最終更新:レコ君
基本情報
| 標高 | 292m |
|---|---|
| 場所 | 北緯34度21分20秒, 東経134度06分16秒 |
源平合戦の古戦場として名高い「屋島」は、瀬戸内海に突きだした巨大な溶岩台地。その名の通り、江戸時代のはじめまで「島」でした。古代から備讃瀬戸の交通の要であり、軍事上の要衝として重要な位置にあり、それだけに、その見晴らしは瀬戸内海国立公園隋一の景勝地。エーゲ海に匹敵する多島美の備讃瀬戸をはるかに一望する山上からの眺望はまさに絶景です。
| 山頂 |
|---|
山の解説 - [出典:Wikipedia]
屋島(やしま)は、香川県高松市に位置する、標高292mの台地状の山である。山としては標高300mに満たない里山ではあるが、後述の通り、観光、歴史、ハイキングの場所としてよく知られている。
「屋島」の名称は屋根のような形状に由来し、高松市のシンボルになっている。また、古来から瀬戸内海の海路の目印となるランドマークでもあり、瀬戸内海での要衝の地でもあった。
「屋島」は、江戸時代までは陸から離れた「島」であったが、江戸時代に始まる塩田開発と干拓水田により徐々に埋め立てられ、陸続きになった。
ただし、「屋島」の南麓にある「相引川」を瀬戸内海につながる「水路」とみなした場合には、四国本島と切り離されているという見方も出来る。海上保安庁では屋島を「島」として定めているが、現在の法定区分は、高松市を形成する四国本島の扱いである。
全体の大きさは南北に約5km、東西に約2kmのスケールである。
「南嶺ゾーン」 なお「北嶺ゾーン」には三角点、基準点は設置されていないが、地理院地図によると、最も高い場所は、282mと記載されている。
平坦な頂面の周囲に急な崖を持つ典型的な「メサ」状地形であり、開析溶岩台地と言える。なお「南嶺」と「北嶺」との間は、細い尾根で接続されている。
この山は、標高は低いものの、以下に記述の通り、色々な特色を持つ山であり、「四国百名山」のひとつに選定されている。
「屋島」の東側と西側、および南の「相引川」沿いの埋立地は、住宅地・市街地に改変され、国の史跡および天然記念物の指定区域内に多くの人が集住している。 この、「屋島」周辺部の地域は、「屋島地区」と呼ばれている。
この山の山上台地からは、多島海である瀬戸内海が眺められ、優れた展望景観を有しており、1934年(昭和9年)3月16日、国立公園として初の「瀬戸内海国立公園」に指定された。 なお当初の指定区域は「屋島」を含む備讃瀬戸の一帯である。
考古学的には、この「屋島」には、重層の遺跡を有しており、それも加味して、1934年(昭和9年)11月10日、「国の史跡および天然記念物;屋島」に指定されている。なお史跡および天然記念物の指定範囲は、南麓にある「相引川」以北の全域と、その地先の100mの海面区域である。
歴史的にみるとこの「屋島」は、663年に朝鮮半島で起こった「白村江の戦い」の後に、山城としての「屋嶋城」が築かれ、山上の大部分が山城であったと推定されている。また、「南嶺ゾーン」には、唐僧・鑑真が創建したとの伝承をもつ「屋島寺」がある。また東にある「五剣山」との間は、古来の「檀ノ浦」(讃岐檀ノ浦)と呼ばれる入り江で、治承・寿永の乱(源平合戦)における重要な局地戦の一つである「屋島の戦い」が、ここを戦場として繰り広げられた。そのほかにも、「長崎ノ鼻古墳」(ながさきのはなこふん)、「千間堂跡」(せんげんどうあと)、「屋島経塚」(やしまきょうづか)、「長崎ノ鼻砲台跡」などの歴史的な建造物、遺跡類がある。
「屋島スカイウェイ」が麓から通じている「南嶺ゾーン」は、香川県を代表する観光地の一つとして開発されている。しかし、「北嶺ゾーン」は良好な自然公園である。両者は細い尾根で接続され、各々周回した歩行者専用の探勝遊歩道と、南北嶺を縦走できる登山道が整備されている 。


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