飯豊連峰

- GPS
- 23:38
- 距離
- 48.7km
- 登り
- 3,618m
- 下り
- 3,844m
コースタイム
- 山行
- 6:04
- 休憩
- 2:06
- 合計
- 8:10
- 山行
- 8:15
- 休憩
- 1:10
- 合計
- 9:25
| 天候 | 1日目(8/6):曇り時々晴れ 2日目(8/7):曇りのち雨 3日目(8/8):小雨のち曇り |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2009年08月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
電車 タクシー
下山:大石ダムからタクシーでJR米坂線越後下関駅 |
| その他周辺情報 | 越後下関駅近くの桂の関温泉ゆ〜む\500 |
写真
感想
1日目(8/6):曇り時々晴れ
飯豊に一番早く入るには、東京からの夜行バスで会津若松に行きJR磐越西線の始発に乗るのが良い。徳沢駅から登山シーズンのみ西会津町営バスがあるが3時間余り後になるので、予約しておいたタクシーに乗り弥平四郎集落へと入った。メジャールートはこの先祓川まで4キロ余り林道を走り祓川山荘の登山口から入ることになるが、車道を歩くよりは早く稜線に上がり2峰のピークを踏んだほうが良い。
弥平四郎の集落(標高435m)の外れ、四ッ沢農道の分岐点に登山ポストがあるが、登山届けの用紙がなかったので無届で登山を開始した。人家を離れると忽ち蚋が寄ってきて数十匹の大群に取り囲まれた。これは堪らない。血を吸おうと容赦なく露出箇所は勿論シャツの上からも噛み付き大変だ。農道は堰堤で途切れ登山道となる。暫くは四ッ沢沿いに進み渓流が近く蚋が五月蠅い。逃れるように早足で歩き、やがて沢から離れると五月蠅かったアブも離れていった。この山域に入るには長袖シャツに手袋、防虫ネットは必携のアイテムだ。
蒸し暑さと早足で歩いたことで、汗の噴出が凄まじく、あっと言う間に500mlのペットボトルが空になってしまった。登山口から3.2辧P988を越えると弥生集落から作兵エ沢を登って来る道と合流した。あとひと登りで三国岳の南西に連なる新潟・福島県境尾根だ。県境尾根に乗った最初のピークは七森峰(1,168m)で北側の樹林の隙間から大日岳などが見えるのだろうが、ガスが多く飯豊本山などを特定することはできなかった。
さらに進んで鏡山(1,339m)に達すると展望は益々良い。3等三角点「鏡山」は傾いて用を為さなくなっていた。飯豊本山らしき姿を覆うガスが恨めしい。100m余り下ると中ノ越の鞍部、ピークを一つ越えると上ノ越となり祓川からの赤点線道が合流する。“中”、“上”と来ると“下ノ越”というのもあるのだろうか。指導標も備わり右方向に巻岩山を示している。320mほどの標高差を登ると巻岩山(1,578m)山頂に達した。展望がよく飯豊核心部のガスが薄れてきて満足のいく眺めだった。
弥平四郎から先の林道最奥の登山口、祓川山荘からのメイン登山道「新長坂道」が合流する疣岩分岐からは登山道も赤実線道となった。しかしここまでも道はしっかりしていて虻攻撃以外は問題なく歩けた。疣岩山(いぼいわやま・1,654m)へは南尾根を直登せず西側に大きく回りこんで山頂に到った。この巻道を歩いているとき始めて人に出会った。やはりメイン登山道で人がいる。疣岩山山頂は展望良く、雲が上がり遠望も益々良なった。縦走路の先には三国岳が完全に露出した。その先には種蒔山も雄姿を見せた。3等三角点「疣岩」はどうした訳かこれも傾いている。地盤が弱いのが平成16年の中越地震の影響だろうか。
