穂高・滝沢大滝~奥穂高岳~吊尾根~上高地

- GPS
- --:--
- 距離
- 12.7km
- 登り
- 1,735m
- 下り
- 1,734m
コースタイム
9/22:発(610)滝沢大滝上(1155)奥穂高岳(1455)紀美子平(1625)帰着(1730)
9/23:翌朝以降、不明。
| 天候 | 概ね晴 |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2025年09月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
| コース状況/ 危険箇所等 |
危険な大滝登り。 |
写真
装備
| 共同装備 |
ロープ40m二本
|
|---|---|
| 備考 | 登攀用具は過不足なく携行できた。 |
感想
十年ほど前に、一冊の本に掲載されていた写真を目にしたことが本計画立案の始まりだった。柱状節理で構成された特異な形状のその滝は、見る者にただならぬ印象を与える。
滝沢大滝は所謂上高地から北に位置する岳沢小屋の近く、奥穂南稜の取り付き右手にあって多くの目に晒られているにも関わらず、登山大系の記録以降、登られた話をとんと聞かない滝だった。そんな中、何故かそれが昨秋登られた様で、その内の一人が黒部で会ったことのある人物だというのが如何にも不思議だった。・・・・・まあいい。
この滝を単に登攀するだけではなく、沢登りの一行程として捉えて滝沢を奥穂へ至る登路として考えたい、というのが我々の趣旨だった。
北海道から飛んできてくれた大学山岳部後輩のIida君とは親子ほども離れた歳の差だが、彼が登山行為に真摯に取り組んでいることはヤマレコの記録を読むと解る。初対面でもあり、上手く協調できるかの不安も正直あったけれど、結果的に我々は良いコンビになれたし、共に旨い酒を酌み交わすことが叶った。登攀の詳細はIida君に任せるとし、私からは概略を伝えたい。登山大系には控A1とあるが、今回、滝には雪渓流水共に無く、ロープは下段で3ピッチ、上段で4ピッチ出し、「え、持ってきませんでしたよ。フリーで登るつもりなんで。」のアブミは使わなかった(志が高えなぁ)。チームフリーと言うのだと、後で教わった。
9/20;岐阜の釜戸駅で合流し、松本の我らが先輩yoneyama夫妻のお宅で厄介になる。朗らかに呑みつつも、明日からの登山に緊張もして。外で雨音がする。
9/21;松本から白馬村へ向かうも目的の沢は昨夜来の降雨で意外にも濁水を流しており、一度は入渓を考えて林道を歩いたものの判断早く転進し、サブプランの穂高は滝沢へ向かった(滝谷、ではない)。バス料金をマケて貰って上高地入りし、サブサブプランのボルダー「岳沢ダイス」の初登(多分)も忘れずに【5級】。見えてきた滝沢大滝は上中下段とあり、下段部分の目処だけは立ったところで戻り、呑んで寝た。夜中に二度、遠くで崩落音が聴こえる。
9/22;【下段:30m】は、昨夕の2ピッチ分の右手凹角フィックスを伝い登り、柱状節理の好意的"欠け"をスタンスに落口方向へとトラバースして終了。【中段:5m】は記憶にない程に易しい。さて、本命の【上段:70m】へと近づくと、その偉容にちょっと声が出た。私もこれまで随分な数の滝を見てきたけれど、これに似た滝が思い付かない程の特異さで大伽藍と言おうか、スペイン?だかで見た大聖堂のパイプオルガンのような滝と言えば伝わるものもあろうか。右手にルートを採るのは落ち口部分が大層厳しそうに見えたことから、柱状節理の傾斜・方向も勘案して(傾斜を殺そうと)左手のチムニールンゼ状を登路とし、落ち口を目指した(結果として、右手を登った訳だが)。尚、私のリードピッチは上下段滝それぞれの出だし,里澆如△修谿奮阿呂垢戮Iida君が担ってくれた。Iidaピッチにはどれも厳しい登攀が含まれており、上段↓ぅ團奪舛氾个襪砲弔譴討修慮靴靴気離哀譟璽鼻⊃看鐃瑤上がっていく。私は沢登りの世界でこれまでに有名無名含め何人もの"悪いところに強い"漢たちと登ってきたが、Iida君は26の若さでそんな彼らに遜色ない力量の持ち主だった。胆力、度胸というのが正しいかも知れない。この高度感じる中でプアプロな上にランナウトにも耐え、臆することなく上昇し、ラストのボルダリーな抜け口最終ピッチではビレイするロープを伝ってビリビリと震えるものを感じた。