大仁-金冠山-奥山-真城峠-戸田※瞽女倒山(ゴゼト山)探索
- GPS
- 25:32
- 距離
- 25.9km
- 登り
- 1,086m
- 下り
- 1,115m
コースタイム
07:40 大仁駅
11:53 だるま山レストハウス
12:43 金冠山
13:30 奥山
14:10 瞽女倒山
14:32 真城峠
15:05 宿泊地 07:00
2月5日
07:15 林道
07:21 沼津-戸田、分岐
07:24 井田分岐
07:44 NTT林道分岐
08:58 戸田地区
09:13 戸田バス停
天候 | 2月4日、ほぼ快晴、ただし強風 2月5日、曇り、風は止む |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
自転車
04:40 自宅 自転車 05:05 町田 05:11 小田急小田原線 小田原行 570円 06:11 小田原 06:22 JR東海道本線 熱海行 650円 06:45 熱海 06:49 JR東海道本線 浜松行 07:01 三島 07:11 伊豆箱根鉄道 駿豆線 修善寺行 450円 07:40 大仁 復路 02月05日(日) 09:41 戸田 10:00 東海バス 1000円 10:50 修善寺 10:56 箱根登山鉄道 駿豆線 三島行 500円 11:28 三島 11:46 JR東海道本線 熱海行 650円 11:59 熱海 12:02 JR東海道本線 12:24 小田原 12:40 小田急小田原線 新宿行 570円 13:42 町田 自転車 駐輪場 200円(2日分) 13:55 自宅 ※当時に近い時刻表で再検証 2024/03/22 |
コース状況/ 危険箇所等 |
伊豆山稜線部分のみ残雪あり、深くて15cm程度 |
写真
感想
2012年2月4日
今回は、雪の状況がわからないので、登山靴を履いて、金冠山に行き、瞽女倒山(ごぜとやま)の場所を確認も兼ね、久しぶりの戸田の町へ降り立つ予定で出発
駅で降りた登山者はいないが、どうやらもう一人、岩トレーニング?と思われる、クッション?のようなザック?を背負っている人も降りて行った。近くの城山
は、大きな岩壁がものすごいので、そこらで、岩登りでもするのだろう。実の所、最近まで、この岩山の存在、岩場ゲレンデ?も知らなかった。夏には良く通った場所なのに・・・
大仁駅で歩き始めると、寒いので手袋をしようとポケットを探るが、一つしかない・・・途中で落としたと思い、駅に戻りながら歩くも、見つからず。トイレにも行ったので、駅員に話をして、中に入らせてもらうが、見つからなかった。これは、電車の中で落としたと思い。駅員に話をすると電話をかけてくれると、すぐに見つかり、上り電車で届けてくれるとのことで、電車2本待って手袋が戻ってきた。ありがたい。
気を取り直して、ってそれほどダメージもないけど、今回は時間的には、全く縛りがないし、テントも持っているので気楽です。駅から車道をゆっくり歩いて行く。
おそらく、昔車でも通ったであろう場所だ。車道の横のお店も盛者必衰の寂しさを漂わす。虹の郷方面へ向かって進路を変えて、さらに川沿いの遊歩道を歩いて行く。良い天気だ。再び車道に合流するあたりで、橋を渡って、林道を登る。堀切という集落あたりです。ここからは稜線上に林道が走っていて、重たい登山靴でも、気にすることなく、それでも、思い切りゆっくり歩いて、景色も少しは楽しむ。葛城山の裏側だったり、富士山も何度か見ることができた。林道の途中、途中には、椎茸の榾木が並べてある場所がちらほら。20年前の地図とほぼ同じ場所で林道は終わり、わずかの間、山道になる。再び林道に乗ると、急な登りで斜面を巻いて行く。尾根に出ると、薄ら雪が融け残っていた。古い道の痕跡を少し登ると、すぐに車道に出た。車道をさらに登ると、だるま山レストハウスのすぐ上の車道の分岐に出てきた。すぐに登山道に入ると、トレランの集団が駆け下りて行った。
