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吉窪城山(よしくぼじょうやま) / 吉窪山/城山

最終更新:POYON あきら
基本情報
標高 619.2m
場所 北緯36度37分30秒, 東経138度07分21秒
カシミール3D
長野市西部 犀川左岸にある、長野市街地からも富士山に似た姿が目立つ山。
戦国時代は眼下を通る大町街道(現国道19号線に相当)や武田勢が侵攻を強める
川中島平を監視する砦(山城)の遺構が今なお多く残る史跡の山

登山口は、吉窪集落から東に400m程進んだ場所に登山口案内がある。
道は丁寧に整備されており小さな子供連れでも問題はない。
登山口から山頂までは10分と掛からない。遊歩道レベルです。

山頂には飯縄稲荷社と遺跡解説看板と多くの山城遺構が残る。
三角点は「塩生(しょうぶ)」山頂より10m程南にある。
山頂エリアは木々が生い茂り往年の展望はない。
また石組みの上に枯れ落ちた枝木が覆い、足元に気をつけないと
思わぬ怪我をする危険性があるので気をつけたい。

展望を楽しむ山というより武田勢と上杉勢が戦った時代に思いをはせる場です
山頂 吉窪城山

山の解説 - [出典:Wikipedia]

吉窪城(よしくぼじょう)は、長野県長野市にあった日本の城。
村上氏の支族・小田切幸長の居城であった。犀川沿いにあり、善光寺平と安曇野を結ぶ要衝にあった。弘治3年(1557年)、武田信玄は、葛山城を攻略した。吉窪城主小田切幸長は葛山城主落合治吉と共に葛山城に籠城し、吉窪城は子の民部少輔が守った。しかし、葛山城の落城と共に吉窪城も落城した。

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