大峯南奥駈道(逆峯:前鬼〜熊野本宮大社)
- GPS
- 104:00
- 距離
- 59.4km
- 登り
- 4,793m
- 下り
- 5,036m
コースタイム
- 山行
- 10:44
- 休憩
- 1:05
- 合計
- 11:49
- 山行
- 12:41
- 休憩
- 1:44
- 合計
- 14:25
- 山行
- 13:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 13:00
過去天気図(気象庁) | 2024年05月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
昨年の北奥駈道に引き続き、今年は南奥駈道を歩いて、念願の「濡藁沓(ぬれわらくつ)の入堂」を果たした。
【1日目】
1日目は、R169ゆうゆうバスで越部駅から前鬼口まで移動し、小仲坊で前泊した。昨年の12月に前鬼口から下北山方面に向かう道路で土砂崩れがあり、しばらくバスは、上北山の西原までで止まっていたが、4月から前鬼口まで運行されることになり、南奥駈の起点である小仲坊まで行きやすくなった。ただし行きやすくなったと言っても、平日のバスは前鬼口に夕方6時に到着で、小仲坊までは夜道を3時間歩かなければならなかった。途中から日が落ちて、雨上がりの霧の立ちこめた真っ暗な林道を、ひたすら歩いて小仲坊に向った。
小仲坊には、前日に電話で宿泊の予約をしておいた。この宿坊は土日にしか坊主がいないため、私の行った月曜日は無人で、宿泊者も私一人だった。広い宿所でゆっくり休むことができた。
小仲坊の水場は初めてだと分かりにくい。昨年、北奥駈を歩いて小仲坊に下りて来たときには水場が分からず、近くを流れる川で水を汲んだ。小仲坊の水場は、宿所の正面から石段を少し上がると、左手に御堂があり、そのまま進むと正面にある。小仲坊の水場は沢の水ではなく、石清水をパイプで引いていると思われるので、川の水より安心して使えると思う。
翌朝は林間の道が迷いやすいので明るくなってからの出発とし、眠りについた。
【2日目】
2日目は6時の出発となったが、30分早くてもよかったかもしれない。この日の宿泊地としていた持経の宿に着いたのが5時50分なので、30分早ければ、最後の歩きで焦らずにすんだと思う。
2日目は、小仲坊から太古の辻までの登りで早くもバテてしまった。歳のせいにはしたくないが、体力低下を痛感する。
標準コースタイムの1.3倍くらいで歩いているのだが、これでも私としては必死に歩いているので、景色を見ている余裕がなく、途中の印象がほとんどない。疲れ切って持経の宿に着いたのは日没の直前だった。
持経の宿には、先客が5人ほどいた。テントの方が気兼ねなく休めるので、当初はテント泊を予定していたが、疲れでとてもテントを張る気力がなく、この日は小屋泊まりにした。
小屋には汲み置きの水があり、非常に助かった。持経の宿の水場はアクセスも容易で、水量も豊富とのことだったので、この日は持経の小屋泊りと決めていたのだが、いかに水場が遠くないと言っても、日没も過ぎて疲れ切った身には、汲み置きの水は本当にありがたかった。
小屋は、おそらく連休中に使用したストーブの余熱がわずかに残っているようで、暖かかった。唯一残念だったのは期待していたスマホの充電が、USBコネクタの故障で利用できなかったことだ。あまりにも多くの人が使用するため、コネクタにガタがきてしまっているようだった。
先客の5人は翌日、玉置神社まで行くということで、7時には就寝していた。一人は12時頃、他の4人は3時頃出発して行った。私も2時には起床したが、真っ暗な中を長時間歩く勇気はないので、4時に出発した。
【3日目】
3日目は、朝から小雨模様で、一日中雲の中にいるような感じだった。鎖場の難所でよく知られた槍ヶ岳と地蔵岳にやって来た時には、雨こそ降ってはいなかったが滑りやすい危険な状態だった。細心の注意をはらいながら幾つかの鎖場を通過した。
3日目は21世紀の森でテントを張ることに決めていた。古屋の辻から登山道を外れて21世紀の森の入口に向かってみると、入口手前と入口脇に水場があった。ここは正式名称が「21世紀の森・紀伊半島森林植物公園」と言い、公園の施設自体は17時に閉園し、トイレは施設の方にしかないので、閉園してしまうとトイレは利用できない。施設の敷地外に東屋が2棟あり、おそらく奥駈道の山行者は、皆この東屋あたりにテントを張っているのだと思う。ただし施設のゲート近くの東屋は、舗装道路に面した場所にあり、時々車も通るので、あまり大々的にテント泊をしていると、いつかは禁止されてしまう可能性もあるのではないかと感じた。水を汲んだら100メートルほど林道を戻り、施設から離れた方の東屋辺りにテントを張るようにした方がよいかもしれない。夕方から一時雨が強く降ったが、雨は夜半には上がったようだった。
