上鉢石駐車場から望む女峰山。
毎日この風景を眺められる日光市民が本当に羨ましい。
2
12/12 6:27
上鉢石駐車場から望む女峰山。
毎日この風景を眺められる日光市民が本当に羨ましい。
上鉢石町駐車場から金谷ホテルの"裏山"を望む。
今日もこの尾根から山行をスタート。
0
12/12 6:28
上鉢石町駐車場から金谷ホテルの"裏山"を望む。
今日もこの尾根から山行をスタート。
地形図と本のコピーを持ち歩いての探索山行を、今日も続ける。
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12/12 9:42
地形図と本のコピーを持ち歩いての探索山行を、今日も続ける。
金谷ホテル入口にて星ノ宿と精進ヶ岳を望む。
画像左手、灯篭の真上あたりの平場が星ノ宿。
画像右端の小さなピークが精進ヶ岳。
まずは前回撮りこぼしたので、精進ヶ岳を再訪する。
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12/12 6:33
金谷ホテル入口にて星ノ宿と精進ヶ岳を望む。
画像左手、灯篭の真上あたりの平場が星ノ宿。
画像右端の小さなピークが精進ヶ岳。
まずは前回撮りこぼしたので、精進ヶ岳を再訪する。
星ノ宿の金剛堂と、その奥に見える精進ヶ岳。
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12/12 6:35
星ノ宿の金剛堂と、その奥に見える精進ヶ岳。
精進ヶ岳ピークに到着。
左奥は外山。
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12/12 6:37
精進ヶ岳ピークに到着。
左奥は外山。
精進ヶ岳の不動明王座像と金剛堂。
日光連山がまるで借景のようだが、山と正対はしていない。
0
12/12 6:40
精進ヶ岳の不動明王座像と金剛堂。
日光連山がまるで借景のようだが、山と正対はしていない。
天正16年銘の金剛堂。
秀吉の小田原征伐の2年前にあたる。
石室内の陽刻は、『全踏査』によれば虚空菩薩だという(p.94)。
右手に払子を持った容か。
不動明王座像は紀年銘なし。
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12/12 6:40
天正16年銘の金剛堂。
秀吉の小田原征伐の2年前にあたる。
石室内の陽刻は、『全踏査』によれば虚空菩薩だという(p.94)。
右手に払子を持った容か。
不動明王座像は紀年銘なし。
精進ヶ岳を守る杉の古木を仰ぎ見る。
辛辣さを感じるほど古びていた。
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12/12 6:41
精進ヶ岳を守る杉の古木を仰ぎ見る。
辛辣さを感じるほど古びていた。
金谷ホテルの裏手へ。
いい天気の朝だった。
朝焼ける男体山と__
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12/12 6:46
金谷ホテルの裏手へ。
いい天気の朝だった。
朝焼ける男体山と__
女峰山。
3
12/12 6:47
女峰山。
前回訪れたときに気になっていた、この作業道から取付こうと考えていた。
周囲には仏具だったと思われる鉄灯籠などが放置されている。
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12/12 6:49
前回訪れたときに気になっていた、この作業道から取付こうと考えていた。
周囲には仏具だったと思われる鉄灯籠などが放置されている。
__が、納戸の後ろに石仏を見つけてしまう。
1
12/12 6:50
__が、納戸の後ろに石仏を見つけてしまう。
佳品といっていい石仏だった。
名のある像かと思ったが、調べても分らず終い。
0
12/12 6:51
佳品といっていい石仏だった。
名のある像かと思ったが、調べても分らず終い。
石仏のその奥に見えた踏跡から、そのまま取付くことにした。
0
12/12 6:52
石仏のその奥に見えた踏跡から、そのまま取付くことにした。
だがすぐに踏跡を見失ってしまう。
谷を直登して尾根に乗った。
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12/12 7:01
だがすぐに踏跡を見失ってしまう。
谷を直登して尾根に乗った。
中禅寺線鉄塔を通過。
0
12/12 7:26
中禅寺線鉄塔を通過。
松立山(869p)へ登る。
前回は積雪で隠れていた踏跡がよく見える。
これを辿ってつづら折りに詰めた。
1
12/12 7:42
松立山(869p)へ登る。
前回は積雪で隠れていた踏跡がよく見える。
これを辿ってつづら折りに詰めた。
松立山に到着。
ピークを覆う凹凸は、太平洋戦争中に砲台が置かれていた跡だという(p.186)。
1
12/12 7:46
松立山に到着。
ピークを覆う凹凸は、太平洋戦争中に砲台が置かれていた跡だという(p.186)。
そのまま897pに向かう稜線を辿るが__
0
12/12 7:47
そのまま897pに向かう稜線を辿るが__
稜線には、却って明瞭な砲台跡が残っていた。
1
12/12 7:48
稜線には、却って明瞭な砲台跡が残っていた。
897p手前にあった、日光社寺境界標石80。
0
12/12 8:01
897p手前にあった、日光社寺境界標石80。
897pあたりから鳴虫山を望む。
矢印を打ったピークが鳴虫山。
0
12/12 8:05
897pあたりから鳴虫山を望む。
矢印を打ったピークが鳴虫山。
897pはテーブルのようなピークだった。
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12/12 8:07
897pはテーブルのようなピークだった。
897pから望む日光山塊。
今日のルートでは、これらの山々がずっと見えている。
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12/12 8:08
897pから望む日光山塊。
今日のルートでは、これらの山々がずっと見えている。
897p西端の銭沢不動指導標。谷へ下れば銭澤不動尊に出る。
前回はここから尾根を伝い、二宮に向かった。
今日はここから気生ノ宿に直行する。
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12/12 8:10
897p西端の銭沢不動指導標。谷へ下れば銭澤不動尊に出る。
前回はここから尾根を伝い、二宮に向かった。
今日はここから気生ノ宿に直行する。
馬頭岩分岐の尾根別れを通過。
馬頭岩へは尾根を左に折れる。
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12/12 8:19
馬頭岩分岐の尾根別れを通過。
馬頭岩へは尾根を左に折れる。
気生ノ宿に到着。
登山道から気生ノ宿の棚部を見下ろす。
宿の棚部が北風を避けるように築かれているのが分かる。
1
12/12 8:21
気生ノ宿に到着。
登山道から気生ノ宿の棚部を見下ろす。
宿の棚部が北風を避けるように築かれているのが分かる。
雪の消えた気生ノ宿の石造遺構を、もう一度よく見てみる。
2
12/12 8:23
雪の消えた気生ノ宿の石造遺構を、もう一度よく見てみる。
ミズナラの大樹の根方に鎮座する気生ノ宿の金剛堂。
金剛堂の左手になにかの台座のみが残る。
0
12/12 8:24
ミズナラの大樹の根方に鎮座する気生ノ宿の金剛堂。
金剛堂の左手になにかの台座のみが残る。
石組(護摩壇)と石碑。
杉の木の左に台座と礎石。
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12/12 8:22
