恵那山《日本百名山》

山キチどん
その他1人 - GPS
- 15:26
- 距離
- 35.3km
- 登り
- 2,544m
- 下り
- 2,548m
コースタイム
- 山行
- 6:01
- 休憩
- 1:44
- 合計
- 7:45
- 山行
- 6:39
- 休憩
- 0:52
- 合計
- 7:31
| 天候 | 1日目(6/14):晴れ 2日目(6/15):晴れのち曇り |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2008年06月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
| その他周辺情報 | 昼神温泉鶴巻荘\500 |
写真
感想
1日目(6/14)
中央道の恵那山トンネルを出るとすぐにある園原ICはハーフICで中津川方面に向かってのみ出入りできる。インターチェンジのすぐ近くにある富士見台ロープウェイ山麓駅付近には広大な駐車場がある。冬はヘブンそのはらスキー場に行く客で賑わうのだろうが季節外れの今は誰もいない。ロープウェイも7月までは動かない。園原の集落を抜け園原川沿いの車道を歩くと大きな桜の木、“駒つなぎの桜”と案内板がある。金売り吉次に導かれ奥州に下る源義経がこの木に馬をつないだと伝わる。何故こんな所に義経がとなると、ここは古代東山道(あづまやまみち)の跡。京の都から陸奥の国へと平安時代に開かれた道だった。その道中にある木曽と伊那の間の神坂峠(みさかとうげ1,569m)は最大の難路だった。中仙道が整備されるに連れて、東山道は廃れてしまったようだ。
駒つなぎの桜からは車道を離れ古道に入った。展望台から再び車道に戻り神坂神社に到ると鬱蒼とした森の奥に鎮座しているが石段が長そうなので石段下からお参りして勘弁してもらった。ヘアピンカーブで折り返し神社の屋根を上から見る頃左手に登山口の標識が現れ、ジグザグの登山道で本格的な登りが始まった。標高差400m余りを一気に登った。稜線に達し地形を案ずるに4等三角点「神坂」(1,471m)が左手の小高い所にある筈で薮に突入して探し回るが見つからなかった。
略平坦な稜線歩きとなり東山道の古道と合流した。西側の展望が開け待望の恵那山がドーンと視界に飛び込んできた。再び樹林帯となり笹が地面を覆い樹林の新芽と笹の緑で癒された。谷がグッと入り込んだ源頭は“池の平”。池でもあったのか? これまた谷の源頭、ここは“一本立”と名がある。景色の良さに一本立てたからなのか? 山屋の用語が地名になることもないだろうし・・・その後、千本立という地名も現れ意味が分らなくなった。ここまで来ると万岳荘はもう近い。観光客の親子連れや、数十人のツアー客の散策とすれ違った。そして10:40早くも小屋に着いてしまった。
万岳荘(ばんがくそう)は、平成12年に改築された阿智村営の小屋。園原に住む門脇毅さんが管理人をしている(自宅では奥さんが民宿を経営しているそうだ)。宿泊の手続きを済ませ荷物を預かってもらう。素泊まり3,000円、予約しておけば食事もできるらしい。今日の宿泊は10数人とのこと。神坂・富士見台に行ってくると言うと横川山まで足を伸ばせばどうとの提案に飛びつき、簡単な地図を貰い出発した。
先ずはまずは小屋裏の登山道を登り神坂山(みさかやま1,684m)を目指した。樹林帯を抜け笹原となるとそのまま山頂に到った。3等三角点「神坂山」が置かれて展望が良い。天気は最高に良く、若干木があるが南アルプス、中央アルプス、御嶽山、乗鞍岳などを望むことができた。少し霞んでいるが初夏としては良い方だろう。富士見台(1,739m)への稜線は殆ど木のない笹原。展望を楽しみながら進むとすぐに着いてしまった。丁度昼時の山頂は数組のハイカーが思い思いに寛ぎ楽しんでいた。寒いというほどではないが風が強い。展望図が設置されているが現在地を中心にしていない中途半端なもので山座同定の役には立たなかった。