登山道の日影には、雪が沢山残っている。深いところで15cmくらいか。数組の登山者が下って行った。戸田峠からの道を合わせると間もなく急登を過ぎると電波塔のある金冠山の山頂に立つ。風が強く、写真を撮るにも、風で体が煽られるほどだった。富士山、沼津アルプス、駿河湾、戸田港が、眼下に近い。海は青いが、白波が立っている。奥山への道を下って笹原の方へ下って行く。背の低い笹が、強風でまるで生きているかのように揺れている。笹原の途中に細い切り開きがあるので、のぞいてみると、岩の上に、展望台のようになっている。風が強いので端まで行かなかったが、戸田方面が良く見えそう。間もなく林のトンネル状の道になるが、それでも風はまだ強い。沼津市民の森方面との分岐を過ぎるとあとは、足跡が無い。道もずいぶん柔らかく、歩く人も少ないのだろう。いったん見通しの良い場所から、瓢箪様の山が見えたが、それではなかった。2つ目のピークの北側には、ロープが張られ、迷いこまないようにしてある。さらに西へ下って少し登ると、林の中の奥山、三角点があった。小さな表識が取り付けてある。西にちょこっと行くと、小さな岩の上から、景色が見える。今日の宿はどうしようか思案する。真城山あたりにするか・・・瞽女倒山の場所を確認してから、考えよう。できれば、夕陽の見える場所がよいのだが。林のトンネルから方向を変えると、急な下りと植林帯、後述する
≒椽倒山の山頂らしき、杉の植林のかたまりが見えた。実際にその部分に着くと、林道が走っていて、≒椽倒山のそばを巻いている。山頂の横わずか数メートル。何もない山頂、いや、横の植林の木の方が高いので、山頂とは思えないし、標識のようなものも見当たらない。真城峠までもうすぐだ、峠の手前にも小さな丘のような場所があったので、念のため山頂部分に登って見たが何もない。すぐに真城峠の車道に出る。真城山に登る道は存在しない。峠から北へ回る林道は通行止めになっているので、南をまわる林道を進んでみる。道路からの斜面は何処も法面?が急で登れない。最南端をまわり、北上すると徐々に法面が低く、斜度も緩くなる。ここと思う場所の法面を無理やり登ってみる。古い柵の支柱が数本、上に向かってつながっていると、まもなく林道のような、樹木の切れ目の境界が現れる。少しそれを避けるように、横へ進んでみるも、しばらく続いているので、林道に出てみる。すると、なんだろう?みかんの木ではないが、何かの木が規則的に並んでいるので、意図的に植えたもののようだ。何の木かよくわからない。枝のほとんどを切ってあるものが多数見受けられた。その畑とも思えるものが、山頂部分までずっと続いている。ほぼ山頂部分の横に柵のように木の枝が積んであってその隙間を縫って最高地点に立つと、ここが山頂のようだ。木の枝に、テープやら布きれが付けてある。傍の木には真城山と書かれていたであろう板切れが取り付けてあったが、2つに割れ、文字は下半分しかのこっていなかった。ここから、富士山もよく見え、隣の山のNTTの電波塔の施設も良く見える。時間もちょうど良いので、今日はここに
泊まることにする。山頂のすぐ南にちょうどテントが張れるスペースがある。夕陽が見える。絶好のポジション、若干風が強い。天気図書いて、5時ごろ夕陽が沈む。海に?いや雲の中に。風は夜遅くに、収まった。月明かりがテントを照らして明るい。
2月5日
翌朝、まだ、星が見えるので、赤い富士山が見えるかもと少し期待する。しかし、富士山は見えていたが、いっこうに赤くならない、どころか、山頂部分に雲がかかって来てしまった。これ以上は無理だと思い、下山を始める。昨日登り始めた箇所をめざして、南西方向へ。あっさりその場所に着いた。林道を西へ向かい、電波塔のある山頂へ向かって歩く。分岐にあたる、沼津、戸田。戸田方面へ少し進むと、電波塔へ向かう道と違うようなので、分岐まで戻り、沼津方面への道へ行く。さらに分岐、井田方面の分岐、電波塔のある山の林道の入口に柵がある。柵の横に人が通れる隙間があるので、そこを通って少し登ってみる。真城山の写真を撮ろうと思ったのだが、思ったより良く見えず、引き返す。そして、戸田の町へ下る。
△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲ 瞽女倒山(ごぜとやま)について △▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲
実はこの山の名前を知ったのはごく最近で、日記にも書いたが、今回の登山ではその場所を特定することができなかった。というか、新たな資料を見つけた。
そもそもこの山の位置は、見る資料により、場所が異なっている。以下列記する
.▲襯僖ぅ鵐イド20、東京周辺土曜日曜ハイキング69頁、達磨山付近地図 (昭和49年版)(1974年)、奥山から20分の位置、さらにそこから真城峠まで20分となっている
標高表示は無いが、地図の位置は、奥山とP607の中間のほぼ平らな山のあたりを示している。
∋海塙盡驚録30、伊豆天城山(2011年版)、を再び見てみると、カタカナでゴゼト山という表示があるのを再発見、いままで気が付かなかった