石組(護摩壇)と石碑。
杉の木の左に台座と礎石。
護摩壇は星ノ宮に比べてずいぶん小ぶりだ。
1
12/12 8:24
護摩壇は星ノ宮に比べてずいぶん小ぶりだ。
台座と礎石。
0
12/12 8:24
台座と礎石。
さて、合峰に向けて尾根歩きを続けた。
途中見かけた小さなケルン。
2
12/12 8:31
さて、合峰に向けて尾根歩きを続けた。
途中見かけた小さなケルン。
合峰が見えてくる。
0
12/12 8:32
合峰が見えてくる。
「鞍部に小さな東向きの金剛堂がある(p.79)」
の鞍部に到着。
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12/12 8:35
「鞍部に小さな東向きの金剛堂がある(p.79)」
の鞍部に到着。
東向きを確認。
0
12/12 8:39
東向きを確認。
合峰への道すがら、ニホンカモシカと出合う。
こんな写真しか撮れなかったけど、嬉しかった。
2
12/12 8:44
合峰への道すがら、ニホンカモシカと出合う。
こんな写真しか撮れなかったけど、嬉しかった。
合峰ピークにたどり着く。
1
12/12 9:08
合峰ピークにたどり着く。
合峰にて。
水もすべて背負ってきたので、歩荷23kg。
3
12/12 9:14
合峰にて。
水もすべて背負ってきたので、歩荷23kg。
登ってきた尾根にはこのようなバリケードがしてある。
0
12/12 9:23
登ってきた尾根にはこのようなバリケードがしてある。
合峰の金剛堂は北西向き。
鳴虫山の方を拝していた。
ここまでは前回歩いた区間。
ここから先が今回の山行本番となる。
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12/12 9:10
合峰の金剛堂は北西向き。
鳴虫山の方を拝していた。
ここまでは前回歩いた区間。
ここから先が今回の山行本番となる。
合峰から少し南へ進み、滝ヶ原峠への尾根別れに到着。
この分岐もトラロープでバリケードされている。
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12/12 9:26
合峰から少し南へ進み、滝ヶ原峠への尾根別れに到着。
この分岐もトラロープでバリケードされている。
この分岐に立つ54標石。
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12/12 9:27
この分岐に立つ54標石。
バリケードを越えて、尾根筋を下り始める。
千載宿はここを下りきった鞍部から登り返し始めるあたりにある。
0
12/12 9:28
バリケードを越えて、尾根筋を下り始める。
千載宿はここを下りきった鞍部から登り返し始めるあたりにある。
途中、安良沢浄水場のタンクが見えた。
荒沢沿いの車道を通って裏見の滝へ向かうとき、このタンクの傍らを通過する。
0
12/12 9:40
途中、安良沢浄水場のタンクが見えた。
荒沢沿いの車道を通って裏見の滝へ向かうとき、このタンクの傍らを通過する。
急勾配が緩みかけるあたりで石祠の傍らを通る。
「合峰への直線的な急登が始まる辺りに屋根欠けの山神の祠が西向きに待つ(p.78)」
0
12/12 9:53
急勾配が緩みかけるあたりで石祠の傍らを通る。
「合峰への直線的な急登が始まる辺りに屋根欠けの山神の祠が西向きに待つ(p.78)」
屋根は失われている。
享保10年銘、西向き。
0
12/12 9:57
屋根は失われている。
享保10年銘、西向き。
「母屋正面には相対の穴があり中に石柱の山神塔が納まっている(p.78)」
"御山神"と彫られていた。
0
12/12 9:56
「母屋正面には相対の穴があり中に石柱の山神塔が納まっている(p.78)」
"御山神"と彫られていた。
先へ進むと、鞍部から969pへ登り返すあたりに千載宿比定地があった。
画面中央にうっすら見える、尾根上の2段の棚部がそれ。
この地点の直前まで男体山は見えてたが、『全踏査』の記述通り、この場所では山陰に隠れて見えなくなる。
画像のど真ん中に移っている金剛堂が分かるだろうか?
0
12/12 10:07
先へ進むと、鞍部から969pへ登り返すあたりに千載宿比定地があった。
画面中央にうっすら見える、尾根上の2段の棚部がそれ。
この地点の直前まで男体山は見えてたが、『全踏査』の記述通り、この場所では山陰に隠れて見えなくなる。
画像のど真ん中に移っている金剛堂が分かるだろうか?
紀年銘のない千載宿の金剛堂は北東向き。
2段棚部を見下ろすように据えられている。
こうした陽刻は精進ヶ岳の石祠を思わせる。
2
12/12 10:08
紀年銘のない千載宿の金剛堂は北東向き。
2段棚部を見下ろすように据えられている。
こうした陽刻は精進ヶ岳の石祠を思わせる。
下段の棚部に寝そべってみた(身長175cm)。
金剛堂のあたりから撮影している。
0
12/12 10:16
下段の棚部に寝そべってみた(身長175cm)。
金剛堂のあたりから撮影している。
ナツツバキ(p.195)。
0
12/12 10:56
ナツツバキ(p.195)。
上段の棚部と金剛堂。
ゴヨウツツジが2本ある。
木炭層が出たのは、この上段棚部らしい(p.77)。
0
12/12 10:56
上段の棚部と金剛堂。
ゴヨウツツジが2本ある。
木炭層が出たのは、この上段棚部らしい(p.77)。
さて、千載宿の閼伽を探さねばならない。
「閼伽南也という水場の明記がある(p.194)」とあるので南に下りる。
「豊富な水量を有するのは、むしろ、宿跡の北側である(p.194)」とする北の水場は見送った。
0
12/12 10:26
さて、千載宿の閼伽を探さねばならない。
「閼伽南也という水場の明記がある(p.194)」とあるので南に下りる。
「豊富な水量を有するのは、むしろ、宿跡の北側である(p.194)」とする北の水場は見送った。
距離にして100mほど谷を下って、湧水を見つけた。
0
12/12 10:38
距離にして100mほど谷を下って、湧水を見つけた。
水量は少ない。
口切り400ccのカップを満水にするのに、80秒を要した。
1
12/12 10:39
水量は少ない。
口切り400ccのカップを満水にするのに、80秒を要した。
千載宿に登り戻って、969pへ向けて出発。
0
12/12 10:10
千載宿に登り戻って、969pへ向けて出発。
969pを通過。
0
12/12 11:05
969pを通過。
あとはひたすら下れば__
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12/12 11:16
あとはひたすら下れば__
滝ヶ原峠の切通しに到着。
切通しは深く、尾根筋はすっぱりと切り取られている。
0
12/12 11:20
滝ヶ原峠の切通しに到着。
切通しは深く、尾根筋はすっぱりと切り取られている。
左側(南面)に下りてしまったが__
0
12/12 11:20
左側(南面)に下りてしまったが__
道路沿いの擁壁が高めなので巻く必要があった。
用途の分らない木工品があった。
0
12/12 11:28
道路沿いの擁壁が高めなので巻く必要があった。
用途の分らない木工品があった。
滝ヶ原峠の切通し。
今下りて来た東の尾根。
0
12/12 11:35
滝ヶ原峠の切通し。
今下りて来た東の尾根。
こちらは切通しから西の尾根。
0
12/12 11:31
こちらは切通しから西の尾根。
同じく滝ヶ原峠の風景。
右が滝ヶ原峠で出合う林道河原小屋三の宿線。
古峰神社の"一の鳥居"に繋がっている。
0
12/12 11:33
同じく滝ヶ原峠の風景。
右が滝ヶ原峠で出合う林道河原小屋三の宿線。
古峰神社の"一の鳥居"に繋がっている。
さて、切通しの西岸に取付く。
お助けロープあり。
