旧屋ノ宿跡(細尾峠)にてツェルト泊してみた。
標高1193m、ツェルト内−1℃。
そこそこ結露した。
6
4/23 4:37
旧屋ノ宿跡(細尾峠)にてツェルト泊してみた。
標高1193m、ツェルト内−1℃。
そこそこ結露した。
茶ノ木平までは素直に登山道を歩く。
最初の送電線(路線名が分からない)を通過。
1
4/23 5:34
茶ノ木平までは素直に登山道を歩く。
最初の送電線(路線名が分からない)を通過。
送電線から望む高原山と大佐飛山塊。(復路に撮影)
2
4/23 15:51
送電線から望む高原山と大佐飛山塊。(復路に撮影)
細尾雨量観測所を通過。
0
4/23 5:38
細尾雨量観測所を通過。
1285p傍らにある、2本目の送電線をくぐる。
ここから茶ノ木平まで330mほどの登り。
2
4/23 5:51
1285p傍らにある、2本目の送電線をくぐる。
ここから茶ノ木平まで330mほどの登り。
登山道は1453Pの傍らを通過。
このあたりから__
0
4/23 6:19
登山道は1453Pの傍らを通過。
このあたりから__
岩が出始める。
篭石(カワゴ石)までもうすぐ。
0
4/23 6:22
岩が出始める。
篭石(カワゴ石)までもうすぐ。
男体〜女峰を望む。
以前の山行で見落としていた、カワゴ石手前の水場を探した。
5
4/23 6:24
男体〜女峰を望む。
以前の山行で見落としていた、カワゴ石手前の水場を探した。
水場は登山道のすぐ脇にあった。
カワゴ石のすぐ下にあたる。
4
4/23 7:03
水場は登山道のすぐ脇にあった。
カワゴ石のすぐ下にあたる。
水場。
汲めるほどの水量になるには、やや下る。
2
4/23 6:54
水場。
汲めるほどの水量になるには、やや下る。
汲みやすい水量だったが、周囲に動物の足跡もあったので水質には注意が必要かも知れない。
2
4/23 6:53
汲みやすい水量だったが、周囲に動物の足跡もあったので水質には注意が必要かも知れない。
水場にて。
あまり足を踏み入れたくない雰囲気。
2
4/23 6:58
水場にて。
あまり足を踏み入れたくない雰囲気。
水場から距離200m足らず歩けばカワゴ石(篭岩)が見えた。
地形図に記載された地点より、150mほど西にある。
4
4/23 7:11
水場から距離200m足らず歩けばカワゴ石(篭岩)が見えた。
地形図に記載された地点より、150mほど西にある。
カワゴ石の、胸から上を欠いた金剛童子立像と光背付不動明王立像。
「岩上に光背付不動明王立像と金剛童子立像が待つ。(中略) 特に後者は上半身を欠き胴体だけが直立している(p.158)」とあり、
前者に「建立元禄三年吉日 柴田惣三」、後者に「享保三戊戌□」「願主覺前房」との陰刻があると記述しているが、ともに摩耗して読めなかった。
前者は1690年、後者は1718年。
6
4/23 7:12
カワゴ石の、胸から上を欠いた金剛童子立像と光背付不動明王立像。
「岩上に光背付不動明王立像と金剛童子立像が待つ。(中略) 特に後者は上半身を欠き胴体だけが直立している(p.158)」とあり、
前者に「建立元禄三年吉日 柴田惣三」、後者に「享保三戊戌□」「願主覺前房」との陰刻があると記述しているが、ともに摩耗して読めなかった。
前者は1690年、後者は1718年。
池田さんの記述は像名がおそらく逆になっていると思う。
不動明王立像とされるこの像の服装は、不動明王のものとは思えない。索髪は垂れているが、金剛童子立像はこちらだと思われて仕方がない。
