用宗周辺案内板
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10/10 8:22
用宗周辺案内板
もちろん、目指すのは持舟城です。
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10/10 8:46
もちろん、目指すのは持舟城です。
持舟城
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10/10 8:48
持舟城
用宗浅間神社
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10/10 8:51
用宗浅間神社
持舟城の入り口はこちら。
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10/10 8:52
持舟城の入り口はこちら。
持舟城址入口
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10/10 8:52
持舟城址入口
東に突き出た曲輪
縄張図では、浅間山砦とある。
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10/10 8:55
東に突き出た曲輪
縄張図では、浅間山砦とある。
駐車場になっている腰曲輪
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駐車場になっている腰曲輪
ここに、ラミネートされた大量の資料が置いてありました。
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ここに、ラミネートされた大量の資料が置いてありました。
その一部を。
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10/10 9:02
その一部を。
縄張図ももちろん。
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縄張図ももちろん。
歴史もしっかりびっしり書いてあります。
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歴史もしっかりびっしり書いてあります。
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交通の要衝である持舟城。
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交通の要衝である持舟城。
東のこの道は、ちょっと私有地ゼンとしていて進みにくい。
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10/10 9:14
東のこの道は、ちょっと私有地ゼンとしていて進みにくい。
持舟城の築城は、関口氏純とも言われているが、
そもそも駿府を拠点とする今川氏にとって重要な場所に位置するので、
以前から砦は存在していたと考えるのが妥当である。
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10/10 9:15
持舟城の築城は、関口氏純とも言われているが、
そもそも駿府を拠点とする今川氏にとって重要な場所に位置するので、
以前から砦は存在していたと考えるのが妥当である。
下に置いてあった資料によると、1520年代に築城が開始されたとも。
もともと京都に居た関口氏兼が駿河に下向して来たのが、永正十年(1513)から確認出来るそうで、もしかしたら、
それから数年は駿府に住んでいて、それから情勢変化により築城したのか?
氏兼が亡くなるのは大永五年(1525)、その婿養子が関口氏純である。
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10/10 9:16
下に置いてあった資料によると、1520年代に築城が開始されたとも。
もともと京都に居た関口氏兼が駿河に下向して来たのが、永正十年(1513)から確認出来るそうで、もしかしたら、
それから数年は駿府に住んでいて、それから情勢変化により築城したのか?
氏兼が亡くなるのは大永五年(1525)、その婿養子が関口氏純である。
腰曲輪かな。
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10/10 9:17
腰曲輪かな。
この石積はいつ頃のものでしょうか?
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10/10 9:18
この石積はいつ頃のものでしょうか?
主郭に到達。
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10/10 9:20
主郭に到達。
持舟城の歴史。
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10/10 9:20
持舟城の歴史。
主郭から、駿府の方向。
西端で駿府を守る重要な城である事は一目瞭然。
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10/10 9:21
主郭から、駿府の方向。
西端で駿府を守る重要な城である事は一目瞭然。
関口氏純が確認できる最初の城主との事だが。
永禄三年(1560)、今川義元が桶狭間で破れると今川家中が混乱。
この時の混乱によって、松平元康は岡崎城を奪取する事に成功している。
これは、元康の独断行動であるとも、義元を継いだ氏真が入城を認めたともどちらとも説がある。
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10/10 9:21
関口氏純が確認できる最初の城主との事だが。
永禄三年(1560)、今川義元が桶狭間で破れると今川家中が混乱。
この時の混乱によって、松平元康は岡崎城を奪取する事に成功している。
これは、元康の独断行動であるとも、義元を継いだ氏真が入城を認めたともどちらとも説がある。
ところが元康は直後から、今川氏からの独立を画策している記録があり、
永禄四年には、それが明確となる。
この頃、関東には越後から長尾景虎の脅威が迫って来ており、
氏康からの援軍要請もあって、西に対応出来なかった隙を突いたのではとも言われるが、
そもそも氏真は、西にも東にも首が回らない状況になっていたようだ。
永禄四年春には、元康は信長と清州同盟を結び、明確に今川氏から離叛した。
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10/10 9:21