実際にフォローすると、その忍耐強さやライン取り、思い切りの良さに集中力、大胆不敵さが理解できる痺れるようなダイレクトラインに感動すらした。何とドラマティックなエンディング! 心で吠えて、小さく吼えたことに共感できた。露出感がマジ半端無く、(残置ハーケンの一切無い)ラインの美しさも手伝って、後続ながら55でこんな体験はそうざらにできるものではないと感じた。落ちたら"一連托生"部分を越えてきて、共に喉がカラっカラだと、落ち口で笑い合って煙草を呑んだ。後は涸滝涸沢をグングン登高し、時に這松も掴んで南稜へと合流し、その南稜頭から日本第三位の高峰に立ったのが15時前のこと。Iida君は、二つの五級を登って辿り着いたこの山頂の、最もイカシたラインからの登頂者に違いない。斜光に照る吊尾根を眠気を振り払って歩き通し、幾度目かの下降になる重太郎新道を辿った。
デシマルグレードでは表せないあの悪さを含んだ今回の攻撃的ライン、おいそれとは再登を許すまい。実に悪かった。
9/23;抜け殻状態・身体バキバキの我々(私だけ?)は、ヨロヨロと起き出しては茶をシバき、食料を消費し、またヨロヨロと上高地へと下山した。おっと、「岳沢ダイス」再登のムービーを撮ることも忘れずに。ダブルマントルで面白い、と言って貰えて満足です。沢渡のマル秘沢の偵察をし(!)、更にはツキノワグマとの遭遇のお土産も付けて帰途について拙宅へ。帰宅して身綺麗にして祝杯を挙げた。こんなにも旨い酒を呑んだのは果たしていつ以来のことだろう。夜更けまで呑み、来夏の約束をして固い握手を交わし、手を振った。
熱く、素晴らしい体験をした。
きっかけは昨冬に1冊の本を送っていただいたことに遡る。いつも文章を目にしている大先輩からの突然の連絡。たじろいだのが正直なところだったが、私の登山を見て、関わるに値すると思って下さったのか、そのやり取りの最後には「遊びに来てや」と言っていただいた。今年6月に再び連絡を取り、「「有名山岳から流下する誰も行こうとしない沢」こそが貴君と行くべき沢登りに思えて」などとのやり取りの末、本山行を共にする運びとなった。
9/20 入山前日、中央本線釜戸駅で落ち合う。かなりの緊張をもって初対面。イカした車に岐阜訛り、イメージ通りの先輩の姿だった。長距離移動と前日の睡眠不足で激ネムのはずだったが、山や仕事の話をアレコレしているうちにすぐに松本に着いた。
同じく山岳部の大先輩、米山さんのお宅に一晩お世話になり、楽しい夜を過ごした。
9/21 上高地()岳沢ダイス()岳沢小屋()下段取付き()取付き復帰()C1()
朝早く出発。当初目的としていた沢は前日の雨により大増水、林道を30分ほど歩いた所で早々に撤退を決める。サブプランの穂高・滝沢大滝を目指すことに。バスで上高地入り。車内で昨年の記録に目を通そうかとも思ったが、見ない方が、という提案によって辞めた。結局、登山体系を斜め読みして得たⅤ級A1でS字型のラインが存在し、再登者は多くない、という貧相な情報のみを持って滝と対峙することになった。この時私はS字がどっち回りだったか、それすら確かでなかったのである。
私の住む北海道阿寒よりもはるかに人が多い上高地を、人の間をすり抜けるように岳沢へ。「岳沢ダイス」にダブルマントル返しの5級のラインを引く。興味を前に記録の有無は関係ない。息を切らして岳沢小屋まで上がると奥に大滝が見えた。転身時、二兎を追って一兎も得ずという結果にならないか、嫌な予感もあったにはあったが、バスの一件、気持ちのいいボルダー遊びと、滝下に着くまでのリズムの良さにより、滝を前にした時にはそれはサッパリと払拭されていた。
[下段]
取り付きでの印象は「正面は傾斜が強く困難、左岸右岸はともに柱状節理が抜けて凹角になったところを登れば問題なく落ち口までいけそう」というもの。右岸は「巻き」という色が強いので、より充実しそうな左岸を選ぶ。
1P目:松原:20m:左岸凹角に向かって手前から伸びる段差に上がり、カム、チョックストーンのタイオフでランニングをとった後、浮石の多い凹角へ入る。凹角内右手に終了点を作る。
