ピッケルいるな…😨。晩秋のテン泊針ノ木サーキット!!
- GPS
- 18:05
- 距離
- 28.6km
- 登り
- 2,934m
- 下り
- 2,997m
コースタイム
- 山行
- 6:02
- 休憩
- 1:13
- 合計
- 7:15
- 山行
- 9:55
- 休憩
- 1:42
- 合計
- 11:37
天候 | 初日は少し雲があるが悪くない晴れ。翌日昼頃まではサイコーの晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2022年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
1.ハリノキ
「腹減ったな…」。なおにゃんの車の助手席で呟いた。がっつりランチを食べたかったが、槍平小屋ではうどんしかやっていなかった。
貧乏沢から北鎌尾根で無事に槍ヶ岳に登頂した。当初は西穂高岳まで全部繋げる予定だったが、日程を変更し南岳新道から槍平経由で下山した。スタートは中房温泉だったので、穂高駅に止めている僕の車に向かっているところだった。「腹減りました?じゃあ、カフェ寄って行きます?」と島々にある「アルパインカフェ満寿屋」に立ち寄ることになった。ちょうど通り道にあり、なおにゃんのお気に入りの場所だ。「『シマシマ』ってなんかええよなぁ〜」
ちょっと分かりにくい駐車場に車を止め、なおにゃんの後を付いてキョロキョロしながら少し歩く。途中、普通の郵便局だが「島々」とあるだけで穂高の香りがして(よく分からない先入観)写真を撮ってしまう。すると、数分でキレイな白壁の「蔵」に到着した。「Alpine Cafe 満寿屋」と黒地に白で山の形のイラストの入った看板が出ていた。「お…、これ?。なんか、やたらとオシャレやな😃」。
店の中に入るとアルパイン臭がプンプンしていた。壁一面に、年代物から現役まで幅開い山のグッズが展示されている。その中には初めて見るキスリングもあった。何はともあれ腹が減っていたので、定番の「ウェストンカレー」を注文した。作り置きではなく、一から作っているような風情で、マスターの丁寧そうな仕事ぶりを見ながらゆったりと出来上がりを待つ。そこそこしっかり待って、マスターがウェストンカレーを運んで来た。オシャレに盛り付けられたカレーを口に運ぶ。「お、これはうまい🎵」。まろやかな上品な味で、オシャレ過ぎて量が物足りない以外は大満足だった。
食べ終わった頃に、マスターがやって来ておもむろに切り出した。「実は、貴重な映像が発掘されたんですが、ご覧になりますか?」。なんや…?なんか仰々しいな…。すると、それは槍ヶ岳山荘ができる前の、穂先に登る映像だった。勿論、今のような至れり尽くせりの鎖がない時代のものだ。しばらく3人でしんみり映像に見入る。政府が登山促進の為に作成したキャンペーン動画らしい。「こんな時代によう撮影したな…」。その流れの中で「山小屋」の話になった。殺生ヒュッテは槍ヶ岳山荘(当時は肩の小屋)よりも前からあったらしい。僕が「どこの山小屋が初めに流行ったんでしょうね?」とマスターに聞くと、「やっぱり、白馬や針ノ木辺りでしょうね。針ノ木峠は交通の要衝だったでしょうし」と言う。ハリノキ…?正直、針ノ木というのは意外な答えだった。しかし、何故だか僕の頭に「針ノ木峠」という響きが妙に刻み込まれた。(ちなみに、後で調べると針ノ木小屋自体の設立はそんなに古くはなかった。何故にマスターがそう言ったのかが今でも分からない)
北鎌尾根をやった次の週末は、幸か不幸か絶好の登山日和の予報が出ていた。身体にはまだはっきりとダメージが残っていたが、どこにも行かないにはあまりにもったいない好天のようだ。色々思案した末、「普段行かないような百名山行くかな😃」と、奥秩父の「甲武信ヶ岳」に狙いを定めた。特に思い入れはなかったが、名前の響きが気に入っていた。西沢渓谷入り口から山頂までのピストンではさすがに物足りないので、誰かのレコを参考に適当な周回コースで登山計画を作った。甲武信ヶ岳の一つ手前の木賊山(とくさやま)の手前に分岐があり、そこを左に行き100mほど下って(この下りがかなり意外感がある)登り返すと甲武信ヶ岳、右に行くと今回の周回コースの奥秩父主脈縦走路へと続く。
戸渡尾根を進み、分岐を左に曲がり木賊山まで行く。向かいを見ると鶏冠山(とさかやま)へと続く登山道が藪に覆われ、「鶏冠尾根危険」と青い看板が木に留められ、足元には「鶏冠尾根通行止」と木看板が横たえられていた。ここから甲武信小屋に向けて猛烈に下り、そこから全部登り返すと甲武信ヶ岳だ。それから分岐まで戻り、まっすぐ進み奥秩父主脈を行く。ここから先はぐっと登山者が減る。破風山、東破風山、雁坂嶺と気持ちのいいトレイルを進み、目の前にテントを張りたくなるような爽快な開けた場所が近づいてきた。そこは雁坂峠で「日本三大峠」の一つだという。「三大峠…?何でも三大作るんやな…」。勿論、僕の頭の中にはすぐに「日本一高いと言われている」三伏峠が思い浮かんだ。峠には大きな看板が複数あり、三大峠の「三大」の意味は、やはり標高が高い順ということが記されていた。そして、もちろん1位は「言われているだけではない」三伏峠、そしてこの雁坂峠は3位のようだ。そして、2位になっていたのが「針ノ木峠」だった。「また、ハリノキか…」
北アルプスでは続々と小屋締めが始まり、本当のキャンプシーズンの到来が始まった。立山黒部アルペンルートという高過ぎる障害のせいで、なかなか行けない立山への想いが募ってきていた。また、別山尾根で剣沢キャンプ場に向かい、ド迫力の劔岳を目の前に見ながらダラダラしたいという欲求を抑えらなくもなっていた。遂に欲望のマグマが限界を超え、あらゆるキャンペーンを絶妙にかいくぐった全くの定価で扇沢(おおぎざわ)から室堂までの往復WEBキップを購入した。そして、立山三山の縦走中一際目を引いたのが、言うまでもなく「針ノ木岳」だった。
