頭巾山《京都百名山No.31》
- GPS
- 09:19
- 距離
- 22.2km
- 登り
- 1,707m
- 下り
- 1,748m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
殆ど人が入らず指導標はなく、赤テープの稀 |
写真
感想
単独行となったので、出発時刻を早め4時に出発した。国道162号線を走り南丹市美山町柳迫の集落を過ぎ、獣害防止ネットを開けて直ぐにある堰堤の傍らに車を止めた。徒渉して対岸に見える林道跡に取付き倒木を避けて高度を上げた。軈て林道跡が終点となり登山道へと導かれたが谷筋に向かっているので倒木で歩けそうにない。踏み跡を離れて稜線に向かい急斜面を這い上がった。地形図には点線道が描かれていたが踏み跡は確認できなかった。標高415m位尾根の先端から登って来る実線道合流する筈だったが、此の道も見い出せなかった。
P742で稜線に乗ると傾斜が落着いた。P793を過ぎると西側に林道が現れ地蔵杉の手前で左に去って行った。地蔵杉南東の尾根に伐採地があり展望が得られた。長老ヶ岳の姿が美しく、谷間を埋める雲海が幻想的だった。地蔵杉かと思い乗り乗り上がったピークは無名峰で此処からの眺めも素晴らしかった。回り込むようにして地蔵杉(899m)に達すると展望のない山頂で、3等三角点「地蔵杉」が設置されていた。北へ縦走を続けると支尾根に入ってしまいトラバースして復帰した。775mの鞍部から100m登り返して達したピークは存在感があり山名があってもよい山体だった。此の山域は総じて山名が少なく、存在感のある山体でも殆ど無名峰がだった。
無名峰の反対側も100m以上の下降で複雑な稜線を進み洞峠(660m)に到った。嘗て舞鶴と都を結ぶ最短ルートで連歌師の里村紹巴や明智光秀が越えた記録が文献にあるそうだ。峠の案内板には此の先600mの地点に大山毛欅があると地図にあり縦走路の北側に根を張っていた。縦走路が北に向きを変える小ピークで樹間に展望があり南に聳えるP793がどっしりしていた。650mまで標高を下げ200mの登り返しは等高線が詰まり険しい登りだった。ピークは天狗畑(848m)だが展望はなく、3等三角点「河端」が置かれていた。壊れた案内板には、此処にいた鬼が悪さをして、君尾山の和尚が戒めると和尚がこの山まで飛べたら言うことを聞くと言うので和尚が飛んで見せるとおとなしくなり山の平らなところを耕して畑にしたのが山名の由来であるそうな。
P794の東のピークでは樹林の隙間から此の先のP853が見えた。P853の直下まで来ると南側の展望があり、地蔵杉(899m)や天狗畑(848m)が望めた。P853のピークでは青葉山693m)を望めた。東に進むと後で通る高庵山への稜線の分岐点で頭に入れておいた。次のP835は平成26年に登った稜線が合流した。頭巾山まで700m縦走路を飛び出してピストンする。今日の稜線はイワカガミの群落が随所にあったが花期が過ぎ稀に残っている程度だった。頭巾山に近づくと群落に花咲いており満足できた。
頭巾山(871m)山頂に到ると2組の登山者が休憩中で若丹国境尾根のメジャーな山に来たことを実感した。山頂には十二社大権現の神社がありその裏手に2等三角点「納田終村」が設置されていた。嘗て小屋があったが今は倒壊して残骸が見苦しく散乱していた。山頂展望は素晴らしく若狭の海や若丹国境尾根の山々、遠く比良の武奈ヶ岳まで見通すことができた。
来た道を戻り確認しておいた分岐を南西に進み下り切った辺りからエゾユヅリハの繁茂する稜線となり西側に避けて進むが急斜面で足場の確保に一苦労した。P743も藪の中で誰が付けたのか黄色テープにマジックでP743と記されていた。90度右に回り下りに転じても密林が続いたが、徐々にマシになってきた。高庵山(801m)も急登で山頂域は藪っぽかった。3等三角点「高庵」があり暫し休憩し下山に掛かった。薄い踏み跡が所々にあり、最後の登り返しでP661に達した。南尾根を下り美山町豊郷の里が近づくと鳥居の伴った神社があった。神社からは確りした踏み跡があった。里に下ると二重の柵を開けて登山道から出た。集落は田植えの真っ最中でどの田圃も人の姿があった。車道歩き2.8劼婆迫の駐車地点に戻った。
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