まずは「小さな地蔵菩薩坐像(p.76」を探したがなかなか見つからない。
0
12/12 11:34
さて、切通しの西岸に取付く。
お助けロープあり。
まずは「小さな地蔵菩薩坐像(p.76」を探したがなかなか見つからない。
やっと見つけた地蔵菩薩は、切通しの斜面中にあった。
「切り通し面に小さな地蔵菩薩像が祀られており、東西稜線を分断した切り通し面の西側面に東を向いて鎮座している(p.76)」
画像中央にお地蔵さま。
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12/12 11:39
やっと見つけた地蔵菩薩は、切通しの斜面中にあった。
「切り通し面に小さな地蔵菩薩像が祀られており、東西稜線を分断した切り通し面の西側面に東を向いて鎮座している(p.76)」
画像中央にお地蔵さま。
「峠には地蔵がよく似合う(p.76)」
形の変わった峠に独り遺されて、なに思うお地蔵さま。
フリースとニットキャップが優しい。
2
12/12 11:41
「峠には地蔵がよく似合う(p.76)」
形の変わった峠に独り遺されて、なに思うお地蔵さま。
フリースとニットキャップが優しい。
尾根に戻り、『全踏査』に記述のある2基の石祠を探す。
入母屋の祠は登山道から外れた尾根の肩先にあった。
0
12/12 11:44
尾根に戻り、『全踏査』に記述のある2基の石祠を探す。
入母屋の祠は登山道から外れた尾根の肩先にあった。
尾根の肩先を守る赤松の陰に__
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12/12 12:07
尾根の肩先を守る赤松の陰に__
「峠に下る途中の小さなピークに入母屋の祠が赤松の根方に祀られている(p.76)」
紀年銘なし、南南東向き。
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12/12 12:07
「峠に下る途中の小さなピークに入母屋の祠が赤松の根方に祀られている(p.76)」
紀年銘なし、南南東向き。
台座背面の丸い穴が特徴的。
方角的には日光連山を拝する向きに建っている。
0
12/12 12:05
台座背面の丸い穴が特徴的。
方角的には日光連山を拝する向きに建っている。
登山道に戻って先へ進む。
入母屋の祠から200mもないところにもう一基の石祠があった。
「チャート露岩の岩陰に、日光修験にかかわる金剛堂がある〜奉造立金剛堂一宇〜両七峯先達大阿和照敬白(p.75)」
天明3年の紀年銘。素性は明らかに日光修験に関わる"金剛堂"である。
0
12/12 12:14
登山道に戻って先へ進む。
入母屋の祠から200mもないところにもう一基の石祠があった。
「チャート露岩の岩陰に、日光修験にかかわる金剛堂がある〜奉造立金剛堂一宇〜両七峯先達大阿和照敬白(p.75)」
天明3年の紀年銘。素性は明らかに日光修験に関わる"金剛堂"である。
どなたかのアメを供えていた。
石室に陽刻はない。
これも南南東向き。
2
12/12 12:14
どなたかのアメを供えていた。
石室に陽刻はない。
これも南南東向き。
さて、1051pを通過する。
0
12/12 12:42
さて、1051pを通過する。
1051pに建つ境界標は東武のものだった。
以後しばらく東武標が続く。
次は1158pへ。
0
12/12 12:43
1051pに建つ境界標は東武のものだった。
以後しばらく東武標が続く。
次は1158pへ。
鞍部と1158pへの道。
0
12/12 12:46
鞍部と1158pへの道。
1158pへ登攀中の眺め。
双耳峰に見える、右のピークが六郎地山。
左のピークは1101p。
0
12/12 13:02
1158pへ登攀中の眺め。
双耳峰に見える、右のピークが六郎地山。
左のピークは1101p。
登攀中の途中から、日光らしい低い笹の風景に。
2
12/12 13:12
登攀中の途中から、日光らしい低い笹の風景に。
ちょっと尖った1158pに到着。
0
12/12 13:13
ちょっと尖った1158pに到着。
1158pは和の代方面と三ノ宿山との三差路分岐となる。
山林境界標石147が建つ。
これは三ノ宿への道。
0
12/12 13:14
1158pは和の代方面と三ノ宿山との三差路分岐となる。
山林境界標石147が建つ。
これは三ノ宿への道。
和の代への道。
0
12/12 13:15
和の代への道。
そして滝ヶ原峠へ行く道。
0
12/12 13:15
そして滝ヶ原峠へ行く道。
1158pの147標。
0
12/12 13:21
1158pの147標。
次は五葉ノ宿を探す。
山林境界標石119標か130標がさしあたっての目標。
清滝の古河電気工業あたりが見えてきた。
1
12/12 13:31
次は五葉ノ宿を探す。
山林境界標石119標か130標がさしあたっての目標。
清滝の古河電気工業あたりが見えてきた。
禅頂行者道のような気持ちのいい道を行く。
1
12/12 13:36
禅頂行者道のような気持ちのいい道を行く。
男体山。
0
12/12 13:37
男体山。
130標は小さなピークに建っていた。
0
12/12 13:40
130標は小さなピークに建っていた。
「三つ目の推定地は境界標石柱"山一三〇"のある稜線南側の棚部である(p.75)」
0
12/12 13:39
「三つ目の推定地は境界標石柱"山一三〇"のある稜線南側の棚部である(p.75)」
130標の五葉宿候補地にて寝そべってみる。
前回の月見ノ宿と比べるとかなり広やかだ。
五葉ノ宿の閼伽探索は本命の119標だけに絞ることにして、先へ進む。
1
12/12 13:43
130標の五葉宿候補地にて寝そべってみる。
前回の月見ノ宿と比べるとかなり広やかだ。
五葉ノ宿の閼伽探索は本命の119標だけに絞ることにして、先へ進む。
やがて見えた小さなピークに__
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12/12 13:54
やがて見えた小さなピークに__
本命の119標があった。
「"山一一九"付近の棚部の一角からは木炭片が出土する。木炭片が認められるのはこの棚部に限られている点に注目したい(p.75)」
0
12/12 13:54
本命の119標があった。
「"山一一九"付近の棚部の一角からは木炭片が出土する。木炭片が認められるのはこの棚部に限られている点に注目したい(p.75)」
119標の棚部にて。
池田さんは宿や拝所を比定する根拠として、木炭片の有無を重要視されている。
130標より狭めだが__
0
12/12 13:57
119標の棚部にて。
池田さんは宿や拝所を比定する根拠として、木炭片の有無を重要視されている。
130標より狭めだが__
すぐ脇に同じような広さのもう1段の棚部あり。
この辺りは棚や窪地が多い。
0
12/12 14:02
すぐ脇に同じような広さのもう1段の棚部あり。
この辺りは棚や窪地が多い。
119標のある小ピークからは南東向きの小曾根が伸びている。
その西斜面に向かって下りて閼伽を探した。
長くて急な往復となった。
0
12/12 14:03
119標のある小ピークからは南東向きの小曾根が伸びている。
その西斜面に向かって下りて閼伽を探した。
長くて急な往復となった。
これでもか、というくらい下る。
0
12/12 14:35
これでもか、というくらい下る。
かなりの急こう配。
ほんとにこんなところから汲んでたのか、とは感じてしまう。
1
12/12 14:19
かなりの急こう配。
ほんとにこんなところから汲んでたのか、とは感じてしまう。
下りに下って見つけた湧水地点。
1
12/12 14:23
下りに下って見つけた湧水地点。
使い勝手は良さそうな水量だった。
2
12/12 14:21
使い勝手は良さそうな水量だった。
尾根に戻って118標を探した。
