ヤマレコなら、もっと自由に冒険できる

Yamareco

記録ID: 2317117
全員に公開
ハイキング
中国

岡山県瀬戸内市 築山古墳〜美和神社〜寒風古窯跡群 古道再消滅⁉

2020年04月26日(日) [日帰り]
 - 拍手
Machapuchare その他1人
体力度
2
日帰りが可能
GPS
06:20
距離
17.2km
登り
525m
下り
510m
歩くペース
ゆっくり
1.21.3
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

日帰り
山行
5:21
休憩
0:58
合計
6:19
8:16
4
須恵古代館駐車場
8:20
8:24
25
築山古墳
8:49
8:49
5
「古代塩の道」入口道標
8:54
8:55
6
広高山頂上
9:01
9:12
6
美和神社
9:18
9:18
3
「古代塩の道」入口道標(2回目)
9:21
9:21
15
サザラシ1号墳&朝日寺&サザラシ谷分岐
9:36
9:36
20
「古代塩の道」道標<写真26>
9:56
9:57
38
県道224号線出合
10:35
10:44
8
正八幡宮
10:52
10:52
41
須恵郷古道道標
11:33
11:33
16
三平池南東アスファルト道出合
11:49
12:12
63
寒風古窯跡群
13:15
13:23
43
新池(含周辺古道探索)
14:06
14:07
4
サザラシ1号墳
14:11
14:11
2
サザラシ1号墳&朝日寺&サザラシ谷分岐(2回目)
14:13
14:13
22
「古代塩の道」入口道標(3回目)
14:35
須恵古代館駐車場
展望や史跡、旬の動植物観察などを楽しむコース
歩行距離17km、歩行時間5時間20分、歩行数27,200歩、消費カロリー3,190Kcal
天候 晴れ時々曇り
過去天気図(気象庁) 2020年04月の天気図
アクセス
利用交通機関:
自家用車
 「須恵古代館」の南側にある駐車場に自動車を停めました。砂利のスペースも含めて10台程駐車できます。また、西の道路脇には8台程自動車を停められるスペースがあります。
 さらに、美和神社随身門<写真17>南に広い駐車スペース、正(しょう)八幡宮<写真44〜48>には普通車十数台のスペース、寒風古窯跡群(さぶかぜこようせきぐん)<写真55〜59>南にある寒風陶芸会館には普通車30台の駐車場があります。 
コース状況/
危険箇所等
 大半は舗装道路や整備された土道ですが、あるはずの土道がなくルート変更やヤブコギを余儀なくされた箇所があります。寒風古窯跡群(さぶかぜこようせきぐん)の案内板<写真55>に表示された岡山ブルーラインより南の古道はまさかのすべて再消滅⁉
 ヤブコギは新池<写真72>からサザラシ1号墳<写真73,74>までで、途中までの沢沿いはなんとなく踏み跡らしきものもありました。西に方向転換してから尾根に出るまでは、崩れやすい斜面で上りでも要注意でしたが、尾根に出ると次第に道らしくなり、サザラシ1号墳<写真73,74>が見えました。

 美和神社<写真17〜24>方面に向かう舗装道路から「古代塩の道」で県道224号線出合までは土道です。
 舗装道路には「古代塩の道」入口の道標があり、そこから土道に入って南下しました。標高140m辺りは分岐で、直進はサザラシ1号墳<写真73,74>で行き止まり(のはずが、ヤブコギで新池<写真72>から到達)、西はサザラシ谷ルート(新池<写真72>と中池<写真70>の間に出るはずのルートで、おそらく倒竹などにより消滅)、東は「古代塩の道」で朝日寺方面へと向かいます。東の道に入って南東に進むと、途中からは鉄塔巡視路で標高100m辺りから小石がゴロゴロしていましたが、そのうちにマシになり、標高60mをきる辺りに美和神社<写真17〜24>への道標がありコンクリート道に変わりました。県道224号線出合にも道標がありました。

 須恵郷古道道標<写真49>から寒風古窯跡群(さぶかぜこようせきぐん)<写真55〜59>までは、正八幡宮ルートのはずが、途中からヤブでルート変更しました。
 道標<写真49>から南下すると、標高15m辺りで道は直進上りと南西への草が茂った土道に分かれました。直進(南下)のほうが明瞭でしたが、正八幡宮ルートのはずの南西方面に進みました。
 カベラ池<写真50>を過ぎると次第に怪しくなり、標高60m過ぎでとうとう南西方面はヤブになりました。幸い、整備された道は南東へ延びていたので、そちらに進み鉄塔巡視路に合流、送電線沿いに南西に進んでみましたが、鉄塔で行き止まりだったので引き返し途中からは地形図の破線の道どおりでした。標高55m辺りでコンクリート道になり、三平池<写真53>南東の舗装道路に出合い、無事に寒風古窯跡群(さぶかぜこようせきぐん)<写真55〜59>に到着しました。

 寒風古窯跡群(さぶかぜこようせきぐん)<写真55〜59>から県道224号線出合までは、南大土井ルートで北上するつもりだったのですが、フタスジサナエ♀<写真60>撮影地点の池から北はヤブでした。池を一周してみましたが、道はなく、草地を突っ切って戻りました。そのすぐ南の笹場池から延びる岩崎ルートは私有地につき立ち入り禁止だったので、舗装道路で大きく西側を迂回しました。予定の南大土井ルートは、五角柱地神碑&牛石像<写真68>付近へと延びているはずだったようです。

