロング&ワインディングロードだ。
県道はしばらく登り坂だ。日光市街地が遠くなってきた。このあたりの積雪はこの程度。初日の今日は、標高500m強の日光駅から鹿沼市の方面に向かう。道中を進むほどに標高を下げていくことになるから、雪も徐々に消えていくだろう。
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12/29 9:51
県道はしばらく登り坂だ。日光市街地が遠くなってきた。このあたりの積雪はこの程度。初日の今日は、標高500m強の日光駅から鹿沼市の方面に向かう。道中を進むほどに標高を下げていくことになるから、雪も徐々に消えていくだろう。
日光ICを越えると、小太郎坂というS字カーブを登る。ここから名もないフミアトに入る。
かつて「日光道」と呼ばれた旧道だ。
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12/29 9:22
日光ICを越えると、小太郎坂というS字カーブを登る。ここから名もないフミアトに入る。
かつて「日光道」と呼ばれた旧道だ。
広く深く窪んだ道型が残されていた。この古道の入口付近は特に明瞭だ。しかもいくつかの方向に分岐している。
そして、いきなり史跡が目に入った。
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12/29 9:56
広く深く窪んだ道型が残されていた。この古道の入口付近は特に明瞭だ。しかもいくつかの方向に分岐している。
そして、いきなり史跡が目に入った。
庚申供養塔なのだろうか、もはや苔むしていて私には削ぎ落してまで読む気はないが、道中のメルクマールとなる道標の役割はあったものだろう。(宝暦2年と刻まれているらしい)
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12/29 9:25
庚申供養塔なのだろうか、もはや苔むしていて私には削ぎ落してまで読む気はないが、道中のメルクマールとなる道標の役割はあったものだろう。(宝暦2年と刻まれているらしい)
小太郎坂の山頂部にあたる地点だろうか、地蔵堂が建てられていた。ここから女峰山を見渡すことができる。
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12/29 9:28
小太郎坂の山頂部にあたる地点だろうか、地蔵堂が建てられていた。ここから女峰山を見渡すことができる。
なかなかの大きさのある立派な地蔵だった。
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12/29 10:00
なかなかの大きさのある立派な地蔵だった。
さて、左手に車道の存在を感じながら、安心して古道ワールドを彷徨うことにしよう。
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12/29 10:03
さて、左手に車道の存在を感じながら、安心して古道ワールドを彷徨うことにしよう。
進路を南にとる。この写真を見ての通り、古道の序盤部分は非常に道としての状態が保存されている。だが、古道の跡地に過ぎないものでもある。倒木をかわすことはこの先も多々ある。
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12/29 9:32
進路を南にとる。この写真を見ての通り、古道の序盤部分は非常に道としての状態が保存されている。だが、古道の跡地に過ぎないものでもある。倒木をかわすことはこの先も多々ある。
薄い笹薮をかきわけることもある。私の旅の一日目は、単なる車道歩きでは終わらず、むしろバリルートの山を進むような要素も少し混ざってきそうだ。
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12/29 9:33
薄い笹薮をかきわけることもある。私の旅の一日目は、単なる車道歩きでは終わらず、むしろバリルートの山を進むような要素も少し混ざってきそうだ。
急に道の窪みが無くなり、藪だらけになった。ちょっとどこを歩いていくべきか悩んで、いったん写真の平坦な林に逃げ込む。それから笹薮に入ったり出たりしながら、適当な感じで歩を進めていった。かつての面影をできるだけ忠実に辿る、しかしパラノイアックな厳密さまでは求めない。
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12/29 9:47
急に道の窪みが無くなり、藪だらけになった。ちょっとどこを歩いていくべきか悩んで、いったん写真の平坦な林に逃げ込む。それから笹薮に入ったり出たりしながら、適当な感じで歩を進めていった。かつての面影をできるだけ忠実に辿る、しかしパラノイアックな厳密さまでは求めない。
ちょっと藪っぽいが、また明瞭な道型に復帰したようだ。
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12/29 10:16
ちょっと藪っぽいが、また明瞭な道型に復帰したようだ。
県道が開通するまでの長い時代、日光〜古峰原をむすぶ道はここしかなかった。したがって中世から近世までの史跡だけでなく、明治・大正・昭和の各時代における管理標などを発見していく楽しみ方もあるだろう。
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12/29 9:48
県道が開通するまでの長い時代、日光〜古峰原をむすぶ道はここしかなかった。したがって中世から近世までの史跡だけでなく、明治・大正・昭和の各時代における管理標などを発見していく楽しみ方もあるだろう。
生活の痕跡なのか、または人目のない県道にありがちな不法投棄物なのか、粗大ごみの散乱を目にすることもある。
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12/29 10:22
生活の痕跡なのか、または人目のない県道にありがちな不法投棄物なのか、粗大ごみの散乱を目にすることもある。
なんとなく車道に吐き出されたが、どうもガードレールのすぐ向こう側を覗き込むと、古道らしき跡はまだわずかに残って続いていそうではあった。
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12/29 9:56
なんとなく車道に吐き出されたが、どうもガードレールのすぐ向こう側を覗き込むと、古道らしき跡はまだわずかに残って続いていそうではあった。
ちょっとだけ降りて確かめてみたが、こんな様子だった。無理せず車道に戻ろう。
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12/29 9:57
ちょっとだけ降りて確かめてみたが、こんな様子だった。無理せず車道に戻ろう。
この先、左手にゴルフ場のエントランスが見えてくるまでは、何の建造物もない林道といった雰囲気だ。
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12/29 9:59
この先、左手にゴルフ場のエントランスが見えてくるまでは、何の建造物もない林道といった雰囲気だ。
道路の右手に馬頭観世音を祀った石塔があった。この先の古峰原への道中で、馬に関連する碑をいくつも目にすることにする。そういえば〈冬峯〉一行も、日光山〜古峰原までは馬を世話してもらって、いっきに辿り着いたという。少なくとも江戸期には。私は〈冬峯〉成立期を偲んで、徒歩で行くことにする。
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12/29 10:00
道路の右手に馬頭観世音を祀った石塔があった。この先の古峰原への道中で、馬に関連する碑をいくつも目にすることにする。そういえば〈冬峯〉一行も、日光山〜古峰原までは馬を世話してもらって、いっきに辿り着いたという。少なくとも江戸期には。私は〈冬峯〉成立期を偲んで、徒歩で行くことにする。
さて、再び古道に入る。先ほどの馬頭観世音から道路を挟んだ向かいあたりにゴルフ場があり、その先にいかにも古道に誘うような取り付きポイントが感ぜられてくる。
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12/29 10:01
さて、再び古道に入る。先ほどの馬頭観世音から道路を挟んだ向かいあたりにゴルフ場があり、その先にいかにも古道に誘うような取り付きポイントが感ぜられてくる。
適当に斜面を上がると、ゴルフ場のフェンス、というには簡素にすぎる柵に合流する。
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12/29 10:02
適当に斜面を上がると、ゴルフ場のフェンス、というには簡素にすぎる柵に合流する。
多少、道が荒れ気味になってくることもあるが、踏んで行ける様子だ。
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12/29 10:02
多少、道が荒れ気味になってくることもあるが、踏んで行ける様子だ。
フェンス沿いに道を辿る。足場は右手に緩く傾いていくような斜面であり、ちょっとだけ歩きにくい。できればフェンスの向こう側に沿って歩きたいが、妥協するしかない。足場が安定しないポイントは注意して進まれたい。
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12/29 10:06
フェンス沿いに道を辿る。足場は右手に緩く傾いていくような斜面であり、ちょっとだけ歩きにくい。できればフェンスの向こう側に沿って歩きたいが、妥協するしかない。足場が安定しないポイントは注意して進まれたい。
道が平になった。ここはいかにも馬が通った古道といった雰囲気だ。ちょうど道のセンターラインにゴルフ場フェンスが走っているらしい。
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12/29 10:26
道が平になった。ここはいかにも馬が通った古道といった雰囲気だ。ちょうど道のセンターラインにゴルフ場フェンスが走っているらしい。
道型とフェンスは曲がりくねりながら、なおも続く。
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12/29 10:28
道型とフェンスは曲がりくねりながら、なおも続く。
フェンスが遠ざかり、徐々に道の輪郭がぼやけていきながら、下降していく。
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12/29 10:36
フェンスが遠ざかり、徐々に道の輪郭がぼやけていきながら、下降していく。
沢に対面することになった。川石を渡り歩いて向こう岸に行きたい。山旅の初日から冬の水流にドボンはまずい。良さそうなラインを探る。湿って滑りやすい石があって、わずかに靴を濡らしたが、浸水することなく渡渉に成功した。あぶないあぶない。
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12/29 10:40
沢に対面することになった。川石を渡り歩いて向こう岸に行きたい。山旅の初日から冬の水流にドボンはまずい。良さそうなラインを探る。湿って滑りやすい石があって、わずかに靴を濡らしたが、浸水することなく渡渉に成功した。あぶないあぶない。
ハラハラしながら、苔むした謎の境界標を横目に見つつ、もう車道に戻ろうかと考える。
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12/29 10:47
ハラハラしながら、苔むした謎の境界標を横目に見つつ、もう車道に戻ろうかと考える。