1188pまでの区間は、稜線に鳥屋場のような窪地が続いている。
この日の山行では118標を見つけることはできなかったのだが__
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12/12 14:46
尾根に戻って118標を探した。
1188pまでの区間は、稜線に鳥屋場のような窪地が続いている。
この日の山行では118標を見つけることはできなかったのだが__
【以下2葉を追記する】5か月後の山行で118標を見つけた。119標から100mあまり西に行ったところにあった倒れた標石が__
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5/5 15:39
【以下2葉を追記する】5か月後の山行で118標を見つけた。119標から100mあまり西に行ったところにあった倒れた標石が__
118標だった。池田さんの言う"窪地(p.74)"はこのあたりの地形。【追記終わり】
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5/5 15:38
118標だった。池田さんの言う"窪地(p.74)"はこのあたりの地形。【追記終わり】
さて、話を今日の山行に戻す。
1188pへ。
ピークにあった山林境界標は"113"だった。
0
12/12 14:54
さて、話を今日の山行に戻す。
1188pへ。
ピークにあった山林境界標は"113"だった。
朝から比べて、男体山がずいぶん近くなっている。
襞状に裾野が広がってるなあ。
1
12/12 15:03
朝から比べて、男体山がずいぶん近くなっている。
襞状に裾野が広がってるなあ。
もう次のピークが三ノ宿山だ。
1
12/12 15:07
もう次のピークが三ノ宿山だ。
登りきって__
0
12/12 15:16
登りきって__
三ノ宿山に到着。
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12/12 15:20
三ノ宿山に到着。
気温1℃。
初めての三ノ宿山で記念撮影。
3
12/12 15:24
気温1℃。
初めての三ノ宿山で記念撮影。
三ノ宿山から鳴虫山を探した。
左の矢印が合峰、右が鳴虫山。
急いで三之宿を探し、そこに泊まることにした。
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12/12 15:28
三ノ宿山から鳴虫山を探した。
左の矢印が合峰、右が鳴虫山。
急いで三之宿を探し、そこに泊まることにした。
斜面を西に下れば、そこの鞍部が三ノ宿峠である。
斜面が終わりかける頃に宝永2年銘の石祠がある。
1
12/12 15:35
斜面を西に下れば、そこの鞍部が三ノ宿峠である。
斜面が終わりかける頃に宝永2年銘の石祠がある。
三ノ宿峠にて三ノ宿山方向を見返る。
画面右手にあるのがコメツガ樹下の金剛堂(p.70,197)、
画面中央あたりに小さく写っているのが宝永2年銘の石祠。
1
12/12 15:46
三ノ宿峠にて三ノ宿山方向を見返る。
画面右手にあるのがコメツガ樹下の金剛堂(p.70,197)、
画面中央あたりに小さく写っているのが宝永2年銘の石祠。
宝永2年銘の山神の祠。
「三ノ宿山寄り西向き山神石祠は、屋根、母屋、台座とも無傷で揃っている(p.71)」
尾根筋に素直な南西向き。
碑伝があった。
1
12/12 15:36
宝永2年銘の山神の祠。
「三ノ宿山寄り西向き山神石祠は、屋根、母屋、台座とも無傷で揃っている(p.71)」
尾根筋に素直な南西向き。
碑伝があった。
「母屋内部は台座一体型の石仏が彫られ、母屋正面に内部の石仏を拝む二つの覗き穴がある(p.71)」
『全踏査』71頁には石室を外した石仏の写真が掲載されている。
1
12/12 15:38
「母屋内部は台座一体型の石仏が彫られ、母屋正面に内部の石仏を拝む二つの覗き穴がある(p.71)」
『全踏査』71頁には石室を外した石仏の写真が掲載されている。
そして肝心の、コメツガ樹下の金剛堂。
「合掌する石仏が陽刻されている。母屋に扉が存在したことは上下にある四つの窪みから分かる(p.70)」
1
12/12 15:43
そして肝心の、コメツガ樹下の金剛堂。
「合掌する石仏が陽刻されている。母屋に扉が存在したことは上下にある四つの窪みから分かる(p.70)」
コメツガを見上げる。
金剛堂に紀年銘はないのだが、ずっと後(三峯五禅頂の道)に見る金田峠の深山之宿金剛堂に近い時代のもののような気がする。
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12/12 15:46
コメツガを見上げる。
金剛堂に紀年銘はないのだが、ずっと後(三峯五禅頂の道)に見る金田峠の深山之宿金剛堂に近い時代のもののような気がする。
金剛堂は男体山を拝するように建っていた。
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12/12 15:44
金剛堂は男体山を拝するように建っていた。
金剛堂の眼下に明るい広場が三之宿比定地である。
金剛堂から、それとなく踏跡が続いている。
1
12/12 15:42
金剛堂の眼下に明るい広場が三之宿比定地である。
金剛堂から、それとなく踏跡が続いている。
植林帯の中の小平地が三之宿(佐ノ宿)比定地。
星ノ宿から数えて、気生ノ宿に続いて3番目の宿となる。
三ノ宿の山名は、宿名が由来だ。
0
12/12 15:48
植林帯の中の小平地が三之宿(佐ノ宿)比定地。
星ノ宿から数えて、気生ノ宿に続いて3番目の宿となる。
三ノ宿の山名は、宿名が由来だ。
『全踏査』71頁の記述とは違えて、育った周囲の樹木に遮られてここは日当たりの悪い広場となっていた。
六郎地の先端がやっと見える程度。
0
12/12 15:50
『全踏査』71頁の記述とは違えて、育った周囲の樹木に遮られてここは日当たりの悪い広場となっていた。
六郎地の先端がやっと見える程度。
比定地から峠を見上げたところ。
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12/12 15:50
比定地から峠を見上げたところ。
三之宿棚部の全景。
大きな石がゴロゴロしてる棚部だったので、テントの張れるスペースを探して広場の端っこに幕営した。
夜半にシェラフカバー内を結露させてしまい、寒い思いをした。
4
12/12 16:15
三之宿棚部の全景。
大きな石がゴロゴロしてる棚部だったので、テントの張れるスペースを探して広場の端っこに幕営した。
夜半にシェラフカバー内を結露させてしまい、寒い思いをした。
翌朝。
昨夕できなかった、三之宿の閼伽を探索することから一日をスタートさせた。
0
12/13 7:40
翌朝。
昨夕できなかった、三之宿の閼伽を探索することから一日をスタートさせた。
「水場は三ノ宿峠の北にある(p.71)」の記述通り、北の谷に下りた。
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12/13 7:43
「水場は三ノ宿峠の北にある(p.71)」の記述通り、北の谷に下りた。
下るごとに斜面は狭まっていく。
毎度のことながら、30mのロープをどこで使うかが悩みどころ。
3
12/13 7:54
下るごとに斜面は狭まっていく。
毎度のことながら、30mのロープをどこで使うかが悩みどころ。
下りる途中、捨て置かれた育苗ポットが散乱していた。
南斜面の植林で使ったものなのか?
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12/13 8:00
下りる途中、捨て置かれた育苗ポットが散乱していた。
南斜面の植林で使ったものなのか?
