丹沢
神奈川県
最終更新:Honoca
基本情報
標高 | 160m |
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場所 | 北緯35度22分57秒, 東経139度15分08秒 |
善波峠(ぜんばとうげ・160m)は、神奈川県・高取山(556m)と弘法山(237m)の大山南山稜従走登山路の鞍部で、秦野市名古木ー伊勢原市善波を結んでいた峠。矢倉沢往還・現代の国道246号線。
矢倉沢往還(やぐらざわおうかん)は、東海道の脇往還として江戸時代に整備された街道で、江戸赤坂門から相模国、足柄峠を経て駿河国沼津宿を結んでいた。
大山への参詣道の一つであることから「大山街道」、「大山道」などとも呼ばれる交通の要衝であり絶対的な街道であった。
江戸ー大正まで、大名行列、生糸・炭・煙草や日用品の流通、大山への参詣者など多くの人がこの峠を越えては、帰路登り返して来た。峠とは越えるだけではなく”往復”なのである。
善波峠を短絡するための道路トンネルとして、1928年(昭和3年)に善波隧道が、1963年(昭和38年)8月に新善波トンネルが供用された。
昭和3年以降、善波峠はその役目を終え古道としての歴史を歩むことになる。
現代の善波峠
伊勢原市善波側の旧街道はモーターホテル群の私有地となっており道は消失している。よって誠に残念ながら、古の峠を”往復”することは出来ない。
伊勢原市側から入るなら鶴巻温泉からの尾根道を利用するか、善波隧道で一旦峠の下を潜り、秦野側から登り返すのが良いだろう。
峠の頂上には良く踏まれた見事な切り通しと、石仏・御夜灯が現存し、多くの人々に愛された古道を実感できる。
矢倉沢往還(やぐらざわおうかん)は、東海道の脇往還として江戸時代に整備された街道で、江戸赤坂門から相模国、足柄峠を経て駿河国沼津宿を結んでいた。
大山への参詣道の一つであることから「大山街道」、「大山道」などとも呼ばれる交通の要衝であり絶対的な街道であった。
江戸ー大正まで、大名行列、生糸・炭・煙草や日用品の流通、大山への参詣者など多くの人がこの峠を越えては、帰路登り返して来た。峠とは越えるだけではなく”往復”なのである。
善波峠を短絡するための道路トンネルとして、1928年(昭和3年)に善波隧道が、1963年(昭和38年)8月に新善波トンネルが供用された。
昭和3年以降、善波峠はその役目を終え古道としての歴史を歩むことになる。
現代の善波峠
伊勢原市善波側の旧街道はモーターホテル群の私有地となっており道は消失している。よって誠に残念ながら、古の峠を”往復”することは出来ない。
伊勢原市側から入るなら鶴巻温泉からの尾根道を利用するか、善波隧道で一旦峠の下を潜り、秦野側から登り返すのが良いだろう。
峠の頂上には良く踏まれた見事な切り通しと、石仏・御夜灯が現存し、多くの人々に愛された古道を実感できる。
峠 | 神奈川県・高取山(556m)と弘法山(237m)の鞍部 |
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分岐 | 大山南山稜・従走路へ連絡 |
登山口 | |
バス停 | 秦野市側・弘法山BS、伊勢原市側原市側・善波BS |