疣岩山あたりから樹林が切れだし飯豊の稜線に近づいたことが実感できる。気持ちよい稜線歩きで三国岳(1,644m)に到った。“三国”とは福島、新潟、山形の三県が境を成している為で、旧国名ではと岩代、越後、羽前の国境となる。山頂に三国小屋があり小屋前で男性が2人休憩中だった。当初はここで泊る予定をしていたが、水場は遠く、時刻もまだ13時前だ、次の切合小屋(きりあわせごや)まで進むことにした。
七森への登り返しは鎖のある岩場の通過がある。登山道の途中に「七森」と標識があるが、ピーク性もなく単なる地点名か「山」かどうかはよく分らない。種蒔山(たねまきやま1,791m)のピークは縦走路から少し離れる。藪に突入しピークに達すると荒らされていない3等三角点「種蒔」があった。山頂で三角点を探している間に追い越してきた小母さんたちが先に行ってしまった。再び追いつくとマツムシソウの群落があり美しく咲き競っていた。雪の多い地方の花はとにかく美しい。センジュガンピ、ミヤマクルババナなども見つけた。
大きな雪田の横をプラプラと歩き、種蒔山分れで地蔵岳へ続く尾根を分け、切合小屋へと下る。次の本山小屋まではコースタイム2時間20分、まだ行けぬことはないが、小屋前の蛇口から滾々と流れる水。夏の縦走に水は命、しかも近くで得られるというこの上もない贅沢。余力を残しながらも切合小屋で泊ることにした。基本的に素泊まりの小屋だが米3合持参すれば食事付きにしてくれるようだ。登山地図にはテン場の表示は一切ない。全面的に幕営禁止の飯豊の稜線だが違法幕営者を排除するため小屋裏にわずかなスペースが備えられたそうだ。NPO法人宮城県森林インストラクター協会の3人の男性と夕食を共にし、焼酎のご相伴に預かり楽しく時を過ごすことができた。
2日目(8/7):曇りのち雨
朝食を終えてパッキングしようとザックを引き寄せたとき腰に激痛が・・・・。ギックリ腰だ! まだまだ体力があるつもりでももう歳だ。程々にしなければ・・・。此処は飯豊の山中、腰は痛くとも進むしかない。なるべく腰に負担の掛らないようにゆっくり歩けば何とかなるだろう。天気予報は曇り午前20%、午後40%の降水確率だ。尤も地上のことだが・・・午前中が勝負と観念し、5時前に出発した。
高曇りでこれから登る草履塚(1,908m)は完全に姿を現している。近づくにつれ急登となった。早くもポツポツとしだしたので慌てて雨具を着るとすぐに止んでしまった。登りつめると最高の展望が待っていた。ついに飯豊本山が遮るものなく眼前に見えたのだ。草履塚と飯豊本山との鞍部は姥権現と言われる石仏があり、これからの登りを見守ってくれている。何やら意味ありげな“御秘所”と登山地図に記されているところを過ぎると御前坂の岩場となった。登りきると一王子、僅かなピークの上に石垣が盛られ何か信仰の施設があった跡のようだ。ガスが立ち込め視界が奪われてしまった。本山小屋の傍に飯豊山神社が鎮座している。なだらかな稜線歩きで飯豊本山(2,105m)に達した。1等三角点「飯豊山」がある。周りはガスが出て残念ながら何も見えない。
飯豊の核心部の稜線はなだらかに続き高山植物のお花畑が続く。一番見たいのはイイデリンドウだが半開きの花を見つけたがイイデリンドウの特徴である「萼裂片の先は平開しない」というところが確認できず、ミヤマリンドウかどうか微妙だった。
昨日の三国岳が新潟・山形・福島の三県境なのでこの辺りは新潟・山形県境尾根のはずだが地図を見ると福島県がずっと細長く入り込んでいる何んとも奇妙な県境が引かれている。そう稜線部のみが福島県の領域で三国岳から飯豊本山を越え御西岳まで食い込んでいる。これは明治時代の初めに東蒲原郡が福島県から新潟県に移管され、福島・山形県境にあった飯豊山が福島県の山でなくなってしまうことで紛争が起き、明治40年国の裁定で登山道だけは福島県のものとするということで決着し狭いところで1m幅の福島県が延々7.5キロ割って入る形になったそうだ。