2.難しい秋山装備
去年のこの時期は何故かあまりアルプスに行っていなかった。なので、夏山からいきなりリアル雪山に移行した。その雪山始めに、いきなりの早月尾根という暴挙に出た。どか雪の直後で、登山道には11月半ばとは思えない量の積雪があり、敢えなく時間切れ撤退となった。あまりにも悔しかったので翌週2週連続で馬場島に赴き、何故かゴリゴリについたトレースのお陰で無事に劔岳初登頂を果たした。
登山の準備は完全な雪山だとむしろ簡単だ。開き直ってしまえば、必要装備は逆に明確になるからだ。しかし、この時期のアルプスの装備が分からない。僕が立山三山と劔岳を楽しんだ時は、ほとんど夏山と変わらなかった。しかし、そのほんの2日後にいきなり降雪があり、積雪になっているらしい。みんなのレコを見てあまりの変わりように驚いた。
まずは、今現在の登山道の状況が知りたかった。後は水場のあるなしだ。前回、剣沢キャンプ場に行った時は、「水場が使えない」とのニセ情報を富山県警察山岳警備隊に掴まされた。彼らは剣沢に来ようとする登山者をできるだけ未然に防ぐのが使命のようだ。彼らのツイッターを信じ、水を大量に担ぎ上げた。そのせいで、剣沢に午後5時に着いた時には、ショルダーハーネスに当たる部分の肩が奇妙に腫れ上がってしまった。そして剣沢キャンプ場の水場では水がじゃぶじゃぶと流れ出ていた。
登山道の状況は普通なら近くの小屋に電話して確認するのだが、当然この時期は針ノ木小屋など周辺の小屋は全て営業を終えている。小屋のWebサイトやツイッターアカウントの更新は止まっていた。針ノ木小屋ツイッターアカウントの最後のポストは9月29日で、「10月1日以降のテント場ですが、登山道の橋の撤去なども行いますので気をつけて自己責任でお越しくださいませ」とあった。「橋の撤去…?そんなに、この時期に針ノ木小屋に行くのはハードル高いんかな…」と不安になる。
僕の場合、前回の山行からの熱が冷め、次の山行へのマグマが溜まり吹き出してくるのは週中だ。マイカーでの日帰りかテント泊オンリーなので、基本なんの予約も必要ない。なので、レコ漁りも水曜日から金曜日にかけて直前に短期集中で行う。今回の針ノ木サーキットも、週中からYAMAPやヤマレコで探し始めるも、他のメジャーコース対比レコはあまり多くはなかった。しかも、この時期の登山道は日に日に状況が変わりうるので、できれば水曜日以降のレコが欲しかったが、全部先週末のものだった。Webサイトで「10月下旬、針ノ木岳」などと検索しても、スバリとフィットしたレコは出てこなかった。そんな中、最後の最後でヤマレコで10月27日(木曜日)に行ったレコがポストされた。日帰りだが、針ノ木峠経由で針ノ木岳まで行っている!先週末に行った方々からの情報を集約し、「最終水場は涸れている」というコンセンサスを得ていたが、その下のレンゲ沢で水を取れるかを聞いてみた。すると、「朝は凍っていて、下山時は融けていたが水はチョロチョロ」だという。「なるほど…。しゃーない、また担ぎ上げるか…」。その方のレコから、思ったよりも登山道が凍っている印象を受けたので、チェーンスパイクだけではなく、アイゼンも持っていくことにした。センシブルな登山者のレコには「アイゼンを携行し未使用」という記述がよく見られる。僕もその真似をしようと思った。念のためピッケルも車には積み込み、スタート直前に持っていくかどうか判断することにした。
3.針ノ木峠と蓮華岳
2週間ぶりに扇沢にやって来た。時刻は朝の6時過ぎだった。たった2週間の差だが、もうクリティカルな時期になっているのか、市営無料駐車場にはそれなりに空きがあった。比較的手前側の空きスペースに頭から突っ込む。当初は安全の為に有料駐車場に止めようと思っていたが、この空き具合なら、ここでもトラブルは起きにくそうだった。
前回の立山三山での反省から、できるだけ荷物を軽くしたかった。なので、結局ピッケルは持って行かない判断をした。また、かなりゴツくて重い4万200ミリアンペアのモバイルバッテリーも車に置いていく。無料駐車場から、一番上段の12時間1000円の有料駐車場まで歩いていく。そこからは、もう目の前に関電トンネルのゲートが見えていて、その左脇から登山道が始まる。その手前には有名な「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し」の木看板がある。「これ、分かるな〜」と、こんな「切れる」表現を思いついた先人の知恵に感動する。そこでGoProに向かってスタートを宣言し、ゲート手前を左に歩いていく。
最初のうちは、頻繁にキレイなアスファルト道路を横切る。4回ほどそれを繰り返した後、やっと本物の登山道入口にたどり着いた。黄色い「針ノ木岳登山道」の道標が立っている。手前はだだっ広い広場になっていて、ここまで関係車輌は直接来れそうだった。序盤は通常の樹林帯を行きながら、何度か涸沢を横切る。その涸沢の途中にある登山道への分岐を入り損ねて、歩きにくいゴーロ帯をしばらく歩いてしまう。あまりにも歩きにくいので、YAMAPを取り出すと豪快に間違っていた。かなり引き返し、岩にうっすらある赤丸を見つけた。赤丸を見ながら左に曲がり、急な坂を登ると登山道に復帰できた。その後も、今度は水のある沢(後で地図で確認すると、ことごとく明日回る針ノ木サーキットのピークの名前がついた沢だった)を何度か徒渉し、初めのランドマーク「大沢小屋」に到達した。小屋の前には最近よく見るおっさんの顔のレリーフがあった。名前は「百瀬慎太郎」とあった。この大沢小屋と針ノ木小屋の創設者で、登山家にして歌人でもあったという。何故に登山と「書く」という行為の親和性は高いのだろう?