2p目:飯田:10m:引き続き凹角内を登る。浮石帯を3mステミングで登り、右手のフィンガークラックにエイリアンを決める。下にのびたヒレ状浮き気味の岩をそっと押さえ込んでホールドにし、左手フェース面の細かい足を拾う。カムでとった後さらに5mほど直上し、草付きと浮石のテラスでピッチを切る。その後のラインとして、そのままクラックを直上するラインと、節理のカケを拾いながら落ち口にトラバースする2つが見えた。目処が立ったので、一旦トライカム白とアングルを叩き込みザイルをフィックスし、写真を撮ってから懸垂1ピッチで取付きまで降りる。星空の下、バーボンと煙草を呑んで寝る。
9/22 C1()下段取付き()下段落ち口()上段取付き()上段落ち口()奥穂高岳()C2()
気温摂氏2度。袋麺と茶で温まり、再び滝に取り付く。一応確保してフィックスを辿り2p目終了点へ。全く失礼極まりない話だが、スイスイ登っている様子を見て、ああこれならこの後も突っ込めるなと、覚悟が決まった。
3p目:飯田:15m 節理を拾って落ち口方向へ5mトラバース。そこから2m直上し、再び10mほどトラバースし、落ち口横のブッシュでビレイ。ランニングはエイリアン×2にトリプルカム。
非常にいいリズムで下段を登り切り、段差程度の中段を越え、上段へ。
[上段]
まさに大聖堂。上高地という人間の存在が見えるから平生を保っていられるが、もし沢中でこんな所に長時間身を置いていたら、精神が押しつぶされてしまうだろう。高さは70mほどだろうか。2つのテラスをもち、落ち口の高さで左岸右岸共に大きくハングしている。下部は左岸右岸ともチムニールンゼ状で、第一のテラスまでは問題がないように見える。しかしいくら近づいても、またいくら離れても、スケールが大きすぎて上部のイメージが掴めない。結局とりつく時点では、落ち口まで一本のラインを明確に引くことはできなかった。取り付いてから見えてくるもので判断・対処ができる、という自信、或いは慢心を武器に、右岸より始める。
1p目:松原:30m 広いチムニー状を開脚、バックアンドトゥで登っていく。ランニングはエイリアン×3、ハーケン1枚。他のピッチ同様、浮石が多く落石に気を使う。松原のいる終了点からでは水平にトラバースすることができず、このまま巻き続けることになるだろうという話から、フォローの飯田は残り10mのところで、滝身に向かって右上、第一テラスの左端へ。そこには古のリングボルトがたった1つ。エイリアンとハーケンを足してビレイ。
2p目:飯田:15m 頭上はハングしておりフリーではとても突破できそうにない。先行きは不確かだが、傾斜の緩い流心方向へ希望を求める。右に2mのところにあるフレークにナッツをかませ、濡れた細かいホールドスタンスで次の節理までシビアなスラブを5mのランナウト。少し傾斜が緩んだところでカムを決める。何度もシューズを拭い、1、2mで第二テラスに。流心を横断するように7mほど右にトラバースし、ハング下でビレイ。ナッツ、下向きハーケン、下向きアングルで作成した終了点はとても安心と言える代物ではない。フォローは見えないところで「アッ!オチルッ!」という声を漏らしていた。が、実際落ちることはなく終了点近くでは「あー悪いなこりゃ」と余裕があるように見せていた(ように映った)。
3p目:飯田:25m ラインとして2本可能性があるように見えた。1本は頭上のアンダーフレークにカムを決め、濡れたスラブを左上して乾いた緩傾斜帯に抜けるもの。もう1本はさらに3mほど右にトラバースした後、若干凹角気味の濡れた壁と草付きを落ち口と同じ高さのハング下まで直上して行くというもの。どちらも落ち口までの最終的なラインは見えない。ただ少なくとも左のラインでは人工することになりそうに見える。体系にはA1とあり、事実昨年の記録もアブミを使用していたが、なぜか自分がそれをやるという発想にはつながらなかった。それに右からであれば垂直以下であり上手くラインを見出せばなんとかなるだろう思えた。フリーが美しいとか、そういうことではない。そもそも人工が自分の中に根っこを生やしていないのかもしれない。ということで右のラインを行くことにする。
登り出すまでにこれだけの長文を要したところで既にお分かりいただけるだろう、まあ悪かった。かなり悪かった。あまりに悪かった。