大休止の後は横川山を目指すが3厖召衙綿にあり結構遠い。地形的には県境尾根を下れば早そうなのだが、何故か北西の尾根を下って行く、そして西に方向を変え、樹林帯に入り1,550m位で水平道となった。そして本来の尾根へとトラバースした。その途中に“横川の名水”が湧いている。伏流していた水が地表に現れ此処からそこそこの水量のある川となって伊那谷に注いでいる。横川川の源流だ。周囲にはクルマバソウやツクベネソウがあり将に花を咲かそうとしていた。
県境尾根に乗りP1578の登りになるとまた笹原でP1578のピークからも笹原が続き横川山が一望できた。K城さんは「まだあんなに遠いの?」と思わずため息。東西に4つ並んだコブの一番東が横川山(1,620m)山頂で西側の3つのピークは通らない。辿り着いた山頂には2等三角点「横川山」があり小さな山頂標識が掲げられていた。小屋で貰った地図によると、さらに北の南沢山までは約1.2キロ。時刻は13:20行こうかどうかというところだが、K城さんは「私待っているから行ってきて」との先を制された。もう来ることはなさそうなこの山域、この機会に行かなければ南沢山だけに行くこと決してないだろう。決まった。K城さんに先に戻りだすように言って、早足で北の稜線に踏み出した。
鞍部には小さな池があり、登山道も泥濘んでいた。男性二人を追い越し、更にその先を歩いていた横川山で出会った女性二人も追越し横川山から10分余りで南沢山(1,564m)に着いた。清内路と南木曽を分岐する壊れた指導票があった。辺りを見回すと木に括りつけられた小さな山頂標識が一つ、木の隙間から横川山が顔を覗かせていた。引き返そうと思ったときに先程の女性二人組みが登ってきた。話を聞いてみると、清内路から登って来て横川山をピストンしたそうだ。
さあK城さんを追いかけよう。下りは走った方が楽なのかもしれないが、決して走らないのが私の主義。帰りは写真を撮り撮り歩いたのと上り坂で来る時より3分余計に掛かり14分で横川山に戻ってきた。K城さんの姿は既にない。P1578を越えても追いつかない。P1578でコールしてみるが返事はない。そしてトラバース道に入る寸前で漸く追いつくことができた。
横川の名水に戻ってくると、残っていた水を全部捨て、美味しい水に入れ替えた。美味しいといっても味はまったくない。それが美味しいって事なのだろう。もう誰もいないだろうと思った富士見台山頂には、父子連れが一組、お父さんは昼寝をしていた。富士見台と神坂峠の間にあるピーク付近では、ラジコン飛行機で遊ぶ人達がいた。小綺麗な神坂避難小屋から笹原の谷筋を下り万岳荘に帰り着いた。我々の部屋は尼崎から来たK林夫妻と4人だけ、気兼ねなく休めそうだ。門脇管理人は早速このご夫妻を紹介してくれるというホスピタリティぶり一挙に親近感が増した。峰越林道の神坂峠から分岐して小屋まで車道が通じ岐阜県側からは車で来ることができる。ということは山屋でない人たちも来るのでどうかと思っていたがK林夫妻と関東のTさん、T田さん、ともう一人(名前は聞きそびれた)の男性3人組と楽しいひと時を過ごすことができた。関東のご一行は明日歩こうと思っているコースを歩いてきて、K林夫妻も明日このコースを歩くと云う。
2日目(6/15)
夏至間近のこの時期、日の出は4時26分と早い。しかし管理人によると6時頃だとのことだった。東のほうには南アルプスがあるからだと勝手に納得して、千両山辺りでご来光を見ようと4:55に出発した。ところが神坂峠から千両山に向けて登りだす頃山の端に日が昇った。6時というのはあくまでも小屋付近のことだったのだ。千両山に近づくと太陽は白峰三山の上にすっかり昇っていた、残念。30分ほど早く出発したK林さん夫妻は見られたのだろうか? 古代東山道神坂峠には祭祀跡の遺跡があり、石碑が建っているそうだ。その昔、普通の旅人がよくまあ1,569mもある峠を越えていたものだ。峠の南のピークは千両山(約1,700m)、山頂標識は無いが展望は素晴らしい。目指す恵那山や神坂山、南アルプスもくっきり見えた。ただ御嶽山は山頂部が辛うじて見えるだけで裾野は雲に覆われていた。峰越林道への道が南に分岐し、90°方向を変えて鳥越峠へと下って行った。縦走路の最低鞍部で標高は約1,540m、岐阜県側の強清水への道が分岐している。