 県道224号線から新池<写真72>を経てサザラシ1号墳<写真73,74>までは、中池<写真70>と新池<写真72>の間から北上するサザラシ谷ルートに入れず、ヤブコギすることになりました。
 舗装道路を進むと、中池<写真70>から土道になり、新池<写真72>で行き止まりになりました。引き返し、中池<写真70>との間から北上するサザラシ谷ルートの入口を探しましたが、それらしき竹林は斜めに倒れた竹だらけで入れそうになく、周辺にも明瞭な道はありませんでした。ここまで来て引き返すのもと、ヤブコギすることにしました。
 新池<写真72>のほとりは、木が茂っていましたが、中腰なら枝をかき分けずに歩けました。さらに進むと、所々かき分けなければ歩けなくなりましたが、足元はなんとなく踏み跡のように思えました。ちょろちょろ流れの細い沢に出合うと歩きやすいほうを選んで何度かまたぎながら進み、標高70m近くで木がまばらになってきたので、西に方向転換し尾根に向かって崩れやすい斜面を木を掴みながら登りました。
 標高130m近くになると、なんとなく踏み跡らしくなりはじめ、次第に一本道に見えてきました。サザラシ1号墳<写真73,74>が見えたときにはほっとしました。
 古墳からは整備された土道で「古代塩の道」入口の道標で舗装道路に出合いました。
その他周辺情報  スタート&ゴール地点の須恵古代館前の県道39号線を東北東に数百メートル進んだところに「日本一のだがし売場」があります。駄菓子やおもちゃなど懐かしい商品が税込み10円単位で売られており、幅広い年齢層の客でにぎわっています。現在、売り場の一部のみ営業中です。
 また、須恵古代館の北西、国道2号線と吉井川が交わる辺りに「おさふねサービスエリア」があります。日帰り入浴可能な温泉施設があり、レストランでは土日祝日はランチバイキングが楽しめます。なお、5月6日まで全館休館です。
01ムラサキハナナ
アブラナ科の一年草で、発芽した状態で冬を越し春に開花します。オオアラセイトウといいますが、園芸品種としてはムラサキハナナの名で知られています。須恵古代館(とりあえず5月6日まで休館)の駐車場の南にたくさん咲いていました。
01ムラサキハナナ
アブラナ科の一年草で、発芽した状態で冬を越し春に開花します。オオアラセイトウといいますが、園芸品種としてはムラサキハナナの名で知られています。須恵古代館(とりあえず5月6日まで休館)の駐車場の南にたくさん咲いていました。
02シロツメクサ
シロツメクサはマメ科の多年草で、別名クローバーとも呼ばれます。長さ約1cmの白い蝶形花が30〜70個集まって球状の花序をつくっています。土がいいのか、花序の直径は3cm近くありました。
02シロツメクサ
シロツメクサはマメ科の多年草で、別名クローバーとも呼ばれます。長さ約1cmの白い蝶形花が30〜70個集まって球状の花序をつくっています。土がいいのか、花序の直径は3cm近くありました。
03セイヨウタンポポ
アカミタンポポと同じく、外来種のタンポポです。在来種とは違い、花の付け根にある総苞外片が反り返ります。綿毛のついた種は、淡い灰褐色なので、赤褐色のアカミタンポポと区別できます。
03セイヨウタンポポ
アカミタンポポと同じく、外来種のタンポポです。在来種とは違い、花の付け根にある総苞外片が反り返ります。綿毛のついた種は、淡い灰褐色なので、赤褐色のアカミタンポポと区別できます。
04築山古墳石棺
5世紀の後半から6世紀の前半頃に築造されたと考えられている前方後円墳で、岡山県指定の史跡に登録されています。家型石棺は凝灰岩で造られており、現在では熊本県で出土する「阿蘇ピンク石」を原材料としていると考えられています。
04築山古墳石棺
5世紀の後半から6世紀の前半頃に築造されたと考えられている前方後円墳で、岡山県指定の史跡に登録されています。家型石棺は凝灰岩で造られており、現在では熊本県で出土する「阿蘇ピンク石」を原材料としていると考えられています。
05ツバキ
白い花のツバキの花言葉は「完全なる美しさ」「至上の愛らしさ」。まだ開き切っておらず、とても綺麗でした。側に祠がありました。
05ツバキ
白い花のツバキの花言葉は「完全なる美しさ」「至上の愛らしさ」。まだ開き切っておらず、とても綺麗でした。側に祠がありました。
06美和神社鳥居
この鳥居は、以前は須恵古代館の少し北東の県道39号線沿いに設置されていました。ちょうど冬至の日の太陽が三和ノ峰(広高山<写真14>の古称)から昇るように見える位置です。昭和50年の道路拡張工事に伴い、鳥居はここに移転し、太陽の復活と五穀豊穣を祈る冬至祭も行われていません。
06美和神社鳥居
この鳥居は、以前は須恵古代館の少し北東の県道39号線沿いに設置されていました。ちょうど冬至の日の太陽が三和ノ峰(広高山<写真14>の古称)から昇るように見える位置です。昭和50年の道路拡張工事に伴い、鳥居はここに移転し、太陽の復活と五穀豊穣を祈る冬至祭も行われていません。
07センダイムシクイ
電線上で「チヨチヨビィー」とさえずっていたので動画にも撮りました。聞きなしは「焼酎一杯グイー」です(*_*;見た目がよく似た野鳥が多いのですが、さえずりを聞くとすぐにわかります。
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07センダイムシクイ
電線上で「チヨチヨビィー」とさえずっていたので動画にも撮りました。聞きなしは「焼酎一杯グイー」です(*_*;見た目がよく似た野鳥が多いのですが、さえずりを聞くとすぐにわかります。
08モチツツジ
伊豆半島以西の本州及び四国に分布する日本固有のツツジです。なぜか岡山市の旭川以西では見られません。この日はコース上、至る所でモチツツジが見られました。
08モチツツジ
伊豆半島以西の本州及び四国に分布する日本固有のツツジです。なぜか岡山市の旭川以西では見られません。この日はコース上、至る所でモチツツジが見られました。
09コバノガマズミ
関東以西の太平洋岸・四国・九州に生育するスイカズラ科の植物です。ガマズミの花が5月になってから咲くのに対し、コバノガマズミは4月に咲き始めます。葉に柔らかい毛があり、ビロードのような手触りです。
09コバノガマズミ
関東以西の太平洋岸・四国・九州に生育するスイカズラ科の植物です。ガマズミの花が5月になってから咲くのに対し、コバノガマズミは4月に咲き始めます。葉に柔らかい毛があり、ビロードのような手触りです。
10ヤマツツジ
花期は4〜6月で枝先の1個の花芽に1から3個の花をつけます。コバノミツバツツジ<写真25>をヤマツツジと思っている人も多いようですが、花色が違います。この日はいろいろなツツジが見られましたが、開花中のヤマツツジはこの1本だけでした。
10ヤマツツジ
