バスを八幡宮前で降りたら、まずは事任八幡宮にお参りします。境内の木々が素晴らしい。
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12/29 8:43
バスを八幡宮前で降りたら、まずは事任八幡宮にお参りします。境内の木々が素晴らしい。
では、八幡宮を出て日坂宿に向かいます。
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12/29 8:58
では、八幡宮を出て日坂宿に向かいます。
秋葉山の常夜灯が、この日坂宿の中に3基ありました。
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12/29 9:01
秋葉山の常夜灯が、この日坂宿の中に3基ありました。
賜硯堂と称した書家の、成瀬大域の出生の地だそうです。
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12/29 9:04
賜硯堂と称した書家の、成瀬大域の出生の地だそうです。
日坂宿では木戸の代わりに、古宮橋の掛かる逆川のこの場所が、下木戸となっていたそうです。
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12/29 9:06
日坂宿では木戸の代わりに、古宮橋の掛かる逆川のこの場所が、下木戸となっていたそうです。
日坂宿の高札場です。奉行の名前による高札も幾つか展示されてました。
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12/29 9:07
日坂宿の高札場です。奉行の名前による高札も幾つか展示されてました。
旅籠の「川坂屋」です。比較的身分の高い人が泊まったところだそうです。週末に内部を公開してますが、この日は年末年始のお休みでした。
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12/29 9:10
旅籠の「川坂屋」です。比較的身分の高い人が泊まったところだそうです。週末に内部を公開してますが、この日は年末年始のお休みでした。
法讃寺。この隣には、日坂最後の問屋役を務めた伊藤文七邸の「藤文」という商家がありますが、わりといたんでいるなあ。
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12/29 9:14
法讃寺。この隣には、日坂最後の問屋役を務めた伊藤文七邸の「藤文」という商家がありますが、わりといたんでいるなあ。
旅籠の「萬屋」です。川坂屋と比べたら、比較的身分の低い人が泊まったところだそうです。
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12/29 9:14
旅籠の「萬屋」です。川坂屋と比べたら、比較的身分の低い人が泊まったところだそうです。
日坂宿の本陣跡です。日坂宿の火事で全焼し、再建後の明治に店を閉じたとあります。その後の家屋は日坂小学校として利用されたのですが、現存していません。
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12/29 9:28
日坂宿の本陣跡です。日坂宿の火事で全焼し、再建後の明治に店を閉じたとあります。その後の家屋は日坂小学校として利用されたのですが、現存していません。
では、日坂宿を離れて、沓掛に向かいます。この辺りからとんでもない登り坂になります。
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12/29 9:31
では、日坂宿を離れて、沓掛に向かいます。この辺りからとんでもない登り坂になります。
この辺りの、日坂宿を出てから沓掛を経て小夜の中山公園までですが、坂の傾斜がすごいっす。何だってこんなところへ、わざわざ街道を通したのか、と思います。
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12/29 9:42
この辺りの、日坂宿を出てから沓掛を経て小夜の中山公園までですが、坂の傾斜がすごいっす。何だってこんなところへ、わざわざ街道を通したのか、と思います。
確かに尾根の上だったら水害や、がけ崩れには遭いにくいのでしょうけど。生活に必要なだけの水が、こういうところで確保できたのか疑問です。
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12/29 9:48
確かに尾根の上だったら水害や、がけ崩れには遭いにくいのでしょうけど。生活に必要なだけの水が、こういうところで確保できたのか疑問です。
夜泣き石跡です。かつて夜泣き石は絵にある通り、この場所の街道の真ん中にあったそうです。
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12/29 9:54
夜泣き石跡です。かつて夜泣き石は絵にある通り、この場所の街道の真ん中にあったそうです。
この辺りには、最近植えたと思われる広葉樹が並んでいます。よく整備されて手が込んでます。
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12/29 9:59
この辺りには、最近植えたと思われる広葉樹が並んでいます。よく整備されて手が込んでます。
写真の左側には「妊婦の墓」が、右側には松尾芭蕉の「馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり」という句碑があります。
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12/29 10:04
写真の左側には「妊婦の墓」が、右側には松尾芭蕉の「馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり」という句碑があります。
天気も良く、みどころはいっぱいあり、時間にも余裕があります。楽なルートではありませんが、ぼちぼち行きましょう。
