静原城趾〜天ヶ岳〜クダラコージ山☆北山の雪景色を眺めに
- GPS
- 05:30
- 距離
- 11.1km
- 登り
- 843m
- 下り
- 830m
コースタイム
天候 | 晴れ時々雪 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
この日は、朝起きると京都の自宅の周りは積雪ですっかり白くなっている。週の半ばから冬型の気圧配置が強くなり、京都や滋賀の北部では雪となっている。
雪は早朝に止んで晴れ間が望んでいる。午後からは日本海側から高気圧が張り出すので、北部の雪の勢いも弱まることを見越して京都の北山に出かけることにする。まずは雲取山に行くことを考え、鞍馬街道を花背峠に向かう。
鞍馬を過ぎると途端に雪が降り始め、早々に積雪で路面が見えないほどになる。以前の車はスタッドレスだったので問題なく登れたであろうが、新しい車はスタッドレスでないので諦めて山行先を変えることにする。
市原まで戻ると空には再び晴れ間が覗く。大原に抜ける静原街道に入り、城谷の林道の入口の道路余地に車を停める。狩場谷にかかる小さな鉄橋を渡って植林の尾根に取り付く。周囲の杉の樹々には着雪しているが、これは喜んではいられない。樹林の中に入ると気温の上昇に伴い着雪した雪が融けるせいで、まるで雨が降っているかのようだ。
植林の斜面をトラバースして尾根の南端に至ると樹間からは静原の盆地を挟んで南側に箕ノ裏ヶ岳が見える。ca290mで尾根には唐突に人工的な平坦地が現れる。調べてみるとここには城山城と呼ばれる小さな山城があったらしい。静原城の前衛となる砦かと思われたが、この城を攻略した明智光秀により後に築かれたものとされるらしい。
尾根を先に進むと明瞭な登山道があり、京都ライオンズ・クラブによる標柱も立てられてはいるが、倒木により道が荒れている箇所が多い。緩やかに尾根を登り三角点ピーク△392.1mに達すると、四等三角点の小さな柱石のそばの樹には「裏ノ谷」と記された小さな木のプレートが掛けられている。
尾根を先に進むと広々とした平坦地が現れ、静原城趾に到達したことが判る。本丸の木立の中に
PH(peakhunter)さんのによる静原城跡のプレートが掛けられていた。ここは城谷山城とも呼ばれるところで、かつて三好長慶が城を築き、配下の岩倉山本氏が城を任せられたとされる。元亀四年(1573年)の七月に織田信長により足利義昭が京都から追放させられると、義昭に通じていた山本氏は明智光秀に攻められ、三ヶ月の攻防の末に落城したらしい。
尾根を先に進む、北山の前衛らしい自然林の尾根が続く。ca480mとp540との間の鞍部には地図には記されていないが、鞍部を越える古い峠道が通じているようだ。
鞍馬からの薬王坂からの尾根と合流すると突如としてあたりは整然とした杉の植林になる。尾根上にはよく人が歩く一般登山道が通じており、明瞭な道が現れる。積雪した道の上には数日前のものと思われるトレースがある。
尾根を進むとまもなくアセビやネジキを主体とする低木の樹林となる。標高が高くなり気温が低くなったせいか着雪した樹々から滴り落ちる水滴の音が聞こえなくなった。
ca580mの小ピークは三又山と呼ばれるところだ。登山道はピークの西側をトラバースしてゆくが、尾根芯を辿って樹林の中のPHさんのプレートを確認しにいく。地味なピークの目立たないところにあるプレートは健在であった。
先ほどまで尾根を背後から明るく照らしていた太陽は雲の陰に隠れ、急に冷たい風が吹くようになる。花背峠のあたりでは雪が降っているようだ。尾根の左側の樹間から覗く山々の景色が急に烟り始める。
登山道の積雪はなかなか深くならないので、リュックの背面に括り付けたスノーシューを外すのが躊躇われていたが、山頂が近づいたca750mのあたりで急に雪が深くなり、ようやくスノーシューを履く。すぐに尾根に到着する。
天ヶ岳の山頂を訪れたのは2020年の4月の下旬以来だ。最後は東側から滝谷を遡行して、シャクナゲの花が咲き誇るシャクナゲ尾根を下降したのだった。少なくとも同年の1月に天ヶ岳を訪れた際にはPHさんの古いプレートがあった筈なのだが、落下してしまったのだろうか、プレートが見当たらなくなっていた。