車道に復帰したのだが。次なる古道風の入口を見てしまったからには、入りたくもなってくる。
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12/29 10:56
車道に復帰したのだが。次なる古道風の入口を見てしまったからには、入りたくもなってくる。
ここまで、なかなかの距離を車道を歩かずに稼いできた。ここまで古道が歩行可能な状態で現存していることに驚く。しかしこれらの貴重な存在は、ドライブや輪行、ランニングといった速度でのアクティビティでは間違いなく見逃されてしまうだろう。歩き旅の醍醐味を感じるものだ。
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12/29 10:57
ここまで、なかなかの距離を車道を歩かずに稼いできた。ここまで古道が歩行可能な状態で現存していることに驚く。しかしこれらの貴重な存在は、ドライブや輪行、ランニングといった速度でのアクティビティでは間違いなく見逃されてしまうだろう。歩き旅の醍醐味を感じるものだ。
古道あるある。錆びついた昭和ムードの空き缶。
3
12/29 11:00
古道あるある。錆びついた昭和ムードの空き缶。
しばらく県道をそのまま歩いた。このあたりは古道と重なっていて、上塗りするように車道を建設したのだろうか。
この5か月間ほど私は勉強期間モードで、今回の〈冬峯〉についてはほとんど予習をする余裕はなかった。古地図も入手できていないから、詳細な位置比較もできない。ただ防寒用ハンモックギアをポチるだけしかできず、勉強の合間の息抜きとして年末年始山旅に踏み出していた。いや、息抜きと呼ぶにはいささかチャレンジングな計画になってしまったわけだが。
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12/29 11:01
しばらく県道をそのまま歩いた。このあたりは古道と重なっていて、上塗りするように車道を建設したのだろうか。
この5か月間ほど私は勉強期間モードで、今回の〈冬峯〉についてはほとんど予習をする余裕はなかった。古地図も入手できていないから、詳細な位置比較もできない。ただ防寒用ハンモックギアをポチるだけしかできず、勉強の合間の息抜きとして年末年始山旅に踏み出していた。いや、息抜きと呼ぶにはいささかチャレンジングな計画になってしまったわけだが。
数か月の運動不足が積み重なった身体に、重いザックが圧し掛かる。カーブミラーに映る力ない我が身を見る。その足元に石碑があった。
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12/29 11:02
数か月の運動不足が積み重なった身体に、重いザックが圧し掛かる。カーブミラーに映る力ない我が身を見る。その足元に石碑があった。
庚申塚か馬頭観音世か。
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12/29 11:02
庚申塚か馬頭観音世か。
「文久三年」?と読めるように思う。1863年だ。
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12/29 11:03
「文久三年」?と読めるように思う。1863年だ。
栃木縣。渋いムードだ。
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12/29 11:05
栃木縣。渋いムードだ。
しばらく車道を歩くと左手にフミアトの入口のような気配があり、その坂の上に墓石?のような人工物を視認する。
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12/29 11:07
しばらく車道を歩くと左手にフミアトの入口のような気配があり、その坂の上に墓石?のような人工物を視認する。
登って近づき見つめる、するとその更に先には
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12/29 11:07
登って近づき見つめる、するとその更に先には
複数の庚申塚や石仏があった。これらは車道からはほとんど隠されており、車で走行する者は誰も気が付けないだろう。
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12/29 11:08
複数の庚申塚や石仏があった。これらは車道からはほとんど隠されており、車で走行する者は誰も気が付けないだろう。
しばし佇んだ。
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12/29 11:08
しばし佇んだ。
車もめったに通らず、静寂。
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12/29 11:09
車もめったに通らず、静寂。
山旅が終わった後になって調べてみたが、これらは17世紀のものから戦後までの様々な時代に供えられていったものらしい。
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12/29 11:09
山旅が終わった後になって調べてみたが、これらは17世紀のものから戦後までの様々な時代に供えられていったものらしい。
1788年の石仏なのだそうだ。
こういった史跡に刻まれた文字を、ゆっくりと時間をかけて解読することは理由あって私には出来ない。残念なことであるが。他の尊敬すべき先行者の方々の労に頼り、委ねる。
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12/29 11:10
1788年の石仏なのだそうだ。
こういった史跡に刻まれた文字を、ゆっくりと時間をかけて解読することは理由あって私には出来ない。残念なことであるが。他の尊敬すべき先行者の方々の労に頼り、委ねる。
歩いているうちに次々と発見があって楽しい。自分がその全てを発見できているわけではないだろうが、その気付かれざる歴史の痕跡もふくめて様々なものが実在しているという手応えを感じている。こんどは「馬力神」という石碑があった。文字がハッキリしている。比較的新しいものか。
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12/29 11:14
歩いているうちに次々と発見があって楽しい。自分がその全てを発見できているわけではないだろうが、その気付かれざる歴史の痕跡もふくめて様々なものが実在しているという手応えを感じている。こんどは「馬力神」という石碑があった。文字がハッキリしている。比較的新しいものか。
沼内という名の集落がひろがった。ここから県道をはずれて古道に入る予定だ。どなたかの庭の中かもしれないが、また馬力神。そしてゴルフ練習をされている地元の男性が二人おられた。挨拶をして事情を話し、ここまでのログを見ていただく。
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12/29 11:22
沼内という名の集落がひろがった。ここから県道をはずれて古道に入る予定だ。どなたかの庭の中かもしれないが、また馬力神。そしてゴルフ練習をされている地元の男性が二人おられた。挨拶をして事情を話し、ここまでのログを見ていただく。
ゴルフ場フェンス沿いの道型は、確かに古道であると証言してくださった。県道が開通する前は、道はその旧道しかなかったと言う。かつての生活道路であったのだ。
そしてこの先の山久保や木曽の集落につながる古道を指さしてくださった。整備されていない道ではあるらしいが、登山の恰好をした私を見て送り出してくださった。
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12/29 11:23
ゴルフ場フェンス沿いの道型は、確かに古道であると証言してくださった。県道が開通する前は、道はその旧道しかなかったと言う。かつての生活道路であったのだ。
そしてこの先の山久保や木曽の集落につながる古道を指さしてくださった。整備されていない道ではあるらしいが、登山の恰好をした私を見て送り出してくださった。
古道跡は広い道幅を保っていて快適だ。分岐があるので、それを間違えなければ。
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12/29 11:24
古道跡は広い道幅を保っていて快適だ。分岐があるので、それを間違えなければ。
県道からだいぶ離れていき、こんな場所を進んでいく。
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12/29 11:27
県道からだいぶ離れていき、こんな場所を進んでいく。
分岐?このあたりは林道っぽいのもあって、複雑に入り組んでいる印象だった。
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12/29 11:36
分岐?このあたりは林道っぽいのもあって、複雑に入り組んでいる印象だった。
小さな沢の渡渉。石組の遺構。
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12/29 11:42
小さな沢の渡渉。石組の遺構。
やがて舗装路に合流して、いかにも長閑な田舎といった風情の山久保集落に入った。
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12/29 11:50
やがて舗装路に合流して、いかにも長閑な田舎といった風情の山久保集落に入った。
山久保では山久保神社に立ち寄った。
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12/29 12:10
山久保では山久保神社に立ち寄った。
県道に復帰した。小来川(おころがわ)の集落に向けて、しばらくは大人しくこれを辿る。もうこのあたりの標高まで下りると、雪はほとんどない。
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12/29 12:29
県道に復帰した。小来川(おころがわ)の集落に向けて、しばらくは大人しくこれを辿る。もうこのあたりの標高まで下りると、雪はほとんどない。
県道沿いに「黒沼」の史跡。近づくことはできないが、遠目に見ることはできる。
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12/29 12:59
県道沿いに「黒沼」の史跡。近づくことはできないが、遠目に見ることはできる。
黒沼の由来とのこと。日光開山の祖、勝道上人に縁のある伝説の地だ。
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12/29 12:59
黒沼の由来とのこと。日光開山の祖、勝道上人に縁のある伝説の地だ。
小来川地区に入ると石塔・庚申塚が盛んに供えられている。
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12/29 13:09
小来川地区に入ると石塔・庚申塚が盛んに供えられている。
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12/29 13:34
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12/29 13:44
ここまでの道中、見逃した史跡はたくさんあったのだろう。とてもすべてを探訪しきれないし、調べきれない。
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12/29 13:56