花期は4〜6月で枝先の1個の花芽に1から3個の花をつけます。コバノミツバツツジ<写真25>をヤマツツジと思っている人も多いようですが、花色が違います。この日はいろいろなツツジが見られましたが、開花中のヤマツツジはこの1本だけでした。
11祇園様&竜王様
広高山山頂<写真14>へ向う道の途中にありました。
11祇園様&竜王様
広高山山頂<写真14>へ向う道の途中にありました。
12古道と古墳案内図
長船町東須恵と邑久町尻海(しりみ)、長船町西須恵と邑久町尻海をそれぞれ結ぶ古道、およびサザラシ1号墳<写真73,74>の案内が描かれていました。
12古道と古墳案内図
長船町東須恵と邑久町尻海(しりみ)、長船町西須恵と邑久町尻海をそれぞれ結ぶ古道、およびサザラシ1号墳<写真73,74>の案内が描かれていました。
13タチツボスミレの仲間
茎が立ち上がり庭(坪)に咲くスミレという意味です。この仲間も種類が多く、見分けるのはかなり難しいです。
13タチツボスミレの仲間
茎が立ち上がり庭(坪)に咲くスミレという意味です。この仲間も種類が多く、見分けるのはかなり難しいです。
14広高山頂上三角点「美和」
標高166.1mの頂上三角点です。今回、唯一の山名がついた山ですが、展望は効かず、あまり登った感じがしません。舗装道路の北側に石碑があり、ササの間の細い踏み跡を辿るとすぐです。
14広高山頂上三角点「美和」
標高166.1mの頂上三角点です。今回、唯一の山名がついた山ですが、展望は効かず、あまり登った感じがしません。舗装道路の北側に石碑があり、ササの間の細い踏み跡を辿るとすぐです。
15三和ノ峰磐座
三和ノ峰は広高山の古称です。「奥津磐座」と称する磐座(いわくら)で、美和神社の本殿<写真20>が建立されて遷座されるまで、御神体として崇められていました。
1
15三和ノ峰磐座
三和ノ峰は広高山の古称です。「奥津磐座」と称する磐座(いわくら)で、美和神社の本殿<写真20>が建立されて遷座されるまで、御神体として崇められていました。
16美和神社ヤマモモ
瀬戸内市の天然記念物に指定されており、樹齢約300年、根元の周囲7m、樹高10mのご神木です。背後に美和神社の本殿<写真20>が見えています。
16美和神社ヤマモモ
瀬戸内市の天然記念物に指定されており、樹齢約300年、根元の周囲7m、樹高10mのご神木です。背後に美和神社の本殿<写真20>が見えています。
17八重桜越しに
    美和神社随身門
随身門の右に豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)、左に奇磐間戸神(くしいわまどのかみ)が鎮座しています。随身門前は瀬戸内海の展望地となっており、八重桜<写真18>が綺麗に咲いていました。
17八重桜越しに
    美和神社随身門
随身門の右に豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)、左に奇磐間戸神(くしいわまどのかみ)が鎮座しています。随身門前は瀬戸内海の展望地となっており、八重桜<写真18>が綺麗に咲いていました。
18八重桜
間近で見ると、ボタン桜と呼ばれている意味がよくわかります。花はもう傷み始めていました。
18八重桜
間近で見ると、ボタン桜と呼ばれている意味がよくわかります。花はもう傷み始めていました。
19美和神社拝殿
7世紀頃に奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社から勧請したといわれている神社です。ご祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)です。
19美和神社拝殿
7世紀頃に奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社から勧請したといわれている神社です。ご祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)です。
20美和神社本殿
   &日吉神社&稲荷神社
本殿の右側前に日吉神社、後方に稲荷神社がありました。
20美和神社本殿
   &日吉神社&稲荷神社
本殿の右側前に日吉神社、後方に稲荷神社がありました。
21美和神社若宮神社
      &神輿蔵跡
本殿<写真20>の後ろにありました。慶安元年(1648年)の記録に神輿(みこし)3基、流鏑馬(やぶさめ)に参加する馬3頭との記述があるそうで、かつては盛大な祭りが行われていたようです。
21美和神社若宮神社
      &神輿蔵跡
本殿<写真20>の後ろにありました。慶安元年(1648年)の記録に神輿(みこし)3基、流鏑馬(やぶさめ)に参加する馬3頭との記述があるそうで、かつては盛大な祭りが行われていたようです。
22広高神社遥拝所
秋の大祭には瀬戸内市長船町東須恵と西須恵の祷主と神職および従者数名が、牛窓町の海岸(埋め立て以前は邑久町尻海の海岸)で潮ごりをとり、身を清めて尻海(しりみ)の広高神社へ酒・米など供えます。その関係で、境内には広高神社の遥拝所があります。
22広高神社遥拝所
秋の大祭には瀬戸内市長船町東須恵と西須恵の祷主と神職および従者数名が、牛窓町の海岸(埋め立て以前は邑久町尻海の海岸)で潮ごりをとり、身を清めて尻海(しりみ)の広高神社へ酒・米など供えます。その関係で、境内には広高神社の遥拝所があります。
23モチノキ雄花
雌雄異株で各々単性花をつけます。雄花は葉腋に10個ほど束生し、雌花は葉腋から4、5個ほどの花柄を出し先端に小花をつけます。
23モチノキ雄花
雌雄異株で各々単性花をつけます。雄花は葉腋に10個ほど束生し、雌花は葉腋から4、5個ほどの花柄を出し先端に小花をつけます。
24美和神社より小豆島
美和神社の前から瀬戸内海が一望できます。この日は視界があまり効きませんでしたが、奥の方に小豆島、その手前に前島が幻想的に映っていました。ここまでは舗装道路でしたが、少し引き返し「古代塩の道」の道標から土道に入って南東に向かいました。
24美和神社より小豆島
美和神社の前から瀬戸内海が一望できます。この日は視界があまり効きませんでしたが、奥の方に小豆島、その手前に前島が幻想的に映っていました。ここまでは舗装道路でしたが、少し引き返し「古代塩の道」の道標から土道に入って南東に向かいました。
25コバノミツバツツジ
思っていたより咲き残っていました。モチツツジ<写真08>とのコラボがあちこちで見られました。
25コバノミツバツツジ
思っていたより咲き残っていました。モチツツジ<写真08>とのコラボがあちこちで見られました。
26「古代塩の道」道標
東須恵・尻海ルート&西須恵ルートの分岐です。北西に進むと、大池・中池・妻池と3つ並んだ池のほとりに出ます。長船町東須恵・西須恵と邑久(おく)町尻海(しりみ)とを結ぶ道は、昭和30年頃までは海産物などを運ぶ主要道だったそうです。道は途中から鉄塔巡視路で、小石がゴロゴロした道がしばらく続くと、コンクリート道になりました。
