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聖徳太子御廟(しょうとくたいしごびょう) / 叡福寺北古墳 / 磯長墓(しながのはか)

最終更新:Ikoma Nature Walk
基本情報
標高 70m
場所 北緯34度31分09秒, 東経135度38分21秒
カシミール3D
磯長山叡福寺境内にある聖徳太子の御廟。

叡福寺(上ノ太子)は、羽曳野の野中寺(中ノ太子)、八尾の勝軍寺(下ノ太子)と比肩する太子信仰の中心地である。御廟には、太子の母君、太子の后がお眠りになり、三骨一廟とも呼ばれる。

山の解説 - [出典:Wikipedia]

叡福寺北古墳(えいふくじきたこふん)は、大阪府南河内郡太子町太子にある古墳。形状は円墳。磯長谷古墳群を構成する古墳の1つ。
宮内庁により「磯長墓(しながのはか)」として第31代用明天皇皇子・第33代推古天皇皇太子の聖徳太子(厩戸皇子)の墓に治定されている。考古学的にも厩戸皇子の墓の可能性が高い古墳として知られる。
大阪府南東部、二上山山麓の磯長谷において、北から伸びる丘陵の先端部南斜面に南面して築造された古墳である。一帯では本古墳のほか天皇陵4基などの古墳が築造されており、磯長谷古墳群として認知される。本古墳は叡福寺境内北側に位置し、現在は宮内庁治定の皇族墓として同庁の管理下にあり、これまでに同庁による調査が実施されているほか、明治以前の立ち入り可能であった時代に残された絵図等が伝世されている。
墳形は楕円形で、直径は南北約43メートル・東西約53メートルを測る。墳丘は3段築成。墳丘外表で葺石・貼石は認められていない。埋葬施設は横穴式石室で、南方向に開口する。玄室内部には棺を据えた棺台3基が残り、棺台周辺では夾紵棺片の残存も認められている。また後世に加えられた改変として、墳丘裾周囲には「結界石」と称される列石が2重に巡らされているほか、開口部には「御霊屋」と称される唐破風屋根の覆屋が建立されている。
築造時期は、古墳時代終末期・飛鳥時代の7世紀後半頃と推定される。被葬者は、宮内庁では聖徳太子(厩戸皇子、622年薨去)に治定され、考古学的にも厩戸皇子・穴穂部間人皇女(用明天皇皇后、皇子母)・膳部菩岐々美郎女(皇子妃)ら3人の合葬墓(三骨一廟)の可能性が高いと推定される。被葬者が明らかな古墳として、古墳編年における1つの基準として重要視される古墳になる。なお、磯長谷では聖徳太子墓のほか敏達・用明・推古・孝徳天皇陵が伝わっており、これらは「梅鉢御陵」と総称される。

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