記録ID: 7816214
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ハイキング
東海
姫街道 三ヶ日−豊川稲荷
2025年02月17日(月) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 07:52
- 距離
- 21.1km
- 登り
- 395m
- 下り
- 394m
コースタイム
天候 | 曇り 時々小雨 台風並みの強風 極寒 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
帰路はGoalの豊川駅から電車で三ヶ日駅まで移動 |
コース状況/ 危険箇所等 |
姫街道は戦国時代に整備され、江戸時代には東海道に付属する街道とされ、宿が置かれた。急登や難所は無いので馬や籠も通るように整備されてたのだと思う。 |
その他周辺情報 | Goalの豊川稲荷の門前町は飲食店がいっぱいある |
写真
■秋葉山常夜灯■
これは釣村の秋葉山常夜灯は、明治14年の棟札がある。 石灯籠は大正5年12月の刻印がある。
秋葉山に行く街道の案内と村では代参でお詣りに行き、 ここで秋葉まつりをおこない火防のお札を配ったとされ る。
これは釣村の秋葉山常夜灯は、明治14年の棟札がある。 石灯籠は大正5年12月の刻印がある。
秋葉山に行く街道の案内と村では代参でお詣りに行き、 ここで秋葉まつりをおこない火防のお札を配ったとされ る。
板築駅跡
平安時代の842年(承和9年) 橘逸勢は謀反によって流罪となり、 板築駅にて死去(「文徳実録」) とある。 その板築駅は 833年(天長10年)から843年 (承和10年)までの 10年余りしか存在しなかった。
平安時代の842年(承和9年) 橘逸勢は謀反によって流罪となり、 板築駅にて死去(「文徳実録」) とある。 その板築駅は 833年(天長10年)から843年 (承和10年)までの 10年余りしか存在しなかった。
本坂一里塚
この一対の塚は江戸 (日本橋)より 72番目の一里塚である。 江戸時代 (慶長年間) 主要な街道には一里毎に塚を 築き、 松や榎等を植え旅人の目印として作られた。
姫街道には完全なものは少ないが多く残されている。 この塚は貴重なもので、北側半分は当時のままである。
この一対の塚は江戸 (日本橋)より 72番目の一里塚である。 江戸時代 (慶長年間) 主要な街道には一里毎に塚を 築き、 松や榎等を植え旅人の目印として作られた。
姫街道には完全なものは少ないが多く残されている。 この塚は貴重なもので、北側半分は当時のままである。
■本坂関所跡■
戦国時代よりこの地に関所が置かれ 地頭の後藤氏がその任務にあたった。 1601年(慶長6年) から東海道の整備が始まり、 新居に関所が置かれ、 本坂通 (姫街道) にも気賀関所(気賀 近藤氏管轄)が置かれた。 それとともに本坂関所は役目を終え、廃止された。
戦国時代よりこの地に関所が置かれ 地頭の後藤氏がその任務にあたった。 1601年(慶長6年) から東海道の整備が始まり、 新居に関所が置かれ、 本坂通 (姫街道) にも気賀関所(気賀 近藤氏管轄)が置かれた。 それとともに本坂関所は役目を終え、廃止された。
高札場跡と秋葉山常夜灯
ここは本坂の高札場跡である。 江戸時代から存在したが、 制札を特に高く掲げていたので高札場といわれる。
ここは高札場と秋葉山常夜灯が同じ 場所にあるのはめずらしい。 この常夜灯は、文化4 (1807)年に建てられ た。
ここは本坂の高札場跡である。 江戸時代から存在したが、 制札を特に高く掲げていたので高札場といわれる。
ここは高札場と秋葉山常夜灯が同じ 場所にあるのはめずらしい。 この常夜灯は、文化4 (1807)年に建てられ た。
■弘法堂■
金銅製の小さな弘法大師像と御影石 大師像2体が祀られている。大正3年、本坂隧道(国道362号線旧道)の工事の時にはすでにあったと伝えられている。 明治時代のものであろうか。 本坂峠越えの無事を祈ったものであろう。
金銅製の小さな弘法大師像と御影石 大師像2体が祀られている。大正3年、本坂隧道(国道362号線旧道)の工事の時にはすでにあったと伝えられている。 明治時代のものであろうか。 本坂峠越えの無事を祈ったものであろう。
■鏡岩■
高さ 4m 幅10mもあるこの大きな平らな岩は、昔は光っていて旅の女性たちがこれを鏡にして身づくろいをしたという。
岩質はチャートの断層である。
*ありえない解説!”鏡のように平ら”程度の意味だろう?
高さ 4m 幅10mもあるこの大きな平らな岩は、昔は光っていて旅の女性たちがこれを鏡にして身づくろいをしたという。
岩質はチャートの断層である。
*ありえない解説!”鏡のように平ら”程度の意味だろう?
■椿原生林■
この本坂峠沿い百数十メートルにわたって広く椿の原生林が見られる。 樹齢200年以上のものもあり1月~3月にかけて美しい花が見られ、椿の隧道を踏みしめながら通行した旅人が偲ばれる。
この本坂峠沿い百数十メートルにわたって広く椿の原生林が見られる。 樹齢200年以上のものもあり1月~3月にかけて美しい花が見られ、椿の隧道を踏みしめながら通行した旅人が偲ばれる。
江戸日本橋より数えて73番目の一里塚
嵩山一里塚は、本坂通に完全な形で唯一遺されている貴重なもので、このうち西側にある一里塚が豊橋市指定史跡となっています。 *東側は痕跡を感じるのも困難
嵩山一里塚は、本坂通に完全な形で唯一遺されている貴重なもので、このうち西側にある一里塚が豊橋市指定史跡となっています。 *東側は痕跡を感じるのも困難
装備
個人装備 |
携帯
飲料
予備電池
ストック
剪定鋏
スマホ三脚
サブザック
昼食
保険証
ヘッドライト
折り畳み傘
ダウンベスト
|
---|
感想
今日はよろめくほどの台風並みの強風がずっと正面から吹き続いていた 前傾姿勢でゆっくり歩くしかない 気温も低く時折小雨もあり最悪のコンディション でも過去最長の21.1km、約8時間はきつかった
江戸時代の東海道は、日本橋(江戸)から京都(三条大橋)までの約492キロメートルの道でした。この道中には53の宿場があり、徒歩で旅する場合は、日本橋から京都三条大橋まで約13〜17日かかっていたと言われ、1日平均約30〜40km歩いた計算になります。
今日は21.1km。昔の人はすごかったと実感しました。
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