ところが元康は直後から、今川氏からの独立を画策している記録があり、
永禄四年には、それが明確となる。
この頃、関東には越後から長尾景虎の脅威が迫って来ており、
氏康からの援軍要請もあって、西に対応出来なかった隙を突いたのではとも言われるが、
そもそも氏真は、西にも東にも首が回らない状況になっていたようだ。
永禄四年春には、元康は信長と清州同盟を結び、明確に今川氏から離叛した。
北側に帯曲輪がある。
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10/10 9:22
北側に帯曲輪がある。
駿河湾の眺め
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10/10 9:23
駿河湾の眺め
主郭の二郭を隔てる堀切
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10/10 9:25
主郭の二郭を隔てる堀切
堀切に、石垣も発見
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10/10 9:26
堀切に、石垣も発見
さて。裏切り者の松平元康に娘を嫁がせている関口氏純が、
この持船城の城主である。
当然、氏純は氏真によって去就を疑われてしまう。
よって氏純は城主から外されて、
今川一門衆であった一宮元実(隋波)が城主となった。
(ただし先程城下にあった資料によると、初めから現場城主は一宮であったという異説も存在するとの事)
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10/10 9:27
さて。裏切り者の松平元康に娘を嫁がせている関口氏純が、
この持船城の城主である。
当然、氏純は氏真によって去就を疑われてしまう。
よって氏純は城主から外されて、
今川一門衆であった一宮元実(隋波)が城主となった。
(ただし先程城下にあった資料によると、初めから現場城主は一宮であったという異説も存在するとの事)
二郭遊歩道は、二郭に到達する為の遊歩道が付けられているだけで、
曲輪内部は私有地の為入れない。
というか、薮過ぎて入る事が出来ない。
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10/10 9:30
二郭遊歩道は、二郭に到達する為の遊歩道が付けられているだけで、
曲輪内部は私有地の為入れない。
というか、薮過ぎて入る事が出来ない。
西の付属する出曲輪
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10/10 9:30
西の付属する出曲輪
大崩海岸
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10/10 9:30
大崩海岸
……では、
もともと関口氏純の後継かも知れないとされ、
氏純の名乗りである助五郎と呼ばれていた氏規は、
元康の裏切りが無く氏純が引き続き持舟城主だった場合、
氏規がこの城の城主を引き継いでいた可能性はあるのだろうか?
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10/10 9:30
……では、
もともと関口氏純の後継かも知れないとされ、
氏純の名乗りである助五郎と呼ばれていた氏規は、
元康の裏切りが無く氏純が引き続き持舟城主だった場合、
氏規がこの城の城主を引き継いでいた可能性はあるのだろうか?
大きめの腰曲輪
「松平記」には、永禄五年に氏純が切腹したとされているが、
実際には永禄七年、永禄九年に「関口伊豆守氏純」当ての氏真の書状が確認されている。
それは氏純の所領を氏真に返還する内容であり、家康の裏切りによる責任問題であったかも知れないという。
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10/10 9:32
大きめの腰曲輪
「松平記」には、永禄五年に氏純が切腹したとされているが、
実際には永禄七年、永禄九年に「関口伊豆守氏純」当ての氏真の書状が確認されている。
それは氏純の所領を氏真に返還する内容であり、家康の裏切りによる責任問題であったかも知れないという。
持舟城址入口
それらの氏純の処罰問題の影響なのか、
それとも、妻としていた氏純の娘が死去したなどの理由で離縁となった為に、
氏規は駿河より引き戻され、小田原に帰って来る事になる。
永禄五年(1562)もしくは六年、氏規が17歳頃の事である。
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10/10 9:33
持舟城址入口
それらの氏純の処罰問題の影響なのか、
それとも、妻としていた氏純の娘が死去したなどの理由で離縁となった為に、
氏規は駿河より引き戻され、小田原に帰って来る事になる。
永禄五年(1562)もしくは六年、氏規が17歳頃の事である。
尾根伝いに進んでから降ろうと思っていたけれど、
ここはちと進めそうに無いです。
元来た道を戻ります。
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10/10 9:36
尾根伝いに進んでから降ろうと思っていたけれど、
ここはちと進めそうに無いです。
元来た道を戻ります。
持舟城。
鞍部は、先程進むのを断念したところ
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10/10 9:50
持舟城。
鞍部は、先程進むのを断念したところ
御所の前という石碑がある。
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10/10 10:01
御所の前という石碑がある。
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10/10 10:02
安養寺
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10/10 10:09
安養寺
日本坂へ向かう。
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10/10 10:13
日本坂へ向かう。
小坂公民館
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小坂公民館
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10/10 10:35
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サウンドメール
これは、店なのだろうか?
