岡山県美作市&西粟倉村 黒岩山&駒の尾山作業道+美作大原地区
- GPS
- 03:25
- 距離
- 7.7km
- 登り
- 432m
- 下り
- 424m
コースタイム
- 山行
- 3:07
- 休憩
- 0:17
- 合計
- 3:24
歩行距離7.5km、歩行時間3時間、歩行数13,100歩、消費カロリー1,600Kcal
天候 | 曇り |
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過去天気図(気象庁) | 2022年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険箇所やヤブコギはありません。大海里(だいかいり)峠<写真22>から北西に延びる作業道は、ほんの一部ですが湿地になっており草を踏んですぐによけられました。雨天や大雨後は要注意です。 黒岩峠駐車場から黒岩山頂上<写真05>を経て黒岩山西斜面<写真06>までは歩きやすい道です。頂上からさらに西に延びる道は、途中で木の枝をよけるとさらに続いており、黒岩山西斜面に出ました。さらに北西に歩いたことがありますが、周辺はヤブっぽかったので、今回はここで引き返しました。 黒岩峠駐車場から展望台(第一展望所)<写真11>まではきれいな作業道が続きます。 作業道入口<写真07>には水たまりがありましたが、すぐになくなりきれいな広い道になりました。標高1,030mの分岐で前回(2021年10月18日)は直進し、作業道終点から適当に登りました。今回は左折し、いったん北へと進みました。シダの間の細道になることもありますが、足元は見えますし、マダニは大丈夫でした。 大海里(だいかいり)峠の道標<写真22>から林道ダルガ峰線側作業道入口<写真24>までは作業道で、一部、湿地があります。 大海里峠の道標<写真22>からヤブに突入すると、すぐに足元に石が転がり始め、これを辿るとどんどん道らしくなりました。低い草は気にならず、小石がゴロゴロしているものの、歩きやすい作業道です。 ミゾホオズキ<写真23>撮影地点は分岐で、右上に延びる道は大海里(だいかいり)山方面、左下に延びる道は林道ダルガ峰線に続きそうでした。左下の道に入ると、湿地はありましたが、草を踏んですぐによけられ、無事に林道ダルガ峰線に出てきました。 |
その他周辺情報 | 道の駅「あわくらんど」隣のバイキングレストラン「あわくら旬の里」は現在休業中です。 後山麓の「愛の村パーク」は8月は水曜定休で木曜日は入浴料が半額です。レストランはバイキングではなくなりましたが営業中で、お弁当の販売もあります。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
軍手
雨具
スパッツ
日よけ帽子(フード付き)
雨用帽子
登山靴(防水加工)
靴ひも予備
アタックザック
ザックカバー(防水用)
地形図
コンパス
マップケース
筆記用具
タオルハンカチ
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(地図アプリ使用)
eTrex22x(GPSナビゲーター)
虫よけスプレー
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感想
【駒の尾山作業道コースへ】
この日は台風の接近もあり、大気が不安定でした。県南よりも県北の方が比較的天候が安定していたこともあり、出発直前になって、急遽行き先を駒の尾山方面に決めました。
黒岩峠駐車場まで来ると、自動車は2台しか停まっておらず、人気の駒の尾山もこの日は登山客が少ないようでした。
先に駒の尾山と逆方向(西)にある黒岩山を訪れることにしました。2015年10月18日には、産水の郷(うぶみずのさと)森林公園(現在は閉園)の駐車場に自動車を停めて、黒岩山の南西からアプローチしました。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-745197.html
林道や遊歩道などの歩きやすい道が複数ありまるで迷路のようで、気が付くと突然、道が終点となり枯れ木のヤブを直登したりとルートファインディングしながらなんとか登った記憶があります。
しかし、今回は黒岩峠駐車場がスタート地点でしたので、黒岩山頂上までは歩きやすい道がついており、おまけに頂上周辺はシコクママコナロード<写真05>になっていました。天候に恵まれず展望も効かない頂上なので景色を楽しむことはできませんでしたが、シコクママコナの群生に癒やされました。
頂上からさらに西に進むと、不意に開けた場所<写真06>に出ました。グーグルマップでは黒岩山周辺に「鍋ヶ谷山砦跡」の表示がありますが、岡山県の埋蔵文化財地図や岡山県古代吉備文化財センターの「岡山県中世城館跡総合調査報告書」には載っていません。以前はベンチなどがあったのかもしれませんが、現在は展望が効かず、謎の空間でした。
再び、黒岩峠駐車場まで戻ると、次は駒の尾山に向けて、作業道<写真07>の方に進むことにしました。ログで分かるとおり、展望台(第一展望所)<写真11>の西まで登山道とほぼ平行に延びているルートです。
入口には水たまりがありましたが、すぐになくなりきれいな広い道になりました。人があまり歩かない道にしては、さほど荒れておらず、登山道と同じペースで楽に歩けます。
標高1,030mの分岐で前回(2021年10月18日)は直進し、作業道終点から適当に登りました。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3646165.html
今回は左折し、いったん北へと進みました。シダの間の細道になることもありますが、足元は見えますし、マダニは大丈夫でした。
想定通り、このルートで人に会うことはなく、すんなり登山道に合流できました。さすがに展望台(第一展望所)<写真11>では一組が休憩中でしたが、すぐに下山されました。