大沢小屋を越え、徐々に登山道が沢詰めのような感じに変わっていく。この時期は雪渓の時期よりも歩きにくく大変なのか?シーズンならたっぷりとある雪が全くないためか、ピンクテープがすっとんきょうな所についている。最初は左岸(山頂から下を見下ろし左手)からスタートし、高巻く感じでへつって行く。ロープが用意されてはいるものの、平たい滑りそうな岩もあるので、重荷の場合は少し怖い。高巻きで暫く平行移動した後、また川原におり、今度は右岸へ移動する。標高が1800メートルを超えた辺りから、濡れているように見える岩がツルツルに滑る。濡れているというよりも凍っている感じだった。慎重に足の置き所を決めれば問題ないだろう。
その後、右岸を高巻いていたが、1950メートル近辺でその狭い高巻き道がガチガチに凍っている所に来た。もともと登山道に沢水が染み出ている場所で、この時期はそういう場所は凍ってしまうようだ。「これは怖いな…」。チェーンスパイクを付けようかとも思ったが、見える範囲の先はもう普通の道になっていたので、そのまま行く。とっかかりのある岩をがん掴みしながら、できるだけ滑らなさそうな場所に足をそろりと置きながら渡り切った。「あーこわッ!」
そこを越えると暫く平和な道になった。また川原まで高度を下げ、左岸に移動する。「ノド」が近づいているはずだった。ノドの少し手前は分岐になっていて、この時期は高巻きルートになる。よくレコで見るカラフルな丸を目印に、岩を登り高度を上げる。幸い、この辺りには凍結はなく、ステップも至るところにしっかりなので、特に難しさはなく、むしろアスレチックのように楽しく登っていく。振り返るとなかなかの高度感で、今まで登ってきた道を見下ろす。ヤマレコの地図によると、高巻きが終わり、分岐したルートと再合流する地点が「ノド」のようだったが、その手前の登りの方が印象が強く、ノドの地点の「両側から岩壁が迫り狭くなる」という特徴は分からなかった。恐らく雪渓が残っている時期の話なのだろう。
ノドからまた左(右岸の方)へ登山道が湾曲する。いくつかの支沢を渡渉するも、本谷の右岸に出たのかはいまいちはっきりしなかった。雪もしっかり目に出始め、2200メートルに迫っていた。すると、大きめの岩に赤字で「レンゲ沢」と書いている所にやって来た。「おー!レンゲ沢来た🎵」。水場の調査をしている時、「最終水場は涸れている事が多いので、ここで水を取るべし」というレコを見て、地図でレンゲ沢の場所を特定しようと思った。しかし、あまりに小さい沢なので、山と高原地図に表示はなかった。すぐ前を見ると、水がじゃぶじゃぶと出て、物凄く小さい滝壺のようになっている沢があった。沢なので、登山道から一段低くなっていて、そこを渡るのだが、思いっきり凍っている。下に降りて足を置いてみるも、めちゃくちゃ滑る。「ちょっとこれは無理やな…」。一旦上に上がり、登山道から外れ渡渉ポイントを探るも、どこも壺足では渡れそうになかった。「観念するか…。チェーンスパイク付けよう」。足場のいい所にザックを下ろし、かなり久しぶりにチェーンスパイクを袋から出した。いつも付けるのに苦労するが、今日はトランゴタワーなので、比較的楽に装着できた。
さすがに、こういう凍りついてはいるもののあまり斜度がない場所では、チェーンスパイクがしっかり効いた。無事にレンゲ沢を渡り、「ワンポイント利用かな…」と思っていたが、意外に暫くチェーンスパイク必須の道が続いた。どんどん登っていくと雪はますますしっかりと登山道に積もっていたが、雪質はよくなりチェーンスパイクが不要そうになるも、安全の為に引き続き付けっぱなしで登っていく。
最終水場どこかなぁと思いながら登っていると、上からかなり軽装の若い男性登山者が軽快に降りてきた。てっきり針ノ木サーキットを逆回りでやってきたと思ったので、「針ノ木岳の辺り、登山道どんな感じでした?」と声をかけた。すると、意外にも、「僕は、針ノ木峠までしかまだ行ってないんですよ😅」「え??」「最終水場が涸れてたんで、先にテントだけ張って、水を取りに沢まで下ってるんです」「あー!なるほど。もう最終水場通り過ぎてたんですね😅。どこまで下りるんですか??」「いや、まあ、水があるとこまで😃」。「テント場まだ空いてますか?」と聞くと、「がらがらで、僕と友達の2張りだけですよ!」「おー!😃もっといるかと思ったけどそうでもないんですね🎵」。針ノ木小屋のテント場はかなり狭そうだったので、ガラガラと聞いて安心した。「もうちょっとですよ」と僕に声をかけながら、彼は引き続き軽快に下りて行き、あっという間に小さくなっていった。
そこからは、雪はたっぷりも、歩きやすい斜面をつづらに登っていく。彼が言った通り、比較的すぐに小屋が視界に入ってきた。「針ノ木峠」と道標がちょうど峠の真ん中に立っているのもしっかり見える。今回は前回と同じ位の重荷にも関わらず、かなり余裕を残して峠に到達した。道標の反対側に回り込むも、そっちの面には何も書かれていなかったので、少しだけ雪渓を下り、道標の「針ノ木峠」の文字をしっかり入れて写真を撮る。峠からは、小屋の方に行く手前に急な斜面を登る道も付けられていた。どこがテント場か知らないので、そこを登るのか、小屋の方に行くのか分からない。すると、ちょうど蓮華岳に向かおうとしている黒尽くめの登山服の若者がこちらに向かって来た。「これ、テント場行くにはどう行ったらいいですかね?」と聞くと、「どちらからでも行けますが、小屋の前を通って奥に行くとテント場がありますよ」と教えてもらう。実は、彼が先ほど沢に水を取りに下りていった若者の友達だった。
小屋の前には、日帰りっぽい何人かの登山者がベンチに座って休憩していた。そこを通り過ぎ先に進むと、少し下った先にテントが2張り張られているのが見えてきた。「あー、あそこか😃」。彼らのテントの奥に良さそうなフラットなスペースがまだ空いているのが見える。「おー!ええ感じ」と少し下り、そのスペースに下りていった。3区画ほどのスペースが空いていて、その一番手前にザックを下ろす。「奥にも来ちゃうかな…?」と思いながらも、「まあ、その時はその時」と急いでテントを張っていく。とにかくビールを早く飲みたいが、まずはテントを設営し、蓮華岳に登るのが先決だ。今回の針ノ木サーキットは、蓮華岳と爺ヶ岳の髭付きにするつもりだった。
