【過去レコ】鈴ヶ岳W:錦繍まとう赤城山系、半袖隊長、故・宿沢広朗氏(ラグビー日本代表)を偲ぶ
- GPS
- --:--
- 距離
- 4.6km
- 登り
- 425m
- 下り
- 425m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2008年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
【往路】高崎駅⇒関越道赤城IC⇒(みもざ/昼食)⇒新坂平駐車場 【復路】新坂平駐車場⇒川場村(区民保養所に宿泊) |
コース状況/ 危険箇所等 |
●部分的に岩場があるが、特に危険個所なし ●山頂を前にして、ほぼ登って来た分を穿き出すような大下りがあり、その後、同じ分だけ登り返す。 ●しかしコンタ100mほどなので大したことはない。 ▲合計距離: 4.56km /最高点の標高: 1528m /最低点の標高: 1407m △累積標高(上り): 299m / 累積標高(下り): 295m ◆新EK度数=9.025⇒「EK16未満:非常に楽」 |
その他周辺情報 | 食事:カフェギャラリーみもざ(群馬県渋川市赤城町/赤城ICすぐ) http://hotshotamp.exblog.jp/17052430/ ・須田小春ママのこだわりの自家製野菜を使った創作料理 ・「世田谷の山登りのXX」に聞いて来た・・・と言うと、なお一層、親切にしてももらえます。 ・T皇日「人生の楽園」にも出演! http://www.tv-asahi.co.jp/rakuen_2008/back/20080329/tsusin/1tushin.html |
写真
感想
【記載日:2015年8月29日】
職場ワンゲル部(確かその年の)新人はるか隊員のリクエストに応えて、しのぶ隊員ともども、至仏山に登ることにした。
せっかくなので・・・いつもの川場村に前泊することにして、軽めにどこかを歩こうということになり、拙者が予てから登りたかった赤城山系の鈴ヶ岳に登ることにした。
鈴ヶ岳と言っても、赤城山系の中では超マイナーである。
やはり赤城山といえば黒檜山や駒ヶ岳が中心で、あるいは長七郎山や地蔵ヶ岳、はたまた荒山・・・といったところであろうか?
鈴ヶ岳になぜ???
それは日本ラグビーの歴史を語るにおいて、その名を忘れることはない故・宿沢広朗氏の終焉の地だからである。
ラグビー界においては全く無名の熊谷高校(※熊谷工業は超・有名&名門だが)から名門早稲田大学ラグビー部の門を叩き、SHとして大活躍。
2年連続して日本一となった原動力であり、主将も務めた。
日本代表としても活躍し、現役引退後は日本代表監督を務め、スコットランド戦での勝利など、日本ラグビーの黄金時代を支えた。
銀行マンとしても成功し専務の地位まで上り詰めたが、ラグビー界のことか?職務のことか?、心労が祟りヘビースモーカーとなったのも一因か、友人たちと鈴ヶ岳に登頂し、さぁ、下ろうか・・・と立ち上がったところで倒れ、そのまま息を引き取ったとされる。
その辺りは、加藤仁著「宿澤広朗 運を支配した男」に詳しい。
http://honto.jp/netstore/pd-book_02793740.html?partnerid=02joqr_next
さて、その鈴ヶ岳は新坂平登山口から、早いハイカーであれば片道1時間も掛からないであろう。
途中で登り返し凹凸があるものの、高々、コンタ100m程度である。
だから宿沢さんは登山で疲れて倒れたのではなかったのだと容易に想像できる。
何かのきっかけで倒れた・・・そこが偶々鈴ヶ岳の山頂だったに過ぎないのだ。
実は、拙者、その宿沢さんの講演会(セミナー)に参加したことがある。
セミナー終了後、握手を交わしながら二言三言会話する機会があり、その時の写真もあるのだ。
宿沢さんはラグビー界の雲上人。
拙者は底辺の中の底辺で、チョロチョロと楕円球を追い掛けただけ。
何を話したのだろう???
緊張のあまり、「ワタクシもラグビーをしておりました!」とでも話したのであろうか?
今は昔・・・記憶は定かではない。
美しい秋の錦繍に彩られた稜線を、こんな思いに耽りながら歩いた。
一緒に歩いた女性二人は、さて、何を考えていたのだろう?
お疲れさんどしたm(__)m
隊長
半袖隊長。晩にちわ(多分あっている)。最近習ったこちらの方言で、こんにちわとこんばんわの間で使うそうです。まだ、陽が落ちていない時に。
宿沢さんは偉大な監督でしたね。住○銀行だったでしょうか? 今日は、過去レコの日ですね。
明日は、大山(だいせん)の近くの山に勤務先山登り会のメンバーと行く予定だったのですが、あいにくの雨で中止となりました。であれば、得意?の平地、街歩きでもします。
当地も小雨が断続的に降った一日でした。
一旦、出陣する用意はしたのですが・・・止めました。
ですので・・・過去レコ三昧です。
宿沢さんは早稲田の黄金期の創成期のメンバーですね。
ラグビー部がない●友銀行に就職しても、暫くはラグビーを続けていました。
●友銀行の大物・磯●氏(後の会長)が、京●大学のラグビー部OBだったので理解があったようですね。
仕事の上でも為替ディーラーとして活躍、ロンドンでは「London Japanese(ラグビー好きの集まり)」でも功績があったと聞いています。
明日も今日と変わらぬぐずついた天気らしいのですが、拙者も明日はナントカしたいと思っています。
隊長
エディ・ジョーンズはWRC後の退任が決まりましたが、何かと宿沢さんと比較されることが多いようですね。ラグビー界に改革をもたらし、しかしラグビー界の体質は変わらず、というような。優秀な人はどうしても孤高の存在になるようです。
故郷の山で倒れた、ということなのですかね。小学生の頃にラグビーをやっていたので、勉強になりました。
お〜、ご無沙汰しておりますm(__)m
お子様はすくすく成長されているかと思います。
今から親子登山が楽しみですね。
さて、そうなんです〜〜〜評判の好かったジョーンズHCも退任が決まったと聞き、ビックリしていました。
宿沢さんの時代も、日本派と海外派の勢力争いがあったようで、代表監督を誰にするかで、随分と悩まれていたようですよ。
しかし国立競技場問題の影響で、日本開催が決まった2019大会の開催権を、南アフリカが横取りしに来ているとの報道もあり、場外での争いも大変です。
それにしても、よく、この過去レコを発見されましたね
フォロワーでなければ、ほとんど目に触れることはないのですが・・・
隊長
同じ金融界に身を置くものとすれば宿沢さんは名ラガーマンというよりは名バンカーという認識です。
早逝されたのは二足のわらじでいろいろ心労があったんでしょうね。
ただ、紹介された本ですが、これはすべて事後取材に基づくもので協会を止めるくだりなどは立場が違えば見方もいろいろだと思います。
ラグビーW杯は暗雲が立ち述べてきましたねえ。
ここにきてのこの動きいろいろ事情はあるんですが。
一つ言えることは各種スポーツの協会はアスリートOBだけじゃ機能しないということです。汚れ仕事を引き受ける政治屋さんが必要なんですよね。
特にラグビーのようにボードの一員でもない日本がW杯開催決められたのはそういう人の工作があってのこと。
そういう人をバッシングしたらあきませんわ!
あまり裏事情には通じていませんが、まさか宿沢さんが早世されるなんて・・・握手した時にはそんなこと思いもしませんでした。
Wカップ、どうなるんでしょうねぇ?
大会収入の多寡が問題になるようですが、国立競技場問題も思わぬ所に跳ね返ってきましたね
隊長
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