谷筋には、膝が埋まるくらいの深さで落ち葉が降り積もっている。
踏み入りながら、湧水を見つけた。
1
12/13 8:02
谷筋には、膝が埋まるくらいの深さで落ち葉が降り積もっている。
踏み入りながら、湧水を見つけた。
400ccを7秒で満水にする堂々たる水量だった。
峠に戻るが__
1
12/13 8:04
400ccを7秒で満水にする堂々たる水量だった。
峠に戻るが__
登り切る手前で、ほとんど露出した状態の灯明皿を見つけた。
ほぼ完品で、径102・高20。
厚手のロクロ引きで、見込みに湿台の跡がある。
鉄釉が薄く施されているが、これは何の装飾性もないといっていい、実用一辺倒の下手物(ゲテモノ)の造りだ。この施釉法は貫入が入りにくいため、水漏れを防ぐのためだけに使われる。
胎土の産地は分かりかねた。
2
12/13 8:21
登り切る手前で、ほとんど露出した状態の灯明皿を見つけた。
ほぼ完品で、径102・高20。
厚手のロクロ引きで、見込みに湿台の跡がある。
鉄釉が薄く施されているが、これは何の装飾性もないといっていい、実用一辺倒の下手物(ゲテモノ)の造りだ。この施釉法は貫入が入りにくいため、水漏れを防ぐのためだけに使われる。
胎土の産地は分かりかねた。
高台の処理を見ると、江戸時代末くらいまでしか遡れないのではないかと思う。
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12/13 8:21
高台の処理を見ると、江戸時代末くらいまでしか遡れないのではないかと思う。
発掘状況。
画像下端部中央に灯明皿。
上は三ノ宿峠の尾根。
1
12/13 8:21
発掘状況。
画像下端部中央に灯明皿。
上は三ノ宿峠の尾根。
三ノ宿金剛堂の陽刻仏を掲げておく。
星ノ宿・精進ヶ岳・千載宿に続き、この石室にも陽刻が施されているが、その名が分からない。
日光十八王子にも三ノ宿山の名前はない。
1
12/13 8:26
三ノ宿金剛堂の陽刻仏を掲げておく。
星ノ宿・精進ヶ岳・千載宿に続き、この石室にも陽刻が施されているが、その名が分からない。
日光十八王子にも三ノ宿山の名前はない。
三ノ宿峠から次のピークへ登りきれば、大木戸山(1286.7p)に至る。
1
12/13 8:41
三ノ宿峠から次のピークへ登りきれば、大木戸山(1286.7p)に至る。
この尾根筋の南側は鉄条網でバリケードされていた。
0
12/13 8:45
この尾根筋の南側は鉄条網でバリケードされていた。
登りながら三ノ宿山を見返る。
大小松尾根(p.198)については今回はスルーした。
探索するには、僕はまだ力不足。
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12/13 8:47
登りながら三ノ宿山を見返る。
大小松尾根(p.198)については今回はスルーした。
探索するには、僕はまだ力不足。
大木戸山の長い山頂稜線に入ると__
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12/13 8:51
大木戸山の長い山頂稜線に入ると__
今回一番の眺望地があった。
1
12/13 8:52
今回一番の眺望地があった。
女峰の山頂稜線を同定
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12/13 8:54
女峰の山頂稜線を同定
黒岩尾根などを同定。
2
12/13 8:54
黒岩尾根などを同定。
前女峰と七滝沢奥壁。
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12/13 8:57
前女峰と七滝沢奥壁。
ここから眺めたら、1188p(113標p)と三ノ宿山の間に大きな崩壊地があった。
奥に見えるのは高原山塊と大佐飛山塊。
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12/13 8:53
ここから眺めたら、1188p(113標p)と三ノ宿山の間に大きな崩壊地があった。
奥に見えるのは高原山塊と大佐飛山塊。
高原山塊。
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12/13 8:58
高原山塊。
大佐飛山塊。
茶臼岳が顔を出していた。
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12/13 8:56
大佐飛山塊。
茶臼岳が顔を出していた。
月山と夫婦山。
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12/13 8:58
月山と夫婦山。
大笹山の向こうに見える、家老岳と小野岳。
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12/13 8:55
大笹山の向こうに見える、家老岳と小野岳。
古河電気工業。
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12/13 8:58
古河電気工業。
大谷川を挟んだ、向こう側の風景。
2
12/13 8:58
大谷川を挟んだ、向こう側の風景。
夕日岳も。
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12/13 8:59
夕日岳も。
さてそして、大木戸山山頂に到着した。
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12/13 9:00
さてそして、大木戸山山頂に到着した。
大木戸山の三等三角点。
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12/13 9:01
大木戸山の三等三角点。
大木戸山にて記念撮影。
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12/13 9:14
大木戸山にて記念撮影。
薬師岳・茶ノ木平が手に取れるような位置に近づいてきた。
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12/13 9:23
薬師岳・茶ノ木平が手に取れるような位置に近づいてきた。
次はカモガタァーを通過し、丸山へを目指す。
大木戸山からの下り。
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12/13 9:26
次はカモガタァーを通過し、丸山へを目指す。
大木戸山からの下り。
下りながら丸山(1242p)を望む。
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12/13 9:26
下りながら丸山(1242p)を望む。
カモガタァーとはこのあたり一帯をさすのか。
カスミ網を張れるような小さな鞍部が、大木戸山から丸山まで連続していた。
かつて栃木は「東の横綱」と言われるほどカスミ網の盛んな地帯だったと聞いたことがある(西の横綱は岐阜、とか)。
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12/13 9:38
カモガタァーとはこのあたり一帯をさすのか。
カスミ網を張れるような小さな鞍部が、大木戸山から丸山まで連続していた。
かつて栃木は「東の横綱」と言われるほどカスミ網の盛んな地帯だったと聞いたことがある(西の横綱は岐阜、とか)。
カモガタァーにて。
本沢方面(夕日岳方面)を望む。
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12/13 9:39
カモガタァーにて。
本沢方面(夕日岳方面)を望む。
カモガタァーにて。
細尾町・大木戸方面を望む。
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12/13 9:39
カモガタァーにて。
細尾町・大木戸方面を望む。
丸山山頂に到着。
矢印が今日向かうべき薬師岳。
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12/13 9:44
丸山山頂に到着。
矢印が今日向かうべき薬師岳。
丸山から振り返った、大木戸山。
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12/13 9:45
丸山から振り返った、大木戸山。
丸山からシモガタァー・丸山ダルを目指して下り始める。
1
12/13 9:55
丸山からシモガタァー・丸山ダルを目指して下り始める。
「1159峰との間にブナの大木の残る鞍部がある。通称シモガタァーと呼ぶ鞍部である。(p.199)」
下りきったあたりでブナの木が目に入った。
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12/13 9:58
「1159峰との間にブナの大木の残る鞍部がある。通称シモガタァーと呼ぶ鞍部である。(p.199)」
下りきったあたりでブナの木が目に入った。
大木というほどではないけれど、ブナの木。
このあたりがシモガタァーらしい。
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12/13 9:59
大木というほどではないけれど、ブナの木。
このあたりがシモガタァーらしい。
シモガタァーにて。