第一展望所からは登山道を歩き、駒の尾山頂上に着きました。残念ながら、後山、那岐山(なぎさん)、日名倉山(ひなくらさん)、そして小豆島(しょうどしま)まで見える360度パノラマ展望は楽しめず、辛うじて後山までの尾根や近隣の山が見える程度でした。頂上から避難小屋に向けて下りる途中でトレランの方にお会いし、お互いに天候の悪さを嘆き、それぞれのコースを進みました。
もしも、途中から晴れ間が出てきたら大海里(だいかいり)山まで登るつもりでしたが、一向にガスがとれなかったので、大海里峠まで来たときに頂上からの展望は諦めました。大海里峠周辺では相変わらず、マンネンスギ<写真20,21>がたくさん生育していました。
この大海里峠から林道ダルガ峰線に向けて西方面に下りることにしました。地形図上には破線の道がありますが、昔、通ったことがあるのはこれから少しずれた道で、コンクリートが見事に崩壊し、踏むと水が染み出してくる箇所がありました。記憶が定かではないのですが、グーグルの航空写真では道があるように見えたので、一か八か行ってみることにしました。
大海里峠の道標<写真22>からヤブに突入すると、すぐに足元に石が転がり始め、歩きやすい作業道になりました。
ミゾホオズキ<写真23>撮影地点は分岐で、右上に延びる道は大海里(だいかいり)山方面、左下に延びる道は林道ダルガ峰線に続きそうでした。一瞬、大海里山までのトラバースだったらどうしようかと思いましたが、確実に高度が下がってきたので、この道を辿っていけば、林道ダルガ峰線に合流するという確信が持てました。湿地はありましたが、草を踏んですぐによけられ、ついに合流点<写真24>に出てきました。昔歩いた道よりも北に出たような気がしました。
舗装道路の林道ダルガ峰線に出てきた早々に本日3組目の一団にお会いしました。「この方々は林道をどこまで歩かれるのだろう?」と思いましたが、それ以上に相手の方々が「この人たちはどこから下りてきたのだろう?」と不思議に思われたことでしょう。
ゴールまでの林道歩きでは、ネジバナ<写真25>やウバユリ<写真27>など、今年お初の花を見ることができ、ラッキーでした。また、林道沿いに流れていた幻の滝<写真31>に初めて気がつき、最後の最後まで楽しむことができました。
【大原地区に“永ちゃん”😄】
下山後、自動車で美作(みまさか)市の大原地区を通りました。時間的に余裕があったので、狐伝説が残る三九郎稲荷神社に立ち寄ることにしました。駐車場がないので、近くの旧因幡街道大原宿の大原観光案内所駐車場に自動車を停めて、神社まで大原宿の宿場町を通り抜けて歩きました。
元和元年(1615年)、大坂夏の陣で豊臣方についていた小林三九郎は、下庄の平尾九郎兵衛を頼ってここに落ち延びてきました。狐使いの名人であった彼は、人々を困らせていた古狐をてなずけることに成功、京都の三九郎稲荷神社を勧請しこの狐を神使としたという伝説があります。五穀豊穣、健康などにご利益があるといわれ、知られざるパワースポットでした。狛犬ではなく狛狐というのも狐伝説の神社らしくおもしろかったです。
次に向かったのは、三九郎稲荷神社より少し南に下った所にある竹山城跡です。『太平記』に登場する「竹山」とされ、その規模は中世後期の吉野郡第一の城といわれています。宮本武蔵の祖父・平田将監、父・平田無二斎はこの城の家老であり、剣道師範役としても仕えていました。明応2年(1493年)、新免伊賀守貞重が古町の山王山城から移り、以来、新免氏が3代にわたり、慶長5年(1600年)の関ヶ原での敗戦まで在城しました。山麓まで竹林に覆われていたことから竹山の名がつき、籠城の際は竹を槍のように切り倒し、敵の侵入を防ぐことのできた天然の要塞でした。
美作市指定史跡ですが、標高430mの城跡までは自動車1台分の幅の舗装道路で車で上ることができます。舗装道路終点にありもっとも広い馬場跡は駐車スペースとして利用されており、少し東の本丸跡にはラジオ中継局などがあり、遺構はほとんど確認できません。一方、これらの西尾根にある標高430mの坊主ヶ丸には堀切や曲輪(くるわ)がはっきりと遺っています。山城跡の探索はまたの機会とし、今回は純粋に展望を楽しむことにしました。
馬場跡や本丸跡からは南南東に武蔵の里、北北東に岡山県最高峰後山などの美作アルプス、眼下に古町の家並みなど、周辺随一の展望<写真44〜49>が広がります。山行中には見られなかった景色がようやくここで見られました。麓は好天でよかったです。
そして、竹山城跡からさらに南へ少しだけ下り、大原中学校前をさらに南へ進むと、変わったデザインの田んぼが目に入ってきました。矢沢永吉さんのファンの間ではうわさになっている“永ちゃん田んぼ”<写真50,51>です。
この田んぼアートは、地域の活性化につなげようと、矢沢永吉さんのファンや地元の方々が、2019年から毎年手がけているものです。広さは約10アールで、古代米とうるち米を使い、矢沢さんなどの図柄を浮かび上がらせます。今季は、「ヨロシク!!」とポーズを決める矢沢さんのイラスト、今年行われる50周年記念ツアーのタイトルにちなんで「50th MYWAY」の文字を古代米と県産米の色の違いで表現しています。
日本のロックシーンに多大な影響を与えたバンド・キャロルの時代から矢沢永吉さんを知る自分にとっては、当時とオーバーラップし、感慨深いシーンとなりました。こういう町おこしは他でもぜひやってほしいものです。
天気はいまいちでしたが、キオンやアキアカネなど秋を感じさせる動植物も見られ、楽しい山行となりました。また、早めに切り上げたおかげで、気になっていた美作市のスポットの一部を訪問することができました。
麓は天気が良く予想以上に暑かったので、宮本武蔵の里には立ち寄りませんでした。また機会があれば訪問したいと思います。
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