風もほとんどなく、あっという間にテントの設営を終えた。このテント場からは、少し雲があるものの、前に槍ヶ岳がしっかり見えた。木が少し邪魔だったが、その横には野口五郎岳も見ることができる。「野口五郎でかいよね😃」。この時期だけにビールはテントの外に出していれば冷えるだろうと、テントの外の前室にビールを置き、蓮華岳に向かう準備をする。今回もバランスライト20をアタックザックとして持ってきていたので、それにレインウェアやヘッデン、水を入れたナルゲンボトルなど必要最低限の装備を詰め、テント場を後にした。
蓮華岳はピーキーではないが、なかなかに重厚感がある。横広で、西穂高岳辺りから見る笠ヶ岳のような趣があった。登山道は、のっけが少し急だが、それ以降は「なんじゃこのラクチンな道は!」という広い平原のような尾根が多く、ユルく歩ける。完全なる無風で、もうすぐ11月になるとは思えない暖かい太陽の日差しが降り注ぐ。登山道には、雪が所々あるものの滑る感じではなく、ずっと壺足で問題なかった。歩きながら時折振り返ると、やはり針ノ木岳がでかい。近いからでかいのは当たり前なのだが、今まで針ノ木岳なんて気にも留めていない山だったのに、一気に侮れない山という印象に変わった。そのどでかい針ノ木岳の右手にはスバリ岳が奥側に少し見える。立山方面には残念ながらかなりがっつり雲がかかっていた。明日、針ノ木岳の山頂からしっかりと立山・剱岳が見えることを期待するとしよう。所々広い小トップがあり、眺望がその都度いい。右手には、いつも感じる「とにかくでかい」薬師岳、どっしりとした山容を見せる野口五郎岳を中心とした山塊、その横には安定の槍ヶ岳から前穂の稜線が美しい。気持ちのいい登山道のおかけで、あまり疲れることもなくまず祠に到着する。ぱっと見、山頂のように勘違いしてしまうが、これは「若一王子(にゃくいちおうじ)神社奥宮」の祠のようだ。蓮華岳の山頂は目と鼻の先で、すぐ先に山頂標識が見えている。ちょっと歩くとすぐに山頂に到着した。山頂標識は道標にもなっていて、最近行った七倉山荘のほうにつながっているようだ。山頂標識からさらに少しだけ行くと三角点の石柱がある。後立山方面は雲がかかっていたが、やたらと鹿島槍に似ている布引山まではきれいに見えていた。
少し風が出始め寒くなってきた。山頂までの登山道で十分景色を堪能したので、山頂の滞在時間はそこそこに帰路に就いた。とにかく早くビールが飲みたい。歩き易い道をいいペースでテント場に向けて歩く。僕の横にテントを張っていた若者2人も同じタイミングで蓮華岳山頂に来ていて、あっという間に僕を追い抜いて行った。針ノ木小屋に戻ってくると、小屋の手前や小屋の目の前にテントがちらほら増えていた。僕とその若者2人は正規のテント場にテントを張ったので、小屋から少し下る。もしかしたら、後から来た登山者たちの様に小屋前に張った方が眺望はいいし、電波の入りもよりいいかもしれない。針ノ木小屋のテント場の電波状況はかなり変だった。猛烈に電波が入ったかと思えば、テント内で場所をほんの少し変えただけで圏外に変わってしまう。
テントに潜り込み、スタッフバックに入れて前室に置いておいた350mlのビール2缶を取り出す。あまりにもいい天気過ぎて、冷えると期待していたのに、逆にぬるくなっていた。やはり、もっと風が当たる場所に置いておくべきだったようだ。テントの中からは槍ヶ岳から前穂の稜線を楽しめる。この陽気にこの景色、多少ビールがぬるくても、きっとおいしいはずだ。AluテーブルFIREを広げ、ピザポテトとビールを置いた。ビールのプルトップを引き大きく一口飲む。「あー!やっぱり間違いないわー😃」。今まではジャンキーで滅多に食べなかったピザポテトも、キャンプと登山を始めてから頻繁に食べるようになった。あっという間にビールとピザポテトを平らげた。ザックからフライパンと、安曇野インターを降りてすぐのセブンイレブンで買ったチョリソーを出す。プリムスウルトラバーナーを組み立て、フライパンでチョリソーを炒めた。今回はカチカチやっても全く火は点かず、仕方なくライターを使った。季節的なものなのか、標高が関係しているのか。ライターを忘れると窮地に陥るところだった。風がよく当たる所に置いていた2本目のビールに手を伸ばす。チョリソーをつまみながら、先ほどよりは若干冷えてさらにうまくなったビールを堪能した。
今週は中々に仕事で疲れ果てた割には、前回の立山三山縦走対比かなり余裕を残しての針ノ木峠到着だった。しかし、一気にビールを2缶開け、さすがに眠くなってきた。シュラフに足だけを突っ込み、マットの上に寝そべった。眠りに落ちるのは必然だった。小一時間ほど経って、やたらと寒さを感じ始めた。完全には起きずに、朦朧とした意識のまま、シュラフに体を半分ほど滑り込ませた。またそこから小一時間ほど昼寝をし、またあまりにも寒いので今度はしっかり起き上がった。横の若者2人が、「なんか急に寒くなって来たな!」と話しているのが聞こえて来た。レインフライのファスナーを上から開け、外を見てみた。すると、さっきまでも雲が多めだったが、一気に霧のようなガスに目の前が一面覆われていた。「お…えらいガス出とんねんな…」。なぜかレインフライの外側がびっしょりと濡れていた。よーく見ると、レインフライに一面霜がびっしりとこびりついていた。「なんじゃこれ!」。さっきまでの11月間近とは思えないぽかぽか陽気からのあまりの変わりように驚いた。「やっぱり、この季節は油断ならんな…」。シュラフは、勿論ドライシームレスダウンハガー#1を持ってきていたので安心だったが、こんなまだ夕方にもならない時間帯にも気候が急変するとは…。