閑話休題、駒形山(2,038m)は円錐形のなだらかな山体で視界を遮るものはない。鞍部の草月平に達する頃には飽和状態に達した水蒸気が耐え切れず雨となって落ちてきた。写真は諦めて御西岳(2,012m)を目指した。登山道から外れた微かな踏み跡を辿り山頂に達すると3等三角点「西ヶ岳」だけが待っていた。御西小屋で道が二手に分かれている。飯豊連峰最高峰の大日岳(2,128m)への尾根と北方主稜線だが、今日は立寄らず右に折れ主稜線を下る。すぐに天狗岳(1,979m)があるが、ここも巻いて登山道は東の山麓を通っている。お花畑を踏み荒らさないように笹原を攀じ山頂に達するが特に何もなかった。
この先も登山道は稜線を少し下がったところに付き何箇所か雪渓横断を強いられる。雨は弱いながらも降り続き飯豊の高山植物を愛でながら黙々と歩いた。時々ガスに包まれるが比較的見通しは利いている。御手洗ノ池、亮平ノ池、カブト池、与四太郎池と稜線上に点在する池を過ぎると烏帽子岳(2,018m)で久々に名前のある山に到った。3等三角点「赤蔦」が根元まで露出しぐらぐらになっていた。
遠くで雷が鳴っている。ずいぶん長く轟く。こっちに来るな! 上空は積乱雲ではなさそうで直ちにどうということはなさそうだ。心地よくはないがそのまま歩き続けた。梅花皮岳(かいらぎだけ2,000m)山頂は一番おっかないので立ち止まらずに通過し、梅花皮小屋に逃げ込んだ。雨で行動食も自由に食べられず。おなかはペコペコ、小屋で30分休止し昼食を取った。小屋番とハイマツの調査に来ている男性が一人居るだけだった。小屋近くから石転び沢の雪渓ルートが分岐し飯豊山荘へと下る。しかし今日の天気では雪渓を行く人は居ないだろう。雷もどうやら落着き北股岳(2,025m)に登ろう。これも3等三角点峰で点名はどういう訳か「梅花皮」、こちらは健在だった。鳥居と壊れた祠があり「おういんの尾根」登山道が分岐する。
北への縦走路を辿り幾分標高が下がり門内岳(1,887m)に達した。山頂に小屋があるように遠くから見えていたが近づいても一向に大きくならず山頂に達すると高さ1m弱の祠だった。門内小屋はというと山頂の向こう側、すぐ近くにあった。胎内山(約1,890m)を過ぎ扇ノ地紙(1,889m)に達すると飯豊山荘に下る梶川尾根が右に分岐して行った。黙々と歩き地神山(1,850m)から同北峰(1,800m)では飯豊山荘へ下る別ルート(丸森尾根)が分岐し、頼母木山(たもきやま・約1,740m)を越して頼母木小屋に到着した。
時刻は14:22、次の朳差小屋まで行くことは問題なさそうだが朳差小屋は水事情が良くなく、ふんだんに水のあるここに泊まることにした。小屋番が入り料金は1,500円、缶ビールは600円で切合小屋の2,500円、800円より安い。小屋の中には既に10人ほどの人が居て寛いでいた。その後到着する人は誰もなく長野県松川町に住む男性の横に陣取った。
小さな小屋で皆が一つの話題で盛り上がり、台湾の56度もあるなんとかという酒を振舞われ喉が焼けるような強烈さだった。話によると朳差小屋の細い水は涸れて殆ど人は泊まっていないらしい。南や中央アルプスの話に花が咲き楽しいひと時を過ごした。夕食が済んだ頃奇跡のように雨が止み朳差岳が全姿を現した。反対側には頼母木山、地神山もすっかり姿を現している。遠くには6月に登った二王子岳も雲を被っているが大きな山体を特定できた。
3日目(8/8):小雨のち曇り
今日も小雨が降っている。腰も痛いが一路大石ダムを目指して下山するだけだ。5時5分出発、そぼ降る雨と濃いガスの中、北への縦走を続けた。まずは大石山(1,567m)だが登山道は南の麓を巻いてしまい山頂に達していない。お花畑を傷つけないように藪を分け最高点に立ったが山頂を示すものは一切なかった。西に進み奥胎内ヒュッテに下山する足の松尾根の分岐点のピークに大石山の標識があった。標高は1,562mと表示があり大石山西峰とした。頼母木小屋からの縦走路は草が被り整備状態はあまりよくない。次の鉾立山(1,573m)との間には1,420mの鞍部、150mの登り返しとなった。急坂を登り山頂に達したとき、雨が止み奇跡のように展望が出てきた。朳差岳、二王子岳がすべて露出した。山頂にいた2人組と共に感激を分かち合った。この2人は昨日朳差小屋に泊まった唯一のグループだったそうだ。