26「古代塩の道」道標
東須恵・尻海ルート&西須恵ルートの分岐です。北西に進むと、大池・中池・妻池と3つ並んだ池のほとりに出ます。長船町東須恵・西須恵と邑久(おく)町尻海(しりみ)とを結ぶ道は、昭和30年頃までは海産物などを運ぶ主要道だったそうです。道は途中から鉄塔巡視路で、小石がゴロゴロした道がしばらく続くと、コンクリート道になりました。
27ウマノアシガタ
枝分かれをした花茎の先に1つずつ黄色い花をつけています。 花弁は5枚で横に開き、光沢があります。 群生を動画に撮りました。
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27ウマノアシガタ
枝分かれをした花茎の先に1つずつ黄色い花をつけています。 花弁は5枚で横に開き、光沢があります。 群生を動画に撮りました。
28ミヤコグサ
マメ科らしい形の黄色い花を咲かせます。花期は長く、春から秋まで咲き続けますが、特に春と秋に数多く花が開きます。セイヨウミヤコグサとは違い、葉や茎に毛がなく、花は1か所に1〜3つしかつきません。県道224号線出合いで群生を動画に撮りました。
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28ミヤコグサ
マメ科らしい形の黄色い花を咲かせます。花期は長く、春から秋まで咲き続けますが、特に春と秋に数多く花が開きます。セイヨウミヤコグサとは違い、葉や茎に毛がなく、花は1か所に1〜3つしかつきません。県道224号線出合いで群生を動画に撮りました。
29ノヂシャ&オヘビイチゴ
ノヂシャはヨーロッパ原産の帰化植物でこの頃から淡青色の2mm程の小さな花を次々と咲かせます。オヘビイチゴは地面から茎を伸ばして、茎先に黄色い小さな花を咲かせます。葉が5枚セットなのでわかりやすいです。
29ノヂシャ&オヘビイチゴ
ノヂシャはヨーロッパ原産の帰化植物でこの頃から淡青色の2mm程の小さな花を次々と咲かせます。オヘビイチゴは地面から茎を伸ばして、茎先に黄色い小さな花を咲かせます。葉が5枚セットなのでわかりやすいです。
30ヘラオオバコ
江戸時代末期に渡来し、日本に帰化しました。 葉は全て根生葉(根元に生える葉)で、細長いヘラ状です。春〜夏に、茎先端につける花穂は穂状花序で白花が下から上へ順に咲き上がります。
30ヘラオオバコ
江戸時代末期に渡来し、日本に帰化しました。 葉は全て根生葉(根元に生える葉)で、細長いヘラ状です。春〜夏に、茎先端につける花穂は穂状花序で白花が下から上へ順に咲き上がります。
31ホオジロ♂
上を向いてずっとさえずっていました(*^^*)動画でもその様子を撮りました。さえずりには個体差があります。
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31ホオジロ♂
上を向いてずっとさえずっていました(*^^*)動画でもその様子を撮りました。さえずりには個体差があります。
32コマツヨイグサ
マツヨイグサ属の中では花が小さく、直径2cm程です。花はしぼむと赤みを帯びます。明治に渡来し帰化した駆除対象の外来種です。うちの敷地内にもよく生えてきます。
32コマツヨイグサ
マツヨイグサ属の中では花が小さく、直径2cm程です。花はしぼむと赤みを帯びます。明治に渡来し帰化した駆除対象の外来種です。うちの敷地内にもよく生えてきます。
33カワラヒワ
ウグイスの鳴き声のほうがよく聞こえていますが、耳を澄ますとビィーと鳴いているのがわかりました(*^^*)動画でもその様子を撮りましたが、鈴を転がすような美しいさえずりが聞こえなかったのが残念です。スズメよりも少し小柄なくせに、恐ろしく気が強いので、我が家ではカワラヒワの親分と呼んでいます。
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33カワラヒワ
ウグイスの鳴き声のほうがよく聞こえていますが、耳を澄ますとビィーと鳴いているのがわかりました(*^^*)動画でもその様子を撮りましたが、鈴を転がすような美しいさえずりが聞こえなかったのが残念です。スズメよりも少し小柄なくせに、恐ろしく気が強いので、我が家ではカワラヒワの親分と呼んでいます。
34マツバウンラン
真ん中が白くぷっくりと膨れてその上下に花弁が開いています。我が家の庭にも咲いています。
34マツバウンラン
真ん中が白くぷっくりと膨れてその上下に花弁が開いています。我が家の庭にも咲いています。
35尻海(しりみ)処理区
        マンホール
瀬戸内市の市章と、尻海だんじりまつりで引き出される東町(ひがしちょう)だんじりのデザインです。
35尻海(しりみ)処理区
        マンホール
瀬戸内市の市章と、尻海だんじりまつりで引き出される東町(ひがしちょう)だんじりのデザインです。
36アヤメ
同じ漢字でも菖蒲(アヤメ)と菖蒲(ショウブ)は別物です。花弁の網目模様が特徴です。
36アヤメ
同じ漢字でも菖蒲(アヤメ)と菖蒲(ショウブ)は別物です。花弁の網目模様が特徴です。
37サヤエンドウの花
その名の通り、「さや」を食べる「えんどう豆」です。そのまま成長を続けると豆が膨らみさやが厚みを増す「スナップえんどう」になり、豆の部分がグリーンピースとなります。ちなみに、発芽したばかりの若いエンドウが豆苗です。
37サヤエンドウの花
その名の通り、「さや」を食べる「えんどう豆」です。そのまま成長を続けると豆が膨らみさやが厚みを増す「スナップえんどう」になり、豆の部分がグリーンピースとなります。ちなみに、発芽したばかりの若いエンドウが豆苗です。
38イチゴの花
バラ科で、開花時期に直径3cmほどの白やピンクの5枚の花びらを持つ花を咲かせます。ここのは露地栽培でした。
38イチゴの花
バラ科で、開花時期に直径3cmほどの白やピンクの5枚の花びらを持つ花を咲かせます。ここのは露地栽培でした。
39邑久郡八十八か所霊場
        南巡り7番
南巡り八十八か所は毎年5月21日に「御接待」という行事が行われ、各大師堂ではたくさんのお菓子がもらえます。日本版ハロウィーンのようで人気の行事ですが、今年は・・・(*_*;
39邑久郡八十八か所霊場
        南巡り7番
南巡り八十八か所は毎年5月21日に「御接待」という行事が行われ、各大師堂ではたくさんのお菓子がもらえます。日本版ハロウィーンのようで人気の行事ですが、今年は・・・(*_*;
40ハナズオウ
春になると葉が出る前に、小さな花を密集して枝につけ、ひときわ目を引く存在となります。
40ハナズオウ
春になると葉が出る前に、小さな花を密集して枝につけ、ひときわ目を引く存在となります。
41オウバイモドキ
ウンナンオウバイともいわれます。オウバイ(黄梅)とよく似た花を咲かせることにちなんでその名がつけられていますが、オウバイとは違い常緑です。花は傷みかけて白っぽくなったものもありました。