上半身を失った石像は残された左手に羂索を持っていて、不動明王立像そのものかと思われる。
正直のところ金剛童子の像容がはっきりせず、決めかねている。
3
4/23 7:15
池田さんの記述は像名がおそらく逆になっていると思う。
不動明王立像とされるこの像の服装は、不動明王のものとは思えない。索髪は垂れているが、金剛童子立像はこちらだと思われて仕方がない。
上半身を失った石像は残された左手に羂索を持っていて、不動明王立像そのものかと思われる。
正直のところ金剛童子の像容がはっきりせず、決めかねている。
カワゴ石には碑伝があった。
碑伝を打ち込まれた樹木の背後に男体山を望む。
1
4/23 7:16
カワゴ石には碑伝があった。
碑伝を打ち込まれた樹木の背後に男体山を望む。
カワゴ石の次は千泉宿を目指す。
茶ノ木平まで斜面を登りきったその肩に、三角点がある。
1
4/23 7:23
カワゴ石の次は千泉宿を目指す。
茶ノ木平まで斜面を登りきったその肩に、三角点がある。
三等三角点「茶木」1617.95m。
登山道の真ん中にあるが、現況状態正常。
3
4/23 7:23
三等三角点「茶木」1617.95m。
登山道の真ん中にあるが、現況状態正常。
明智平分岐付近の笹藪は相変わらず荒れ気味で、倒木が多い。
2
4/23 7:27
明智平分岐付近の笹藪は相変わらず荒れ気味で、倒木が多い。
茶ノ木平内にある、旧遊歩道の分岐に到着。
茶ノ木平は観光開発のため人の手が入っており、千泉宿跡の所在は不明とのことだが、『全踏査』掲載の地図ではこの分岐の南側に千泉宿がマークされている(p.157)。
「水場を登り詰めると、ミズナラの巨木の根方に小さな金剛堂が残されている(p.208)」とあるので__
3
4/23 7:37
茶ノ木平内にある、旧遊歩道の分岐に到着。
茶ノ木平は観光開発のため人の手が入っており、千泉宿跡の所在は不明とのことだが、『全踏査』掲載の地図ではこの分岐の南側に千泉宿がマークされている(p.157)。
「水場を登り詰めると、ミズナラの巨木の根方に小さな金剛堂が残されている(p.208)」とあるので__
沢水の流れを遡って金剛堂を探してみた。
158頁(と208頁)に書かれている金剛堂が、千泉宿の唯一の痕跡なのだ。
2
4/23 8:00
沢水の流れを遡って金剛堂を探してみた。
158頁(と208頁)に書かれている金剛堂が、千泉宿の唯一の痕跡なのだ。
本流と思われる流れは、半月山分岐あたりが源頭だった。
支流も何本か遡ってみたが、金剛堂は見当たらない。
1
4/23 8:03
本流と思われる流れは、半月山分岐あたりが源頭だった。
支流も何本か遡ってみたが、金剛堂は見当たらない。
茶ノ木平をウロウロしながら男体山を望む。
4
4/23 8:11
茶ノ木平をウロウロしながら男体山を望む。
茶ノ木平に残っている建造物は、以下の4つのみだった。
東から、茶ノ木平雨量観測所。
0
4/23 8:13
茶ノ木平に残っている建造物は、以下の4つのみだった。
東から、茶ノ木平雨量観測所。
栃木県茶ノ木平山中継局。
0
4/23 8:14
栃木県茶ノ木平山中継局。
手前の銘板のない謎のアンテナと、奥の栃木県防災行政無線施設 茶ノ木平中継局。
これらが台地の際に並んで立っていた。
0
4/23 8:15
手前の銘板のない謎のアンテナと、奥の栃木県防災行政無線施設 茶ノ木平中継局。