【4日目】
21世紀の森から奥駈道に復帰するためには、林道と山道を登り返さなければならない。途中、林道から山道に入るところを見逃してしまい、少し無駄に林道を歩いてしまった。持経の宿でスマホの充電ができなかったので、残りのバッテリー量に不安があったため、この日からヤマレコの記録は使用しないことにした。この時もヤマレコを使っていれば、もう少し早く道間違いに気づいていたと思うが、疲れているため僅かな間違えでも大変な回り道をしてしまったように感じて、気持ちが萎えてしまいそうになった。
玉置神社には国之常立神・伊弉諾尊・伊弉冊尊・天照大神・神日本磐余彦命の五神が祀られている本殿の他に、出雲大社の御分霊が祀られている出雲大社玉置教会や磐座などもあり、余裕があれば半日でも時間をかけてゆっくり見てまわりたいところだった。この神社には宿坊もあるようだが、2カ月前に申し込まなければならず、少なくとも前鬼から入山しなければ宿泊は許可されないとのことなので、ここだけに参籠して、玉置神社の霊性に触れることが許されていないのは、とても残念に感じた。
水場は玉置山の山頂から下りてくると本殿手前の社務所の脇にあり、水量は豊富だった。近くにトイレもある。売店のある駐車場は、本社に来てしまうと遠くなるので、売店に行きたい場合は、山頂から案内板に従って先に行った方がよいかもしれない。奥駈道の手ぬぐいが売られているという売店にも行ってみたかったが、往復40分ほどの回り道をする余裕はなかったので、私は売店には行かなかった。
この日の泊りは六道ノ辻(金剛多和)に決めていたので、玉置神社の後は大森山に向かった。疲れた体に大森山の長い登りもつらかったが、それ以上に大森山の下りと、次に続く五大尊岳の下りの足場が悪く、疲労がたまった足腰には実にこたえた。その上六道ノ辻に着いてみると、最も重要な水場の場所が分からず心底難儀した。
奥駈道の道案内では本当にお世話になった新宮山彦ぐるーぷさんの水場案内図では、熊野大社に向かって歩くと、水場は六道ノ辻を過ぎてから左側にあると記されている。しかし何度その近辺を行き来しても、水場への道が見当たらないのである。運よく携帯の電波が通じたので、1週間前に奥駈道を歩いた息子に電話してみると、水場は熊野本宮に向かって左側ではなく、右側だと言うではないか。息子の言う通りに探してみると、道の右側にはっきりとした山道が伸びており、壊れた水場の案内板も見つかった。水場は左側だとばかり思っていたので、日没後の暗くなりかけた時間帯で壊れた案内板が目に入らず、水場へと通じる山道に目が向かなかったのである。六道ノ辻に他のテント泊者がいれば、水場の場所を教えてもらったり、一緒に探したりできて、これほど難儀することもなかったのかも知れないが、この水場探しには本当に苦労した。水場は石清水ではなく、かなり水量のある沢だった。
六道ノ辻ではもう一つ難儀したことがあった。夕食の後に寝支度をしていると、テントの壁にヒルが這っているではないか。ぞっとしてよく見ると、ヒルはテントの外側ではなく、確かに内側を這っているのである。ムレスの手袋でつまんでテントから放り出し、念のためテント内を点検してみると、さらに二匹のヒルが見つかった。その上ズボンを脱いでみると、左足の脹脛がヒルに噛まれて血だらけだった。ずいぶん探してみたが、脹脛に吸い付いたヒルは見つからなかった。ヒルはズボンの上から吸い付いたらしく、この日は一日中スパッツを着けて歩いていたので、ヒルに噛まれたのは、テントを張ってからスパッツを外した後に違いない。どこでヒルを付けて来たのかはっきりとは分からないが、思い当たるのは、水場を探して30分ほどバックパックを地面に置いていたので、その間に汗臭いバックパックにヒルが寄って来たのか、水場で水を汲んでいる間に、スパッツにでもヒルを付けてきてしまったのか、おそらくそのどちらかだろうと思われた。夜寝ている間にさらにヒルに吸い付かれてはかなわないので、できる限りテント内を点検したが他のヒルは見当たらなかった。それでもバックパックのポケットにでも張り付いて隠れていたらかなわないので、気休め程度だがビニール袋にバックパックを入れ、しっかり口を結んで寝ることにした。翌朝目を覚まして、体中を点検をしてみたが、幸いなことに、寝ている間にヒルに吸い付かれたところは見当たらなかった。これで思ったのは、私は天候によって、靴をビニール袋に入れてテント内に置くのだが、テント内に置く時には、ヒルが着いていないかよく点検してから靴はテントに入れないと、ヒルをテントに入れてしまうこともあるのではないかということだった。もちろんテントの外に置いていた場合は、夜中にヒルが靴に着いていないか、よく点検してから履かなければならないのはもちろんだ。
