【過去レコ】六甲山:全山縦走に初参加、半袖隊長、ペース配分が分からずヘロヘロ完走
- GPS
- 136:00
- 距離
- 43.7km
- 登り
- 2,806m
- 下り
- 2,774m
コースタイム
天候 | 晴れだっかなぁ |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車
復路)宝塚駅⇒地元駅 地図は、全山ハイキング地図を見ながら、全て、手書きです。 これだけで5時間ぐらい掛りました |
コース状況/ 危険箇所等 |
【道の状況】 山道だけでなく、(特に前半は)舗装路や階段歩きが多いルートで、危険個所はない。 もちろん、ロープや鎖に頼るような急坂・岩場はない。 須磨アルプスに馬ノ背と呼ばれる細尾根があるが、焦らなければ問題なし。 秋の日の釣瓶落としで、東六甲縦走路の後半に入る頃にはとっぷりと日が暮れるので、足下には注意すべし。 なお、完走するともらえる記念楯には「六甲全山縦走大会56km完走証」とあるが、実際の歩行距離はいかばかりか? 手書き地図に拠れば、50舛發覆い・・・? |
写真
感想
【記載日:2014年3月1日】
《縦走中の写真 は一切ありません 》
1984年6月から1989年8月までの神戸勤務期間中、六甲山の山麓、もっと細かく言えば甲山の麓に住んでいた。
当時はまだ完全週休二日になる前で、土曜のうち月二回が休日、残りは午後2時まで勤務だった(と思う)。
週末はラグビーや野球に忙しく、野球(春〜秋)とラグビー(秋〜冬)は活動シーズンが異なることもあって、年中、忙しかったぁ〜
そんな環境下、1986年に初めて、職場の同期連中と北アルプス(槍ヶ岳〜笠ヶ岳)を歩いたことをきっかけに、オフ日は六甲山を歩くことが多くなった。
北アルプス レコ⇒
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-352145.html
そして六甲全山縦走大会(略して全縦)なる催し物があることを知ったが、その年は既に申し込み期限が過ぎており参加できず、1988年の第14大会に満を持して参加した。
全縦は毎年11月に二回に分けて開催されていた。
1回目:11月第2日曜
2回目:11/23勤労感謝の日
果たして1988年はどちらに参加したのか定かではないが、日の入りが遅い方がいいとの考えて、恐らく第1回目に参加したはずである。
職場には「全縦に出場してとても疲れているはずなので、翌月曜日は有給休暇を取得する」と宣言した上であった・・・が、これが裏目に出る。
当日、須磨浦公園駅に着いたのは5時半頃だった。改札の外に出るとうじゃうじゃと参加者がいて、分かっているのに・・・驚いた。
これだけ参加者がいて、もちろん登山道は狭いのだから、当然渋滞が発生する。須磨アルプスや横尾の階段は特に渋滞がひどかった(記憶がある)。
渋滞での遅れを取り戻そうと思って、一般道や道幅の広い登山道では走りはしなかったが猛烈にスピードアップした。食べる時間も惜しんて歩いた。ラグビーや野球で走り回っていたからそれなりの自信はあった。
すると・・・簡単にバテました。摩耶山(大会資料で29km地点)に着いたのが午後1時頃だったような気がするが、シャリバテどころか、あまりに疲れて食べることが出来ない。
摩耶山からはロープウェイ・ケーブルで灘に下山できるので、真剣にここで止めようかと思った。が、その時に思い出したのは全縦に出るので有給休暇を取ると宣言して来たこと。それが途中でリタイヤとなると・・・恥ずかしくて会社に行けないではないか・・・。
慎重に検討した結果、縦走を続けることにしたが・・・、東六甲縦走路で日がとっぷりと暮れ、宝塚の街の灯が明るく浮かび上がり、歩いても歩いても近づかない。
ゴールに到着したのは、午後8時頃だったような記憶がある。なお全縦はタイムレースではなく、完走することが目的なので、到着時刻は記録されない(今もそうかな?)。
とにかく疲れた。夕食もあまり食べることが出来なかった。今までの山行で一番疲れたのが今年の全縦だったと思う。二番目は2014年の白毛門・朝日岳日帰り山行。焦って最初からガツガツ飛ばさないこと。これが初の全縦に参加して得た教訓であった。
この年から、勤務都合で物理的に参加が難しくなるまで、6年連続で全縦に参加することになる。
隊長
半袖隊長。 30代の前半?ですか。
私は高校は大阪堺市だったので、高校時代はもっぱら和歌山方面でした。六甲山は
多分1度だけです。仁川のロックガーデンに。
1988年ですか。もう東京勤務でした。転勤は1985年。 は有馬でしたか? あの、赤色のお湯(鉄分)はあまり好きではないのですが。神戸は30年くらい行っていません。好きな街ですが。
甲山? 関西学院大学の近く?
そうですね、30代になりたての頃ですね、まだ。
拙者の住まい(=独身寮)は、関学の正門から歩いて2分の所でした。
駅でいえば、甲東園と仁川の中間地点。
因みに本籍地は神戸市中央区三宮です
当日は温泉 には行かず・行けずです。
下山時刻8時では、有馬になんか行けるわけなく・・・せいぜい宝塚温泉ですね
六甲山には足繁く通いました。
今の高尾山通いの比ではありません。
芦屋川、夙川、岡本・・・懐かしいですね。
隊長
なんと、宝塚がゴールとは何ともおしゃれですね〜
宝塚歌劇団 みて楽しんでこられますね
今年いってみようかしらん
宝塚に着く頃にはヘロヘロになってますけどね。
拙者、参加した6回の中で最も早く宝塚に着いたのが16時半だったような記憶がありますが・・・そんなに早かったかなぁと自ら疑念あり。
1986年から市外からの参加者も受け付けるようになっちょうです。
拙者も翌年の1989年からは東京からの参加でした。
隊長
ちょうど私が、パジェロでゲレンデスキーに明け暮れていた時期です。
やはり、この頃からロングに挑戦していたわけですね。しかも6年連続で参加とは驚きました
今のロングは、そのような素養があったわけですね。
ルートの線引きマジで5時間ですか、ん〜ん、スゴい忍耐力です。
忍耐力・・・必要なんです。
どこまで細かく刻むかによっても作業量は異なりますけど、これをきちんと引けば、残りの5年にも応用できると考えて、チマチマ細かく引いてみました。
PC性能の問題もあって、線を引いている最後の方になってフリーズ ⇒一からやり直し との過去の辛い経験もありますので、この地図は17ピースに分けて引きました。
おまけに、アルプスの高所地帯の山道とは違って、あちこちにルートが散らばっている六甲山なので、ハイキングマップを見ながら引いても、「さて?どの道を通っているんだろう?」と悩む個所が多いんです。
もちろん、始点と終点を間違えて反対に引いてしまってやり直し・・・もありましたし・・・。
なので、今まで手を付けるのをためらっていたんですが・・・。
ロングになればなるほど、GPSデータをヒョイと転記出来る有難さが分かりますね(⇒GPSを使っていないので、あくまで印象論ですが・・・)。
拙者、初めてゲレンデスキーに連れて行かれたのがニセコ(大学1年だったかな?)でして、初っ端から早速膝を捻ってしまったこともあり、その後は5〜6回行っただけで、20代前半には引退しました。
隊長
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