これらが台地の際に並んで立っていた。
巨木どころかミズナラ自体がほぼ見当たらず、千泉宿の探索は諦めた。
失意のまま先へ進むことにする。
1
4/23 8:26
巨木どころかミズナラ自体がほぼ見当たらず、千泉宿の探索は諦めた。
失意のまま先へ進むことにする。
ここで登山道を離れる。
半月山分岐から、次の拝所「駒擁護」を目指して西へ進む。
2
4/23 8:31
ここで登山道を離れる。
半月山分岐から、次の拝所「駒擁護」を目指して西へ進む。
『全踏査』掲載の地図と説明文に食い違いがあって分かりにくいのだが、要するに四等三角点「砥沢」(1466.58m)のあるピークが駒擁護なのだと思料した。
遊歩道の名残を示す小さな柵跡を越えて、湖に延びる尾根を下った。
3
4/23 8:37
『全踏査』掲載の地図と説明文に食い違いがあって分かりにくいのだが、要するに四等三角点「砥沢」(1466.58m)のあるピークが駒擁護なのだと思料した。
遊歩道の名残を示す小さな柵跡を越えて、湖に延びる尾根を下った。
尾根の先端は切通しで分断されている。
尾根の左斜面へ、眼下の中禅寺湖スカイラインめがけて下った。
(ピンクテープあり)
1
4/23 8:48
尾根の先端は切通しで分断されている。
尾根の左斜面へ、眼下の中禅寺湖スカイラインめがけて下った。
(ピンクテープあり)
中禅寺湖スカイライン上の取付へ出た。
1
4/23 8:51
中禅寺湖スカイライン上の取付へ出た。
下ってきた尾根を見返る。
0
4/23 8:54
下ってきた尾根を見返る。
画像中央の小さなピークが三角点「砥沢」のあるピーク。
風景を同定してみる。
3
4/23 8:55
画像中央の小さなピークが三角点「砥沢」のあるピーク。
風景を同定してみる。
駒擁護側の取付。
1
4/23 8:56
駒擁護側の取付。
取付にて。
ガラの悪そうな猿だなあ。
3
4/23 8:57
取付にて。
ガラの悪そうな猿だなあ。
あっという間にピークに到着した。
1
4/23 9:02
あっという間にピークに到着した。
駒擁護(比定地)の金剛堂があった。
画像中央の白杭が三角点の位置。
やはり157頁及び207頁の地図の駒擁護の地点は、完全に間違っている。
2
4/23 9:02
駒擁護(比定地)の金剛堂があった。
画像中央の白杭が三角点の位置。
やはり157頁及び207頁の地図の駒擁護の地点は、完全に間違っている。
金剛堂。無銘のため建立年不明。
『全踏査』には「北向きに奉納(p.209)」とあるが、ほぼ真西向きに据えられていた。
(現状、金剛堂を拝すると男体山は左手に来る。正面は茶ノ木平)
3
4/23 9:03
金剛堂。無銘のため建立年不明。
『全踏査』には「北向きに奉納(p.209)」とあるが、ほぼ真西向きに据えられていた。
(現状、金剛堂を拝すると男体山は左手に来る。正面は茶ノ木平)
四等三角点「砥沢」1466.58m。
選点は昭和43年で、池田さんがこの地を訪れたときにもこの三角点はここに在ったはずである。
なぜ池田さんは『全踏査』にこのことを書かなかったのだろうか?
駒擁護は「砥沢」の脇にある、と書いてくれれば万人に伝わる表現となるのに。
1
4/23 9:06
四等三角点「砥沢」1466.58m。
選点は昭和43年で、池田さんがこの地を訪れたときにもこの三角点はここに在ったはずである。
なぜ池田さんは『全踏査』にこのことを書かなかったのだろうか?