【5日目】
5日目は、前夜のヒル事件で就寝の時間が遅れてしまい、早起きできなかったので、予定より1時間出発が遅れてしまった。それでも11時までには熊野川に到着できるはずなので、それほどあせらず歩き始めることができた。さすがに奥駈道は一般の登山ルートではなく、山岳修行の道なので、大黒天岳、吹越山、七越峰と、最後まで容赦なく小峰を越える道が続いて行く。そして11時、ついに熊野川に到着した。昨年から2年越しで歩いてきた私の大峯奥駈道の山行は、この熊野川を手製のPPロープ草鞋を履いて渡渉することが最大の目的だったので、河原に出た時は期待で胸が高鳴った。渡渉できそうなところを探してみると、大斎原に面した場所よりも若干備崎橋に近いところが、白波が立って水深が比較的浅そうに見えたので、そこを渡ることにした。初めて使うPPロープ草鞋の威力は予想を超えて素晴らしく、足裏の痛さも、苔で滑ることもなく、それなりの水流に押し流されないように気をつけて進んで、難なく対岸に渡りきることができた。その昔、草鞋を濡らしてこの川を渡り熊野本宮に詣でることを「濡藁沓の入堂」と言ったとのことだが、文字通り草鞋を履いて熊野川を渡渉できたことが、私には何にも増して嬉しかった。その後、大斎原と現在の本宮大社にお参りをし、バスに乗って帰途についた。
【備忘録】
水なしのバックパックの総重量:9.9kg
9kgに抑えたかったが、計画段階では食糧などを減らすことが出来ず。どうしても9kgにすることができなかった。しかし最終的には、連日の疲れで食欲がなくなり、行動食も夕食も準備した量を消化することができなかったので、実際には食糧は400gほどは減らせたと思う。
自作PPロープ草鞋:125g
モンベルのソックオンサンダルが340gなので、比較にならないほど超軽量。今回の山旅で最も良かったもの。
行動食の反省:
カロリーを考えて、ブラックサンダーやエネもちなどをメインの行動食として持参したが、疲れているとブラックサンダーのようなチョコレート味は食べる気がせず、実際には持参した量の半分も食べられなかった。どうせ食べられないのなら、カロリーなど考えず、柿の種やせんべいのような塩味のものを持って行ったなら、もう少し快適だったかもしれない。
ガスの使用量:45g
朝も夕も400ml程度のお湯を沸かすだけの食事だったので、OD缶の110タイプを持参した。念のためエスビットのミリタリー3個とチタンの五徳も持参したが全く必要なかった。それでも固形燃料のセットは75gなので、これを減らしても大した軽量化にはならないだろう。
着替え:
着替えはモンベルのウイックロン ZEOの長袖を着ているものの他2枚と、下着を2枚、渡渉用に下着を兼ねた軽量の短パン1枚、ワークマンで調達した軽量トラベルパンツを1枚、靴下2足を持参した。そのほか手ぬぐいを3枚持ち、マイクロファイバーのタオル1枚も持った。私の用途では多くも少なくもなかったと思う。
シュラフ:
昨年調達したCUMULUSのX-LITE 200を今回初めて本格的に使用した。軽量さも保温性も申し分なかった。ただしジッパーの噛みこみがあり使いにくかった。ナンガから噛みこみ防止の後付けパーツが出されているようなので、さっそくネットで注文した。もう一つこのシュラフは、デフォルトだと足先までジッパーで開けることができず、暑くて足を出したいときに不便だった。カスタムで足先までジッパーで開くタイプを注文するべきだった。
バッテリー問題:
しばらく前にiPhone8からandroidスマホに換えたためか、ヤマレコを使っているとバッテリーの消費が思っていた以上に多く、持参した10000mAhのモバイルバッテリーでは不十分だった。そのため、4日目からはヤマレコの記録はあきらめ、写真を優先して、ヤマレコは道に迷った時にだけ使用することにした。これ以上重いモバイルバッテリーは持ち歩きたくないので、今後もバッテリーが持ちそうではない時には、ヤマレコの常時使用はあきらめることにする。
軽量化の課題:
最終的に食べられなかったマカロニやブラックサンダーが半分ほど残ってしまったので、これらを見直せば、300gから400gは軽量化できるかも知れない。私の場合、今後4日以上縦走することはないと思うので、これ以上の軽量化をそれほど考える必要はないかもしれないが、行動食は永遠の課題なので、次回の山行では別のものを試してみることにしたい。
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