41オウバイモドキ
ウンナンオウバイともいわれます。オウバイ(黄梅)とよく似た花を咲かせることにちなんでその名がつけられていますが、オウバイとは違い常緑です。花は傷みかけて白っぽくなったものもありました。
42カリン
花言葉の「豊麗」は、春に淡く美しいピンク色の花を豊かに咲かせることにちなむといわれます。果実は10月〜11月ごろに熟します。
42カリン
花言葉の「豊麗」は、春に淡く美しいピンク色の花を豊かに咲かせることにちなむといわれます。果実は10月〜11月ごろに熟します。
43シロヤマブキ
日本に自生するものは少なく、絶滅危惧種に指定されています。花の寿命は短く、数日で落ちます。ただ黒い果実は非常に長く残ります。これは園芸品種として植えられたものかもしれません。
43シロヤマブキ
日本に自生するものは少なく、絶滅危惧種に指定されています。花の寿命は短く、数日で落ちます。ただ黒い果実は非常に長く残ります。これは園芸品種として植えられたものかもしれません。
44正八幡宮随身門
県道224号線を進み、岡山ブルーラインを越えると、ここに行き着きました。通称は大土井正(しょう)八幡宮です。
44正八幡宮随身門
県道224号線を進み、岡山ブルーラインを越えると、ここに行き着きました。通称は大土井正(しょう)八幡宮です。
45蟲神社
ご祭神は少彦名彦(すくなびこなのみこと)で、病、虫、鳥獣の害を除く神様といわれています。「新型コロナウイルスの感染が終息しますように」と祈願しました。
45蟲神社
ご祭神は少彦名彦(すくなびこなのみこと)で、病、虫、鳥獣の害を除く神様といわれています。「新型コロナウイルスの感染が終息しますように」と祈願しました。
46正八幡宮拝殿
元正天皇の養老元年(717年)、豊前国宇佐から勧請したと伝えられています。
46正八幡宮拝殿
元正天皇の養老元年(717年)、豊前国宇佐から勧請したと伝えられています。
47正八幡宮本殿
   &荒神社&七柱社
應永年中(1394〜1427年)清原備前守沙彌が本殿を建立しました。社領は九十町ありました。七柱社のご祭神は宗像神(むなかたのかみ)など七神、荒神社のご祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。高天原から追放された命(みこと)は罪をあがない疫気を祓う威力を発する強い疫神様として古くから祀られました。
47正八幡宮本殿
   &荒神社&七柱社
應永年中(1394〜1427年)清原備前守沙彌が本殿を建立しました。社領は九十町ありました。七柱社のご祭神は宗像神(むなかたのかみ)など七神、荒神社のご祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。高天原から追放された命(みこと)は罪をあがない疫気を祓う威力を発する強い疫神様として古くから祀られました。
48高良神社&
  正八幡宮本庄口一の鳥居
高良神社のご祭神は武内宿禰(たけうちすくね)です。軍政に長け、国内平定に活躍し、霊媒的能力を持った長寿の人で『日本書紀』では、景行、仲哀、神功、応仁、仁徳の各天皇に仕えたとされています。同一人物なら300歳以上・・・(*_*;鳥居は、再建の際に撤去しここに祀られたものです。
48高良神社&
  正八幡宮本庄口一の鳥居
高良神社のご祭神は武内宿禰(たけうちすくね)です。軍政に長け、国内平定に活躍し、霊媒的能力を持った長寿の人で『日本書紀』では、景行、仲哀、神功、応仁、仁徳の各天皇に仕えたとされています。同一人物なら300歳以上・・・(*_*;鳥居は、再建の際に撤去しここに祀られたものです。
49須恵郷古道道標
ここから寒風古窯跡群(さぶかぜこようせきぐん)<写真55〜59>に向かいました。麦が青々していました。
49須恵郷古道道標
ここから寒風古窯跡群(さぶかぜこようせきぐん)<写真55〜59>に向かいました。麦が青々していました。
50カベラ池
ここからさらに南西に進みましたが、途中で不明瞭になったため、きれいな道に入って南東に進みました。途中からは鉄塔巡視路でした。
50カベラ池
ここからさらに南西に進みましたが、途中で不明瞭になったため、きれいな道に入って南東に進みました。途中からは鉄塔巡視路でした。
51アケビ
コンクリート道に出て少し進んだ所です。1本の木に雄花と雌花があります。花びらは3枚で、雄花の中央部には6本の雄しべがミカンの房状に、雌花の中央部にはバナナの果実のような6〜9本の雌しべが放射状についています。
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51アケビ
コンクリート道に出て少し進んだ所です。1本の木に雄花と雌花があります。花びらは3枚で、雄花の中央部には6本の雄しべがミカンの房状に、雌花の中央部にはバナナの果実のような6〜9本の雌しべが放射状についています。
52セイヨウカラシナ
セイヨウと名が付きますが、かなり古くに中国から伝わった帰化植物です。昔は菜の花といえば、アブラナやセイヨウアブラナだったのですが、今や春の時期を彩る野草の代名詞の一つになっています。花はまばらにつき、葉は茎を抱きません。動画も撮りました。
52セイヨウカラシナ
セイヨウと名が付きますが、かなり古くに中国から伝わった帰化植物です。昔は菜の花といえば、アブラナやセイヨウアブラナだったのですが、今や春の時期を彩る野草の代名詞の一つになっています。花はまばらにつき、葉は茎を抱きません。動画も撮りました。
53三平(さんぺい)池
寒風古窯跡群(さぶかぜこようせきぐん)<写真55〜59>の南東にある池です。下に下りて一人で釣りをしている人がおられました。
53三平(さんぺい)池
寒風古窯跡群(さぶかぜこようせきぐん)<写真55〜59>の南東にある池です。下に下りて一人で釣りをしている人がおられました。
54チューリップ
花壇にピンク色のチューリップが並んでいました。そろそろチューリップが咲く時期となりました。
54チューリップ
花壇にピンク色のチューリップが並んでいました。そろそろチューリップが咲く時期となりました。
55国指定史跡
   「寒風古窯跡群」
7世紀初頭から8世紀初頭の約100年間にわたって須恵器が焼かれていたところです。出土遺物は杯や甕(かめ)など一般的なものの他に寺院の屋根の鴟尾(しび)や役所で使用される硯、陶棺があり、焼かれた須恵器が奈良の都からも出土することから、単なる地方窯ではなく、半官窯的な性格をもつ窯であることがうかがえます。史跡内には長さ10メートルを越える窖窯(あながま)が5基確認されています。
55国指定史跡
   「寒風古窯跡群」
