御正体山
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- GPS
- --:--
- 距離
- 9.4km
- 登り
- 1,059m
- 下り
- 1,059m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2022年04月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
御正体登山口7:23〜峰宮跡10:08〜御正体山10:54/11:30〜登山口13:23
私は中学2年生の時に学校の山岳部に入り(日記1参照)、最初に行く予定だったのが御正体山だった。しかし、2週続けての雨天のため中止になってしまい、以後心の隅に気になり続ける存在だったのだが、ついに46年越しの宿題を片付けるべく計画した。
桜が満開の里を抜けて登山口に到着。駐車スペースはなく、杉林に無理に突っ込んで残置となった。初めは舗装道から砂利道へと、地味な林道歩きだ。ゲート(ゲート前に駐車スペースなし)を過ぎると再び舗装になるが、沢沿いを直上していく道は急傾斜で、意外と脚にくる。伐採地からは、後方に小金沢連嶺が青く、左奥には頭だけ白く金峰山が霞んでいる。46年前はもっと山道らしい行程だったのだろうか、知る由もない。長い歩きの末に、正面に雪のまだらに付いた斜面が仰がれるようになると、T字型に水平の林道に突き当たった。「登山口は→」の標識に従い右に向かう。ほんの20m先の左斜面のススキ藪に入口があったのだが(道標なし)、これを見過ごしてしまい、仏沢を渡った先まで行って、さすがにおかしいと引き返した。思わぬ時間と体力のロスに加え、勘の鈍ったことにいささか落胆する。
さて、気を取り直して山道に入ると、こんな早い時間に上から高校山岳部らしい若者集団が降りてきた。因縁の山で昔の自分の姿を見るようで何か嬉しい。いよいよ尾根に取り付くと急登となる。シーズン初めなので足もとに折れた木の枝が散乱していて歩きにくい。左は唐松、右は広葉樹の林の間を辛抱で登っていく。唐松の奥には今倉山のシルエットが大きい。これも山岳部時代の思い出の山なので懐かしい。二段目の急登に差しかかると、先週の月曜に降った雪がちらほらと残り、慰めになる。枝の重なりを透かして、白根三山や八ヶ岳が白く望まれるのも嬉しい。時々、道坂峠の方からバイクのエンジン音が響いてくるのが少し残念ではある。大分脚が重くなったところで、ようやく峰宮跡のピークに辿り着いた。モミの木に囲まれた落ち着いた空間だ。「富士山が見える」という標識がなければ、それと気が付かなかったかもしれない。霞のような妙な雲が中腹以上を隠していたが、先月は黒々としていた二子塚が再び真っ白な美しいスカイラインを描いているのが印象的だった。
御正体山へは大した標高差もない、と思ったが、細かな登り下りが疲れた脚に響く。遠くから見るこの山は丸っこい印象があったが、尾根は意外に痩せている。一ヵ所、深く切れ込んだ箇所があり、少し残っていた雪はザクザクだったので問題なかったが、凍っていたりすると嫌なところだ。これを超えるとブナ混じりの森のプロムナードとなり、楽しく歩ける。急に雪がべったりとつながるようになると、ひょっこりと頂上の広場に飛び出した。青空に雪面が眩しい。雪がなければただの枯れ草原なので、実にラッキーだ。恒例のカップ麺コーヒータイムとし、ベンチに寝転がって青空を見上げてみる。こんなことをしても、風邪をひかないかなどと気にしなくてよい季節になった。
ちらほらと人も来はじめたので、テーブルを譲って辞去することにした。稜線からは、右に道志川の谷とその底の集落が望見され、アルプスのタール(谷)を思わせるといったら大げさか。谷の右には大きな大室山の山体や、それに至る蛭から檜洞丸の姿が霞んで、あそこも縦走したなと懐かしく眺めた。歳を取ると思い出にふけることが多くなってしまう。消えていく雪を惜しみながら、一人の山歩きを味わう。林道のT字路に降り立ち、先ほど迷った場所を再確認。ついでにTの付け根から旧道が下りて行っている(道標なし)のも確認したが、この手の旧道ではひどい目に会ったことがあるので今回は敬遠し、林道を下ることにした。後は長い消化試合だ。膝を労わりながら延々と舗装道を辿る。46年越しの懸案が片付いて、すっきりと満足感はある山行だった。
(余録)
この後、車で道坂峠に向かった。高校1年生の夏、合宿で巻機山から越後駒までの縦走をする準備のため、菜畑山から今倉山までヤブ漕ぎ兼歩荷訓練として、キスリングに石を詰めて歩いた。40年以上前のこととて記憶もおぼろなのだが、ヘトヘトカラカラになって降り着いた車道の左にトンネルの入り口が見えた光景が頭に残っている。しかし、今倉山の頂上からさらに少し進んだところから下りた(西峰を越えたかは定かでない。)、沢の水で渇きを癒した、という記憶と現在の地図を照合すると該当するルートがない。あのトンネルの残像は幻か、後で頭の中で作ったものか、確かめたくて行ったのだ。
結果、トンネルの光景は記憶にあるもののような気はした。しかし、ここに降り立つ登山道は今倉山から尾根上を下ってきているので、やはり整合しない。地図にない踏み跡を降りたのか。西峰の先を降りて車道を登ってきたのか。謎は解決しなかった。
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