ここまでの道中、見逃した史跡はたくさんあったのだろう。とてもすべてを探訪しきれないし、調べきれない。
とにかく随所に立っていた。
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12/29 13:59
とにかく随所に立っていた。
さてさて、実は私は数日前、この小来川にあるカフェ「木香」さんに29日の営業について電話問い合わせをしていた。休業日だと言う。しかし来るのなら、その時間に空けてくださると言う。
その立地は、かつて風雨雷山〜笹目倉山〜鶏鳴山を縦走した際の登山口でもあった。その時に気になっていたのだ。
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12/29 14:05
さてさて、実は私は数日前、この小来川にあるカフェ「木香」さんに29日の営業について電話問い合わせをしていた。休業日だと言う。しかし来るのなら、その時間に空けてくださると言う。
その立地は、かつて風雨雷山〜笹目倉山〜鶏鳴山を縦走した際の登山口でもあった。その時に気になっていたのだ。
「木の匠FUKAMI」さんが併設しているカフェだ。職人であり店主であり、この土地に50年住む深海さんが出迎えてくださった。〈冬峯〉とはなんの関係もない寄り道かもしれないが、こういう土地の人との交わりもロングトレイルの醍醐味であるはずだ。
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12/29 14:15
「木の匠FUKAMI」さんが併設しているカフェだ。職人であり店主であり、この土地に50年住む深海さんが出迎えてくださった。〈冬峯〉とはなんの関係もない寄り道かもしれないが、こういう土地の人との交わりもロングトレイルの醍醐味であるはずだ。
店主の自作をはじめ、様々な知人が持ち寄ったという調度品を眺めながら、お話を聞く。
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12/29 14:25
店主の自作をはじめ、様々な知人が持ち寄ったという調度品を眺めながら、お話を聞く。
一見の価値ありと聞く、トイレ空間を見させていただく。
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12/29 14:42
一見の価値ありと聞く、トイレ空間を見させていただく。
かつて遊郭で実際に用いられたデザインを踏襲したものだとか。
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12/29 14:42
かつて遊郭で実際に用いられたデザインを踏襲したものだとか。
トイレというか前衛的な茶室のようであった。
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12/29 14:43
トイレというか前衛的な茶室のようであった。
注文したのは「あんぽ柿」だ。それを自慢のコーヒーとともに味わう。カップは客が自分で選べる。ご親切にもプラスアルファの食べ物をサービスしてくれて、食料補給にシビアなロングトレイルハイカーには有難いことであった。
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12/29 14:48
注文したのは「あんぽ柿」だ。それを自慢のコーヒーとともに味わう。カップは客が自分で選べる。ご親切にもプラスアルファの食べ物をサービスしてくれて、食料補給にシビアなロングトレイルハイカーには有難いことであった。
あんぽ柿はご覧の通り、トロトロに輝いている。昨年はうまく育たなかったらしいが、今年は当たり年だったとのこと。非常に栄養価が高く、旅人にとって嬉しいカロリー数を宿す。
一時間もお話しを聞いて、寛がせていただいた。感謝して、お店を後にした。
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12/29 14:50
あんぽ柿はご覧の通り、トロトロに輝いている。昨年はうまく育たなかったらしいが、今年は当たり年だったとのこと。非常に栄養価が高く、旅人にとって嬉しいカロリー数を宿す。
一時間もお話しを聞いて、寛がせていただいた。感謝して、お店を後にした。
小来川森崎バスターミナルは、村落の中心地であるが、今では食料品を調達できるような商店は閉店してしまった。(前回ヤマレコ記録の於呂倶羅山の帰路にマイカーで立ち寄って現地調査済)
黒川神社がそこにあるだけだ。
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12/29 16:14
小来川森崎バスターミナルは、村落の中心地であるが、今では食料品を調達できるような商店は閉店してしまった。(前回ヤマレコ記録の於呂倶羅山の帰路にマイカーで立ち寄って現地調査済)
黒川神社がそこにあるだけだ。
村の中心と言うべき黒川神社の由来。
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12/29 16:15
村の中心と言うべき黒川神社の由来。
神社の脇に自動販売機が動いていることを、私は事前調査済だった。ここでコーンスープ缶やメロンソーダをがぶ飲みする。この地の年末に得られる、貴重な補給だ。この日の自分がいかに恵まれていたのかを、私は山旅の四日目にしみじみと思い知ることになる。
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12/29 16:16
神社の脇に自動販売機が動いていることを、私は事前調査済だった。ここでコーンスープ缶やメロンソーダをがぶ飲みする。この地の年末に得られる、貴重な補給だ。この日の自分がいかに恵まれていたのかを、私は山旅の四日目にしみじみと思い知ることになる。
集落から離れていくように、県道を南下する。向原たたき地蔵尊なるものを見た。いかにも民間信仰といった内容の説明書きがある。叩かれ、削られ、ものすごい輪郭になっている。興味深い。
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12/29 16:02
集落から離れていくように、県道を南下する。向原たたき地蔵尊なるものを見た。いかにも民間信仰といった内容の説明書きがある。叩かれ、削られ、ものすごい輪郭になっている。興味深い。
愉しかった一日目の旅路がもうすぐ終わろうとしている。
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12/29 16:39
愉しかった一日目の旅路がもうすぐ終わろうとしている。
二重坂(ふたえざか)という地に到着した。
県道は山道と化し、まったく人気はなくなった。このカーブミラーの脇から、またしても古道跡に分け入る。そしてこの奥を一日目の泊地とする予定だ。
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12/29 16:14
二重坂(ふたえざか)という地に到着した。
県道は山道と化し、まったく人気はなくなった。このカーブミラーの脇から、またしても古道跡に分け入る。そしてこの奥を一日目の泊地とする予定だ。
二重坂古道跡。ここを野営地とする。
ここは事前調査で来たことがあるが、かつて林道であったように思われるぐらいの道幅が、沢沿いにしばらく続く。だが、歩きはじめてすぐに路上の構造が崩落して穴が開いたようになっていて、これでは誰も散歩しに通ることもないだろう。忘れ去られた、かつての主幹道路のようだ。
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12/29 16:16
二重坂古道跡。ここを野営地とする。
ここは事前調査で来たことがあるが、かつて林道であったように思われるぐらいの道幅が、沢沿いにしばらく続く。だが、歩きはじめてすぐに路上の構造が崩落して穴が開いたようになっていて、これでは誰も散歩しに通ることもないだろう。忘れ去られた、かつての主幹道路のようだ。
倒木多数。小枝や低木が散乱していて、やや荒れていた。ここで適した間隔の2本の樹を見定めて、ハンモックを吊るのだ。
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12/29 16:17
倒木多数。小枝や低木が散乱していて、やや荒れていた。ここで適した間隔の2本の樹を見定めて、ハンモックを吊るのだ。
左手には沢が豊かな水量で流れている。高低差もなく、いざとなれば水は好きなだけ使えた。そして誰も来ることはない。ハンモック適地だった。ハンモック野営という手法は、まだ登山愛好者たちにもほとんど認知されていないほどのニッチな概念である。山中で偶然目にさせてしまって無暗に驚かせてはいけない。存在自体を見られることがない、察知されること自体が決してありえない、それぐらいのステルス性を保てる場所を見定めることが、お互いを幸せにする。
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12/29 16:18
左手には沢が豊かな水量で流れている。高低差もなく、いざとなれば水は好きなだけ使えた。そして誰も来ることはない。ハンモック適地だった。ハンモック野営という手法は、まだ登山愛好者たちにもほとんど認知されていないほどのニッチな概念である。山中で偶然目にさせてしまって無暗に驚かせてはいけない。存在自体を見られることがない、察知されること自体が決してありえない、それぐらいのステルス性を保てる場所を見定めることが、お互いを幸せにする。
ダウンハンモックは、アクシーズクイン社の"凌”ブランド製「ウキグモ」。これを最も保温性の高いコーヒー豆形態にする。更に同社の「モグ500」というブースト用ダウンで全面覆う。全面2重、背面3重の羽毛の幕に守られたハンモックだ。
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12/29 17:00
ダウンハンモックは、アクシーズクイン社の"凌”ブランド製「ウキグモ」。これを最も保温性の高いコーヒー豆形態にする。更に同社の「モグ500」というブースト用ダウンで全面覆う。全面2重、背面3重の羽毛の幕に守られたハンモックだ。
これらのシステムを広げ、空気を蓄えさせている間、焼酎をちびちび舐める。お天気情報と頭上の夜空を見て、今宵はタープ無しのカウボーイスタイルで良いかと考える。防寒性も実は最大パワーのうちの50%〜60%しか展開していない。とりあえずこの状態で寝始めてみることにした。
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12/29 17:04
これらのシステムを広げ、空気を蓄えさせている間、焼酎をちびちび舐める。お天気情報と頭上の夜空を見て、今宵はタープ無しのカウボーイスタイルで良いかと考える。防寒性も実は最大パワーのうちの50%〜60%しか展開していない。とりあえずこの状態で寝始めてみることにした。
ハンモック泊ハイカーには、おおげさな言い方ではあるが貴族的なマナー意識があるべきなのかもしれない。先ほど述べたような徹底したステルス性による配慮。登山知識と経験則による吊ることが容認される山域と悪い山域とのジャッジ。あとは私としては、樹皮を痛めにくいストラップを使用するとか、不慣れな自分には焚火はありえないな、という判断だとか。それと携帯トイレを多めに持っております。。
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12/29 17:13
ハンモック泊ハイカーには、おおげさな言い方ではあるが貴族的なマナー意識があるべきなのかもしれない。先ほど述べたような徹底したステルス性による配慮。登山知識と経験則による吊ることが容認される山域と悪い山域とのジャッジ。あとは私としては、樹皮を痛めにくいストラップを使用するとか、不慣れな自分には焚火はありえないな、という判断だとか。それと携帯トイレを多めに持っております。。
