記録ID: 4640384
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ハイキング
関東
宮坂・赤堤・豪徳寺界隈(2022/8月):お袋殿を連れてフレイル・ロコモ予防の路地散歩(1ヶ月まとめ)
2022年08月31日(水) [日帰り]
体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 00:36
- 距離
- 1.6km
- 登り
- 1m
- 下り
- 1m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 0:37
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:37
距離 1.6km
登り 1m
下り 0m
17:29
37分
スタート地点
18:06
ゴール地点
8月は下記1回のみ。
8/5 1.6km
8/5 1.6km
天候 | 雨・風が強い日・日差しが強くて高温の日は歩きません。 小雨・霧雨は状況次第で歩きます。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年08月の天気図 |
アクセス | 乗り物は利用しません。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
住宅街の舗装路ばかり…クルマ・チャリが少ない横道・裏道・路地を選びます。 夏場は日が傾き気温が下がる夕方遅くを好みます。 また日没後はちょっとした凹凸に足を取られ転倒するリスクが高まるので、商店街など明るい道が好ましいです。 特に踏切は十分に余裕を持って横断すべし…老体なので機敏・柔軟に動けないので…重大事故につながる可能性大。 |
その他周辺情報 | 基本的には何処にも寄らず、無事に戻ってくるだけです。 …が、偶に寄るのはここ⇒ (1)ふれあいカフェううめとぴあ(16時まで/日・祝日定休/世田谷保健医療福祉総合プラザ 1F) ⇒飲食空間が広くて密にならず、飲み物価格が安い(^^)v 但し緊急事態宣言中は休業する可能性があるが、ホール自体は開放され、奥に飲料自販機あり。 (2)回転寿司「すし銚子丸」「はま寿司」「スシロー」 ⇒食べる量をその場で適当に調整できるので、老人連れにはとても便利。 |
写真
感想
本記録は過去1ヶ月間(2022年8月)に、高齢(今年1月にめでたく卒寿/90歳を迎えた)のお袋殿のフレイル・ロコモ予防のため、(便宜上8月31日付けにしているが)散歩に連れ歩いた月間ログを一つにまとめたものである。
…なのだが、前月(7月)に続いて猛暑の東京。
お袋殿だけでなく、拙者も真昼間に歩く気にならず、8月もたった一回歩いただけ。
もっともデイサービス(週4回)から帰った頃を見計らって、熱中症予防のため、エアコンを利用確認しに行く日々となりました。
NHK「みんなの体操」でやるような簡単な運動を一緒にやり、少しでも老化防止・筋力維持に努めております。
傍から見れば、マンガみたいな情景でしょう(^^;)
まぁ、いつも食事時間を気にして、食べ終わると「あ〜、美味しかった!」と言いながら戻って来るので、食欲があるだけ、有難いことです。
でも、「今日のメニューは?何を食べたの?」と尋ねると、いつも「忘れた($・・)/~」との答えしか戻って来ません。
【表札クイズ】⇒収穫なく、今月もありません。
お疲れさんどした<m(__)m>
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コメント
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いつも親孝行偉いですね。我が母は今年で93才、春より施設に入ってもらいました。居間でテーブルにうまく手を着けず、ソファとテーブルの間に転んだだけで大腿骨骨折。手術しましたが、車椅子生活を余儀なくなったためです。老人はコケると大事に至るのでお気を付けください。車椅子生活に入ると立ち上がれなくなっていきます。筋力が落ち、車椅子を動かせず、全面介護が必要となっていきます。ボケがまだらなので、本人は至って元気で100才まで生きると気焔を上げていますが。
Hansode-Hahaさんは90才で杖1本のみで歩かれているのを見ますと、宝登山の山頂の店のおばあちゃんを思い出します。同じ年です。頼もしいですね。羨ましい限りです。いつまでもお元気で。
このようなちょいレコにまでコメントを頂戴し恐縮です。
拙者も転倒に最も注意しています。
「転倒⇒寝たきり⇒治っても筋力低下⇒歩けない⇒さらに筋力低下…」と悪い方に転がるので、そうならないためにも極力歩かせようとしています。
…が、この暑さでは熱中症予防が先決で、散歩は後回しとせざるを得ません。
お袋殿は今でも杖なしで歩けます。
高齢者住宅の2回に住んでおり、食堂のある1回まで(もちろんエレベーターで)移動するのですが、杖を持って行くのは半分ぐらいでしょうか?