P1594の西は規模の大きな崩壊地“姥ナギ”。穏やかな長野県側の斜面と対照的に険しい斜面が続く。マイヅルソウの咲く登山道を進み到ったピークは大判山(1,696m)で3等三角点「本谷」があり展望が良い。K林夫妻は何処まで行っただろうか? 「ヤッホー」とコールしてみるが返ってきたのは恵那山に反射したこだまだけ。P1820を過ぎるとまた右側が崩壊、天狗ナギだ。その南西端のピークは、天狗ノ頭(約1,870m)展望はあるが山頂標識もなく知らずに行過ぎてしまいそうだ。ここでもう一度「ヤッホー」コール、2度重ねると、K林さんと思われるリターンがあり、遠くないことを知った。
恵那山の稜線に向けて最後の登りは流石に急登となりK城さんの息があがった。それでもバイカオウレンやアズマシャクナゲ、ウラジロヨウラクを見つけ教えてくれた。恵那山は長く横たわった山帯で遠くから見ると大きいが近づくと何処が山頂、最高点か分らない。北西端に乗り上がってひと息ついた。岐阜側の前宮ルートが合流し90°向きを変えほぼ平坦な稜線歩きで山頂へと向かった。
500m程ほど進むと樹林がなぎ倒されているところに出た。そして金属片が散乱している。これは平成19年11月15日航空写真撮影のため飛んだセスナ機が墜落した残骸だ。山中のため機体がまだ回収されずにそのまま残っている。当時門脇管理人も救助に向かったそうだが1人が救助され、2人は亡くなられたそうだ。機は稜線の登山道の北東側10m手前に突っ込み木をなぎ倒して登山道を横切り北西側斜面を20m進み破片を散乱させて横たわっていた。門脇さんによると、近々ヘリポートを作って残骸を運ぶらしい。
生々しい航空事故の現場を過ぎ2,182m標高点ピークに二乃宮社の祠、剣神社で天目一箇命(あめのめひとつのみこと)を祀っている。この神様はゲゲゲの鬼太郎の親父のように目玉が一つの神様、製鉄や鍛冶屋の神様だ。ギリシャの鍛治の神様も一つ目でなぜか共通点がある。この先真新しい祠が幾つも現れるが三乃宮社「神明社」のあるところが恵那山の最高点(2,191m)何の表示もなく通り過ぎてしまいそうだが正真正銘恵那山山頂だ。近くの岩からは展望が得られた。下った所には恵那山避難小屋があり、小奇麗で土間と寝室が分かれていた。昨夜泊まったという5人ほどのパーティーとすれ違ったが、多人数で狭い小屋に泊まるのは如何なものだろう。今日最初に会った人は、人が多いのでテントを張ったと言っていた。
恵那山の由来は天照大神の胞衣(えな)を納めたとの言い伝えによる。三角点「恵那山」(2,190m)は1等三角点、標識に恵那山(2,190m)とあり標高は間違ってはいないが、広河原から登って来た人たちの多くはここで引き返してしまうようだ。私の基準では決して山頂ではない。最高点こそ山頂だ。三角点ピークは樹木に覆われていて展望櫓があるが木が成長したせいで登っても何も見えない。ここまで来てもK林夫妻の姿はなかった。広河原から登って来た人に聞くと途中で「あと5分程」と教えてくれたと言っていたので5分の差まで縮まっているようだ。暫し休憩した後広河原に向けて下山を始めた。
所々東側に展望が開けるが基本的に樹林帯を行く。山頂域の2,071m標高点を過ぎると黒井沢への冬道ルートと分岐し北東に進路が変る。登山者は続々と登ってくる。流石は日本百名山である。半ば位まで下りてきたのにK林夫妻に追いつくことはできない。登ってくる人がようやく途絶え、広河原の直前で「ヤッホー」コールをかけると今度こそ近い、意を励ましてピッチを上げると漸くその姿を捉えることができた。河原で再会し名残を惜しみ峰越林道を神坂峠と園原方面に分かれて行った。
峰越林道は落石の危険が大きく一般車通行止めの措置がされている。歩いていると如何にも危険な斜面が左手に続き、雨でも降れば生きた心地がないだろう。2劼曚品發と危険地帯を脱し林道ゲートに達した。ゲート前には10数台の車が止められていた。途中ですれ違った人たちのものなのだろう。我々はゲートから更に5.2厠啼司發が続き園原の駐車地点に戻った。
立ち寄り湯は昼神温泉、7劼曚蛭單調鵑蠅砲△襦H羈單大きな温泉街で、村営の施設鶴巻荘に入った(入浴\500)。ここがなんと「お座敷温泉」と銘打ち、流し場に畳が敷き詰められている。入浴後は十割蕎麦を食べ一路帰京の途に着いた。
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