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10/10 10:44
サウンドメール
これは、店なのだろうか?
庚申塔
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10/10 10:48
庚申塔
滝
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10/10 10:51
滝
舗装道路はここまで。
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10/10 10:58
舗装道路はここまで。
突然、急坂
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10/10 10:58
突然、急坂
そしてこの道、ずっと石積が良い感じ。
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そしてこの道、ずっと石積が良い感じ。
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10/10 11:04
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10/10 11:04
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10/10 11:13
こんな細い道が……
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10/10 11:13
こんな細い道が……
平安時代の主要道路とは……
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平安時代の主要道路とは……
日本坂
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10/10 11:16
日本坂
日本坂
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日本坂
日本坂
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10/10 11:16
日本坂
駿府方向の眺め。
なんと、中央の木でちょうど富士山が見えない。
別の場所に移動すると、ちょうど別の木が邪魔して見えない。
さらに登ると、もう富士山は見えない。
なんという事か……w
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10/10 11:17
駿府方向の眺め。
なんと、中央の木でちょうど富士山が見えない。
別の場所に移動すると、ちょうど別の木が邪魔して見えない。
さらに登ると、もう富士山は見えない。
なんという事か……w
西側に少し下ると、焼津辺展望台。
これは、“やきつべ”と読むらしい。
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10/10 11:23
西側に少し下ると、焼津辺展望台。
これは、“やきつべ”と読むらしい。
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10/10 11:23
焼津方面の眺め。
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10/10 11:25
焼津方面の眺め。
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10/10 11:28
ここが古代の主要道路だとは……
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10/10 11:31
ここが古代の主要道路だとは……
石積みがずっと続く。
この道は、上から下までずっと小石が転がっていて、
殆どが崩れてしまっている状態ではあるが、
本来は全体的にこのような石積がびっしりな登山道だったのかもしれない。
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10/10 11:35
石積みがずっと続く。
この道は、上から下までずっと小石が転がっていて、
殆どが崩れてしまっている状態ではあるが、
本来は全体的にこのような石積がびっしりな登山道だったのかもしれない。
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何かがいる。びっくりしたw
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10/10 11:43
何かがいる。びっくりしたw
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10/10 11:45
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法華寺
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法華寺
花沢まで降りて来ました。
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10/10 12:00
花沢まで降りて来ました。
おお。すごい。
ここはすごく栄えていただろうなぁ。
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10/10 12:00
おお。すごい。
ここはすごく栄えていただろうなぁ。
最初は、置物かと思った。
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10/10 12:02
最初は、置物かと思った。
花沢集落
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花沢集落
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10/10 12:03
0
10/10 12:03
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10/10 12:05
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10/10 12:05
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10/10 12:07
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花沢の里
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10/10 12:10
花沢の里
ポイント高崎
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10/10 12:18
ポイント高崎
花沢城入口
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10/10 12:19
花沢城入口
九曲輪
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10/10 12:25
九曲輪
九曲輪
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九曲輪
九曲輪
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九曲輪
九曲輪
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10/10 12:29
九曲輪
分岐。
城内へは、右へ。
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10/10 12:29
分岐。
城内へは、右へ。
真っ直ぐ進むと主要部へ直登出来る。
が、曲輪の順番に進むつもりです。
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10/10 12:30
真っ直ぐ進むと主要部へ直登出来る。
が、曲輪の順番に進むつもりです。
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10/10 12:31
八曲輪入口。
堀切(?)で明確に区切られている、主要部から離れた曲輪なので、出曲輪である。
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10/10 12:34
八曲輪入口。
堀切(?)で明確に区切られている、主要部から離れた曲輪なので、出曲輪である。
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10/10 12:34
八曲輪
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10/10 12:34
八曲輪
八曲輪
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10/10 12:35
八曲輪
左の尾根は当目砦 右は石脇城
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左の尾根は当目砦 右は石脇城
八曲輪の下は帯曲輪がある。
ナンバリングされていない曲輪も結構あるっぽいです。
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10/10 12:36
八曲輪の下は帯曲輪がある。
ナンバリングされていない曲輪も結構あるっぽいです。
徒町、城攻めチャレンジです!