『全踏査』199頁にて平宿の閼伽をこの谷としているので、南斜面の湧水地を探す。
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12/13 10:00
シモガタァーにて。
『全踏査』199頁にて平宿の閼伽をこの谷としているので、南斜面の湧水地を探す。
ここもかなりの距離と高低差を下った。
降り積もった落ち葉はほとんど腰まで来ていた。
0
12/13 10:15
ここもかなりの距離と高低差を下った。
降り積もった落ち葉はほとんど腰まで来ていた。
湧水発見。
流れはごく小さく、400ccを汲むために100秒要した。
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12/13 10:21
湧水発見。
流れはごく小さく、400ccを汲むために100秒要した。
腰まで落ち葉に埋まりながら尾根まで帰る途中__
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12/13 10:25
腰まで落ち葉に埋まりながら尾根まで帰る途中__
上り返しながら、閼伽の真上あたりに石組を見つけた。
水場を守るための施工だとしたらすごい。
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12/13 10:31
上り返しながら、閼伽の真上あたりに石組を見つけた。
水場を守るための施工だとしたらすごい。
崩落の進む、閼伽のあった谷。
矢印が石組のあったところで、閼伽はそのほぼ真下。
画像左上に明瞭なトラバースがある。
0
12/13 10:33
崩落の進む、閼伽のあった谷。
矢印が石組のあったところで、閼伽はそのほぼ真下。
画像左上に明瞭なトラバースがある。
人が踏んだようにも見える明瞭さだったが、崩落によって途中でかき消えていた。
0
12/13 10:33
人が踏んだようにも見える明瞭さだったが、崩落によって途中でかき消えていた。
シモガタァー戻った。
0
12/13 10:35
シモガタァー戻った。
シモガタァーから望む、大真名子と小真名子。
山裾に細尾発電所の導水路(水圧鉄管)が見える。
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12/13 10:46
シモガタァーから望む、大真名子と小真名子。
山裾に細尾発電所の導水路(水圧鉄管)が見える。
シモガタァーから丸山ダルへは、少し登る。
登りながら見返した丸山。
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12/13 10:48
シモガタァーから丸山ダルへは、少し登る。
登りながら見返した丸山。
登ると、棚部を持つ平坦な稜線が続いていた。
このあたりが丸山ダルかと思われる。
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12/13 10:50
登ると、棚部を持つ平坦な稜線が続いていた。
このあたりが丸山ダルかと思われる。
丸山ダルにて寝そべってみた。
「"平アリ 柴宿ヲ取也"とあるのは、この丸山ダルを指したものと推察される。水場は鞍部シモガタァーの南面にある。(p.199)」
0
12/13 10:54
丸山ダルにて寝そべってみた。
「"平アリ 柴宿ヲ取也"とあるのは、この丸山ダルを指したものと推察される。水場は鞍部シモガタァーの南面にある。(p.199)」
長く平坦な稜線を進めば__
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12/13 10:59
長く平坦な稜線を進めば__
1159pに到達する。
0
12/13 11:03
1159pに到達する。
次はヒノキガタァー(玉木ノ宿)を目指す。
進みながら薬師岳を望む。
1
12/13 11:05
次はヒノキガタァー(玉木ノ宿)を目指す。
進みながら薬師岳を望む。
ヒノキガタァーへ。
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12/13 11:13
ヒノキガタァーへ。
ヒノキガタァーに到着。
2基の石祠と1基の屋根を書いた祠があったが、『全踏査』の記述とは配置が変わっていた。
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12/13 11:18
ヒノキガタァーに到着。
2基の石祠と1基の屋根を書いた祠があったが、『全踏査』の記述とは配置が変わっていた。
p.200の写真とは配置の異なる2基の石祠。
同じ向きにそろえて並べ替えられている。
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12/13 11:30
p.200の写真とは配置の異なる2基の石祠。
同じ向きにそろえて並べ替えられている。
右の碑伝の納められた祠には、文化5年の銘がある。
左の祠には紀年銘はなく、「原町清水 細尾村小平」等の文字が見えた。南南西向き。
「これらはいずれも日光修験者の奉納ではなく、地元村民の奉納である(p.69-70)」
0
12/13 11:16
右の碑伝の納められた祠には、文化5年の銘がある。
左の祠には紀年銘はなく、「原町清水 細尾村小平」等の文字が見えた。南南西向き。
「これらはいずれも日光修験者の奉納ではなく、地元村民の奉納である(p.69-70)」
並んだ石祠の視線の先には夕日岳。
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12/13 11:27
並んだ石祠の視線の先には夕日岳。
石祠と対峙するように聳える夕日岳。
夕日岳がこんなにきれいな山だとは知らなかった。
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12/13 11:32
石祠と対峙するように聳える夕日岳。
夕日岳がこんなにきれいな山だとは知らなかった。
2基の石祠とややはなれて、もう1基「屋根を欠いた石祠(p.200)」がある。
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12/13 11:20
2基の石祠とややはなれて、もう1基「屋根を欠いた石祠(p.200)」がある。
台座は南南西向き。
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12/13 11:25
台座は南南西向き。
ヒノキガタァーから細尾側を望む。
「その昔、日光細尾村と草久村側蕗平を結んだ越路である。夕日岳を谷越しに望むこの越路は、峠道として使われたという。ヒノキガタァーと呼ぶのはこの鞍部である(p.68)」
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12/13 11:16
ヒノキガタァーから細尾側を望む。
「その昔、日光細尾村と草久村側蕗平を結んだ越路である。夕日岳を谷越しに望むこの越路は、峠道として使われたという。ヒノキガタァーと呼ぶのはこの鞍部である(p.68)」
ヒノキガタァー沢側を望む。
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12/13 12:22
ヒノキガタァー沢側を望む。
閼伽の確認していく。
まずは小曾根を下ります。
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12/13 11:33
閼伽の確認していく。
まずは小曾根を下ります。
小曾根は二つの谷にはさまれていた。
出合のあたりで__
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12/13 11:52
小曾根は二つの谷にはさまれていた。
出合のあたりで__
汲めるほどの湧水があった。
400ccを5秒で満水にする水量。
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12/13 11:55
汲めるほどの湧水があった。
400ccを5秒で満水にする水量。
さて、玉木ノ宿についてなのだが__「宿跡は、2基の金剛堂のある稜線上の鞍部ではない。鞍部まで下る手前に山体をトラバースして南に下る古道がある。宿跡はその古道に添った南面の小さな棚部と推定される(p.200)」とされていて、この巻道に気付けなかった。
玉木ノ宿は保留となるが、ヒノキガタァーにはウェイポイントを入れておく。
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12/13 11:30
さて、玉木ノ宿についてなのだが__「宿跡は、2基の金剛堂のある稜線上の鞍部ではない。鞍部まで下る手前に山体をトラバースして南に下る古道がある。宿跡はその古道に添った南面の小さな棚部と推定される(p.200)」とされていて、この巻道に気付けなかった。
玉木ノ宿は保留となるが、ヒノキガタァーにはウェイポイントを入れておく。
しかたがないのでヒノキガタァー稜線の北斜面にあったそれっぽい棚部を撮影。
夕日岳の古名が「玉木」だったら面白いと思ったのだが、明治31年に書かれた夕日岳の点の記(2等「河原小屋」)を閲覧しても「俗称夕日岳」と書かれていて、玉木の名はどこにもない。
日光修験の宿の名は大峯奥駈道の宿名を踏襲したものが多くあるのだが、玉木ノ宿は「玉置宿」に寄せてきているものだ。ここにはは玉置山という山がある。
1
