霊山

- GPS
- 04:25
- 距離
- 5.0km
- 登り
- 426m
- 下り
- 426m
コースタイム
- 山行
- 3:02
- 休憩
- 1:25
- 合計
- 4:27
| 天候 | 晴れ一時雨 |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2025年11月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
| コース状況/ 危険箇所等 |
良好。 |
| その他周辺情報 | 下山後の風呂はりょうぜん紅彩館を利用(440円)。 |
写真
感想
福島県の名峰・霊山(りょうぜん)を訪れた。
恥ずかしながら、読み方すら初めて知る山だったが、とても魅力的な山であった。紅葉まつりの最終日、連休の最終日ということで、多くの人でにぎわっていた。路駐の車も多かった。
駐車場の立ち並ぶ屋台の先に登山口。しばらく登りが続き、いいアップになる。「見下し岩」の看板が出てきて、「見くだし岩」と読んでしまったが、正しくは「見おろし岩」。実際、岩の上に立つと、登山口の駐車場などふもとが見おろせる。標高は700mくらいなのに、壮観な眺めだった。
見下し岩のあとは勾配がゆるやかになり、非常に歩きやすくなる。名前のついた奇岩や展望スポットが次々に出てくる。天狗の相撲場は、土俵らしきものは見当たらなかったが、岩峰と紅葉の景色が素晴らしかった。
親不知子不知から護摩壇にかけては、頭上と左側の崖に気をつけながら歩いていく。護摩壇の名称からもわかるように、霊山は修験の山。このえぐれた岩壁で護摩行が行われたのだろう。
護摩壇から岩場を登ってほどなくすると、一気に土地が開ける。「伝国司館跡」とある。国司館、つまり陸奥国府は多賀城にあるはずだが…と思いながら、もう一段上に登ってみると、霊山城跡に着いた。なるほど。南北朝時代、南朝の忠臣であり陸奥守でもある北畠顕家が、後醍醐天皇の子・義良親王を奉じて霊山城を築き、多賀城から移ってきたらしい。それで、この地が陸奥国府になったということか。
ところが、顕家が討たれたあと、北朝側に攻められ落城したとのこと。そもそも霊山には、慈覚大師・円仁創建の霊山寺があった。東北山岳仏教の一大聖地でもあったはずだが、霊山城落城によって霊山寺も荒廃してしまった。
霊山城跡で休憩したあとは、霊山最高峰の東ノ物見、そして、蟻の戸渡りへと進んだ。ここまで来ると、太平洋も望めるようになってくる。蟻の戸渡りは、初めちょっと心配であった。しかし実際には、戸隠山の蟻の戸渡りほどではないので、難なく通過できた。
登山口へ下山する途中、弁天岩や宝寿台にも寄った。どちらもハシゴのかけられた巨岩。登ってみると絶景であった。たまたまだが、紅葉がベストなタイミング。いろんな赤・橙・黄に色づき、グラデーションが見事だった。
岩峰と紅葉を楽しみ、思わず、興味深い歴史の舞台にも出くわし、楽しい登山だった。下山後は、りょうぜん紅彩館で汗を流し(440円)、帰京した。
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かぐや姫











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