【八菅山いこいの森・駐車場】八菅橋を渡ってすぐのところ。周辺に「不動坂」の石柱と「八菅山別当光勝寺」総門の石材が残されているそうです(未確認;;)。
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12/10 11:03
【八菅山いこいの森・駐車場】八菅橋を渡ってすぐのところ。周辺に「不動坂」の石柱と「八菅山別当光勝寺」総門の石材が残されているそうです(未確認;;)。
■1番行所【八菅山 禅定宿】
5分ほどで「八菅(はすげ)神社」入口に到着。ここに元々あった光勝寺は八菅修験の本拠地でした。
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12/10 11:09
■1番行所【八菅山 禅定宿】
5分ほどで「八菅(はすげ)神社」入口に到着。ここに元々あった光勝寺は八菅修験の本拠地でした。
左: 樹齢300年のケヤキの大木。
右上: 鐘楼。1618年、徳川秀忠の武運長久祈願のため、地元民が献じたもの。後ろは宝物殿
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左: 樹齢300年のケヤキの大木。
右上: 鐘楼。1618年、徳川秀忠の武運長久祈願のため、地元民が献じたもの。後ろは宝物殿
趣のある急な「おみ坂」を登ってゆきます。200段以上あるそうです。このあたりの社叢林はスダジイなどが多く、県天然記念物
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12/10 11:17
趣のある急な「おみ坂」を登ってゆきます。200段以上あるそうです。このあたりの社叢林はスダジイなどが多く、県天然記念物
3月にはここで火渡りの儀式が行われているそうです
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12/10 11:21
3月にはここで火渡りの儀式が行われているそうです
さらに石段を八菅山(七社権現)社殿。巨大ですが、屋根に鯱(しゃちほこ)
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12/10 11:27
さらに石段を八菅山(七社権現)社殿。巨大ですが、屋根に鯱(しゃちほこ)
【八菅山・八菅神社由来書】
日本の神と仏とは一体であるという思想に基づいて祀られた社。「修験(法印)」とはこの霊地を護持する人のことを言います。
その後、明治維新の神仏分離令により仏教が禁じられ、神のみを祀った八菅神社として発足。現在に至る
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【八菅山・八菅神社由来書】
日本の神と仏とは一体であるという思想に基づいて祀られた社。「修験(法印)」とはこの霊地を護持する人のことを言います。
その後、明治維新の神仏分離令により仏教が禁じられ、神のみを祀った八菅神社として発足。現在に至る
ハイキングコースとしてとてもよく整備されています
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ハイキングコースとしてとてもよく整備されています
社殿の左から散策路に入ります。修験の道も今はアスレチック遊具のある散策路になりました(笑)。紅葉が綺麗です
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12/10 11:32
社殿の左から散策路に入ります。修験の道も今はアスレチック遊具のある散策路になりました(笑)。紅葉が綺麗です
【白山堂跡・梵天塚】旧跡を辿りながら進みます。この山が大規模な修験の拠点だったことがわかります
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【白山堂跡・梵天塚】旧跡を辿りながら進みます。この山が大規模な修験の拠点だったことがわかります
【教城坊塚跡 (八菅山 展望台)】関東平野の端の丘陵なので標高約200mの割には眺めがいいですね
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【教城坊塚跡 (八菅山 展望台)】関東平野の端の丘陵なので標高約200mの割には眺めがいいですね
今日は結構遠望が利きましたよ
都心方面[上]、横浜方面(下)
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今日は結構遠望が利きましたよ
都心方面[上]、横浜方面(下)
ゴルフコースの上の林道? を辿って2番行所「幣山」へ向かいます
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12/10 11:56
ゴルフコースの上の林道? を辿って2番行所「幣山」へ向かいます
時おり木々の間から展望が開けます。
正面は相州アルプスで一番右が華厳山(602m)です。中央の高取山の奥に大山が見えます
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12/10 12:08
時おり木々の間から展望が開けます。
正面は相州アルプスで一番右が華厳山(602m)です。中央の高取山の奥に大山が見えます
鉄塔(送電線)まで来ました。すぐ先から再び山道へ入ります(下)
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鉄塔(送電線)まで来ました。すぐ先から再び山道へ入ります(下)
落ち葉の積もる急な道(上)を下ると鹿柵が見えてきます。正面に扉がありますが、標識に従い左に行き、そこの扉から外へ出ます(下)
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落ち葉の積もる急な道(上)を下ると鹿柵が見えてきます。正面に扉がありますが、標識に従い左に行き、そこの扉から外へ出ます(下)
中津川沿いの車道を八菅神社方面に500mほど歩いくと…
ここが2番行所の入り口のようです。八菅山展望台から50分で到着
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12/10 12:35
中津川沿いの車道を八菅神社方面に500mほど歩いくと…
ここが2番行所の入り口のようです。八菅山展望台から50分で到着
■2番行所【弊山 吨天岩屋(たてんいわや)】