12/30の朝。〈冬峯〉二日目。
実は昨晩はあんまり眠れなかった。理由は暑すぎたこと。鹿沼に近いこの標高では、関東平野の気候とほぼ変わらなかった。しかも無風。暑くて何度も起き、ダウンウェアをその都度脱ぎ減らし、ついには全部脱いで素手と裸足になった。寒さを警戒しすぎだ。初日から計算間違いであった。
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12/30 6:55
12/30の朝。〈冬峯〉二日目。
実は昨晩はあんまり眠れなかった。理由は暑すぎたこと。鹿沼に近いこの標高では、関東平野の気候とほぼ変わらなかった。しかも無風。暑くて何度も起き、ダウンウェアをその都度脱ぎ減らし、ついには全部脱いで素手と裸足になった。寒さを警戒しすぎだ。初日から計算間違いであった。
とはいえ長時間、快適な布地に包まれて横になっていたため、身体は動く。倒木を乗り越えることから、二日目の旅路はスタートした。二重坂古道跡をさらに奥へと南下してみる。
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12/30 8:24
とはいえ長時間、快適な布地に包まれて横になっていたため、身体は動く。倒木を乗り越えることから、二日目の旅路はスタートした。二重坂古道跡をさらに奥へと南下してみる。
倒木、倒木。進めば進むほどに荒れてきた。
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12/30 8:32
倒木、倒木。進めば進むほどに荒れてきた。
かつての交通の名残りであろうか。時に置き去りにされた何かを示す標識。力なく倒れている。
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12/30 8:33
かつての交通の名残りであろうか。時に置き去りにされた何かを示す標識。力なく倒れている。
突然、道が塞がれるように急斜面が前方に立ち塞がった。地形が変化したのか。いや、さすがにそれはなく、元々の林道の終点がここなのか。わからないが、仕方なく県道に復帰するために斜面を登る。古道探索はこの辺で満足でもあった。
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12/30 8:37
突然、道が塞がれるように急斜面が前方に立ち塞がった。地形が変化したのか。いや、さすがにそれはなく、元々の林道の終点がここなのか。わからないが、仕方なく県道に復帰するために斜面を登る。古道探索はこの辺で満足でもあった。
県道の方角へ、なんとなくフミアトっぽい痕跡を辿りながら向かう。朝イチから笹藪をかきわける仕事をしている。朝っぱらから、謎の人工物に遭遇することもある。
当初、〈冬峯〉踏破を考えはじめた頃、日光駅〜古峰原までは単に道路を歩き続けるだけだと信じていた。いざ真面目に蓋をあけてみたらコレだ。こっちの方がより忠実な〈冬峯〉のルート採りだったのだ。現実は甘くはない。
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12/30 8:44
県道の方角へ、なんとなくフミアトっぽい痕跡を辿りながら向かう。朝イチから笹藪をかきわける仕事をしている。朝っぱらから、謎の人工物に遭遇することもある。
当初、〈冬峯〉踏破を考えはじめた頃、日光駅〜古峰原までは単に道路を歩き続けるだけだと信じていた。いざ真面目に蓋をあけてみたらコレだ。こっちの方がより忠実な〈冬峯〉のルート採りだったのだ。現実は甘くはない。
県道に再会する。今日も良い天気だ。そう願いたいが、果たして天候の方もそんなに甘くいくものなのか。かねてより予報されていた「年越し寒波」が、この山旅の最中にも襲来するはずだった。
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12/30 8:46
県道に再会する。今日も良い天気だ。そう願いたいが、果たして天候の方もそんなに甘くいくものなのか。かねてより予報されていた「年越し寒波」が、この山旅の最中にも襲来するはずだった。
こんどこそ、ほんとうに、しばらくは車道を辿るだけとなる。
長く南下して歩いてきた県道14号線が終わり、ここを右折して進路を西にとる。県道58号に移る。
古峯ヶ原まで馬で一日で駆け抜けた〈冬峯〉一行は、この辺りの信者宅で昼食の援助を受けている。
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12/30 9:21
こんどこそ、ほんとうに、しばらくは車道を辿るだけとなる。
長く南下して歩いてきた県道14号線が終わり、ここを右折して進路を西にとる。県道58号に移る。
古峯ヶ原まで馬で一日で駆け抜けた〈冬峯〉一行は、この辺りの信者宅で昼食の援助を受けている。
58号線は大芦川に沿って、古峯神社へと至る。長い登り坂の道路だ。標高300mぐらいまで下げてきたわけだが、この二日目で850mほど上げて、標高1150mあたりをゴールとしなければならない。ひたすら登る。
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12/30 9:31
58号線は大芦川に沿って、古峯神社へと至る。長い登り坂の道路だ。標高300mぐらいまで下げてきたわけだが、この二日目で850mほど上げて、標高1150mあたりをゴールとしなければならない。ひたすら登る。
コミュニティバスが追い越していく。神社までまだ6kmか。〈冬峯〉一行も信者たちの援助を受けて馬に乗って行った区間じゃないか。私もバスぐらい乗ってよいのではないか。バス停を通過するたびに煩悩がよぎるが、忍耐して坂道を歩く。
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12/30 10:05
コミュニティバスが追い越していく。神社までまだ6kmか。〈冬峯〉一行も信者たちの援助を受けて馬に乗って行った区間じゃないか。私もバスぐらい乗ってよいのではないか。バス停を通過するたびに煩悩がよぎるが、忍耐して坂道を歩く。
一の鳥居がようやく見えてきた。といっても、神社はあの鳥居の数キロ先の高い所。
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12/30 10:12
一の鳥居がようやく見えてきた。といっても、神社はあの鳥居の数キロ先の高い所。
キノコっぽい屋根の石祠。
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12/30 10:21
キノコっぽい屋根の石祠。
途中にある金剛山瑞峯寺だ。勝道上人の像が出迎えている。この寺社も気になるし立ち寄りたいのはやまやまなのだが、境内が高いところにあってしんどい。時間に限りもあるため、泣く泣く先を急ぐことにした。
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12/30 10:46
途中にある金剛山瑞峯寺だ。勝道上人の像が出迎えている。この寺社も気になるし立ち寄りたいのはやまやまなのだが、境内が高いところにあってしんどい。時間に限りもあるため、泣く泣く先を急ぐことにした。
重いザックに泣く。ようやっと残り1kmを切った。気づくと、また積雪のある標高に戻っていた。
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12/30 11:35
重いザックに泣く。ようやっと残り1kmを切った。気づくと、また積雪のある標高に戻っていた。
古峯神社に到着。
この神社は以前に見学したが、天狗信仰や東北伝道に大きく舵を切った独特な修験道が面白い。日光修験と深い関係をもつ場所でありながら、東照宮支配後の日光山とは別の道を歩んで生き残っていった歴史をもつようだ。
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12/30 11:54
古峯神社に到着。
この神社は以前に見学したが、天狗信仰や東北伝道に大きく舵を切った独特な修験道が面白い。日光修験と深い関係をもつ場所でありながら、東照宮支配後の日光山とは別の道を歩んで生き残っていった歴史をもつようだ。
なにはともあれ食事。これが最後の晩餐かというぐらい、贅沢にドカ食いする。ここで喰い貯めしておくことの効用は大きい。勝敗を分ける予感がした。手打ち蕎麦、天ぷら、もつ煮、こんにゃく刺身・・・うまし!
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12/30 12:27
なにはともあれ食事。これが最後の晩餐かというぐらい、贅沢にドカ食いする。ここで喰い貯めしておくことの効用は大きい。勝敗を分ける予感がした。手打ち蕎麦、天ぷら、もつ煮、こんにゃく刺身・・・うまし!
山伏ごはん(とろろごはん)・・・うまし!!
そしてお土産コーナーで、杏のドライフルーツを購入して行動食の補給とする。
いよいよ山に入るのだ。
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12/30 12:38
山伏ごはん(とろろごはん)・・・うまし!!
そしてお土産コーナーで、杏のドライフルーツを購入して行動食の補給とする。
いよいよ山に入るのだ。
食事を終えると、朝はあんなに青空だったのに、霰が降り、やがて雪になった。周囲も積雪しているなか、まずは車道を登るアルバイトだ。
歩きながら修験者たちの食事のことを想っていた。古文書を見る限り、補給部隊がたびたび合流してきてくれるのだが、その食材内容は当然のことながら精進料理みたいなものばかりなのだ。あれで栄養学的にどうやってドギツイ登山を凌げたのか。理解できなかった。
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12/30 13:34
食事を終えると、朝はあんなに青空だったのに、霰が降り、やがて雪になった。周囲も積雪しているなか、まずは車道を登るアルバイトだ。
歩きながら修験者たちの食事のことを想っていた。古文書を見る限り、補給部隊がたびたび合流してきてくれるのだが、その食材内容は当然のことながら精進料理みたいなものばかりなのだ。あれで栄養学的にどうやってドギツイ登山を凌げたのか。理解できなかった。
登山口に到着。ここまで蛇行する林道に準拠して歩いたが、ほんらいの〈冬峯〉古道はそれをショートカットするように踏まれたルート採りだったかもしれない。特に史跡発見の情報もないようなので、私は割愛したが。
さて、入山の時が来た。すでに雪景色だ。本日の宿泊地である、寒々しい高原地帯まで登る。
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12/30 13:55
登山口に到着。ここまで蛇行する林道に準拠して歩いたが、ほんらいの〈冬峯〉古道はそれをショートカットするように踏まれたルート採りだったかもしれない。特に史跡発見の情報もないようなので、私は割愛したが。
さて、入山の時が来た。すでに雪景色だ。本日の宿泊地である、寒々しい高原地帯まで登る。
以前も来て読んだことがあるが、〈冬峯〉に関する解説文が掲げられている。「深山巴ノ宿」は〈冬峯〉の三大道場のなかでも最重要な根幹道場だった。標高1162mのこの高原気候の場に留まり、山伏たちは26日間も厳冬期修行に励んだと、古文書『冬峯手鑑』に記されている。解説文の通り、逃亡者、病死、衰弱死があったことは想像に難くない。しかし、処刑までされたのは事実なのだろうか。
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12/30 14:06