昨日から撮れなかった花の写真を撮りながら鞍部に下り、朳差岳(えぶりさしだけ1,636m)に登り返した。山頂に近づくにつれまたガスっぽくなってきた。2階建ての立派な朳差小屋を右手に見て、大熊尾根を左に分け最後の登りで山頂に達した。残念ながらまたガスが出て山頂標識を撮っただけで景色は無理。3等三角点は「イブリ差」で適当に付けたとしか思えない点名だ。
朳差岳から大石ダムへの下山路は二ルートある。北に続く権内尾根から東股川に下るコースと先ほどの分岐から西側の大熊尾根を下り西股川に下るコースでどちらも大石ダムで合流する。西股コースは山中に水場や大熊小屋があり安心できそうだが、沢に下りてからが長い。今日歩く東股コースは権内尾根の先端近くまで主尾根を行くので大縦走派にはお勧めのコースだ。尾根上には前朳差岳、千本峰、権内ノ峰、カモス峰の4峰もある。
ガスの山頂を後にして権内尾根に踏み出すと長者平の湿原、池塘が点在している。細い稜線の先に前朳差岳(1,534m)が姿良く聳えていた。この先の山は、山頂域の縦走とは違い下山路のコブといった趣で、400m近く下って千本峰(1,164m)は東側に展望が得られ、登山道から少し離れたところに無人の雨量観測所があった。権内ノ峰(1,001m)で一瞬小雨が降ったがすぐに止んだ。もう問題はないだろう。岩場を下り最後の山、カモス峰(847m)に達したが樹林帯で展望はない。主尾根を離れ東に分かれる支尾根の急坂を下る。標高差500mを下ると東股川に達し深い渓谷を第2吊橋で渡った。
清流に達するやあの悪夢が再び襲ってきた。これは夢ではない現実の蚋だ。忽ち数十匹に取り巻かれ防虫ネットを被るが手袋がない! 昨日小屋で干したまま忘れてきてしまった。たったこれだけの露出部分も油断ならない。チクっとするなと手を見ると蚋が血を吸っている。平手で叩き落し撃墜することしばしばで気が抜けない。蚋攻撃は手のひらだけではない、長袖シャツの上から容赦なく襲ってくる。腕に止まるのは撃墜できるが肩や背中に止まるものには対処のしようがなく、暑さを我慢し千本峰で脱いだ雨具のジャケットを着て防いだ。
東股川対岸の尾根にある枯松山から発する支尾根の先端部を乗越すように高巻き三吉ノ沢との合流点の第1吊橋で左岸に戻った。林道がここまで達しており後は蚋と共に延々7.8厠啼擦鯤發。鉾立峰で人に会って以来もう会うことはないだろうと思っていたのになんと登って来る人がいる。同じように完全防護で朳差小屋まで行くという。
東股彫刻公園にゲートがあり、車が1台駐車されていた。さっきの人のものだろう。大石からのバスは関川村営バスが1日4便運行しているが、土曜休日は運転していない。タクシーを呼ぼうと思ったが携帯は“圏外”。3匆爾梁臉丱瀬爐泙巴すると漸くアンテナが立った。ここまで来ると蚋の襲撃もなくなりやっと人心地が付いた。
JR米坂線越後下関が最寄駅となるが、3日間の汗を流すべく桂の関温泉“ゆ〜む”でタクシーを降りた。駅から10分ほどの所にある道の駅に併設された日帰り施設で入浴料は500円と良心的だった。入浴後は青春18きっぷで直江津まで行き“急行きたぐに”で帰京した。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
山キチどん



















いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する