今も残る遺構・旧跡探訪 <歴史散歩会・校外実習>
- GPS
- 06:11
- 距離
- 8.9km
- 登り
- 678m
- 下り
- 619m
コースタイム
- 山行
- 3:23
- 休憩
- 2:39
- 合計
- 6:02
天候 | 終日ほぼ快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
神戸市バス16系統 JR六甲道〜六甲ケーブル下駅 中間:六甲ケーブル 下駅〜山上駅 帰路:神戸市バス 31系統 渦森台4〜JR摂津本山 |
コース状況/ 危険箇所等 |
「六甲歴史散歩会」校外学習「絵葉書で辿る六甲いまむかし」を受講しました。 以下は主要周回場所のロケーションです。 ○「牛七疋墓」 元来は現ケーブル下駅の正面階段付近に建っていたそうですが 駅建設(昭和7年)の折に現地に移設され、その後の道路・治水工事の結果 フェンスやガードレールを乗り越えないと近づけなくなったため (お世話されている方々や一部の研究家・愛好家を除いて) ほぼ忘れられてしまった遺構とのことです。 ケーブル駅前から表六甲DW(歩行禁止)を上ってすぐ、 山側のガードレールを乗り越えれば、比較的たやすく辿り着けるのですが 今回は旧道脇からフェンスを乗り越え、治水土管でDWの下を潜り、 下のヤブから墓石の前に出ました。 ○ケーブル山上駅 昭和7年の建設当時から残る装飾や遺構、展覧台東端の 通称「呑べぇ松」について等、さまざまな由来を聞きました。 ○旧ドーント(H.E.Daunt)別邸「Daunt Rock」跡 ケーブル山上駅から記念碑台へ向かう道路脇「カーブNo.3」を右へ折れ 別荘地内を道なりに登る。右へ小橋を渡って「六甲荘」前を右折。 舗装道が行き止まる手前、左側の廃屋の裏側へ回ると、 この付近で一番小高くなった箇所のヤブの中に古い給水タンクと並んで 高さ1m強の石積みがあります。 これが往時のドーント別邸(ドーント・ロックと呼ばれていた)の 庭に立っていた石灯籠で、現在はその基部のみが残っています。 他に邸宅跡を思わせるような構築物や遺構は全く残っていない模様。 ★なお、近づくためには廃屋とはいえ私有地の中を通らせて戴くため、 それなりの留意が必要になります。 ○記念碑台〜月見橋〜六甲山郵便局〜六甲山ホテル おなじみの場所なので経路は省略。 (当然ながら)月見橋はフェンス越しに観覧。 ○「六甲廻遊道路之碑」 「記念碑台下」信号交叉点の北東角、六甲山小学校へ向かう 縦走路左側の空き地に立っている。 少し前まで周囲は草ぼーぼーで存在すら忘れられていましたが、 周辺整備の際に下刈りされ、近づいて碑文が読めるようになっています。 ○神戸GC(A.H.グルーム別邸101番標石) 〜旧オリエンタルホテル跡地(風の教会) 101標石は縦走路から見下ろして観覧。 コース脇の南側側道から正面にクラブハウスを眺め、 六甲スカイヴィラ前から旧オリエンタルホテル跡地へ下りました。 「風の教会」は一般公開されていましたが(有料)今日は入場を割愛し、 解説を聞いて閉講〜解散となりました。 ○天狗岩〜天狗岩南尾根〜渦森台4バス停 解散後は「最短コース」天狗岩から渦森台までイッキ下り。 全線に亘って快適歩行、危険箇所なし。 下部の送電鉄塔付近が崩落修復によるものか、間伐下刈りされて グッと見晴らしが良くなっていたのが印象的。 鉄塔下からは渦森橋(正規ルート)へ下らず、千丈谷第2堰堤から 渦森台に降りる「いつものルート」を使いました。 (この方がバス停まで早い) |
写真
装備
個人装備 |
ウィンドブレーカー
帽子
地図
ベースプレートコンパス
ヘッドランプ
IDホイッスル
携帯電話
時計・高度計・方位計
予備靴ひも
ファーストエイドキット
解熱剤・下痢止・胃腸薬
エマージェンシーシート
食料
飲料水
行動食
ストーブ
ガスボンベ110
コッヘル・カップ
カトラリー
エアクッション
筆記具
はさみ
自宅+車両Key
ICOCAカード
カメラ+Stick Pic
トレッキングポール
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感想
○ 牛七疋墓(以下講義解説)
水車新田(現在ケーブル下駅の南側)の大利兵五郎家で働いていた牛が、
炭疽病で亡くなり、その牛たちを悼んで、幕末の1851年(嘉永四年)
旧暦12月1日「牛七疋墓」が建立されました。
牛は三田で取れた米を水車新田まで運び、更に精米した後の米を
灘五郷に運んでいました。六甲ケーブルが開通するまでは
駅構内の階段付近にありましたが、ケーブル工事で西側の山中に移設、
その後、墓の手前に県道29号(六甲有料道路)が開通した折りに
金網で閉ざされてしまいました。