時刻は夕方の5時前になろうとしていた。先ほど舞い上がっていた霧のようなガスは既に切れ、また槍ヶ岳が厚めの雲から頭を覗かせていた。テルモスの山専用ボトルに入れたお湯でコーヒーを入れ、目を覚ます。大好きな黄昏時が迫っていた。アルパインダウンパーカを着て、テントの外に出る。僕がテントを張った場所はテント場の一番奥で、そこから2,3ステップ下に下がると、例の若者2人が一張りずつ張っているスペースだ。そこからは、小屋の前を通らず、テント場から直接稜線に出れるように登山道が付けられている。小屋に向けてその先の岩場を少し上がり、小高くなった場所に立ってみる。僕のテントからは木が邪魔で見えない野口五郎ワールドがそこからははっきり見えた。小屋の前の方へ行くと、またテントが少し増えていた。たまたま外にいる人に、「寒いですね?」と声を掛けると、「さっきiPhoneの電波が繋がって天気予報見たら、大町市がマイナス1度でした!」「マイナス1度?」そんなん当たり前ちゃう?と思ったが、「あー!そうか、大町市がか!ここは何度になるんやろう😓」「はい!」とどうりで寒いわけやと、やはり晩秋なことを再認識した。
小屋前を通り、峠にやって来た。やはり雲は多めだった。鹿島槍ヶ岳方面の雲は速めに流れていて、時折山容が姿を現す。峠からは、登山道とは別によく分からない道が付けられていた。とりあえず登ってみる。途中、物置のような物が邪魔っけに置かれ道を塞いでいる。慎重にそれをかわし、さらに上に上がってみた。そこは単なる展望台のような場所だった。そこから、この時期ならではの静かなひと時を楽しんだ。時刻は6時を過ぎ、どんどん暗くなってくる。明日は今日よりは天気がよくなる予報だったので、針ノ木岳で迎えるだろう明日の日の出が楽しみだった。一方で、この時期ならではの登山道への不安は少なからずあった。なんの不安もない登山には何の魅力もないとはいうものの、ちょうどいい恐怖という都合のいい状態を持てるとも限らない。かなり暗くなってきたので、慎重にその展望台から降り、テントに戻った。昼寝から起きたばっかりだとは言うものの、また明日の朝は2時半起きなので、早々に明日の準備を整え、眠りについた。
4.針ノ木サーキット
【テント場から針ノ木岳】
予定通り2時30分に起きた。今回は朝起きる時間に悩んだ。今日回るコースはかなりのロングコースなので、できるだけ早くスタートしたい。しかし、一方でモルゲンは絶対に針ノ木岳で迎えたい。日の出の時間は6時過ぎなので、あまり早く到着すると、山頂でかなり待たないといけない。針ノ木峠から針ノ木岳は約1時間なので、5時半頃に登頂を目指し、4時半にテント場をスタートする。とすると、チンタラの僕はその2時間前の起床がちょうどいい。予定通り撤収が進み、4時半にテント場をスタートできた。隣の若者たちは、僕よりも後に起きて、僕よりも先にスタートして行った。テントを置いて行っていたので、針ノ木岳ピストンなのか。
昨日確認していた、テント場からの登山道を上がり、稜線に出る。そこからは分かりやすい登山道で、特に不安はない。残雪期のレコを見ると、ずっと稜線伝いに行った方がいいとのアドバイスが多いが、今日は普通に夏道通りトラバースして行く。左上方を見上げると稜線は見えるが、そこは岩にまみれていたので、稜線伝いに行けるようには見えなかったが、雪で凹凸が埋まれば意外に歩き易い道なのかもしれない。オコジョのような白い小さい動物が目の前を駆け上がって行った。
前方には、恐らくお隣にいた若者2人と思しきヘッデンの明かりがずっと見えていた。「あのペースだと、ご来光どこで迎えるつもりなんやろう?」と不思議に思いながら、淡々と登山道を進んで行った。ほどなく、あまり疲れることなく5時30分頃、針ノ木岳に登頂した。先を行く彼らの姿はなく、また安定の孤独だった。彼らは多分、混雑するであろう針ノ木岳を避け、スバリ岳に照準を絞っていたのかもしれない。日の出までまだ30分以上あったが、もうこの時間から東の地平線は赤らんでいた。太陽が正に出てくる時間もいいが、それまでの30分もなんとも言えず風情があっていいものだ。誰もいない山頂で、うろうろと動き回り360度の絶景を楽しむ。昨日期待していた通り、立山側や後立山側にかかっていた雲はきれいになくなっていた。ビーナスベルトが山の端を覆っている。立山側に歩いて行くと、少し凍り付いているようにも見える黒部湖が眼下に見える。その上には、勿論、立山、別山、劔岳が揃い踏みだ。もちろん劔は特別だが、雄山を中心とする立山のでかさが映える。そこから目を右に移せば、これから行くスバリ岳、そして、その先の鹿島槍ヶ岳・五竜岳へと続く稜線の曲線がたまらない。振り向くと、そこには、とにかくでかい薬師岳を右に従え、中央に野口五郎岳が鎮座する。その左には、みんなの憧れの槍・穂高連峰が、朝の色合いのせいか、雲海の上にいつもより優しい雰囲気を醸し出していた。そして、こちらから見ると意外にピーキーな蓮華岳の黒さが赤焼けのおかげで際立つ。その右手には、八ヶ岳、富士山、南アルプスが遠いながらも、くっきりとその姿を見せていた。「これは…完璧やな…」。正にため息しか出なかった。その後、さすがにポツポツと登山者が山頂にやってきて、みんなそのあまりにも神々しい景色に、魅了されていた。朝日が蓮華岳の奥に見える浅間山の少し右から上がり始めた。燃え上がる太陽が、それぞれの山々を照らしていく。静かな贅沢な時間が流れた。いつまでも山頂を歩き回った。
【針ノ木岳からスバリ岳】
時刻が6時半を過ぎ、さすがにぼつぼつ行かないとと思い始めた。結局山頂で1時間も使ってしまった。ここから先の道はちゃんと道標が出ているのに、最初間違えて黒部湖側に下りて行ってしまう。ザレザレの危険な道になったので、山頂まで登り返す。山頂からしっかりある道標に従い、急な坂を下りていく。針ノ木岳からの下りはそれなりに危ない。岩崩れが簡単に起きるザレ道を通り、所々しっかり付いた雪の斜面を下りていく。しかし、「はーはー」言うような恐怖を覚える道ではなかった。慎重に下りながら、登り返すと、7時頃、すぐにスバリ岳に到着した。僕はスバリ岳をずーっと、「ズバリ岳」だと勘違いしていた。僕のレコにはずっとそう書かれていたはずだ。今回のレコを書くにあたり、国土地理院の地図で地形を調べていて、やっと自分の間違いに気が付いた。もちろん、山頂には誰もいなかった。今回の登山では「追い越し・追い越され」が一切なかった。同じ向きで針ノ木サーキットをしている登山者は恐らくいなかったんだと思う。あの例の若者2人が唯一同じ向きだったが、針ノ木峠でテントを置き、赤沢岳までのピストンという変則的な行程だったようだ。スバリ岳からの眺望も変わらずサイコーだった。しかし、針ノ木岳が見えたり、劔岳は若干近くなるものの、角度的に槍ヶ岳方面があまり見えない。やはり、ご来光を針ノ木岳山頂で迎える戦略は正解だったようだ。かなり針ノ木岳山頂で時間を使ったので、「爺ヶ岳登れなくなってしまうかもしれん。早めに行くか?」とほんの15分くらいの山頂滞在時間で山頂を後にした。
