飯盛山電波塔:正丸駅・松尾山から柏木尾根・西吾野駅へ
- GPS
- 08:18
- 距離
- 15.0km
- 登り
- 983m
- 下り
- 1,035m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2018年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所なし、殆ど道標はないがGPSで確認 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ズボン
靴下
グローブ
日よけ帽子
靴
ザック
昼ご飯
行動食
飲料
地図(地形図)
コンパス
笛
ヘッドランプ
GPS
筆記用具
ファーストエイドキット
常備薬
保険証
携帯
サングラス
|
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感想
連休の合間で好天に恵まれ静かな山行を体験できた。柏木尾根から林道に出ると、地元の方々数人が車座になって談笑していた。休日になるとブナ峠からの林道にオートバイが多く行動し、ほこりなど登山者は嫌がっているとの話だった。
奥武蔵の気になっていた尾根2本を通過できた。取り付きの林道の重複を避けるため正丸駅から尾根を越えて入った。
奥武蔵の尾根から見えた電波塔4ヶ所:日和田山・甲仁田山・飯盛山・日ノ出山周辺がこれで全て確認できた。
今回の行動地域である北川地域に興味を持った。道標などに秩父郡北川と記載されていたような気がする、高麗川流域だと思うが流域を離れて秩父との関係が強いのだろうか?
写真で示した旧北川小学校校舎で現在残っているのは明治時代に作られたものだそうだ。大正時代のものは以下に2012年当時の写真がある。
https://ameblo.jp/nascochan/entry-11161881172.html
付近の小学校の沿革では、「埼玉県飯能市立 北川小学校 (廃校) 明治7年創立。平成5年に119年の歴史に幕を閉じ た。 北川小は南川小と創立も廃校も同じくして、吾野小に統合された」ようだ。
また飯能市は、以下の方針のようだ。
平成5年に廃校となった旧北川小学校(北川620)の木造平屋「大正校舎」(大正10年建設)を年内にも解体する。28年度予算に費用を計上済みで、9月に解体工事の入札を予定している。
旧北川小には正門から見て、左側に「明治校舎」、右側に大正校舎の主に2棟があり、解体が決定している大正校舎には音楽室、理科室、裁縫室が設けられていた。
一方、明治校舎=写真=については地域コミュニティなどの目的で調理場なども設けられているため、解体せず、保存する。
http://www.bunkashinbun.co.jp/wp/2016/08/17/
旧北川小 古き良き山間の学び舎
一方現在僕の住んでいる地域でもっとも古い所沢小学校の沿革は以下である。明治6年:所沢学校創立、所沢浦町薬王寺を校舎にあてる。同9年:浦町薬王寺西側に校舎を新築する。同20年:高等小学校を設置する。同25年:高等小学校が所沢町ほか2ケ村の組合立高等小学校となる。同32年 大字三本木(現在の所在地)に校舎を新築して、組合立高等小学校を移す。高等小学校が所沢町公立高等小学校となる。
昭和の中頃まで長期にわたって安定していた地域が徐々に変わっていく過程が垣間見られる。
ちなみに飯能の小学校(廃校)は以下の様だ
https://haikyo.info/search.php?sw=%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%80%80%E9%A3%AF%E8%83%BD
南川小学校(飯能市)2929埼玉県飯能市南川154
南川小学校は埼玉県飯能市にあった学校。 明治7年創立、平成5年閉校。昭和12年に建てられた校舎と明治37年に建てられた旧校舎が残っている。 保存・管理されており、映画のロケ地などとして活用されてい
高山小学校(飯能市)2121埼玉県飯能市高山
高山小学校は埼玉県飯能市にあった学校。 明治7年創立。昭和41年に西川小学校に統合され閉校となった。 高山不動尊の敷地内にある。
北川小学校(飯能市)2020埼玉県飯能市北川
北川小学校は埼玉県飯能市にあった学校。 明治7年創立、平成5年閉校。 現在は映画のロケ地などとして活用されている。
南川小学校(飯能市)については、以下の情報もあり機会も見て確認したい。
「旧南川小学校 ☆ 誌上エコツアー」 飯能市
http://www.townfactory.jp/news/1568.html
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