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10/10 12:39
徒町、城攻めチャレンジです!
七曲輪、入れる?
徒町連れたまま侵入してみる。
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10/10 12:44
七曲輪、入れる?
徒町連れたまま侵入してみる。
頑張る。
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頑張る。
七曲輪の角南東角
薮過ぎて、曲輪の内部に上がる気はしない。
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10/10 12:48
七曲輪の角南東角
薮過ぎて、曲輪の内部に上がる気はしない。
七曲輪の北端
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10/10 12:52
七曲輪の北端
六曲輪へ、というか、本城部への入口
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10/10 12:52
六曲輪へ、というか、本城部への入口
六曲輪手前の腰曲輪
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10/10 12:52
六曲輪手前の腰曲輪
細尾根(?)を進む。
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10/10 12:53
細尾根(?)を進む。
六曲輪。
しっかり整備された丸い曲輪
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10/10 12:54
六曲輪。
しっかり整備された丸い曲輪
六曲輪からの眺め
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10/10 12:54
六曲輪からの眺め
六曲輪からさらに東、主要部へと向かう。
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10/10 12:55
六曲輪からさらに東、主要部へと向かう。
竹藪で見やすい、けれど、まだ蜘蛛の巣がところどころにあって注意が必要。
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10/10 12:56
竹藪で見やすい、けれど、まだ蜘蛛の巣がところどころにあって注意が必要。
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10/10 12:58
この下が帯曲輪のような五曲輪か?
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この下が帯曲輪のような五曲輪か?
この下が五曲輪
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10/10 13:00
この下が五曲輪
さて。二曲輪を通り抜け、堀切を抜けると、
五曲輪に進めそうです。
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10/10 13:04
さて。二曲輪を通り抜け、堀切を抜けると、
五曲輪に進めそうです。
石積み発見!
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10/10 13:05
石積み発見!
整備された散策路では無い為、見逃す人も多いのでは?
大堀切から迂回すると割と簡単に五曲輪内部に入れます。
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10/10 13:05
整備された散策路では無い為、見逃す人も多いのでは?
大堀切から迂回すると割と簡単に五曲輪内部に入れます。
さて、主曲輪を通り越して、四曲輪へ降りて来ました。
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10/10 13:13
さて、主曲輪を通り越して、四曲輪へ降りて来ました。
四曲輪北端。
行こうと思えばさらに下まで行けそうですね。
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10/10 13:14
四曲輪北端。
行こうと思えばさらに下まで行けそうですね。
四曲輪北端部をやや下から。
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10/10 13:14
四曲輪北端部をやや下から。
四曲輪。
細長い尾根だが、しっかり削平された、きちんとした用途のあった曲輪である事が分かる。
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10/10 13:17
四曲輪。
細長い尾根だが、しっかり削平された、きちんとした用途のあった曲輪である事が分かる。
四曲輪から三曲輪へは、割と強引に登る。
右手したは帯曲輪みたいのがあるので、ルートとしてはそっちなのだろうか?
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10/10 13:18
四曲輪から三曲輪へは、割と強引に登る。
右手したは帯曲輪みたいのがあるので、ルートとしてはそっちなのだろうか?
三曲輪
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10/10 13:19
三曲輪
三曲輪の堀切。
現状は、土橋が架けられているように見える。
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10/10 13:19
三曲輪の堀切。
現状は、土橋が架けられているように見える。
二曲輪の南端まで戻ってきました。
この窪みはなんだろう?
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10/10 13:23
二曲輪の南端まで戻ってきました。
この窪みはなんだろう?
西側(左)が、主曲輪に向かって土橋が繋がっているようなんだけれど。
考えてみれば、ここ日本坂峠の北側には宇津ノ谷峠と丸子城があるね。
中途半端で甘い丸子城にも見えなくもない。
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10/10 13:24
西側(左)が、主曲輪に向かって土橋が繋がっているようなんだけれど。
考えてみれば、ここ日本坂峠の北側には宇津ノ谷峠と丸子城があるね。
中途半端で甘い丸子城にも見えなくもない。
二曲輪内部
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10/10 13:25
二曲輪内部
二曲輪
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10/10 13:26
二曲輪
二曲輪から主郭へ向かう途中のこの石積みも見逃すべからず。
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10/10 13:26
二曲輪から主郭へ向かう途中のこの石積みも見逃すべからず。
堀切!
