国民宿舎かじか荘の前に登山口の標柱がありました。
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5/22 11:48
国民宿舎かじか荘の前に登山口の標柱がありました。
しばらくはゲートで閉鎖された舗装車道を行きます。最近見かけなくなった警笛鳴らせの道路標識が立っていました。あれ、左右逆じゃね?笑
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5/22 12:09
しばらくはゲートで閉鎖された舗装車道を行きます。最近見かけなくなった警笛鳴らせの道路標識が立っていました。あれ、左右逆じゃね?笑
壊れたゲートのところから未舗装路に変わります。車の通行も補修もされているのでしょう、路面自体はとてもきれいです。
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5/22 12:13
壊れたゲートのところから未舗装路に変わります。車の通行も補修もされているのでしょう、路面自体はとてもきれいです。
一ノ鳥居です。いよいよご神域の雰囲気。
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5/22 12:45
一ノ鳥居です。いよいよご神域の雰囲気。
このあたりは江戸時代に盛んだった庚申山参詣の道。当時の丁目石や石段が残っています。
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5/22 13:19
このあたりは江戸時代に盛んだった庚申山参詣の道。当時の丁目石や石段が残っています。
庚申山荘。この日(土曜日)皇海山に登られたと思われる方々が三々五々下りてきます。最終組が下山していったのは5時を過ぎていたと思います。
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5/22 13:52
庚申山荘。この日(土曜日)皇海山に登られたと思われる方々が三々五々下りてきます。最終組が下山していったのは5時を過ぎていたと思います。
一夜明けて、まず庚申山を目指しました。滝沢馬琴の南総里見八犬伝ではここで化け猫退治(!)が行われるという奇岩の連なる山。その岩の間を縫うようにして標高差300mあまりを一気に稼ぐ道です。
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5/23 4:42
一夜明けて、まず庚申山を目指しました。滝沢馬琴の南総里見八犬伝ではここで化け猫退治(!)が行われるという奇岩の連なる山。その岩の間を縫うようにして標高差300mあまりを一気に稼ぐ道です。
このあたりを歩いていての感想は、なんか黒戸尾根に似てるなあと。
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5/23 5:07
このあたりを歩いていての感想は、なんか黒戸尾根に似てるなあと。
お山めぐりの道とここで別れます。
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5/23 5:11
お山めぐりの道とここで別れます。
おや、アカヤシオです。ほんのわずか、名残のように花をつけていました。
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5/23 5:23
おや、アカヤシオです。ほんのわずか、名残のように花をつけていました。
勾配が緩くなったら、庚申山頂上。展望なし。
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5/23 5:40
勾配が緩くなったら、庚申山頂上。展望なし。
少し先に行くと皇海山が見えました。どっしりと風格のある山容ですね。
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5/23 5:42
少し先に行くと皇海山が見えました。どっしりと風格のある山容ですね。
ほぼ同じ場所で、シャクナゲと皇海山。
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5/23 5:43
ほぼ同じ場所で、シャクナゲと皇海山。
庚申山からしばらくは緩やかな尾根道です。このあたり一帯、赤色と橙色の菱形標識が登山道のしるしで、これとテープをたどっていけば進路に迷うことは(皆無ではないにしても)全行程を通してあまりありませんでした。
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5/23 5:53
庚申山からしばらくは緩やかな尾根道です。このあたり一帯、赤色と橙色の菱形標識が登山道のしるしで、これとテープをたどっていけば進路に迷うことは(皆無ではないにしても)全行程を通してあまりありませんでした。
駒掛山。
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5/23 6:12
駒掛山。
渓雲岳。小ピークがいくつも連なります。
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5/23 6:23
渓雲岳。小ピークがいくつも連なります。
薬師岳。だいぶ進んできました。
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5/23 6:44
薬師岳。だいぶ進んできました。
白山。そろそろかな?ドキドキ。
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5/23 6:50
白山。そろそろかな?ドキドキ。
でたー!大鎖場。
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5/23 6:57