半年前だったか…杖を忘れて散歩に連れて行ったことがありますが、2kmぐらいは平気で歩いてしました。
その昔、高校生の頃はソフトボールをやってたとかで…もちろんその現場を見たことがあるわけではないので、どれほどのものかとは思いますが、まぁ昔の女性にしては背も高いしガタイもあるので、丈夫にできているようです。
そう言えば、自動車免許を取得したのも、親父殿より先でしたから、活動的な側面があるのしょうね。
拙者もお袋殿のように体力自慢で過ごしたいのですが、残念?ながらお袋殿ではなく親父殿(20年前に他界)に似ている親族間では言われており、今も身体の節々が痛くて、お山活動をサボっている次第です。
それでは…お袋殿の許へ行って参ります。
隊長
えらい!我が父も22年前に亡くなっており、親戚も男は全滅、女性連中だけ100才を最高に残っている次第。我が血筋は男が早いと開き直って、早く仕事を辞め、遊んでいます。母の施設には2週間に1回病院への送り迎えのみ、現在施設は親戚といえども入れず、リモートのみです。貴君はお会いできていいですね。尤も会っても私に話す言葉がなく、お袋は頭に移り行く由無しことを話すのみで、訳分からず、リモートを言い訳に会いに行ってません。貴君の母上はその年でご立派です。100才までいきそうですね。尤もボケず、元気が一番です。私もぴんぴんころりを目指し、日々転がっています。三茶蛇崩川近くに勤めていたので懐かしいですね。🚴で良く近辺走っていました。世田谷は歩きやすくていいですね。
拙者も60歳になったと同時に完全退職しましたが、その背景は全く同じですね。
父・弟・叔父・従兄弟、そして血縁関係にないものの叔母のご主人…と、男性家族・親族は70歳を超えることなく鬼籍に入ってしまいました。
唯一例外として、少し年上の従兄弟が一人頑張っているだけです。
血筋や家系は、自身の現在の健康状態とは全く別次元のこと=「運命」なので、どんなに努力してもダメなものはダメ…みたいな感覚が漠としてありますね。
お袋殿の住まいは、年齢や介護度には関係なく、自立(自分で食事が摂れる、トイレに行けるなど普段の日常生活が送れる)していれば誰でも住める「高齢者専用アパート」です。
なので面会制限は全くなく、一般的な感染対策を取っていれば、いつでも会いに行けます。
もっとも歩いて15分の距離だから行きやすいのですが、職員(コンシェルジェ)の方々、また他の入居者の方々とも顔見知りで、「やぁ、やぁ、やぁ」と愛想を振りまいています。
三茶ですか…拙宅から3km強ですね。もう少し涼しくなったら散歩圏内です。
逆に拙者は今年5月と8月に小平駅に降り立ちましたよ。
隊長
小平から世田谷は🚴で何度も行ってます。玉川上水から烏山川の源流北烏山の高源院が近く、辿って、目黒川まで下りました。八幡山から北沢川、馬事公苑から蛇崩川、砧公園から谷戸川、経堂から谷沢川(等々力渓谷)、何より小平源流の仙川を下り、上祖師谷で世田谷一家殺人事件の舞台になった家が望めたことには辛いものを感じました。早く事件の全貌が明確になるといいですね。もう22年経つ訳です。
世田谷は川が多く、暗渠になっても緑道に残してあるのがいいですね。随分楽しませて頂きました。何せほぼ平なので走りやすい。
因みに我が母は東池袋の特養老人ホームに入っております。住まいが近く、姉が面倒を見ています。助かっています。感謝しております。女性には女性が一番で、私は運転手に徹している次第です。
三っつめの返信が遅くなりました<(_ _)>
小平から世田谷まで自転車でとは…気合が要りますね。
仰せのように世田谷には北沢川や烏山川、呑川などが流れていましたが、今はもう暗渠化され、その上が緑道として整備され残っています。
緑道と言っても、全てアスファルトあるいはコンクリート仕様ですから、ちょいと味気ないですが、管理面のことなどを考えると、致し方ないのかもしれません。
