八ヶ岳・蓼科
西餅屋茶屋跡(にしもちやちゃやあと)
最終更新:Tefuneko
基本情報
場所 | 北緯36度08分04秒, 東経138度07分52秒 |
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西餅屋は江戸時代中山道下諏訪宿と和田宿の五里十八丁の峠路に設けられた「立場」(人馬が休息する所)であった。中山道は江戸と京都を結ぶ裏街道として重視されていた。ここは茶屋本陣の小口家と武居家、犬飼家、小松家の四軒があり、藩界にあったので、ときには穀留番所が置かれた。幕末の砥沢口合戦のときは、高島藩の作戦で焼失されたが、すぐに再建された。現在は道の「曲之手」(直角な曲り)と茶屋跡が残っている。
出典:下諏訪町教育委員会設置の案内板
出典:下諏訪町教育委員会設置の案内板