秋合宿2014 白山
- GPS
- 32:00
- 距離
- 15.4km
- 登り
- 1,507m
- 下り
- 1,491m
コースタイム
天候 | 9月27日(土)曇り 9月28日(日)快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
(帰りも行きと同様) |
コース状況/ 危険箇所等 |
数年前と異なり石畳と石の階段が増えていた。造成には相当の労力を要したであろう。自然保護のためには必要だし、歩きやすくて多くの登山者には好評なのだろうが、そのぶん自然感が無くなってきており若干の違和感を感じてしまった。 |
写真
感想
部員の総括からの抜粋です
1年部員
今回は紅葉がメインでしたが四季が変わっていくごとに山の雰囲気も変わってたくさんの感動が生まれます。紅葉を本格的に見たのが今回初めてだったので登ってきてよかったと思いました。
今回の合宿では夏合宿以上にたくさんの人に出会い、挨拶をかわしました。登っている途中におじさんやおばさん、若い人や小さい子供に会って、「どこから来たん?」「がんばってねー!」「えらいなー」とか多くの言葉をかけてもらってそのたびに元気づけられました!だからわたしもどれだけしんどくて疲れていても挨拶だけは絶対にしようと心がけるようにもなりました。そう思えてきたのも、山に登っているからこそだと思いました。
今回、わたしは夏合宿で登り切れなかった事をばねにして挑みました。やっぱり前回の悔しさは大きくヤマレコであげられていた私の知らないとこの写真を見てみて今回は絶対頂上に行って最高の笑顔でわたしも思い出の中に入れたらいいなとおもっていました。なので、無事に登れたことはとても嬉しかったし満足しました!
見た目もなかもきれいで、広さも十分にあり外の気温よりも快適に過ごせ、電気に水道お手洗いまで付いていて、とても快適にまた安心して宿泊することができました。二階のロフトも寝転がるにはちょうど良い広さでした。また、小屋を出た所からの景色も良く、宿泊に関しては本当に甚之助避難小屋に感謝しています。
僕は3時40分に起きて夜の星空を見ました。星を見てあまり感動しなかった僕も、輝く星を見てスゴいなと思いました。夜と朝の境目を初めて見ました。すると朝日が昇り、雲海を照らすと、とても美しい景色をみることができました。
これまでの合宿で、使わなかった服がたくさんあったので、今回は準備の際に一度シュミレーションをして、この服は本当に必要かと自問自答を繰り返して準備を進めた。
今回は鍋料理を食べた。自分はキムチ鍋しか食べていないが、とても美味しかったし、なにより体が温まったのが良い点だったと思う。また2日目の鍋ラーメンも、食べ応えがあり、とても美味しかった。お米に関しては、今回は夏合宿の時より“焦げ”を減らすことができたと思う。が、まだまだ炊事の技能に関しては発展途中である。
山の景色を見る、楽しむ”ことの楽しさを大いに感じることができた。やはり山登りはほかのスポーツのように速いからいい、遅いから悪いとかそういうものではなく、人それぞれの山に対する楽しみなどを満喫することが一番大切なことだと思う。これからも“山を満喫する”ことを大切にしながら、山行に臨みたいと思う。
2年部員
特に下りは予定時刻の遅れを取り戻すために、さらに先生からの激励もあって、かつてない猛スピードで下山した。そうせざるを得なかった一番の原因として挙げられるのは、二日目の朝の行動に時間をかけてしまったことだろう。山で宿泊することに対する慣れが出てきているのか、全員がいつも以上にキビキビと行動出来ていなかったように感じた。結局出発は一時間遅れになり、お花松原や大汝峰を断念して帰ってきた。
たった一晩とわずかに付随する朝食だけで、ゴミが三袋(夏合宿と同等の量)出てしまった。下山の際にもその処理と荷造りに手間取り、あまりよろしくない。私自身も軽佻浮薄たる行いで、ゴミを倍加させてしまったし、やはり煩を厭うことなく、材料はあらかじめ切っておき、包装ははがし、各家庭で捨てておこう。
今回の山行は何といっても、紺碧の青空が素晴らしく気持ちよかった。前回の夏合宿立山とは天地が逆転したみたいだ。何度も空を仰いでは深呼吸をした。二日目の白山踏破への道すがら、雲は我々の下に控え、上に控えるは、昼はとこしえに群青が広がる青空、そして夜は筆舌に尽くしがたい、夜空だった。流れ星を見たのは、おそらく私が生を受けて以来、初めてだったかもしれない! いかんせん、星座には疎い私だったが、オリオン座は本当に瞭然と見え、燦然と星座を作っていた。北極星もその光を見せた。――京都に夜、帰宅したとき、京都タワーが視界に入る夜空は暗く、ぐるりから発する人工的な光が、違和感のある安心感をおぼえさせた――私はろくに夜空さえも見ていなかったのである――。
私は紅葉というものは、緑が皆無で赤と黄色及び黄褐、橙のみで構成される景色であると思い込んでいた。しかしそうではなかった。それを思い知らされた。白山は私にその歓びを与えてくれたのだ。御前峰へ登る間、振り返り、見下げる谷の紅葉があり、室堂で見上げる太陽に照らされた紅葉があり、トンビ岩コースには左手の山肌に目を瞠る紅葉があった。そして道中すべてに、黄色一色に色づいた樹木や、赤い葉を太陽然に輝かせていた木もあった。それらすべてが私の感覚に映り、感動をもたらした。眺めていると、にっこりとするような、そんな絵だった。
翠ヶ池(みどりがいけ? 標識にはmidarigaikeと書いてあったが。翠は翡翠のことだろう。翡翠は綺麗な緑色ないし青色。まさにあの池の色そのもの)は空と比肩するほど澄明な、そして何か犯しがたい湖水だった。あの水の神聖な色はどこから湧き出るのだろうか。この標高の高い場所に、あの壮麗な池。霊山の名所に謳われるに等しい。またまたもうひとつ、瞠目するような出来事が。御嶽山の噴火だ。白山もそうであり、上の池もそれによって生み出された。最初耳にしたとき、私は驚いたが、現実とは乖離させて考えていた。それが室堂で雲海から突き出た山から噴出しているあのもくもくを目にしたとき、急に現実が迫り来て、山に対する畏敬ともとれる、畏れを感じた。そこで私は山に対する表情の変化――とてつもなく激しい――を唖然として、見やっていた。山での事故というのは、少なからず存在する。滑落や、雪崩、遭難。しかし噴火というのはあまりにも規模が大きすぎる。ここで私はこの噴煙の所為で、命を落とした方々、そして今も病院で苦しんでいる方々を、一介の登山者として、ご冥福を、文面ながら祈りたい。
今回の山行で、楽しそうな顔をして登山している人をいくら見ただろうか。老齢な彼、彼女らはとても楽しんで、山と自然を愛して登っていた。小さな子供は、その純粋無垢な心で、山と接した。我々と同じ世代の中高生とはしばしば出くわしたが、とても楽しみとともに上っているかどうかといえば、そう言いきれなかった。現在の安寧な生活に、世界の一体化の恩恵に浴する人々にとっては、飛んで火に入る夏の虫のようになって、不便で疲れる山にはいかないであろう。保守的で、そして視野が狭く、理性という珠(たま)が磨かれずにいる、もしかしたら傷ついている、彼らにとってこそ、山は必要なのである。何故か。理由は問わないでおこう。もう十分明示されたはずだ。
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