以前も来て読んだことがあるが、〈冬峯〉に関する解説文が掲げられている。「深山巴ノ宿」は〈冬峯〉の三大道場のなかでも最重要な根幹道場だった。標高1162mのこの高原気候の場に留まり、山伏たちは26日間も厳冬期修行に励んだと、古文書『冬峯手鑑』に記されている。解説文の通り、逃亡者、病死、衰弱死があったことは想像に難くない。しかし、処刑までされたのは事実なのだろうか。
それが史実、これが現実、これこそがこの世界の有り様か。と受け止める。身が引き締まる。
解説文の頭上に、へつり地蔵が歴史を見守る。
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12/30 14:06
それが史実、これが現実、これこそがこの世界の有り様か。と受け止める。身が引き締まる。
解説文の頭上に、へつり地蔵が歴史を見守る。
さてさて、雪山登山になってきた。こんなコンディションの中、修験者たちは草履か雪踏とかいう名の履物で歩いていたのか。足を濡らさないではいられないと思うのだが。
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12/30 14:17
さてさて、雪山登山になってきた。こんなコンディションの中、修験者たちは草履か雪踏とかいう名の履物で歩いていたのか。足を濡らさないではいられないと思うのだが。
水の流れも凍結。完全に雪山。
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12/30 14:29
水の流れも凍結。完全に雪山。
古峰ヶ原高原に登頂した。このあたりは風が通り抜けるのか、あまり雪が吹き溜まっていない。
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12/30 14:52
古峰ヶ原高原に登頂した。このあたりは風が通り抜けるのか、あまり雪が吹き溜まっていない。
広い湿原地帯。初夏には花々で美しいフィールドだが、今はただただ寒々しい光景だ。どこかで銃声が二発響き、猟犬の鳴き声が聞こえた気がした。間違えて撃たれないかドキドキする。
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12/30 14:54
広い湿原地帯。初夏には花々で美しいフィールドだが、今はただただ寒々しい光景だ。どこかで銃声が二発響き、猟犬の鳴き声が聞こえた気がした。間違えて撃たれないかドキドキする。
古峰ヶ原高原ヒュッテ。緊急の避難小屋としてのみ利用可能な小屋だ。かつて事件があったとかで不気味なイメージがあるらしいのだが、内部を覗くと安心して夜を越せそうな環境だった。
もしもハンモック泊に問題があっても、ここをセーフティネットにできる計画なので、今夜は安心して人体実験ができる。
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12/30 14:55
古峰ヶ原高原ヒュッテ。緊急の避難小屋としてのみ利用可能な小屋だ。かつて事件があったとかで不気味なイメージがあるらしいのだが、内部を覗くと安心して夜を越せそうな環境だった。
もしもハンモック泊に問題があっても、ここをセーフティネットにできる計画なので、今夜は安心して人体実験ができる。
ヒュッテから足尾方面へひと歩きすれば、史跡にして修験道の霊場「深山巴ノ宿」だ。現在は古峯神社の管轄となるようだが、日光修験道〈冬峯〉の最大の聖地でもある。
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12/30 15:07
ヒュッテから足尾方面へひと歩きすれば、史跡にして修験道の霊場「深山巴ノ宿」だ。現在は古峯神社の管轄となるようだが、日光修験道〈冬峯〉の最大の聖地でもある。
広い樹林帯であり雪は深く吹き溜まっているが、水に恵まれた立地であり今現在は完全には凍結していなかった。まだ水分補給が可能だった。
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12/30 15:09
広い樹林帯であり雪は深く吹き溜まっているが、水に恵まれた立地であり今現在は完全には凍結していなかった。まだ水分補給が可能だった。
広い、平坦な土地だ。〈冬峯〉一行はここで26日間を過ごした。ここで旧正月の新年をむかえた。ここには往時、小さくて質素なものであっただろうが小屋が建てられていたという。そんなものでこの標高の寒い夜を、到底熟睡できたとは思えないのであるが。
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12/30 15:10
広い、平坦な土地だ。〈冬峯〉一行はここで26日間を過ごした。ここで旧正月の新年をむかえた。ここには往時、小さくて質素なものであっただろうが小屋が建てられていたという。そんなものでこの標高の寒い夜を、到底熟睡できたとは思えないのであるが。
石祠(金剛堂)があり、そこに現在の古峰神社の信仰のかたちであろう天狗の団扇が備えられている。このうち三基は江戸時代のもの。
この地を目的地として絞って丁寧に探索してまわれば、その他にも様々な発見が得られることだろう。
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12/30 15:10
石祠(金剛堂)があり、そこに現在の古峰神社の信仰のかたちであろう天狗の団扇が備えられている。このうち三基は江戸時代のもの。
この地を目的地として絞って丁寧に探索してまわれば、その他にも様々な発見が得られることだろう。
ここは春の修行ルート〈華供峯〉においても修行の場だったが、花咲く季節であれば水の流れが美しいユートピア的土地だったかもしれない。しかし冬は、全国の修験道史のなかでも最も「抖そう」性が際立つ過酷な凍土であったとしか思えない。日光修験おそるべし。
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12/30 15:13
ここは春の修行ルート〈華供峯〉においても修行の場だったが、花咲く季節であれば水の流れが美しいユートピア的土地だったかもしれない。しかし冬は、全国の修験道史のなかでも最も「抖そう」性が際立つ過酷な凍土であったとしか思えない。日光修験おそるべし。
さて、今宵の寝床を組み上げる。
無論だが、聖地にハンモックをはるわけがない。私は深山巴ノ宿から更に奥に分け入った林の中にモックポイントを見定めた。湿原ではないエリアだし、雪に覆われて地面にダメージもない。
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12/30 16:28
さて、今宵の寝床を組み上げる。
無論だが、聖地にハンモックをはるわけがない。私は深山巴ノ宿から更に奥に分け入った林の中にモックポイントを見定めた。湿原ではないエリアだし、雪に覆われて地面にダメージもない。
どうやら寒波襲来は明日からのようで、今は風も弱く急激な変化があるとは思えない。考えたあげく、昨夜のハンモックシステムにタープを風避けとして加え、ダウンウェアを着込むぐらいとした。ちょうど防寒力60%パワー。結果、また暑くて夜中に何度も服を脱いでいきましたとさ。
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12/30 16:30
どうやら寒波襲来は明日からのようで、今は風も弱く急激な変化があるとは思えない。考えたあげく、昨夜のハンモックシステムにタープを風避けとして加え、ダウンウェアを着込むぐらいとした。ちょうど防寒力60%パワー。結果、また暑くて夜中に何度も服を脱いでいきましたとさ。
12/31大晦日。〈冬峯〉三日目。
朝はさすがに寒い。どうにも調子が上がらないまま、ノロノロと時間をかけて撤収作業をし、ようやく歩み出す。巴ノ宿から出たが、序盤は一般登山道どおりには進まない。〈冬峯〉ルートに従って、立ち寄る場所があるのだ。
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12/31 8:36
12/31大晦日。〈冬峯〉三日目。
朝はさすがに寒い。どうにも調子が上がらないまま、ノロノロと時間をかけて撤収作業をし、ようやく歩み出す。巴ノ宿から出たが、序盤は一般登山道どおりには進まない。〈冬峯〉ルートに従って、立ち寄る場所があるのだ。
西の方へ丘陵を登っていくと、かつて「住家」と呼ばれた場所がある。現在では林道のガードレール沿いに、しかしながら樹木に隠されているように金剛堂が一基だけ残されている。これならば気が付く者もいまい。
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12/31 8:38
西の方へ丘陵を登っていくと、かつて「住家」と呼ばれた場所がある。現在では林道のガードレール沿いに、しかしながら樹木に隠されているように金剛堂が一基だけ残されている。これならば気が付く者もいまい。
半壊している金剛堂。しかしミズナラの樹を見上げてみれば。
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12/31 8:38
半壊している金剛堂。しかしミズナラの樹を見上げてみれば。
現在でも日光修験の伝統を継承している寺社が巡礼しに来た痕跡があった。碑伝である。
〈冬峯〉一行はここで、金剛堂御掃除、法楽、例札打の儀式を行ったという。
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12/31 8:38
現在でも日光修験の伝統を継承している寺社が巡礼しに来た痕跡があった。碑伝である。
〈冬峯〉一行はここで、金剛堂御掃除、法楽、例札打の儀式を行ったという。
この後、一般登山道である「禅頂行者みち」に合流するために、おおよそ北北西にルート採りをして登っていく。〈冬峯〉一行が辿ったと比定される古道のラインだ。
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12/31 8:41
この後、一般登山道である「禅頂行者みち」に合流するために、おおよそ北北西にルート採りをして登っていく。〈冬峯〉一行が辿ったと比定される古道のラインだ。
登山道外ということで一応バリルート区間ということになるが、標石や看板があって認知および管理されているルートだということが判る。
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12/31 8:47
登山道外ということで一応バリルート区間ということになるが、標石や看板があって認知および管理されているルートだということが判る。
なだらかな斜面を登り上げてゆくと
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12/31 8:51
なだらかな斜面を登り上げてゆくと
禅頂行者みちに合流した。ここからしばらくは、ひたすらの北東への進路だ。
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12/31 8:57
禅頂行者みちに合流した。ここからしばらくは、ひたすらの北東への進路だ。
人の気配はまったくないのだが、意外なことに人のトレースが残っていた。先行者がいるのだろうか。でも気のせいか犬のような足跡も並走しているような。まさか猟師さん? う、撃たないでくださいね!?
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12/31 9:08
人の気配はまったくないのだが、意外なことに人のトレースが残っていた。先行者がいるのだろうか。でも気のせいか犬のような足跡も並走しているような。まさか猟師さん? う、撃たないでくださいね!?