12/13 12:14
しかたがないのでヒノキガタァー稜線の北斜面にあったそれっぽい棚部を撮影。
夕日岳の古名が「玉木」だったら面白いと思ったのだが、明治31年に書かれた夕日岳の点の記(2等「河原小屋」)を閲覧しても「俗称夕日岳」と書かれていて、玉木の名はどこにもない。
日光修験の宿の名は大峯奥駈道の宿名を踏襲したものが多くあるのだが、玉木ノ宿は「玉置宿」に寄せてきているものだ。ここにはは玉置山という山がある。
ヒノキガタァーから見た夕日岳。
夕日が沈むとしたら、どの辺だろう。
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12/13 12:16
ヒノキガタァーから見た夕日岳。
夕日が沈むとしたら、どの辺だろう。
ここから薬師岳への稜線は、ほぼ直線状となる。
1221pを経由し薬師岳へと向かう。
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12/13 12:23
ここから薬師岳への稜線は、ほぼ直線状となる。
1221pを経由し薬師岳へと向かう。
夕日岳の向こうに見える、鳴蟲・羽賀場。
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12/13 12:24
夕日岳の向こうに見える、鳴蟲・羽賀場。
1221pは気付かないうちに通り過ぎていた。
薬師岳が近づくと大きな岩が現れてきて…
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12/13 13:13
1221pは気付かないうちに通り過ぎていた。
薬師岳が近づくと大きな岩が現れてきて…
見覚えのある風景にたどり着く。
東稜から初めて薬師岳に登った。
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12/13 13:20
見覚えのある風景にたどり着く。
東稜から初めて薬師岳に登った。
薬師岳にて記念撮影。
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12/13 13:23
薬師岳にて記念撮影。
薬師岳の山名板と三等三角点「石沢」
明治41年の点の記では「上都賀郡足尾町村字細鈴俗稱石沢山」とされている。現在閲覧できる記録では「日光市大字細尾字白山左沢615林班に₂林小班」
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12/13 13:25
薬師岳の山名板と三等三角点「石沢」
明治41年の点の記では「上都賀郡足尾町村字細鈴俗稱石沢山」とされている。現在閲覧できる記録では「日光市大字細尾字白山左沢615林班に₂林小班」
薬師岳から東の眺めを同定。
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12/13 13:24
薬師岳から東の眺めを同定。
鳴虫山の真っ直ぐ向こうに、八溝山が見えた。
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12/13 13:32
鳴虫山の真っ直ぐ向こうに、八溝山が見えた。
薬師八竜と2基の金剛堂。
「薬師岳山頂部には8個の花崗岩の巨岩が露出している(p.67)」とあるのだが、大岩は8個以上ある。
八大竜王とか八竜権現という言葉があるわけだし、そういう意味でつけられた拝所名では無かろうと思う。
唐梨子山近くの宿跡にも「竜之宿八竜」の名がある。
画像左の金剛堂が寛永9年銘のもの。
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12/13 13:27
薬師八竜と2基の金剛堂。
「薬師岳山頂部には8個の花崗岩の巨岩が露出している(p.67)」とあるのだが、大岩は8個以上ある。
八大竜王とか八竜権現という言葉があるわけだし、そういう意味でつけられた拝所名では無かろうと思う。
唐梨子山近くの宿跡にも「竜之宿八竜」の名がある。
画像左の金剛堂が寛永9年銘のもの。
寛永9年銘金剛堂。
碑伝あり。
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12/13 13:26
寛永9年銘金剛堂。
碑伝あり。
もう1基に紀年銘はない。
ともに石室内にある薄れた印刻は、薬師如来の種子だとのこと(p.68)。
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12/13 13:27
もう1基に紀年銘はない。
ともに石室内にある薄れた印刻は、薬師如来の種子だとのこと(p.68)。
金剛堂の後ろ姿。
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12/13 13:28
金剛堂の後ろ姿。
薬師岳山頂にて。
リューキチ氏による、今年9月24日付の銘が入った温度計あり。
この温度計は三ノ宿山にもあった。
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12/13 13:33
薬師岳山頂にて。
リューキチ氏による、今年9月24日付の銘が入った温度計あり。
この温度計は三ノ宿山にもあった。
半月山・足尾方面を同定。
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12/13 13:43
半月山・足尾方面を同定。
薬師岳から足尾を同定。
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12/13 13:44
薬師岳から足尾を同定。
拡大したら、足尾のセーブオン(現ローソン)が写っていた。
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12/13 13:44
拡大したら、足尾のセーブオン(現ローソン)が写っていた。
薬師岳から笹目倉と羽賀場を望む。
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12/13 13:44
薬師岳から笹目倉と羽賀場を望む。
半月山を望みつつ、細尾峠へ向けて下山開始。
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12/13 13:46
半月山を望みつつ、細尾峠へ向けて下山開始。
下りながら、薬師の肩へ向かう分岐の日光マークがもぎ取られていることに気付いた。
イヤな気分になるな、こういう振る舞いは。
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12/13 13:57
下りながら、薬師の肩へ向かう分岐の日光マークがもぎ取られていることに気付いた。
イヤな気分になるな、こういう振る舞いは。
在りし日の日光マーク。今年9月5日撮影。
脇道にマークがあっては困るという感覚なのかな、こういうことする人は。
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9/5 13:59
在りし日の日光マーク。今年9月5日撮影。
脇道にマークがあっては困るという感覚なのかな、こういうことする人は。
斜面を下り、細尾峠にて旧屋ノ宿を探しに行った。
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12/13 14:09
斜面を下り、細尾峠にて旧屋ノ宿を探しに行った。
細尾峠を見下ろす。
道路を挟んだ向こう側の広場が、旧屋ノ宿比定地。
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12/13 14:10
細尾峠を見下ろす。
道路を挟んだ向こう側の広場が、旧屋ノ宿比定地。
旧屋ノ宿跡。
「古谷宿は"明細書"にあるように間口5間,奥行き2間の建物である。〜中略〜 当時、細尾峠には、腰掛茶屋が1軒あったことが知られている。この茶屋と古谷宿とは互いに隣接していたものと推察される(p.149)」
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12/13 14:20
旧屋ノ宿跡。
「古谷宿は"明細書"にあるように間口5間,奥行き2間の建物である。〜中略〜 当時、細尾峠には、腰掛茶屋が1軒あったことが知られている。この茶屋と古谷宿とは互いに隣接していたものと推察される(p.149)」
指導標脇に立つ木に打ち付けられた碑伝。
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12/13 14:12
指導標脇に立つ木に打ち付けられた碑伝。
閼伽を当たった。
「閼伽場(水場)は、細尾側と足尾側の双方にあって、四季を通して枯れることなく、事欠かない(p.204)」
細尾峠から国道122号線旧道を細尾側へ進み、直近の南斜面の谷へ下りると湧水を見つけた。
1
12/13 14:44
閼伽を当たった。
「閼伽場(水場)は、細尾側と足尾側の双方にあって、四季を通して枯れることなく、事欠かない(p.204)」
細尾峠から国道122号線旧道を細尾側へ進み、直近の南斜面の谷へ下りると湧水を見つけた。
細尾側の閼伽はこれかな?
水量はごく細く、汲みにくそう。
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12/13 14:44
細尾側の閼伽はこれかな?