駒擁護は「砥沢」の脇にある、と書いてくれれば万人に伝わる表現となるのに。
三角点「砥沢」は金属標である。
ICタグ付。
2
4/23 9:06
三角点「砥沢」は金属標である。
ICタグ付。
周囲に碑伝は見当たらない。
取付まで戻り、歌ヶ浜に下る谷筋を探しに行く。
0
4/23 9:06
周囲に碑伝は見当たらない。
取付まで戻り、歌ヶ浜に下る谷筋を探しに行く。
中禅寺スカイラインから下るべき谷を見下ろす。
ガードレールの切れ目から谷へ入った。
この谷が歌ヶ浜に下る旧道だという(p.208では"稜線上"と書かれている)。
「(北向きに奉納されている)金剛堂を拝する時は湖面を背にして、南を向いて法施を行うことになる。(中略)"左ノ沢ニ付テ駈レハ歌之浜ニ着也"という記述を考察すると、ピークの左側(東側)が、"歌之浜"であることを示している(p.209)」
西向きの金剛堂に東を向いて拝しても、まあ「左ノ沢」といえなくはない。
1
4/23 9:11
中禅寺スカイラインから下るべき谷を見下ろす。
ガードレールの切れ目から谷へ入った。
この谷が歌ヶ浜に下る旧道だという(p.208では"稜線上"と書かれている)。
「(北向きに奉納されている)金剛堂を拝する時は湖面を背にして、南を向いて法施を行うことになる。(中略)"左ノ沢ニ付テ駈レハ歌之浜ニ着也"という記述を考察すると、ピークの左側(東側)が、"歌之浜"であることを示している(p.209)」
西向きの金剛堂に東を向いて拝しても、まあ「左ノ沢」といえなくはない。
道型は分らなかったので、馬鹿正直に一番えぐれた部分を歩いた。
落ち葉と崩れた凍土とが堆積していて、膝までズボズボ埋まりながら歩く。
湧水は無かった。
1
4/23 9:14
道型は分らなかったので、馬鹿正直に一番えぐれた部分を歩いた。
落ち葉と崩れた凍土とが堆積していて、膝までズボズボ埋まりながら歩く。
湧水は無かった。
崩れた谷部を見返る。
この峡部へ入り込まず、左岸側を歩けばスマートに下りられたようだ。
1
4/23 9:21
崩れた谷部を見返る。
この峡部へ入り込まず、左岸側を歩けばスマートに下りられたようだ。
歌ヶ浜が近づくと3枚の谷止が連なっている。
谷止の銘板には、3基とも「立木」とあった。
1
4/23 9:23
歌ヶ浜が近づくと3枚の谷止が連なっている。
谷止の銘板には、3基とも「立木」とあった。
下り切れば歌ヶ浜第2駐車場に到着。
0
4/23 9:29
下り切れば歌ヶ浜第2駐車場に到着。
中禅寺に着いた。
男体山と中禅寺波之利大黒天堂。
3
4/23 9:31
中禅寺に着いた。
男体山と中禅寺波之利大黒天堂。
中禅寺から今来た道を見返る。
画像右のピークが駒擁護比定地、中央の谷が左ノ沢。
1
4/23 9:41
中禅寺から今来た道を見返る。
画像右のピークが駒擁護比定地、中央の谷が左ノ沢。
中禅寺は拝観料500円。
境内の採灯護摩壇を見たいのだが
恥ずかしながら250円しか所持していなかったので__
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4/23 9:38
中禅寺は拝観料500円。
境内の採灯護摩壇を見たいのだが
恥ずかしながら250円しか所持していなかったので__
今年正月に撮った写真でお茶を濁す。
中禅寺境内の採灯護摩壇と__
2
1/3 9:22
今年正月に撮った写真でお茶を濁す。
中禅寺境内の採灯護摩壇と__
不動明王座像。
2
1/3 9:21
不動明王座像。
中禅寺はもともとここにあった寺院ではない。
現在の二荒山神社中宮祠にあった中禅寺(伝承の神宮寺か)がこの場所に移されたのは、明治35年の観音薙の山津波によって元の中禅寺が流されてからだという。日光山縁起絵巻(享保以前か)を見ると、歌ヶ浜にはもともと大きな鳥居と3宇のお堂があったことが分かる。
画像は中禅寺傍らに残る足尾道を示すみちしるべ。
2
4/23 9:36
中禅寺はもともとここにあった寺院ではない。
現在の二荒山神社中宮祠にあった中禅寺(伝承の神宮寺か)がこの場所に移されたのは、明治35年の観音薙の山津波によって元の中禅寺が流されてからだという。日光山縁起絵巻(享保以前か)を見ると、歌ヶ浜にはもともと大きな鳥居と3宇のお堂があったことが分かる。
画像は中禅寺傍らに残る足尾道を示すみちしるべ。
中禅寺門前。
"レーク岡甚"の黄色い看板は、中禅寺山から歌ヶ浜を探すときにいい目印になった。
1
4/23 9:37
中禅寺門前。
"レーク岡甚"の黄色い看板は、中禅寺山から歌ヶ浜を探すときにいい目印になった。
久しぶりに訪れた中禅寺湖.