【スバリ岳から鳴沢岳 核心】
このスバリ岳を越えてから、一気に登山道が難しくなる。雪の量も一気に増えた。滑るとそのまま落ちてしまう登山道が多々現れた。慎重にストックを突きながら、ゆっくり下りていく。「なるほどなぁ〜。ちょっと危ないな…」と言いながらも、まだチェーンスパイクは付けていなかった。登山道には、例の若者2人のものと思しきトレースがしっかりあったのがありがたい。そんな中、スバリ岳から100m高度を下げた所でそれは現れた。いきなり登山道が不明瞭になり、「道は自由」という雪山になったようだった。稜線伝いに道はなく、急斜面のトラバースにトレースががっちり付いている。トレースはあるものの、失敗して落ちれば多分助からない。「ホンマにこっちか〜?」と慎重に稜線方向を見つめるも、やはりそっちに道はなかった。「これはアカンやつやな…。チェンスパ付けるか」とトラバースの上の稜線でチェーンスパイクを装着した。ここは、もしトレースがなければかなり痺れるトラバースで絶対にアイゼン・ピッケルが必要な道だった。チェンスパでは若干不安ながら、観念して慎重にトラバース道につけられたトレースを辿る。かなりしっかりとしたトレースだったので、若者2人が付ける前からあったのかもしれない。左がリアルに切れ落ちているので、トレースがあるとは言うものの、かなり慎重に下りて行った。久々に感じる緊張感だ。やはり雪山と夏山は全く違う。「やっぱりこれ、アイゼンやな…。ちゅうか、これ、もう雪山やな…」
何とかトラバースを下り切った。下りてきた斜面を振り返り、写真に収め、GoProに語りかける。「ゴリゴリのトレースあったから助かったけど、それなかったら、多分アイゼン付けると思う。で、ピッケル絶対必要」。少し落ち着いてはきたが、道は比較的危険なままだった。「やっぱ、ピッケルいるな〜」とやたらと呟く。また稜線に戻り、痩せ尾根を歩いて行く。眺望は相変わらず非の打ちどころがない。目の前の雄山がでかかった。そこから少し下り、やっと安心できる尾根になった。「もうええかな…」とそこでチェーンスパイクを外した。今後もチェーンスパイクを付けたり外したりすることになりそうなので、ザックの腰ベルトのベルト留めにチェーンスパイクのつま先の「ガイド」を引っ掛けた。これは中々に便利な思い付きだったが、このようにチェーンスパイクを付けっ放しでザックを下ろした時に、チェーンスパイクを踏んづけてしまい、腰ベルトのベルト留めが折れてしまった。ザックを下ろすときは、細心の注意が必要だ。
その歩き易い稜線の前には、でかい岩峰が見えていた。稜線の左は切れ落ちているが、歩くのに問題はない。ここから赤沢岳にかけては、登り下りを繰り返す。スバリ岳の標高が2752mで、赤沢岳2678mへの最低コルが2494mのようだ。この稜線は本当に立山が近い。先々週行ったおかげだが、はっきりと山々を見分けることができた。浄土山の手前側にある龍王岳はこちら見てもやはりかっこいい。文句のつけようない立山の雄姿に劔岳が続く。その後も、所々雪は出て来たが、特段危険なところはなかった。そして、少し油断しながら歩いていると、いきなり「バサバサッ」と音がした。ふと右を見ると、雷鳥が2羽何食わぬ顔ですぐ目の前で遊んでいた。「いるかなぁ〜」とキョロキョロしていると決して見つけられないのに、現れるときはいつも不意を突いてくる。「こんな晴れてるのに、雷鳥までいるとは!」
狭いトラバース道を少し下りて行くと、手前に岩峰が見え始めた。無名峰だが中々に荒々しい。そこは直登せず、巻道が付けられていた。手前でいったん立ち止まり、立山を見て一呼吸入れる。この巻道の下りがかなりいやらしかった。チェーンスパイクを外していたせいだが、つるっと滑る。驚いた拍子に、切れ落ちた谷の方向にストックを落としてしまう。幸い下まで落ちずにすぐ止まってくれた。振り返って下りてきたその場所を写真に収めた。そこから先は基本稜線か稜線のすぐ脇につけられたトラバース道を行く。所々崩落地の様になっていて、右側の谷がえぐれ、かなりやせ尾根になっている場所があった。すると、前から全身黒づくめの登山服を着た若者が前からやって来た。「確か…針ノ木峠でテント場の場所教えてくれて人だな」。彼には失礼だったが、彼が、僕の横にテントを張っていた若者2人のうちの1人だと気付いていなかった。最終水場が涸れていたので、また沢まで水を汲みに戻ったもう1人の若者の印象が強かった。なので、彼にしてみると、かなり奇妙な質問を僕はしてしまう。「あれ?確か針ノ木峠にいましたよね?」「はい」。僕は彼は日帰りの人だと思っていたので、向こうから現れたことが不思議だった。「あれ?でもどこに泊まったんですか?」「針ノ木峠に泊まって、朝ピストンしました。赤沢まで(多分、何聞いとんねん?と思いながら答えていたことだろう)」。彼の後半の答えも聞いていない僕は、ザックがどう考えて小さすぎるので、「え…、なんか荷物ちっちゃいですね?」「あ、(針ノ木峠に)テントとかは置いてきたので(多分、朝横にあったん見たやろう??と思いながら答えていたことだろう)」「あー、なるほど?」と言いながらいまいち腑に落ちていなかった。すると、彼とすれ違ってしばらくして、例の沢水君がやって来た。「あ、おはようございます?」と、ここで、すべてが繋がった。「そういうパターン(針ノ木小屋から赤沢岳まで軽荷でピストン)だったんですね?」と声を掛けると、「そういうパターンでした😃」「ハハハハハ」。「僕はこのまま行っちゃいますんで」「お疲れ様です」。なるほど、サーキットをせずに、できるだけ楽に楽しむこのパターンもありかもな、と考えもしなかった山行パターンに感心した。