7世紀初頭から8世紀初頭の約100年間にわたって須恵器が焼かれていたところです。出土遺物は杯や甕(かめ)など一般的なものの他に寺院の屋根の鴟尾(しび)や役所で使用される硯、陶棺があり、焼かれた須恵器が奈良の都からも出土することから、単なる地方窯ではなく、半官窯的な性格をもつ窯であることがうかがえます。史跡内には長さ10メートルを越える窖窯(あながま)が5基確認されています。
56寒風古墳
石室は長さ3.2m、奥壁の幅92cm、周溝のある直径6.5mの円墳です。平成17年の調査により「須恵器床」と呼ばれる甕(かめ)の割れを敷いた岡山県でも例のない特殊な床を持つ古墳であることが確認されました。この甕は寒風1号窯<写真58>で焼かれていることも分かり、窯に近い場所に造られていることから、寒風での須恵器生産を行う工人をまとめた有力者の墓ではないかと考えられます。周辺は埋め戻され、草地になっていました。
56寒風古墳
石室は長さ3.2m、奥壁の幅92cm、周溝のある直径6.5mの円墳です。平成17年の調査により「須恵器床」と呼ばれる甕(かめ)の割れを敷いた岡山県でも例のない特殊な床を持つ古墳であることが確認されました。この甕は寒風1号窯<写真58>で焼かれていることも分かり、窯に近い場所に造られていることから、寒風での須恵器生産を行う工人をまとめた有力者の墓ではないかと考えられます。周辺は埋め戻され、草地になっていました。
57寒風古窯跡群工房跡
昭和53年の調査で、4基の窯の存在の可能性が指摘されました。また、隣接する場所に同時期の竪穴建物が確認され、粘土の塊の発見により工房ではないかと考えられています。
57寒風古窯跡群工房跡
昭和53年の調査で、4基の窯の存在の可能性が指摘されました。また、隣接する場所に同時期の竪穴建物が確認され、粘土の塊の発見により工房ではないかと考えられています。
58寒風古窯跡群1−宜耆卆
1−詰卆廚7世紀後半に使用されていた窯の跡です。寒風古窯跡群では最大で、寺院の飾り瓦の鴟尾(しび)や陶棺などが焼かれていたそうです。ここも草が茂った斜面で、説明板がなければわかりません。
58寒風古窯跡群1−宜耆卆
1−詰卆廚7世紀後半に使用されていた窯の跡です。寒風古窯跡群では最大で、寺院の飾り瓦の鴟尾(しび)や陶棺などが焼かれていたそうです。ここも草が茂った斜面で、説明板がなければわかりません。
59寒風古窯跡群灰原
発掘の結果、最大で約2mの深さまで廃棄物が堆積していることが分かりました。灰原跡の地表には、今でも須恵器の破片や窯の壁の破片が散乱しているようですが、ほとんど取り除かれていました。ここからさらに道があるはずでしたが、前方はヤブのため、池の北側からまわってみることにしました。
59寒風古窯跡群灰原
発掘の結果、最大で約2mの深さまで廃棄物が堆積していることが分かりました。灰原跡の地表には、今でも須恵器の破片や窯の壁の破片が散乱しているようですが、ほとんど取り除かれていました。ここからさらに道があるはずでしたが、前方はヤブのため、池の北側からまわってみることにしました。
60フタスジサナエ♀
胸部前面の黄色い筋模様が縦横つながっており、胸部側面の黒条2本が完全に上まで伸びています。メスは鮮やかな黄色になります。池沼開発や汚染などで生息地は徐々に減少しており、準絶滅危惧種に指定されています。岡山県では、早い年で4月下旬から羽化がはじまり、6月下旬まで見られます。結局、池から延びる道はなく、草地を突っ切って戻りました。
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60フタスジサナエ♀
胸部前面の黄色い筋模様が縦横つながっており、胸部側面の黒条2本が完全に上まで伸びています。メスは鮮やかな黄色になります。池沼開発や汚染などで生息地は徐々に減少しており、準絶滅危惧種に指定されています。岡山県では、早い年で4月下旬から羽化がはじまり、6月下旬まで見られます。結局、池から延びる道はなく、草地を突っ切って戻りました。
61タチジャコウソウ
南ヨーロッパ原産のハーブで、コモンタイムとも呼ばれ、主にハムやソースに用いられます。殺菌作用が強いので、食品の防腐剤としても利用されています。このすぐ南にある寒風陶芸会館は5月7日まで休館です。ここからは北上できそうになかったので、舗装道路を進み西から迂回するとにしました。
61タチジャコウソウ
南ヨーロッパ原産のハーブで、コモンタイムとも呼ばれ、主にハムやソースに用いられます。殺菌作用が強いので、食品の防腐剤としても利用されています。このすぐ南にある寒風陶芸会館は5月7日まで休館です。ここからは北上できそうになかったので、舗装道路を進み西から迂回するとにしました。
62レンゲ畑越しに73.3m峰
レンゲ(レンゲソウ、ゲンゲ)が栽培されるのは冬の間です。レンゲは水田にとって大切な肥料です。半月後にはこの場所にイネが植えられるのでしょう。動画も撮りました。
62レンゲ畑越しに73.3m峰
レンゲ(レンゲソウ、ゲンゲ)が栽培されるのは冬の間です。レンゲは水田にとって大切な肥料です。半月後にはこの場所にイネが植えられるのでしょう。動画も撮りました。
63ゲンゲ(レンゲソウ)
      &ハハコグサ
ゲンゲは花の形が「蓮の華」に似ているのでレンゲと呼ばれています。接近してみると、とても鮮やかで美しい花です。右の黄色い花はハハコグサで、春の七草のゴギョウとしてお馴染みの植物です。
63ゲンゲ(レンゲソウ)
      &ハハコグサ
ゲンゲは花の形が「蓮の華」に似ているのでレンゲと呼ばれています。接近してみると、とても鮮やかで美しい花です。右の黄色い花はハハコグサで、春の七草のゴギョウとしてお馴染みの植物です。
64ムラサキサギゴケ
花の形を鷺(さぎ)の飛ぶ姿にたとえ、苔のように地面に広がるのでこの名がつきました。よく似たトキワハゼよりも花が大きく2cm程で、匍匐枝を出します。
64ムラサキサギゴケ
花の形を鷺(さぎ)の飛ぶ姿にたとえ、苔のように地面に広がるのでこの名がつきました。よく似たトキワハゼよりも花が大きく2cm程で、匍匐枝を出します。
65オドリコソウ
花の形を扇子を持って菅笠をかぶった踊り子に見立ててこの名があります。花の色は淡紅紫色と白色があり、地域によってだいたいどちらかに決まっており,両方が混生することは多くないようです。
65オドリコソウ
花の形を扇子を持って菅笠をかぶった踊り子に見立ててこの名があります。花の色は淡紅紫色と白色があり、地域によってだいたいどちらかに決まっており,両方が混生することは多くないようです。
66二条大麦畑越しに98m峰
大麦の穂は、軸の左右に3列ずつ花をつけますが、六条大麦は3列全てに実がつき左右合わせて6列、二条大麦は3列のうち中央の花にだけ実がつき左右合わせて2列に実がつくためこう呼ばれます。日本のビールは主に二条大麦を使用しています。風になびく様を動画に撮りました。
66二条大麦畑越しに98m峰