(以下notung)
実に立派な墓標でした。
一生懸命働いてくれていた七頭もの牛を一度に喪った兵五郎さんの哀しみを
そのまま象徴しているようです。
合掌しながら、この墓標が今も残っていることが、こころ優しい兵五郎さんの
せめてもの慰めになれば、と思わずにはいられませんでした。
○旧ドーント(H.E.Daunt)別邸跡「Daunt's Rock」
H・E・ドーントは、再度山北側の「ドーントリッジ」にも名を残す
六甲Hikerの先駆けとなった一人ですが、他方、ゴルフの名人でもありました。
彼は大正4年〜13年にかけ「INAKA」全18巻を編集・発行、
これには六甲山に関する記述も多く、当時の六甲山系を知る
唯一の資料と云って過言ではありません。
六甲山上のドーントの山荘別邸は、神戸ゴルフ倶楽部の西方にあり、
「ドーントロック」と呼ばれていました。
現在は、建物はなく庭の石灯籠のみが残っています。
(以下notung)
神戸GC草創期のキャプテン、第9回 日本アマ(1915)を制し、その後
日本のクラブから初めて全英オープン(The Open)にもエントリーした
文字通りの名手としても知られています。
登山家としては劔岳(北ア)の外国人初登頂者であり、まさにスポーツ万能の
スーパーマンですが、彼が明治〜昭和初期の日英をまたいで
波瀾万丈の生涯を送ったことは、意外に知られていないそうです。
小生も先の「歴史散歩会」講習で初めて詳しい研究成果を聞くことが出来、
たいへん勉強になりました。
しかし、その彼の別邸跡が「石積み一個」とは・・
これまた感慨深いものがありました。
その他、全て挙げるにはとてもスペースが足らないのですが、
さまざまな遺構とそれにまつわるエピソードを実地を見聞しながら
詳しく聞くことが出来、たいへん意義深い講習会でした。
当時の絵葉書や広告、新聞記事など、多くの貴重な資料を対比閲覧させて
戴いた講師の前田氏をはじめ、参加した皆さんに心から御礼申し上げます。
notungさん、こんばんは
今回もまたタメになるレコをありがとうございます。
どれもこれも初めて見聞する物ばかりです。
極めつけは六甲ケーブル開通の新聞広告。土橋駅とか清水駅とか懐かしい名前を拝見するとともに、「壯観」「偉観」などは一度使って見たい表現ですね
今更ながらですが県道29号を作る際、橋に歩道を設けて欲しかったです。そうなってれば、「牛七疋墓」も簡単に訪れることも出来るし、天望山コースは油コブシより人気コースになっていた気がします。
すみません・・・愚痴を言っても仕方ないのですが...
良くも悪くも六甲山の歴史、語り継がれて行って欲しいものです
Hamさん、こんばんは。
目覚ましいレコ、いつも愉しく拝見しております。
ピンポイントな歴史探訪レコに御丁寧なコメを戴いて恐縮です。
Daunt邸跡の「存在」を除いて、小生も全く知らなかった遺構旧跡ばかりで
今回は本当に勉強になりました。
(出発前はあまりの好天、紅葉狩の皆さんを羨ましく思ったりもした
不届き者なのですが・・ )
県道29号・表六甲DWの歩行者不配慮は本当に残念ですね。
仰有るようにケーブル脇を直登する天望山尾根なんぞ、
摩耶の上野道並みの「地位」を得ていたかも・・?
おっとレコ中、「壮」の字を旧字「壯」にしていなかったのは
小生的には痛恨のミス ご指摘?感謝です。
「呑兵衛松」のエピソードは寡聞にして知らなかったのですが
さしずめ、小生共々Hamさんも「酒百薬之長」のクチでしょうか(失礼!)
Notungさん、初めまして
2/11に新設された崩落防止ネットで登れなくなった一ヶ谷西尾根への新しい取り付きルートを調査をしている時に牛七疋墓を発見し調べているとこちらのレポにたどり着きました
とても濃い内容でしたので勝手ながら私のインスタで紹介させていただきました
事後報告になってしまい申し訳ございません
ご迷惑でしたらご連絡ください
よろしくお願いします
長峰大好き
https://www.instagram.com/nagaminedaiski/
長峰大好きさん、はじめましてこんにちは。
わざわざご丁寧なお知らせを戴き、寧ろ光栄、恐縮に存じます。
当、拙レコもご案内戴いたご先達のお許しを得て書かせて戴いた
「聴講見聞記」ですので、ご引用にあたって
何ら偉そうに云える代物ではありません。
ましてや、此方いつも参考、勉強させて戴いている
長峰大好きさんからのお知らせ・・「光栄」と申し上げた所以です。
一ヶ谷西尾根の現況もたいへん参考になりました。
今後とも濃密かつ楽しいご更新を楽しみに致しております。
ご来訪ありがとうございました
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