でたー!大鎖場。
まずは下ります。上半分よりも下半分のほうが傾斜はきついです。
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5/23 6:58
まずは下ります。上半分よりも下半分のほうが傾斜はきついです。
下りの鎖場全体像。写真だと短く緩く見えますが、実物はもっとエグいです。足掛かりはありますが小さく、しかも前日夜の雨で濡れていて滑りました。だましだまし下降。
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5/23 7:01
下りの鎖場全体像。写真だと短く緩く見えますが、実物はもっとエグいです。足掛かりはありますが小さく、しかも前日夜の雨で濡れていて滑りました。だましだまし下降。
鞍部に下りたら次の梯子まで岩の上をトラバース。いちおう鎖が張ってあります。この後梯子の登り→長い鎖の登りと続きますが、岩が乾いていたこともあってかすんなり行けました。
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5/23 7:05
鞍部に下りたら次の梯子まで岩の上をトラバース。いちおう鎖が張ってあります。この後梯子の登り→長い鎖の登りと続きますが、岩が乾いていたこともあってかすんなり行けました。
しかしこの尾根の本当の危険個所は、大鎖場よりも上にいくつも連なる岩場じゃないかと思いました。それぞれは短いのですが、鎖やロープがありませんので慎重に。自分はなめてかかってヒヤリとしました・・・
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5/23 7:13
しかしこの尾根の本当の危険個所は、大鎖場よりも上にいくつも連なる岩場じゃないかと思いました。それぞれは短いのですが、鎖やロープがありませんので慎重に。自分はなめてかかってヒヤリとしました・・・
剣ノ山。
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5/23 7:23
剣ノ山。
六林班峠への分岐にたどり着きました。鋸山頂上は背後すぐです。
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5/23 7:31
六林班峠への分岐にたどり着きました。鋸山頂上は背後すぐです。
鋸山頂上。皇海山がガスりはじめました。
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5/23 7:32
鋸山頂上。皇海山がガスりはじめました。
不動沢のコル。誤って群馬県側の不動沢に下りる人がいないようにとの配慮か?道標が倒されていました。
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5/23 8:03
不動沢のコル。誤って群馬県側の不動沢に下りる人がいないようにとの配慮か?道標が倒されていました。
不動沢から上がれた一昨年までは、たかだか3.6kmの歩行で山頂へ行けたのですね。その下の林道が核心部という話もありましたが。
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5/23 8:14
不動沢から上がれた一昨年までは、たかだか3.6kmの歩行で山頂へ行けたのですね。その下の林道が核心部という話もありましたが。
青銅の剣が現れました。
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5/23 8:42
青銅の剣が現れました。
頂上手前に「主三角点」がありました。明治時代、参謀本部陸地測量部ではなく当時の農商務省山林局が独自に設置したものだとか。
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5/23 8:43
頂上手前に「主三角点」がありました。明治時代、参謀本部陸地測量部ではなく当時の農商務省山林局が独自に設置したものだとか。
皇海山頂上に着きました。10分ほど休憩。展望はききませんが、これよりも高い山が周囲にないことは分かりました。
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5/23 8:44
皇海山頂上に着きました。10分ほど休憩。展望はききませんが、これよりも高い山が周囲にないことは分かりました。
下山開始。鋸山が見えます。あんなとこ通ってきたのか。
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5/23 9:08
下山開始。鋸山が見えます。あんなとこ通ってきたのか。
鋸山頂上まで戻ってきました。また来る日までさようなら、皇海山。
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5/23 10:00
鋸山頂上まで戻ってきました。また来る日までさようなら、皇海山。
燧ケ岳と至仏山ですかね?鋸山頂上より。
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5/23 10:01
燧ケ岳と至仏山ですかね?鋸山頂上より。
鋸山頂上でもう一枚。丸っこくて大きいのは男体山かな。
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5/23 10:02
鋸山頂上でもう一枚。丸っこくて大きいのは男体山かな。
分岐です。さっきは左から来ました。今度は右へ行きます。
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5/23 10:03
分岐です。さっきは左から来ました。今度は右へ行きます。