エンジョイ、という言葉を背に、右へ3mのトラバースから。大きな浮石に立って横向きのリスにハーケンをバチ効かせ、3m直上。ビレイ点から見える巨大フレークに馬乗りになる。カムでは落ちたら岩ごと吹っ飛びそうなのでここはナッツでとる。頭上の濡れた草付きを見上げる。直上ラインを見出すも、中途半端にハーケンを叩き込むと崩壊しそうでなかなかランニングが取れない。再び辛いランナウトを強いられる。草の根を剥がさなぬように泥ごとプッシュしマントルを返すと3cm程の灌木があり、5mぶりの支点をとる。靴を拭い、乾いたフェースを3m左上すると、しっかりしたクラックがありエイリアン×2を決める。このピッチ初めてまともな支点をとった。残りロープの長さを聞く。あと15m。落ち口まで足りるかもしれないが、もう精神が持たない。一度同じ視点に立って次のピッチについて話し合いたい。左手流心方向にはアルパインクライミングとしてはあまりに小さい水の溜まったカチと崩壊しそうなフレークスタンス、その先に終了点になりそうなフレークとテラスが見える。暫く逡巡。カムを決め直してカチを握り込む。気がつくとテラスに着いていた。あまりに喉がカラカラなことで我に帰る。ものすごい集中力を発揮していた。エイリアンとトリプル、左手のクラックと頭上の崩壊しそうな節理に下向きのアングルをひとつづつ、そっと叩き込み、ビレイ解除のコール。おそらく落ち口まであと数m。フォローの登りからもザイルを通して緊張感が伝わってくる。
4p目:飯田:10m いったん2mクライムダウンしてから落ち口に直上するという松原案に対し、私は直上して直接落ち口に出るラインを推す。松原さんはただ、分かった、と言ってくれた。ルートに納得したというより、「君が出来るというなら出来るんだろう」という頷きだったように思える。
大きな浮石の乗った脆い節理を4m直上、右手のフレア気味のクラックにエイリアンを差し込み、左手のクラックにもう1つ。そこから最後の”ムーブ“。左隣の節理に生じたガタガタの横クラックに左手を差し込み、その上のいかにも浮いていそうなガバを鷲掴みにする。と同時に右足を切り、一度完全に壁から離れる。ガバを2手繋いでまずまずのホールドをマッチ。そこから最後にして最大の一手へ。スメアリングの右足を切って完全にぶら下がり、ものすごい高度感を感じながら左足を遠い棚に運ぶ。右手をプッシュに変えてその左足に大きく乗り込む。そして落ち口そのものに向けて、見えない左手を伸ばす。果たしてホールドがあった。吠えた。足りずにもう一度吠えた。不思議な体験だった。必ず出来る、必ずホールドがある、無いわけがない、と思った。下段上段とプアな支点脆いホールドでさんざん悪い登りを強いられてきたにも関わらず、なぜか最後の最後だけは。
何度も叫びながら終了点を作り、フォローを迎え入れる。二人で煙草を呑み、あまりに出来すぎた登攀だったと放心状態で暫し笑い合った。
もうどうだっていいんだ状態になった我々は無心でいくつかの滝を越え、斜面を登り、ごくナチュラルに南稜に吸い込まれ、穂高の頂きに辿り着いた。
私の姉の名は明穂という。その名のもととなった二つの山を、冬の東稜、滝沢大滝と、いずれもイカしたラインで登ることができた。俺は子になんと名をつけるだろうか。そんなことを考えながら、フラフラな身体、満たされた心で重太郎新道をテンバへと帰った。
9/23 C2()上高地()
自然起床。ヒラヒラの松原さんを思わずにっこり眺め、煙草を呑み、朝食を摂り、ゆっくりと下山した。
本山行は完全に松原さんの提案で、「着想と構想、その熟成」によって本来事前に築かれうる、「自身と山行の関係」は非常に希薄であった。それにもかかわらず滝を前にしてこれだけの熱量を燃やすことができ、2、3日の山行だけで山と滝とパートナーと親密になれた実感を得た。であれば、私も本山行を事前に自分のものとして掴めていたら、どれほどさらに尊い経験に出来ただろうか。ひたすらに松原さんが羨ましい。充実とともに感じたのはそんな羨望だった。
ともあれそんな思い入れのある一本に、相方として自分を選んで頂いた事、素晴らしい体験として時間を共有していただけた事には感謝の他ない。そして来夏も、否、来夏「は、より(⤴︎発音)」いい山行を必ずや。
遠く北海道に帰ってもJohn Coltrane のBlue Trainを聴くたび、この景色と時間とを思い出せるだらう。
まっちゃン














お疲れ様でしたっ!!
あの界隈に知悉したケイタさん、ホント面白い山域デスネ。
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