5
4/23 9:40
久しぶりに訪れた中禅寺湖.
ちょっと観光モードで、ぶらり。
4
4/23 9:40
ちょっと観光モードで、ぶらり。
まだ雪の残る奥白根。
7
4/23 9:42
まだ雪の残る奥白根。
『全踏査』では、歌之浜宿には夏峯で2泊、華供峯では20泊していたとまとめてある。池田さんは次に目指す中禅寺山を、その逗留中に拝所としてピストンした場所として記述している。
歌ヶ浜から中禅寺山へは、先ほど下った"左ノ沢"から稜線に乗るのが筋かもしれないが、この日は狸窪から半月峠に乗った。
歌ヶ浜からは中禅寺山頂はもう一つ見えにくい。
中央の尖ったピークは社山。
中禅寺山にある、とある標石を探しに出発する。
3
4/23 9:42
『全踏査』では、歌之浜宿には夏峯で2泊、華供峯では20泊していたとまとめてある。池田さんは次に目指す中禅寺山を、その逗留中に拝所としてピストンした場所として記述している。
歌ヶ浜から中禅寺山へは、先ほど下った"左ノ沢"から稜線に乗るのが筋かもしれないが、この日は狸窪から半月峠に乗った。
歌ヶ浜からは中禅寺山頂はもう一つ見えにくい。
中央の尖ったピークは社山。
中禅寺山にある、とある標石を探しに出発する。
イタリア大使館を通過。
1
4/23 10:17
イタリア大使館を通過。
震災から6年、今年からヒメマスのみ持ち帰り解禁となった。
6年間の長い戦い、関係者の皆さんの心中察するに余りある。
3
4/23 10:20
震災から6年、今年からヒメマスのみ持ち帰り解禁となった。
6年間の長い戦い、関係者の皆さんの心中察するに余りある。
中禅寺東岸を行く。
僕にとってここは"世界で一番好きな場所暫定第1位"であり続けている。
矢印が中禅寺山。
8
4/23 10:22
中禅寺東岸を行く。
僕にとってここは"世界で一番好きな場所暫定第1位"であり続けている。
矢印が中禅寺山。
狸窪の分岐から半月峠へ向かう。
ここから先を歩くのは初めてだ。
0
4/23 10:34
狸窪の分岐から半月峠へ向かう。
ここから先を歩くのは初めてだ。
峠まで、登山道として道は綺麗に整備されているのだが__
0
4/23 10:40
峠まで、登山道として道は綺麗に整備されているのだが__
古い街道の面影が多く残っていた。
1
4/23 10:45
古い街道の面影が多く残っていた。
岩に遺された筆跡を見つけた。
"栃木県足尾山中居住人"云々とある。
3
4/23 10:57
岩に遺された筆跡を見つけた。
"栃木県足尾山中居住人"云々とある。
半月峠が見えてきた。
0
4/23 11:16
半月峠が見えてきた。
半月峠に立つと、目の前に足尾の山々が広がっていた。
4
4/23 11:17
半月峠に立つと、目の前に足尾の山々が広がっていた。
軽く昼食を摂ってから、中禅寺山へ。
1
4/23 11:44
軽く昼食を摂ってから、中禅寺山へ。
この稜線には御料局境界標石が並ぶ。
これは"界甲五三"
3
4/23 11:47
この稜線には御料局境界標石が並ぶ。
これは"界甲五三"
細長い中禅寺山山頂が見えてきた。
画像左が山頂。
そして右側の小丘に__
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4/23 12:10
細長い中禅寺山山頂が見えてきた。
画像左が山頂。
そして右側の小丘に__
探していた御料境境界標石”界甲五五"を見つけた。
側面に"字 松立山"と彫ってある。
「旗矛山は松立山と同じ役割を担っていた。松立山は"結界"を解くための儀式を行う山である。(中略) 松立山なる名称が境界標石柱に残ったことは、かつて、このピークを松立山と呼んでいた時期があったことを示している(p.210)」
失われた地名がここに刻印されていたわけだ。
4
4/23 11:53
探していた御料境境界標石”界甲五五"を見つけた。