行者平に到着。禅頂行者みちは、アップダウンの連続する縦走コースだ。本日の後半に待ち受ける大谷川南岸の峰々のような絶望的急登はないまでも、普通に長く厳しい道のり。雪山環境となれば尚更だ。
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12/31 9:27
行者平に到着。禅頂行者みちは、アップダウンの連続する縦走コースだ。本日の後半に待ち受ける大谷川南岸の峰々のような絶望的急登はないまでも、普通に長く厳しい道のり。雪山環境となれば尚更だ。
行者岳1328mに登頂。
ここで人のトレースは終わる。引き返したのだろうか。わからない。
この後、標高1200〜1500の峰々をつないで行く。
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12/31 9:37
行者岳1328mに登頂。
ここで人のトレースは終わる。引き返したのだろうか。わからない。
この後、標高1200〜1500の峰々をつないで行く。
獣たちの足跡が無数に私を導いていく。
しばらくはツボ足で動いていたが、ズルっとする新雪と重いザックが気がかりで、早めに12本爪アイゼンを装備することとした。今回の山行では、他にもピッケルとワカンも用意している。こんなだからザックがますます重くなるのだが。
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12/31 9:55
獣たちの足跡が無数に私を導いていく。
しばらくはツボ足で動いていたが、ズルっとする新雪と重いザックが気がかりで、早めに12本爪アイゼンを装備することとした。今回の山行では、他にもピッケルとワカンも用意している。こんなだからザックがますます重くなるのだが。
大岩山1267mだ。まだここか、という進捗状況。
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12/31 10:14
大岩山1267mだ。まだここか、という進捗状況。
日光山紀行シリーズの山頂看板もある。
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12/31 10:14
日光山紀行シリーズの山頂看板もある。
誰もいない冬山だ。昨夜の古峯ヶ原高原からずっと電波が通じなくて、孤立無援の状態に置かれている。気を引き締めていく。
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12/31 10:37
誰もいない冬山だ。昨夜の古峯ヶ原高原からずっと電波が通じなくて、孤立無援の状態に置かれている。気を引き締めていく。
唐梨子山(けなしやま)1351m
想定よりも時間がおしているな。
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12/31 10:47
唐梨子山(けなしやま)1351m
想定よりも時間がおしているな。
ハガタテ平。
古峯神社に撤退するならば、ここが最後のチャンスだ。目を閉じて熟考する。この先大変な目に合うかもしれないが、成功イメージだけはある。大変かもしれないが。先へ進む。
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12/31 11:19
ハガタテ平。
古峯神社に撤退するならば、ここが最後のチャンスだ。目を閉じて熟考する。この先大変な目に合うかもしれないが、成功イメージだけはある。大変かもしれないが。先へ進む。
苦しい登り坂だ。急登によってガシガシ標高を稼いでいく感覚がある。つらい。きつい。
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12/31 11:30
苦しい登り坂だ。急登によってガシガシ標高を稼いでいく感覚がある。つらい。きつい。
息を乱して登った。地蔵の奉納された金剛堂がある、そこは。
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12/31 11:53
息を乱して登った。地蔵の奉納された金剛堂がある、そこは。
地蔵岳1483mだった。
ここよりまっすぐに北へ向かう。それは、冬の風上にどんどん近づいて行くということでもある。
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12/31 11:54
地蔵岳1483mだった。
ここよりまっすぐに北へ向かう。それは、冬の風上にどんどん近づいて行くということでもある。
重い足取りで、この〈冬峯〉における最高地点であろう三ツ目に登頂した。
それにしてもここに至るまでの間に、行者八竜の石祠とか竜之宿八竜の阿弥陀如来像などの史跡が目に入るはずだったが、気が付かないままだ。雪に埋もれていたのか。山頂間の特定しづらい地点ゆえに、登ることに必死で注視力に欠けていたのか。また無雪期にでもリベンジするしか。
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12/31 12:19
重い足取りで、この〈冬峯〉における最高地点であろう三ツ目に登頂した。
それにしてもここに至るまでの間に、行者八竜の石祠とか竜之宿八竜の阿弥陀如来像などの史跡が目に入るはずだったが、気が付かないままだ。雪に埋もれていたのか。山頂間の特定しづらい地点ゆえに、登ることに必死で注視力に欠けていたのか。また無雪期にでもリベンジするしか。
薬師岳に向かっている。足尾や中禅寺湖が比較的近くなってきたおかげか、久しぶりに微弱な電波をキャッチした。最低限の連絡や気象情報だけを得て、スマホを懐で温めなおす。
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12/31 12:37
薬師岳に向かっている。足尾や中禅寺湖が比較的近くなってきたおかげか、久しぶりに微弱な電波をキャッチした。最低限の連絡や気象情報だけを得て、スマホを懐で温めなおす。
承応二年(1653年)の年号が刻まれているという金剛堂。
禅頂行者みちには金剛堂がいくつもあり、日光修験のムードを味わうのにお勧めのルートだ。一年中、静かな登山または一人きりの山歩きができる。尚、〈冬峯〉では1500m峰の夕日岳には立ち寄らず、先を急いでいる。
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12/31 12:44
承応二年(1653年)の年号が刻まれているという金剛堂。
禅頂行者みちには金剛堂がいくつもあり、日光修験のムードを味わうのにお勧めのルートだ。一年中、静かな登山または一人きりの山歩きができる。尚、〈冬峯〉では1500m峰の夕日岳には立ち寄らず、先を急いでいる。
多忙で山行前の予習がまったく足りていないことと、積雪歩行で時間がおしていることが重なり、石祠や石仏などの見逃しや解説不十分をお詫びする。
禅頂行者みちは一般登山道なので、私以外のヤマレコユーザーで、無雪期に詳細な探訪記事を書かれている方がおられるはずだ。是非そちらを参照されたい。
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12/31 12:55
多忙で山行前の予習がまったく足りていないことと、積雪歩行で時間がおしていることが重なり、石祠や石仏などの見逃しや解説不十分をお詫びする。
禅頂行者みちは一般登山道なので、私以外のヤマレコユーザーで、無雪期に詳細な探訪記事を書かれている方がおられるはずだ。是非そちらを参照されたい。
日光修験において掛合宿とか駆合ノ宿だとか呼ばれた場所が近そうだ。この先の棚部で一泊したのではないかと考えられている。写真右手、稜線の東側に下れば北西からの風はすこしは凌げたのだろうか。さらに下れば小さな水場が存在するという情報もあるが、凍結か雪に埋もれているのではないか。危険をおかす採取よりは、雪を溶かして水作りをするべきだろうと考えた。
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12/31 13:16
日光修験において掛合宿とか駆合ノ宿だとか呼ばれた場所が近そうだ。この先の棚部で一泊したのではないかと考えられている。写真右手、稜線の東側に下れば北西からの風はすこしは凌げたのだろうか。さらに下れば小さな水場が存在するという情報もあるが、凍結か雪に埋もれているのではないか。危険をおかす採取よりは、雪を溶かして水作りをするべきだろうと考えた。
掛合宿。金剛堂と不動明王の石像がある。
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12/31 13:20
掛合宿。金剛堂と不動明王の石像がある。
祠には宝暦十四年(1764年)とあるらしい。
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12/31 13:20
祠には宝暦十四年(1764年)とあるらしい。
やがて薬師岳1420mに登頂。
左手前の金剛堂は寛永九年(1632年)とあるらしい。
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12/31 13:39
やがて薬師岳1420mに登頂。
左手前の金剛堂は寛永九年(1632年)とあるらしい。
エスケープするならば、今日はここが最終地点だ。細尾峠の車道まで下り、長い林道歩きにはなるが麓の細尾集落に逃げるか。
手持ちのハンモック類のビバーク力を信頼し、東への険しい稜線に侵入する。大谷川南岸の峰々を渡ってゆく。ここからは一般登山道ではない。
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12/31 13:39
エスケープするならば、今日はここが最終地点だ。細尾峠の車道まで下り、長い林道歩きにはなるが麓の細尾集落に逃げるか。
手持ちのハンモック類のビバーク力を信頼し、東への険しい稜線に侵入する。大谷川南岸の峰々を渡ってゆく。ここからは一般登山道ではない。
ここから本日の目標地点までが長い。
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12/31 13:43
ここから本日の目標地点までが長い。
アップダウンがかなりキツく、登り道では気力体力を削られ、下り坂では慎重にアイゼンを接地させる。
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12/31 13:50
アップダウンがかなりキツく、登り道では気力体力を削られ、下り坂では慎重にアイゼンを接地させる。
左からの風が気になり始めた。粉雪が舞い始めた。
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12/31 14:15
左からの風が気になり始めた。粉雪が舞い始めた。
この先が“ヒノキガタァー”だっただろうか。ここで〈冬峯〉では立ち寄らなかった夕日岳が見えた。今回の山旅において一番よく見えた、山容写真がコレ一枚かもしれない。
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12/31 14:22
この先が“ヒノキガタァー”だっただろうか。ここで〈冬峯〉では立ち寄らなかった夕日岳が見えた。今回の山旅において一番よく見えた、山容写真がコレ一枚かもしれない。
半壊した石祠。
今年の5月に〈夏峯〉前半部分をめぐった際、このルートを渡っていった。ただし〈冬峯〉では逆走することになる。
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12/31 14:26
半壊した石祠。
今年の5月に〈夏峯〉前半部分をめぐった際、このルートを渡っていった。ただし〈冬峯〉では逆走することになる。
“ヒノキガタァー”(玉木ノ宿)付近に到着。右の金剛堂は文化5年。
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12/31 14:26
“ヒノキガタァー”(玉木ノ宿)付近に到着。右の金剛堂は文化5年。
この稜線は無雪期であればよく踏まれていて、バリルート・ハイキングの入門コースとして健脚者にはお勧めなのだが、冬は低山標高に似合わないほどの風の通り道のようだ。甘く見ていたようだ。
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12/31 14:34