山頂には北側からいくつかのトレースがついている。急に陽の光が射し始める。折角なので山頂の北側の送電線鉄塔を訪れることにする。送電線鉄塔にたどり着くと期待通りの展望が広がった。すぐ右手には先日訪れたばかりの天狗杉が見え、その左手の鞍馬山に向かって下降してゆく長い尾根が続いている。その一つ向こうの尾根は貴船山がある。貴船山の彼方に見える筈の愛宕山から地蔵山にかけての稜線には雲がかかっている。休憩しているうちに雲が上がってゆく。彼方に見える京都市街と西山のあたりはすっかり晴れ空が広がっているようだ。
尾根の反対側から見える筈の南比良の眺望は雪雲に隠れていたが、鉄塔広場を去ろうという頃になって雲の中から法華山とその向こうにうっすらと蓬莱山が姿を見せる。天ヶ岳に向かって帰路についた途端、再び北の方から雪雲が到来したようだ。先ほどまで見えていた北山の山々の展望はたちどころに雪に烟ってゆく。
下山は天ヶ岳から南に尾根に伸びる尾根を下る。正確には最初は山頂直下から南東に向かって伸びる尾根を辿る。最初の小ピークca750m峰に登り返すと、ここのピークの手前でほぼ直角に向きを変えて南に下る尾根に入る。登りの尾根と同様、標高が下がるにつれて急速に雪が少なくなり、p654を過ぎるとスノーシューを脱ぐことになる。
鞍部を過ぎると次のp612にかけての登り返しは急登となる。標高差は110mほどであるが、特にca550mを過ぎてから山頂部まで登りは地図でも密集した等高線が示す通り、かなりの勾配だ。山頂部はに至ると南斜面にかけては台地状のなだらかな地形が広がっている。標高点のある場所は樹林の中であり、気がつかずに通りすぎてしまいそうな場所ではあるが、PHさんによる小さなプレートの下には黄色いテープに「ク・・・ジ山」と記されている。クとジの間の文字が消えているのだ。
このp612はクダラコージ山と呼ばれるところだが、この山を訪れたレコは少なく、天ヶ岳へのルートとして通過するのでなければ、わざわざこの山に登る人はほとんどいないだろう。過去の山行を紐解くとすぐに一昨年に訪れた私のレコが上がってくる。まずはこの山名の由来について、私の過去レコを引用させて頂きたい。
『クダラコージ山というこの変わった山名の由来は、かつて山頂近くにあった補陀楽寺に由来する。補陀落はホダラクと読みそうになるがフダラクと読むのが正しい。フダラクジ→クダラクジ→クダラコージと訛ったのだろう。この補陀落寺は延焼の後、鎌倉時代から室町時代には廃寺となるが、その後、洛北の市原に再興されている。』
クダラコージ山から南に伸びる尾根を辿るとその尾根の西側をトラバースする掘割の古道が現れる。多少の倒木はあるものの古道は概ね歩きやすい道が続いている。ca440mのあたりからは斜面を東に向かってトラバースしてゆく。
古道の山側の斜面にはほとんど原形をとどめてはいないが辛うじて炭焼き窯の跡と判る石組みがいくつか現れる。古道を辿ると最後は地図には記されていないが、小さな鉄橋で西又川を渡り、林道に合流する。最後は15分ほど車道を歩いて駐車地に戻ると空はすっかり晴れて静原川に眩しい反射を落としている。
出発時に周囲の山々に見られた雪はすっかりなくなっていた。
コメント
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<同年の1月に天ヶ岳を訪れた際にはPHさんの古いプレートがあった筈>
2021年5月4日に通過したときプレートは無事だったので写真に収めました
その後は訪れていません💦
drpepper ,hehe, mis_konan さんが一緒でした
かなり年季の入ったプレートでしたね。山頂広場の南側のリョウブの樹にかけられていたと思うのですが・・・私の探し方が悪かったせいか💦
そのうち、シャクナゲの季節にでも再訪してみたいと思います。
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