側面に"字 松立山"と彫ってある。
「旗矛山は松立山と同じ役割を担っていた。松立山は"結界"を解くための儀式を行う山である。(中略) 松立山なる名称が境界標石柱に残ったことは、かつて、このピークを松立山と呼んでいた時期があったことを示している(p.210)」
失われた地名がここに刻印されていたわけだ。
中禅寺湖に面した側には"字スリバチ久保"と刻まれている。
この地点が字境だったのだろうと思われる。
3
4/23 11:54
中禅寺湖に面した側には"字スリバチ久保"と刻まれている。
この地点が字境だったのだろうと思われる。
このシリーズ山行,鉢△埜てきた、神橋近くの「松立山」と同様に、ここでも「指立」と称する松焼の作法が行われたのだと思われる。
3
4/23 11:55
このシリーズ山行,鉢△埜てきた、神橋近くの「松立山」と同様に、ここでも「指立」と称する松焼の作法が行われたのだと思われる。
中禅寺山から歌ヶ浜を望む。
中禅寺門前"レーク岡甚"の黄色い看板が見える。
中禅寺は見えないが、往古の人々はどこから篝火を眺めたんだろう。
2
4/23 11:57
中禅寺山から歌ヶ浜を望む。
中禅寺門前"レーク岡甚"の黄色い看板が見える。
中禅寺は見えないが、往古の人々はどこから篝火を眺めたんだろう。
界甲五五と中禅寺山頂。
2
4/23 11:55
界甲五五と中禅寺山頂。
はじめての中禅寺山にて__
1
4/23 11:59
はじめての中禅寺山にて__
記念撮影。
GWに備えて歩荷練中。
3
4/23 12:04
記念撮影。
GWに備えて歩荷練中。
中禅寺山から半月山を望む。
『全踏査』をめぐる今日の探査はここまで。
あとは遊山気分で、ゆるゆると稜線を歩いて帰ります。
1
4/23 12:09
中禅寺山から半月山を望む。
『全踏査』をめぐる今日の探査はここまで。
あとは遊山気分で、ゆるゆると稜線を歩いて帰ります。
半月峠と半月山。
以下、初めて歩くコースなので細かく記録しておく。
2
4/23 12:13
半月峠と半月山。
以下、初めて歩くコースなので細かく記録しておく。
半月山を登りながら眺めた足尾。
中倉山の尾根も塔ノ峰も尾根も、袈裟丸も皇海もみんな見える。
3
4/23 12:21
半月山を登りながら眺めた足尾。
中倉山の尾根も塔ノ峰も尾根も、袈裟丸も皇海もみんな見える。
手前は半月山〜見晴茶屋跡〜赤倉の尾根。
横根山も桐生の山も、みんな見える。
中禅寺スカイラインが足尾まで延びていたら…
僕らは今頃、どんな山歩きをしてたんだろうね。
3
4/23 12:33
手前は半月山〜見晴茶屋跡〜赤倉の尾根。
横根山も桐生の山も、みんな見える。
中禅寺スカイラインが足尾まで延びていたら…
僕らは今頃、どんな山歩きをしてたんだろうね。
登りながら同定。
4
4/23 12:24
登りながら同定。
半月山は、山頂の西側に展望台がある。
1
4/23 12:48
半月山は、山頂の西側に展望台がある。
展望台から。
湖の蒼さがひときわ深い日だった。
9
4/23 12:36
展望台から。
湖の蒼さがひときわ深い日だった。
八丁出島。
4
4/23 12:39
八丁出島。
勝道上人の分骨が埋められたと伝えられる上野島。
4
4/23 12:39
勝道上人の分骨が埋められたと伝えられる上野島。
展望台から半月山山頂まで、やや歩く。
半月山山名板は太い木杭だった。
1
4/23 12:53
展望台から半月山山頂まで、やや歩く。
半月山山名板は太い木杭だった。
三等三角点「半月丸」1753.22m。
現況状態正常。
2
4/23 12:54
三等三角点「半月丸」1753.22m。
現況状態正常。
「半月丸」から少し東に、山林局の主三角点が残っていた。
2
4/23 12:56
「半月丸」から少し東に、山林局の主三角点が残っていた。
茶ノ木平に向けて中禅寺湖南稜を東へ歩く。
開けた場所からは夕日岳や横根山が良く見えた。
