頚城/火打山&焼山北面スキー滑降
- GPS
- 56:00
- 距離
- 25.5km
- 登り
- 3,089m
- 下り
- 3,090m
コースタイム
5/3
林道終点Co520(10:30)→焼山北面台地Co1250(15:00)C1
5/4
C1(5:50)→火打山北面基部(7:00)→火打山頂上(11:00)→C1=C2(15:30)
5/5
C2(4:50)→焼山北面Co2050(8:00)→焼山頂上(10:00)→C2(11:50)→林道終点(13:30)
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2003年05月の天気図 |
アクセス |
感想
火打山は頚城山塊の最高峰。焼山はそのすぐ西隣にある円錐形の活火山で、現在も噴気を上げている。北面には幅500〜1000m、延長2500mにも及ぶ火砕流台地が広がる。残雪期この北面台地をベースにして2つのピークからの滑降をもくろんだ。北面から火打山は、記録も稀。残雪をフルに利用し、高度差1000mの壁を自在に楽しむつもりで事前にルートも決めぬまま出発した。
5月3日、糸魚川から笹倉温泉へ行く途中の車道から目指す火打山北面の状況を双眼鏡で確認する。火打山の北面は下部の台地から1000mの比高でせり上がり、鷲が翼を広げたように大きくどっしりとしていて僕好みの山容だった。滑降ルートは西隣にある小ピーク(影火打)から西へ落ちる沢型とすんなり決まった。登るルートは直登ルンゼ案、空沢尾根経由案、影火打案(滑降ルートに同じ)と、3通り決めた。あとは近くに行ってから決めよう。
笹倉温泉を過ぎて500mほど上流側が林道の終点。すでにこの時期としては気温が高く、初夏のような陽気となっていた。昨晩妙高の松木邸で酌み交わした酒が残り、最初の急登はこたえた。台地に取り付くまでのくねくねした林道には一部雪が残るがアスファルトの上には雪解け水が勢いよく流れていた。林道を部分的にショートカットし、スキーで焼山川右岸に沿って登る。日陰で休み休み登っていくので、ペースは一向に上がらない。登る途中でその日火打山から北面を滑降してきたパーティに出会い、滑降してきたルートの状況を聞くことができた。影火打から沢沿いに滑っていくと、途中の急傾斜で雪が切れて、滝が露出しているらしい。このパーティは何とか通過できたが、明日からはおそらく無理だろうとの話。途中早い段階から1本隣の沢の源頭に入る方が良い、とのアドバイスであった。
林道を詰めたところにある平地、アマナ平にはすでに2、3パーティが泊まっていた。我々はもっと眺めの良いところに泊まりたいので、さらに前進する。アマナ平からやや左に針路を取り、この先2日間のベースとなる天場を台地北端のCo1250に設けた。2人用のテントとツエルトを張った。この天場から目指す火打山、焼山の北面が遮るものなく見渡せた。反対側には日本海。絶好の場所だった。台地上はダケカンバの疎林が部分的に見られるが、ほぼ白一色の世界だ。早速焚火をして入山を祝った。この日が10年ぶりの山という松木さんも、ブランクを感じさせない登りだった。
5月4日、北面より火打山へ。朝クラストした台地上をトラバース気味に火打山の基部へ向かう。途中賽の河原が深い切れ込みを見せるが、標高1350m地点で難なく横断。基部まで1h程で到着。ここより登るルートを眺めるが、直接ピークから北へ伸びる空沢尾根には、雪面を伝って取り付けそうだった。当初僕が主張していた直登ルンゼ案は、途中で落石やブロック雪崩の危険がありそうなのでやめた。標高2000m付近で空沢尾根にのる。ピークまでは所々ブッシュがうるさいが、おおむね東側の雪面を伝って行けた。途中の雪の切れたところで大休止、昼寝をする。11:00にようやくピークに着く。反対側から登ってきたガイドツアーのおばさん達10数名に辟易する。頂上からは妙高、高妻山の威容と天狗原山東面の白い大斜面が印象的だった。
滑降に移る。西隣の影火打から北面の滑降ルートは、どう見てもここしかないというルンゼを伝った絶妙のラインだった。これ以外は断崖となって北面へ切れ落ちていて、エキストリーム以外は不可。入山時に出会ったパーティの助言に従い、滑り始めてから標高2000m付近で1本北側の沢へ移る。その沢の源頭部は結構な傾斜だったが、はるか下の方で焼山からの沢に合流するまで雪面が繋がっているのが確認できた。ここで判断に時間を食っているあいだ、後から我々と同じルートを登ってきた富山の陽気な中高年2人組が追いついてきた。彼らはそのまま沢沿いに滝の出ている方向へあっという間に滑っていってしまった。大丈夫だろうか?
我々が無事に下部台地に滑り降りた後、先行したはずの彼らのシュプールが無いので上部を確認してみたところ、滝が露出ているところの上部でブッシュを漕いで我々が滑ったルンゼの方に合流しようとしている2人組が見えた。あの時すぐ教えてあげれば良かったと後悔した。
撮影大会をしながら台地上の緩斜面を思い思いに滑る。賽の河原は行きよりも少し上部で横断。途中カンバの枯れ木を集めながら天場まで戻る。豪快な焚火で北面からの火打山滑降を祝った。この晩銭谷は日本海の漁火を眺めながら、独身生活に終止符を打ち彼女と結婚することを決意したようだ。
5月5日、焼山へ。天場からほぼ真っ白な斜面を最大傾斜方向へ登っていく。まるでスキー場のゲレンデを登っているみたいだ。まばらに樺の大木が生えている。少し西側へ回り込むようにして頂上への急な雪面を登る。標高2000m付近でシーデポ。まだクラストしている急な斜面をアイゼンで登る。地温が高いせいか2250m付近で雪が消える。雪の消えた急なザレ場を登る。お鉢を渡って外輪山に出ると、そこはライチョウの楽園であった。この辺りは北アルプス以外唯一の生息場らしい。夏道を踏んで頂上へ。硫黄臭がきつかったが、少し東へ行って地面から噴気が出ているところを観察した。
下りは絶叫のスキーだった。日焼け止めを塗っていない松木さんと銭谷は、顔面が真っ赤。特に松木さんの唇はタラコのように膨れ上がった。天場を早々と撤収し、灼熱地獄の中を頬かぶりしながら林道を経由し下山。笹倉温泉に浸かり、焼けた肌に再度絶叫。
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