中山道 坂本から旧碓氷峠 和宮道と御巡幸道路
- GPS
- 06:42
- 距離
- 20.2km
- 登り
- 1,018m
- 下り
- 1,006m
コースタイム
- 山行
- 5:51
- 休憩
- 0:47
- 合計
- 6:38
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
旧街道なので通常の山道よりは歩きやすく危険個所はない 1月1日の地震のためか、子持山近くでは地割れがあった |
写真
感想
登山口のある旧碓氷峠や入山峠から、そこにつながる旧街道や古道をみると趣深く感じられ、歩いてみようと思っていた。
冬になり、多くの山が雪に覆われて私には難しくなったので、いよいよ旧街道歩きをしてみようと思い、第1弾として中山道を歩いてみた。
累積標高差約1000メートルなので、低山の登山と同等以上の運動だったと思う。
中山道には「和宮道」という、皇女和宮のために作られた勾配の緩いルートがある。それは、旧碓氷峠から子持山のあたりの道だとするのが、一般的である。
しかし、wikipediaで碓氷峠を調べてみると、東端のめがね橋付近を通る「御巡幸道路」のことを和宮道だとする記述がある。
記憶では、同じことをNHKの歴史番組でも報道していたように思う。
そこで、今回は「中山道の本道」と「和宮道」と「御巡幸道路」をそれぞれ歩いてみてその違いを見てみようと思った。
中山道の本道
東端の刎石山(はねいしやま)の東斜面が急だ。和宮を輿(こし)に乗せたまま通れたかというと・・・困難だが・・・おそらく通れたと思う。(和宮は輿に乗っていたのか、駕籠に乗っていたのか、不勉強で知りません・・・今後勉強します・・・)。馬も何とか昇り降りできたと思う。
そのほかの中山道本道は、山道ではあるが勾配は緩めで道幅が広めの、よく整備された歩道(馬も通れる)、という感じだった。
西側の旧碓氷峠近くの坂では道は狭く、谷の奥で小川を渡るところがやや難しい。和宮一行にとっては「和宮道」の迂回路が有効だっただろう。
和宮道
西半分はおそらく後世(昭和?)に自動車用に林道状に拡幅されていた。
東半分は、当時(江戸後期)の雰囲気が残っているように思えた。本道よりは歩きやすく、和宮を乗せた輿(こし)に適していただろう。
御巡幸道路
ほとんどの場所で道幅が広く折り返しのカーブも緩い。ちょうど馬車が通れるように作られた、という感じがする。ただし、谷の奥で巨岩に水が流れているところでは馬車は難しい。明治天皇が馬車を降りたという地点はそこではないか?
この道が(wikipedia記述のように)和宮結婚の時に作られた「和宮道」がもともとあったのを明治天皇のために改良したのか、明治天皇のために新たに造成されたのかは歩いただけではわからない。現状の形態は「馬車を念頭に作られた明治期の道」のように思われた。
次は、入山峠から東側に残る古道と旧道を歩いてみたい。
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