1
4/23 13:09
茶ノ木平に向けて中禅寺湖南稜を東へ歩く。
開けた場所からは夕日岳や横根山が良く見えた。
中禅寺湖展望台に到着。
駐車場の向こうに見える狸山を目指す。
0
4/23 13:37
中禅寺湖展望台に到着。
駐車場の向こうに見える狸山を目指す。
展望台からの眺め。
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4/23 13:40
展望台からの眺め。
半月山の取付は駐車場の片隅にあった。
ドコモのアンテナが目印。
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4/23 13:36
半月山の取付は駐車場の片隅にあった。
ドコモのアンテナが目印。
駐車場から半月山を振り返る。
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4/23 13:47
駐車場から半月山を振り返る。
あっという間に狸山に到着。
山頂に聳える2本のアンテナは狸山消防無線基地局と、とちぎテレビの中継局。
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4/23 13:58
あっという間に狸山に到着。
山頂に聳える2本のアンテナは狸山消防無線基地局と、とちぎテレビの中継局。
狸山山頂。
こちらも木杭の山名板。
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4/23 14:00
狸山山頂。
こちらも木杭の山名板。
いよいよ茶ノ木平に登り返す。
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4/23 14:05
いよいよ茶ノ木平に登り返す。
鞍部は中禅寺スカイラインの切通し。
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4/23 14:10
鞍部は中禅寺スカイラインの切通し。
取付くとすぐに__
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4/23 14:12
取付くとすぐに__
展望台があった。
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4/23 14:18
展望台があった。
展望台からの眺め。
男体山が駒擁護の鞍部越しに見える。
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4/23 14:19
展望台からの眺め。
男体山が駒擁護の鞍部越しに見える。
展望台から茶ノ木平はすぐだった。
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4/23 14:19
展望台から茶ノ木平はすぐだった。
復路も千泉宿の金剛堂を探して、茶ノ木平をうろついた。
明智平と細尾峠の分岐に到着。
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4/23 14:59
復路も千泉宿の金剛堂を探して、茶ノ木平をうろついた。
明智平と細尾峠の分岐に到着。
せっかくなので明智平側にある展望台に立ち寄った。
華厳の滝、見えるのかな?
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4/23 15:02
せっかくなので明智平側にある展望台に立ち寄った。
華厳の滝、見えるのかな?
滝、見えねえ〜〜!
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4/23 15:04
滝、見えねえ〜〜!