大麦の穂は、軸の左右に3列ずつ花をつけますが、六条大麦は3列全てに実がつき左右合わせて6列、二条大麦は3列のうち中央の花にだけ実がつき左右合わせて2列に実がつくためこう呼ばれます。日本のビールは主に二条大麦を使用しています。風になびく様を動画に撮りました。
67鬱金桜越しに98m峰
鬱金桜(ウコンザクラ)は、数百品種あるサクラのうちで唯一、黄色の花を咲かせるサクラですが、花は盛りを過ぎると赤みを帯びます。動画も撮りました。
67鬱金桜越しに98m峰
鬱金桜(ウコンザクラ)は、数百品種あるサクラのうちで唯一、黄色の花を咲かせるサクラですが、花は盛りを過ぎると赤みを帯びます。動画も撮りました。
68五角柱地神碑&牛石像
埴安媛命(ハニヤスヒメノミコト)、倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)、天照大神(アマテラスオオミカミ)、少彦名命(スクナヒコナノミコト)の五神名が刻まれています。牛のほうは牛神様でしょうか。岡山ブルーラインを越えた辺りで満開のモチツツジ<写真08>を動画に撮りました。
68五角柱地神碑&牛石像
埴安媛命(ハニヤスヒメノミコト)、倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)、天照大神(アマテラスオオミカミ)、少彦名命(スクナヒコナノミコト)の五神名が刻まれています。牛のほうは牛神様でしょうか。岡山ブルーラインを越えた辺りで満開のモチツツジ<写真08>を動画に撮りました。
69サルトリイバラ雄花
花は3〜4月に、展葉とともに葉腋から散形花序を出し黄緑色の花を多数付けます。トゲに引っかかると厄介なので、ヤブコギ中にはお目にかかりたくない植物ですが、秋に見られる直径1cm少々の赤い実は綺麗です。少し進んだ所でコバノミツバツツジ<写真25>を動画に撮りました。
69サルトリイバラ雄花
花は3〜4月に、展葉とともに葉腋から散形花序を出し黄緑色の花を多数付けます。トゲに引っかかると厄介なので、ヤブコギ中にはお目にかかりたくない植物ですが、秋に見られる直径1cm少々の赤い実は綺麗です。少し進んだ所でコバノミツバツツジ<写真25>を動画に撮りました。
70中池
中央のこんもりとした円錐形は、新池<写真72>の北に延びている尾根です。この東の谷をヤブコギすることになろうとは思ってもみませんでした。ここから土道でしたが、轍があり、快適でした。
70中池
中央のこんもりとした円錐形は、新池<写真72>の北に延びている尾根です。この東の谷をヤブコギすることになろうとは思ってもみませんでした。ここから土道でしたが、轍があり、快適でした。
71ハナニラ
春に淡い藤色からピンク、白の星形の花をよく咲かせ、丈夫で手間いらずな植物です。葉や球根を傷つけると、その名のとおりネギやニラのようなにおいがするようです。なぜか1株だけ雑草のようになっていました。
71ハナニラ
春に淡い藤色からピンク、白の星形の花をよく咲かせ、丈夫で手間いらずな植物です。葉や球根を傷つけると、その名のとおりネギやニラのようなにおいがするようです。なぜか1株だけ雑草のようになっていました。
72新池
ハート型をした池です。ここで行き止まりでした。中池<写真70>との間に北上する道(サザラシ谷ルート)があるはずでしたが、戻って探しても、入口らしき竹林は斜めに倒れた竹だらけで入れそうになく、周辺にも明瞭な道はありませんでした。ここから引き返すと、また岡山ブルーラインの南まで行かなければなりません。意を決してヤブに突入しました(*_*;
72新池
ハート型をした池です。ここで行き止まりでした。中池<写真70>との間に北上する道(サザラシ谷ルート)があるはずでしたが、戻って探しても、入口らしき竹林は斜めに倒れた竹だらけで入れそうになく、周辺にも明瞭な道はありませんでした。ここから引き返すと、また岡山ブルーラインの南まで行かなければなりません。意を決してヤブに突入しました(*_*;
73サザラシ1号墳石室
ちょろちょろ流れの沢沿いをヤブコギしていると、踏み跡らしきものもありました。崩れやすい斜面を木を掴んでよじ登り、尾根に出ると次第に道らしくなりました。ヤブコギの終点はなんと古墳でした。去年12月8日に訪問しましたが、今回は想定外のスポットでした。
73サザラシ1号墳石室
ちょろちょろ流れの沢沿いをヤブコギしていると、踏み跡らしきものもありました。崩れやすい斜面を木を掴んでよじ登り、尾根に出ると次第に道らしくなりました。ヤブコギの終点はなんと古墳でした。去年12月8日に訪問しましたが、今回は想定外のスポットでした。
74サザラシ1号墳石室内部
古墳時代中期以降の7世紀に造られたとみられる方墳です。無袖式の横穴式石室(奥行5m、幅と高さは1m程)をもち、陶棺が出土したそうです。ここからは道があるので安心です。
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74サザラシ1号墳石室内部
古墳時代中期以降の7世紀に造られたとみられる方墳です。無袖式の横穴式石室(奥行5m、幅と高さは1m程)をもち、陶棺が出土したそうです。ここからは道があるので安心です。
75青虫をくわえたスズメ
スズメも子育てで大変そうです(*^^*)飛び去るまでを動画に撮りました。
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75青虫をくわえたスズメ
スズメも子育てで大変そうです(*^^*)飛び去るまでを動画に撮りました。
76藤の花
ヤマフジとは違い、花序が長く垂れ下がります。ようやく藤の花が咲き始めました。もう一週間もすれば、あちこちで見頃となるでしょう。
76藤の花
ヤマフジとは違い、花序が長く垂れ下がります。ようやく藤の花が咲き始めました。もう一週間もすれば、あちこちで見頃となるでしょう。
77築山古墳越しに桂山
双耳峰の桂山は存在感があります。山麓には古墳群がいくつかあるようです。
77築山古墳越しに桂山
双耳峰の桂山は存在感があります。山麓には古墳群がいくつかあるようです。
78チュウサギ
日本で見られる白鷺(白色をしたサギ)の中では文字通り、コサギとチュウダイサギの中間の大きさです。ここからあまり離れたくなかったようで、一度は飛び立ちましたが、近くに降りました。おかげで、コサギとは違い足の先まで真っ黒なのが確認できました。動画には体はほとんど映っていません。
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78チュウサギ
日本で見られる白鷺(白色をしたサギ)の中では文字通り、コサギとチュウダイサギの中間の大きさです。ここからあまり離れたくなかったようで、一度は飛び立ちましたが、近くに降りました。おかげで、コサギとは違い足の先まで真っ黒なのが確認できました。動画には体はほとんど映っていません。