もう随分と前のことになりますが、拙宅から井の頭公園や深大寺まで行ったのが最も遠距離です。
夫婦してママチャリで走ったので、翌日には(脚ではなく)尻が痛くなりました。
渋谷にあるハローワークまで失業保険給付手続きに通うと7〜8km。
もっとも今は老化防止坊対策のため、自転車に乗るのも止め歩きだけに特化しています。
二子玉にあった年金事務所まで歩くと片道約4.5kmあったのに、最近移転して片道1.5km地点になってしまい、残念に思っています。
もっともほとんど行く機会はありませんが…。
お袋殿もいつの間にか要介護3。
もう遠出する機会はありませんが、自らの足腰で歩けるうちは、近所でいいから連れ回したいと思います。
隊長
呑川を忘れていました。桜新町が源流でした。カツオとワカメの像まで大田区の河口から走ったのを思い出します。
もし宜しければ当方の🚴の旅をサイクルリングに載せています。リンク先を添付しましたので、一見頂ければ光栄です。
http://www.cyclering.com/modules/rec/detail-30418.html
当方は山の前は🚴で東京の川を訪ねるのを趣味にしておりました。小平は石神井川の源流で、多摩川と荒川の丁度真ん中に位置し、玉川上水が流れています。川や上水沿いに様々な川に簡単に行けます。深大寺まで1時間で行けます。神代植物園から深大寺温泉、戻りは野川沿いに戻るのをよくやってます。宇田川、春の小川の元になった河骨川、故安倍氏の家の近くも走って、上流から下流、渋谷川から竹橋まで走りました。井の頭公園から神田川を日本橋までも走りましたね。勿論蛇崩川、北澤川は目黒川経由で品川天王洲まで。品川の意味するものが目黒川の河口部であったことをその時知りました。
🚴は所詮座って走るので、歩くより楽です。山行きの方がよほどキツイですよ。80才過ぎた方がロードで野川沿いに走っていたのにお会いした時は驚きました。🚴は腰にいいですし、動態適応視力を鍛える意味で有効です。是非蘇って下さい。本当は🚴で日本一周も考えたのですが、山の方が楽しいので諦めています。山の魅力に勝てません。かと言って近場は車ではなく🚴で走り回っていますが。
尚、友人申請しておきました。もし宜しければ。
お早うございます!サイクリング・レコ(みんなの自転車記録)を拝見しました。
一日走行距離145kmとは、やはりテクテク歩きとは、段違い平行棒ですね。
目黒川…あそこはもはや桜の名所ではなく、観光客が押し寄せる商業観光地…雑踏です。
拙者、もう二度と目黒川には行きませんが、呑川だったら(空いている時間帯に)まだ行く気になります。
呑川はどちらかと言えばご近所さんが沿道でゴザ・ビニールシートを広げる寛ぎ空間。
世田谷区内では、砧や駒沢の公園系を除けば、商業化されていない桜の名所ですからね。
もっともこの数年は、東北信越各地の桜を訪ね歩く方が楽しいです…空いてるし。
拙者が自転車が使わなくなった理由の一つに、自身のママチャリを盗まれたことがあります。
既に購入後20年近い日時が経過し、相当にオンボロになっていたので、盗まれたこと自体には特にショックはありません。
その後は1号隊員(カミサン)の自転車を共用していたのですが、いつもいつも自由に使えるわけでもなく、この先、結局は己の足腰に頼るしかないと悟り、キッパリと自転車からも足を洗いました。
なので拙宅から半径3〜4km内は、基本的にはテクテク歩くことにしております。
すると京王線・井の頭線・田園都市線・世田谷線の各駅もカバーできますから。
なお友人申請に関してましては、昨日発信済みの個別メッセージをご覧くださいませ。
隊長
私の感覚では目黒川はきれいになり、呑川はまだ途上のようで、まだ異臭を放っているようです。10年ほど前は目黒川も臭かったのですが、変わりました。目黒と大田の違い、観光客がいるかいないかなの違いなのでしょうか?