鋸山を振り返ったところ。笹のついた痩せた尾根です。登山道の傾斜は見た目以上に急で、黒土路面の箇所がズルズル滑るので、そういうときは笹原に足を突っ込んでしまったほうが楽かもしれません。
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5/23 10:11
鋸山を振り返ったところ。笹のついた痩せた尾根です。登山道の傾斜は見た目以上に急で、黒土路面の箇所がズルズル滑るので、そういうときは笹原に足を突っ込んでしまったほうが楽かもしれません。
延々と続く笹原。刈り払いされていなければこれは大変そうですね。
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5/23 10:40
延々と続く笹原。刈り払いされていなければこれは大変そうですね。
六林班峠に着きました。正面(袈裟丸山方面)と右(根利山方面)は倒木で塞がれ、厚い笹に覆われています。ここで左折して庚申山荘へ。
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5/23 10:52
六林班峠に着きました。正面(袈裟丸山方面)と右(根利山方面)は倒木で塞がれ、厚い笹に覆われています。ここで左折して庚申山荘へ。
今は閑散たる登山道となった、かつての産業道路、根利山古道。明治時代、足尾銅山を経営していた古河財閥が、群馬県側の根利山に集落を開いて林業開発をさせた名残です。六林班峠を越えて牛馬道が銀山平と根利山を結んでいました。当時は索道もあったそうです。この道を歩いてみることも、今回の山行の目的の一つでした。
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5/23 11:02
今は閑散たる登山道となった、かつての産業道路、根利山古道。明治時代、足尾銅山を経営していた古河財閥が、群馬県側の根利山に集落を開いて林業開発をさせた名残です。六林班峠を越えて牛馬道が銀山平と根利山を結んでいました。当時は索道もあったそうです。この道を歩いてみることも、今回の山行の目的の一つでした。
旧牛馬道なので急勾配を徹底的に避けて作られており、山肌に忠実に右へ左へとトラバースを続けます。したがって各所に崩壊があります。写真は特にひどいところで、画面左側から細いロープを伝って一番下まで降り、ザレ斜面をガシガシ登って手前側の本道に復帰しました。しかし沢を渡るところは程度の差こそあれ皆このように崩れています。
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5/23 11:21
旧牛馬道なので急勾配を徹底的に避けて作られており、山肌に忠実に右へ左へとトラバースを続けます。したがって各所に崩壊があります。写真は特にひどいところで、画面左側から細いロープを伝って一番下まで降り、ザレ斜面をガシガシ登って手前側の本道に復帰しました。しかし沢を渡るところは程度の差こそあれ皆このように崩れています。
標高1500〜1600mあたりはツツジの花がいっぱい。トウゴクミツバツツジとシロヤシオが新緑と綾をなして、美しい花模様でした。
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5/23 12:23
標高1500〜1600mあたりはツツジの花がいっぱい。トウゴクミツバツツジとシロヤシオが新緑と綾をなして、美しい花模様でした。
広く開けた場所に出ました。樺平という場所で、戦前の地形図にはそのように表記があります。かつての旧牛馬道はこのあたりで登山道と別れ、庚申七滝へとまっすぐ下りていったはずですが、笹に埋もれて何も分かりませんでした。
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5/23 12:41
広く開けた場所に出ました。樺平という場所で、戦前の地形図にはそのように表記があります。かつての旧牛馬道はこのあたりで登山道と別れ、庚申七滝へとまっすぐ下りていったはずですが、笹に埋もれて何も分かりませんでした。
天下の見晴分岐。右へ行くと200mほどで展望が開けるのでしょうが、だんだん足が棒のように感じられてきたのでまっすぐ庚申山荘へと進みました。
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5/23 13:06
天下の見晴分岐。右へ行くと200mほどで展望が開けるのでしょうが、だんだん足が棒のように感じられてきたのでまっすぐ庚申山荘へと進みました。
庚申山荘に戻ってきました。前日にはおられた管理人さんも下山されたようで、この時間はひっそりしていました。デポしておいた荷物をここでまとめます。
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5/23 13:33
庚申山荘に戻ってきました。前日にはおられた管理人さんも下山されたようで、この時間はひっそりしていました。デポしておいた荷物をここでまとめます。
猿田彦神社跡。歴史のある神社だそうですが終戦後すぐの頃に社殿を焼失し、今は銀山平に移転したとか。なお庚申山荘内にも猿田彦神社の祭壇があります。
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5/23 13:39
猿田彦神社跡。歴史のある神社だそうですが終戦後すぐの頃に社殿を焼失し、今は銀山平に移転したとか。なお庚申山荘内にも猿田彦神社の祭壇があります。
一ノ鳥居まで戻ってきました。何事もなく登下山させていただき、庚申の神様に感謝です。
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5/23 14:29
一ノ鳥居まで戻ってきました。何事もなく登下山させていただき、庚申の神様に感謝です。
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