しかし、位置が判然としないし、コースタイムも奥山から真城峠までしか書いていない。よく見るとP607の小ピークに赤線が微妙に伸びている(P607の標高は国土地理院の表示より)
C狼紊良7、伊豆半島、付録地図、1996年版、日地出版、この地図では、前記の山と高原地図の位置とほぼ一致したところに△印と瞽女倒山と記入があり、今回の登山ではこの△鉢をもとにP607が瞽女倒山だろうと思い、現地でそれらしき場所に登ってみた。しかし山頂と思われるすぐ横まで林道工事で道が通っていて、とても山頂とは思えない状況
ぅ▲襯撻鵐イド12、東京周辺ワンデイ・ハイク、1991年版、130頁、この本には、唯一本文にわずかに記述があるので、抜粋する。『奥山から再び緩く下り続け、下りきって少し登れば瞽女倒山分岐。』と書いてある、また記事の地図には瞽女倒山△660との標高表示、瞽女倒山分岐690と標高グラフが表示されている。この位置が表すところは、,了駑舛両貊蠅剖瓩690mの平な場所が分岐になって、そこから南西に約600mの所が瞽女倒山ということになっている。
タ郡儻地図、伊豆半島、昭和30年(1955年)、日本交通公社、この地図では瞽女倒山の記入と標高610の記入がある。場所は△鉢と同じ場所のようだ。
追記:2014年2月16日
Ε┘▲螢▲イド7 伊豆、昭和60年(1985年)、昭文社、この本は観光ガイドだが、登山地図で有名な昭文社だけに巻末にハイキングコース3本が紹介されている。そしてその3本目に金冠山・真城峠コースとの紹介と地図が記してある。位置は△汎韻絃貊蠅如標高607としている。ただ文中ではゴゼト山としているが、地図の中にはゴセド山となっているが、誤植であろう。
追記:2015年2月18日
Э轡魯ぅング、1992年1月号(No.435)の特選ガイド10コースの9番目の記事に「金冠山から真城峠」というものがあった。見取り図によると瞽女倒山は奥山から真城峠の間の奥山に近い1/3位進んだところに位置している。該当部分を抜粋すると「たいした登りくだりもなく、3等三角点の標石が道端に見つかると奥山で、目立たない頂である。 次の小広いピークが瞽女倒山。ここも名前は面白いが特徴のない頂である。」と書いてあった。この記事では690圏の広いピークを示唆しているように思える
コメント
この記録に関連する登山ルート
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もしよろしければ、携行した水の量と、夕食のメ
ニューを教えてください。
tanigawaさん、こんばんは
ご飯にこだわりが無いので、とても恥ずかしいのですが、参考までに、水4リットル、熱湯魔法瓶1リットル(途中に紅茶ティーバッグを入れる)おにぎり4つ、うち1個は晩飯、もう一個は朝飯、朝はインスタントみそ汁、紅茶。2日目は菓子パン2、電車移動中パン2。水2リットルは、そのまま持ち帰り。その他羊羹少し、明治ヨーグレット、ハイレモン(タブレット状の菓子)などです
う〜む、こだわりが無いですねえ!立派です。
yoneyamaさん、おはようございます
ほんとに恥ずかしいのですが、家でも、一年中、同じようなものばかり食べています。よく平気だと思いますが・・・
も、兼ねて
行かれてるんですね!
スプライトのビン、
酒屋に持って行くと30円もらえますよ!
昔、ビン売って山行費用作ってました
PETボトルのふたも集めて
ポリオワクチンを贈る運動がありますね。
私も食べ物はこだわりがあまりありません。
おにぎりの具も、辛子明太子を冷凍して切っておいて
春夏秋と同じです。
あまったお水やテルモスのお湯は持ち帰って
お花にあげたり、顔洗ったりするのに使います。
keisukeさん、コメントありがとうございます。
清掃してるわけでは、ありません。拾って歩くと拾う量の方が多くなって、ボッカになってしまいます それほど、ゴミが多いのです 昔懐かしい、空き缶や瓶を拾ってきただけです。
sakusakuさん、こんばんは
petボトルのふたでポリオワクチンを贈るんですか?知りませんでした なんで、蓋を分けて集めているのか知りませんでした
食べ物にこだわりなかったんですか いつも豪華な写真でしたので 私も水さえ、捨てることができず、沢で水を入れ替えたりするとき以外、捨てたことはないと思います
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