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12/29 10:06
天気も良く、みどころはいっぱいあり、時間にも余裕があります。楽なルートではありませんが、ぼちぼち行きましょう。
馬頭観音の石碑です。この辺りには多くの伝説と石碑があります。
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12/29 10:08
馬頭観音の石碑です。この辺りには多くの伝説と石碑があります。
白山神社という小さな祠があります。ここの手前にも歌碑がありました。「東路のさやの中山さやかにも見えぬ雲井に世をや尽くさん」。
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12/29 10:26
白山神社という小さな祠があります。ここの手前にも歌碑がありました。「東路のさやの中山さやかにも見えぬ雲井に世をや尽くさん」。
また松尾芭蕉の石碑があります。「道のべの木槿は馬にくはれけり」。
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12/29 10:30
また松尾芭蕉の石碑があります。「道のべの木槿は馬にくはれけり」。
お茶の畑がずっと、ずっと続きます。
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12/29 10:35
お茶の畑がずっと、ずっと続きます。
左側の近くて茶の字に刈り込んである山が粟ヶ岳なのだけど。右のずっと奥に白く光っている山は、たぶん南アルプスのどこかなんだろうか。
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12/29 10:42
左側の近くて茶の字に刈り込んである山が粟ヶ岳なのだけど。右のずっと奥に白く光っている山は、たぶん南アルプスのどこかなんだろうか。
神明神社と、また歌碑があります。「甲斐が嶺ははや雪しろし神無月しぐれてこゆるさやの中山」。
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12/29 10:47
神明神社と、また歌碑があります。「甲斐が嶺ははや雪しろし神無月しぐれてこゆるさやの中山」。
佐夜鹿(小夜の中山)の一里塚です。
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12/29 10:52
佐夜鹿(小夜の中山)の一里塚です。
一里塚の手前ですが、鎧塚跡がありました。「建武二年に北条氏の名越邦時がここで、足利氏の北条頼国と戦い討ち死にした」。
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12/29 10:53
一里塚の手前ですが、鎧塚跡がありました。「建武二年に北条氏の名越邦時がここで、足利氏の北条頼国と戦い討ち死にした」。
峠の茶屋「扇屋」さんです。買い物して、話をして、休憩させてもらってます。子育て飴が有名なところ。
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12/29 11:05
峠の茶屋「扇屋」さんです。買い物して、話をして、休憩させてもらってます。子育て飴が有名なところ。
扇屋さんの向かい側が小夜の中山公園で、そこに西行法師の歌碑「年たけてまた越ゆべしとおもひきや命なりけりさやの中山」があります。
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12/29 11:20
扇屋さんの向かい側が小夜の中山公園で、そこに西行法師の歌碑「年たけてまた越ゆべしとおもひきや命なりけりさやの中山」があります。
久延寺と、夜泣き石と。さらには何もないけど接待茶屋の跡だそうです。
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12/29 11:24
久延寺と、夜泣き石と。さらには何もないけど接待茶屋の跡だそうです。
久延寺を過ぎると、街道は下り坂になります。
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12/29 11:32
久延寺を過ぎると、街道は下り坂になります。
いったん菊川まで下って、それからまた向かい側の山の高さにまで登り返します。菊川では今、バイパスの工事が大々的に行われています。
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12/29 11:36
いったん菊川まで下って、それからまた向かい側の山の高さにまで登り返します。菊川では今、バイパスの工事が大々的に行われています。
菊川へ下りました。ここ菊川は本来のいわゆる宿場ではありませんが、日坂宿から金谷宿まではハードルが高いので、こうやって間にまるで宿場みたいなところがあります。
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12/29 11:52
菊川へ下りました。ここ菊川は本来のいわゆる宿場ではありませんが、日坂宿から金谷宿まではハードルが高いので、こうやって間にまるで宿場みたいなところがあります。
四群の辻を過ぎ、菊川の里会館に着きました。ここも年末年始のお休みですが、トイレは使えて助かりました。中納言藤原宗行の辞世の詩と、日野俊基の碑があります。
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12/29 11:58
四群の辻を過ぎ、菊川の里会館に着きました。ここも年末年始のお休みですが、トイレは使えて助かりました。中納言藤原宗行の辞世の詩と、日野俊基の碑があります。
菊川の昔を記した看板が出ていました。菊川神社も近いですが、最近できた神社だから今回はパスしました。
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12/29 12:01