やっと前に赤沢岳らしき端正な山が近づいてきた。山頂の手前で少し行動食を食べながら休憩する。背後には歩いてきた稜線が美しく、その左右には、蓮華岳、針ノ木岳とスバリ岳の集合山がでかい。黒部湖の深い青が印象的で、それを取り囲む薬師岳と立山に代表される山々にため息が漏れる。「これ、ホンマ贅沢やな…やはり登山適期始まったな😃」と重荷を背負う苦しみは吹っ飛んでいた。その赤沢岳らしき山の直前で、2人目のすれ違いがあった。「どちらからですか?」と聞くと、扇沢から日帰りで反時計回り針ノ木サーキットだという。気になっていた質問をしてみた。「種池山荘からここまでどれくらいかかりました?」。疲れはあまりないにも関わらず、意外にスピードが上がらず、爺ヶ岳に登るか登るまいか徐々に迷い始めていたからだ。彼は少し声に出して計算しながら、「4時間くらいですね」「4時間か…そんなかかるか…」。遅くとも、3時間くらいで行きたいと思っていただけに、思わず呻く。「私、ゆっくりでしたから」と気を使ってくれる。彼は僕よりはシニアな感じだったが、針ノ木サーキットを日帰りでしようというくらいの人だから、そんなに遅いはずはなかった。「チェンスパは使いました?」と質問され、先ほどのスバリ岳を越えた後の恐怖トラバースの説明をし、針ノ木岳への登り(僕は下り)もそれなりに危ないことを説明した。「でも、こっちからだと全部登りなので余裕かもしれません」。自分で説明しながら思ったが、この針ノ木サーキットは反時計回りだと危ないところが全部登りになる。もしかしたら、みんなそれを分かっているから、すれ違いしかなかったのかもしれない。この方も、僕がこれから感じる恐怖のことに一言も触れなかったところを見ると、その場所も登りならあまり問題ではなかったのだろう。
さっきまで赤沢岳だと思っていたピークは偽ピークだった。そこを越えると、平たいテントを張れそうなスペースがあり、前に山頂標識が立っているピークが目に入った。「あ…あれやったか…」。その平たい場所でも一呼吸入れ、景色を楽しむ。ピークよりもかなり下だが、少しだけ劔岳に雲がかかっていた。そこから巻道を少し下りながらトラバースし、その後しっかりと岩場を登る。登り切るとまた穏やかな稜線になり、8時50分頃、遂に赤沢岳に登頂した。なかなかの登り返しだった。ほとんどコースタイムと同じだけ時間がかかっていたようだった。それほど疲れがたまっていたわけではなかったので、相当トレイルからの景色が素晴らしかったのだろう。赤沢岳の山頂も360度の大絶景だった。基本スバリ岳からの景色と同じなのだが、やはり後立山連峰の存在感が徐々に増してくる。まだこの時点では雲が一切なく、雪化粧した鹿島槍ヶ岳と五竜岳がしっかり見えていた。ただやはり時間が押しているのだけが気がかりだった。撮りっぱなしで編集したことがないInsta360を取り出し、360度ビデオを撮影する(どこが気がかりやねん??)。頭にはヘルメットにGoProもつ付けているので、2重撮りだ。とんでもなく暇なときに編集でもしよう。「さぁ…そろそろ行くかぁ…?俺、今日大分押してるよな…」。ほんの10分ほどの滞在時間で赤沢岳から次の鳴沢岳向かう。
鳴沢岳は、標高こそ赤沢岳よりも低いが、かなり険しく立派な山だと感じた。2回ほど偽ピークがあった気がする。ピークまでは特に問題はなく、迫りくる後立山連峰を見ながら気持ちよく歩いて行った。後ろを振り返れば今回の主役、針ノ木岳と蓮華岳がいつまでもでかい。針ノ木岳は勿論存在感があるのだが、蓮華岳もなかなかに捨てがたい山に感じた。その二つの巨大な山の間に、何やらなんとも言えないハンサムな山が見え始めた。もちろん穂高辺りの山なのだが、あまりに端正過ぎて逆に特徴がなく、何の山か分からない。仕方がないのでPeakLensか何かで確認すると、「大天井岳」だった!なるほど、確かに、こいつはかっこいいんだよな。でもなぜか存在感が薄いかわいそうな山という印象を僕も持ち始めるのかもしれない。鳴沢岳頂上に向けては、意外に直登にルートが付けられている。下から見ると、ちょっと「え?」というくらい急な坂を登って行く。ステップはちゃんとあり、特に難しくはなかったが、「これ、下りは大変そうやな…」。このコースは、これからもうピークの標高はあまり変わないが、頻繁なアップダウンを繰り返す。急坂を登り稜線に上がると、山頂標識が目に入った。そこまで、稜線上のやせ尾根を進んで行く。9時50分頃、鳴沢岳に登頂した。ここにもしっかりとした山頂標識がある。山頂からの景色はスバリ岳よりも、むしろこちらからの方がいいかもしれない。少し雲がかかってはきていたが、十分な大絶景に、両手を大きく横に広げリラックスする。「あ〜、気持ちいい」。この時期に、ここまで登山者がいなくなってしまうのは有り難いが、かなり不思議だった。
どうしても時間が気になっているので、また15分ほどのショートステイで鳴沢岳を後にした。いったん少し下り、コルからまた山頂とほぼ同じ高さまで登り返し、さあ下りようとする。すると、「うん?」。下を覗き込む。嫌な感じの崖のようになっている。しかし一応登山道のようにも見える。他にルートはなかったので、「う〜ん…行くしかないやつやな😓」。ポールを片手にまとめ、岩を掴み、半身になりながら降りていく。足の置き場が限られた場所にしかないので、慎重に置き所を選び、何とか下りきった。あまり雪が付いていなかったのは幸いだった。その後も、引き続き足の置き所が難しい急な下りが続き、おまけに雪が付き始めた。そういうところで、一度滑って転んでしまう。「アカンな…。これはチェンスパやな…」。ちょっと付けにくい場所だったが仕方がない。急な斜面にあるステップだったので、滑り落ちないように、慎重にザックをおろした。「また、付けにくい所になってもうたな…」。ゆっくりチェンスパを装着し、ザックを担ぎ直す。