水量はごく細く、汲みにくそう。
ほかにも湧水がないか下りながら探索したが、細尾側の近場では結局先の水場しか見当たらなかった。
古い石組を眺めながら細尾峠へ戻る。
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12/13 14:46
ほかにも湧水がないか下りながら探索したが、細尾側の近場では結局先の水場しか見当たらなかった。
古い石組を眺めながら細尾峠へ戻る。
足尾側の湧水を探してみる。
道路際に一等水準点がある。
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12/13 14:56
足尾側の湧水を探してみる。
道路際に一等水準点がある。
落ち葉に埋もれていた一等基準点「4113」1192.9763m。
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12/13 14:59
落ち葉に埋もれていた一等基準点「4113」1192.9763m。
そのまま足尾側の湧水を探す。
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12/13 15:04
そのまま足尾側の湧水を探す。
足尾側の閼伽。
細尾側より水量は多く、こちらなら汲める。
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12/13 15:04
足尾側の閼伽。
細尾側より水量は多く、こちらなら汲める。
ほとんど道路際といっていい場所にあった足尾側の閼伽。
__旧屋ノ宿での探し物はまだ続く。
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12/13 15:05
ほとんど道路際といっていい場所にあった足尾側の閼伽。
__旧屋ノ宿での探し物はまだ続く。
峠に戻って掛小屋探し。
「既存の古谷宿とは別棟に、掛小屋があった(p.149)」
『全踏査』148頁に掲載された掛小屋跡の写真通りの場所が見つからず、歩き回った。
ここはその候補地だが、釈然としない。
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12/13 15:16
峠に戻って掛小屋探し。
「既存の古谷宿とは別棟に、掛小屋があった(p.149)」
『全踏査』148頁に掲載された掛小屋跡の写真通りの場所が見つからず、歩き回った。
ここはその候補地だが、釈然としない。
旧屋ノ宿の広場から掛小屋跡候補地を見上げる。
矢印の位置が掛小屋跡候補地の棚部。
茶ノ木平へ向かう通常の登山道入口のすぐ脇だ。
こうしてあたりをうろついてみると、現行の登山道とは別に、古い明瞭な踏跡(古道)の一部が残っていることに驚いた。
掛小屋についてはここまでしか分らなかった。
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12/13 15:21
旧屋ノ宿の広場から掛小屋跡候補地を見上げる。
矢印の位置が掛小屋跡候補地の棚部。
茶ノ木平へ向かう通常の登山道入口のすぐ脇だ。
こうしてあたりをうろついてみると、現行の登山道とは別に、古い明瞭な踏跡(古道)の一部が残っていることに驚いた。
掛小屋についてはここまでしか分らなかった。
もうひとつの探し物、北斜面の棚部。
「宿跡推定地の棚部の北斜面の中腹に人為的に均したと思われる棚部がある(p.204)」
204頁に掲げられた写真の棚部の場所が、最後まで分らなかった。
家で下調べをしているときはこの画像の棚部のことだろうと思っていたのだが、204頁の写真と一致せず。
これも諦める。
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12/13 15:21
もうひとつの探し物、北斜面の棚部。
「宿跡推定地の棚部の北斜面の中腹に人為的に均したと思われる棚部がある(p.204)」
204頁に掲げられた写真の棚部の場所が、最後まで分らなかった。
家で下調べをしているときはこの画像の棚部のことだろうと思っていたのだが、204頁の写真と一致せず。
これも諦める。
ショートカットしながら旧122号線を下った。
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12/13 15:28
ショートカットしながら旧122号線を下った。
古沢橋から名も知れぬ滝を望む。
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12/13 15:58
古沢橋から名も知れぬ滝を望む。
旧国道にはカーブごとにカーブナンバーのプレートが立っている。カーブ4の傍らに一等水準点「4110」があった。
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12/13 16:26
旧国道にはカーブごとにカーブナンバーのプレートが立っている。カーブ4の傍らに一等水準点「4110」があった。
一等水準点「4110」819.2277m
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12/13 16:26
一等水準点「4110」819.2277m
この水準点を挟むように、尾根筋に明瞭な古道が残っていた。
馬がやっとの、細い道。
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12/13 16:25
この水準点を挟むように、尾根筋に明瞭な古道が残っていた。
馬がやっとの、細い道。
古道を下る。
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12/13 16:28
古道を下る。
古道。
ここから下は見失った。
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12/13 16:29
古道。
ここから下は見失った。
現行の国道122号線の高架下をくぐる。
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12/13 16:34
現行の国道122号線の高架下をくぐる。
旧道入口に立つ「長い長い峠道案内図」
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12/13 16:34
旧道入口に立つ「長い長い峠道案内図」
峠の入り口に小さな鳥居があった。。
峠の社だろうか。
かつて旧屋ノ宿にあった延享2年銘の採灯不動尊石像は、現在細尾地内に安置されている(p.153)というが、これも詳細はまだ不明。
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12/13 16:38
峠の入り口に小さな鳥居があった。。
峠の社だろうか。
かつて旧屋ノ宿にあった延享2年銘の採灯不動尊石像は、現在細尾地内に安置されている(p.153)というが、これも詳細はまだ不明。
細尾から望む、丸山。
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12/13 16:39
細尾から望む、丸山。
バス停「奥細尾」に到着。細尾側の始発駅となる。
バスに揺られて、上鉢石まで帰った。
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12/13 16:50
バス停「奥細尾」に到着。細尾側の始発駅となる。
バスに揺られて、上鉢石まで帰った。
毎回レコ見るのすごい楽しみな自分であります!参考資料を携えて山道を歩くthoughtmayさんの姿が目に浮かぶようです。いつか…このルートを歩ける日が来れば良いなと思いました(^ω^)
完成まで待てずにコメントしてしまいました(笑)
次回作!!!
お待ちしております。
タカさん、返信遅れました、
ごめんなさい。
やっと書き上げました。
今回は細尾峠で下りてしまいましたけど、
歌ヶ浜まで回ってバスで帰ってくれば、
大谷川沿いに日光周縁をぐるりと回れるなかなかいいルートになると思います
Bivy映えのいいヤマですよ!
毎年、アカヤシオ、カタクリの時期に同じようなコースを歩いています。thoughtmayさんのおかげで次回からはだいぶ違った視点で歩くことができそうで今からものすごく楽しみです(^_^)。
三ノ宿峠の祠にだけは、毎回、珈琲をお供えしてお手を合わせています。祖父がしていたので自分も真似ているだけですが・・・。多分、祖父はお酒をお供えしていとおもいます。
次回も楽しみにしていますよ〜。
あとG3X復活おめでとうございます!
okushiraneさん、こんばんは。
なかなか書き上げられず、
なんども足を運ばせてしまいました。
コメありがとうございます😊
okushiraneさんが和の代へ抜けたときのレコは拝見してました。
その際のGPXデータも今回携帯させていただいてます。
やはりいいルート歩かれてるなあ、
と感じながらの山行となりました。
三ノ宿の祠に珈琲、そうでしたか。
素敵だなあ‥(*^_^*)
お祖父様にまつわるお話、たまに伺いますけど、いい思い出たくさんお持ちのようですね。
ヤマってやっぱり、色んな人たちの思いが詰まった場所だと感じます。
ヽ(^o^)
このシリーズ、来年にかけてなんとか続けていこうと思っています。
と、とりあえず 薬師岳〜滝が原峠間の宿の場所は脳内インプット完了しました。時間と気力があれば立ち寄って・・・みる予定です。こんどの日曜日は天気いいといいなぁ〜。
三ノ宿の情報どうもありがとうございました。山旅終了後に改めて御礼を。
宿跡に関して、初めてのダイレクトな反応です(笑)
ありがとうございます。
天気予報は押しなべて晴天を伝えていますね。
三ノ宿をはじめ、大谷川南岸の稜線の素晴らしさと言ったらないと、僕も思います
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