菊川の昔を記した看板が出ていました。菊川神社も近いですが、最近できた神社だから今回はパスしました。
左上に進みます。菊川は菜飯田楽が有名なんですが、またいつか食べに行くとしましょう。
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12/29 12:05
左上に進みます。菊川は菜飯田楽が有名なんですが、またいつか食べに行くとしましょう。
法音寺です。この奥には中納言藤原宗行卿の塚が寄り道コースとして案内されていましたが、パスしてます。
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12/29 12:07
法音寺です。この奥には中納言藤原宗行卿の塚が寄り道コースとして案内されていましたが、パスしてます。
さあ、メインイベントの石畳がはじまります。
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12/29 12:09
さあ、メインイベントの石畳がはじまります。
菊川坂を上ります。
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12/29 12:10
菊川坂を上ります。
私たちは4人とも、それなりに山々を登ったり下ったりしているから、何とかなりますが。普段あんまり運動していないひとだと、ここの街道歩きは結構きついと思います。
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12/29 12:13
私たちは4人とも、それなりに山々を登ったり下ったりしているから、何とかなりますが。普段あんまり運動していないひとだと、ここの街道歩きは結構きついと思います。
いったん登り切りました。
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12/29 12:28
いったん登り切りました。
諏訪原城跡に向かいます。
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12/29 12:36
諏訪原城跡に向かいます。
諏訪原城跡は、はるか昔に来た時には木々が多くて、何がどうなっているのか良く分からなかったですが。ずいぶんすっきりしてました。
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12/29 12:38
諏訪原城跡は、はるか昔に来た時には木々が多くて、何がどうなっているのか良く分からなかったですが。ずいぶんすっきりしてました。
諏訪原城跡は、とにかく規模が半端なく大きくて広い。そして空堀が深く、角度が垂直に近い。逆に、掘った土で一般的には土塁を築くものですが、そうなってませんね。
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12/29 12:40
諏訪原城跡は、とにかく規模が半端なく大きくて広い。そして空堀が深く、角度が垂直に近い。逆に、掘った土で一般的には土塁を築くものですが、そうなってませんね。
この、平らに広がっているところが二の丸ですが、この辺りで私たちはお昼ご飯を兼ねて長めに休憩してます。
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12/29 12:47
この、平らに広がっているところが二の丸ですが、この辺りで私たちはお昼ご飯を兼ねて長めに休憩してます。
井戸があります。こんな山の上ですが水は確保できたのかなと。
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12/29 13:28
井戸があります。こんな山の上ですが水は確保できたのかなと。
諏訪神社があります。武田側が城を作ったときに、諏訪神社も作ったそうで。だから諏訪原城なのだとか。
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12/29 13:34
諏訪神社があります。武田側が城を作ったときに、諏訪神社も作ったそうで。だから諏訪原城なのだとか。
喫茶店の「アルム」へ寄りました。今回一緒に歩いたK大先輩の古いお仲間らしいです。
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12/29 14:23
喫茶店の「アルム」へ寄りました。今回一緒に歩いたK大先輩の古いお仲間らしいです。
さあ、最後の下りですね、ここから金谷坂の石畳へと進みます。
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12/29 14:29
さあ、最後の下りですね、ここから金谷坂の石畳へと進みます。
ここより少し下側ですが、すべらず地蔵があります。しかし、何だってこんな坂の途中にお地蔵さまがあるのだろう。普通だったらお地蔵さまは峠にありそうな気がする。
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12/29 14:30
ここより少し下側ですが、すべらず地蔵があります。しかし、何だってこんな坂の途中にお地蔵さまがあるのだろう。普通だったらお地蔵さまは峠にありそうな気がする。
市街地まで下りました。あとは金谷駅へ向かいます。
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12/29 14:50
市街地まで下りました。あとは金谷駅へ向かいます。
金谷駅の前に、旧金谷宿の見取り図がありました。金谷駅で解散しました。すっごい楽しかった。
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12/29 14:58
金谷駅の前に、旧金谷宿の見取り図がありました。金谷駅で解散しました。すっごい楽しかった。
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