この稜線は無雪期であればよく踏まれていて、バリルート・ハイキングの入門コースとして健脚者にはお勧めなのだが、冬は低山標高に似合わないほどの風の通り道のようだ。甘く見ていたようだ。
丸山までまだ遠い。本日の行動時間もなかなか積み重なってきて、疲労がにじむ。
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12/31 14:44
丸山までまだ遠い。本日の行動時間もなかなか積み重なってきて、疲労がにじむ。
吹き溜まっている箇所を除けば、積雪は少ないのだが、新雪の下に隠れた小石等がまたズルズルと滑るのだ。急斜面が多いため、登りでも下りでもアイゼンを脱げない。
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12/31 14:49
吹き溜まっている箇所を除けば、積雪は少ないのだが、新雪の下に隠れた小石等がまたズルズルと滑るのだ。急斜面が多いため、登りでも下りでもアイゼンを脱げない。
丸山への直登。できるだけ九十九折りでゆっくりと進むが、ここはとても辛かった。あえいで標高を上げる。
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12/31 15:03
丸山への直登。できるだけ九十九折りでゆっくりと進むが、ここはとても辛かった。あえいで標高を上げる。
丸山1159mに登頂。
出発時の日光駅周辺の様子から思ってみると、この先もゴールまで雪が溶け消えることはなさそうだ。
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12/31 15:20
丸山1159mに登頂。
出発時の日光駅周辺の様子から思ってみると、この先もゴールまで雪が溶け消えることはなさそうだ。
大木戸山もまた手強い。さらに標高を上げていく。一歩一歩の足取りが重い。というか背中の荷物がまず重い。
〈冬峯〉一行はこんな季節にこんなアップダウンの稜線を歩いて、足がどうにかならなかったのか、と首をかしげる。
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12/31 15:39
大木戸山もまた手強い。さらに標高を上げていく。一歩一歩の足取りが重い。というか背中の荷物がまず重い。
〈冬峯〉一行はこんな季節にこんなアップダウンの稜線を歩いて、足がどうにかならなかったのか、と首をかしげる。
大木戸山1286.7mに登頂した。
残りは三ノ宿山との鞍部である三ノ宿峠まで下れば、本日の目標地点だ。夕刻前なので、とりあえず安心する。稜線上であれば電波も通じることも確認できた。
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12/31 15:55
大木戸山1286.7mに登頂した。
残りは三ノ宿山との鞍部である三ノ宿峠まで下れば、本日の目標地点だ。夕刻前なので、とりあえず安心する。稜線上であれば電波も通じることも確認できた。
三日目終了。
日光修験において三ノ(之)宿とか佐ノ宿などと呼ばれた泊地だ。〈冬峯〉一行もこの地で一晩を凌いだ。石仏の刻まれた金剛堂あり。年代不明。
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12/31 16:13
三日目終了。
日光修験において三ノ(之)宿とか佐ノ宿などと呼ばれた泊地だ。〈冬峯〉一行もこの地で一晩を凌いだ。石仏の刻まれた金剛堂あり。年代不明。
さて、稜線右下、南面斜面を見下ろす。斜面の一部が真っ白に積雪して、平坦な棚部の地形となっている。おそらく山伏たちはあそこに野営して風の直撃をやわらげた。テントやツェルトのビバーク地として問題なさそうだ。ハンモックに適した樹間の木は存在するかが問題。
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12/31 16:15
さて、稜線右下、南面斜面を見下ろす。斜面の一部が真っ白に積雪して、平坦な棚部の地形となっている。おそらく山伏たちはあそこに野営して風の直撃をやわらげた。テントやツェルトのビバーク地として問題なさそうだ。ハンモックに適した樹間の木は存在するかが問題。
残念。存在しなかった。仕方がなく、風を防ぐ効果も高めようと更に下った緩い斜面にハンモックシステムを構築した。斜面は正直、不便が多い。だが、こういった不整地でも眠ることが可能なのが、ハンモックという選択の強みでもあることを思い出す。これも修行と捉え野営を試みる。
このもっと下に閼伽(水場)も存在するらしいが、この零下では採取は期待できないだろう。雪ならそこら中にあるし。
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12/31 16:48
残念。存在しなかった。仕方がなく、風を防ぐ効果も高めようと更に下った緩い斜面にハンモックシステムを構築した。斜面は正直、不便が多い。だが、こういった不整地でも眠ることが可能なのが、ハンモックという選択の強みでもあることを思い出す。これも修行と捉え野営を試みる。
このもっと下に閼伽(水場)も存在するらしいが、この零下では採取は期待できないだろう。雪ならそこら中にあるし。
降雪が強まってきたので、手早く設置していく。いよいよニュースが不安を煽っていた大寒波の到来だ。
今宵の装備は、前日までのダウンとタープに加え、実験的・前衛的な新製品、アクシーズクイン社「凌」ブランドの「ハンモックビビィTyvek」で全面カバーすることで保温性・防風性・撥水性をブーストする。ただのぺらぺらなタイベックではなくて、裏面がアルミ蒸着で加工されているため、単体だけでも暖かい。
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12/31 16:51
降雪が強まってきたので、手早く設置していく。いよいよニュースが不安を煽っていた大寒波の到来だ。
今宵の装備は、前日までのダウンとタープに加え、実験的・前衛的な新製品、アクシーズクイン社「凌」ブランドの「ハンモックビビィTyvek」で全面カバーすることで保温性・防風性・撥水性をブーストする。ただのぺらぺらなタイベックではなくて、裏面がアルミ蒸着で加工されているため、単体だけでも暖かい。
風はここまでも吹き降ろす。それにしても水分補給が足りない。手持ちのわずかなテルモスの湯を元手に、ジェットボイルで雪からの水作りを試みる。水分と同時に年越し蕎麦も食べたい。だがぬるま湯が出来たところで、火が消えてしまう。最悪な冷やし蕎麦を急いですすりつつ、再燃を試みるがガスが冷えて気化しなくなったのか。風防を立てても、ダウンで缶を温めても復活せず。
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12/31 17:57
風はここまでも吹き降ろす。それにしても水分補給が足りない。手持ちのわずかなテルモスの湯を元手に、ジェットボイルで雪からの水作りを試みる。水分と同時に年越し蕎麦も食べたい。だがぬるま湯が出来たところで、火が消えてしまう。最悪な冷やし蕎麦を急いですすりつつ、再燃を試みるがガスが冷えて気化しなくなったのか。風防を立てても、ダウンで缶を温めても復活せず。
雪の上にガス缶を直置きしてしてしまったのも失敗だった。水確保が詰んでは、甘く乾いた行動食を齧り、しょげて寝るぐらいしかできない。
象足を履いて潜る。防寒が足りなければ、最後の手段としてモンベルのダウンハガー#3をハンモックに突っ込むこともできる。ブーツ等は凍らないようにダウン部分の内側空間へ避難。
よいお年を!
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12/31 18:18
雪の上にガス缶を直置きしてしてしまったのも失敗だった。水確保が詰んでは、甘く乾いた行動食を齧り、しょげて寝るぐらいしかできない。
象足を履いて潜る。防寒が足りなければ、最後の手段としてモンベルのダウンハガー#3をハンモックに突っ込むこともできる。ブーツ等は凍らないようにダウン部分の内側空間へ避難。
よいお年を!
1/1の朝。あけましておめでとうございます。
ハンモックビビィを高めに吊り、タープを低めに張ることで風説は凌げた。縫い目が異なる何重ものダウン壁は冷気を通さない。けっきょく三夜とも暑くて、モック内でもぞもぞとウェアを脱いだのであった。
それにしても遭難かと思わせる酷い見た目だ。〈冬峯〉は過酷さと少しは通ずるものがあれば幸いなのだが。
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1/1 6:45
1/1の朝。あけましておめでとうございます。
ハンモックビビィを高めに吊り、タープを低めに張ることで風説は凌げた。縫い目が異なる何重ものダウン壁は冷気を通さない。けっきょく三夜とも暑くて、モック内でもぞもぞとウェアを脱いだのであった。
それにしても遭難かと思わせる酷い見た目だ。〈冬峯〉は過酷さと少しは通ずるものがあれば幸いなのだが。
雪を払ってもビショビショで重いタープを収納していく。いまだ降り続く雪が、ザック等をすぐに白くしていく。斜面上で小石も多い地面なので手こずりながら、撤収作業完了。見上げる稜線上では気流の鳴る音がしていた。最後の水を飲み干し、最終日の行動開始。判断「なんとかなる!」
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1/1 6:46
雪を払ってもビショビショで重いタープを収納していく。いまだ降り続く雪が、ザック等をすぐに白くしていく。斜面上で小石も多い地面なので手こずりながら、撤収作業完了。見上げる稜線上では気流の鳴る音がしていた。最後の水を飲み干し、最終日の行動開始。判断「なんとかなる!」
稜線上に復帰すると、昨夕とは景色が一変していた。無かったはずの雪庇が張り出している・・・
金剛堂も陰鬱に凍えていそうな雰囲気だった。陰気なコンセプトの登山だなあと、暴風に左頬を殴られながら思った。
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1/1 8:47
稜線上に復帰すると、昨夕とは景色が一変していた。無かったはずの雪庇が張り出している・・・
金剛堂も陰鬱に凍えていそうな雰囲気だった。陰気なコンセプトの登山だなあと、暴風に左頬を殴られながら思った。
朝っぱらからの三ノ宿山への激登りは、身体に悪い。シュカブラが浮き出ている。標高1200程度であるはずなのに、かつて八ヶ岳の横岳〜硫黄岳の稜線を移動した朝を想起してしまった。まじめに凍傷には注意しないとならない。
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1/1 8:24
朝っぱらからの三ノ宿山への激登りは、身体に悪い。シュカブラが浮き出ている。標高1200程度であるはずなのに、かつて八ヶ岳の横岳〜硫黄岳の稜線を移動した朝を想起してしまった。まじめに凍傷には注意しないとならない。
三ノ宿山1229mに登頂。
さてさて、水が一滴もない。飲まなくても今日一日は保つとは思うけれど、身体が登りで温まったタイミングで比較的キレイそうな雪をちびちび舐める。一応、この先もこれを繰り返しておく。どうせガブ飲みしたところで人間の身体はいっぺんに水分吸収をできずに排出してしまう。こまめな一口がよい、と言い訳をする。
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1/1 8:35
三ノ宿山1229mに登頂。
さてさて、水が一滴もない。飲まなくても今日一日は保つとは思うけれど、身体が登りで温まったタイミングで比較的キレイそうな雪をちびちび舐める。一応、この先もこれを繰り返しておく。どうせガブ飲みしたところで人間の身体はいっぺんに水分吸収をできずに排出してしまう。こまめな一口がよい、と言い訳をする。
深いところは膝近くまで雪に沈む。ほとんどの場所は風で雪が吹き飛ばされるから積雪は浅い。そのぶん石や根がわずらわしい。
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1/1 8:38
深いところは膝近くまで雪に沈む。ほとんどの場所は風で雪が吹き飛ばされるから積雪は浅い。そのぶん石や根がわずらわしい。
三ノ宿山を下降後は、地形図上のいくつかのポコには手こずるが、比較的起伏の厳しくない区間となる。