我が町小平は便利です。🚴があればほぼ都内は移動範囲内になります。小平あたりでは🚴泥棒いないですね。皆🚴を持っているからでしょうかね?区内で終電を迎え、区外の家へ帰るのに🚴を盗むパターンが多いのかもしれませんね。13年前、東北大震災で交通機関が止まり、東京駅から歩いて帰り、とてもきつくて、途中🚴を求めたのですが、店では全て売れ切れになったことには驚きました。
桜の時季の目黒川沿いの道…あれは酷いです。
目黒川が悪いわけでなし、商店街の方々が悪いわけじゃなし…ですが、あそこに群がる群集心理が不気味です。
小平…吉祥寺から奥多摩湖まで通じている緑道?を歩くと、小平駅前を通過しますね。
一度だけ通しで歩いたことがあります。
別の機会に京王・府中駅から国分寺駅経由で小平駅までとか…。
なぜか大きなアパート?マンション?が小平駅前だけあるのが不思議でした。
東日本大震災では、ずーっと職場で待機していました。
すると幸いにも、ゼロ時半ころに千代田線が動き出して、なぜか小田急も動き出して…。
午前2時頃になりましたが、歩くことなく、電車で帰ることが出来ました。
帰宅途中で自転車を購入された方もいらっしゃったのですね。
確かに今の拙者だったら、平地なら20m・30kmぐらいは歩く気になりますが、一般的にはありえへん世界でしょうね。
もうあのようなことは起きてほしくはないですが、首都圏直下型がいつかは襲ってくると…。
「天災は忘れた頃にやって来る」
隊長
多くの桜は高度経済成長期に植えられたので今が盛りを呈しています。目黒川も然り。私は🚴で10年前から走っているので、寧ろ川自体の臭いの問題が引っ掛かっていました。呑川も目黒川も神田川から下水の処理水を主に流しているのに何故違うのか不思議ですね。40年前の神田川も臭かったですが、今はなくなりました。下水はそのまま流れていないのに何故ですかね?
私の家は、言われる緑道、今は狭山・境緑道と呼んでいますが、その近くです。昔、和田堀と多摩湖を繋いだ水道道路で、今は境浄水場まで繋ぐ水道管が走っています。昔の和田堀までの水道道路は井の頭通りになっています。小平には都に繋がる水道を2本通したことになります。江戸時代は多摩川の水を流した玉川上水、今は多摩湖からの水を流す水道道路です。
府中から小平までは馬場大門ケヤキ並木通りを越え、国分寺通り、アカシア街道で通じることになります。今は国分寺にタワーマンションが駅前にドーンとあり、小平との差は歴然となりました。
東京は多摩までは平で自転車があれば事足ります。東日本大震災の時は池袋に実家があり、そこを目指したのですが、お袋がいなく、鍵も忘れていたので小平を目指しましたが、途中南長崎あたりで酒に嵌り、女房に車で引き取りを頼み、一緒に飲んでいた見ず知らずのおっさんを乗せたのでどえらく怒られました。小平から豊島区に来るのに3時間以上掛かって、迎えに来たのは朝2時過ぎでした。多摩は地盤も固く、震災の影響は余りなかったのですが、区内は帰れない避難民の問題が提起されましたね。もう都会を離れたので安心です。怖いのは震災より戦争ですかね。米軍の東アジアのハブ基地は多摩の横田で、狙われたら怖いですね。
そう言えば玉川上水を羽村取水口から四ッ谷まで数日かけて歩いたことを思い出しました。
確かに小平を通っていますね。
東日本大震災の夜は皆さん悲喜こもごもで、拙者の部下は夕方5時過ぎに、帰宅方向が同じデアル社長のクルマに同乗させてもらい、いち早く帰途につきました。
早朝4時半ぐらいだったか……電車で既に帰宅し寝ていた拙者の携帯電話がなり、こんな時間に何事か?‼️
……と思ったら、その部下からで、今帰宅しましたとの連絡でした。
川を渡るどの橋でも混んで混んで……トイレに行きたくて困ったけど、社長なので言いづらかったと後でぼやいていました。
……あっ、女性社員でした。
半袖隊長
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