さっき滑ったのがショックだったのか、「はーはー」と息が乱れる。上から下を見下ろすと中々の高度感だった。「これ、どう下りるかね…」。所々雪から飛び出た岩に足を掛け、バランスを取る。うまい具合にそういう岩を見つけながら、何とか無事に急坂を下りきった。思わずGoProに語りかける。「鳴沢岳越えて、しばらくした後の…、下りヤバイです!」。それ以降もしばらく、デカザックだと歩きにくい、狭く左が切れ落ちがトラバースが続く。そして、最大の危険個所がやって来た。そのトラバースが急な下りに変わり、道幅はかなり狭くなった。「なかなか普通じゃないな、これ…」。そして、岩に手をかけ先に進むと、微妙に雪の付いた岩の崖になった。「マジで…」。ここでバランスを崩して落ちると、多分そのまま転げ落ちで大けがをしてしまう。ストックをかなり手前に付き、バランスを探る。「これはピッケルいるな…」。本来はクライムダウンするべきところだったが、そのまま前向きで下りて行ってしまう。頭の回路がまだ完全に雪山であることを受け入れられていないようだった。岩を掴み、足を伸ばし、よさげな岩に足を掛けつつ、ストックを下に付いた。その時、バランスを崩しかける。ストック一本ですんでのところで踏みとどまった。ストックが「ぐにっ」としなる。血の気が引いた。アルミのストックにしてよかった…。「アカンやつやなこれ。これはアカンバランスやねん😨」。足の置き所を変え仕切り直す。今度の場所はいいバランスを維持できて、何とか無事に下りることができた。「これ怖いな…ここ怖い??」と、今季初の「はーはー」下りだった。「ここアカン??」。冷静になってくると、せっかくアイゼンを持ってきているんだから、履いてもよかったなと思い始めた。しかし、やはりそのワンポイントの為に、ザックの奥底にあるアイゼンを取り出すというのは中々に気合がいる。本来なら、面倒くさがらずに装備を臨機応変に変えていく必要があるのだが、言うは易く行うは難しか。この時期特有の難しなのかもしれない。基本、このコースで特に危険なのはここだけだった。完全に通り抜けた時、「参った?参った??」と叫んでいた。通り抜けた道を振り返ると、左側は、鳴沢岳の険しい断崖絶壁がむき出しになっていた。やはり鳴沢岳はそういう山なのだろう。要注意だ。
【鳴沢岳から種池山荘、そして爺ヶ岳へ】
ここから先は、特に危険な場所はなかった。しかし、思ったよりも長い。暫く歩くと、10時50分頃、やっと手前の山小屋「新越(乗越)山荘」が現れた。登山道に近い側がテント場になっていて、「落雷注意」という看板が出ていた。一段左に下りたとこに、結構大きめの立派な山荘が建っている。当然営業していないが、記念にと思い、かなり雪の付いた階段を6、7段下りいく。小屋側は、何故か地面が完全に雪びっしりになっていた。やはり、日が当たらないともう雪は融けないのだろう。
登山道に戻り先を急ぐ。かなり雲が多くなってきていた。立山方面はまだスッキリと晴れ渡っていたが、後方の蓮華岳から針ノ木岳は辛うじて頭が出るのみになっていった。前方の爺ヶ岳方面は、雲がかかったり、晴れたりを繰り返してた。サーキット的には恐らく最後の名のあるピーク「岩小屋沢岳」に到着した。時刻は11時半頃だった。あまり、ピークらしくない山だったと記憶している。山頂標識はしっかりとあった。この辺りに来ると、ず〜っと、心の中で葛藤が起こっていた。「爺ヶ岳に登るかいなか」。このコースは、鳴沢岳を越えてからが、物凄く長いと感じていた。景色はサイコーなものの、飽きてしまうからなのかも知れない。身体の疲れはあまりないものの、なかなかペースは上がらない。
12時半頃、やっとかなり遠くに小さく「種池山荘」が見え始めた。意外にも自分がいる場所よりもかなり高度が高いようだ。アルプスの山小屋は大体2500m近辺にあることが多いのだろうか?そうすると、槍ヶ岳山荘や穂高岳山荘などは、やはり厳しい場所に立っているんだなぁと昔の苦労に思いを馳せる。種池山荘までの最後の登りはなかなかにキツかった。最初に、あまりにもきれいに整地されて、不自然なテント場を横切る。風避けの植生に囲まれ、眺望もあまり無さそうだった。今回、針ノ木サーキットを時計回りにしたのは、どうしても針ノ木峠でテン泊したかったからだった。何故か「峠」という言葉にロマンを感じるのは僕だけだろうか?種池山荘のテント場を見て、自分の判断が正解だったことを知り、嬉しくなった。
小屋を横切り、左手に行くと、かなり立派な種池山荘が建っていた。さすがに登山者が3人ほどいて、柏原新道の人気の高さがうかがえる。僕の知っている「新道」は、ことごとくエグい印象だが、この柏原新道は極めて優しい道らしい。山荘前で少し身体をほぐしながら休憩していた男性2人のシニアパーティーに話しかけられた。「どこから来たんですか?」「針ノ木峠です」「え!日帰りで?」「いえいえ、前日扇沢から針ノ木峠まで上がって、テン泊です」「テン泊で来るのはキツそうだね〜」。ルートの状況などを交えて、楽しく談笑した。かなり雲が爺ヶ岳方面にかかっていたので、「いやぁ、これ、爺ヶ岳登る価値ありますかね😅」。種池山荘に着いたのは午後1時で、登山計画よりもかなり遅れていた。「登り、扇沢からここまでどれくらいかかりました?」と彼らに聞くと、「4時間半だね」「とすると、帰りも3時間は見といた方がいいか…。で、爺ヶ岳中峰までが…」「まあ、1時間だね」「とすると、往復で90分は最低見といたほうがいいか…」。今が1時だったので、「下手したらヘッデンになっちゃいますね😅」。「でも、柏原新道はすごい楽な道でトレランできそうだよ」と教えてくれた。「あなたなら、多分ヘッデンはないと思うよ」と背中を押してくれた。「よし、初志貫徹で中峰までダッシュで行って来よう!」と思いながらアタックザックを用意している僕を見て、「お!アタックするんだね😃頑張って!」と彼らは扇沢に下りていった。「やっぱり、孤独もいいが背中を押してもらうのもいいもんだな」と思いながら、最後の登りを駆け上がって行った。
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