その間エスケープするならば、和の代方面への尾根に北上する。やしおの湯バス停に下山可能だ。北面の雪の付き方がどうなっているかは不明だけれど。
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1/1 9:24
三ノ宿山を下降後は、地形図上のいくつかのポコには手こずるが、比較的起伏の厳しくない区間となる。
その間エスケープするならば、和の代方面への尾根に北上する。やしおの湯バス停に下山可能だ。北面の雪の付き方がどうなっているかは不明だけれど。
天明三年の奉納となる金剛堂を通過。
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1/1 10:17
天明三年の奉納となる金剛堂を通過。
標高をガンガン下げていく。足場が宜しくなく、ザックの重みに揺らぐのでスピードは出せない。水分の重量はゼロだけれどね。
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1/1 10:22
標高をガンガン下げていく。足場が宜しくなく、ザックの重みに揺らぐのでスピードは出せない。水分の重量はゼロだけれどね。
年代不明のこの祠まで来れば、滝ケ原峠は近い。急降下となるから、慎重にアイゼンを咬ませてゆく。
祠に溜まった新雪を指ですくって一口いただく。こんな感じで行動し続ける元気を持続させていく。
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1/1 10:26
年代不明のこの祠まで来れば、滝ケ原峠は近い。急降下となるから、慎重にアイゼンを咬ませてゆく。
祠に溜まった新雪を指ですくって一口いただく。こんな感じで行動し続ける元気を持続させていく。
滝ケ原峠の林道に着地。ここからの車道エスケープ可能地点。
この直後に急斜面の難所を登らされるはずだ。気持ちを落ち着かせるためにしばらく休もうと思ったが、ここがけっこうな風の通り道だった。たまらず、休まずに難所に取り付いた。ピッケルは取り出さずにクリアできた。
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1/1 10:31
滝ケ原峠の林道に着地。ここからの車道エスケープ可能地点。
この直後に急斜面の難所を登らされるはずだ。気持ちを落ち着かせるためにしばらく休もうと思ったが、ここがけっこうな風の通り道だった。たまらず、休まずに難所に取り付いた。ピッケルは取り出さずにクリアできた。
難所をこなし尾根に乗り上げれば、すこし歩いて千載宿の跡と比定される場所だ。この金剛堂も詳細不明。
そして、ここからの鳴虫山への登頂までが心底キツイ。登りっぱなしの体力キラーである。ひたすら忍耐力に頼り、のろのろと一歩一歩を踏み出すしかない。
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1/1 11:44
難所をこなし尾根に乗り上げれば、すこし歩いて千載宿の跡と比定される場所だ。この金剛堂も詳細不明。
そして、ここからの鳴虫山への登頂までが心底キツイ。登りっぱなしの体力キラーである。ひたすら忍耐力に頼り、のろのろと一歩一歩を踏み出すしかない。
享保十年の屋根が欠落した祠。
もうヘロヘロだ。こまめに雪を口に含む。
日光市街地が近く空は太平洋側の晴れだが、風が酷い。低山でこれならば、今頃の八ヶ岳やアルプスはどうなっていることかと心配になる。
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1/1 12:00
享保十年の屋根が欠落した祠。
もうヘロヘロだ。こまめに雪を口に含む。
日光市街地が近く空は太平洋側の晴れだが、風が酷い。低山でこれならば、今頃の八ヶ岳やアルプスはどうなっていることかと心配になる。
足を引きずってこの進入抑止ロープを跨げば、久しぶりの一般登山道に復帰だ。
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1/1 12:43
足を引きずってこの進入抑止ロープを跨げば、久しぶりの一般登山道に復帰だ。
よく整備された歩きやすいトレイルをほんのわずかに歩けば、鳴虫山の合峰(がっぽう)ピーク1084mに到着だ。ちょっぴり安心。
またすぐに廃道バリルートに入り、ゴールまでそのままだけれど。
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1/1 12:50
よく整備された歩きやすいトレイルをほんのわずかに歩けば、鳴虫山の合峰(がっぽう)ピーク1084mに到着だ。ちょっぴり安心。
またすぐに廃道バリルートに入り、ゴールまでそのままだけれど。
北北東の尾根を下りる。たまにテープなどの目印はあるが、尾根がいくつもの分岐をしていく区間なので侮ってはならない。また急斜面や両側が落ち込んだ痩せ尾根も複数回あるのだ。
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1/1 12:52
北北東の尾根を下りる。たまにテープなどの目印はあるが、尾根がいくつもの分岐をしていく区間なので侮ってはならない。また急斜面や両側が落ち込んだ痩せ尾根も複数回あるのだ。
このルートを下りで使うのは初めてだ。
そしてここまで東へ逃げてきても、風は身体を殴ってくる。北面の吹きっさらしであり、冬の樹林は暴風林としての役目をろくに果たしてくれない。
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1/1 12:52
このルートを下りで使うのは初めてだ。
そしてここまで東へ逃げてきても、風は身体を殴ってくる。北面の吹きっさらしであり、冬の樹林は暴風林としての役目をろくに果たしてくれない。
とある鞍部にて。鳴虫山は、その深部にいくつもの小ピークを含む複雑な地形の山である。そして複数の史跡を秘める。アップダウンを繰り返すようにして下山するため、なかなか標高は下がってくれない経験をする。
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1/1 13:12
とある鞍部にて。鳴虫山は、その深部にいくつもの小ピークを含む複雑な地形の山である。そして複数の史跡を秘める。アップダウンを繰り返すようにして下山するため、なかなか標高は下がってくれない経験をする。
いつの間にか〈冬峯〉の重要な道場である化星宿(気生ノ宿)の金剛堂を、気づかずに通り過ぎてしまったようだ。登りと下りとでは視座が異なるものだと反省。〈冬峯〉一行はその気生ノ宿の棚部に建てられた小屋でも、後半の一ヵ月弱の長期滞在をし、冬修行の総括をしている。
※写真は、私の〈夏峯〉のヤマレコ等でご覧ください。
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1/1 13:38
いつの間にか〈冬峯〉の重要な道場である化星宿(気生ノ宿)の金剛堂を、気づかずに通り過ぎてしまったようだ。登りと下りとでは視座が異なるものだと反省。〈冬峯〉一行はその気生ノ宿の棚部に建てられた小屋でも、後半の一ヵ月弱の長期滞在をし、冬修行の総括をしている。
※写真は、私の〈夏峯〉のヤマレコ等でご覧ください。
痩せ尾根、そしてポコのトラバースを、慎重に行く。市街地もだいぶ近いはずなのに、いまだ強風だ。久しぶりにボロ雑巾のようになる登山をしている気がする。
化星宿修行期間中の3つの拝所、馬頭・餅洗滝・二宮への寄り道は今回は割愛した。
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1/1 13:51
痩せ尾根、そしてポコのトラバースを、慎重に行く。市街地もだいぶ近いはずなのに、いまだ強風だ。久しぶりにボロ雑巾のようになる登山をしている気がする。
化星宿修行期間中の3つの拝所、馬頭・餅洗滝・二宮への寄り道は今回は割愛した。
869mピークの松立山を通過。
うねった山頂部の窪地は、太平洋戦争中に砲台が隠された人工地形とのこと。また日光修験においては火をもちいた礼拝がなされた霊場でもあった。
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1/1 14:05
869mピークの松立山を通過。
うねった山頂部の窪地は、太平洋戦争中に砲台が隠された人工地形とのこと。また日光修験においては火をもちいた礼拝がなされた霊場でもあった。
ラストスパートだ。雲がおおいかぶさる日光連山を眺めながら、辛くも楽しい4日間の山旅を振り返る。できる限り〈冬峯〉の巡礼路を踏襲して一気にロングトレイルを踏破することが出来た。また日本の山岳地帯における冬季ハンモック泊縦走の実験も成功できた。
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1/1 14:21
ラストスパートだ。雲がおおいかぶさる日光連山を眺めながら、辛くも楽しい4日間の山旅を振り返る。できる限り〈冬峯〉の巡礼路を踏襲して一気にロングトレイルを踏破することが出来た。また日本の山岳地帯における冬季ハンモック泊縦走の実験も成功できた。
金谷ホテルの敷地最奥の未舗装パーキングスペースに着地。すべての登山道を歩ききった。観光地なのに雪煙が舞うなか、アイゼンをはずす。あとは〈冬峯〉一行のごとく、現在は日光三社の集まる日光山内に勝利の凱旋だ。
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1/1 14:45
金谷ホテルの敷地最奥の未舗装パーキングスペースに着地。すべての登山道を歩ききった。観光地なのに雪煙が舞うなか、アイゼンをはずす。あとは〈冬峯〉一行のごとく、現在は日光三社の集まる日光山内に勝利の凱旋だ。
ゴール!
55.5kmのぐるり一周を経て、スタート地点でもある神橋に生還した。
今日は元旦。初詣客で賑わう中、のっぽなザックを降ろした私はログ記録を終了した。
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1/1 15:09
ゴール!
55.5kmのぐるり一周を経て、スタート地点でもある神橋に生還した。
今日は元旦。初詣客で賑わう中、のっぽなザックを降ろした私はログ記録を終了した。
いちばん最初に目に飛び込んだレストハウスに迷わず飛び込んだ。申し訳ないが、あまり冴えているとは思えない、いかにも観光客向けのやる気ないメニューが並ぶ。特色のないラーメンとカレー、コーラとオレンジジュースを注文。至急、吸収する。
はぁ、なんとかなりました。
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1/1 15:27
いちばん最初に目に飛び込んだレストハウスに迷わず飛び込んだ。申し訳ないが、あまり冴えているとは思えない、いかにも観光客向けのやる気ないメニューが並ぶ。特色のないラーメンとカレー、コーラとオレンジジュースを注文。至急、吸収する。
はぁ、なんとかなりました。
〈夏峯〉につづいて〈冬峯〉も辛うじて形にできた。春の〈華供峯〉と秋の〈五禅頂〉は・・・うん、今は考えないでおこう。
無傷、健康、とりあえずの元気を取り戻したので、鈍行列車で帰宅する。ちなみに、今回の交通費(電車、バス)は総額1650円也。切符は金券ショップでごにょごにょ・・・
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1/1 16:13
〈夏峯〉につづいて〈冬峯〉も辛うじて形にできた。春の〈華供峯〉と秋の〈五禅頂〉は・・・うん、今は考えないでおこう。
無傷、健康、とりあえずの元気を取り戻したので、鈍行列車で帰宅する。ちなみに、今回の交通費(電車、バス)は総額1650円也。切符は金券ショップでごにょごにょ・・・
夏峯に続き冬峯巡礼おめでとうございます?️
遅れましたが…明けましておめでとうございます🎉
ハンモック泊でのトレイル凄いの一言。
自分なんか31-1計画していた桐生付近の縦走を…すぐ諦めてしまいました💦
興味深く記録を読ませていただきました。
また、ロングトレイルの記録お待ちしております😊
本来やる予定のなかった〈冬峯〉ですが、思い付いてしまってからは突貫工事で準備計画していきました。
懸念すべきポイントと思われたハンモック類の防御力は、なんら問題なく、使わずに済んだギアさえあったのは意外でしたね。
現代登山用ハンモック、なかなか強いことが実証されたかもしれません。
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