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高田城址公園(たかだじょうしこうえん) / 三重櫓

都道府県 新潟県
最終更新:sugegasa
基本情報
場所 北緯37度06分35秒, 東経138度15分21秒
カシミール3D
登録地点は三重櫓(入館有料)
本丸跡は上越教育大学附属中学校
トイレ 公園内に公衆トイレが散在
展望ポイント

山の解説 - [出典:Wikipedia]

高田城(たかだじょう)は、新潟県上越市本城(もとしろ)町にあった日本の城。「鮫ヶ城」の別名が市民によく膾炙している。新潟県指定史跡。2017年(平成29年)には続日本100名城に選定された。
徳川家康の六男、松平忠輝(長沢松平家)の居城として天下普請によって造られた。忠輝の福島城からの移転は、転封から2年後の慶長17年(1612年)7月の時点で南に移る話があり、慶長19年2月に忠輝が高田へ移ると、3月15日に高田城築城が始まり、7月5日に普請は完了した。城地の縄張りと工事の総監督は忠輝の舅の伊達政宗が勤めた。
高田城は、高田平野にある菩提ヶ原に築かれた平城である。約230メートルから約220メートル四方の本丸を取り巻くように二ノ丸、南に三ノ丸、北に北の丸を配し、関川、青田川などを外堀として利用した。堀は南方の総構である百間堀を除けば、関川・青田川・矢代川・儀明川の流路変更と旧河道の流用により構成されている。すべての曲輪に土塁が採用され、石垣は築かれなかった。低湿地に築城されたため排水設備が重視され、城地には現在の技術水準から見ても遜色ない暗渠が張り巡らされていた。
普請完了から程なく大坂の陣、そして忠輝の改易が続き、櫓等の作事は殆ど進展せず、高田城唯一の櫓である天守代用の櫓も1624年に入封した松平光長が建てたと見られている。正保元年(1644年)に提出が命じられた『正保城絵図』では二重櫓だが、寛文5年(1666年)の高田地震後の復旧で、3重3階の三重櫓になったと見られる。当時の三重櫓の外観は不明で、江戸城の富士見櫓に似た外観であったと伝えられている。
明治以降、旧陸軍第13師団の駐屯地司令部として使用するために大規模な土塁の撤去、堀の埋め立てが行われ、旧城地の東半分は旧状をとどめていない。本丸を含めた西半分には堀、土塁の一部が残されており、現在は公園として整備されている。

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