でもここが今日の見納めとなる展望台となった。
男体山。
2
4/23 15:03
でもここが今日の見納めとなる展望台となった。
男体山。
大真名子と女峰。
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4/23 15:04
大真名子と女峰。
細尾峠に帰ってきた。
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4/23 15:54
細尾峠に帰ってきた。
この文調…
この内容…
この写真…
これぞthoughtmayさんの素晴らしい記録です!!読んでるうちに、自分が三峯五禅探索を歩いて行く気持ちにさせられる不思議な記録🍀
引き続き楽しみにしてまぁ〜す(^^)v
いやいや、恐縮です。
コメありがとうございます(*´▽`*)
やっと書き終えました(笑)
三峯五禅頂のみちはすべて、今年中に歩いておきたいと考えています。
閼伽探しも含めて、楽しいよ♪
タカさんが奥日光巡りをした際にも
ぜひ、宿跡を訪ねてみてください(^O^)/
じゃあ……、
待っててくんさい!!
これから足尾行の写真、選びますけん!!!
thoughtmayさんの軌跡は参考になります!
十分活用させて頂きます(笑)
足尾記録はゆっくりで大丈夫ですからね〜
楽しかった記録残せれば⭕⭕⭕⭕であります(^^)v
明後日、テン泊山行に行きたいから…
時間がないのでガンバります!!笑
今日、明智平から茶ノ木平、細尾峠経由で八汐の湯まで歩きました。自分は花目的でしたが、古い祠を時々見かけてthoughtmayさんのことを思い出しました。今年のアカヤシオは昨年より遅く、歴史に加え、花と新緑もこれからの季節楽しめそうですね。
ご無沙汰してます☺
相変わらずいいルート歩かれます。
(もしかしてさらに登り返して三ノ宿経由でしょうか)
所々歩いているとき、
「Ultreiaさん、いったいどこを歩いているやら…」
などと親しく思い返したりしています。
先日の大佐飛行、楽しく拝見しました。
また思い立ったらレコ上げてみてください。
僕みたいに、Ultreiaさんのレコ楽しみにしてる人、
いっぱいいると思いますよ。
気が向いたらご一緒しましょう!
(^O^)/
thoughtmayさん こんばんは〜。
このシリーズの続きを楽しみにしていました!
会社でこのページを眺めていたら集中しすぎて休憩時間を過ぎたのにも気が付かず、
注意されてしまいましたよw GW期間中で仕事にはぜんぜん身が入らないのにw
帰宅してから続きも全部読ませて頂きましたが相変わらず素晴らしい内容で感服いたしました。
自分は半月山(西)展望台から眺める男体山と中禅寺湖の景色が「暫定第1位」です。今ぐらいから梅雨前ぐらいまでの快晴時はホントに素晴らしい眺めです。コバエが多いのが難点ですが・・・。
次回のレコも楽しみにしております。
もしも、お手数でなければ今週末の三の宿山周辺の
アカヤシオ、リアルタイム開花情報が欲しいのですが・・・。もし覚えていて、かつ時間に余裕があったらで構いませんのでメールとか頂けないでしょうか?
へんなお願いで、申し訳ありません。
ではまた〜。
お世話になっております☺
ああ、お仕事中でしたか… ;つД`)
僕は今、夜勤をひとつ、やっつけてきたところです!
相変わらず何も知らずに歩いていますが
半月山のあの展望台は素晴らしかったです。
最初は展望台の手摺りに乗っかって写真を撮っていたのですが、
だんだんチビッ子たちが増えてきたので自重しました。
あんな場所に家族で歩いてくる人たちって、
みんないい人たちばかりでした〜。
アカヤシオの件、了解です!
「何分咲き」という感覚があまりないので
(まずトレビアが頭に浮かんでしまう)
頓珍漢なお答えになるかもしれませんが
その点ご寛容にお願いいたしまーす('◇')ゞ
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