703年、役小角により勧請。「幣山」とは峰入りの時に五色の幣を納めたという故事に由来。社殿のすぐ裏は断崖絶壁で中津川に落ち込んでいます
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12/10 12:39
■2番行所【弊山 吨天岩屋(たてんいわや)】
703年、役小角により勧請。「幣山」とは峰入りの時に五色の幣を納めたという故事に由来。社殿のすぐ裏は断崖絶壁で中津川に落ち込んでいます
上: 「石神社入口」
中: 「是よリ登山制禁」(文久二年(1862年))
右: タイヘイ岩 。平安末期の経塚が出土し、この岩の上が行場のようです
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上: 「石神社入口」
中: 「是よリ登山制禁」(文久二年(1862年))
右: タイヘイ岩 。平安末期の経塚が出土し、この岩の上が行場のようです
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12/10 12:37
上: ここからは車道歩きです。
中: 途中から中津川の堤防上を歩くことにしました。
下: 次の3番行所への目印(右側の小さな地蔵堂)が見えてきました
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上: ここからは車道歩きです。
中: 途中から中津川の堤防上を歩くことにしました。
下: 次の3番行所への目印(右側の小さな地蔵堂)が見えてきました
地蔵堂(左)の向かいの道を入って、左カーブ(右上)の道なりに行くと、右側に「日月神社」があります(右下)。
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地蔵堂(左)の向かいの道を入って、左カーブ(右上)の道なりに行くと、右側に「日月神社」があります(右下)。
「日月神社」を右手に見ながらさらに進み、奥の細道(左下)を直進し、右手の赤い橋(右下)を渡ると…
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「日月神社」を右手に見ながらさらに進み、奥の細道(左下)を直進し、右手の赤い橋(右下)を渡ると…
■3番行所【尾形山 愛宕飯縄社】
尾形山は砂利採取で削られたため、山頂にあったこの神社をここに遷座したそうです。
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12/10 13:31
■3番行所【尾形山 愛宕飯縄社】
尾形山は砂利採取で削られたため、山頂にあったこの神社をここに遷座したそうです。
モミジとメタセコイアの珍しい競演。森の奥の秘密の場所にある素晴らしい境内でした!
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12/10 13:30
モミジとメタセコイアの珍しい競演。森の奥の秘密の場所にある素晴らしい境内でした!
■4番行所【平山 多和宿】
「多和宿」は目の前の国道412号線を少し上ったあたりにあったという説もあります。これは勝楽寺(半僧坊)。
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12/10 13:48
■4番行所【平山 多和宿】
「多和宿」は目の前の国道412号線を少し上ったあたりにあったという説もあります。これは勝楽寺(半僧坊)。
左上: 勝楽寺の重厚な山門
右下: 勝楽寺門前のの琴平神社
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左上: 勝楽寺の重厚な山門
右下: 勝楽寺門前のの琴平神社
田代半僧坊から国道を1kmほど歩き、中津川へ下りる車道へ入ります。塩川滝入口(旅館「こまや」)から塩川に沿って紅葉の美しい車道を辿ります
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田代半僧坊から国道を1kmほど歩き、中津川へ下りる車道へ入ります。塩川滝入口(旅館「こまや」)から塩川に沿って紅葉の美しい車道を辿ります
■5番行所【滝本 平持宿】
この橋の奥あたりが「5番行所・滝本 平持宿」らしいです(現在は立ち入り禁止)
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12/10 14:17
■5番行所【滝本 平持宿】
この橋の奥あたりが「5番行所・滝本 平持宿」らしいです(現在は立ち入り禁止)
塩川神社、滝へ向かう橋
塩川滝、石碑(塩川大神、清瀧権現、飛龍権現)
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塩川神社、滝へ向かう橋
塩川滝、石碑(塩川大神、清瀧権現、飛龍権現)
暗いゴルジュの奥に、塩川滝(2段20m)が現れました。
8世紀前半に良弁が清瀧権現を祀ったといわれます。
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12/10 14:28
暗いゴルジュの奥に、塩川滝(2段20m)が現れました。
8世紀前半に良弁が清瀧権現を祀ったといわれます。
滝自体がご神体であり「滝篭り」による修行が行われていたそうです
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12/10 14:21
滝自体がご神体であり「滝篭り」による修行が行われていたそうです
【塩川滝付近の紅葉】今日の行場巡りはこれで終了です。あとは「馬渡バス停」までのんびり歩いて帰りましょう。
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12/10 14:33
【塩川滝付近の紅葉】今日の行場巡りはこれで終了です。あとは「馬渡バス停」までのんびり歩いて帰りましょう。
塩川滝入口まで戻り、中津川沿いを歩き(上)、塩川滝から20分で馬渡(まわたり)バス停留所に到着(下)。
古道を歩き、何か特別な感覚の味わえた一日になりました。感謝
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塩川滝入口まで戻り、中津川沿いを歩き(上)、塩川滝から20分で馬渡(まわたり)バス停留所に到着(下)。
古道を歩き、何か特別な感覚の味わえた一日になりました。感謝
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