装備

個人装備
長袖シャツ ズボン 靴下(厚手) 軍手 雨具 日よけ帽子とフード 雨用帽子 登山靴(防水加工) 靴ひも予備 サブザック ザックカバー 地形図 コンパス マップケース 筆記用具 携帯 時計(防水) タオル カメラ 飲料水(スポドリ&茶) 水筒(保温) 非常食(栄養補助食品) スマホ(山使用可能) eTrex30(GPSナビゲーター)

感想

“いつ訪問してものどかなロケーション&まさかの古道再消滅⁉”
 先週の牛窓町散策で瀬戸内市の里歩きは人に出会わずに豊かな自然と史跡を堪能することができると考え、今回は長船町から邑久町、そして牛窓町と三町を散策しました。実際にすれ違ったのは、ゴール直前で美和神社方面に向かう一人のみでした。今が特別なのではなく、2019年以前も美和神社以外は同様でした。
2019年1月13日https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1703416.html
2019年12月8日https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2136991.html
 今回辿ったコースの大半は舗装道路や整備された土道でした。2016年に地元の有志により、古道が復活、道標もあり歩きやすいはずだったのですが、須恵郷古道道標<写真49>の南にあるカベラ池<写真50>を過ぎると雲行きが怪しくなりました。南西に進めば正八幡宮ルートで寒風古窯跡群(さぶかぜこようせきぐん)<写真55>のはずが、前方はヤブ、整備された道は南東へ。おとなしく南東に進み、鉄塔巡視路に合流、無事に三平池<写真53>の南東の舗装道路に出合いました。結局、最短コースの7倍ほど遠回りして寒風古窯跡群に辿り着きました(*_*;
 また、寒風古窯跡群から南大土井ルートで北上するつもりだったのですが、フタスジサナエ♀<写真60>撮影地点の池から北はヤブ、そのすぐ南の笹場池から延びる岩崎ルートは私有地につき立ち入り禁止、舗装道路で大きく西側を迂回しました。
 寒風古窯跡群<写真55>の案内板に表示された岡山ブルーラインより南の古道はまさかのすべて再消滅⁉
 不安を抱えたまま、正八幡宮<写真44〜48>の西側から美和神社<写真17〜24>に延びる道を進みましたが、ハート型をした新池<写真72>から突然、道がなくなりました。中池<写真70>との間から北上するサザラシ谷ルートよ、おまえもか!ここは沢沿いをヤブコギ、途中から広高山<写真14>の南東尾根を詰めていくと、なんと、サザラシ1号墳<写真73>に出てきました\(^o^)/ここからは歩いたことがある道でほっとしました。
 適当に好奇心の赴くまま歩いたので、写真<51〜74>や動画の後半で紹介しているような想定外の自然や史跡にたくさん遭遇し、楽しい散策となりました。ヤブコギも楽しかったかって?もちろん(^^♪

“備前焼のルーツ須恵器の郷を歩く”
 出発点の長船(おさふね)町西須恵にある「須恵古代館」は休館でした。開館時(土日祝日限定)も訪れる人はほとんどいませんでしたが、隣接した築山古墳とともに、ひっそりとしていました。
 その地名(須恵)からわかるように、当地からは数多くの須恵器が出土しています。須恵器は古墳時代中頃(およそ1,600年前)、朝鮮半島から日本にやって来た渡来人技術者により伝えられた焼き物です。周辺一帯からは「邑久古窯跡(おくこようせき)群」と呼ばれる須恵器の窯跡が数多く発見されており、その規模は西日本有数といわれています。長船町、邑久町、牛窓町ではこれまでに約六十基の窯跡が発見されており、古代吉備地方における最大の窯業生産地でした。備前を中心に中世窯業の一大中心地である伊部(いんべ)古窯址(こようせき)群<備前焼>が所在しますが、これは邑久古窯跡群が発展したものとみられています。
 今回のコースの折り返し地点は「寒風古窯跡(さぶかぜこようせき)群」でした。「邑久古窯跡群」の最南端にあたります。標高50〜60mの丘陵の南西斜面に位置し、操業は7世紀の飛鳥時代を中心とした約100年間続きました。昭和61年(1986年)に国の史跡に指定されました。
 窯を築く条件は、焼き物のもとになる「土」(粘土)があること、そして窯を焚く薪があることといわれています。寒風古窯跡群がある所は今でも粘土が採れ、薪も豊富にあったのでしょう。しかし、土と薪は使い続ければ何年、何十年かすればなくなります。邑久古窯跡群が瀬戸内市と備前市の広い範囲に窯を移動して築かれているのはこのためです。寒風古窯跡群が100年間もの長きにわたったのは、出来た須恵器を運び出すのに便利であったからだといわれています。ここから南の谷を1丗らず下った所に、当時海であった錦海(きんかい)湾がありました。そこで焼いた須恵器を船に乗せれば、海路で奈良の都まで運ぶことができたのでしょう。
 寒風古窯跡群で須恵器が焼かれなくなると、窯は北へ移動し、奈良時代には佐山(現備前市)、平安時代前半には福谷(現瀬戸内市)、平安時代後半には磯上(現瀬戸内市)へ生産の中心が移動していきます。そして、平安時代末には伊部(備前市)に大きく移動し生産地を集中させ、この段階で伊部焼とも呼ばれる備前焼の生産が開始されたと考えられています。このため、寒風古窯跡群を含む邑久古窯跡群の須恵器は備前焼のルーツといわれています。
 今でも周辺に備前焼工房があるのは、歴史的にも喜ばしいことです。この伝統工芸がこれからも発展し続けることを祈ります。




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