ここ、右下に降りると五曲輪に行ける。
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10/10 13:26
堀切!
ここ、右下に降りると五曲輪に行ける。
堀切の中に石積土橋!
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10/10 13:27
堀切の中に石積土橋!
堀切
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10/10 13:27
堀切
花沢の集落を見下ろす。
0
10/10 13:28
花沢の集落を見下ろす。
主曲輪
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10/10 13:28
主曲輪
花沢城の戦い
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10/10 13:28
花沢城の戦い
花沢城説明板
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10/10 13:29
花沢城説明板
花沢城浅間神社
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10/10 13:29
花沢城浅間神社
主郭からの眺め
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10/10 13:30
主郭からの眺め
徒町、初めての攻城チャレンジ成功!
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10/10 13:35
徒町、初めての攻城チャレンジ成功!
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10/10 13:43
花沢城の表。
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花沢城の表。
大手?
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10/10 13:46
大手?
なんらかの曲輪。
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なんらかの曲輪。
真ん中の道を下るとあっという間に下の登山道に着いちゃいます。
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真ん中の道を下るとあっという間に下の登山道に着いちゃいます。
高崎
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高崎
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10/10 13:56
0
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花沢城遠望
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花沢城遠望
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風口坂
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風口坂
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旗掛石
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旗掛石
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石脇城
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石脇城
石脇城
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石脇城
石脇城入口
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石脇城入口
石脇城入口
神社の為、石積がすごい事になっている。
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石脇城入口
神社の為、石積がすごい事になっている。
石積が凄い。
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10/10 14:27
石積が凄い。
曲輪の境目、もとは堀切?
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曲輪の境目、もとは堀切?
右が南
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右が南
八幡宮
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八幡宮
南曲輪、もしくは八幡曲輪と呼称しとこうかな
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南曲輪、もしくは八幡曲輪と呼称しとこうかな
当目砦が目の前に見える。
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当目砦が目の前に見える。
八幡曲輪の虎口?
我らが宗瑞殿のお城なので、当時からこんな事するかな?
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10/10 14:31
八幡曲輪の虎口?
我らが宗瑞殿のお城なので、当時からこんな事するかな?
八幡宮の土塁
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八幡宮の土塁
中曲輪。
西側(左側)の斜面の様子が、山中城っぽい。
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中曲輪。
西側(左側)の斜面の様子が、山中城っぽい。
主郭が上に見える。
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10/10 14:34
主郭が上に見える。
石脇城の幟
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石脇城の幟
主郭に登る曲輪
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主郭に登る曲輪
大日堂
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大日堂
説明板
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説明板
北条早雲と石脇城
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北条早雲と石脇城
主郭
入った瞬間、直ぐに韮山城を思い出した。
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10/10 14:41
主郭
入った瞬間、直ぐに韮山城を思い出した。
北側に細い土塁。
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北側に細い土塁。
東の先端部は櫓台のような大きな土塁
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10/10 14:42
東の先端部は櫓台のような大きな土塁
主郭。
南側に虎口があるのか。
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10/10 14:44
主郭。
南側に虎口があるのか。
徒町
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10/10 14:45
徒町
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10/10 14:47
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10/10 14:49
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10/10 14:50
石脇城入口
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10/10 14:51
石脇城入口
花沢城遠望
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10/10 15:16
花沢城遠望
焼津駅に到着しましたー
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10/10 15:24
焼津駅に到着しましたー
今日はチャリを持ち合わせていないので、珍しく🍶日本酒(熱燗)を頂きます。
ちなみに、☕️ホットコーヒーは無料!!
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10/10 17:13
今日はチャリを持ち合わせていないので、珍しく🍶日本酒(熱燗)を頂きます。
ちなみに、☕️ホットコーヒーは無料!!
エキチカ温泉・くろしお
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10/10 18:27
エキチカ温泉・くろしお
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